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2017年11月14日

●気付かせて頂くことがおかげ

教祖様ご在世中の御頃のことです。国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみになさっておられた国枝三五郎師は、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られてそのことを教祖様にお届けなさると、

『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。

さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられたのでした。その日までにはよほどよくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのでした。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。

★国枝三五郎師は、六年間に三度盲目になられましたが、熱心にご信心をなされて晴眼のおかげを頂かれました。信心の初めには、「拝み信心」「不足信心」を教祖様から戒められたこともあられましたが、み教えを頂かれてより心を改めるよう信心の稽古をされたのでした。

そして小さな信心から広く大きな信心へと進まれ、長期に亘ったお願いを持たせて頂く事が出来られたのでした。すると、二十年後には「乙島の金光様」と呼ばれるようになられたのです。

★国枝三五郎師は『氏子はかわいそうなものである。瓶にひびが入っていることに気がつかずに水を入れている。瓶のひびを焼き接ぐ心で信心せよ』とのみ教えも頂かれました。ここが至らないところだと分からせて頂けることや、考え違い、間違いに気が付かせて頂くことがおかげです。

ですから、国枝三五郎師は『今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ』ともみ教え頂かれておられます。み教えを頂きましたら、今までが自分中心の我情我欲に偏った狭い狭い世界に閉じこもっていたことに気付かせて頂け、御神徳に満ち満ちた広い世界に住ませて頂いていると分からせて頂けるのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:58 | 平成29年の「み教え」