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2017年10月31日

●何事も心中御祈念をさせて頂いて

何をする時でも「金光様有難うございます」と心中御祈念をしながらさせて頂きましたら、時間の無駄なく二度手間・三度手間がないような仕事ぶりにならせて頂けます。それは、お勤めなさっている方もそうですし、お商売をなさっている方、家事をなさっている方でも、どんな方でも同じ事です。

また、心中御祈念をさせて頂きながら話をさせて頂きましたら、無駄事を言いませんから、言葉が過ぎたり言葉が足りないということもなくなります。一言多いということがあれば、品性を下げてしまうこともありますし、言葉が足りなくて後に問題が起きてしまうということもあります。

常に心中御祈念をさせて頂いて、わが心の神様にお働き頂いて、言葉を出させて頂いたり、手足を動かして頂きましたら、的確なことをさせて下さるのです。そうしておかげを頂いていく姿が油断のない姿と言えます。

★『神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何なりと実意をもってお願いさせてもらうがよい』と、

ご祈念をさせて頂く順番も丁寧に教えて頂いております。心中御祈念させて頂く時にも、ついお願いに走ってしまいがちですが、まずはお礼を申させて頂いて、次にはお詫びを申させて頂いてから、お願いさせて頂くのです。

★『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い』

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2017年10月30日

●双方立ち行くおかげを

二代教会長伊藤コウ師のご時代のお話です。あるご婦人のご信者が、ご主人からご信心させて頂くことに反対されておられました。 ある日ご主人から、「わしを取るのか、信心をとるのかはっきりさせろ!どうしても信心したいならお社を背負って出て行け!それともこのまま私と暮らしたいならお社を捨ててしまえ。今晩仕事から帰ったら返事を聞くからな。」と言われたのでした。そこでご婦人は教会にお届けに来られ、「どうか神様のご庇礼によりまして、主人とも別れず信心も放さずに、双方立ち行くおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさいました。ご主人に腹を立てることもなく、自暴自棄になることもなく、神様に心を向けて一心にお願いなさったのです。すると、ご主人は仕事から帰ってくるなり子供を膝に乗せて機嫌よく遊んで下さり、それ以降何もおっしゃることはなかったのです。

★後に事情が分かられたのですが、その日ご主人は、会社の同僚から勧められ手相を見てもらったそうです。そして、「あなたは短命の相がありますよ。」「それはどのようにしたら逃れられますか?」「それには信心をしなさい」「家内が信心に凝っておりまして…」「それはよいことですね、どのような信仰ですか?」と言われ、「家内は金光教の信心をしていますが…」と話されますと、「金光教は良い宗教ですよ。天地の道理を説く宗教ですから、結構な奥さんですよ。奥さんを大事にしなければ立ち行かなくなりますよ。」と言われました。そして、「今は私は信心出来ませんが、家内が信心するのでも構いませんか?」と尋ねたところ、「それでもいいですよ」と手相を見る方に言って頂くことがあり、奥様の信心に反対するのをやめられたのでした。

★人間の考えというのは真に小さく狭いもので、自分自身が策を練ってしようと思えば限られてきます。神様は、自分の至らない部分や、良い部分というのは一番良くご存知であられますから、何もかも神様におすがりさせて頂きますと、双方が立ち行くように道を付けて下さるのです。

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2017年10月29日

●信心の初めに立ち帰り、次の代へ伝えさせて頂く

昨日は初代教会長・伊藤徳次彦霊神の91年廻れる例年祭をお仕えさせて頂きました。初代教会長先生の頃のことをご存知の方は現在残っておられませんが、真に有難いことに二代教会長先生・三代教会長先生が、ご布教の初めのご修行して下さったことをお話しして残して下さいましたから、ご内容を偲ばせて頂いて、共にご信心を頂き直させて頂くことが出来るのです。

★ご信心とは「初めの心を忘れないこと」です。それぞれの家の入信前や、入信させて頂いてから今日までに頂いてきた、有難いおかげの内容を常に振り返らせて頂いて、次の代へ伝えさせて頂くことが大切なのです。そうして初めの心、信心の初めを忘れないようにさせてもらうのです。

★雨の一滴とは弱いものですが、それが何十年・何百年と続きましたら、岩にも穴を通すのです。積み重ねとはそういうものですが、徳を積む為の生き方を積み重ねている人と、めぐりを積んでしまう生き方を積み重ねている人とでは、大きな開きが出来てしまいます。ご信心をさせて頂いて、良い積み重ねをさせて頂きたいですね。そのために、めぐりをお取り払い頂き、徳を積ませて頂く為のご信心を、共々に今月今日でさせて頂きましょう。親の代から子供の代孫の代ひ孫の代その先の代と続けさせて頂き、おかげを頂き続けてまいりましょう。

★皆さまがおかげを頂いてこられた内容こそが阿倍野教会の宝なのです。皆さま方ひとりひとりに神様から願いをかけて頂いているのです。ですから、教会にご神縁を頂かれて金光様のお取次を頂き、天地の親神様の御神徳を蒙らせて頂けるのです。

★2週間後の開教95年記念大祭から、新たに「5ヵ年計画の願い」を立てさせて頂きますが、5年後の開教100年記念大祭に向けまして、「神様・金光様・霊様にお喜び頂けるような、喜びに満ち満ちた信心生活」にならせて頂けます様に、それぞれの家が五つのお願いに基づいて、各人各家の願いを立てなおしておかげを蒙らせて頂きましょう。

★『先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。』
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2017年10月28日

●神様の願いに沿う

本日午後2時より、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の91年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。ご家族ご親戚、お導きの方々が揃って参拝のおかげを頂かれ、日々お守り頂いているお礼を申し上げ、11月11日の金光大神大祭に併せて開教95年記念大祭に向けて、願いを新たにさせて頂きたいと思います。

★初代教会長・徳次師と二代教会長・コウ師は、23歳の時にご縁を頂かれ、ご結婚されました。ご結婚後、徳次師は大阪で布教なさるため、四条教会にて半年間、島之内教会にて1年間御修行なさいました。徳次師が24歳の時に、島之内教会にご修行なさっている際、当時流行していた悪性のインフルエンザ(スペイン風邪)に罹られたのです。なんと意識不明の重体になられ、心臓麻痺を起こされ、医師からも手を放されたのでした。徳次師は自宅へ戻られ、コウ師が一心に神様にお願いし、教師の職務も学校閉鎖・学級閉鎖とお繰り合わせ頂き、5週間手厚く徳次師の看護が出来られ、快方に向かわれたのです。

★そして島之内教会でのご修行の後、阿倍野の地にご布教を始められました。それから5年後、大正10年32歳で徳次師は「おかげやで、おかげやで」と言い残され、お国替えされました。二代教会長を拝命されたコウ師は徳次師のご遺志を受け継がれ、建築委員総辞職ということがあられる中にも、神様を杖にお縋り通され、昭和2年11月11日に旧広前の新築落成祝祭を挙げられることが出来られ、次々とおかげを頂かれるご信者が増えていかれる礎を築いて下さったのです。

★コウ師はどんな時にも起きてくることすべてに御礼を申され、神様を杖にお縋り通されたのです。それは、神様の願いに沿って自分自身も願い、おかげにさせて頂くという覚悟を決められたからです。それぞれにかけて頂いている神様の願いを分からせて頂き、神様と氏子の願いが一つにならせて頂ける信心に進ませて頂きましょう。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。神は曲がりも折れも死にもなさらんからのう。』『ただただ生神金光大神様、天地金乃神様有難うございますという心さえあればそれでよろしい。』

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2017年10月27日

●「苦労」を「おかげ」にする鍵

先日開催されました青年会学生会例会で、医師の門田氏より、「若いうちの苦労」という講演を聴かせて頂きました。「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と昔から言われますが、苦労がしっかりと実を結び、心と体の成長につながる為には、3つのポイントがあるということが、最近の研究で分かってきているということでした。

★1つ目は、「愛情に包まれる」ということです。親を始め周囲の人からたっぷりと愛情を注がれ、相手を思い、相手からも思われる絆を感じたとき、脳からオキシトシンというホルモンが分泌されるそうです。このホルモンが分泌されることによって、心を強靭にし、痛み(困難)に耐える勇気を与えられるそうです。また、絆を感じ、絆に感謝することによって、お互いにより分泌が促進されることも分かっているそうです。つまり、子供が親の愛情を喜び、感謝すると、親にも伝染し、絆ホルモンがより増えるのです。

★2つ目は、「先に楽しみがある」ということです。「家に帰ったら美味しいご飯を作ってくれている」「これを乗り越えたら、両親や、先生方が笑顔で喜んでくださる」といった、些細に思えるようなことであっても、苦労を乗り越える力になるのです。

★3つ目は、「前向きに努力する」ということです。前向きな心になると、副腎からホルモンが分泌され、更に前向きにさせてくれるそうです。このホルモンの働きで、脳の成長が促進され、特に若いうちは分泌が多く、同じ心持ちで、同じ苦労をしたとしても、若いうちの苦労は、壮年・老年に比べて脳を2〜3倍成長させることが分かっているそうです。

★このような有り難い力を、私たちは皆生まれながらに与えて頂いているのですが、その能力を最大限に引き出せるかどうかは、自分自身にかかっています。若いうちからしっかりとお届けをしてお願いをさせて頂き、み教えを頂きながら、今日を喜び、明日を楽しんで、信心の稽古に励ませて頂きましょう。

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2017年10月26日

●性分を改めなければならない 

 片岡次郎四郎師がご信心なさる以前は、大変実直なお方であられたのですが、気性が激しく正義感が強いお方なので、人が曲がったことをすると許せずに、承服させるまで言い負かさなければ気が済まない性分であられました。ところがご信心なさるようになられて、金光様の元へ参拝されますと『人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞゆるしてやってください、直してやってくださいと拝んであげるようにならなければならない』『その性分ではおかげが受けられない。性分を改めなければならない』と教えて頂かれ、そのみ教えによって生まれ変られたのです。これまで自分が正しいと思って行ってきたことが、信心を基にしてみ教えを頂きますと間違っていたのだと理解できられたのです

。★ある寒い寒い雪花が散っていた日のことです。片岡次郎四郎師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりの寒さに着ていた物を脱いでそのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰られました。おかげを受けた者は、その有難いことを忘れずに、神様の心になって不幸せな人を助けさせて頂く事を教えて下さったのです。

★二代教会長伊藤コウ師は、テレビのニュースをご覧になりながらでも、テレビの画面に向かって報道される人々の助かりを、手を合わせてご祈念なさっておられました。お庭の御用をなさる時でも、横になってお休みになっておられる時でも、見ること聞くこと全てどんなことでも、人々の助かりをご祈念下さっておられたのでした。

★私達も、目の前の人や、家族、親族、地域の人々や縁に繋がる人々の悩み苦しみを、自分の事のように感じ、本気でその人の助かりを祈ることが出来ましたら、どれ程有難い世の中になるでしょうか。そのことを日々稽古させて頂いておりましたら、自分自身の心が浄化されて広くなり、信心も進ませて頂くことが出来るのです。それが真のご信心になってゆくのです。

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2017年10月25日

●間に合う信心

『とにかく、まめな時くり合わして参詣してご神徳をいただいておき、病苦災難の時には、天地金乃神、金光大神様手続きをもって願い、直々に聞いてもらうようになければ、信心は間に合わん。どこでも一心に頼みなさい。神様は直におかげをくださるのである。』

★あるご信者は、平成20年12月24日夜、お孫さんがバイクに乗り、交通事故に遭われたのです。有難いことにお孫さんは鎖骨の骨折だけで、大難を小難におまつりかえ頂かれました。ご信者は、お下げ頂かれた御神米を確認させて頂かれますと、外側の上包みは何も変化はなかったのですが、中に納めております御剣先の上部だけ色が茶色に変わっていたのです。ご信者は、御神米が身代わりになって下さったことを、神様にお礼を申し上げられ、丁寧に包んで教会へ納められたのです。

★また、あるご信者は、平成19年に自宅が火事に遭われました。ご家族は怪我過ちなく無事に助けて頂かれ、大難を小難におまつりかえ頂かれました。御神米箱を調べられますと、お剣先が焼けたかのように変色しているものが見つかりお守り頂いたのだと分からせて頂かれたのでした。

★私たちは日々生活させて頂いている中で、何が起きてくるか分かりません。何か起きてきた時に、大難を小難に、大病を小病におまつりかえ頂くおかげを頂けるように、常平生から間に合う信心をさせて頂かねばなりません。まず、毎日無事に生活をさせて頂いておりますということは、たまたま何も起こらなかったように見えているだけで、様々なことがある中を、あたかも何事もなかったかのように済ませて頂いているのが無事ということなのです。日々無事に生活させて頂いていることにしっかりとお礼を申し上げ、お下げ頂いたご神米を常にお伴して、心中御祈念しながら、生活させて頂きましょう。
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2017年10月24日

●一番良いようにして下さる

22日から23日の未明にかけて、大阪にも台風21号の激しい雨風が通り抜けました。大事に至らなかったことをお礼申しつつ、全国の各地にも大きな被害のないよう、お願いさせて頂いたことでございます。

★22日のお湿りの中にも、お宅祭をお仕えになったお家が数件あられました。皆ご家族ご親族揃ってお参りが出来られ、日々結構なおかげを頂いておられるお礼のお祭を嬉しく有り難く拝まれました。前々から、日を決めて頂いて準備を進められ、たとえ風が吹いても、雨が降っても、一層有り難いお祭をお仕えさせて頂く心で拝ませて頂けば、結構なご庇礼を蒙らせて頂くことが出来るのです。

★教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられたといっても過言ではないような状態になられたのでした。 しかし、教祖様は決して取り乱したりなさることはなく、「家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。良し悪しごとも全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。」との、神様からのお言葉をただただ素直に守られたのでした。

★そして、本教の真髄ともいえる「天地書附」は、この時期に銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、神様からお下げ頂かれたのです。また、「五年の辛抱」の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き、拝ませて頂けることとなられたのでした。

★常平生から何事にも実意丁寧を心掛け、都合の良いように思えることも、悪いように思えることも、全て神様のお差し向けと心得て、神様一筋に思いを凝らしてご修行さて頂いておりますと、人間の思いをはるかに超えるようなおかげを頂けるものです。様々なことが起きてきても、自分が人を頼りにしようと考えたりあれこれ画策しようと思わず、心配は神様にお預けして、神様の思し召しに沿わせて頂くことを心掛けさせて頂きたいと思います。

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2017年10月23日

●その身から打ち込んで

橋詰さんという御信者が入信前のこと、任侠の世界にあこがれていました。喧嘩が好きで、無理難題を言うことが男らしいと思って生活をし、家賃も払わずに何年間もためていました。あらゆる所に借金を重ね、誰からも信用されない状態に陥っていたのでした。ところが息子さんが教会の子供会にお参りされるようになり、息子さんのお導きによって入信されたのです。

★橋詰氏は、ブリキ職人でありましたので、二代教会長・伊藤コウ師から「一軒一軒、御用聞きにまわりなさい。」とみ教え頂かれ、御神米をお供して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に奥様がちりとりを注文して下さいました。

信心によって心を入れ替えた橋詰氏は、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていき、長年積み重ねてきた借金を完済させて頂かれたのです。そして、お礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた四軒長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★しかし、仕事の上で何かあると人と喧嘩することもあられました。コウ師は「いっぺん改まったつもりでも、悪癖悪習慣というものは簡単に取れないもので、『私が間違っておりました』と改まってもまた悪い芽が出てくるものです。それを生涯かけて油断せず取り払って頂かねばなりません。」と仰っておられました。

★悪い芽が出ましたら、その度に摘み取っていくことを、長きに亘って根気強くさせて頂いておりましたら、めぐりが取れていくのです。「私は一生懸命ご信心させて頂いているつもりですが・・・」と思ってしまいますが、めぐりとは代を重ねてお取り払い頂かねばならないものです。

親の代から、ひ孫の代まで、それぞれの代で「どうぞ私一代でお取り払い頂けます様に」というお願いをずっとさせて頂いておりましたら、本当に結構にならせて頂けるのです。その身から打ち込んで真の信心をさせて頂きましょう。

★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』『人に誘われて、しょうことなしの信心は、つけ焼き刃の信心じゃ。つけ焼き刃の信心は取れやすいぞ。どうぞ、その身から打ちこんでの真の信心をせよ。』
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2017年10月22日

●二心にならぬよう

10月21日は、初代教会長伊藤徳次師のご尊父であられます、池田太市老翁霊神の御命日でした。

★太市氏は、九州の吉井という所から甘木教会に16キロの道程を歩いて参拝なさっておられました。ある日、御祭典に参拝なさる折、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁つとに入れて下げ持っておられたのです。筑後川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ、鯉が逃げてしまったのでした。

★太市氏は、どうしてもその鯉をお供えしたいと思い、対岸へ渡って後に投網を探して回り、借りることが出来ました。しぶる船頭さんにお願いをして、もう一度鯉が逃げたであろう所まで戻ったのです。船頭さんに頼みましたが、「網にかかるはずがない」と断られます。そこを是非にとお願いして投網を打ってもらいますと、鯉が網にかかったのでした。流れがあるにもかかわらず、鯉が逃げたその場所にとどまっていたということです。そして、再び藁つとに入れて歩いて、甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られた時に、甘木教会の安武先生が「御供えさせて頂きたい、というあなたの真心が神様に届いて神様が喜んでお受け取り下さったのです。」と仰って下さったのでした。

★太市氏のその熱心なご信心と、神様に対してどこまでも一心に真・真心を表していかれた、素直なご信心を見習わせて頂きたいと思います。

★一心とは迷いのないことで、神様に通じる正しい願いを持って、どこまでもその願いを離さないことです。二心とは、信頼して頂いている人を裏切る心です。口では「おかげが頂けます様に」とお願いしていても、心の中では「私みたいな者はとても難しい…」と思っていては神様に通じません。どこまでも神様を信じて迷わず疑わず、うろたえ心や不安な心を取り払くのです。そして、今自分がしなければならないことに打ち込んでさせて頂き、明日を楽しみに喜んで暮らしておりますと、自分が思う以上に神様が良いように整えて下さるのです。

★『ご一心とは、字にでも一つの心と書いてあるから、二心のうろたえ心を出さずに、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心じゃ。十分なおかげを受けるのは、一心でなければならぬ』

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2017年10月21日

●すべてをおかげに…

『ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心して死ぬる者はうちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を無駄死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ。』

★二代教会長伊藤コウ師は初代教会長先生がお国替えなさった際、「このみ教えで私は心が助かりました。」と仰せになっておられます。初代教会長先生は、大正15年10月28日32歳という若さで「おかげやで、おかげやで」というお言葉を残されて、お国替えになられました。世の人々は口さがないもので「金光教の先生でも若死にしますか…」等と色々な言葉をかける人があったようです。その中にあって、コウ師は[主人は24才で悪性のインフルエンザに罹り、生命の無いところを助けて頂いて、8年間寿命を伸ばして頂きました。有難いことと神様に御礼を申し上げました。主人を亡くして悲しくないことがありますか?悲しいし、辛い。 しかし、残された者が辛い辛いと言って、毎日泣いて暮らしても、そこからは何も有難いものは生まれません。初代教会長先生が「おかげやで。おかげやで。」と仰ってお国替えなさったお心を頂いて、何が何でもおかげにせねばならなりません。]と悲痛な思いで受け止められて、初代教会長先生の御心を無にしないように、神様を中心にされ、全てが神様の思し召しであることを示して下さったのでした。

★誰しも家族や親しい方がお国替えされるという事は、大変辛いことです。しかし、その一つ一つを大きなおかげの中の出来事として、心から有難く頂くところに本当のご信心に近づかせて頂くことが出来るのです。
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2017年10月20日

●お礼を申し足らない私

あるご信者は、毎日片道1時間半かけて電車で通勤しておられ、道中もずっと、お礼を申す稽古をなさっておれるそうです。その方は、1日に千回を目指してお礼を申す稽古をなさっておられるのです。1日に千回お礼を申そうと思うと、食事をする時も、通勤の道中も、お風呂に入るときも、常にお礼を申すことを探す稽古をしておられるということですね。そのように、「自ら工夫させて頂こう!」と、決心をしてご修行させて頂くことが大切です。

★私たちは、命を頂いて生きている限り、家族、地域社会、会社の上司あるいは部下、先生、友達・・・考えが及ぶだけでもどれ程のお世話になっていることか分かりません。つまり、お礼の足りないところが日々積み重なっているのです。ですから、しっかり心掛けてお礼を申させて頂くことが、大切なのです。

★人の良いところを見させて頂いたら、「今日はこのような良いお手本を見せて頂きました、有り難うございます」と神様にお礼を申し、周囲の人の悪い部分に目が行ってしまったら、自分にも思い当たる部分がないかを反省させて頂き、「今日は良い勉強をさせて頂きました。有り難うございます」と、お礼を申させて頂いたら、おかげにならせて頂けるのです。また、不自由を感じることがあっても、「今日はこのことをご修行にさせて頂きます、有り難うございます」と、お礼を申して、出来てくる不自由を有り難く受けさせて頂くことが、おかげにつながらせて頂けるのです。

★信心は、日々の積み重ねが大切です。油断をすると、心が神様から離れてしまい、痛いこと、困ったことが起きてきても、その出来事に囚われて、身も心も身動きが取れなくなってしまいます。常にお礼を申す稽古をさせて頂き、どんな時にでも神様のおかげをしっかり感じることの出来る心を養わせて頂きましょう。『研きても なお研きても 研きても 錆びて果てなき わが心かな』(甘木教会・安武松太郎師)

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2017年10月19日

●慈愛の心に抱かれて

昨日は教徒会例会を開催させて頂き、後藤氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。後藤氏は今までは「私のようなものが、とても御用にお使い頂けません」とお断りなさっておられたのですが、有難いことに今回初めておかげ話をさせて頂かれることになられました。

★後藤氏のご主人が平成13年10月28才ではしかに患われた時のことです。高熱と体中の痛みで動けず寝込んでしまい筋肉が衰え、真面目に喜んで勤務出来ておられた方が、全く勤務出来る状態でなくなってしまわれました。丁度関東へ転勤の話が持ち上がっており、単身で赴任して勤めるだけの気力体力はとてもあるはずもなく、会社に迷惑をかけるのは心苦しいと退社を決心なさったのでした。

それから気力体力が回復するのに約三年を要しました。その間、後藤氏が会社勤めをしながら妻としてご主人を支える役目を果たされました。しかし一人で出来られたのではありません。日参しお届けをなさって神様を杖におかげを頂いてゆかれたのです。さらに後藤氏の実家のお母様がお世話をして下さり、病気の後遺症で寝込んでしまい、食事もまともに摂れなくなっているご主人を大きな心で引き受けて下さったのです。

★愛情深く慈愛の心で辛抱強くお世話をして下さったご家族のおかげで、ご主人は回復してゆかれ、教会に参拝なさることが出来られるようになり、日々お届けし、今後のことをお願いして前向きに努力が出来てゆくようになられたのです。公的な機関でのアルバイトを経て、就職活動ができるようになられて、正社員として再就職が出来られたのでした。はしか発症より五年半が経過していました。

★再就職より十年を経た今日、ご主人は病欠をなさることも無く、残業もこなして充実した勤務をなさっておられます。慈愛の心で支えて下さったお母様は、ご主人の再就職を見届けて一年後お国替えされました。真に有難い事です。

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2017年10月18日

●幸せな人生に…

あるご信者は、2歳の時にご両親が離婚され、祖父母様とお母様と4人で生活しておられましたが、しばらくしてお母様も新しい方と一緒に家を出ていかれました。そして、ご信者が小学校2年生の時にお母様が再婚された相手の方と子供1人連れて帰ってこられたのです。お母様もご苦労があられたようで、お導きを頂かれて阿倍野教会へ参拝なさっておられました。そこで、ご信者も子供会やお習字にお引き寄せ頂かれることになられたのでした。

★高校卒業後は、銀行に勤められ、3年後に結婚され2人の娘さんを授かられました。信心が遠のいておられましたが、産まれた二女さんがなかなか順調に成長されず、二女さんをきっかけに、以前のように教会へ足を運ばれるようになられたのです。

★結婚30年目には、ご主人は仏式で先祖を祀っておられたにも関わらず、「結婚して30年、毎日仏壇を拝んでいるあなたの姿を見て、僕もあなたに送ってもらいたいから構わない。」と言って下さり、金光教の教徒の列に加えて頂かれたのです。そして、有難いことに御主人のお母様、ご信者のお母様とお父様がお国替えなさった際には、阿倍野教会で告別式をお仕え頂かれたのでした。

★ご両親がお国替えなさって、2年後に、教徒会例会でおかげ話の御用にお使い頂かれました。その後、2歳で別れた実のお父様から「是非会いたい」と連絡があり、それからはお国替えなさるまでの10年間、月に1度会わせて頂かれ、親子水入らずの時間を過ごされたのです。今年、お父様が危篤状態の時には連絡を受け、すぐに病院へ駆けつけられました。病院には初めてお会いするお父様の再婚相手の子供さんや孫さん、ひ孫さん達がおられましたが、「お国替えなさったお父様をさすってあげて下さい」と言って下さったのです。お父様は生前中、生き別れした娘がいると子孫の方に話して下さっていたそうで、遺産も平等に分けるように遺言を残して下さり、お国替え後も円満な関係を築くことができられたのです。

★二代教会長伊藤コウ師は小さい頃、「幸せとは、裕福できれいな着物を着て豪華な家に住み、人が何もかもして下さるということだ」と思っておられました。しかし、信心させて頂き、そんな考えは大きな間違いであると気が付かれました。人生にはどのようなことが起こってくるか分かりません。どんなことが起きてきても神様におすがりして、乗り越えさせて頂ける信心の徳と力を頂くことが一番幸せである、と理解出来られたのです。与えて頂くご修行を通して、生き抜いてゆく力を身につけ、神様が私たちそれぞれにかけて下さっている願いを悟れるように、日々信心に励ませて頂きましょう。

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2017年10月17日

●親としての在り方を見つめ直す

以前、あるご夫婦が子供さんのことでお届けに来られました。そのご夫婦は、夜も眠れないほど子供さんのことで悩んでおられたのです。子供さんは食事が入らずに日々痩せ細って行き、医師からは「子供さんは心の病である」と診断をうけたのでした。ご主人は、朝早くから出勤されて責任のあるお仕事をなさっておられる為、奥さんは日中お一人で神経をすり減らしながら子供さんのお世話をなさっておられました。ご夫婦は話し合い、教会の近くに家を移り、毎日子供会に参拝し、親子が揃ってお届けし、お願いをなさって行かれたのです。そうした中で、神様におすがりなさって、ご夫婦の在り方を見つめ直していき、また親としての在り方を見つめ直して行かれましたので、子供さんは心の健康を取り戻し、有難い成長を遂げておられます。

★「親は子の鏡」と言いますが、子供は親の姿を見て子供がそれを習い、良いお手本にしてゆくのです。「子は親の鏡」とも言われます。親は、子供の姿を見て自分自身を反省し、「私は本当に父親(母親)らしいことが出来ているのか」、「親としてこれが正しい在り方なのか」…と見つめ直す必要があります。子供の養育の上で親が辛抱をしなければならない時期がありますが、「自分がする、仕方ないから我慢する」ということでは到底立ち行きません。そこで神様におすがりさせて頂いて、「神様にさせて頂く辛抱」となりましたら、おかげを頂く方へ導いて頂けるのです。「私自身は徳も力も足りませんが、足らない所は足して頂いて有難いおかげばかり頂いております。真に有難うございます。自分自身の至らないところはしっかりと改まらせて頂きますので、父親(母親)として本物にならせて頂けますように。また神様の氏子として、真のご信心がさせて頂けます様に」と毎日お願いさせて頂くのです。

★ある精神科の医師は、父親の仕事として

1)子供を愛情深くしっかりと抱きしめてあげるという仕事をする。

2)社会の規範を教えると言う意味に於いて、間違っている時には、嫌われることを恐れずに正しいことを教え諭すという仕事をする。

3)適切な時期になったら、子離れをするという仕事をする。この3つは、どれも欠かすことの出来ない大切な父親の役割と教えて下さっています。

★親は子供の良い所を認めて、誉めて励まし育てることが、親も助かり子供も助かり、互いに育て合うことが出来、共に成長させて頂くことが出来るのですね。
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2017年10月16日

●愛情を込めて根気強く

先日、あるご信者がお仕えになったお宅祭には、娘さんと1才のお孫さんもお参りになっておられました。そこで娘さんに、「子供を育てさせて頂くということは、辛抱と根気がいることですね。毎日、会社勤めをなさってお仕事と育児、炊事、洗濯、掃除と、用事がたくさんあられることと思います。つい、『これもしなければ、あれもしなければ・・・』と、気が急いてしまうこともあるでしょうが、保育園に預けられてる子がお母さんの元に帰られたら、しっかり抱きしめてあげて出来るだけ相手になってあげられるように、おかげを頂いて下さいよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★ある先生が金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)に「うちの子供がやんちゃで困ります。障子をよく破るので注意しておりましたが、度重なるごとに怒鳴ってしまったり、叩いてしまいます。」とお届けをなさったそうです。

★すると、キクヨ姫様は「良い子じゃのう、元気な子じゃ。」と子供を褒められた後、「やんちゃするだけ元気なことだから喜ばねばならん。2歳、3歳で外に働きに行くまい。小さい頃は親の手元におって、ガサゴソするのが仕事じゃ。やんちゃをしなくなると、水枕や体温計と走り回り、どうぞ一日も早く良くなってやんちゃをしてくれと言うであろう。」と仰せられ、次には「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。その先生は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。するとキクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるではないか。破られたままにしておるから子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐに貼る。そうすると子供ながらに『私が一生懸命破っているのにお父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、破るということは良くないことだな』と思うようになり、破るのをやめる。」とおっしゃったそうです。

★そうしますと三か月程して破らなくなったのです。お礼のお届けをなさいますと「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にやんちゃをして破ったのを、今貼りよるんじゃと思って貼りなさい。子供はまた20年,30年したら貼らされますよ。」と笑いながら仰せになられたのでした。

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2017年10月15日

●お気付けは神様のご慈愛

二代教会長伊藤コウ師が10才の時のことです。秋になりかけたある日、コウ師のお姉様であられますスエ氏が、急に腰がぬけて立てなくなってしまわれたのです。原因は、夏に冷たい物を食べ過ぎたり、夜も寝ている間に体を冷やしていたことでした。丁度それは豊中教会の御大祭の前で、ご母堂(伊藤ハル刀自)は、豊中教会の御大祭の際には、前日・当日・翌日と3日間泊まり込みで御用奉仕をなさっておられました。

★伊藤ハル刀自は、「娘が寝込んでおるということは、親の私が至らないからでございます。私が御恩の分からん人間でございました。そのせいで娘も神様の御恩の分からんまま自分勝手な生活をして、それが体に現れております。これからは御恩の分かる人間にならせて頂けますように教え諭しますから、どうぞお許しください」と御祈念なさった上で、

迷う事なく御用に出かけられることになさいました。用を足す事も一人でままならない状態のスエ氏に対して「あなたも一人で何もかも出来るように神様におすがりして、私が帰るまでにおかげを頂きなさい」と伝えられました。スエ氏も得心なさり、その3日の間ハル刀自が帰られるまでにと、神様に心よりお詫びを申し上げられましたら「金光様!」と声に出して立ち上がった時に、立てるようになられたのでした。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。「あんなものはしかたがない。どうになりとなれい」と思えば、人間でも叱りはすまいが。「どうぞ。あれが」と、ためを思うからこそ叱りもするのであろうが。』

★助かってくれよ、立ち行いてくれよという神様の思し召しがあって、物事が起こってくるのです。そのように分からせて頂きましたら、難はみかげであると理解がさせて頂けますね。神様が下さるお気付けはご慈愛の現れです。お気付けと気付かせて頂いて、信心の中身をもって、おかげを頂いていくと言う心になれば、全て良い方へ進んでいくのです。

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2017年10月14日

●神徳を受けよ、人徳を得よ

★10月9日より11月11日までを特別信行期間と定め、記念大祭に向けて各人が信心向上を願い、御大祭のご庇礼を蒙らせて頂けるよう、ご修行に励ませて頂きたいと思います。その信行の基本は日参と聴教であり、一日に一回と言わず二回、三回、四回と参拝し、み教えを頂く稽古に励ませて頂きましょう。それも言われたからイヤイヤする参拝や、させられる参拝では辛いですね。「神様がさせて下さる参拝と聴教」となるように、今日一日、今日一日とお願いしてさせて頂きましたら、一月間も楽々とさせて下さるのです。自分がするのではありません。自分がしようと思うから、難しいし、辛く感じてしまうのです。神様にさせて頂くという心になれば、神様が楽にさせて下さる。これが有難いのです。

★身に徳を頂きますと、徳のあるものが寄り集まってきます。ですから有難くて、有難くてならんようになります。反対に徳のない人には、つまらないものばかり目に入って、つまらないものが寄り集まってくるので、より一層辛く苦しく感じてしまうのです。

★お商売をなさっておられるご信者が、取引先が不渡りを出した為、困った際に、立ち行きをお願いなさった時のことです。二代教会長・伊藤コウ師は、「取引先が有難い取引先ばかりではないということは、あなたにお徳が足りないということですよ」と、み教え下さったのでした。ご信者は初め驚かれたのでしたが、み教えの意味をよくよく考えさせて頂き、参拝の仕方、み教えの頂き方、お商売の仕方を見直し、一日に何度も参拝して有り難いことに、改まりのご信心に打ち込んでいかれることとなられました。

★その家業は、今日大変繁盛のおかげを頂いておられます。過日も、「取引先が不渡りを出されることもありませんし、倒産なさる会社もありません、結構な取引先ばかりを頂いております。有り難うございます」と、お礼のお届けをなさっておられます。長期に亘ってみ教えを守られ、めぐりをお取り払い頂き、お徳を頂くご信心を進めておられますことは、真に有り難いことでございます。

★ご信心が進ませて頂くということは、自分の命、人の命(働き)、物の命、あらゆるものの命を大切にさせて頂けるようになるということです。その為に大切なことは、み教えを素直に、真剣に頂くということです。教会のお広前に一回でも多く足を運ばせて頂いて、お届けをさせて頂きお取次を頂く。教話を聴かせて頂いてみ教えを頂く。あるいは、御本を読ませて頂いたり、出来事や人の口を通して、また、自分の心にふと思わせて頂く神様のみ教えを、受け漏らすことなく頂く。そのような、日々のご信心の積み重ねによって、身にも心にも有り難いお徳を頂くことが出来るようになるのです。『神徳を受けよ、人徳を得よ』『生きたくば、神徳を積みて長生きをせよ』
 
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2017年10月13日

●相手の助かりを願う

昭和34年6月16日、アメリカ・シカゴ大学の教授(世界宣教研究所長)ビーバー博士という方が、御本部のお結界で「日本の人々だけでなく、世界中の人々に対して何かメッセージがありましたら聞かせて下さい」と三代金光様にお願いなさったそうです。すると、三代金光様は「色々願いがありますから、そのご都合をいただかれますようにお願い致しております」と仰せられたのです。ビーバー博士は「はっきりいたしまして大変有難うございました」と御礼を申されたそうです。三代金光様は、広いお心で周囲の人々を初め、世界中の人々の助かりを生涯掛けて切に願われ、神様のご都合を頂くことによって、一人一人の願いが、天地の調和の中に叶えられていくことをどこまでも願って下さっておられることを、 私達氏子に伝えて下さったのでした。

★私たち一人一人も、自分の助かりのみを願うのではなく、目の前の人の助かりを願わせて頂くことが大切です。「相手あっての自分」ということが分かりますと、感謝の心、謙虚な心が自然と生まれ、自分も相手も共に助かる世界が生まれるのです。 自分一人の力は知れております。自分ひとりでは何事も成し得ません。家庭でも仕事でも、人のお世話にならなければ出来ないことばかりです。その事を自覚させて頂き、周囲の方々に対して常に御礼を申す生き方をさせて頂くことで、自分自身も心身共に健康にならせて頂くことが出来ます。家族や親族、また学校のクラスメイトや、クラブの部員の人達など、お願いさせて頂く対象の人が広がっていきますと、自ずと自分自身の心も広くなっていくのです。その中には様々な人が居り、気の合う人もいれば、気の合わない人もいますね。しかし、気の合う人しか願わないということでは、自分の心が狭くなってしまう一方です。段々とお願いさせて頂く幅が広がりますと、様々な立場の人が願えるようになり、神様がお喜び下さるような有難い姿とならせて頂けるのです。
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2017年10月12日

●心で何を思うか

思うことが願いになると仰って頂いておりますから、心で何を思うかが大切です。

★『人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、それでかたづく。心で殺すのは神様からおとがめになる』とみ教え頂いてますが、心で人を殺すというのは「あの病人はもう助からない」とか「あの罪人はじごうじとくである。極刑にすべきだ」等と思うこともそうなのです。そうではなくて「どうぞあの人が改心しますように」と神様に御祈念させて頂くことを日々のご修行とさせて頂くのです。

★身近な相手に対してでも、「あなたの考えを改めなければいけませんよ」等と言うばかりでは、その人は助かりません。どうすれば助かるのでしょうか。こちらの真心が足らんのだと思わせて頂ける心の泰(ゆた)かさと寛容さがあれば、有難いことに人が助かっていくということになっていくのです。

★三代金光様は飛行機が通った音がしました時に、「先刻、飛行機が通りましたなあ。音が聞こえますと、いつでも無事に目的地に到着いたします様にと神様にお願いいたします」と仰っておられたそうです。見るもの・聞くものすべてを御祈念に変えておられたのです。

★私達もそれぞれに日々の生活の中で稽古させて頂きましょう。心が神様に向かわせて頂くということは神様に近づかせて頂くということなのです。二代教会長先生は「心に汚いものがたくさんひっついている。それをお広前に参拝させて頂いて、み教えを頂いて御祈念させて頂いて取って頂くのです。ご信心させて頂くということは有難いことです。毎日心と体のお手入れをさせて頂いているのです。」とよく仰って下さいました。日々ご信心に基づいて生活させて頂き、有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2017年10月11日

●不成心を去り、一心に信心させて頂く

伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)は様々なご修行を与えて頂かれましても、決して不足に思われず、もうダメだと諦められることなく、神様を放さず、神様を杖に一生懸命に御修行に取り組まれたのです。

★娘である、カツ氏(コウ師の上のお姉様)は脊椎の病気と肺病を患われ、スエ氏(コウ師の下のお姉様)は腎臓病と心臓病を患われ、コウ師は13才の折に肋膜炎と腹膜炎を併発なさいました。ハル氏はこのような通常ならば喜べないことも、「どうぞ、めぐりのお取り払いの為に、苦しい事に遭わせて頂きましょうとも厭いません。私の代で、めぐりのお取り払いを頂いて、そうして子供や孫が後々ご信心をしっかりさせて頂いて、結構になるおかげを頂きとうございます。」という必死の思いでご修行して下さったのです。

★そうして、ハル氏は70歳になられたとき、娘さん3人を上座に座らせ下座から手をついて、「お前たちのおかげです。一難去ればまた一難と、次から次へと皆が病気を患い、いろいろと問題を起こしてくれました。そのおかげで私の信心は70歳まで続かせて頂きました。今では有難うて有難うてなりません。こんなに結構になりました。お前たちのおかげです。ありがとうございました。」とお礼を申されたのでした。

そのハル氏の信心を初代教会長先生、二代教会長先生が受け継いでくださり、今日代々結構なおかげを頂いているのです。

★『もとをとって道を開く者、はあられぬ行もするけれども、後々の者はそういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。』

★「自分はこんな人間だから」とか「私はだめですから、おかげは頂けないでしょう」と自分に言い訳をして不成心を持ち、自分の力を限ることは神様への冒涜です。みなそれぞれに神様から与えて頂いた尊い能力を最大限に発揮させて頂けるように、不成心を去り、金光様のご信心を習わせて頂いてどこまでもあきらめずに願い続けて、日々信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年10月10日

●心の凝りを取る

8日には、御本部の生神金光大神大祭に団体参拝でおかげを頂きまして、教祖生神金光大神様がお開き下さったお道のご信心のお徳により、日々おかげを頂き続けているお礼を共々に申させて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。

★教祖様は、どこまでも天地の親神様の思し召しを素直に頂かれ、実意丁寧なご信心を貫かれて、神様から「生神金光大神」のご神号を頂かれるまでのご信用を頂かれました。その有難いご縁につながってご信心させて頂く私たちも、日々御取次ぎを頂いて、教祖様の実意丁寧なご信心をしっかり習わせて頂きたいと思います。

★あるご信者は先日、悪性腫瘍を摘出する手術を受けられました。初めて病気が分かった時、大変驚かれたそうですが、普段からみ教えを頂いておられるお方ですので、「この病気を通して是非おかげを頂こう」という思いにならせて頂かれたのでした。

★それは、家族への不満、特に、息子さんやお嫁さんに対して積み重ねてこられた不足心を、取り除かせて頂きたい、という思いでした。息子さんやお嫁さんに対して、「もっとこうしてくれたらいいのに・・・」という思いを、抱いてこられ、それが心の凝りとなって、この度の病気が判明する以前から、体に変調を感じることもあられた程でした。この度の入院、治療中に自らの心の在り様を真剣に見つめられて、改まりをお願いさせて頂かれますと、「若い人達が居てくれるおかげで、入院も手術も何の心配もなくさせて頂くことができた」と、心からお礼を申せるようになられたのです。そして、「家族のおかげ」「若い人たちのおかげ」という、感謝の心が厚くなり、心の凝りをお取り払い頂かれ、手術も無事成功、心も治して頂く大みかげを頂かれ、大変順調に回復のおかげを頂いておられます。

★心のおかげを頂くと、同じ場所に居ながらにして、見えるもの、聞こえるものが、有難いものへと変わっていくのです。自分がお世話になっているところ、人の有難い良いところが見えるようになり、人の助言や、あるいは少し耳に痛いような苦言も、素直に聴かせて頂けるようになり、全てをおかげにさせて頂くことが出来るのです。

★『こりを取っての信心ならしてみよ。すぐにおかげがある。世に水を浴びて神を祈る人は、こりを取らずして、こりをつけるのじゃから、おかげにならぬぞ。凝りは寝間の中でも取り除かれるぞ。』『おかげは和賀心にあり、今月今日でたのめい』

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2017年10月07日

●病気災難の根が切れるまで

『病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸替えをするのに八、九分替えて退屈してやめれば掃除はできぬ。それでやはり水は濁っているようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで一心にまめで繁昌する様に元気な心で信心をせよ。』

★あるご信者は、10年程前より腸の炎症が続いており、出血がある度に医師に診て頂きますと、食べずに様子を見るようにとの診断でした。しかし、長年出ている症状を「これは自分の体質であるから仕方がない。」「持病ですから…」と放っておきますと、いつまで経っても病気は治りませんし、悪化するばかりで、その積み重ねが炎症を大きくしてゆき、大病を患ってしまうのです。現在、医学の研究も進み、炎症が続いているところに癌化するということが分かってきたそうです。「持病」というのは、自分が持って放さない病気なのです。体質を改善させて頂くためには、日々の生活習慣を見直し改まってゆく必要があります。また、病気も正しい診断をして頂き、適切な治療をして手当てをしてゆかねば病気の根は切れないのです。

★信心の上でも同じことなのです。代々続く難儀も放っておいては、何の解決にもならないという事です。おかげを頂くには、おかげを受ける元があるのです。日々み教えを頂いて、改まった生活をしてゆくことにより、体質・性質を改善してゆき、めぐりをお取り払い頂いてゆくのですよ。

★『日は年月の始めじゃによって、その日その日のおかげを受けたら何十年何百年も立ち行こうが。今月今日で頼めい。おかげは和賀心にあり。取り越し苦労をすな。と金光様は言わっしゃれたぞ。』とみ教え頂いておりますが、その日その日おかげを受けるという事は、その日その日の改まりをしてゆくという事です。それこそが、病気、難の根を切って頂き、先々結構になってゆく元です。

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2017年10月06日

●毎日が無事であるということ

先日、あるご信者が大変ありがたいおかげを頂かれたお礼とおわびと改まりのお願いのお届けをなさいました。買い物から帰宅なさって財布を紛失していることに気付かれて、警察に届けに行かれましたら、財布が届けられており、手元に戻ってきたのです。財布の中には6万円ほど入っており、クレジットカードが多く入れてあって銀行のキャッシュカード、運転免許証と健康保険証までも入っていたのですが、全て盗られることなく戻ってきたのでした。

★届けて下さった方の連絡先を警察の方から教えて頂かれ、お礼の電話をさせて頂いた時に尋ねますと、デパートからデパートへつながっている歩道橋に落ちていたそうです。人通りの多いところで落としたにもかかわらず、善意のある方に拾って頂いたのでした。

★ご信者は「誠実な方に拾って頂いて本当に有難うございました。私の不行き届きで、財布を落としてしまい、御無礼なことで申し訳ございませんでした。今回は結構なお気付けを頂きました。どうぞ拾って下さった方にしっかりとお礼をさせて頂けます様に。」とお礼とお詫びとお願いのお届けをなさったのでした。

★有難いおかげを頂いたという側面と、お気付けを頂いたという側面がありますね。神様が改まりを促して下さっているということがよく分かられたのです。ただ、「良かった!良かった!」で終わってしまっては、神様に申し訳ないことです。神様が人をお使い下さって、大難を無難にすませて頂き、どれほど結構なおかげを頂いているかということに気付かせて頂けることが大切です。財布を拾って下さった方も、過去に財布を落としたことがあられたそうですが、その際にも、善意ある方に拾って頂いて、戻ってきたということです。人から人への善意で次の方が助かられるという、良い循環になっていたことに気付かせて頂かれたのです。

★毎日が、無事に生活をさせて頂いておりますということですが、たまたま何も起こらなかったように見えているだけで、様々なことがある中を、あたかも何事もなかったかのように済ませて頂いているのが無事ということなのです。昨日も何も盗難にあわず事故にも遭わず怪我もなく、今日も朝を迎えさせて頂いたことを喜ばせて頂かねばなりませんね。そういう有難い心持ちで今日も一日おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。』

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2017年10月05日

●幸せを生み出す生き方

教祖様は、『此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ』と、み教え下さっておられます。勤めに出る仕事、自営業、家事育児、学業、皆それぞれに今、神様から与えて頂いている有り難い家業です。そこから、日々有り難いものを生み出すことが出来るかどうかは、自分の心の持ちよう次第なのです。

★どんな家庭や職場でも、社会でも、全く問題が起こらないことはありません。あるいは、ストレスがない場所はありません。むしろ、全くストレスがない状態というのは、身体的にも精神的にも、健全な成長をとげ、鍛えてゆく上では良くないといわれております。正しく成長をとげ、身体も精神も鍛えてゆくためには、起きてくる問題の意味を、神さまにおすがりしながら正しく捉えさせて頂き、正面から受け止め、乗り越えさせて頂くということが、大切なことなのです。そのことによって、可能性を広げて頂き、成長を促して頂くのです。

★普段からみ教えを頂き、問題も有り難く受ける心の準備が出来ておりましたら、たとえ、仕事の上でクレームをつけられることがあっても、そのクレームが有り難くなるでしょう。改まるべきところに気が付きましたらすぐに改まり、手入れをして、次のおかげを頂くのに間に合うように準備をさせて頂くことが出来ます。また、慣れ親しんだ環境から異動を強いられたとしても、「新しい環境と新しい人との出会い」と前向きに捉え、大切にさせて頂くことが出来ますと、より一層、心身ともに成熟させて頂き、お役に立たせて頂くことが出来るようになります。

★新しく物事が分かるようになる、ということは、「自分が変わる」ということです。お取次を頂き、み教えを頂くことによって、自分の心が、神さまのお心に少しなりとも近付かせて頂き、仕事の有り難いところ、人の素晴らしいところ、世の中の素晴らしいところがより一層見えるようになり、幸せを生み出す生き方とならせて頂けるのです。

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2017年10月04日

●末々まで繁盛するご信心

『天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々のめぐり合わせで難を受けおる。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。』

★天地の親神様は氏子の命の親様ですから、先ずは『願う氏子におかげを授けてやる』と仰っているのです。その上で『理解申して聞かせる』と仰って下さるのは、神様のお心、神様と氏子との関係、天地の道理に基づいた生き方、おかげの自覚、心の持ち方、おかげを頂くには、等々…。
「氏子におかげを受けさせてやろう」との思し召しで、理解申して聞かせて下さるそのご内容を、しっかり聞かせて頂いて、神様の氏子としての生き方を学ばせて頂くことが大切ですね。そうすれば、末々まで繁盛してゆく道が開けてゆくのです。

★病気全快など自分の願ってきたことが成就しますと、それで自己満足して信心が止まってしまうということでは、神様に対して申し訳ないですね。このお道では、そのような一時だけの信心をするのではなく、親の代、子供の代、また孫の代というように、末々までおかげを頂くように、神様のおかげの中に生かされて生きてゆく、長く続く信心をさせて頂くことを教えて下さっておられます。そこで、ご信心させて頂いてお徳を積む生活を心掛けておりますと、前々のめぐりと信心の徳がせめぎ合って、何事も一番軽い状態で表れてくるようにして下さるのです。そして、先祖代々から積み重ねているご無礼不行き届きや、考え違い、間違った生活や悪習慣・悪癖、また体質や性質の遺伝などの、前々のめぐりをお取り払い頂いて、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂くことが出来るのです。

★さらに、徳切れにならない為に、おかげを頂いたら今度は同じことで悩み苦しんでおられる方に、自分がおかげを頂いた話を伝え、助かって頂けるようにお導きさせて頂いておりますと、自分だけでなく子孫の端々まで助かってゆくのですよ。

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2017年10月03日

●生きる用意をせよ

竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。

★竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。

その時、親戚の中に金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。

今17、8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。

そうして皆さんが、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて命を助けて頂かれる大みかげを頂かれたのでした。そこで竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教えを頂かれ、御礼に日参なさるようになられたのが、信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく「京都の竹本さん、ようお参りでした。」とお言葉をかけて下さったのです。

竹本師は大変驚かれ感激され、その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。

それからの後半生は身しのぎの出来る体に作り変えて頂かれ、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。また、信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に。」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。

★信心の上で心がけさせて頂くこと
1、どこまでも神様を信じて、迷わず疑わずおすがりさせて頂く。

2、どんな時にでも、どんな事でも驚くことなく、心から喜んで御礼を申し上げる。

3、一生が修行であると思って、どこまでも謙虚に。

4、心で人を殺さないように、人の助かるお手伝いをさせて頂く。

5、自分自身がまだまだ至らない、足らないことであると分からせて頂く。

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2017年10月02日

●わが心が神に向かうを信心という

私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。

★病院でレントゲンを撮って頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの診断でした。早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。親である私は娘が左利きであることに気付いてはおりましたが、練習すればいずれ右利きになるだろうと思って、何のお願いも出来ておりませんでした。しかし、前々からお願いをさせて頂いておりましたら、出来事を通して教えて下さっている内容が、すぐに分からせて頂けるご信心にならせて頂けるんだなあと反省させて頂いたことでした。

★常平生から神様に心が向かわせて頂いていますから、出来事の意味が分からせて頂けるのです。神様に心が向かっておりませんでしたら、出来事の意味が分からず、人や出来事に心が向かってしまうのです。自分の信心の程度が高くなっていき、神様の願って下さるところが分からせて頂けるようにならせて頂きたいものですね。

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2017年10月01日

●家中が生まれ変わってゆくおかげを…

あるお方が入信なさる以前のことです。その方は腎臓が弱く、手足は浮腫み、朝はすぐに起きる事が出来られない状態であられました。朝食やお弁当も作ることが出来ず、仕事に行かれるご主人や息子さんを見送ることさえ出来られなかったのです。

★近所の方にお導き頂かれてからは、「病弱だから出来るはずがない」という考えを改めて、「どうぞ朝参りが出来ますように」とお願いが出来るようになられ、段々と日参聴教の稽古をされるようになられたのでした。すると、次第に腎臓病も良くなり、体質改善のおかげを頂かれました。

そして、朝早く起きて朝食やお弁当を作ったり、ご主人や息子さんを見送ってから朝参りが出来られるようになられたのです。そして更には、お昼は自分の仕事である和裁や洋裁まで出来られるように、おかげを頂かれたのでした。

★さらに、入信前には6千万円の借金があったのですが、「どうぞ借金返済のおかげが頂けますように」と一心にお願いなさっておられました。すると、昨年10月半ば頃になんと借金全額返済のおかげを頂かれ、10月28日の初代教会長先生の90年祭には有難いお礼の参拝が出来られたのでした。

★借金が返済させて頂けただけではありません。先々は貯金が出来るようになりたいと楽しみに働かれるようになられ、家中が結構な方へ生まれ変わることが出来られたのでした。

★『井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心にまめで繁盛するよう元気な心で信心せよ』とみ教え頂いておりますように、井戸の水が濁っていたら、井戸替えや井戸掃除を必要とします。時間も費用も手間もかかりますが、そうしたことをさせて頂かねば井戸の水はきれいになりません。

信心も同じで、途中でやめてしまえば、病気や災難の根は切れる事がないのです。先祖代々からの悪癖や悪習慣、さらには目に見えないめぐりを、自分の代でお取り払い頂くようにお願いをさせて頂くのです。そして井戸の水が清水になるが如く、病気や災難の根が切れるまで、長期に亘って(親の代から子供・孫の代まで)お願いさせて頂き、正しい信心を伝えさせて頂きましょう。

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