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2017年08月18日

●我情我欲を放す稽古

●我情我欲を放す稽古
ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいないなぁ」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。申棖のことを言うと孔子は、「申棖は剛くはない。欲が深い。」と仰いました。門人は「申棖は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖は誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れ、申棖は負けず嫌いで我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心をいう。私情にかられて人と争うのはまさに欲である。欲がきつくては剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせました。

★教祖様は「おかげは和賀心にあり」と仰せになっておられますが、本当に剛い人間というのは、どんなことが起きてきても和らぎ喜ぶを持ち続けて、打ち克つことであると教えて下さっているのです。

★『有難いことを知らぬ者に、困ったり難儀な者が多い。信心して、思いわけができて、有難いことがわかってお礼が言えるようになると、難儀災難が払われて、達者にもなってくる』『おかげを頂戴しようと参っておりながら、持っておるものをよう手放さんから、おかげが頂いて帰れないのじゃ。とかく自分の得手勝手ばかりいうたりしたりするから、辛いのじゃ。ご信心しておるものは、神様のご都合に従いさえすればよいのじゃ。そうすればようなってくる。』

★このみ教えの中の「持っているもの」とは、我情我欲をさしています。何か事が起きてきた時に、「おかげを頂くまではお礼は申しません」というのではなく、神様の思し召し、御意味が分からなかったとしても、「今このようにお手入れをして頂き、有難うございます。どうぞ神様の御意味が分からせて頂ける私にならせて頂けますように。」と申す稽古をさせて頂くことが、我情我欲を放してゆくことになり、本当に有難いことに早く気付かせて頂けるようになるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:40 | 平成29年の「み教え」