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2017年08月11日

●神様が願って下さっているところを悟る  

私が中学生の頃のことです。三代教会長先生に「私は、大病をしたこともありませんし、命に関わるような事態に陥ったこともありません。健康でこれまでおかげを頂いておりますので、死線をくぐるというような経験をしたことがありません。病気や事故など全く経験せずに今日まで成長させて頂きました。こんな自分では、神様の御用などとても勤まらないと思います」と胸の内を聴いて頂いたことがありました。

★すると三代教会長先生は、「そう思うのも致し方ないが、焦る必要はない。コツコツと真面目に信心させて頂いていると、神様が経験をさせて下さるのです。徳のないところに力を与えて頂いたら、その力の使い方を間違えてしまうのです。例えば赤ちゃんに刃物を持たせるのと同じことです。しかし、お徳を頂いてゆけば、段々と神様は有難い力を与えて下さるのです。お徳を頂いてゆくということに信心の中心を据えて、コツコツと真面目に信心をしなさい。急ぐ必要はありません。階段を一段一段上りなさい。そうすれば徐々に見えてくる物があります。あなたは階段を一足で何段上れますか?3段ぐらい上れたとしても、4段5段は無理ですね。ましてや一足で10段上るのは無理な話です。だから一段一段上らせて頂くと、見える範囲や聞こえる範囲が広がってゆくのです。そうして進ませて頂きますと、神様が体験させて下さるのです。それを有難く喜んで御礼を申しておりますと、おかげを頂くということはどういうことなのかが、分からせて頂けるのです。自分の聞いてもらいたい事、叶えて頂きたいことだけをお願いすることが信心だと思っていては大間違いです。本当の有難さを分からせて頂かねばなりません。そのためには金光様のお取次ぎを頂いて、そのお取次ぎのお徳によって足らないところは足して頂いたらよろしい。そのうちに様々な体験をさせて下さるのです。そうしますと、あなたが今感じているところを神様が徐々に乗り越えさせて下さるのです」と諭して下さったのでした。

★その後、私が高校3年生の時、三代教会長先生がクモ膜下出血で40日間絶対安静を要する状況になられたのでした。この出来事を通して、私の心は定まらせて頂き、お許しを頂きまして、現在も神様の御用にお使い頂いております。

★自分自身が願いを立てていると言いましても、その前に神様が願って下さり、親が願って下さっているのです。そのことを分からせて頂くということは、実に大事なことであるなあと思わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:51 | 平成29年の「み教え」