金光教阿倍野教会ページ内リンク


2017年08月10日

●神様がさせなさること

『このお広前へある山伏が来てかれこれ(暴挙を働く)したことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれ(仕返し)してはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。…この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子先で合点せよ』

★教祖様は、ご自身が引き受けてご修行なされ、範を示されました。荒らしに来たその山伏達に対しても、仕返しをする心を持たれずに一切腹を立てられることはあられませんでした。それどころか、神様がさせなさるご修行として有難く受け切られ、相手の立ち行きを願われたのです。

心が神様に向かっている時には信心になっているけれども、神様に向かわず人や事柄に向かっている時には信心にはなっていないのです。教祖様は神様がさせなさることであると悟られ、人に心を向けるのではなく、神様に心を向けておられるという事が分からせて頂きます。

★『人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい』

★会社でも家庭でも困っている人を見たりすると、誰しもかわいそうだなと思うことがあると思います。その心が、神様から頂いた神心、慈愛の心なのです。その方が助かるようにお願いさせて頂くことが、神心を養い、神様に心が向いている姿であり、信心が向上してゆくのです。もっと進ませて頂いた信心になりますと、悪意を持った方や反発心のある方に対してでも助かりを願えるようにならせて頂けるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:32 | 平成29年の「み教え」