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2017年08月31日

●守り行う稽古を

『此方が天地金乃神よりおかげを受けておることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいい(かわいそうな)ものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言うことを聞かぬ子は、親もしかたがあるまいが』

★1)お結界で御取次を頂いておかげを受けるのが本筋である。
2)日々、日参と聴教に励み、信心の稽古に励むことを旨とする。
3)頂いたみ教えを守ることに生涯努力し続けてゆくのが信者の心構えである。
4)日々の生活に心中ご祈念を常に心がけ、油断なく神様に心を向けて、わが心に気付かせて頂くことを実践してゆく。

★お結界で頂くみ教え、あるいはお説教で聴かせて頂くみ教えは、以前に聞いたことがあると思うことがあるかもしれません。しかし、自分の心と体やとりまく環境は常に変化しています。また知っていると思っているみ教えでも、実践出来ていないことが多く、今月今日で守り行わせて頂けるよう、反復練習させて頂くことが大切なのです。そして、頂いたみ教えの真のご意味を、自ら考えて、我が心にどこまでも深く頂けるよう稽古に励ませて頂くことが、大切なのです。

★み教えの内容は、自分の信心の程度に比べると高度に思え、「とても自分には守れない」と感じるかもしれません。しかし、一つのみ教えでも生涯守り通すことは、誰にとっても簡単なことではありません。そこで、常に「どうぞみ教えを守らせて下さい」と、お願いさせて頂き、守ることが出来なかった時にも、「こんな私ですが、どうぞみ教えを守れるようにならせて下さい」と、繰り返し繰り返しお願いさせて頂きながら、稽古させて頂くところから、段々とみ教えの有難さが分からせて頂けるようになり、教祖様の生きられ方に近付かせて頂けるようになるのです。


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2017年08月30日

●和らぎ喜ぶ心におかげがある

先日、あるお父さんがお届けに来られ「先生、申し訳ありません。私の信心が至りませんので、些細なことで息子と掴み合いの喧嘩をしてしまいました。気に食わないことがありまして、腹が立って腹が立って仕方がなかったので、つい感情に任せてしてしまいました。やはり私の辛抱が足らず、私のご修行が足らなかったのですね。」とお尋ねになられました。

★そこで[そういうことになりますね。感情に任せて、売り言葉に買い言葉で言い合ってしまいますから、喧嘩になってしまうのです。それでは、神様に心を向けて御祈念してさせて頂くということにはなっていませんね。お互いに落ち着いて、「すみませんが、よろしくお願いします。」と頭を下げて話合いをするのです。生活する上で、誰しも自分自身を抑えなければならない、ということはたくさん起こってきます。そこをご修行にさせて頂いて、おかげを頂いてゆく方へ舵取りをしなければなりません。感情のまま言葉を発してしまうのは、やはりそれは辛抱が足らないということです。意地を張らずにお父さんから息子さんに対してしっかりとお詫びを言わせて頂きましょう。もちろんお父さんの傍にお母さんも付いて「私も至りませんでした。」と、一緒にお詫びを言わせて頂きますと、物事が段々と良い方向へ進むのです。良い方向へ進ませて頂きたければ、神様にお詫び申し上げ、安心して頂けるようお願いして、実践させて頂きましょう。]とお話しさせて頂いたことでした。

★「あれはあの人が悪い」「今回はお父さんが悪い」「私は悪くありません」という人ばかり集まりますと、家の中はバラバラになってゆきます。皆の心が揃っていくには、み教えを中心にして「和らぎ喜ぶ心」にならせて頂く事が大切です。まずは、「自分自身が率先して改まらなければならない」と、自分の至らないことを自覚させて頂き、改まりをお願いしましょう。お願いの中心が真・真心にならせて頂きますと、そこから結構におかげが頂け、道が開けてゆくのです。
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2017年08月29日

●天地の開ける音

私が学校に勤めさせて頂いていた頃、23才の時のことです。車を運転中に渋滞して、全く動かず停滞したことがありました。すると、勢いよく走ってきた反対車線の車が、私の車の右前から後までを擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので、弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、名刺を頂き、教会に帰らせて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。すぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。このことは、私のこれまでの車・ガソリン・時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生の御口を通して神様がみ教え下されたのだと思い分けをして、「はい、その通りにさせて頂きます。」と返事が出来たのでした。そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂きました。

★考えてみれば、親が常平生ご信心をして下さって、積み上げて下さったお徳のおかげで大難を小難にして頂き、車だけで済ませて頂いたのです。こちらのめぐりとあちらのめぐりが行き会ったわけですが、自分だけが大難を小難におまつりかえ頂いたのではなく、相手の方も大難を小難におまつりかえ頂いた事に気付かせて頂きました。そして私はみ教えを頂いたことにより「私の考え方が狭かった」と気付かせて頂いたのでした。三代教会長先生によりみ教えによって、広い考えへ導いて下さったことを悟ることが出来たのです。悟ることが出来ず、み教えを頂いても『私は何も悪くないのに、なぜ私が責任を取らなければいけないんだ』というような心になっていては、狭い世界にいつまでも居続けなければいけなかったでしょう。

★後に私は何度も、命のないところを危険から逃れさせて頂いて、助けて頂いたのです。自分の為に頂いているみ教えを、目の覚めるような思いで頂かせて頂いて、広い広い御神徳に満ちた世界に導き出して頂いたら、後々もおかげを蒙らせて頂けるのですね。『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ』

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2017年08月28日

●大きな真を神様に向ける

先日、お宅祭をお仕えになられたご信者のお家は、ご先祖の霊様も金光教式でお祀りなさっておられますが、奥様の実家のご両親の霊様も、合祀させて頂きたいと願われました。そこで、去年度、合祀祭をお仕え申し上げたのでした。合祀祭の祭詞では、霊様の出生から、学歴、職歴、結婚、お子さんの誕生などの経歴を、なるべく詳しく奏上させて頂き、ご霊徳とご安心を共々にご祈念させて頂きます。

★その為の準備として、お母様の学歴を調べておられた時のことです。在籍なさった大学が分かったので、その大学に問い合わせて、更に詳しいことを尋ねられたそうです。すると、ちょうどその頃、時期を同じくして、大学の同窓名簿を見てお母様のお国替えを知り、大学にお母様のことを問い合わせてこられた方があったのです。

その方がおっしゃるのには、大学時代お母様と大の親友で、是非、子孫の方と連絡をとりたいと、わざわざ大学まで申し出てくださったと言うのです。そこで、お母様のことを調べていたご信者の元に大学が電話を下さり、お母様の大学時代の親友にご縁がつながったのでした。そして、それまで知らなかった、高校時代・大学時代のお母様のご様子を、ご信者が思う以上に色々と教えて頂くという、有り難い機会を得られたのでした。

★是非とも霊様を丁寧にお祀りさせて頂きたい、と願われたご信者の真心が、生神金光大神様のお取次ぎによって、天地金乃神様にお聞き届け頂いたのですね。『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』と、み教え頂いております。私たち氏子が、日々のご信心によって、真心を大きく育てさせて頂けば、天地に満ち満ちている神様のおかげは、いくらでも受けさせて頂くことが出来るのです。

★『願うことは何事も、かなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』

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2017年08月27日

●いざという時に、常のご信心が現れる

 先日の学生講演会に出場なさった中学生のご信者のお家は、和菓子屋さんを営んでおられます。去年の年末にもち米を蒸す機械が壊れてしまった時のお話をして下さいました。修理に来て頂いても、年明けでなければ修理が出来ませんと言われ、このままでは既に注文を頂いているお客様に迷惑が掛かりますし、仕入れている600キロのもち米も無駄になってしまいますから、機械無しで窯とせいろを使って手作業で蒸すことに決められたのです。

★学生講演会に出場なさったご信者は、家族の代表として毎日お教会にお参りされ「どうぞ、本日も注文を頂いているところ全てに、間違いがなく作らせて頂いて納めさせて頂けますように。お客様にご迷惑をお掛けしませんように。家中が皆健康で体を壊さず、怪我・過ちのありませんように。皆が力を合わせて乗り越えさせて頂けますように」とお届けなさったのでした。そして帰らせて頂いたら配達に回らせて頂く等、ご家族中皆が、それぞれに一生懸命お手伝いをさせて頂かれたのです。大晦日の夕方6時には、全てのところに注文通りに遅れることなく納品させて頂くことが出来、越年祭にお参りなさる事が出来るおかげを蒙られたのでした。お話を聞かせて頂いて、このご家庭の常のご信心が現れているなあと思わせて頂きました。

★ことが起こってきた時に、どうさせて頂こうかという時にこそ、普段のご信心の積み重ねが現れてくるのです。すぐに喧嘩をしたり、人のせいにしたり、愚痴不足を口に出して、心が乱れてばかりいては、難局を乗り越えさせて頂くことは出来ません。しかし、すぐに皆が力を合わせて、それぞれで精一杯努力や工夫をさせて頂いて、心中御祈念させて頂いて、気が付かせて頂いたところを、相談して行わせて頂くことを心掛けておりましたら、有難い結果とならせて頂けるのです。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬ。わが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』

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2017年08月26日

●本物の信心辛抱となるように

昨日は、学生講演会を無事に開催させて頂き、6名の学生の方が出場され、有難い講演を聴かせて頂きました。

出場なさった方々は、この御用を通してそれぞれにお育て頂かれ、おかげを蒙られましたことは真に有難いことでした。また、講演を聞かせて頂いた私達も、より一層に信心向上のおかげを頂けますようにお願いをさせて頂いたことです。

★二代金光四神様はお隠れになる二日前、ご家族にご遺言を残されました。その御遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才で御結界の御用を継がれることになられ、明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。

★三代金光様は、後に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。

「天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。

初めのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事もいつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事でございます。」
と仰せになられたのです。

★三代金光様は数え年14才というご年令で、初めはお辛い思いをなさっておられましたが、神様の思し召し、親様のお祈りを受けられ、神様にひたむきにお縋りなさって信心辛抱のお徳を表して下されたのです。

本物の信心辛抱になってゆくには、神様におすがりして「どうぞさせて頂けますように。」という心にならなければ、辛抱も続きませんし、有難いと思う境地に到達することもできません。食事でも偏った食事を取り、嫌いなものを排除してゆきますと、健康を保つことはできません。

人間関係でも合わない人を排除してゆけば、孤独になってゆきます。自分に合うものばかり欲しがるという事は、偏りが生じているということです。与えて頂いたご修行を選り好みせず、神様の思し召しによってさせて頂く辛抱として稽古をさせて頂いてゆけば、信心が成長し、本物の信心辛抱が身についてゆくのです。

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2017年08月25日

●葉刈りの信心

『おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』

★信心するものは、驕りがましい事を生活の中から取り除くように、心の驕り、物に対する驕りを戒めて頂いております。それは、何か事が起こってきた時に、すぐにご信心を元にして精神的にも物質的にも対応できるようにならせて頂く為なのです。

★8月は「葉刈りの信心」と教えて頂いております。葉刈りとは、枝葉が伸びた木の風通しを良くしたり、虫が付くのを防いだり、要らない方向に伸びたものを切って形を整えるために行います。

私達人間も、年々少しずつ変化しております。ですから、日々生活を見直させて頂き、驕りがましいところのないように改まらせて頂いて、無理・無駄・ムラを省く「葉刈りの信心」をさせて頂くことが必要です。

★また、私達の目、耳、口の葉刈りをさせて頂き、良いところを見て、良いことを聞き、良いことを口に出すことを心掛けさせて頂きましょう。つまらないことや、人の悪いところばかり見ないで、人の良いところを見て、聞いて、伝える努力をしていくのです。

★そのためには、一回でも多く教会に足を運ばせて頂き、一言でも多くみ教えを頂きましょう。そして、幹を太らせ、枝葉を正しい方向へ伸ばさせて頂いて、正しい繁盛の道を歩ませて頂きましょう。

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2017年08月24日

●改まりは代を重ねて

体質改善の上で、性質改善の上でおかげを頂いてゆかねばならないことは、代を重ねてゆく必要があります。たとえ、親様、ご先祖様のご信心によって、現在は結構なおかげを頂いているとしても、信心の初めにおかげを頂く元となった初代の方々の改まりの信心は、子孫も代々続けさせて頂かなくてはなりません。

★二代教会長・伊藤コウ師は、山本五十六元帥の言葉を引用なさり、「して見せて 言うて聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は育たぬ」ということを、よくみ教え下さいました。

子供の代、孫の代がより一層体質が改善され、性質も改善されるように、長期に渡ったお願いをさせて頂き、良い行いを代を重ねて続けさせて頂くことによって、悪いめぐりの根を切って頂けるのです。親の代におかげを頂いたことについて、どの様に改まって、どの様にお願いしておかげを頂いたのかを子孫に伝えさせて頂いて、代を重ねて信心を強く確かなものにさせて頂くことが、繁盛の道へとつながります。

★『長患いの人または代々難儀の続く人が神様のおかげを受けることをたとえて言えば、井戸水が濁った時に井戸がえをするのに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病苦災難の根は切れぬ。井戸水は清水になるまで、病苦災難は悪根の切れるまでと、一心に天地金乃神様へ願い、まめで繁盛するように元気な心で信心しなさい。』

★江戸時代後期に藩の財政を立て直した平尾源太夫という方が残された教え。
1)常に心掛けて陰徳を積む。
2)足るを知れば家は貧しくとも心は福者なり。足る事を知らなければ家は富めりと云えども心は貧者なり。
3)家を治める事においては堪忍を第一とする。おごりをこらえて欲を抑え欲しいままにしない。
4)無理に利益をむさぼるは、かえって財を失う。
5)人の悪い事を告げる者があっても、むやみにそれを取り上げない事。
6)何事も思慮分別のある人と相談して取り計らうべし。
7)金銀を多く子孫に残し与えるよりも陰徳を積むべし、陰徳は、子孫に残って子孫の幸となる。

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2017年08月23日

●何事も神様にお願いして、させて頂く

 あるご信者は、お勤めをなさりながら農業もなさっておられます。その方が「今年もおかげを頂きまして、スイカを全て無事に出荷させて頂きました。有難うございました。毎年同じカラスが畑の前に止まるのですが、そのカラスが鳴き声で収穫の時期を教えてくれまして、その時に収穫をさせて頂きましたら、一番良い状態で収穫させて頂けるのです。」と仰っておられました。それを放っておくと、獣害に遭われるそうです。初めの頃は収穫時期が分からず、時期を外してしまうこともあられたそうですが、段々と分からせて頂け、上手に作らせて頂けるようになったそうです。

★また、上司の方から「スイカの作り方を教えて欲しい」と頼まれたそうです。上司の方は畳二畳分くらいのところへ、スイカの苗を2つ植えることから始められ、今では12個程の大きなスイカが出来るまでになられたそうです。上司の方は「教えてくれたあなたが上手に教えてくれたから、こんなにたくさん穫れるようになりました」とお礼を言って下さったそうです。それに対して「いいえ、○○さんが素直に聞いて下さるので、立派に育つのだと思います。」と答えられたということです。

★ご信者は上司の方は非常に気難しく怖い方だと思っておられたそうです。しかし、「天地のお働きとはどこでも同じですが、それを作らせて頂く人の心が作物に現れます。作物の作り方を見させて頂きましたら、上司は素直な方だということが分からせて頂きました。素直さとは本当に大事なことだと改めて思わせて頂きました。ご信心も同じことだと思います。長い間ご信心させて頂いているといっても、私の信心は迷ってばっかりでした。阿倍野教会にお参りさせて頂いて、み教えを本当に頂けるようになってから、ご信心の有難さがよく分からせて頂けるようになって、今もこうして続けさせて頂いております。そうして次々とおかげを頂けるようになり、お土地も井戸も色々なものを生かして使わせて頂けるようになりました。」と喜んでお礼を申しておられました。

★神様がカラスの鳴き声をもって収穫時期を教えて下さるのです。「自分がする、自分がする」と思っていたころは、一向にうまくいかなかったそうですが、神様にお願いしてさせて頂くという心になられましたから、神様はお湿りを天から与えて下さることも、何から何まで良いようにさせて下さるのです。私共もご信心をさせて頂くという心持ちでおかげを蒙らせて頂きましょう。『氏子、信心するという心におかげはないぞ。信心さしていただくという心におかげはあるぞ。』

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2017年08月22日

●人のお役に立つ生き方

 20日には、子供会列車を編成させて頂き、御本部御礼参拝のおかげを頂きました。一人も怪我や病気をすることなく、また食中毒や熱中症を起こすことなく無事に参拝させて頂けましたことは誠に有難いことでした。晴天のおかげを頂き、各会の方々の御用奉仕を賜り、御霊地での行事も全て滞りなく終えさせて頂ましたことは、大変有難いことと心よりお礼を申し上げます。

★御本部御礼参拝をさせて頂いた際に、私達も利用させて頂く金光図書館は、四代金光様となられた金光鑑太郎様が昭和18年に創立されました。四代金光様が初代館長であられる頃から今日まで、御用される上で3つの方針を掲げて御用なされているそうです。
(1)問い合わせに対して「ありません。」は言わない。「お探ししましょう。作りましょう。」を心がける。
(2)どんな注文が来ても、「できません。」は言わない。「ここまではさせて頂けます。後はどうすればよいでしょうか?」とお願いして努力と工夫をさせて頂く。
(3)「分かりません。知りません。」は言わない。「教えて下さい。聞かせて下さい。」とお願いさせて頂く。
★そうして、ご信心に基づいて効率や費用対効果を思わず、一人一人を大切にさせて頂くという、初代館長になられた四代金光様のご方針ををずっと守り続けて来られた結果、障がい者の方々に対して丁寧な対応がさせて頂けているということで、岡山県の知事より表彰して頂かれたというお話を聴かせて頂きました。目の不自由な方のためには、本を朗読しテープに録音したり、点字に翻訳なさいます。また、車いすで来られる方々が閲覧しやすいように、本を配置されています。お探しの本がない場合には、各地の図書館に連絡をし、お貸し頂けるように手配させて頂かれるそうです。このように、一つ一つの要望にどうしたら応えさせて頂けるかを考えさせて頂き、出来てきたことをおかげにさせて頂くということを長年続けて来られた結果、ふと気が付いた時には全国でも抜きん出て障がい者の方々のお役に立つ取り組みにならせて頂かれたのです。

★三代教会長先生が神様に願い続けられましたことは、
(1)「限りなく人が助かります様に。」
(2)「限りなくめぐりのお取り払い頂けます様に。」
(3)「限りなくみ教えを頂き続けることが出来ます様に。」
(4)「限りなくこのお道が成就いたします様に。」ということです。
私共も心がけさせて頂いて、人のお役に立つ、人が助かってゆく生き方をさせて頂きましょう。

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2017年08月21日

●有り難く受けきる

 御本部の金光教学院でご修行させて頂いていた頃のことです。ある男性が会堂地下にいつもおられ、時折、学院生や参拝の方々に、声を掛けておられました。お酒が好きな方で、少々飲み過ぎると大きな声を出されるので、そんな時は誰も近寄らなくなっていたのでした。

★私も時々声を掛けられることがあったのですが、ある時、「ちょっとここへ座れ!」と、言われましたので、その時は覚悟を決めて座らせて頂きました。そして、その方の目の前に正座をさせて頂き、「今日はひとつ、み教えを頂きたいと思います」と申しました。すると、その方の表情が、すうっと変わられました。そして、「今、学院に入って修行をしているつもりかもしれないが、本当のご修行は教会に帰ってから始まる。教会に帰って、教会長先生の御用なさるお姿を毎日拝ませて頂くところから、本当のご修行が始まるのだ。」と、おっしゃり、次から次へと有り難いお話を聴かせて下さったのでした。私も驚いたような出来事でしたが、それからも何かと、好意をもって気に掛けて下さるようになられたのでした。

★自分の考えや、立場を守ることだけを考えている時には心が狭くなってしまいます。良いことも悪いことも、全ては神様のお指し向けと思って、有り難く受けさせて頂く覚悟が決まりますと、難しく感じていたことも楽々と乗り越えさえて頂くことが出来ます。反対に、難しいこと、苦手なことから逃げ出そうとすると、そのことにいつまでも追われてしまい、有り難いものも得ることは出来ません。辛いことが起きて来たときには、自分自身の過去の積み重ねを振り返り、めぐりをお取り払い頂くつもりで、真正面から取り組む覚悟を決めさせて頂くのです。

★また、お道のご信心にご縁を頂いている私たちは、どんな人のことでも助かりを願う心を忘れてはなりません。周囲の人の助かりを願い、人が助かるお役に立たせて頂くことを神様はお喜び下さり、一番のご恩返しとなるのです。
『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。』

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2017年08月19日

●どんな時にでもまず祈りを先に立てる

 三代教会長先生がお若い頃、首の下の辺りの骨が腫れて痛まられたことがあられました。日増しに痛んで、筋が張って骨が隆起してきたので、「これは肋骨カリエスではなかろうか」と心配になられて、二代教会長伊藤コウ師にお届けされました。するとコウ師は[素人考えでぐずぐず思案したり、心配したりするほどご無礼はない。何の病気かも分からないのに、ただ自分で勝手に「これは肋骨カリエスにちがいなかろうか」と言って、気に病むほどつまらんことはないから、一度専門のお医者に診てもらいなさい]とみ教え頂かれました。

★そこで、神様におすがりなさって市民病院へ行かれました。するとその市民病院には、たくさんの患者さんが順番待ちをされていて、これでは夜になってしまうと思われたので、鳥潟病院へ行かれました。その鳥潟病院は割合人は少なく、そこで診察を受けられました。そして検査を受けられレントゲンを撮られて一週間後に結果を聞きに行かれますと、なんと医師から「あなたは、よくここへ来なさった。私は、あなたの病状について博士論文を書いた人間です。同じ症状の患者さんが今まで2人来られて、あなたは3人目の患者です。」と仰られたのです。不安や心配なお気持ちをお結界でお取次ぎを頂かれますと、その病気について日本で一番詳しい、一番適切なお方を、神様の紹介によって目の前に差し向けて下さったのです。そこでその専門の医師から「これは病気ではなく心配のないものです」と詳しく説明を聞かれますと、その日から一遍に痛みがなくなられたのでした。

★教祖様は「信心する者は、祈れ薬れにすればおかげが早いが、薬れ祈れにするからおかげにならない」と仰っておられますが、このみ教えは、医者にかかる時だけのみ教えではありません。今日も文明の社会に於いて、ありとあらゆるものを利用させて頂く時に一切に通じるみ教えです。どんな時にでもまず祈りを先に立てて、それから電車やバスや車に乗らせて頂くのです。すると、神様のおかげを蒙らせて頂く事が出来るのです。

★人の奥に神様のおかげがあり、機械の奥に、物の奥に神様のご神徳を頂き、人間の生活の中に一切全て神様のお徳に守られて、これらを活用させて頂き、大いに利用させて頂くのです。

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2017年08月18日

●我情我欲を放す稽古

●我情我欲を放す稽古
ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいないなぁ」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。申棖のことを言うと孔子は、「申棖は剛くはない。欲が深い。」と仰いました。門人は「申棖は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖は誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れ、申棖は負けず嫌いで我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心をいう。私情にかられて人と争うのはまさに欲である。欲がきつくては剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせました。

★教祖様は「おかげは和賀心にあり」と仰せになっておられますが、本当に剛い人間というのは、どんなことが起きてきても和らぎ喜ぶを持ち続けて、打ち克つことであると教えて下さっているのです。

★『有難いことを知らぬ者に、困ったり難儀な者が多い。信心して、思いわけができて、有難いことがわかってお礼が言えるようになると、難儀災難が払われて、達者にもなってくる』『おかげを頂戴しようと参っておりながら、持っておるものをよう手放さんから、おかげが頂いて帰れないのじゃ。とかく自分の得手勝手ばかりいうたりしたりするから、辛いのじゃ。ご信心しておるものは、神様のご都合に従いさえすればよいのじゃ。そうすればようなってくる。』

★このみ教えの中の「持っているもの」とは、我情我欲をさしています。何か事が起きてきた時に、「おかげを頂くまではお礼は申しません」というのではなく、神様の思し召し、御意味が分からなかったとしても、「今このようにお手入れをして頂き、有難うございます。どうぞ神様の御意味が分からせて頂ける私にならせて頂けますように。」と申す稽古をさせて頂くことが、我情我欲を放してゆくことになり、本当に有難いことに早く気付かせて頂けるようになるのです。
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2017年08月17日

●家庭で信心の実践を

 昨日は、8月の婦人会例会を開催させて頂きまして、二代教会長・伊藤コウ姫35年祭、伊藤ハル刀自85年祭の偲草にお下げ頂いた、伊藤コウ師のお説教のDVDを観させて頂き、続いて吉備楽を奉納させて頂きました。

★伊藤コウ師は、「徳と力を頂く為には、与えて頂いた責任をどこまでも全うすることです。」と、み教え下さっておられます。それは、仕事において、あるいは家事育児についても、同じことです。子供を授かったら、神様の御氏子を預からせて頂いた責任を、父として、母として全うさせて頂く、という姿勢を忘れてはなりません。

★二代教会長伊藤コウ師のご時代に、思春期の息子さんの暴言暴力に悩む男性がお参りになられました。その時に頂いたみ教えは、『あなたの息子さんを、毎日拝みなさい』という内容でした。その方は、頂いたみ教えを守らせて頂くため、「どうぞ本気で息子を拝める私にならせて下さい」という願いを持たれ、日参と聴教に励まれました。一日で何かが変わる訳ではありません。しかし、何年と続けておられるうちに、いつの間にか、息子さんの様子は落ち着いていかれ、やがて、息子さんは大学に進学し、就職もできられました。有難いことに良縁と子宝にも恵まれ、いつの頃にかその息子さんも一家でお参りが出来るようになられたのでした。それでもご信者は、「まだまだ、私は息子を本気で拝むことが出来ておりませんので、どうぞ息子を神様だと思って本気で拝めるようにならせてください」と、どこまでも願い続けられたのでした。

★み教えを元にして、有り難い子育てをさせて頂き、家族中が心を揃えて信心させて頂く家が増えていくことが、世の中全体が平和に、豊かに発展させて頂く元となるのです。『家内中親切にし、信心をすれば、心がそろうようになり、みなおかげを受けられるのである。親子でも、心が一つにならねばおかげにならぬ。』

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2017年08月16日

●共に拝み合いをさせて頂く

三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。

ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。その碑には聯隊長のお詠みになった歌が刻んでありました。○「砲声の 谺(こだま)するなる月今宵(つきこよひ) サマット山に君をしぞ思ふ」

★桂岡正三氏は、フィリピンで戦死なさったのでした。同じように訓練を受け、戦場に出征なさり、大変親しくなさっておられた方であられたそうです。それからは、その方のお墓も常に拝んでおられたのです。

★するとある日突然に、その方のご遺族から教会に、「50年祭を仕えて頂けますか」とお電話があったのです。教会にご縁があられたご家庭ではありません。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。

★御祈念をさせて頂いておりましたら、通じていくということが分からせて頂けます。また、霊様に通じていくだけでなく、霊様を介してご遺族にも通じたのです。「家内中勢信心にならせて頂けます様に」とお願いさせて頂いておりますが、生かして頂いている私達だけではなく、亡くなられた霊様方も共に力を貸して下さるのです。

そうして有難いことにおかげを頂いていく道が結構に開けていくのです。しかし、子孫が拝ませて頂くということにならなければ、通じていきません。共に拝み合い、願い合いをしますから通じていくのです。

★『此方も人間であって、体に塩をしてはいないから、いつまでも生きられるとはいかない。人間は生き通しが大切である。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることである』

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2017年08月15日

●身に付いて離れないお徳

 8月12日午前0時9分、96歳7カ月で延與氏がお国替えされました。

★昭和6年、延與氏のお母様がご神縁を頂かれ、当時10歳であられた延與氏もご両親に連れられてお参りされ、今年で実に入信86年になられました。

★昭和36年、二代教会長伊藤コウ師より「将来、鉄骨三階建て住宅新築のおかげを頂きましょう」とのみ教えを頂かれ、以来35年に亘ってお願いを続けられ、お願い成就の為に五ヵ年計画を立てて朝参り日参と聴教に励まれました。そして、平成8年に、念願の鉄骨三階建て店舗付き住宅新築のおかげを頂かれたのでした。

★延與氏は、高等小学校を卒業の後、ミシン縫製の仕事を教わる為に京都に住み込みで働き21歳という若さで婦人子供服縫製業を独立開業されました。その後、クリーニング取次ぎ店開業のおかげを頂かれたのでした。狭い店舗と住居での生活であり、厳しい経済状態の中、なかなか生活が楽にならず、コウ師にお取次ぎ頂かれますと「どんな苦しい状況にあっても喜ぶことを探して、喜んで喜んでお仕事させて頂きましょう」とみ教え頂かれました。そのみ教えを素直に守って、お客に対しても「あなたは結構ですね。有難いですね」と皆が元気になる声掛けをされました。すると「あのお店に行くと元気になる」「おばあちゃんと話したら元気になるので、今日も話を聞きにきました」と皆から大変喜んで頂けるようになられ、お仕事を通して有難いご信心を伝えられたのでした。

★病院に入院された際も、看護師や医師に対して「こんな私に治療して頂いて有難うございます」と、一人ひとり手を合わせてお礼を申されました。ですから皆さんから大変喜ばれて、行くところ行くところで大事にして頂かれたのでした。

★今年6月、自宅に於いて上半期のお礼のお宅祭が仕えられました。お布団で休んでおられましたが、お装束に着替えさせて頂いておりますと、パッと目を開けられ「先生よく来て下さいました。嬉しいです。有難いです」と大変喜んでお礼を申されました。お孫さんが延與氏の代わりに玉串を奉奠され、神様・霊様にお礼を申されたのでした。

★どんな状況であっても喜んでお礼申すことを心掛けてご修行なさってこられたことにより、お年を召されて体が思うように動かない状態になられても、身に付いたお徳が離れずに表に現われてくるのですね。

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2017年08月14日

●真一心がかなめである

羽衣教会の二代教会長・松岡安枝師は、ご結婚なさるまでお母様と共に阿倍野教会で熱心に御信心を進められました。しかし、一生懸命働いても暮らしは楽になるどころか厳しくなるばかりで、お母様も肺結核を患っておられたのでした。そんな中、日々み教えを頂かれて、「ご修行させて頂いて、我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、亡きお父様が残された負の遺産である多額の借金を返済する覚悟をなさったのでした。そのことをお結界で二代教会長先生にお届けなさいますと、大変喜ばれ、「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さいました。ところが、借金の額は、当時の月給を全てつぎ込んでも3年で返せる額ではなく、

松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られないのでしょうか?」と尋ねられたのです。すると、「あなた、そろばんを離しなさい。親先生が仰ったということは、神様が親先生のお口を通しておかげを授けてやろうと仰っておられるのですよ。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と、真の信心にお導き下さったのでした。

★覚悟を決められた松岡師は、返済が済むまでは、ご自分のものは一切新調せず、お母様は、「借金が返済出来るまでは病院に行きませんので、この塩水で喀血を止めて頂けますように!」とご神前にお供えなさった塩水を薬と思っておかげを頂く信念を貫かれたのでした。

★ある時、神戸のシバニ石鹸という会社の社長さんの所へ借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。あなたのような娘さんが世の中におられるということを社員に伝えたく思います。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。なんと、借金の証文と、返済した以上のご霊前のお供えを包んで下さったのでした。そのように真心に先方が真心で応えて下さり、お願い通り3年で借金の証文が手元に返ってくる大みかげを頂かれたのでした。

★願いを立てさせて頂くところに、神様が応えて下さるのです。そして神様が願って下さることに、氏子が応えていくということが生まれてこなければなりません。神様の願いを分からせて頂けるお結界という場所の有難さが分からせて頂けますね。

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2017年08月13日

●霊様の御存在があって現在の自分があるということ

 8月10、11、12日は私の命のおかげ日であります。丁度32年前の昭和60年、学校に勤めさせて頂いておりました時に、8月10日から12日までの予定で出張するはずでありましたところが、10日程前に急遽変更になりました。そして8月12日に日航123便の事故が起こりました。後になってわかったことですが、その飛行機に私は乗る予定であったのです。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、三代教会長先生のご実家であります増田家の霊神簿を持ってくるようにおっしゃいました。調べてみますと、8月10日は、増田の家の姉様・増田のぶ霊神様(明治32年2歳でお国替え)、8月11日は、三代教会長先生の大伯母様・増田よね霊神様(大正11年78歳でお国替え)、8月12日は、三代教会長先生のお祖父様・和田亀次郎霊神様の御命日(明治43年69歳でお国替え)でありました。

★私は、三代教会長先生に「これはどういう御意味でしょうか。」とお尋ねさせて頂きました。すると三代教会長先生は「あなたは事故からお命をお守り頂いたことは神様のおかげだと思っていますが、霊様にお働き頂いてお祈り添えを頂き、お取りなしを頂いて神様のおかげを蒙らせて頂いているのですよ。あなたが知らないところでご先祖霊様に守って頂いていることがある、ということを自覚しなさい。」とみ教え頂きました。知らず知らずの内に、神様、霊様のお守りによって生命を助けて頂いている事がよく分からせて頂きました。そこで「はい、良く分からせて頂きました。今後、私はどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお尋ねしました。すると「今は増田の家は寅之助さんの奥さんがきちんとお祀りなさって霊様を拝んでおられますが、将来はあなたしか縁につながる者はいないのですから、あなたがしっかりと責任を持ってその霊神様方の御霊徳とご安心を祈らせて頂きなさい。」とみ教え下さいました。

★私は32年前までは「知らぬ、存ぜず」で暮らしていたところを、神様が出来事を通して教えて下さったのです。そこからお願いの中身というものが変わってゆきました。知らず知らずのうちに守って頂いている現実を、目の前に突きつけて頂ける体験をさせて頂けたことは、真に有難いことであったと思います。霊様は目には見えませんが、霊様の御存在があって今の自分があるという事を自覚し、知らない、見えないで済ませるのではなく、知ろうとする、見ようとする稽古を重ねてゆくところに段々と焦点があってくるのだと分からせて頂きます。

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2017年08月12日

●有難いお礼の心

あるご信者の家業の取引先に、いつも無理難題を言ってきたり、きつい仕事を安く値切ってきたりするところがあるそうです。利益もほとんどないし、取引をやめたいと、何度も思ったこともあるそうですが、「この相手先との仕事を通してご修行にさせて頂こう」と決められ、お仕事を続けておられます。

★先日も、随分無理な要求をしてこられ、「電話を奥さんに代わって欲しい」と言い、奥様が対応されたそうです。奥様は、そんな相手に対してでも、日ごろのお礼と、行き届かない部分のお詫びを申され、丁寧に対応なさり、何とか一旦話しは落ち着たように思えたのでした。

★ところが、後日先方から電話が入り、「この間の仕事は、作業した日時がこちらの要求と違った。仕事の内容に文句はないが、作業する日時はこちらの言うとおりにしてもらいたいので、代金を払うつもりはない。この間の仕事はなかったものとしてもらいたい。」という話だったのです。

★ご信者は、お礼のお届けをなさいました。それは、「以前の私でしたら、腹を立てて喧嘩にでもなっていたかもしれません。しかし、この度は少しも腹を立てることなく、『これまで、いつどこにどのようなご無礼があって、めぐりを積んでいるかも分からない。これで、一つめぐりを取って頂けたら有り難い』と、思わせて頂き、先方の要求に応えさせて頂くことが出来ました。有り難うございました」と、お礼のお届けが出来られたのでした。

★『天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』 

おかげの受けものを小さくしてしまう我情我欲(人の責任にしたがる、自分を甘やかす、人に勝ちたがる、自慢したがる、人を恨み不足に思う、自分にたくさん取り込みたい貪欲さ等々・・・)を、日々信心の稽古に励ませて頂く中でお取り払い頂くように、願わせて頂きましょう。人との関係だけに囚われず、神様からご覧頂いて喜んで頂けるような氏子にならせて頂く為にも、めぐりをお取り払い頂き、お徳を頂くことの出来る生き方になることを心掛けさせて頂きたいと思います。

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2017年08月11日

●神様が願って下さっているところを悟る  

私が中学生の頃のことです。三代教会長先生に「私は、大病をしたこともありませんし、命に関わるような事態に陥ったこともありません。健康でこれまでおかげを頂いておりますので、死線をくぐるというような経験をしたことがありません。病気や事故など全く経験せずに今日まで成長させて頂きました。こんな自分では、神様の御用などとても勤まらないと思います」と胸の内を聴いて頂いたことがありました。

★すると三代教会長先生は、「そう思うのも致し方ないが、焦る必要はない。コツコツと真面目に信心させて頂いていると、神様が経験をさせて下さるのです。徳のないところに力を与えて頂いたら、その力の使い方を間違えてしまうのです。例えば赤ちゃんに刃物を持たせるのと同じことです。しかし、お徳を頂いてゆけば、段々と神様は有難い力を与えて下さるのです。お徳を頂いてゆくということに信心の中心を据えて、コツコツと真面目に信心をしなさい。急ぐ必要はありません。階段を一段一段上りなさい。そうすれば徐々に見えてくる物があります。あなたは階段を一足で何段上れますか?3段ぐらい上れたとしても、4段5段は無理ですね。ましてや一足で10段上るのは無理な話です。だから一段一段上らせて頂くと、見える範囲や聞こえる範囲が広がってゆくのです。そうして進ませて頂きますと、神様が体験させて下さるのです。それを有難く喜んで御礼を申しておりますと、おかげを頂くということはどういうことなのかが、分からせて頂けるのです。自分の聞いてもらいたい事、叶えて頂きたいことだけをお願いすることが信心だと思っていては大間違いです。本当の有難さを分からせて頂かねばなりません。そのためには金光様のお取次ぎを頂いて、そのお取次ぎのお徳によって足らないところは足して頂いたらよろしい。そのうちに様々な体験をさせて下さるのです。そうしますと、あなたが今感じているところを神様が徐々に乗り越えさせて下さるのです」と諭して下さったのでした。

★その後、私が高校3年生の時、三代教会長先生がクモ膜下出血で40日間絶対安静を要する状況になられたのでした。この出来事を通して、私の心は定まらせて頂き、お許しを頂きまして、現在も神様の御用にお使い頂いております。

★自分自身が願いを立てていると言いましても、その前に神様が願って下さり、親が願って下さっているのです。そのことを分からせて頂くということは、実に大事なことであるなあと思わせて頂きます。

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2017年08月10日

●神様がさせなさること

『このお広前へある山伏が来てかれこれ(暴挙を働く)したことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれ(仕返し)してはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。…この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子先で合点せよ』

★教祖様は、ご自身が引き受けてご修行なされ、範を示されました。荒らしに来たその山伏達に対しても、仕返しをする心を持たれずに一切腹を立てられることはあられませんでした。それどころか、神様がさせなさるご修行として有難く受け切られ、相手の立ち行きを願われたのです。

心が神様に向かっている時には信心になっているけれども、神様に向かわず人や事柄に向かっている時には信心にはなっていないのです。教祖様は神様がさせなさることであると悟られ、人に心を向けるのではなく、神様に心を向けておられるという事が分からせて頂きます。

★『人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい』

★会社でも家庭でも困っている人を見たりすると、誰しもかわいそうだなと思うことがあると思います。その心が、神様から頂いた神心、慈愛の心なのです。その方が助かるようにお願いさせて頂くことが、神心を養い、神様に心が向いている姿であり、信心が向上してゆくのです。もっと進ませて頂いた信心になりますと、悪意を持った方や反発心のある方に対してでも助かりを願えるようにならせて頂けるのです。
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2017年08月09日

●神様の綱をにぎる

 昨日は、みかげ会例会が開催され、生藤氏のおかげ話を聴かせて頂きました。お祖母様と伯母様からお導きを頂いかれて、お父様がお参りされるようになられて、今年で69年になられます。お父様は、お導き頂かれた翌日から教会に参拝するようになられ、結婚後は夫婦で参拝が出来るようになられたのでした。

★ご両親は共働きであられたので、生藤氏のご兄弟は幼い頃から、お祖母様に連れられて、教会にお参りなさっておられたそうです。そんなお祖母様が、昭和37年に交通事故でお国替えになり、お父様はショックの余り一時教会から足が遠のかれたのでした。ある日、二代教会長・伊藤コウ師から、「生藤さん、お参りして信心させて頂きましょう」と、やさしくみ教え頂かれました。お父様は、それまでの考え違いを心からお詫び申され、再び参拝が出来るようになっていかれたのでした。それから5年後の昭和42年、お父様は、肋膜に水が溜まって入院治療を受けることになられ、病院から参拝されますと、伊藤コウ師から、「日参させて頂きましょう」とみ教え頂かれました。お父様は素直にみ教えを守られ、入院中の病院から日参を続けられますと、院長先生も驚かれる程に回復なさり、退院のおかげを頂かれたのでした。

★み教えを頂いて、心を正しい方向に導いて頂くことは実に大切なことであり、有り難いことですね。お父様も、お母様も、生藤氏ご自身も、命の危険があるような病気や事故に遭うという体験をなさっておられますが、その都度しっかりと心を神様に向けられ、一層熱心にご信心を進められ、今日では子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげを受けることが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。』

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2017年08月08日

●一心になるのも日々の稽古から

「管子」の中に、『四体(したい)既に正しく、血気既に静かなれば、一意専心、耳目淫(じもくいん)ならず』という言葉があります。これは、「身体を健全に姿勢を整えて、はやる気を抑えて冷静になって、一つの事に精神を集中すると、他のくだらないことは耳にも目にも入らなくなる。」という意味です。

★教祖様は『神を本気で拝むには、柏手を打って神前に向かったら、たとえ槍先で突かれても後ろを振り向いてはいけない。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かない。』とみ教え下さっておられます。ご祈念してさせて頂くということは、とても大切なのです。集中させて頂けるように、心と姿勢を整えて頂くのです。

★あるご信者が喘息で二階にも上がれないような発作が、毎日出て辛い思いをなさっておられました。長年苦しんでおられ、何とかして治して頂きたいとおすがりしておられたのですが、なかなか喘息は治りませんでした。ある時に二代教会長先生から「しっかりとお詫びを申し上げましょうなあ」とお結界でみ教えを頂かれましたら、「本当にその通りやなあ」と思われたそうです。

今まで自分自身が御礼お詫びお願いを申しているつもりであられたのですが、どちらかというと他の人のせいにばかりしていたことに気が付かれたのです。その日はお広前で心静かにお詫びを申されて、家に帰られましたら、翌朝から発作が出られなかったのです。そして以後も発作が出ずに、根切れのおかげを頂かれたのでした。

★一晩でお取り払い頂けたように思いますが、実際は長年の日参と聴教の積み重ねがあられたからですね。「なぜ治して頂けないのだろう?まだ治らない…」と思っておられたのですが、信心の日々の積み重ねがあられたからこそ、「お詫びを申し上げましょうなあ」というみ教えを、本当に分からせて頂けて心からお詫びが申せたのです。神様に心を向けて、一心にお詫びを申された、その心が神様に届いておかげを蒙られたのですね。

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2017年08月07日

●教えの鏡に照らし合わせる

『昔から、親が鏡二つ買うて持たして嫁入りをさせるのはなにゆえか。これは顔をきれいにするばかりではない。第一、その家を治めに行くのである。心につらい悲しいと思う時に鏡を立て、必ず人に悪い顔を見せんようにし、その一家を治めよということである。』

★普段生活しておりますと、現在自分がどのような状態であるのかを客観的に見ることは出来にくいものです。そこで、鏡に照らし合わせるように自分自身を見直すことが大切です。しかし、自分の姿を見直すということは、厳しく辛い部分があります。常平生からみ教えを頂いて、自分自身に打ち克つことを心掛けなければなかなか出来ることではありません。み教えを頂きますと、普段見ていない無意識な部分や、自分自身の足りない部分、行き届かないところを分からせて頂く事が出来るのです。するとそこに改まりが生まれ、受け物が出来てくるのです。

★また、意識せずに事を進めている部分が私達には随分あります。常に心中御祈念させて頂くことを心掛けておりますと、無意識にしてしまっているところが、少しずつ意識的にさせて頂けるようになってくるのです。食事をする時も、自転車に乗る時も、車に乗る時も、無意識のうちにさせて頂いていることを、意識して心中御祈念して何事もさせて頂きましょう。人に物事を伝えさせて頂く時にでも、御祈念して伝えさせて頂く事を心掛けますと、相手の受け物が出来ている時に、適切に必要なことだけ伝えさせて頂くことが出来るのです。

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2017年08月06日

●自ら求めてみ教えを頂き、今日を喜べる人間に

二代教会長先生は「『君子は道を聴くを好み、小人はこれを聴くを好まず』という言葉がありますが、ご信心させて頂いて、毎日日参と聴教に励んでお参りをなさっている方は、皆君子になっていきます。

朝早くから、『結構なお道のみ教えを聞かせて頂こう!』『人間としてこの世に生まれさせて頂いたからには、結構な人間たる有難いお徳を頂かせてもらおう!』と求めている方が、朝お参りをさせて頂いているのです。この言葉を聞いた時に、ご信心は君子にならせて頂けることを教えて頂いているんだなあと分からせて頂きました。

小人とはどんな人かと言いますと、我情我欲、我が力ですると思い、自分のことだけを考えて人のことはちっとも思わん。自分だけ良ければ良いという人が小人です。そういう人は自滅します。それと反対に有難いお徳を頂かせて頂く人間は、人をも生かし、自分も生かし、また神様にも喜んで頂いて、大きい有難い生き方をさせて頂いて、毎日毎日喜びが増えていくのです」とみ教え下さったのです。

★み教えをしっかりと頂かせてもらうということは、自分自身を良い方へ良い方へ導いて頂けるのです。「朝参りに起きようと思ってもなかなか起きられない時があります。二度寝してしまって遅れることもあり、申し訳ないことです。」とお届けなさったご信者があられましたが、そう言いながらも、毎日求めてお参りなさって、朝参りを続けておられます。そこで「自分自身は出来ていなくても、そういう心持ちで続けておられたら、神様が色々と整えて下さるのですよ。それに気付かせて頂いて、先々には『もったいないことだ、有難いことだ』と分からせて頂けるようになりますよ。先を楽しみに。」とお話しをさせて頂いたことでした。

★どんな状況でも『今日を喜び明日を楽しんでいく』ということを心掛けさせて頂かねば、ご信心は進んでいきません。そして稽古を続けさせて頂いておりましたら、段々と有難いことに気付かせて頂けるようになるのです。

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2017年08月05日

●一粒万倍に広がってゆくご信心

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力で払いのけるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★慶応2年12月24日、高橋富枝先生が御神前で拝んでおられましたら、「大谷には山伏が来て荒らしたが、来春3月の7、8日頃にはお上へ通り、公に拝めるようになるから、酒と肴とを持って歓びに行け。」と神様からお知らせがありました。高橋富枝先生は、すぐにその通りになされ、お広前に参拝されますと、献納の提灯や絵馬・幕などが所狭しと置かれていた物が何もかも山伏に持って行かれ、ささやかに御神殿にお社がお祀りされており、涙が出るような光景でありました。参拝者がみな異口同音に、山伏の暴挙に対して不満を申す中、高橋富枝先生は涙を堪えて「結構なお煤(すす)払いでございます。」(大掃除の意味)と持参されたお酒や鯛をお供えされました。

★すると、今度は教祖様のお口を通してご裁伝(教祖様のお口を通して神様のお言葉が下がる)があり、天地金乃神様は「何千何百人と参拝者はあるが、皆気のふさがるような事を言い、一人として神を勇め慰める者はない。其方はおさなき婦人ながら先の歓びを言い立てて神を勇める。神も誠に喜ぶぞ。」と伝えられました。そしてその後、神様のお知らせの通り、3月にお上のお許しを頂かれて公に拝むことが出来られたのです。

★神様の仰せの通りに、素直に行動なされた高橋富枝先生のお姿を、神様がさらに喜ばれておかげを表して下さったのです。夫々にしっかりとした願いを立てておかげを頂いていく信心を一歩一歩進ませて頂くことが大切です。自分自身がおかげを頂くと、周囲の方や縁に繋がる方々が助かっていくような有難いご信心に進ませて頂けるのです。日々、良い手本になる信心をさせて頂き、信心が一粒万倍に広がっていくようなおかげを頂いてまいりましょう。

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2017年08月04日

●和らぎ喜ぶ心で、常の地を肥やす

『とかく信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。』

★三代教会長先生は60歳を越えられてから、くも膜下出血で40日間絶対安静を必要とする状況になられました。先生は、その様な中「私は必ずおかげを頂きます。」と仰られ、40日後には歩くことからリハビリをなされ、お結界でのお取次の御用、お説教と日々御用下さり、徐々に回復なされたのでした。しかし、常に頭痛を抱えておられ、冬場でも頭を氷枕で冷やさなければ休むことが出来られない状況であられました。

★ある夏の暑い日のこと、三代教会長先生が京都方面に宅祭に行かれた時のことです。私は随行の御用にお使い頂きました。宅祭の帰り道で車のエアコンの具合が悪くなり、エアコンを切って走行せざるを得ない状況になりました。運転の御用の方は、行き届いた心配りで、夏場はクーラーボックスを用意なさって、冷たいおしぼりを準備して下さっており、早速に三代教会長先生にお使い頂く事が出来られたのでした。

★その日は37度を超える猛暑で、天王山トンネルに入りますと、渋滞で車が徐行するようになり、外気も入れられず、車内は40度を超える大変厳しい暑さになったのです。三代教会長先生は決して不足を申されずに、「車は結構やなあ。有り難いなあ。」とずっと御礼ばかり申されておられ、運転の御用の方も、随行させて頂いた私も、心が救われる思いで大変有り難かったことを記憶しております。

★『おかげは和賀心にあり』とみ教え頂いておりますが、三代教会長先生は、今与えて頂いていることに対して、喜ぶことしかなさらなかったのです。そのお姿を私共はお手本にさせて頂いて、結構におかげを頂いていくことが出来るのです。何か事が起こってきた時に、しっかりと喜ばせて頂いて、ご信心に基づいて良い方へ舵取りをしていく稽古をさせて頂けばよいのです。それには常の地を肥やしていく必要がありますね。

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2017年08月03日

●実意丁寧正直が要

戦後、日本の主だった宗教が、進駐軍に呼び出されて、戦時中の活動について質問を受けるということがあり、金光教を代表して和泉乙三師が出向かれたのでした。その時に和泉乙三師は、質問されたことに対して、一切ごまかしなく、包み隠さず全てを丁寧に答えられたそうです。当時、それは決して当たり前のことではなかったようで、その時通訳をなさった大学の教授が、あまりの正直さに驚かれた程であったと伝えられています。そして、その通訳の先生は、和泉乙三師の回答の全て、態度に感じ入られ、後に金光教について研究論文を出され、三代金光様に自らお取次ぎを頂く機会を持たれたのでした。また、進駐軍の中でも金光教の評価は高まり、理解を得ることが出来たということです。

★常々から生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂いて、神様の目からご覧頂いて、正しいこと・間違ったことの判断が出来るような、心を養わせて頂きたいと思います。良い種をまけば良いものが育ちます。反対に、ごまかしをしていると、それは明らかになり、自ら損をまねきます。裏切りることをしていると、いつか裏切られるというように、全て自分に返ってくるのです。

★人を目当てにせず神様を目当てにさせて頂き、実意丁寧正直親切を心がけ、お徳を積むことに生涯取り組ませて頂きましょう。お徳を頂かなければ、たとえ今、人や物が身の回りにあったとしても、いつか離れてしまいます。反対にしっかりとお徳を積ませて頂けば、人も物も身について離れないようになるのですよ。
『神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい』

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2017年08月02日

●親の信心が子供に伝わってゆく

7月1日から始まりました1ヶ月の信行期間も、昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には各々にご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げます。銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様に御礼を申し上げられましたら、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒をつけさせて頂くことにより、悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈りいたしております。

★二代教会長・伊藤コウ師が幼少の御頃、小学校に入学して一年の時に級長になられたのでした。お母様(伊藤ハル刀自)に報告したらさぞかし喜んで頂けるだろうとお考えになり、自宅に帰られましたが、お母様もお姉さま方もお留守でした。お母様方は教会に参拝なさっているのだと察せられたコウ師は、さっそくご自分も教会に向かわれますと、教会から家に帰ってこられるお母様方と、道中で会われたのでした。そこで早速、「級長にならせて頂きました!」とご報告をなさると、そのままお母様方と一緒に家に帰られることなく、「今からお教会にお礼参りをしてきます!」と自分一人で自発的に教会にお礼参りに行くことが出来られたということです。

★小学一年生という幼い頃から、このようなお礼の信心が身に付いておられたということは、母親である伊藤ハル刀自が、日頃から何事も喜び、実意丁寧にお礼を申させて頂く信心教育を、徹底なさっておられたからに他なりません。子供は親の姿をみて真似て育ってゆくのです。子供の真心を育ててゆけるように、親がしっかりと信心に基づいた家庭教育をさせて頂くことが大切です。

★『神様が金光大神に話して下さり、話して聞かせよと言って下さるから話してあげる。それを聞いて子供にでも他人にでも話して聞かせてあげよ。めいめいにそれを心得、天地の神様は有難いとわかって信心する人が一人でもできれば神様がお喜びになる。そうなれば、あなた方も神様の御用に立つこととなる。』

★8月は、子孫の信心教育、信心相続の機会を与えて頂いております。16日には、婦人会例会が開催され、小、中学生、高校生、大学生、若婦人、婦人会の方々が吉備楽奉納の御用にお使い頂かれます。20日には子供会列車を編成して頂いて、御本部御礼参拝をさせて頂きます。25日には、学生講演会が開催され、6名の学生さんより有難い講演を聞かせて頂きます。子孫に信心の有難さが伝わってゆきますように、親がしっかりと信心を進めさせて頂きましょう。
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2017年08月01日

●深い思し召しの中で

 杉村氏の次女さんは、昭和46年生後十ヶ月の時に風邪のような症状で医師の診察を受けられ、入院となりました。そして、心臓が肥大しているとの診断を受けられ、入院10日目の7月31日にお国替えなさったのでした。ご夫婦とも大きな悲しみに包まれて、「なぜこのようなことが起こるのだろう・・・」という思いが拭いきれずにおられました。

★その時、お導きの親様が、「これからの生き方が大切ですよ。亡くなられたことは悲くて大変なことですが、神様のなさることには深い深いご意味があります。このままでは苦しみだけが残って先々不安な生活を送らなければならないことになりますから、これ以上苦しみのないように、神様にしっかりおすがりさせて頂いてご信心させて頂きましょう。そして、生き死にを通してこのお道におすがりさせて頂きましょう。」とお話しなさったのでした。

★杉村氏は、これを機会に帰教式をお仕え頂きご先祖の霊様も金光教式でお祀りをして頂かれることとなり、霊様のご安心をお祈りなさり、家の守りの神様となって頂けるようお願いなさったのでした。

★まもなく奥様は懐妊のおかげを頂かれました。昭和48年8月の出産予定日であられましたが一ヶ月ほども延びて、なんと亡くなられた次女さんと全く同じ誕生日の9月24日に、どこにも心配のない丈夫な体の女の子(三女さん)を授かられたのです。ご家族は皆、神様の深い思し召しを分からせて頂かれ、御礼を申されたのでした。

★人の命はそれぞれに長さも違いますし、起きてくる出来事も違いますが、それぞれに神様の御分霊を頂いてお命を授けて頂き、お水、空気、食物等のお恵みを頂き続けて、生かして頂いていることに変わりはありません。一人一人が、そのような尊い存在であることを自覚させて頂き、親神様の深い思し召しに心を向け、我身に与えて頂いているお役目を全うさせて頂けるように一心にお縋りさせて頂くことによって、死生の安心を頂くことが出来るのです。

『人間はみな天地金乃神様から人体を受け、御霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる五穀をいただいて命をつないでいる。昔から、天は父なり、地は母なりというであろう。天地金乃神様は人間の親様である。此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである。』

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