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2017年07月07日

●教えを頂いて、惑わない心を

先日、朝からお腹を下して、一日半ほどお食事を頂けない日がありました。水分もまともに摂取出来ない中で御洗米だけが喉を通り、有難いことにずっと体内の悪毒病毒は下にお取払いを頂きまして、体中がすっきりしました。

常の蓄えが体の中にありますから、それを消費して、通常通り御用にお使い頂け、翌日のお昼ご飯からお粥と梅干が頂けるようになりました。常にお食事を頂いて栄養を頂いておりますから、一日中お腹を下していましても、御用にお使い頂け有難いことでした。改めて、日々何かしら少しずつでも食事が頂け、身に付かせて頂けるということは、真に有難いことだなあと思わせて頂きました。

★今回のことも神様がさせて下さったのです。少々食べられないような日があったとしましても、体の中の悪毒病毒のお取り払いを頂いている時間で、結構なことだと思わせて頂きました。日々有難いということをしっかりと分からせて頂いて、そしてそれぞれに与えて頂いた使命を全うさせて頂けるようなおかげを蒙らせて頂きたいですね。

★『(中略)四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い(したがい)、七十にして己の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず』(論語より)孔子は「若い時には物事を考える(結論を出す)には時間がかかる。」と仰っています。

教えは頂いていても、その教えに基づいて自分が答えを出すのに時間がかかるのです。しかし教えを頂き続けて求め求めさせて頂いておりますと、ことが起こった時に「これだ!」と判断して瞬時に結論を出すことが出来る。それが「惑わず」ということですが、相当な稽古が必要だということですね。

★そして五十にして天命を知る、すなわち神様が自分に与えて下さった使命を知る。そして六十にして耳順う、人の言葉に耳を傾けることが出来て、決して人を軽んじることがないということです。有難いことに、み教えを頂いている通りですね。様々な出来事を通して神様が教えて下さり、様々な人の口を通して神様が自分自身の至らないところを教えて下さっているのです。

色々な人が目の前に現れてきて、色々な出来事が起こってきます。「この人はこうだ!あの人はこうだ!」とただ批評するだけの人間になってはいけないのです。自分自身にいつも振り返って考えなければいけません。そこに信心が向上していく元があるのですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:00 | 平成29年の「み教え」