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2017年06月30日

●願う氏子におかげを授け、理解申してきかせ

本日夜7時半より、平成29年上半期感謝祭をお仕え申し上げます。この半年間を振り返って、共々に神様にお礼とお詫びをしっかりと申させて頂き、下半期に向けてのお願いをさせて頂いて有り難い上半期の締めくくりをさせて頂きたいと思います。

★天地の親神様は、世の中の人々が天地の道理を分からないが為に、知らず知らずご無礼を積み重ねて難儀に苦しんでいるのを助けたいと思し召し下さり、教組生神金光大神様に、氏子に天地の道理を話して聞かせてやって欲しいと、お頼みになりました。その際、『願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ』と、教祖様にお伝えになったということです。つまり、まずは氏子の願いを聞き届けて下さり、神様の有り難いことを分からせて頂いた後には、氏子の生き方そのものが、天地の道理に沿った生き方に改まっていき、子孫繁盛家繁盛のおかげを頂いていくということが、真に助かるということなのだと、教えて下さっているのです。

★一回でも多く教会に足を運ばせて頂いて、お取次を頂き、お説教を聴かせて頂いて、しっかりみ教えを心に頂きましょう。み教えを頂いて、心が開かれてこそ身のおかげが頂けるのです。心のおかげが頂けますと、難儀の中にも親神様の思し召しが込められていたことが分からせて頂け、自分の思い違い考え違いや、知らず知らず重ねてきたご無礼に気付くところから、真のお礼、真のお詫び、真のお願いが出来ていき、有り難い道が開かれていくのです。

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2017年06月29日

●安心のおかげ

『神様のおかげで生まれてきた人間じゃもの、死ぬるのも神様のおかげでのうて死ねるものか。それじゃから、生まれたのがめでたいなら、死んで金光様のもとで神様になるのは、なおのことめでたかろうじゃないか。世間に、死ぬるのがつらいと言うのは、まだ、死ぬるのをいとわぬだけの安心ができておらぬからじゃ。ご信心して、早く安心のおかげを受けておかねばならぬ。神様のお計らいでは、いつゆかねばなるまいも知れぬのに、その際のやれそりゃ信心は間に合わぬ。平生から、まさかの折にうろたえぬだけのご信心をしておかねばならぬ』

★先日、あるご信者が、「命ある限り元気でお役に立たせて頂けます様に。子供や孫のお世話にならんように。自分のことは自分でさせて頂けます様に。お国替えさせて頂く直前まで長患いせずに、元気で生かせて頂けるようなおかげを頂かせて下さい。」とお届けなさっておられました。

それだけではなく「信心の後継ぎが出来るように子孫が育ってくれますように。私がお国替えさせて頂いた後は、子孫が丁寧に祀ってくれ拝んでくれるような安心のおかげを頂かせて下さい。その為には私がより一層お徳と力を頂けますように。信心向上のおかげを頂けますように」とお願いなさっておられるのです。

★大和小泉から参拝なさっておられた土井つちの氏は90歳を超えてお国替えになられたのですが、何でも美味しく頂いて、自分の事は何もかも自分でさせて頂いておられました。子供の代、孫の代がしっかりと信心を受け継がれていますので、有難い安心と喜びに満ちた生活をなさっておられたのです。

お国替えなさる前日まで庭の草むしりをなされ、朝食も美味しく頂かれて安らかに眠るがごとくにお国替えさせて頂かれたのでした。そのようなおかげを蒙ってこられた手厚い信心の先輩の方々のお姿を拝ませて頂きますと、しっかりと信心のお徳を頂いて、おかげを蒙らせて頂く、ということは、どれほど有難いことかと分からせて頂きます。

★『今月今日で一心で頼め おかげは和賀心にあり』のみ教えのように、今日一日今日一日と願い続けて「今日も元気でお役に立たせて頂けますように、信心の後継者が育ちますように。そのような私にならせて下さい。」と油断のない信心をさせて頂くことが大切だと思わせて頂きます。

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2017年06月28日

●受けたご恩を返すつもりで

あるご信者は、縁あって、体に不調を抱えられた親戚の方の身の回りのお世話を、経済的なことも含めて引き受けてなさっておられます。ところが、お世話をさせて頂きながらも、相手の方の勝手気ままが目に余る時には、どうしても腹が立ってしまうことがあると、先日お届けがありました。よくよくお話しを伺いますと、その人の祖父さん、お祖母さんにとてもお世話になったので、そのご恩を感じてお世話をしておられるということでした。

★そこで、「それは結構なお心構えですね。ぜひ、そのお心を貫いてしっかりお世話をさせて頂きましょう。あなたがお世話になられた、お祖父様お祖母様に、直接ご恩返しをすることはもう叶いませんが、その方のお世話をさせて頂いてお祖父様お祖母様に御恩返しをさせて頂くつもりでおかげを頂きましょう。お世話になったまま何のご恩返しも出来ていないのでは、足元に穴が空いているのと同じです。穴がたくさん空いたままでは、その上に結構なものは築けません。相手の方から直接感謝してもらおうと思う必要はないんですよ。させて頂いたことは、めぐりのお取り払い、徳の貯蓄となって、自分に返ってくるのですよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★今日までのお礼に、心を改めて人のお世話をさせて頂き、お導きの御用に励ませて頂けば、その姿を神様はご覧下さり、真心をお受け取り下さいます。めぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂けば、素晴らしい人、素晴らしい仕事にめぐり合わせて頂けるようになり、精神的にも物質的にも充実した人生を送らせて頂くことが出来るようになるのです。

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2017年06月27日

●辛抱強く願い続ける

以前あるお方に、
[あなたが子供にあれやこれやと言いたいことは分かるけれども、神様に全てお任せしてお願いに変えなさい。今、親の言葉で以て伝えようとしてもなかなか伝わらないと言う場合に「私は親として徳も力も足りませんから、神様から伝えて頂けますように」とお願いさせて頂いて、伝えて頂けるように一生懸命神様におすがりさせて頂きましたら、有難い結果を与えて頂けますよ。その様におかげを頂いたらどうですか]
とお話しさせて頂いたことでした。
そのお方は、み教え頂かれたとおりに実践され、神様にお任せしてお願いされました。

★そして先日、そのお方がお届けに来られ[私達が到底出来ないような大きなところから、神様が一番良いようにして頂きました。本人から「私が間違っておりました。考えが至りませんでした。浅はかでございました。」と分からせて頂ける出来事を、神様が与えて下さったのです。

その出来事を通して、心根が改まらせて頂けるおかげを頂きました。有難うございました]とお礼を申されたのでした。

★親の願いを神様がお受け取り下さり、本人がどうにもこうにも神様におすがりしておかげを頂いて行く他ない、と思えるように神様が道付けをして下さったのです。「私には徳も力も足りませんので、どうぞ神様から直接本人に伝えて頂けるようなおかげを頂かせて下さい。私共はしっかり改まってご信心させて頂きますので、何卒宜しくお願い致します」と親が真剣に願わせて頂きますと、出来事を通して教えて頂ける瞬間を、神様から与えて頂くことが出来るのです。

★親はじっと見守って、そして願い続けねばなりません。良い距離感を保ってじっと御祈念させて頂き、正しいところは褒めて、間違っているところは神様に御祈念しながら教え諭させて頂くのです。少し離れて物事を見て、有難いところを探して、そこをしっかりと喜ばせて頂く事が大事なことであるなあと思わせて頂きます。

つい間違っているところばかりを指摘してしまいがちですが、そこが親として辛抱が必要なことで、ご修行です。それをじっと御祈念しながら、先を楽しみに辛抱強く願い続けることが出来ましたら、親も子も共に成長させて頂ける有難い家庭とならせて頂けるのです。

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2017年06月26日

●『神の恵みを人知らず、親の心、子知らず』

先日お宅祭をお仕えになられたご信者は、娘さんが結婚のおかげを頂かれました。早期に土地家屋を購入させて頂いて、登記などの手続きも順調に進まれ、この度、家屋のリフォームに取りかかるところまで段取りが出来られたとのことです。そこで上半期を振り返って大変結構なおかげを頂いておられるお礼を、家族一同で神様・霊様に対して丁寧に申し上げられた有難いお宅祭となりました。

★上半期を振り返らせて頂いて、「無事にお仕事をさせて頂くことが出来た」、「学校に通わせて頂くことが出来た」、「家事・育児に励ませて頂くことが出来た」としたら、それはどれ程のお守りを頂き、お祈り添えを頂いてのことか分かりません。それらを自分一人の力で出来ているように思ったり、させて頂けたことは当たり前のように思って、お礼も申せていないということではまことに申し訳ないことです。
さらに、至らぬところがたくさんあるはずですが、それを振り返ることもしないで、神様や霊様にお詫びも申さず、ただ単に自分の思うことを要求するばかりの身勝手な在り方では、神様、霊様、親様のご慈愛に満ちたお心を分からせて頂くことは、いつまでたっても出来ません。

★ご祈念下さり、お守りくださるご慈愛に満ちたお心を少しでも分からせて頂けるよう、日々心がけさせて頂くことが大切です。朝には昨日のお礼を申して、その日一日の予定をご報告して無事につとめさせて頂けるようお願いし、夜には、一日のお礼とお詫びを申し上げて、次の日のお願いをさせて頂く・・・そのように、こちらから真心を向けさせて頂きますと、神様、霊様、親様にご安心頂くことが出来、「そういうことなら、あれも守ってあげましょう。これも守ってあげましょう」先へ先へと良いように神様・霊様のお守りを受けることが出来ます。また「しっかりご祈念させて頂きましょう」と親様のお祈り添えを、より一層頂くことが出来るようになるのです。上半期感謝祭に向けて、上半期締めくくりのお礼の信心をしっかりと進めさせて頂きたいと思います。

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2017年06月25日

●日々ご都合お繰り合わせを頂けるご信心に

あるご信者が工場の責任者としてお役に立っておられました。その方は毎朝自転車で参拝なさってみ教えとお取次を頂いて、そのまま自転車で会社へ行かれ、仕事が終わりましたら、教会へお参りして一日のお礼を申して、自宅へ帰られるのでした。それを毎日続けることを常に心がけておられたのです。

★お仕事で「〇日までに○○個納品して下さい」と連絡を頂かれた時には、必ず神様にお願いしてから取り組んでおられたそうです。1日で作られる数は限られてますし、良品・不良品も出てきます。単純に考えますと納期に間に合わないような注文でも、ちゃんと納期に間に合っておられたのです。

その方は『神信心しておかげのあるを不思議とは言うまじきものぞ』とみ教え頂いておりますが、まさにおかげであり「不思議としか言いようのないことが常に起こっております。お届けしてお願いをさせて頂くだけで、私は修行らしい修行も何も出来ておりませんのに、『これは難しいだろう!』と思う数量でも、おかげを頂いてちゃんと納品ができるのです。本当に有難うございます。」と毎回お届けなさって御礼を申しておられました。

★従業員の方々に納期と数量を説明してお願いしたところで、機械が不調になったり、従業員の方に体調の不良や家の都合などが起きてきては、出来上がりませんね。お取次頂いて一生懸命お願いさせて頂いているから、何もかもご都合お繰り合わせ頂いてこられたのです。

★またある日、いつものように出勤して工場のドアを開けられますと、何かいつもよりも空気が温く感じられ、調べてみますと、昨日の晩に事務室でやかんを火にかけたまま、消し忘れてしまっていたのでした。

中のお湯はもちろんなくなっており、すぐそばに置いていた洗い桶は熱で変形していたそうです。それ程の熱が伝わっていたのにも関わらず、やかんに穴は空いておらず、上にかかっていたタオルにも引火していませんでした。火は14時間以上もつけっぱなしになっていたそうですが、有難いことに火事になることなく、おかげを頂かれたのでした。

★この方は全て神様にお願いしてさせて頂かれ、その結果には一切不足を言わないことを神様にお約束なさっておられるのです。その覚悟が出来ておられますので、神様が思う以上に良いようにして下さいます。

また不自由があってもその不自由を修行となさるのです。「今日はひとつ不自由がありました、有難うございます。この不自由を通しておかげにならせて頂けます様に」とお願いが出来るようになっておられます。そうしますと、神様がちゃんとご都合付けて下さるのです。それが有難いことですね。
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2017年06月24日

●一歩一歩前へ

 先日あるお方が、「先生、私はまた腹を立ててしまいました。いけないと分かっていながらも、腹を立ててしまうと、こんなことでは信心させて頂いている者として申し訳ないことだと気が落ち込んでしまいます・・・」と、おっしゃっておられました。そこで、「そこからまた、願うのですよ。『どうしても腹が立って仕方がありません。神様申し訳ないことでございます。どうぞ、腹の立たない人間にならせて頂けます様に』と、日々ご祈念させて頂くことを、このお道は教えて下さっておられるのですよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★伊藤コウ師は、『いろんな出来事には神様のお手紙がついています。ご信心が進みませんと、手紙がついていることも分かりませんし、ましてやそのお手紙を読むことができません。信心の勉強をさせて頂けば、神様のお手紙が読ませて頂けるようになるのです。』と、み教え下さっておられます。身の上に起こってくることは、全て神様が銘々に必要だから与えて下さるご修行です。今日までに、自分にどのようなご無礼不行き届きがあったのか、どんなご修行が必要で、どのようなところを改まらせて頂かなくてはならないのか、そうしたことを、神様からご覧頂いて教えて頂くことが有難いのです。

★どんなことが起きてきても、迷わず、願いを失わず、一心に神様に心を向けながら、家業を有り難くつとめる気にならせて頂きますと、日常の全てが意味ある尊いものとなっていきます。また、不成心(愚痴不足、腹立ち等・・・)が湧いてきた時には、「どうか腹を立てませんように」「不足を思わずお礼を申せますように」と、お願いに変えさせて頂き、日々一歩一歩前へ、信心を進ませて頂きたいと思います。

★『おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』

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2017年06月23日

●お礼の申し足りないお詫び

先日の御本部参拝の際に、三代金光様の奥様の金光キクヨ姫様のお話を改めて頂き直すことがありました。

★ある先生の子供さんが丹毒という病気であられたそうです。丹毒とは、皮膚の浅いところで化膿性の炎症が起きる病気だそうで、手や足などが腫れ上がったり、リンパ節が腫れて痛みを伴ったりするそうです。当時には珍しいペニシリンの注射を打ってもらい、子供さんの熱が引いて、翌日にはもうほとんど治ったかのように回復なされたので、心配して下さったキクヨ姫様のところへお礼を申しに行かれたそうです。

キクヨ姫様が「様子はどうか?」とお聞き下さったので、「はい、おかげさまでもう大丈夫です。それにしても、ペニシリンという注射は良く効きますね。驚きました。」と答えられると、キクヨ姫様は「そうかそうか。それは良かった。有難いことじゃ」と仰って、目をつぶって神様にお礼のご祈念をして下さったそうです。

★そして後に「そういう薬を発明して下さったのは、どこのどなたか知らんが、有難いことだなあ。何度お礼申しても、申し足らんなあ。あなたはお礼を申したか?」と仰せられたのです。

★私達も日々の生活の中で薬にお世話になる時もありますが、どんな薬でも、一生懸命研究して下さって、開発なさった方々のご苦労があって使わせて頂いていることは大変有難いことでありますのに、それだけの人の働きやご苦労に思いを馳せることはなかなか出来ていないことに気が付かせて頂きます。

生活の中には、御礼を申し上げることが足りないことがどれほどあるでしょうか。天地のお恵みであるガスや電気や水や食物…等、当たり前のように使ってはいないでしょうか。どれほどお礼申して使わせて頂いているかを考え直すように、キクヨ姫様は大変分かりやすくみ教え下さったのです。改めて、お礼の申し足りないお詫びを申させて頂くことが大切だなあと思わせて頂いた次第でありました。
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2017年06月22日

●まこと一心で願う

 内尾さんというご信者は、大阪から大分県に嫁がれてからも、御大祭や、御本部参拝等、阿倍野教会に参拝なさり、熱心にご信心に励んでおられました。大分から御大祭の参拝の時には3、4日大阪にお住まいの、陶山氏の家でお世話になっておられ、「大阪のお母さん」と慕っておられたのでした。

★内尾さんは、平成16年6月21日、73才の時に癌でお国替えになったのですが、末期の頃には大分県のホスピスで静養しておられました。段々と症状が進まれて、痛み止めによるのでしょうか、意識がはっきりしなくなり食事も頂けない状態になっていかれました。
そんな中、病床で陶山氏に会いたがっていると、6月1日に娘さんから連絡がきたのです。
意識の定かでないご本人が、うわ言で『陶山さん…、陶山さん…』と、声に出されていたようで、娘さんが「会わせてあげたい」と思われたのです。陶山氏も、ずっと気にしてお願いしておられましたから、是非とも会いに行かせて頂きたいと思われ、お届をさせて頂かれますと、「今すぐに行かせて頂きなさい」と、み教えを頂かれました。

★平成16年6月4日大阪からお見舞いに行かれますと、なんと、意識が戻られ「こんなに嬉しいことはありません」と、涙ながらに会話が出来られ、昼食も喉を通り、「おいしい!おいしい!」と楽しく完食出来られたのでした。三時間だけ意識が戻られたのでしたが、ひとしきり喜んでお話しをなさってから、陶山氏が大阪に帰られますと、再び意識がなくなられ、そのままお国替えになるまで意識が戻ることはなかったそうです。

★真の心をもって、一心に神様におすがりさせて頂けば、どんなお願いも神様に通じていくのです。
非常と平常とにかかわらず、お取次を頂いて心を神様に向けさせて頂き、自分はどのようにして、真心を尽くさせて頂くのか、どのように一心のご信心をさせて頂くのか、練り出す稽古をさせて頂きましょう。
『願うことは何事も、かなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』

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2017年06月21日

●素直な信心

ご主人に連れられて参拝された方があられました。二代教会長先生、三代教会長先生からみ教えを頂いておられたら、「どんなおかげが頂けるのだろうか?ちょっと試してみよう!」と思われ、信行期間中に住吉から阿倍野教会に1日に4回も5回もお参りなされ、ひと月で150回ほどのお参りをなさったのでした。

最初は神様のおかげを試そうと思われたわけですが、み教えを頂いているうちに夫婦の間柄での言葉の使い方、お金の使い方、子供のしつけの仕方等、今までの生活がどれほど間違っていたのかが分かり、考えてみたら無駄ばかりと気付かせて頂けるようになったのです。

★さて信行期間が終わりました翌日のことです。ご主人が「大変なおかげを頂いた!」と驚きながら帰って来られたそうです。それが、3年間も音沙汰のなかった方が会社に訪ねてこられ、借金を耳をそろえて持って来て下さったそうです。

その時に「奥さんがお参りしてくれたおかげだ」と感じて、奥様に1日60本もすっていた「タバコをやめる」と仰ったそうです。さらに、ご信心の有難いことが分からせて頂けたので、「御本部参拝をさせて頂こう!」とも言って下さったのでした。

★平成3年、奥様が胆石の手術を受けられて無事成功した後に、急性の胃潰瘍になられた時のことです。2日間(一日に洗面器一杯ほど)血を吐き続け、医師は「この状態があと一日続いたら命がもちません。緊急手術をして胃を全摘するか、死ぬか」と仰ったそうです。

それを聞かれた息子さんが、お広前に一日中座り通して御祈念なされ、お取次ぎを頂かれましたら、3日目は1回も吐血することなく、手術も必要なくなるおかげを頂かれたのです。医師も「こんなことは考えられない!まさに神様のおかげですよ!」と仰ったのでした。

★『信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せず、うかうかと暮らす人は、めぐりを積んでいるのである』お導き頂いて、最初は何も分からないままお参りをさせて頂いてるところから、み教えを頂いて、自分自身が改まらせて頂いて、お取次を頂いて、また改まらせて頂いて…と続けさせて頂かれましたので、めぐりのお取り払いが頂けて、お徳を積ませて頂く生き方に変わらせて頂けたのです。私達も信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年06月20日

●めぐりを積む生き方から、積徳を心がける生き方へ

昭和の初め頃、セルロイドの工場を経営なさっておられた植田氏が、お導き頂かれて阿倍野教会に参拝するようになられました。セルロイドというのは、重ねて置いておくと、気温の上昇で自然発火しやすい性質があり、植田氏の工場も三回火事を出しており、三回目の火事の時には、十代の若い工員を含む4名の工員が亡くなられたのでした。多額の借金もあり、大変な中をお導き頂かれて参拝なさり、二代教会長・伊藤コウ師のみ教えを聴かれますと、それまでの生き方考え方が、天地の道理に反することばかりであることが、段々と分かっていかれたのです。亡くなられた従業員の方々に申し訳ない思いで一杯になって、毎日涙を流しながらみ教えを頂かれたのでした。

★そして、お宅祭もお仕え頂くようになられたのでしたが、最初の頃はお祭りを拝まれるのは奥様一人で、従業員の方々は、お祭りをお仕えになられる後ろで、車座になって雑談しているような状態だったのでした。しかし、段々と回を重ねる毎に、ご主人も、工員の方々も、正装して参拝し、み教えを頂くように変わっていかれたのです。また、植田の家の霊様だけでなく、火事で亡くなられた4人の従業員の霊様方をお祀りされて霊祭を仕えさせて頂くまでにおかげを頂かれました。

★ある時、従業員のお一人が、「み教えを頂くようになってから、『使い儲け』の生き方から『儲け使い』の生き方に変わらせて頂くことが出来ました。従業員一人一人の心がけが変わってまいりまして、工場全体も結構に繁盛のおかげを頂いております、有り難うございます」と、お礼を申されたのでした。先に借金をしてでも、使いたいことにお金を使い、使った分のお金の返済に追い立てられるように働く「使い儲け」の生き方から、出来るだけ始末できることは始末し、出来た資金の中で工夫しながらやり繰りする「儲け使い」の、結構な生き方に変わらせて頂かれ、工場も拡大し発展のおかげを頂かれたのでした。

★信心の上でも同様に、おかげの先取りばかり考える生き方から、積徳を日々心がけてゆく生き方に変わらせて頂くことが大切です。積み上げた徳は、自分が必要な時に必要なように、体の上にも仕事の上にも現して頂けるようになることは、大変有難いことです。私たちも、日々お届けをして金光様のお取次を頂き、身についている悪癖、悪習慣を改まりましょう。そしてめぐりをお取り払い頂く努力を怠らず、み教えを頂いて、積徳の信行に励み、御用の徳、おみちびきの徳を積み重ねる有難い生き方にならせて頂きたいと思います。

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2017年06月19日

●相手のことを願う

経営者であられるご信者が「周りが自分の思ったようにしてくれないからと、不足ばかり言う従業員がおります。先輩から何か仕事を頼まれても嫌そうな顔をしたり、聞く耳を持たなかったり、人から声を掛けられても何も答えず無視するのです。これは私のご修行させて頂く材料としなければならないのですね。」とお届けに来られました。

★そこで「人でもってご修行させて頂くのが、経営なさる方にとっての必要なご修行になります。でもその方を悪く思ったり憎んだりしてはいけませんよ。『これはまだまだ私自身の徳と力が足りないのだ。』と悟らせて頂いて、相手の助かりをお願いしましょう。」とお話しさせて頂いておりました。ご信者もその通りに「あの方が助かられます様に、立ち行かれますように」とお願いなさっておられましたが、その従業員の方が「辞めさせてもらいます」と言って来られたそうです。

★経営者であられるご信者は、その後も「引きとめても本人の意思が堅いようですのでうちの会社に居られる間は、こちらがあの方へ親切丁寧にさせて頂けます様に。後々あの方が立ち行かれ、おかげを蒙られます様に」とお願いなさっておられました。

★相手のことをお願いさせてもらうということは、自分の都合を先に願うのではなく、相手のことを思って相手の都合を先に願うのです。そうしましたら、有難いことに自分も心が穏やかに、また豊かになってゆくことが出来るのです。自分の都合ばかり、自分のことしか考えておりませんでしたら、どこへ行っても助かりません。助からない元を自分で作ってしまっているのです。

★人を恨んだり憎んだりしては、自分の心が壊れ汚れていくのです。人を呪わば穴2つと言いますが、穴は1つです。相手は落ちるか分かりませんが、自分自身は確実に落ちるのです。

★お礼を申し上げて、今日を喜んで明日を楽しんで、良い事を思って良い事をお願いして、つまらないことを口に出さずに、日々の生活をさせて頂くということは、自分自身がおかげを頂いていくだけではなく、神様も喜んで下さるのです。そういう有難い受け物を作らせて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年06月17日

●一家勢信心の有難いお徳

教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられたといっても過言ではないような状態になられたのでした。 しかし、教祖様は決して取り乱したりなさることはなく、「家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。」との、神様からのお言葉をただただ素直に守られたのでした。

★そして、本教の真髄ともいえる「天地書附」は、この時期に銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、神様からお下げ頂かれたのです。また、「五年の辛抱」の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き、拝ませて頂けることとなられたのでした。

★何か事が起っても、その出来事を通して家族中がより一層ご信心に励ませて頂き、改まりを本気で願わせて頂く事が大切です。すると、家族中の心が揃い、願いの方向が一つになって、同じ方向へ進ませて頂くことが出来るのです。家内中、心を一つにし、同じ方向へ願わせて頂くことが出来るのが勢信心の有難さです。一人では持ち上がらない石でも、皆が心を揃えて持ち上げさせて頂きますと、楽々と持ち上げることが出来るのです。さらに、家族・親族が力を合わせることは勿論のこと、ご先祖様も力を合わせて下さり、共に一つのことを願わせて頂くことが出来ましたら、どれ程心強いことでしょうか。霊様方も願って下さり、力を足して下さって支えて下さることを、日々御祈念させて頂くことが大事なことです。

★常平生、み教えを心にしっかりと頂いて、心を改め磨いてゆく稽古をさせて頂きましょう。
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2017年06月16日

●迷いのない生き方

現在のお広前のご建築の時に、中心となってご用なさった酒井氏は、70歳になられた時にお結界で伊藤コウ師に、「大工の仕事は引退させて頂き、郷里へ帰って大根でも作ろうかと思っております。」と、お届けなさったのでした。

すると、コウ師は、「大根を作るのも結構ですが、あなたはこれまで大工の仕事でおかげを頂いてこられたのでしょう。でしたら、今日までのお礼に、その技術を生かして出来る、あなたにしか出来ないお礼の働きをなさったらどうですか?」と、み教え下されたのです。

★それから酒井氏は、旧広前の東隣りに拡張された40畳の教場を作らせて頂くことを手始めに、現在のお広前ご建築の時には、二代教会長先生と三代教会長先生のお考えになるところを、図面に現してくださり、また、大変優秀な宮大工の方々に声をかけて下さって、教会との間を取り持って下さり、ご建築が完成するまで全体の采配を振るって下さったのでした。

★そのようにして、70歳から新たに出発なさったそのご信者は、大工のお仕事で度々声をかけて頂かれ、80歳の時には、阿倍野区から豊中まで自転車で走って、お仕事にいかれたこともあったというほどに、大変お元気に大工のお仕事を通してお礼の働きをなさったのでした。

★迷いが生じたときには、基本に立ち返らせて頂くことが肝要です。生神金光大神様のお取次を頂くことによって、今日までどのようにおかげを頂いてきたのか、これから先どのようにおかげを頂いていくべきなのか、どのようにお礼の信心、お礼の働きをさせて頂くべきなのかを悟らせて頂けるのです。

それは、暗闇の中を光で照らして頂くようなものです。日々お取次を頂き、み教えを頂いて、自分自身に神様から与えて頂いている使命を分からせて頂き、喜びに満ち満ちて家業に打ち込ませて頂きましょう。

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2017年06月15日

●有難いの一心で、み教えを素直に頂く

戦後、田舎から市内に戻ってこられて、印刷業を営んでおられたご信者があられました。ご両親と3人の子供の5人家族で、長女さんは教育関係のお仕事に就いておられ、その下に中学2年生の娘さんがおられました。

二代教会長伊藤コウ師がその娘さんに「学校から帰ってきたら『お父さん、お手伝いすることありませんか?』と聞いて、お父さんのお仕事のお手伝いしなさいや」とみ教えなさいました。友人付き合いをしたいとか、興味のある本を読みたいとか、習い事をしたいとか、他にも時間を使いたいことが色々とあったでしょうに、娘さんは学校から帰ると、み教え通りにお父さんに「何か手伝うことはありますか?」と聞かれました。

お父さんは遠慮して「あなたは仕事を手伝わなくても勉強をさせて頂きなさい」と答えられたのです。それでも娘さんは、自分から進んでお父さんのお仕事を学んでいかれたのでした。

★ある時お父さんが寝込んでしまわれたのです。そうしますと、その中学生の娘さんがお父さんに代わってお仕事をなされて、有難いことにその娘さんの働きで段々と家が立ち行くようになっていったのです。10年後には、その娘さんにお婿さんが来られて、そのお婿さんも一生懸命お仕事を手伝って下さったのでした。

★コウ師は願いをかけて下さって、10年先の為に準備をさせて頂き、何事が起こっても間に合うようにみ教え下さったのです。み教えを頂いた時は、学校の勉強もしないといけませんし、家のこともしないといけない…と中学2年生の娘さんにとっては大変辛抱が必要であられたでしょうが、厳しいみ教えでも有難く頂いて、有難いの一心でご修行させて頂きましたら、先々で間に合う準備が出来てゆくようなおかげを頂けるのです。

★ご信心させて頂きましたら「なんで?どうして?」が変わってきます。ご信心が進む前は、自分に都合の悪い事が起こってきますと「なんで私ばかり?どうしてこんなに都合の悪いことが起こってくるのか?」と思いますが、

ご信心が進みますと「なんでこんなに有難い事にならせて頂いたんだろう?私は至らないのに、どうしてこのように結構なおかげを頂けるのだろう?」と思えるようになるのです。同じ言葉でも使い方が全然違いますね。良い使い方が出来る人間にならせて頂けるおかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年06月14日

●陰で人を助ける働き

ある会社に再就職なさったお方がおられ、今までとは全く異なった製造業の職種に就かれました。その職場で、社員同士が、「あの人はこんな所がある、この人はああだ…」等と、悪い評価を口に出して言い合っている場面があった時に、そのお方は「いや、あの人は陰でこんな働きをなさっておられますよ。こんな立派なところがありますよ」「皆さんは気付いておられませんが、実はこういう仕事をなさっておられますよ」と、常に人の良いところを探して、人の隠れた働きを皆に伝えることを心掛けておられました。

★すると、上司との面談があった時に、上司から「経営する側に将来は加わって頂けませんか?」と申し出があったそうです。そのお方は、経営陣からそれだけの人材であることを認められたのです。その元になったのは、そのお方の真面目で丁寧な働きぶりはもちろんのこと、さらに周囲の方々の優れたところを口に出して、隠れた働きに焦点を当てて、表に引き出させて頂いていることが認めて頂かれた要因の一つだと言えます。常日頃から人の批判や噂話には決して加わることなく、それよりも陰で人を助ける働きを心掛けておられたことが大変有難い事だと感じさせて頂きました。

★悪い事ばかり口にしていると、自分が難儀になってゆくだけでなく、周囲の人達まで辛くさせてしまいます。段々とご信心が進ませて頂きますと、つまらない事を思ったり、不足を言ったりしないようになり、有難いことが自然と口から出て来るようになるのです。それが周囲の方々から信頼して頂き、身にお徳を頂く元となってゆくのですね。

★『人の悪口を言う者がよくある。もし、その場にいたら、なるべく逃げよ。陰で人を助けよ。陰で人を助けておけば、おのずと神の恵みがある。』

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2017年06月13日

●心の「虫」を取り払う

以前、境内地の松の葉の色が少し変わっていることに気が付き、見ておりますと、一緒におられたご信者が、「この松には虫が付いていますよ」と教えて下さいました。よく目を凝らして見ますと、松の葉程の細い小さな虫が見えましたので、その方と一緒に手で取りましたが、それでは足らず、早速木に殺虫剤を散布して頂き、翌日また見てみました。

すると、前日には数十匹と葉に付いているのを確認出来た程度の印象であったのが、なんと無数の虫が木の下に落ちていたのです。目に見えたのは、ほんのわずかの表面に出ていたものだけであったのですが、すぐに対応させて頂けたおかげで、木全体の虫を取り払わせて頂くことが出来たのでした。

★人間の心にも知らず知らずのうちに、木につくような「虫」がつくものです。泣き虫、弱虫、怒り虫や怠け癖、人の責任にしたがる、自分を甘やかす、人に勝ちたがる、自慢したがる、人を恨み不足に思う、自分にたくさん取り込みたい貪欲さ等々・・・改まるべき所がたくさんあるはずです。自分の「虫」には目を向けず、人を恨んだり、不足の目を他に向けていては、神様のお気付けに気が付くことが出来ず、問題も決して解決していきません。

★何か問題が起きてくるということは、自分の改まるべき所を神様が見させて下さっているのです。出来事を通して、自分が改まる心にならせて頂けば、問題もおかげにさせて頂くことが出来るはずです。

★幸田露伴の洗心録「木の五衰」(木が衰える因)
1、懐の蒸れ(枝葉が茂りすぎて風通しが悪くなると、虫が付きやすくなる。人間でいえば、貪欲・多欲になりすぎること)
2、裾上がり(根が浅くなる。人間で言えば、軽薄になること)
3、末止まり(成長が止まってしまう)
4、虫が付く(悪友、悪習慣がつく)
5、末枯れ(衰退する)

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2017年06月12日

●受け物が悪ければおかげが漏るぞ

6月には、多くのお家で上半期のお礼のお宅祭を仕えさせて頂くのですが、この半年間でお礼を申させて頂くことが、それぞれのお家でたくさんあられます。入学をさせて頂いたり、定年退職を迎えさせて頂かれたり、再就職をさせて頂いたり、手術が無事成功されたり、退院のおかげを頂いたりと、それぞれが結構なおかげを頂いておられることがよく分からせて頂けます。

★「上半期のお礼と言いますが、何をお礼申していいか分かりません」という方はあられないはずです。なぜならば、お命を頂いていることがおかげでありますから、毎日毎日がおかげを頂き続けている連続なのです。

★三代教会長先生は「天地の親神様は全てを見通しお守り下さり、全てを司っておられる神様でありますが、全能ではあられません。どういうことかと言いますと、『願う氏子におかげを授ける』と仰って下さっていますが、本人がよう願わない氏子には、おかげを授けることが出来ないというお嘆きを持っておられる。神様はおかげを授けてやりたいと思っているのに、本人に受け物がなければ、またその気がなければ、おかげを受け漏らしてしまうのです」とみ教え下さいました。金光様も『神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』とみ教え下さっておられます。ですから、「可哀そうなことだ。なんとかしてやりたいけど、なんともならん」と神様がお嘆きになられるような氏子にならないようにおかげを頂きましょう。

★そのためには、毎日の生活をどのように過ごさせて頂けば良いでしょうか。それは神様を目当てにさせて頂いて生活させて頂くということです。人目のあるところでは、きっちりとしていても、人の目の届かないところでは不誠実なことをしているような、陰・日向のある生活ではいけないのです。神様は全てお見通しですから、それぞれが生活の中で、何を思って何を口に出し、どういう生活をしているかということも全てご存知です。ですから、神様に心を向けて実意丁寧なご信心をさせて頂きましたら、有難いおかげを頂いていくのです。

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2017年06月11日

●実意丁寧・謙虚に真心を表す

『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』

★「実意」とは「本心。真心。」という意味で、「丁寧」とは「念を入れること」「細かいところまで気を配ることである」という意味ですが、信心させて頂く上では足らないところがあることを自覚して何度も反復練習して稽古してゆくことです。常平生から、どんなことでも実意丁寧にお願いさせて頂き、一心におすがりさせて頂いておりますと、いざという時にでもお守りを受けることが出来、安心のおかげを頂くことが出来るのです。いつも神様と共にある生活を心掛けさせて頂き、神様に実意丁寧に心掛け・真・真心が通じていくようなご信心を心掛けておりますと、神様は必ず応えて下さり、お守り下さるのです。「足らず足らずと思い暮らして死するまで」という謙虚さが必要であり、どこまでも自分自身を見直し、聞き直し、考え直しておりますと、さらに一歩新しい自分自身に進ませて頂くことが出来るのです。

★『金光様は「有難き恐れ多き勿体なきの三きを供えて祈れ。一切の願い事を成就させてやる」と仰ったが、この有難き恐れ多き勿体なきの三きの心に新気・根気・御礼の働きが立ちそうてこそ一切成就のご信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受ける元になるのぞ。』(片岡次郎四郎師)

★はじめの『有難き 恐れ多き 勿体なき』の三きとは「心」が行き届いているということであり、『新気 根気 働き』の三きとは、「姿」が行き届いているということだと教えて頂いています。

★新気…日々新しい命を頂いているつもりで生活をする。新しい心でみ教えを頂く。根気…根気強くみ教えを頂き続ける。根気強く願い続ける。御礼の働き…今日までの御礼の心で日々働かせて頂く。お礼を申しながら身体を使わせて頂く。心の底から「有難い、畏れ多い、もったいない」と思い、神様が願って下さるところを分からせて頂き、同じように願わせて頂けるようにならせて下さいと、祈れる私共に向上させて頂きたいと思います。
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2017年06月10日

●自分の信心を振り返る

伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)が、地方債を買って娘さん(コウ師の姉君)に預けておられたのでしたが、盗難にあったのか、紛失してしまったことがあられたのでした。それなりの額のものであったようで、当時小学校に勤めておられたコウ師は、生徒の中に親が警察署長をなさっている方があり、事情を相談なさいますと、お金のこともさることながら、ハル刀自の体調と、精神状態を心配なさったそうです。

それ程のことであったのにもかかわらず、ハル刀自は一切動揺されることなく、「あのお金は、ご信心させて頂くようになってから、めぐりをつまんように心がけ、お礼するところにはきちっとお礼をさせて頂いて、工夫して始末して貯めさせて頂いた穢れのないお金です。今は、伊藤の家に必要がないから、必要な人のところにいっているのでしょう。必要な時が来たら必ず戻ってきます。」と、きっぱりとおっしゃったのでした。

★また、地方債を紛失してしまったコウ師の姉君は大変申し訳なく思われ、ご自分の信心として、預かっておられた金額を返済させて頂かれたそうです。すると、10年後に伊藤ハル刀自がお国替えになられた後になって、なくなった地方債が倍の価値をもって、伊藤家に戻ってきたのでした。

★何事が起きてきても、人を憎まず、環境を恨まず、神様に心を向けさせて頂いて、全てを自分の信心を見直す機会と捉えさせて頂けば、おかげになります。上半期のしめくくりとして、あらゆることを通して自分の信心を見直し、聞き直し、考え直させて頂いて、改まりの信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年06月09日

●今日一日・今日一日のおかげ

昨日はみかげ会例会が開催され、中筋氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★中筋氏が23才の時に、ご両親と妹さんと蕎麦屋を開店なさいました。30年間お商売を続けられたのですが、お父様がお国替えされたことをきっかけに、家族で話し合いをなされ、「お商売をやめさせて頂きたいと思っておりますが、如何でしょうか」とお届けに来られました。

「お商売をやめて方向転換させて頂きましょう」とのみ教えに、商売を続けさせて頂くだけではなく、やめさせて頂くのもおかげを頂かねば出来得ないことだということを感じられたそうです。

★そして閉店までの準備をなさっておられる間もお取次を頂かれ、春頃に予定されていた廃業を「年内で廃業のおかげを頂きましょう。それまでに調理師免許を取らせて頂きましょう」とみ教え頂かれ、調理師免許を12月に無事取得、店舗を12月28日で閉店させて頂かれました。

そうしますと、1月5日の朝参りからの帰宅後、お母様が腰痛を訴えられ、診察の結果、腰椎の圧迫骨折で一か月程の入院と診断されたそうです。お商売を続けておられましたら、ゆっくり休んで頂くことも出来ず「これもおかげやね」とご夫婦で神様にお礼申されたそうです。

★店舗売却の件では、教会にお参りしてお願いをさせて頂き、帰りますと「本当に売れるのだろうか」という心が出てきて『心配する心で信心せよ』のみ教えを思い起こし、また足が自然と教会に向かうという毎日の繰り返しだったそうです。

そうしますと、1月9日に「店舗を見たい」と連絡が入り、その方にお店を気に入ってもらえ、家主さんとの家賃交渉で少し難航されたものの、1月16日には無事契約のおかげを頂かれたのです。中筋氏と家主さんとの契約終了の1週間前におかげを頂かれたのでした。

その後、中筋氏は調理師免許の生かせるお仕事に再就職のおかげを頂かれ、奥さんも就職し、息子さんは結婚してお孫さんも誕生させて頂かれ、家族中が有難いおかげを頂かれたのでした。

★「金光様、金光様」とおすがりをしながらさせて頂く中に、ご都合お繰り合わせを頂けるのです。今日一日、今日一日のおかげを頂かねばなりませんから『今月今日で頼め』ということは実に大切なことなのです。それが、何十年も立ち行くおかげに繋がってゆくのです。
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2017年06月08日

●み教えを頂いて、性根を直す

あるご信者は、上司から残業をお願いされますと、現在は断らないことを心がけておられるそうです。信心の行き届いていなかった時は、「給料は安いし、責任は任せられるし、色々要求されることは多いし…」と自分中心の考えで、残業も断っておられたそうですが、近頃は「私のようなまだまだ技術の未熟な者に声を掛けられるということは、よほど困っておられるんだなあ」と思えるようになり、「有難うございます。私で良ければさせて頂きます」と答えられるようになったということです。

★自分のことより周囲のことを思えるということは、一段一段ご信心が向上しているということですね。自分のことしか思えない時は、人を押しのけてでも自分の都合を先に立ててしまうものですが、そんな生き方をしていては、心が狭く貧しくなり、神様からも人からも用いられなくなってしまいます。ですから、性根を直して頂くということは実に大切で有難いことなのです。

★病気をすれば「治りますように」とお願いしますが、その病気を本当に治して頂く為には、性根を直して頂かねばならないのです。性根を直して頂かなければ、一時的に治ったように見えても、また再発してしまうのです。ですから、日参と聴教に励み、何百回でも何千回でもみ教えを頂き直して、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『神も君も親も主もみな、思いは一つである。少しでも真心があれば、おかげをやろう。ちょっとでも忠義があれば高給をやろう。一日悪いことがあっても、一つ善いことがあったらほめてやろう。ちょっとでも勤め方がよければ、十円の月給でも十二円にしてやろう、という思し召しであるのに、自分から努力しないで、ついに月給の不足を言い立て、ただ取りをして、ついにはしくじってしまう。』

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2017年06月07日

●上半期締めくくりの信心

6月は、上半期締めくくりの大切な月です。後始末とは、お礼の信心だと教えて頂いておりますように、日々おかげを頂いているお礼、お世話になっていることへのお礼を行き届いてさせて頂けるよう、次のことを特に心掛けて、ご信心を進めさせて頂きたいと思います。

1)今日出来ることを明日に延ばさない・・・するべきことをきちっと計画立てて、今日出来ることは、今日するべきこととしてさせて頂く。先延ばしにしないよう心配りが出来ていると、突発的に起こってきたことでも間に合うように対応することが出来、良いチャンスも逃さずつかませて頂くことが出来るのです。もちろん金銭の支払いも先延ばしにしないように、また遅れないように心がけましょう。

2)何事も好きなことをするつもりで喜んでさせて頂く・・・好きなことをする時には、体の奥底から力がみなぎり、どれだけやっても疲れを覚えず、時間も忘れてうちむことが出来ますね。そのようにして、自分が日々なすべきことに打ち込んでさせて頂けるよう、家業を行として、取り組ませて頂きましょう。

3)お金、時間、ものを無駄にしない・・・全てのものを生かして使わせて頂く稽古をする。伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)は、「釘の一本も、木切れ一つも、糸くずの一本も、元はすべて天地の賜り物ですよ」と、教えて下さっておられます。天地の賜り物を頂いている自覚を新たにして、身の回りの全てのものの扱い方を改めさせて頂きましょう。

★一回でも多くお広前に足を運ばせて頂てみ教えを頂き、迷わず一心に、信心の稽古に励ませて頂きましょう。

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2017年06月06日

●毎日継続して続けるところに有難いものが生まれる

先日、あるお家でお宅祭がお仕えになられました。そのご家庭には、この4月に無事に高校へ進学され、水泳部に入部された学生さんがおられます。

その学生さんにお話を伺っておりますと、一日に平日で6000メートル以上も泳ぐということです。授業がない日は、午前中と午後と2回に分けて泳ぎ、その日は一日に1万2千メートルほども泳ぐそうです。

その学生さんが話されることには、泳がずにじっとしているほうが疲れを感じ、泳いでいる方が楽に感じるということですから、その神様から頂いておられる溢れ出てくるエネルギーというものを、改めて有難く感じさせて頂いたことでした。

★その様な結構な力も、毎日反復練習して継続して続けておられるからこそ、養えることだと思います。何事も毎日続けさせて頂くからこそ自信も付いてくるのですね。

「出来るからする、出来ないからしない」ということではありません。出来るか出来ないかは神様にお任せして、「どうぞさせて頂けます様に」と御祈念してさせて頂く事を続ける事が大切です。

★信心に於ても私達が毎日コツコツと続けさせて頂く事はどれ程大事なことかと分からせて頂きます。その様に心掛けておりますと、自ずと力が付いてきます。そこに「神様が一番良いようにして下さる」という信念を持って、続けてさせて頂いておりますと、自信が生まれてくるのです。

しかしその自信というものは、稽古することをやめてしまうと、すぐに失われてしまいます。しかし改まった心持ちで、また一生懸命させて頂きましたら、有難いことに信心が身に付いて離れないようになってくるのです。「細くても長く続く信心」と教えて頂いておりますが、どれ程大事なことであるかなあと思わせて頂きます。


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2017年06月05日

●起きてきたこと全てをご修行にさせてもらう

『信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり』

★私達は、神様のご慈愛に包まれて守って頂いて、生かして頂いているのです。有難いことに神様にご辛抱頂きお許しを頂いての日々でありますから、今度は様々な出来事や人に対して辛抱させて頂く、それも有難く辛抱させて頂くということが、神様に対してのせめてもの御礼と御詫びだと思わせて頂きます。

★先日もあるご信者が「孫が反抗期で大変です。親も一緒になって口喧嘩してるようなやり取りを聞いておりますと、心が痛みます」と仰っておられました。そこで「皆、そういう中を通ってきて親に辛抱して頂いてきたのです。あるいはそういう中を通らねば一人前の大人になれないのです。反抗期があって通常のことですから、順調に成長させて頂いているということですね。反抗期があるのがおかげですよ。精神的に大人になる為に必要なことですから、親も子も共に成長させて頂くおかげを頂かねばなりませんよ」とお話しさせて頂いたことでした。

★親も長期に亘ってしっかりとお願いさせて頂かなければなりませんね。「こんなことやったら、産まなければよかった!」なんて、つまらないことを口にしてしまっては、その一言が子供を正しい道から外してしまうということになってしまうのです。そうしたことを一切言わないというのも大切なご修行ですね。

★心が乱れてしまいましたら、正しいことが正しいと分からなくなってしまうこともあります。そして、頂いてきたおかげや、積み上げてきたお徳を崩してしまうような間違いをしてしまうことがあるのです。ですから、『一生がご修行』なのです。

ご修行と言えば特別なことのように思いますが、毎日の生活の中に出来てくること全てをご修行にさせて頂くのです。我が力でするとは思わずに、何事も「金光様」と御祈念させて頂き、起きてきたこと全てを、徳と力を大きくさせて頂ける有難い信心の材料にさせて頂けるおかげを頂きましょう。
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2017年06月04日

●親切丁寧を心がける生き方

あるご信者は、いつも周囲におられる方々の助かりを祈ることが身に付いておられ、京都から電車で参拝なさるその車中でも、一緒に乗り合わせた方々のことを祈っておられました。時には、何か辛そうな様子の方に自ら話しかけたり、『あなたは毎日どこに行っておられるのですか?』と、知らぬ相手から話しかけられることもあられたそうです。そんな時には必ず、ご自身がおかげを頂いてこられたことを親切丁寧にお話しなさり、相手の身になって御祈念をなさり、お届けをなさっておられるうちに先方が大変有難く思われて一緒に参拝が出来られるようになることもあったのでした。

★そうした、親切丁寧なご姿勢は、お商売なさる時でも、御家庭でも変わることがなく、お孫さんのお嫁さん方にも、「おばあちゃんのお話を聞かせて頂きたい」と、寄って来られ、信心相続のおかげを頂いておられます。「この有り難いご信心を、自分のところで留めてしまってはもったいない。難儀の中から救われておかげを頂いたことをお話しさせて頂いて、一人でも多くの人に、自分と同じように助かって頂きたい」という一心から、そのような有り難い助かりの輪が広がっておられるのです。

★人の助かりを祈らせて頂き、親切丁寧を尽くさせて頂いておりますと、いつしか相手の神心に通じていきます。そして、相手からも祈って頂けるような、有りがたい関係が生まれていくのです。また物でも、拝んで丁寧に使わせて頂いておりますと、物に不自由しないお徳を頂くことが出来、必要な物が身に付いて離れないようにならせて頂けるのですよ。

★『真の信心する人を見よ。慈悲深くするゆえ、おかげで無病息災、諸事よきこと子孫へ続く。信心する人は慈悲深くして、真の信心をするがよい』

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2017年06月03日

●細くても長く続く信心を

長年にわたって信心を続けておられる熱心なお方で、90才を越えられたご信者が、先日腸の腫瘍を内視鏡で取って頂かれたのですが、手術して下さったお医者さんが「よくこんなに綺麗に上手く取れましたね」と感動なさるほどのおかげを頂かれたそうです。

もしも腸壁に深く腫瘍が入り込んでいたら、腸が破れて危ない状態になっておられたところが、ご信者の場合は思いのほか浅かったので綺麗に取って頂けたということです。さらに調べて頂きましたら、悪性の腫瘍であられたこと、転移の心配もないとのことだったのです。大変有難いおかげを頂かれ、ご信者は大変喜んでお礼のお届けをなさっておられました。

★そのご信者にご近所の方が「あなたはご信心なさっておられるから、いつも有難いおかげを頂かれますね。また、今回もお命を頂きましたね」と仰ったそうです。そして共にお参りをさせて頂きたいと仰ってこられる方々のお導きの御用にもお使い頂いておられます。

★『おごりがましいことをすな。ものは細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』とみ教え頂いておりますように、ご信心も長く続かねばなりません。

★私が御本部へ行かせて頂いていた時に、沙美の村というところに行く間、道が二通りあるということでした。1つは連れて行って頂いたので歩いたのですが、もう1つの道の地図を調べて行かせて頂こうと思いましたら、人が通りませんので夏草が生い茂って、分け入ることも出来ませんでした。

「『道に草を生やすようなことをすな』ということはこういうことなのだな」と実感させて頂いたことでした。人が通わなくなれば、そこには通うことが出来なくなってしまうほどの草が生えてしまうのです。そこから草を刈って再び通れるような道を作るとなると大変な労力もいります。ご信心の道もそういうことであると教えて下さっているのです。日々新たな心持ちで細くても長く続く信心を進めさせて頂くことが大切です。
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2017年06月02日

●責任を持たせ得て頂くことの有難さ

 旧広前の150坪のお土地は、元の地主さんが所有しておられた700坪のお土地の一部でした。この元の地主さんは、土地を切り売りする気があられなかったそうです。しかも、旧広前の150坪のお土地は、晴明通りに面した一番値打ちがあると思われる場所でした。二代教会長・伊藤コウ師は、初代教会長先生に、「お土地のことは、私に責任を持たせて下さい、交渉の上におかげを頂かせて下さい」とお願いなさり、一心の願いをもってご修行に励まれたのでした。

★コウ師は、「地主の方の心を変えて頂く為には、神様に変えて頂くしかない」との一心で、毎晩、お土地の前にひれ伏してご祈念を込められたのです。そうした日々が続くなか、遂に地主さんに願いが伝わり、「あなた方のお気持ちは分かりましたが、私にも相談したい方々があるので」と、近しい方々にそのお土地のことを相談なさったそうです。すると、相談を受けた方々がみな異口同音に、「教会の御用に使って頂くのであれば、こんな有り難いことはない」と、おっしゃったということで、教会にお土地を譲って頂けることになったのでした。また、後々には、残りの土地も全て教会で買わせて頂くことが出来るおかげを頂いたのです。

★願いを持たせて頂く時には、「何が何でもおかげを頂けますように!」の一心で願わせて頂くのです。そして、その願い成就の為に、精一杯の真を神様に向けさせて頂き、信心辛抱のお徳を積ませて頂くのです。「ならぬ辛抱するが辛抱」の覚悟を持って、起きてくること全てを生かし、何事も有り難いご修行として受け切らせて頂いておりますと、心が養われ、身に徳を頂いて、願いも成就させて頂けるのです。

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2017年06月01日

●締めくくりの月

6月は上半期の締めくくりの月です。

今日までの自分自身の信心を振り返り見て、今日までおかげを受けたことに十分にお礼を申すと共に、自分自身の信心のあり方を見直しさせて頂くことが大切です。

ご信心させて頂く上で、これまで受け続けたおかげに対してのお礼と、人間の生活を送る中で御無礼・不行届きなところのお詫びを申し上げる事が、天地の大祖神様に対しての慎みの心であり基本のところであると教えて下さっています。

さらに、こうありたいという自分自身の願いは、実意を以ってお願いさせて頂きますと、いくらでもおかげは授けて下さると教えて下さっています。しかし、おかげを頂いた後が大事で、しっかりとお礼のご信心をさせて頂くことが大切です。

そのようなお礼・お詫びを基本としたご信心を続けさせて頂いておりますと、また次のおかげを授けて下さる準備が出来、楽々とおかげを授けて下さるのです。

★反対におかげばかり頂いておりますのに、後のお礼やお詫びを申す事はせずに、「あれもしてほしい」「これもしてほしい」と自分の願いや聞いて頂きたいことばかりお願いしていても、それは御恩が分かっていない姿により一層なってしまいます。

自分自身がどういう生活をさせて頂いているか、どこが行き届いていないか、ということをしっかり分からせて頂いて、改まらせて頂くことが実意・丁寧に繋がるのです。お礼とお詫びを申し上げるということは日々改まるということです。

神様に心を向けてお礼を申しながら生活させて頂きますと、お礼を申すことが上手になり、喜び上手になっていくのです。不平不足ばかり言っていてはおかげになりません。

★このひと月間、お礼とお詫びを申す稽古をさせて頂き、上半期の締めくくりの月にふさわしいご信心に進ませて頂きましょう。

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