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2017年05月24日

●昨日を忘れ、おかげにさせて頂く

先日、あるご信者が「『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』というみ教えがありますが、昨日を忘れとはどういうことでしょうか?」とお伺いに来られました。そこで「それは過去をおかげにさせて頂くということです。」とお話しさせて頂いたことでした。

★過去のことは変えられませんが、「あんなことがあった、あんなことを言われた」等と悪いことに捉われないように、神様にお願いしてゆくということです。過去に起こったことが必要な経験であって、自身の本心を磨くためのことである。無駄なことは何一つない。全てにご神意が含まれている。信心を基にして苦難をおかげにさせて頂くのだという信念を頂いてゆくのです。

★あるご信者は、入信前はご主人の家業の失敗により苦労を抱えられ、ご主人のせいで辛い思いばかりさせられていると恨んでおられ、病気ばかりしておられました。しかし、入信なさって二代教会長先生より「病気を忘れて参拝しなさい。」とみ教えを頂かれ、縋る思いで日参と聴教に励まれますと、いつの間にか病気が全快しておられ、

さらには「主人が恩人である。主人のおかげでこのお道にお引寄せ頂いた。」と御礼を申せるようにまでなられたのでした。そして後半生は大変有難い結構な生活を送られ、90歳を過ぎられても一日4回日参され、子供、孫、玄孫さんのことを祈り続けられたのでした。

★『お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである』というみ教えの中の「雨の降られるのも…」というのは天候気象のことだけではありません。生きていく上での苦しい辛いこと等も表現して下さっているのです。

★「昨日を忘れ」というのは、過去のことは神様にお任せ申し上げて、今月今日の信心を一生懸命にさせて頂きなさいということです。そうしていけば過去一切が救われていくのだから、それを分かって信心をさせて頂けば過去から離れることが出来る。すなわち昨日を忘れることができるという意味なのです。

★全てが無駄ではなくおかげなのです。何かことが起きてからでないと、有難さが分からないというところが、人間のまだまだ至らない部分ではありますが、振り返らせて頂いて「あれもおかげであった、これもおかげであった」と思わせて頂けるよう、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成29年の「み教え」