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2017年05月19日

●一段一段引き上げて下さる信心 

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、生まれつきの約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

★「私はこのたびの仕事のことでお届けして、お願いして仕事をしたつもりですのに、仕事の上でうまくゆかなかったのです。どういうことでしょうか?」とお尋ねになった方がありました。皆さんはどう感じられるでしょうか?「させて頂いたつもりだったけれども、足らなかった所がたくさんあったんだなぁ。それを今回は神様が教えて下さったのだなぁ。お気付けを頂いたのだ。私は傲慢不遜であったなあ。」と思える人と、「私はすることはしたのに、何故こんな結果になったんだろう…」と考える人と、大きく分けて2種類の考え方に分かれることと思います。

★例えば、学校の定期試験を受ける際に、神様にお願いして勉強に励んだのに、試験の結果が思うような結果が得られなければ、それは自分自身の勉強の仕方が足らなかった証拠ですね。世の中には1回或いは2回見ただけで全て網羅して暗記できる人もおられるかもしれませんが、大抵は何十回も反復学習しなければ記憶が定着しないものです。

★「笛を一生懸命練習しましたが、なかなか音が合いません」なぜでしょうか?それは練習が足らないのです。1回しても2回しても出来なければ、百回でも二百回でももっともっと練習して鍛えると音が合う様になってくるのです。極めて分かりやすい話ですね。それを神様のせいにしたり、人のせいにするなど責任を転嫁しては結構になってゆきません。それは信心が足らない証拠で、稽古も足らなければ、鍛え方も足らないのです。

様々な問題が起こってきた時に、「これはまだまだ私の信心が足らないのだ。行き届かない所があるのだ。御礼の仕方も行き届いていない。お詫びの仕方も行き届いていない。お願いの仕方も行き届いていない。真心も足りない。そこで神様が、幼稚園の信心から小学校1年生、2年生、3年生と言うように一段一段引き上げて下さるのだ」と思い、「今からもう一段向上させて頂こう!」と練り上げていくことが大切です。
それは10年信心させて頂いても、20年信心させて頂いても同様で、油断なくお願いし続け、生涯掛けて向上させて頂くおかげを頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:00 | 平成29年の「み教え」