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2017年03月31日

●生命を繋いで頂いての今日

 年度の締めくくりの3月も無事に最終日を迎えさせて頂き、この1年間おかげを頂いて参りましたお礼をしっかりと申し上げましょう。4月は新年度を迎え、進級・進学の有難い月です。社会人であれば異動があり、この新年度に新しく環境が変わられる方もあられますが、それぞれに新たな心持ちで今日までおかげを頂いて参りましたお礼の信心を進めさせて頂きましょう。

★三代教会長先生は、戦時中、三度もない生命を助けて頂かれ、無事に帰還されました。三代教会長先生の生命を助けて頂いたからこそ、私含め子供4人が生まれ、今日子孫が生命を繋いで頂いています。私自身も乗るはずでありました飛行機を、予定を変更して頂いて乗らずに生命を助けて頂きました。私が生命を助けて頂いておらなければ、妻も娘も存在しません。また今日御用にお使い頂く事も出来ておらなかったところです。そうした、生命を助けて頂いてきた連続の中に、今日一日を与えて頂いているのです。そう考えますと、どれ程御礼を申しても足りません。

★ご信心させて頂いておられる信奉者は、どなたもそれぞれにおかげを頂かれた体験が各自にあられると思います。それは、親、ご先祖の信心のお徳によって、おかげの船に乗せて頂き、子孫が生命を頂き、おかげを頂いているのです。また、平穏無事な毎日は、知らず知らずのうちに、神様が全てにご都合お繰り合わせを付けて下さり、広大なおかげを頂き続けている日々の連続のことなのです。一日一日新しい生命を頂き、結構なおかげの中に新しい日を与えて頂いているお互いです。それを自覚し、喜びとお礼の心に満ちた日々を積み重ねさせて頂きたいと思います。

★『年が寄る程位がつく』とみ教え頂いておりますが、「真のご信心をさせて頂ますように」「一段と向上させて頂けますように」と日々お願いさせて頂きましょう。信心させて頂いておりましたら、お礼を申して、喜んで生活をさせて頂くということが上達させて頂きます。どんな時にも、どんな事も明るく有難く受け切ってゆくことが、人間の徳性を引き出し、磨いてゆくのです。与えて頂いた環境を喜び、仕事を喜び、一年一年、有難くなる信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年03月30日

●氏子が神の用をすれば、神は氏子の用をしてやる

 先日も嬉しく有難い御礼のお届けがありました。この度、薬学部を受験なさっておられた学生さんが、第一志望の薬科大学には補欠の合格で12番目であったそうですが、先日無事に繰り上げ合格のおかげを頂かれたのです。その学生さんは、お琴の御用を頂いておられ、学校の定期テストがあろうが、模試があろうが、変わらずに御用にお使い頂いておられるのです。御本部参拝も同様に、何があっても欠かさずに毎月続けておられます。それは「今までおかげを頂いているお礼に、何としてでも御用にお使い頂けますように。御本部参拝させて頂けます様に」と自ら神様とお約束なさって、真心をお供えなさっているのです。その結果、ここぞ!と言う時にすっすっとおかげを頂かれるのです。

★先へ先へおかげを頂いているお礼のつもりで、御用にお使い頂いておりますと、神様は「そうか、そうか、それならあれもしてあげよう、これもしてあげよう」と、また先へ先へ有難いおかげを授けて下さるのです。するとまた本人も、「こんな至らない私ですのに、ここまでおかげを授けて下さり有難うございます。何としてでもお礼の働きが出来ますように。お礼の御用にお使い頂けます様に」と有難い心持ちで御用にお使い頂きますと、物事が良い方へ良い方へ循環してゆくのです。

★私達も夫々に純真に神様に心を向けて、一心におすがりさせて頂き、「新気・根気・御礼の働き」を中心にして御恩に報いる生き方に努めさせて頂きましょう。

★『今まで、長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けて有難いこととその二つを忘れるな。その二つを忘れさえしなければ、病気は二度と起こらない。これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時の事を思い出して神に頼んであげよ。自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていれば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。』

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2017年03月29日

●自分に必要な経験をさせて下さる

自分の周囲に与えて頂いている問題(環境・家庭・仕事・人間関係)は全て自分に必要なことばかりです。不必要なものは何一つありません。神様から頂いている諸問題を「楽は望まぬ、苦労は覚悟、苦労しがいのある苦労をさせて下さい」と有難く拝ませて頂きたいものです。

★以前、あるご信者が「利益の少ない取引先の方が、とても偉そうな態度を取ってくるのです。あの取引先の仕事をこちらから断ってもよろしいですか?」とお届けに来られました。そこで「こちらから断ることはしないようにしましょう。

神様がその得意先を通して、仕事の勉強をさせて下さっているのです。その取引先はあなたの砥石のようなものなのです。もし向こうから断ってきても、売り言葉に買い言葉にはならないように『そうですか、またどうぞよろしくお願いいたします』と丁寧に言うようにしましょう」とお話をさせて頂きました。

そうしますと、取引先から「他のところへ頼むから」と断って来られたそうです。ご信者はみ教え通りに「そうですか、またどうぞよろしくお願いいたします」と答えられたそうで、そのことを聞かせて頂いて「またその仕事は戻ってきますよ」とお話しさせて頂いておりました。

★すると、何か月か後にその取引先から丁寧な電話がかかってきたそうです。安い所へ出したら、何度も訂正しなくてはならなくなり、二度手間三度手間がひどかったそうで、「やっぱりあなたのところでして頂きたい。支払いはあなたの見積もり通りにさせて頂くから、どうぞよろしくお願いします」と依頼がきたのです。

★「こんなことやってられるか・・・」と思ってしまいますが、そういったことがおかげの元なのです。自分を鍛えて頂くためのものですから、嫌がっていては自分の成長を止めることになってしまいます。本当は有難いことなのにその有難い事が分からないまま、愚痴不足ばかり言う自分で終わってしまいます。

★信心が進みますと、今までは「なぜこんなに嫌なことばかり起こってくるのか?」と思っていた人が、「なぜこんなに有難いことばかり起こってくるのか?」というように思わせて頂けるまでに変わってくるのです。そのように有難いことに目が向いてお礼が言える信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

★『やれ痛やという心でありがたし、今みかげをという心になれよ』
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2017年03月28日

●舵を取るのは己の心

 人間が退化する因(ノーベル生理学・医学賞受賞 アレキシス・カレル
1)飲食をむさぼる。
2)他を誹謗中傷し、嘘をつく。
3)二心を抱く。信頼を裏切る。
4)つじつまの合わないことを強引に言いくるめようとする。
5)口先上手で、余計な事ばかり話す。
6)享楽にふける。
7)愚にもつかない放送を見たり聞いたりする。

★自らを退化させてしまう生き方を積み重ねてしまうということは、実に恐ろしいことですね。楽を望み、責任から逃れようとし、享楽にふけっていると、段々と徳を失ってしまいます。そして、人の悪いところ、物事の悪いところばかりが見えてしまい、あるいは悪い事を口に出してしまうようになり、悪い方へと自ら舵をとってしまうのです。

★自らを振り返ってみて、神様に与えて頂いている手、足、目、耳、口の使い方は、神様の御心にかなっているでしょうか?皆、自分の出来ていないことには目が向きにくく、反対に、人の出来ていないことはよく見えてしまい易いものです。人には寛大に、自分には厳しく、与えて頂いている仕事や役目を責任を持って全うさせて頂けるようにならせて頂きたいと思います。

★自分に甘く、人に厳しくなってしまっている自分の至らなさに気が付くことが、信心を進める大事な出発点となるのです。御大祭に向けて、改めて自分のあり様を見直し、ご修行に励ませて頂きたいと思います。
『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』

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2017年03月27日

●神様を杖に無理のない生き方を

大正15年、阿倍野教会広前建築に取り掛かろうとする直前に、初代教会長・伊藤徳次師がお国替えされました。その徳次師の10日祭をお仕えさせて頂く日に、建築に携わっていた方全員が、教会長夫人・伊藤コウ師に対して、建築委員総辞職という連判状を提出なさったのでした。その巻紙には連名で、「役目を退かせて頂きます」と書かれてあり、皆が「肝心要の先生が亡くなられたのであるから、もう教会を建てる必要なし」という意見になってしまったのです。そこでその連判状を受け取られたコウ師は、「人を頼りにせず、神様を頼りにしなさい」との御神意と悟られ、人に頼る心を一切お取り払い頂けるように、神様を杖になさって、その連判状をご神殿にお供えして御礼を申されたのでした。それから、「どうぞ借金無しで建てさせて頂けますように」とお願いなさって、ご建築に取り掛かられたのです。

★ある時、伊藤ハル氏(コウ師のご母堂)の信心友達であられます竹本駒蔵師は、建築費の7割程の現金を「無期限・無利子ですから、遠慮なく使いなさい」とお持ち下さいましたが、コウ師は丁寧にお断りになられました。「恩借やご信者の分担金、銀行借入金なしで信奉者一同の真心からのお供えでおかげを頂きたい」と願われたのです。そしてついに昭和2年11月11日、開教5年の記念大祭と新築落成の祝祭を盛大に奉行させて頂くことが出来られたのでした。

★苦しい時、辛い時も「初代教会長先生のご遺志を何としても受け継がせて頂きたい」という願いを曲げずに、諦めずに願い続けられましたことは大変尊い有難いことです。私達も初代教会長先生からの願いを受け継ぎ、大切なことを次の代、次の代へと変わらずに受け継がせて頂きたいと願わせて頂いております。
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2017年03月26日

●相手を立てる心におかげあり

 先日あるご婦人が、「主人と話をしております時に息子の嫁の話題になりましたら、『もう少しああもしてくれたら良いのに、こうもしてくれたら良いのに・・・』と、私の愚痴不足の話が多くなっておりますことは、申し訳ないことです。」と、お詫びのお届けがありました。そこで、「息子さんが可愛いのは分かりますが、お嫁さんは息子さんの身の回りのお世話をして下さり、子供を産み育ててくださっています。あなたが可愛くて仕方がないお孫さんを夜も昼も世話をして下さっているのです。お嫁さんの良いところを『こんなところが素晴らしい。あんなところが有り難い』とご主人にお話しさせて頂いて、しっかり喜ばせて頂きましょう。そうさせて頂いていると、お礼の気持ちが自然とお嫁さんにも伝わり、息子さんも喜ばれ、家庭が円満に治まっていくのです。そして、いざ何か事が起きてきた時にも家族の心が一つに揃い、問題を乗り越えさせて頂くことが出来るのですよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★せっかく結婚をさせて頂き、また子宝を授かったとしても、自分自身にそれだけの心の準備が出来ていないと、「こんな夫(妻)は嫌だ」「こんな子供を育てるのは無理だ」というように、おかげを頂いている中にありながら、不足ばかりを生み出してしまいます。

★また、自分の気持ちや都合を先に立てていると、心が狭くなり、いつも苛立ち、結果的に幸せから遠のいていくことになるのです。常に相手を立てる心持ちであれば、自分の心も穏やかになり、周囲の人をも喜ばせるようにならせて頂けます。日々の生活の中で、良いことを見つけ、どんな時にもお礼を申す稽古をさせて頂いて、おかげを頂く受けものをしっかり心に作らせて頂きましょう。

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2017年03月25日

●神様を目当てに信心させて頂く

10年以上も前のことになりますが、何度も圧迫骨折をなさっておられるご信者が、ある方に「○○の機械で治療して頂いたら良くなりますよ」と勧められたので、お結界に「○○の機械を勧められたのですが、どうさせて頂いたらよろしいでしょうか」とお伺いに来られたことがありました。

「そんなことをする必要はありませんよ。あなたが今までなさってこられたように、御神酒をつけさせて頂いて、日にち薬のつもりで養生をさせて頂いたらよろしいですよ」とお話しさせて頂きました。そのご信者は素直に「そのようにしておかげを頂きます」とお帰りになりました。現在も90才を越えて元気におかげを頂いておられます。

★勧めた方は「親切で勧めたのに」と思われるかもしれませんが、お結界という場所は神様のみ教えを頂いて帰るところです。

『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ』とみ教え頂いておりますように、

しっかりとみ教えを頂いて帰りましたら、おかげになりますが、頂かずに帰りましたら、おかげになりません。素直に頂けないということは我を放せないということです。我を放せないということは我が強いということであり、我が強いということは、受け物が漏れてしまうのです。

★それぞれにおかげを頂いてきた道があり、これからおかげを頂いていく道があるのです。そしてこれまで進めてきた信心の中身や、積んできたお徳があられます。それは各々によって違うのです。信心の程度は人それぞれに違いますから、人を見て信心させて頂くのではなく、自分自身を戒め、神様を見て信心をさせて頂かねばなりません。

★私達は、日々「明き・清き・直き」心を育てさせて頂く事が大切ですね。○明き…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。○ 清き…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。○直き…心を空にして、み教えを心から有難く頂き、素直に実行させて頂く。
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2017年03月24日

●心得違いに気付き、改まる有難さ

ある家庭で、高校生である息子さんの家庭内暴力や暴言がひどく、両親が大層悩んでおられました。そこでお導き頂かれ、お参りなさるようになられ、二代教会長伊藤コウ師にお届けされました。すると、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれたのでした。

★しかし、これまでお父さんは「自分が働いて息子をここまで育ててきた。」という思いや、「真面目に働いて育ててきたのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか」という感情の方が先に立つ為、なかなか息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこで、お父さんは日参され、毎日「どうぞこの息子を心の底から拝めますように。」とお届けしてお願いなさる稽古をされたのでした。毎日み教えを頂かれるうちに、段々と自分自身の根本的な考え方が間違っていたということに気付かれたのです。今まで自分の家庭、自分の子供と思い、神様から授けて頂いた家庭・子宝、という尊い考え方ではなかったという事に気付かれ、改まってゆかれたのです。

★しかし、息子さんを目の前にすると、神様だと思って心の底から拝む事がなかなか出来られません。そこを繰り返し繰り返し年月をかけて、神様におすがりして拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていったのです。さらにその息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、ついにはその子供を連れて教会へお参りしてくれるようになられたのでした。

★そのお父さんは晩年に「私は、おかげだけは人一倍頂いております。今息子は親の事を祈ってくれるようになりました。勿体ないことでありますが、私はまだ本当に心から息子のことを拝むことが出来ません。どうぞお許し下さい。」とお礼とお詫びを申され、入信の初めに頂かれたみ教えを、生涯かけて素直にまた謙虚に守り通されたのでした。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為(しわざ)ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。』

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2017年03月23日

●不自由を行とする

 以前、あるご信者が「まだ自分の思うようにおかげが頂けないということは、私の信心が足りていないからでしょうね。」とお届けなさいました。すると、三代教会長先生は「世の中に、信心が足りているという人があるでしょうか?そんな人は誰一人いないでしょう。教祖様でこそ『凡夫の身でありますから、どこにどのようなご無礼があるやら分かりません。』と自らを戒めておられるのです。天地の親神様、御霊様、親様、国家社会、人様にお世話になることの方が多いのですから、足らないというのは当然です。まだまだ自分の信心が足りないと思ってご修行に精励させて頂いてこそ、そこに有難いご庇礼を蒙ることが出来るのです。」とみ教え下さいました。

★不自由なこと、辛抱せねばならない事、思うようにならない事があるのは、実は有難いことなのです。なぜなら、そこからまた一段と信心を進めさせて頂き、自分自身を成長させて頂けるからです。辛いことをじっと自分の所で抱えているから苦しいのです。その苦難を全て神様にお預けしてお願いに変えさせて頂きましょう。見ること、聞くこと全てをお願いに変えさせて頂いて、不自由を行とさせて頂くのです。

★例えば、会社の上司が癇癪持ちの方で、いつも心が荒んでおられるのなら、その姿を見る度に、その方の助かりと立ち行きをお願いさせて頂くのです。ある学生さんは、学校で大層可哀そうな身の上の友達がおられ、「どうぞあの子が助かりますように」といつもお届けでお願いなさっています。自分がお願いしたところで、大した事は出来ないと思わずに目の前に人のことを願わせて頂きますと、その温かい心が周囲に伝播してゆきます。そして、周囲の方々が協力して下さり、その方が助かる道が開けてくるのです。その「気の毒だ、可哀そうに」と思う心が神心です。その神心を現し続けて下さったのが、教祖様です。教祖様のご信心を万分の一でも習わせて頂けますよう、まだまだ足らないという謙虚な心で、信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年03月22日

●死生の安心

 初代教会長先生が御在世中のことです。あるお宅が入信前に娘さんを亡くされて、奥様が頭を病んで何も出来なくなってしまわれました。そんな奥様を見られたご近所の方が「娘さんの霊が奥様に取りついて悩ましている」という考え違いも甚だしい言葉をかけてしまったところ、あろうことかご主人が感化されてしまい、激情にかられて、「手塩にかけて育てた娘が、母親に取り付くとはどういうことか!」と娘さんのお骨をかなづちで砕いて、近くの池へ投げ入れてしまわれたのです。奥様の状態はますます悪くなられましたが、お隣に住んでおられたご信者にお導き頂かれ、熱心に信心を進められたところ、有難いことに全快のおかげを頂かれました。

★娘さんが亡くなって1年後、東京に行かれていた息子さんが、肺結核と腸結核を併発して大阪に帰って来られましたが、日に日に悪くなりお医者さんにも見放され、奥様は「せめて死生の安心を頂きたい」とご主人をお導きなさいました。高熱を出されて御用が出来られない初代教会長先生に代わって二代教会長先生がそのお宅の帰教式に向かわれました。

★しかし家に到着した途端、お医者さんが出てこられ帰って行かれました。家に入りますと、奥様が「たった今息子が息を引き取りました」と言われたのです。二代教会長先生は御神前で神様に事の次第を申し上げ、「生きている間に死生の安心を頂きたいということでありましたのに、亡くなられてからでは私の役目は果たせません。何としてでも御用にお使い頂かねばなりません。どうぞ、息子さんが息を吹き返しますように」とお願いなさいましたら、何と有難いことに息子さんは息を吹き返されたのです。

★帰教式をお仕えになられた後、一旦、息子さんは食事を頂けるまでに回復され、1週間以上命を延ばして頂かれ「先立つ不孝をお許し下さい。私はこれまで両親の愛情によって育まれました。これから御霊となって両親のことを守らせて頂きますから」とご両親に挨拶をしてからお国替えされたのでした。

★日々、正しく教えを頂きませんと、考え違いを起こしてしまい易いのが人間です。考えが間違っては恐ろしいことになってしまいます。天地の道理にかなった正しいみ教えを頂いて、毎日の生活が大きく間違わないようにさせて頂きましたら、過去の御霊様も自分自身も助からせて頂くことが出来ます。力を揃えて御霊様と共にご信心をさせて頂きましたら、過去も現在も未来も助からせて頂くことが出来ます。そういった有難いおかげを頂かせて頂きましょう。

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2017年03月21日

●常に神様・御霊様と共に

昨日は春季霊祭をお仕え申し上げることが出来、共々に霊様にお礼申させて頂けましたことは、真に有り難いことでございます。

★三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。その碑には聯隊長のお詠みになった歌が刻んでありました。

○「砲声の 谺(こだま)するなる月今宵(つきこよひ) サマット山に君をしぞ思ふ」

★桂岡正三氏は、フィリピンで戦死なさったのでした。同じように訓練を受け、戦場に出征なさり、大変親しくなさっておられた方であられたそうです。それからは、その方のお墓も毎回拝んでおられたのです。

★するとある日突然に、その方のご遺族から教会に、「50年祭を仕えて頂けますか」とお電話があったのです。教会にご縁があられたご家庭ではありません。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが御霊様に届き、御霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。

★御霊様方は、私達のことを日々御祈り添え下さり、付きについてお守り下さっておられます。そうした有難いお働きかけがあって、大難を小難に小難を無難に、また大病を小病に小病を無病におまつりかえ頂くおかげを蒙らせて頂けるのです。亡くなったらそれで終わりではないのです。御霊様も生き生きとお働き下さいます。

★そして私達は『世に勢信心という事を言うが、ひとりで持ち上がらん石でも大勢かけ声で一度に力を揃えれば持ち上がる。バラバラでは持ち上がらんぞ。家内中勢を揃えた信心をせよ』と家中が勢信心をさせて頂くことの有難さを教えて頂いております。

それは、生きている家族だけではなく、亡くなった御霊様方も共に力を合わせて下さって、共に持ち上げて下さるのです。そういう有難いお道なのです。自分の足らない部分を神様・御霊様が足して下さり、力以上のことをさせて下さるのです。ですから、何事も自分一人でするという考えは捨てて、常に神様・御霊様と共に生活をさせて頂きましょう。
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2017年03月20日

●過去・現在・未来の助かり

 本日午後2時より、春季霊祭をお仕え申し上げます。ご先祖様、御霊様方に日々お守り頂いているお礼を申し上げ、一層のご霊徳とご安心を頂かれるよう、生神金光大神様のお取次を頂いて、共々にお願いさせて頂きたいと思います。

★生神金光大神様のお取次のおかげで、徳も力も足りない私たちの至らないところを足して頂き、御礼もお詫びもお願いも、天地の親神様に届けて頂けることは、どれ程有り難いことか分かりません。そして、み教えを頂くことによって、心の眼が開け、耳が開け、ご神徳に満ちた世界に住まわせて頂けるようになるのです。

★親神様は、天地全体のことを見抜き見通しておられ、全ての人が助かり立ち行くことを、ご慈愛に満ちた心で願い続けて下さっておられます。それに比べて人間は、物事の表面しか見ることが出来ないので、簡単に物事の善悪を決めてしまい易い危うさがあります。ですから、たとえ人から相談を持ちかけられても、安易に「それはあなたが正しい。間違っているのはあの人ですね・・・」などと、同調して発言することは、助かりにつながりません。「あちらも助かるように、こちらも助かるように皆が助かるようにお願いさせて頂きましょう」と、伝えさせて頂き、共に神様にお願いさせて頂くのです。見ること聞くこと全てをお願いに変えさせて頂くことによって、何もかも「ここから」おかげを頂くことが出来るのです。過去のご先祖様から、現在、未来の子孫に至るまで助かるご神徳を蒙らせて頂けますよう、何事も生神金光大神様のお取次ぎを頂かせて頂きたいと思います。


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2017年03月19日

●一心に準備もお願いもさせて頂く

 二代教会長伊藤コウ師のご母堂、ハル刀自は、コウ師に師範学校へ入ってもらいたいと強い祈りを込めておられました。しかし、コウ師は、「どうあっても女学校へ入りたい!」と思われ、ハル刀自のお言葉を振り切り、清水谷高等女学校へ受験の願書を提出されました。受験当日、コウ師は試験会場の門前で受験票を忘れて来たことに気付かれ、急いで帰り、受験票を持って引き返された時には数学の時間は余すところ僅かとなっており、満足な解答が出来ず、不合格となられたのでした。

★そのことについてハル刀自は、「おかげや!おかげや!」とずっと仰っていました。それこそ神様のお繰合せであり、ハル刀自の受けられ方は、ただ有り難いの一心であったからです。 翌年コウ師は師範学校を受験され、合格されました。そしてコウ師は四年間一日の欠席もなく、優秀な成績で卒業なされたのでした。コウ師はハル刀自やお姉さん達から、信心をもって、どのような結果も有難く受け切ることを実践しておられる姿を見せて頂かれ、「出来てくる事は皆おかげである」という深い意味を教えて頂かれたのです。

★先日から公立の高校、大学の合否の結果が次々と発表されております。合否にかかわらず、受験というものを通して、一回りも二回りも家内中の信心が向上していくおかげを頂かれるように、お願いしていかねばなりません。合格を頂かれたご信者の中に、私立高校を受験せずに、府立高校の総合学科を専願で受験なさった方がおられます。覚悟を決めて緊張感に満ちた受験をなさったのだと思います。この家庭は首尾一貫なさっておられ、お姉さんも府立高校を専願で受験なさいました。「計画的な勉強を進めさせて頂く」ことは勿論ですが、「自分自身の学力に見合った学校を選ばせて頂く」、「当日健康の上にもおかげを頂く」、「心が安定して受験に臨ませて頂く」、「実力を十二分に発揮させて頂く」など、いろいろな面で全てにおかげを頂いていかねばなりませんね。本当に一心になられて、準備もお願いも行き届いてさせて頂かれたのだと思います。出来てくることを通して、家内中一心になって信心を向上させて頂けるおかげを蒙って参りましょう。

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2017年03月18日

●自分の心次第でおかげは頂ける

 あるご婦人は、ご主人が信心をなさっていたのですが、ご自身はお参りをしておられませんでした。二代教会長伊藤コウ師は、そのご主人に「何が何でも奥さんにお参りしてもらっておかげを頂いてもらいなさい。」とみ教えを下さいました。

★そのご婦人は紫斑病で、足が紫色になったりあざが出来たりして毎年のように寝込んでおられました。ですからご主人は奥様を養生のため実家に帰され、その間一人で苦労しておられたのです。コウ師は、そのご婦人に「もういい加減、大人になられたらどうですか。いつまで親に甘えるつもりですか。嫁に出した娘が毎年病気で家に帰ってきたら、親はどれほど心配するでしょうか。養生しに実家へ帰って、毎年治ったつもりでいますが、根性が直っていないから同じように再発するのです。実家へ帰って養生するのを止めて、神様にお参りしてその根性を直してもらいなさい。でなければ、病気は一生治りません。」と厳しくみ教えを下さいました。

★その後、今度はご主人が病気で倒れてしまわれました。しかし、奥様が10年間ほどもお参りされていましたから、ご主人のいない間、お店を切り盛りし、ご主人の看病をされて、治療費を払っても、それでもお金が残るようなおかげを頂かれました。そして、一日中忙しく働きまわっていても、紫斑病が出なくなるという大みかげを頂かれたのです。

★商売はどんどん立ち行き、隣地も購入させて頂き拡張のおかげを頂かれました。おかげを頂きますと、その分信心が進ませて頂かねばならないのですが、そのご婦人は、信心が緩んでしまわれました。その度に、紫斑病が再発し、神様からお気付けを頂かれました。コウ師は粘り強くみ教えを下さり、ご家族中で改まって行かれました。そのご婦人は、現在は90歳に近くなられ長寿のおかげを頂かれ、有難い老後を過ごしておられます。自分の心次第で、体も健康のおかげが頂けるのです。そして家老としての徳と力を頂く為の信心は、一家の中でとても重要な働きを生み出すのですね。

★婦人の五徳
(1)平素、人と競争せず。(2)苦難の時に恨み事を言わず。(3)飲食を節する。(4)感情をむき出しにしない。(5)よく尊敬する。

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2017年03月17日

●心の器を大きくしていく

 先日、ある鉄工所の新しい機械を据え付けられたことの奉告祭を仕えさせて頂きました。この新しい機械は世界でも数少なく、日本に唯一のものだそうです。こちらの鉄工所は日本で冠たる重工業の企業と仕事をなさっています。

★このような会社になられた一番の元は、ずっと以前に社長であるご主人が亡くなった後を、奥様が信心を基にして継がれたことにあります。奥様は仕事に関する知識が無かったため「もう会社を閉めようか。」と思っておられたところ、勤めておられる職人さん達から「どうぞ奥さんが跡を継いで下さい。私達が会社を支えさせて頂きますから、奥さんは何もお分かりにならなくて結構ですから社長になって下さい。」と支えて頂かれたのです。奥様は「仕事の中身は職人さん達にお任せして、会社全体、工場全体、職員全体のことを神様にお願いさせて頂くことが自分の役目だ。」と社長の役職を引き受けられ、神様からお徳を頂くことに一生懸命に努められました。そして、ご信心を基にして会社を経営なさり、また、家族が中心になって会社を盛り立てていかれたのでした。こうして代々ご信心を基にして、ご信心のお徳を以て会社全体のことをまとめさせて頂かれ、だんだんと会社は拡充されるおかげを頂かれております。

★この奥様は有難いお徳を頂かれたお方で、社内で何か揉め事があっても奥様が出て来られて「皆さんよろしくお願いします。」と一言おっしゃると揉め事がすぐに収まったそうです。どんな時代にも諦めずに願い続けていくこと、おかげを頂ける心の器を大きくしていくということが大切です。心の器が大きくなっていくと「この人でないといけない!」と言って頂ける秀でた存在になっていき、どこに行っても信用して頂けるようになります。神様に信用して頂けるようになりますと人からも信用して頂けるようになるのです。心の器を大きくするために、与えられた艱難辛苦を有り難く頂き、辛抱して乗り越え、徳と力を頂いて、深沈厚重な人柄にならせて頂きましょう。

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2017年03月16日

●お広前に満ちている御神徳

 阿倍野教会が布教当初、吉野通りにお広前がありました頃、ある正月にある方が背中におんぶして頂いてお参りしてこられました。その方は、45歳でお茶やお花、裁縫を教えておられたのですが、全身が病んでおられ、頭痛はする、目は見えにくい、耳は聞こえにくい、胃腸と子宮の病気を患っておられ、6か月寝込んでおられたのです。一人で歩ける状態ではなく、お弟子さんに背負われてお参りしてこられ、神様におすがりなさったのでした。

★次の日の朝、なんと自分で歩いてこられ、昼までお広前に座っておられました。全身が病んでおられますので、身体は冷えて家では常に背中にこたつ、おなかにはカイロを入れて過ごしておられましたが、お広前は冷えているにもかかわらず、半日も座ることができられたのでした。お結界に座っておられる二代教会長伊藤コウ師に「不思議です。不思議です。何時間も冷たいお広前に座らせて頂いているのに、身体が冷たく感じません。こんなに手が温かいのです。」と手を差し伸べて、触って頂かれますと、手が温かいのです。コウ師は「それが神様のお徳、お広前のお徳、生神金光大神様のお取次ぎのお徳ですよ。今まで自分の力で何でもする、自分の身体、自分の腕だと思い違い、考え違いをしていたことをお詫びして、何でも拝んで頂きなさい。」とみ教えを頂かれたのです。それからは、何でも拝んで頂かれ、天地のお徳を頂く稽古をなさった結果、お茶漬けを美味しく頂けるようにまでなられたのです。

★ある時、10歳の息子さんがお参りなさった際に、コウ師よりみかんを2つお下げ頂かれたのでした。家に持ち帰り、親子で拝んで頂かれますと、急にトイレに行きたくなり、血膿がどんどんとお取り払い頂かれたのでした。それからというもの、腰がしゃんと立つようになり、身体に力が入り、裁縫ができるようになるまで身体を作り変えて下さったのです。

★『私がおかげをあげるのなら今すぐにでもあげるが、神様が下さるのじゃからなぁ。神様からおかげを頂けるような信心をしなければならん。信心は何通りもある。参るのは参り信心。頼むのは頼み信心。拝むのは拝み信心という。また、そのなかでも参り信心が取り所じゃ。数多く参っているうちには、ああいう信心をすればああいうおかげ。こういう信心にはこういうおかげと、神様からおかげの頂ける信心がおいおい分かってくるようになる。』

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2017年03月15日

●いつもまめ(健康)であるのがありがたいのぞ

毎日健康で生活させて頂いて、働かせて頂けることが有難いことなのですが、その有難さを分からせて頂けるのは、働けなくなってからのことが多いのです。

★先日もあるお方が「最近、忙しくて忙しくて、ゆっくり一日中寝てみたいです。」と仰ったのですが、「忙しくて忙しくてと言われますがそれが有難いのです。そうして毎日変わらずに同じ時間に起きて同じように働かせて頂けるのが、心も体も健康にならせて頂く基になるのですよ。

働けなくなって寝込んでしまうということになったら、どれほど辛いでしょうか。一日中寝てる方が楽ということは絶対ありません。しっかり働かせて頂いて、忙しくさせて頂いていることに、喜んでお礼申しましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★仕事が逃げて働けなくなってしまう因を作るのはなんでしょう。それは与えて頂いている仕事を粗末に思う心です。神様から与えて頂いている天職だと思って、本当に心から有難く喜んで働かせて頂けるようになればおかげを頂けるのです。

しかし、私達は間違いやすいのです。忙しければ忙しいことに不足を思い、暇であれば暇であることに不足を言ってしまうのです。毎日どのような状況になられましても、お礼を申せる生活をさせて頂きましたら、どれほど結構になれるでしょうか。

★あるお方は病院に入院なされても、毎日毎日「こんな立派なお医者さんに診て頂きまして有難うございます。」「こんなおいしい病院食を頂きまして有難うございます。」とお礼ばかり申しておられましたから、お医者さんや看護師さんから大変可愛がって頂かれたそうです。退院される時には泣いて下さる看護師さんもおられたそうです。そういう有難い心持ちを日々積み重ねておられましたから、有難いことがどんどんと集まってこられたのです。

★『痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ。』
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2017年03月14日

●辛抱・不自由・修行が成長に不可欠

 先日は、穏やかなお天気のご都合お繰り合わせを頂いて、共々に御本部御礼参拝をさせて頂き真に有り難いことでございました。毎月、バスと団体列車に乗り合わせて参拝させて頂けますことは、どれだけお礼を申しても足りない程に、有り難いことでございます。近年は、新幹線や飛行機など、極めて短時間で移動する手段もありますが、バス、列車共に4時間弱乗らせて頂く、その時間がまた有り難いのです。車内でみ教えを頂き、また、他の方のご信心に触れさせて頂いたりする中で、自分の信心を改めて見直させて頂き、信心が向上する有り難い時間となるのです。

★また、御本部に到着して参拝させて頂きましたら、ご霊地の各地のお掃除をさせて頂いたり、会堂地下の湯茶接待のお世話をさせて頂くなど、少しでもご用にお使い頂くことによって、お徳を頂き、より一層有り難い参拝とならせて頂けるのです。

★伊藤コウ師のご母堂・伊藤ハル刀自は、「楽は望まぬ、苦労は覚悟、苦労しがいのあるようにならせて下さい」と、願い続けられたことを伝えて頂いております。楽な方、楽な方を選んで進もうとし、辛抱、不自由から逃げようとするのは、自分の成長を止めようとしているのと同じことです。いつも神様が見ていて下さり、あらゆることを通して私たちが成長することを願って下さっていることを忘れないよう、信心を元にした生活を心掛けさせて頂きたいと思います。不自由を行とする心、喜んで辛抱させて頂く心にこそ、結構になる元があるのです。

★『人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、鍬でも刃先の焼き直しをしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが刃先の焼き直しじゃ。と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、なにもなかったら信心が寝入る。』

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2017年03月13日

●陰の徳を積む

ある時、二代教会長伊藤コウ師がラジオの放送局でインタビューを受けられました。その中で「教会に参拝される方々はどのような信心をなされているのですか?」という質問に対して、次のようにお答えになっています。

★[戦後の厳しい時代を乗り越えさせて頂くために、社会を支える力を頂けるようお願いなされています。苦しい経済状況、仕事での苦難、病気・災難など家庭内の問題など、さまざまな問題を抱えておられる方々が朝早くから参拝され、「今日一日、人の二倍も三倍も値打ちのある働きがさせて頂けますように」とお願いされます。そうして毎日、喜んで仕事をさせて頂くように変わらせて頂きましたら、生活の上にも、身体の上にも次々とおかげを頂かれています。そういう方々がだんだんと増えさせて頂いており、ご信心は大変有難いですよ。]

★すると、インタビュアーの方が「それ(朝から参拝に時間を費やし、そんなにも行き届いた働きを為すこと)は自分を犠牲にするということですか?」と問われました。するとコウ師は、[そのように喜んで働いて国家社会のお役に立つ人が増えていかないことには、戦後の荒廃から立ち直ることは出来なかったのですよ。それはこれからも同じことです。「一生懸命に働かせて頂き、お役に立たせて頂こう!」という心構えの方々が国家社会を支えてゆくのです。それを喜んでさせて頂ける方々が増えさせて頂けるのが、ご信心なのですよ。]とお答えになりました。

★インタビュアーの方からすると、損な生き方のように感じられたのかもしれません。しかし、「どれだけ楽をして多く給料をもらえるか」という事を考える人ばかりですと、国家社会はもとよりどんな会社や組織でも成り立ちません。陰の徳を積む生活を心掛け、人の倍も三倍も値打ちのある働きをさせて頂き、人の嫌がることも喜んで引き受けて自発的にさせて頂いておりますと、どんな難しい仕事であろうが、重責であろうが、「あの人にしてもらわなければ困る」というように、神様からも人からも信頼して頂き、用いて頂くことが出来るようになってゆくのです。
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2017年03月11日

●徳切れが一番恐ろしい

 二代教会長伊藤コウ師は、「徳切れの姿になると、前へ進むことも後ろへ退くことも出来ないような八方塞がりになるのです。また、生きたくても生きられない、死にたくても死なれない、というような状況になってしまう人がありますよ。」とみ教えを下さいました。私は幼少の頃に聴かせて頂いて恐ろしいことがあるものだと感じたことを覚えております。

★あるご信者のお家で、可哀そうにと思われて女中さんに雇って頂かれた女性がありました。かまどでご飯を炊いていた頃のことでしたが、この方がご飯を炊かれましたら、必ず焦がしてしまわれたのでした。そして、毎回そのお焦げをゴミ箱に捨ててしまわれるので、家の主人であるご信者は「私はお焦げが好きだから捨てずに残しておいて下さい。」と女中さんにおっしゃいました。しかし、食事の後にゴミ箱を見てみると、そう言ったにも関わらずお焦げが捨てられてあったのです。ご信者が再度同様に女中さんに言われると、今度はゴミ箱には捨てられていませんでしたが、汲み取り式の便所に捨てられてあったのです。そして、いつも苦難に満ちた表情をしておられましたので、どういうことかとご信者が観察しておられましたら、給料日になると働き盛りの年頃である女中さんの息子さんが「金をくれ。」と、女中さんが働いて稼いだ給料を持って行くので、女中さんはいつもお金に困って難しそうな顔をされていたのだそうです。二代教会長伊藤コウ師はそのご信者に「その女中さんに辞めてもらいなさい。何回言っても理解が出来ず、改まりが出来ない方を家に置いておくと、あなたの家のめぐりになります。」とお話しになりました。

★この女中さんのように、一事が万事で至る所に御無礼が出て来て、どうにもこうにも立ち行かなくなってくると、十分な仕事が出来ず、心も荒れてしまい子供も育たず、いつまでも親を泣かせに来るのです。これが徳切れの姿です。徳とは責任を全うさせて頂くことによって身に付かせて頂くものです。仕事に対して怠慢でいい加減なことばかりしてお茶を濁しているようでは、とても徳も力も頂けませんし、人からも神様からも信用して頂くことはできません。与えて頂いた場所で、与えて頂いた仕事を責任を感じて全うさせて頂き、有り難い働きをさせて頂くと徳も力も頂けるのです。

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2017年03月10日

●神様を杖に

 昨日は大阪府立・市立の公立高校の入学試験日でした。試験前日、当日と次々と受験生の方々がお届けに来られました。

★「平常心」「おかげはわが心にあり」「事の大小に関わらず、心中ご祈念してさせて頂く」ということをお話しさせて頂いております。平常心で受けさせて頂くためには、和賀心(和らぎよろこぶ心)にならせて頂くことが大切です。人ばかりを見ていますと、「あの人も優秀に見える、この人も賢そうだ…」と気が散ってしまいます。また、倍率ばかりを見ていますと、数字に負けてしまいます。迷わず、目の前のことに集中させて頂こうと思えば、まず今日までお育て頂き試験を受けさせて頂ける、ということに御礼を申して、和らぎ賀ぶ心にならせて頂くことが必要です。わが心が神様に向かう時は信心になっているということであり、わが心が他を向いている時には信心になっていないということです。

★私立高校の合格発表後に、あるご信者のご子弟が、学校の先生から「君が受かるには厳しい状況だった。君よりも成績の良い子が受けたけれども不合格だったのに、君が通るとは驚かされた。本当に良かったなあ。」と言って頂いたそうです。それは、神様に足らない力を足して頂いた合格であったということがよく分からせて頂けます。心中ご祈念してさせて頂きますと、自身の力以上のことが発揮させて頂けるのですね。

★初代教会長先生80年祭の時のことです。私は、夢の中でみ教えを頂くことがありました。「決して無理をしてはならんぞ」とみ教えを頂いたのです。何事も自分でしようとすると無理が出てきてしまいます。しかし、神様にお願いしてさせて頂きますと、無理がなく神様がさせて下さるのです。私たちは事の大小を問わず、どんな事でも心中ご祈念してさせて頂き、万事に御都合お繰り合わせを頂いて日々の生活を送らせて頂くことが肝要ですね。
★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。神は折れも曲がりも死にもせぬ』

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2017年03月09日

●お礼の働きでお徳を積む

昨日は、穏やかな天候のもとにみかげ会総会を無事開催させて頂きまして、岡崎氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。ご両親共に信心に熱心で、岡崎氏は、よく働かれるお父様を幼少の頃から尊敬しておられました。ご両親に導かれて、子供会にも素直に参拝なさり、幼少の頃からみ教えを頂いてこられたのです。

★大学院を卒業後電機メーカーに入社され、五年目に家庭用ビデオデッキの部品開発を担当されました。毎晩遅くまで開発研究に励まれた結果、無理が重なり開発全体が止まるという事態になってしまった時、上司より厳しく叱責されたのです。岡崎氏は言いたいことも言えず、茫然と会社を出てその足で教会に参拝されお届けされましたが、心身共に疲れ切っておられ、頂いたみ教えもよく理解できられない状態でした。

★そして自宅に帰られると、三代教会長先生よりお電話があり
「信心しましたら、言いたいことはなるべく延ばしますがよろしい。明日に延ばしましたら一生言わぬがよろしい。という二代金光様のみ教えがあります。」と教えて頂かれたのでした。
すると、スッキリしなかった気持ちがおさまり、素直に自分の非を認めてお詫びすることができられました。その後、開発は仕切り直しとなって順調に進み、目標達成のおかげを頂かれ、更にその開発は学会で技術賞を受賞することとなり、栄えある場所で表彰状と記念メダルを受けられました。また、前後して同時期に別の研究テーマでも海外で技術発表されたり、社内でも社長表彰を受けられるなど、相次いで高い評価を受けられるおかげを頂かれたのです。

★岡崎氏は、何事にもお取次を頂かれ、神様、御霊様のお守りを頂かれて、お仕事の上にも、家庭の上にもおかげを頂いておられます。更にそのご恩返しにと、お礼の心で神様、御霊様に喜んで頂ける働きをさせて頂かれることによって、お徳を積ませて頂き、良いことが次々と良いことを生み出すように、おかげを頂いておられます。共々に、有り難い繁盛の道を歩ませて頂けるよう、お礼の心を土台に、ご恩返しの働きをさせて頂きたいと思います。

★『自分のことになってくると、なかなかわからぬものじゃが、そういう時には金光様はどうなさったじゃろうか? どうなさるじゃろうか? おかげを蒙っておる者は、どうしたらよいじゃろうか? と考えたら合点がゆく。しかし我々はつまらぬから、合点がいってもなかなか出来ぬ。 そこでお参りせねばならぬ。お参りすると教えて下さり、出来るように願うて下さり、引張って導いてくださる』

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2017年03月08日

●み教えを鏡に

『人間、我欲のためにわが心にちりが積もる。わが心わが身が汚れぬように、心と体の掃除をするごとく、今月今日で信心をせよ』

★先日、1年以上も受診していなかった歯医者さんに行かせて頂きました。「よく磨けていますよ。」と言って頂けたものの、歯石を除いて頂き歯を綺麗にして頂いて、歯ブラシの指導をして下さいました。手鏡を持って自分の歯を見ながら歯医者さんに磨き方を教えて頂いたのですが、普段は手鏡を持ってまで歯磨きをしませんから、少し他より磨きが足りない箇所などを的確に教えて頂くことが出来ました。具体的に教えて頂けることは有難いことだなあとつくづく感じました。

★そういう風に自分では見えていない、意識出来ていないところを客観的に見直していくことが出来るのが、ご信心だなあと有難く思わせて頂いたことです。私達は常にみ教えを鏡にして、自分自身を見直していくということを教えて頂いております。甘木教会の初代教会長・安武松太郎先生は「研きても なお研きても 研きても 錆びて果てなき わが心かな」とお詠みになられておられます。自分自身の神心を磨いて何を取っていくのか。我情我欲や我良しと思う心、不成心や偽りの心や私心を取り払って頂くのです。私達がお取り払い頂こうと一生懸命させて頂いておりましても、取れているようでなかなか取れないものです。ですから、ご信心させて頂くということは生涯かけてのことなのです。

★いつまで経っても「これで完成だ!」ということはございません。世の中にご信心やご恩返しが足りておりますという人間はおりません。ですから、信心向上を願わせて頂くのです。本日は、昼2時よりみかげ会総会が開催されます。ご家族揃って参拝させて頂き、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2017年03月07日

●難の起こってきた因とは?

5日の真栄根会例会におかげ話をなさった石田氏は、様々な出来事を通してお結界でお取次ぎを頂かれて、神様を杖に乗り越えてこられました。

★以前より、お導きを頂いておりながら、お参りすることも、み教えを頂くことも出来ていなかった頃の入信間もない時の石田氏は、我が力で何もかも出来ていると思い違いをし、仕事に対しても有頂天になり、家庭を顧みず、自分のことばかり考えていたのでした。ある日突然、奥様が家を出ていき、行方が分からなくなったのです。約2か月後、奥様は帰ってきましたが、「別れたい。子供の入学式の日に家を出る。」と告げられたのです。家を出ていく前日、石田氏は下血し、救急搬送されました。それが、おかげとなり、奥様は家を出ることを一旦止めて、子供さんのお世話をしてくれました。

★仕事の上でも石田氏を頼りにしていると言っていた勤務先の社長から、入院中に電話がかかってきて突然解雇されてしまったのです。後日、他の方から聞きますと、取引先から賄賂を受け取っているとか、セクハラをしていたなどと根も葉もない噂を流され、社長の耳に入り解雇されたのでした。石田氏は、失望感に苛まれ、退院後、朝3時半に家を出て誰にも会わない場所へ行こうと車を運転していますと、吸い寄せられるように阿倍野教会のお広前に座っていたのです。そして、お説教を聴いておられますと涙が止まらず、三代教会長先生にお届けされますと、「辛抱しなさい。家のめぐりをとってもらっているのだから、辛抱強く信心しなさい。」とみ教えを頂かれたのでした。それから、毎日朝参りされ、お導きの親様が家に呼んで下さり、朝食を用意して下さり、心が神様に向くように10時の参拝へ導いて下さったのでした。

★石田氏は、様々な出来事を通してみ教えを頂いて、今まで自身が蔑ろにしていた事がすべて自分にかえってきているということが分かり、お母様や奥様を責めていた気持ちを改まり、ご恩を感じる生き方に変わられたのです。そうした生き方に変わられた結果、お母様・奥様をお導きされ、小さい頃にお世話になった叔父様、叔母様のお世話をさせて頂ける機会まで与えて下さり、ご恩返しさせて頂けるようにならせて頂かれたのです。また、仕事の上では、お取次ぎを頂いて、会社を設立され、今日まで有難い経営をさせて頂いておられます。
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2017年03月06日

●『神徳を受けよ、人徳を得よ』

 お父さんの代から工場を経営なさっておられたご信者が、ある日取引先から500万円の不渡りを受けられました。

★そこで教会へお届けに来られますと、二代教会長伊藤コウ師より「不渡りを出した相手を決して憎んだりしてはいけませんよ。恩人だと思って拝みなさい。500万円の不渡りを受けたというけれども、あなたの会社がこれまで500円、1000円という単位で無駄を積み重ねてきた結果なのです。あなたの会社にとって貴重な改まりの機会を頂いたのです。神様に一心におすがりして、必ず立ち行くおかげが頂けますようにとお願いしなさい。まず、親子で一番大きな仕入れの会社へ相談に行かせて頂き、現状を正直に伝えさせて頂きなさい。他の所へは一切何も言ってはいけません。そして、長年経営してきた工場が危機に陥っていることには何か理由があります。朝一番に起きて工場内を見直しなさい」とみ教えを頂かれたのです。

★早速、ご信者は仕入れ先の会社へ出向かれ、すべてを正直に話されますと、先方の社長は「今まで真面目に働いてこられたあなたのお父さんを信用して、力にならせて頂きましょう。20ヶ月の間に立ち直って下さい」と言って下さり、立ち直るきっかけを与えて頂き、仕入れは以前と同じ条件でさせて頂けることになりました。さらにご信者は、工場内を見直しされますと、あちこちに使いかけの材料が無駄に置いてあることに気付かれたのです。そこで、材料の無駄、時間の無駄、人の労力の無駄など、生活全般の無駄を見直し、更には親子で一番に出勤して、仕事の準備をするように改まられたのです。信心を基にして生活、仕事全般を見直しさせて頂くことが出来、現在も繁盛のおかげを頂いておられます。

★「相手を決して憎んだりせず、恩人だと思って拝む」ということは、それだけ心が広く余裕がなくては出来ることではありません。広く豊かな心にならせて頂くためには、身に神徳・人徳・学徳を積ませて頂くことを心がけ、日々神様にお願いさせて頂くことが肝要です。ご神徳を頂きますと、神様からご信用頂いて用いて頂き、また人からも信用して頂き、用いて頂くことが出来るのです。日々み教えを頂きお取次を頂いて、正しい繁盛の道を歩ませて頂きましょう。

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2017年03月05日

●いつも有り難い心持ちで

あるご信者は、毎日仕事の始まりと終わりに、次のような、有り難いお礼とお願いのご祈念を実践なさっておられます。

一、神様・御霊様・家族のおかげで家業に精励させて頂けます。有り難うございます。
一、今日までお命を頂きお育て頂いたお礼の働きが出来ますように。
一、天地のお恵みであります水や火や電気を使わせて頂きます。無理・無駄・ムラがありませんように。ご無礼不行き届きがありませんように。
一、材料を無駄にしませんように。
一、時間を大切にし集中して出来ますように。
一、思い違い考え違いがありませんように。
一、神様より与えて頂いている能力を十二分に発揮出来ますように。
一、親孝行ご恩返しが出来ますように。
一、お客様に喜んで頂き幸せになって頂けるお店作りが日々新たに出来ますように。
一、地域の他店舗や同業者が共に繁盛しますように。
一、地域社会の発展に貢献できてお役に立つ店舗作りをさせて頂けます様に。

★二代金光様は、
『時の追い肥えより、常の地肥え。時のお百度参りよりはその日参りでおかげを受けるがよい。』とみ教え下さっています。

毎日食物を頂いて健康な体を作って頂くように、毎日み教えを頂き、心に栄養を頂くことはとても大切なことです。心に肥をさせて頂き、健全な精神を養うことは、健康な体作りにも欠かせないことです。困った時に慌てるのではなく、良い時にも怠らず、更に改まりを続けさせて頂くことによって、先々変化が起きてきても正しく対応出来るようになり、確かなものを築きあげていくことが出来るのです。

常に周囲の人の助かりを祈って、日々新たに願いを持ち続けさせて頂きたいと思います。

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2017年03月04日

●子孫に残すもの 

 ある小学生の子供さんが突然に、学校の黒板に書かれてある文字が見えなくなりました。眼科医に診て頂きますと、視力が低下したのではなく、本人が見たい、見なければならないと思った所が見えなくなる「心身症」という心の病であると診断されました。ご夫妻は医師より「子供に対して高圧的か、放任かどちらかに偏っていませんか?」と尋ねられましたが、その事実もありません。

★私はご夫妻からお結界でお話を聞かせて頂いておりますと、あることに気付かされました。同居しておられるお祖父さん(実のご両親)に対してお父さんが暴言を吐き、それを諌めようとするお祖母さんに対して厳しく当たられることがあられたのです。ご両親がお届けに来られました際に「いつもお祖父さんに対してきつく当たるという事はありませんか?それを見ているお子さんは、大好きなご両親と大好きな祖父母様が円満でない状態を見て大変辛い思いをしておられます。そこを改まってゆかねばならないのではないでしょうか。次の診断までの2週間、神様から日を切って頂いたと思って、どうあってもおかげを頂く為にも、しっかり改まらせて頂きましょう。」とお話しさせて頂きました。それからご夫妻は一生懸命に親孝行を心掛けられ、円満に努められ神様におすがりなさいますと、次の診断の際には、子供さんの病気全快の大みかげを蒙られたのでした。その子供さんは無事成長し、現在は2人の子宝に恵まれ、結構な家庭を築いておられます。

★『世の中の人は親の物は子の物と言うが、これも親孝行をせねば親の物も子の物にはならんのじゃ。神様の物は氏子の物じゃというても真に真の信心をせねば神徳は下さらん。真の信心をして神様と仲良うすれば神徳はなんぼうでも下さる。』このみ教えにある「親の物」というのは、財産等の形ある物のことだけが示されているのではありません。親から子へと本当に伝えてゆかねばならないものは、信心のお徳であるのですね。

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2017年03月03日

●信じて疑わずに信心させて頂く

 桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。どこからお参りしたとも何も言っておられないのに、松平師に教祖様は『周防の国のお方、遠方をよくおまいりでしたなあ』と仰せられたのです。さらに御神前に進まれて御祈念なさいました時『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と神様のお言葉をお伝えになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と神様のお言葉をお伝えになられたのでした。

★松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。松平師は何も分からないままお参りなさったのですが、教祖様からご理解を頂かれて、心が開かれ、水のご恩を感じ、日々お礼とお詫びを申しながら生活なさっておられましたら、胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そうして、ご自身の実体験を通しておかげを頂いたお礼に人々を導いていかれ、九州の地で初めて布教に出られるほどのご神徳を頂かれたのです。

★みな入信の初めは、信心の何たるかを知っているわけでもなく、み教えを頂いたこともありません。しかし、み教えを頂いて、ご恩を知り、疑いの心を去り、信心させて頂く心でみ教えを守り通させて頂くことにより、ご神徳を頂いてゆくのです。日々生神金光大神様のお取次ぎを頂き、神様におすがりさせて頂いて、常に神様と共にある生活を送らせて頂きましょう。

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2017年03月02日

●御霊が生き生きと働く

 三代教会長先生が、あるご信者からのご報告を待っておられて、うろうろと心が落ち着かない状態であられた時のことです。二代教会長先生が「あなたは何をしているのですか?」と尋ねられたそうです。「〇〇さんから報告のお届けがないので心配で、こちらから聞きに行こうと思います」とお答えになられたら、「そんなことはしなくてもよいから、しっかりお祈りしなさい」とみ教え頂かれたのです。そこで、三代教会長先生が御祈念を重ねておられますと、ふとお広前を見られたら、そのご信者が座っておられたということがあられたということです。

★『金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の御霊(みたま)の働きにおかげがあるのである。』とみ教え頂いております。教祖様はお広前にいながらにして御祈念なさると、行かれたこともない家の間取りであったり、日常の会話の内容なども見抜き見通しであられました。そのようにして有難いお徳を示して下さいました。お身体はお結界にあられますが、御霊(みたま)が時間も空間も超えてお働きになられていたということです。

★私達がこうして生かして頂いているということは、神様からお命を頂いて、この世にお役に立たせて頂きなさいよと使命を頂いているのです。めいめいが神様からお預かりさせて頂いているお身体でございますが、生かして頂いている私達にも御霊(みたま)すなわち魂を頂いております。その御霊が、現在の生活に於いて、生き生きと働かせて頂くということが大事なのです。

★私達も日々の生活で常に信心を心掛けて真心で一心におすがりさせて頂く、そういう心持ちにならせて頂けるように稽古しておりましたら、色々な体験を神様はさせて下さいます。そうしてご信心の世界の有難さを分からせて頂けるのです。しかし、人間というのは次の瞬間には忘れてしまうこともあるものです。ですから、稽古が大事なのです。毎日毎日神様に心を向ける稽古をさせて頂き、邪心が入らないようになってきますと、真心が神様に届きやすくなるのです。自分自身がどのように生かせて頂けば、御礼の働きになり、どのようにおかげを蒙らせて頂けば良いかという先々のことを、正しく願わせて頂けるようにならせて頂けますよう、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2017年03月01日

●お礼とお詫びの信心が後始末

先日、国公立大学を無事に受験された学生さんがお届けに来られ、
「この度は、体調も万全に整えて頂いて、無事に受験させて頂きまして有難うございました。御祈念して勉強させて頂いておりますと、受験の2日前に見させて頂いていたところがそのまま試験に出て、自分の力では到底出来ない問題を直前に見させて頂き、有難い解答をさせて頂く事が出来ました。まさに神様のおかげでございます。

合格か不合格は神様にお任せですが、受験させて頂いた上に大変なおかげを頂きまして有難うございました」と丁寧にお礼を申されたのでした。

★一つ一つさせて頂いていることに大変なおかげを頂いているということに気付かせて頂いていることが有難いですね。「どうぞ合格させて頂けます様に」とお願いさせて頂きながら、さらに次の後期日程に向けて油断無く準備をなさっておられることは、大変有難いお姿だなあと感心致しております。

★二代教会長伊藤コウ師は、
「おかげを受けた時だけあわててお礼参りが出来たら、それでお礼が済んだと思うのは間違いであります。永くお礼参りが続いて行かなければなりません。また、合格しなかったらおかげを落としたというのでお礼参りしない。これも大きな間違いであります。

親神様はその人の将来までもご覧になって、一番よいようにおかげを下さっているのですから、不合格もまたその将来大きなおかげとなります」とみ教え下さっておられます。

合格させて頂かれた方々も今後三年間、あるいは大学四年間・六年間とどこまでも合格させて頂いたお礼の心を持ち続け、お礼の心に満ち満ちた生活を心掛けさせて頂くことが大切です。そうしますとご信心に基づいた勉強と御用が出来、有意義で充実した学生生活となってゆくのです。

★何事においてもお礼とお詫びを早速にさせて頂くことを教えて頂いております。お礼とお詫びをさせて頂くということは、後始末をさせて頂くということであり、行届いた後始末は、次のおかげを頂くための準備とならせて頂くのです。

知らず知らずの内におかげを頂いていることに、しっかりとお礼申させて頂き、また先月の自分自身を見直し反省して、新しい月も改まって信心を進めさせて頂きたいと願わせて頂いております。

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