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2017年01月31日

●活き活きと現れる御霊の働き

 故・加川一夫先生(元在籍教師)の御母堂であられる加川たつの氏は、ご信心の有り難いことを常日頃から家族にお伝えになっておられました。そして、「私がお国替えしたら、信心させて頂くと何と不思議なことがあるか、ということを見せます。」と、いつも口癖のようにご家族に仰っておられたそうです。

★たつの氏がお国替えされた翌月、昭和62年2月の末のことです。10年ほど前に購入していた白梅の鉢植えに、一枝にだけ紅梅の花が咲いたのです。お孫さんのお嫁さんである古澤氏がたつの氏の夢を見られ、夢で梅のことを尋ねられますと、たつの氏は「あの花は私が咲かせました」と仰ったそうです。

★また、たつの氏はご生前中より「朝玄関口のお掃除をする時には、隣家の前の道も『どうぞ、ゆくゆくはこのお家を買わせて頂けますように』とお願いしながら毎日お掃除させて頂きなさい。」と教えておられましたので、古澤氏はその通りになさっておられました。するとたつの氏がお国替えなさった半年後、先方から「あなたに土地家屋を購入して頂きたい」と言って来られたのです。しかし、先方に返事を渋っておられると、また夢の中にたつの氏が出てこられ「早く決めないとこうなります」と言われ、隣家が無くなっており隣は絶壁で暗闇になっている夢を見られたのです。慌てて次の日に購入の返事をされると、また次の日の夢にたつの氏が出てこられ、はっきりと4桁の数字が表れ、後日先方から提示された土地の金額と全く同じ数字だったそうです。そうして無事にお土地購入のおかげを頂かれたのです。

★生きているうちに、願いを持ってしっかりご信心させて頂きますと、死んだ後も御霊として活き活きと働けるだけのお徳を頂けるのです。反対に、『この世で生きている間に、人に悪いことをしたり、天地の神様のみ心にかなわないことをしたりすると、死んでからでも、魂は神様のおとがめを受けるのである』ともみ教え頂いております。

★また、ご先祖は木に例えると「根」であり、子孫は「枝葉」にたとえられるように、ご先祖に助かって頂き、お徳を頂いて頂くこと抜きにしては、子孫の反映はありません。ご先祖様から子孫の端々まで助からせて頂くことを願いとして、ご信心をさせて頂くのは、生かして頂いている私たちの大きな役目なのです。

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2017年01月30日

●夫々に必要なご修行

杉田政次郎師がお若い頃、親兄弟、親戚、友達、近所隣みな、信心することに大反対でした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になって、どうしようもないので、何とかおかげを頂きたいと信心にいっそう励んでおられたのです。

★そのころ、大阪の大今里村の吉原留吉という信者が、別段に頼みもしないのに、金光様のもとへ参詣した時、『金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか』とお伺いして下さったのでした。

その時、金光様は『吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげてくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださるのである。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる』とご理解くださったと教えて頂かれたのでした。

杉田師は、何物にもたとえられないほど心うれしく思い、勇ましい心が出て、より一層ご信心に励まれました。後には家内中が健康の上にもおかげを頂き、次々と立派な御用が出来られるまでにお徳を頂かれたのでした。

★親神様は、 日々の生活の中でそれぞれに必要な課題を与えて下さいます。その人その人に、必要だからこそ課題としてご修行を与えて下さるのですから、目の前の課題から逃げようとしても、それは先延ばしにするだけのことです。

ご修行の意味が分からないと、「なぜこんなご修行をしなければならないのか」というような思いになるようなこともあるかもしれません。そうではなくて、神様が与えて下さる課題を「有難うございます。どうぞめぐりのお取り払いを頂き、このご修行を通しておかげを頂けますように」とお願いさせて頂きながら、有り難く受けきらせて頂くことによって、周囲が助かり自分も助かって、より一層お役に立つ人間に成長させて頂くことが出来るのです。

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2017年01月29日

●影は形にそう

 昨日は伊藤亨師の御命日であられました。2年前に82歳でお国替えなさったのですが、長い間御用下さっておられましたから、振り返らせて頂きましたら、子供会の頃からお世話になっておられる方もおられたでしょう。

★亨師はお若い頃に視力が低下なされ、そのことで二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいました。コウ師から「上を見たら、『あれ欲し、これ欲し』の星だらけ。下見て暮らせ、下に星なし。」とみ教え頂かれたそうです。亨師は「上を見たらキリがない、欲を言い出したらキリがない。下に目を向けたら、もっと辛く苦しい思いをなさってる方があられる。その中でも皆さんそれぞれにおかげを頂いておられる。自分自身は一体どうか、まだ見えさせて頂いているじゃないか。そのことにお礼申して、先々の心配や不安を神様にお預けして、今見えさせて頂いている有難さをしっかりと喜ばせて頂こう!」と、頂いたみ教えをしっかり受け止められ、熱心にご信心を進められたのでした。るを知るという生活をさせて頂いて、今与えて頂いているものを喜ばせて頂いておりましたら、神様はさらに結構なものを与えて下さるのです。そして喜ばせて頂けることが段々と増えていくのです。

★亨師は視力回復のおかげを頂かれ、願いを受けられ教会に入所のおかげを頂かれたのでした。生まれた時には「心臓が弱い」と診断されたり、後には膵臓癌の疑いがあると診断を受けられた時もあられましたが、体を作り変えて頂かれ、何度も無い命を82歳まで伸ばして頂かれ、お役に立たれる生き方が出来られたのです。そして御用のお徳によって「先生にお導き頂きました。」「先生にみ教え頂きました。」と助かる方々が増えられたのです。神様からかけて頂いた願いをしっかりと悟らせて頂かれ、願いを受けて神様に心を向けて、わが心を磨いていかれた結果であります。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

★自身はみ教えや、諸先輩・諸先師のご信心をしっかり見習わせて頂きますと共に、神様に大きな真心を向けておかげを蒙らせて頂きたいものです。

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2017年01月28日

●神様のお知らせ

『人間が飲み食いする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。体に相当するのである。それを、もう一杯、また一杯と我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様に対して御無礼ではないか。また、食べ過ぎ、飲み過ぎして、嘔吐する者もあるがこれも悪い考えである。』

★私たちは皆、日々の生活の中で神様からお知らせを頂いているのです。御祈念させて頂いているうちに、我が心に気付かせて頂くこともあれば、人の口をもって、あるいは出来事を通して気付くというように、みなそれぞれに神様からお知らせを頂いております。毎食頂くお食事も「もうこのくらいでよい」と思う時が神様からのお知らせなのです。しかし、それを神様からのお知らせとして受け止めずに、飲みすぎたり食べ過ぎるということがあります。教祖様は我食い・我飲み、大酒・大食は、神様が与えて下さった身体に対する大変なご無礼であり、体を壊す元であると教えて下さっています。

★欲に駆られて抑制できないということは、いつの間にか心の耳をふさぎ、心の眼を閉じてしまっている状態で、自ら神様のお知らせを断っているようなものなのです。それは、信心の上での感度を下げていってしまっているのです。日々み教えを頂いて、常に神様に心を向ける稽古させて頂いておりましたら、自分にどのようなご無礼お粗末なところがあるかを自覚させて頂くことが出来、我情我欲をお取り払い頂き、先へ先へと大切なことに気付かせて頂くことができるのです。ご無礼お粗末を減らすことができていくということは、人を生かし、自分を生かし、物、時間を生かしてゆく働きができる生活を送らせて頂けるということです。我が身を振り返り、本気になって改まらせて頂き、信心の感度を上げさせて頂きましょう。

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2017年01月27日

●喜びを見つける

 先日あるご信者が、「寒い日が続きますが、積雪で苦労なさっている地域も多くあられますのに、雪も積もらず雪かきもせずに楽に暮らさせて頂いて有難いことでございます。」と話しておられました。この方のように、ものを不足に思わずに喜ばせて頂ける所を見つけさせて頂きますと、日々有難い心と身体になれるのです。また人間関係に於いても、目の前の人の良い所を様々に見いだせるはずです。悪い所が見えても不足を言わずに反面教師にさせて頂き、良い所を手本にさせて頂けば、全ての人が自分に教えを下さる人だと有難く思わせて頂けます。

★ところが、「あの人がどうだ、こうだ。この仕事はつまらない。」など、不足ばかり言っていると次第に誰も協力してくれなくなり、いずれ孤独になってしまいます。そうならない為には積徳を心掛け、人からも信頼を得る必要があります。

◎人望を得る為の条件 
1.途中で投げ出さない。最後までやり抜く。 
2.陰で人の悪口を言わない。言わせない。 
3.ごまかさない。 
4.正論で人を追い込まない。 
5.毎日休まずに続けていく。 

★話は変わりますが、先日あるご信者が、[本気でみ教えを頂くつもりになりましてから近頃は「私はこれまであれが足りなかった。これが足りなかった。」と気付かせて頂くことが多くて辛いのです。]と仰っておられました。「それは実は結構なことなのですよ。み教えを頂いて[あれが間違っていた。これが間違っていた。」と気付かせて頂けるということこそがおかげですよ。至らない所があるということを自覚させて頂いてから本当にお礼とお詫びが申せるようになり、正しいお願いをさせて頂けるのです。]とお話ししたことでした。

★私たちは夫々に「我よし」と思う心を取り去らなければなりません。「私ほどよくやっている人間はいない。私の言うことはすべて正しい。」などと思うこと自体が驕りがましいことです。私たちは、間違っている所を一つ一つみ教えに基づいて改まりを重ねてゆかねばなりません。だんだんと信心が進ませて頂くと良い方へ良い方へと導いて頂けるようになっていくのです。

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2017年01月26日

●世界に一つだけの物 

 私が中学生の頃、デニム地で自分で作ったペンケースが破れて古くなってきましたので、貯めていたお小遣いで、新しい革のペンケースを買わせて頂きました。そしてその買ってきた革のペンケースを机の上に置いて勉強させて頂いておりますと、後ろを通られた二代教会長伊藤コウ師がもう一度戻って来られ、私に「筆箱を持って来なさい。」と仰ったのです。私はお伺いせずに買いましたので、ギクッとしました。

★そして買ってきた革のペンケースと自分で作ったペンケースを持っていきますと、コウ師は「あなたはどちらの方が値打ちがあると思いますか?」と聞かれました。私が返答に困っておりますと、コウ師は「では、買った筆箱は世界に何個ありますか?自分で作った物は世界に何個ありますか?」と聞かれたのです。

★私は「買った方は、たくさんあると思います。自分で作った物は、一つです。」と答えますと、コウ師は「世界にたくさんある物と、世界に一つの物とでは、どちらが値打ちのある物ですか?」と聞かれたのです。私は「その意味で言えば自分で作った物だと思います。」と申しますと、コウ師は「新しい物が欲しければ、もう一度作りなさい。」と仰いました。

★私は「分かりました。ではこの買ってきた物は、先々使わせて頂きますので、置いておきます。」と答えさせて頂きますと、コウ師は「お店に返して来なさい。」と仰ったのです。私は店頭で時間をかけて選んで買った物を、返品する事はとても恥ずかしい事でしたが、その店へ返品に行かせて頂きました。店主の方は、快く返品を承諾して下さり、家に帰ってコウ師に報告させて頂きますと、大変お喜び下さったのでした。

★その一ヶ月ほど後、私の誕生日に三代教会長伊藤良三師は、ご自身が使っておられたペンケースをプレゼントして下さったのです。それ以来40年以上も立ちますが、今日まで一度もペンケースを買うことがありませんでした。しかしペンケースは次々と集まってくるばかりで、決して困ることはないおかげを頂いております。何事もみ教えを素直に守らせて頂きますと、後になって困らないように神様が次々と整えて下さることがよく分からせて頂きます。

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2017年01月25日

●末々大木になる信心

 昭和4年6月より阿倍野教会に入所された小東徳五郎師(龍華教会・初代教会長)は、胸の病を患っておられました。そんな中、毎朝3時4時に起床され、阪堺電車の東天下茶屋駅から教会までの道路を竹ぼうきで掃除されるご修行を続けられたのでした。また、冬の時期には火鉢を準備する、後片付けをする御用もされたのです。胸を病んでおられる方がそういうことをすれば、通常でしたら病気は悪化し倒れてしまわれても不思議ではないことです。しかしながら、ご修行を続けられた結果、徐々に病気は平癒され、体力もつけて頂かれて、1俵の米俵を持つことができられるまでに体質改善のおかげを頂かれたのでした。

★昭和11年小東師が、龍華の地に布教に出られる時のことです。二代教会長伊藤コウ師に「私は、小さな借家住まいは性に合いません。最初から大きな教会を建てて、そこで布教させて頂きたいと思っております。」と言われたのです。コウ師は「あんたお金持ちやな。いつの間にそんなお金貯めたんや?」と聞かれたのです。小東師は「いいえ、私はお金は持っておりません。しかし、応援しましょうと言って下さっている方がいますので、その方に土地も借りて木材も借りて、立派な教会を建てて布教しようと思っています。」と答えられたのでした。それを聞かれたコウ師は「あなたの考えはよくわかりました。それではあなたの思う通りになさったらよろしい。その代わり、今後一切あなたと阿倍野教会とは縁を切ります。あなたとの関係は、師匠と弟子でもない。そんな方針は阿倍野教会にはありませんから、道が違います。広い世の中、あなたと同じ考えがあるでしょうからそんなお師匠さんを探しなさい。」と仰ったのです。小東師は「私の考え違いでありました。み教えを頂いて、目が覚めました。お許しください。人から借りて人に用意してもらうという事はいたしません。いくら外側の入れ物ばかり立派にしても、中身が伴わず、徳も力もない私ではお役に立ちません。」とお詫び申されたのでした。

★小東師は心を改められて小さな家を借りられ、一から一つ一つ積み上げられ、龍華教会布教所を開設されました。そして、7年後には次のお広前に移られて教勢発展を遂げられたのでした。

★『神信心する者は 我慢我欲はしてはならんぞ 一寸ずつ太る楠は 千石船の帆柱になるが 一年に三尺も 五尺も伸びる梅のひこばえに大木はないぞ とかく世の中は 楠の一寸太りでなければならぬ』

★何事も物事を進める上でみ教えを頂くという事は非常に大事なことです。頂いたみ教えが窮屈に思えたり厳しいように思えますが、先々結構にならせて頂く道を教えて下さっているのです。ですから、自分で決断をして、事を進めて、あとはお願いするという事は正しいお願いの仕方ではありません。末々繁栄させて頂くために、正しいみ教えの頂き方をさせて頂きましょう。

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2017年01月24日

●求める心

★まだ交通の便も悪い頃のことです。西九条から朝参りさせて頂き、み教えを聴かせて頂きたいと願って土井つちの氏は娘さん達を連れて歩いて参拝なさった時期があられました。朝参りをさせて頂く為に、朝早くに家を出発して3時間以上もかけて歩いて参拝なさったそうです。その為に、前の日の晩から段取りをさせて頂くことから、嬉しくて有り難くて仕方がない心持ちであられたということです。

★信心が向上させて頂くためには、「求める心」を常に持ち続けることが大切です。求める心が弱くなると、「時間がない」「交通の便が悪い」等々、出来ない言い訳が次々と出てきて、自分を甘やかしてしまいます。求める心さえあれば、不成の言い訳は出てくる余地もなく、距離も時間も全て超越されるのです。

★また、目の前にこれといった問題がないように思える時にも、「無事に暮らさせて頂いている・・・」というところにあぐらを掻いては、信心が落ちていく元になってしまいます。信心の油断をすることも、自分を甘やかすことも、次に何か事が起こってきた時には間に合わないようになってしまいます。

★常に、求める心を持ち続け、至らない自分と向き合って、「まだまだ出来ていない私ですが、どうぞ信心が進みますように」とお願いさせて頂きながら、一生懸命信心の実践に励みましょう。そして、ここからより一層、家業に精励させて頂き、世の中全体が助かって頂く一助となるような働きがさせて頂けるよう、願いを持ち続けさせて頂きたいと思います。

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2017年01月23日

●万物を心から有難く頂く

 桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。すると教祖様は、突然松平師に『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と仰せになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と仰せられたのです。松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。そして胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。

★毎日、食べ物やお水、空気やお日様のお照らしに心から有難く拝んでお礼を申せているでしょうか。私達は天地のお恵みの中で生活させて頂いており、神様の賜り物で生かして頂いております。お水一杯でも、額まで上げて拝んで頂かせて頂きますと、お水の中に含まれている天地の恵みが自分の体に頂けるのです。現在の社会は恵まれた生活でありますから、万物を本当に大切に思い、日々有難く頂く事を実践しておりますと、どれ程有難い結果を生むことでしょうか。いつも嬉しく有難くお礼申す稽古に努めさせて頂き、心の上にも体の上にもおかげを頂きましょう。

★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しくはならぬ』

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2017年01月22日

●『身の上のこと何なりとも、実意をもって願え』

あるご家庭のご主人が30代半ばで病気で亡くなられ、あとには奥さんと10歳・7歳・3歳の子供が残されました。ご主人は長らくの病気で貧困のどん底にあった生活をなさっておられたのですが、ご神縁を頂いておられましたので、二代教会長伊藤コウ師が「金光教式でお葬式を仕えてあげましょう。」と引き受けられ、お葬式と旬日祭を仕えられました。

そのご家庭の親戚が集まられた時に「これほど多額の借金があり、収入も無く、小さい子供を3人も抱えてどうやって生きていくんだ?子供3人とも別々の親戚で引き取ってはどうか?」という話合いが行われたそうです。

★その話合いのことをご存知ではなかったコウ師が、祭典の時に奥さんに「これからは神様におすがりして、誰にも頼らずに生きていきなさい。しっかりと3人の子供を育てていきなさいよ。それぞれ立派に一人前になって社会のお役に立つ人間に育てることが親の役目・務め・責任です。

あなたが後に残ったということは、まさに神様の思し召しです。あなたは子供達を絶対に手元から離さずにしっかり働いて育てていきなさい。これがあなたが神様から与えて頂いたお役目です。1年後にはご主人の1年祭を仕えさせて頂いて、心配して下さっている親戚の方を皆呼んで、

『私達はこのように結構にならせて頂いております。どうぞ安心して下さい』と言わせてもらえるようなおかげを頂きなさい」とみ教えなさったのです。親戚の方々は「そんなことがほんまに出来るとは思わんけどなあ。」と仰ってましたが、その奥様は「これは神様からのみ教えである。私はここを守らせてもらおう!」と決心が出来られたのでした。

★さらにコウ師は「しっかり働いて商売させて頂いてとにかく生活が立ち行くおかげを頂きなさい。その為には子供たちに信心教育をしっかりさせて頂くことが大事です。親子で毎日朝参りを欠かさず、どんなことも1つ1つ神様にお願いしてしなさい。

これからは何でも教会に言いにきなさい。よそに言うことは一切いりません。何を買うにも全て神様にお届けしてお伺いしてしなさい。これからの生活は神様を杖にして、教えを支えとして生きていきなさいよ。」と仰ったのです。奥さんはコウ師のみ教え通りの生活を続けられました。結果、有難いことにお参りとお届けにより、心と体を強く鍛えて頂かれ生活も改善され、借金の返済と生活の立ち行きのおかげを蒙られたのです。

★疑いの心を放しておすがりをしきっていかなければ、そういったことは出来ません。また「させられている」と思ってしまって、コウ師のご慈愛が分からない不平不足だらけの生き方では助かりません。本気になって、神様を杖におすがりし、毎日お礼を申して生活をさせて頂いて、み教えを守らせて頂き、日々生まれ変わらせて頂く心持ちになれば、どんな状況からでもおかげを頂けるのです。

『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』
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2017年01月21日

●自身の心からおかげは生み出される

 ある娘さんのお父さんは大層酒乱で、お酒を飲むとお母さんに対して暴言を吐き、さらには暴力を振るうなど、家族を大変困らせていました。 そこでその娘さんは、母親の悲しむ姿を見るのが大変辛く、なんとか助けて頂きたい一心で教会へお参りなさり、「どうしてもお父さんに酒飲みを止めて頂きたい。」とお願いされました。しかし、お願いさせて頂いておりましても父親が酒を飲むことは止めてもらえませんでした。

★ある日お結界で、「神様は親孝行が一番お好きです。あなたのお願いは親孝行になっていますか?あの父親さえいなければ私の家は結構になるのに…等と思っていませんか? それは心で人を殺すことになり、神様のお心には適いません。どうぞ父親が健康で長生きして頂くために、お酒を止めてくれますように、とお願いさせて頂きましょう。 それが神様のお心に適うのです。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのみ教えを頂かれた娘さんは、ハッと自分自身の間違いに気付かれて、今までのお願いの仕方を改められたのでした。それからは、お父さんに対しての責める心を取り払い、一心に健康と長寿をお願いされるようになったのでした。すると、ふと気が付いた時にはお父さんは、有難いことに自らお酒を止めてくれるようになり、暴言暴力が無くなり円満に生活させて頂けるようになられたのです。

★このようにおかげを頂かれたのはお願いしている娘さん本人の改まりがあったからです。「これまで育てて頂いて有難うございます。これからも親孝行させて下さい。あの父親さえ居なければ助かるなどと考え違いをしておりました。親不孝なことでございました。」と、御礼とお詫びを申していけば改まりが生まれ、信心が向上していくのです。どんなときでも心から「生神金光大神様、天地金乃神様有難うございます。」という真心で一心にならせて頂きましょう。そして、自身の心からおかげは生み出されるものであると自覚させて頂き、今日一日今日一日おかげを頂いていきましょう。

『生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい』

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2017年01月20日

●難しい方を選ぶ

日田教会の堀尾保治師は、『私は若い頃から見易(みやす)いことと難しいことがある時には、躊躇なく難しい方を取ることに決めてまいりました。』と仰ったということです。三代教会長先生は、ある会合の場に於いて、また三代教会長先生の奥様は、金光教学院で、堀尾師より直接このみ教えを頂かれたそうです。

★このみ教えは実にシンプルですが、堀尾師が生涯かけて求めてご修行なさっているということが分からせて頂けます。幼少期、青年期、壮年期、老年期にはそれぞれの年代のご修行があります。『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』のみ教えの通り、神様を杖に生涯ご修行に励ませて頂く心構えが大切です。

★二代教会長伊藤コウ先生は、87才でお国替えになられる一ヶ月半前に両脇を抱えられるようにして、車椅子で御本部参拝をされました。四代金光様から「伊藤先生、ようお参りされました。これからは体の好くようになさい。」とお言葉を頂かれたのです。帰りにコウ先生は「もうひとふんばり働きなさい、と御教えを頂いたなあ」と仰ったので、三代教会長先生、奥様は大変驚かれたそうです。「私の一番好きなのは御用をさせて頂くことだから、体の好くようにということはもうひとふんばり働かせて頂こう。」と思われたのです。

★三代教会長先生はそのご姿勢に習われ、病床にあられた際にも「正結界は空けておきなさい。いつでも私が出られるようにしておきなさい。」と仰せになりました。ですから私達は、三代教会長先生がご静養中も、車いすにお座りの時も、いつでも三代教会長先生が常に正結界にいらっしゃると思って、補佐をさせて頂きました。いつでもお出ましなさる覚悟で以て、常にお心はお結界にあられ、ご祈念下さっていたことを大変有難く勿体なく御礼申させて頂いております。

★皆それぞれに、神様から使命を頂いています。その使命を全うさせて頂くため、簡単な方ではなく、難しい方の道を選択し、ご修行させて頂く覚悟が必要であるのですね。
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2017年01月19日

●神様からも人からも用いられるご信心のお徳

 昨日は、教徒会総会を開催させて頂き、富岡氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。富岡氏は三代目のご信心を頂いておられ、そのご両親は実意丁寧のお方で、日参と聴教、御本部御礼参拝、教会での御用を欠かさずに続けられ、四人のお子さんに信心を伝えられました。

★富岡氏が大阪で就職されてから始めの12年間は、日参と聴教、月々の御本部参拝を続けられ、東京に転勤になってからも、平成17年から今日まで、往復飛行機で毎月御本部御礼参拝をなさっておられます。また、通勤の際には朝4時台の一番電車に乗られ、毎日阿べの誌を熟読されながら通勤され、しっかり心にみ教えを頂いてから、仕事に着かれることを続けられたのです。

★平成18年から、監査部に配属され、会社全体の各部で業務が決められた規則、ルールに基づいて行われているか、不正は無いか、売上、利益が正しく計上されているか等を調査し、随時社長に報告する、「社長直轄部」と位置付けられている大変重要な業務に就かれました。業務内容もさることながら、人間関係も非常に難しい職場でしたが、三代教会長先生が軍隊に於いて、誰にも受け入れられなかった人のお世話を率先してなさったみ教えを心に頂かれ、覚悟を決めて日々取り組まれる中で、上司の方からも部下の方からも信頼を得ていかれました。監査部の部長となられてからは、部のスタッフが監査に入る時の姿勢なども「お役に立つ仕事」となるようにご信心に基づいて改革なさり、その成果が認められて、この部門では異例の社長表彰を受けられました。

★平成27年に退職なさってからは、阿べの誌と朝のみ教えメールでみ教えを頂きつつ、朝晩二回30分ずつお礼とお願いのご祈念をなさることをご修行となさり、生活のあらゆる場面で、神様のみ教えを頂くことの出来る受けものを作らせて頂きたいと、願っておられます。

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2017年01月18日

●信心の徳と力を大きくする

 本日午後2時より、教徒会総会が開催され、富岡豊氏のおかげ話を聴かせて頂きます。一人でも多くの方がご参拝になられ、信心向上のおかげを蒙られますようお祈り致しております。

★22年前の1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。6434名の亡くなられた方々の御安心をお祈り申し上げます。神戸は鉄道も開通し、倒れた阪神高速や建物も建て直され、この22年間で多くの方々の努力により現在の姿に復興されてまいりました。当時、多くの御用奉仕のご信者の方々と被災地に出向かせて頂いて御用奉仕をさせて頂いたことが、昨日のことのように思い出されます。

★震災発生直後、1月19日に兵庫県のお教会に物資を届けさせて頂く為に、西宮北口を降りて歩かせて頂きましたら、大変な被害であることが実感できました。大阪に帰り着きますと、大阪は一部地域を除いてほとんど大きな被害もなく、地下街は何の影響も受けておらず、いつもと変わりない光景であり、大変なギャップを感じました。「もう二度と不足は言うまい!」と堅く誓いながら帰ってまいりました。そして現在に至るまで、私のその誓いは守られているのだろうか?と自問自答しています。

★私達は帰らせて頂く家があり、毎晩暖かい布団で休ませて頂けて、お水は美味しく安全なものを飲ませて頂け、食事も毎日頂かせて頂いて、仕事も与えて頂いている、という大変結構な生活をさせて頂いております。忙しい時や体調が悪い時には少々食べられないと言っても、食べるものがないわけではありません。何も不自由なことはありませんのに、その中からでも細かい事を見つけ出して不足を思い不自由を感じてしまっているのです。

★三代教会長先生がご自身の戒めとしておられた心構えとして『天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。敢然として試練に堪えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても何事も御神意と受け取り困難を困難とせず明るく生き抜く覚悟を以ってせよ。』と仰っておられます。

★現在与えて頂いているすべてを喜び、有難く受け切ってゆくことが、信心の徳と力を大きくし、本物の信心に近づかせて頂けるのです。

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2017年01月17日

●喜びに満ち満ちたお礼の参拝

15日には、御本部年賀参拝を団体列車1列車とバス7台併用し、新幹線・在来線・飛行機・自動車等を利用され参拝なさった方々と共に、無事させて頂けるおかげを頂きました。前日は風と雪がきつく、大変寒さが厳しい状態でしたが、当日は朝からお照らしのおかげを頂き、穏やかな素晴らしい天候のもと、御霊地において成人式や御神酒授与の上に万事におかげを蒙りましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げております。

★成人式で、代表謝辞を述べられた学生さんは、現在北海道の大学へ通っておられ、この度の年賀参拝と成人式のために前日の14日に帰阪され、御霊地で成人式を終えられた後に、岡山空港から札幌へ戻られたのでした。

★また、岐阜県に住まいなさっておられるご信者は、前日の夜7時に一面雪景色の中、車で家を出られ、午前2時ごろに吹田のサービスエリアで仮眠を取られ、午前4時前に教会に着かれてバスに乗られて団体参拝されたのでした。帰りは午後6時過ぎに教会に到着した後、それからまた車で岐阜まで帰られたのです。

★また木之本からお参りなさったご信者は、車の上に積もった雪が凍り付いて除けられず、サイドミラーを開けようとしても開かないという大変な状態の中を駅まで車で送って頂かれ、電車でお参りされました。しかし車両の不具合で在来線が二回も止まり、団体列車に間に合われませんでしたが、新快速で団体列車を追いかけられ、無事にご霊地に到着され一斉御祈念に間に合われたのでした。そして有難い年賀参拝をさせて頂かれご神酒を頂かれて後にご霊地のお徳を身いっぱい頂かれて喜びに満ち満ちて帰られたのです。

★「どうあっても金光様にお礼申させて頂きたい!」と皆が一生懸命に工夫され、覚悟を決められてお礼参り出来られた方ばかりで、喜びに満ち満ちたお礼の参拝が出来られましたことは真に有難いことであり、本物の御礼参拝であると、神様にお喜び頂ける参拝となりましたならば嬉しいことですね。

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2017年01月16日

●真心で有難く参拝させて頂ける本物の信者に

昨日は御本部年賀参拝を共々におかげを頂き有難いことでございました。参拝させて頂くという覚悟があれば、雨であっても、風であっても、雪であっても、参拝させて頂けます。天候のことや健康のことや、色々と心配なことがありますが、そこをお願いしてさせて頂くとおかげになってゆき、一回一回の参拝でお徳を積ませて頂けるのです。

★教祖様御在世のご時代に、片岡次郎四郎師は月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたそうです。しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコと迎えられて「よう参られた。良い修行であったな。おかげを受けたな。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★片岡次郎四郎師は勝手参りではなく、教祖様から「来月は〇日に参拝しなさい」と決めて頂かれていたのですが、12年間の神様のお試しの中でも、有難く参拝を続けられたので、神様からご信用を頂かれ、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのです。

★『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』『徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない』とみ教え頂いておりますが、うろたえ信心や不足信心にならず、片岡次郎四郎師のように、本物のご信心を見習わせて頂き、有難いの一心にならせて頂きたいものですね。

★それは御本部参拝だけではありません。日々の朝参りも同じです。前日にお願いしておりませんでしたら、朝目が覚めても、温かい布団の中で「もうちょっと寝よう」となってしまいやすいものです。

寒中でも「さあ!お参りさせて頂こう」という気にならせて頂くには、前日からお願いをさせて頂いて、その覚悟が定まっていなければ、なかなか起きられません。「明日はどうぞしっかり朝参りがさせて頂けますように」とお願いさせて頂いて、日々お繰り合わせを頂いてお参りさせて頂き、有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年01月14日

●いざという時ほどお礼を申す

★受験に際しての心構えとして「平常心」「おかげは和賀心にあり」「事の大小に関わらず、心中ご祈念して取り組む」ということを先日もお話ししていたところです。

★本日と明日の二日間に渡って、大学入試センター試験と私立中学の受験が実施されます。受験生の皆さんは、目標に向かって日々努力し、体調の上にも気を配りながら、今日の日を迎えられたことと思います。また、ご家族や学校の先生方にどれほど多くの協力をして頂かれたことでしょうか。「今この瞬間、実力を発揮しなければならない!」という時ほど、今日までのお礼を申させて頂くことが大切なのです。

試験が始まる前に、まずは、今日までお育て頂き、様々なお世話になって勉強させて頂くことが出来た事を、そして健康で試験の日を迎えさせて頂くことが出来た事を、神様・霊様にお礼申させて頂きたいと思います。心配は神様にお預けし、お礼に満ちた心持ちで答案用紙に向かわせて頂けば、思い出すべきことも思い出させて頂け、実力以上の結果を頂くことも出来るはずです。

★また、明日は御本部の年賀参拝を、共々におかげを頂きたいと思います。毎月、列車とバスとの両方で団体参拝のおかげを頂いておりますことは、真に有り難いことでございます。天候気象の上にも、お一人お一人の体調の上にも、また、列車やバスの運転手の方々の体調の上にも、万事にご都合お繰り合わせを頂いてこそ、毎月何事もなく、参拝させて頂くことが出来ているのです。

★ものごとが順調に、問題なく運んでいる時ほど油断なく、心中ご祈念を欠かさないよう、心掛けさせて頂かなくてはなりません。心配は神様にお預けして、小さなことまでご祈念を欠かさないようにさせて頂き、お礼の心に満ち満ちて、万事に取り組ませて頂きたいと思います。

★『真に有り難しと思う心すぐにみかげのはじめなり』

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2017年01月13日

●家業が行である 

 昭和49年のことです。当時、朝日放送のラジオの『宗教の時間』に二代教会長伊藤コウ師の教話が放送されました。あるお寺の奥様が偶然コウ師の教話をお聴きになり、大変感銘を受けられました。と言いますのも、その奥様は膀胱や大腸から出血する病を患っておられ、生きる気力を無くし、毎日「死にたい、死にたい…」と泣いて暮らしておられたそうです。

★そんな中で4月10日にラジオで偶然コウ師のお説教をお聴きになり、身が震えるほどの感激を覚えられ、お声が体中に染みわたってゆく感覚になられたそうです。そして、どうしても教会へお参りしたいと願われましたが、病気で出かけることが出来ません。そこで、ご主人である住職さんが代わりに阿倍野教会に参拝されたのでした。

★住職さんは、コウ師に「うちの家内があなたのお声に感じ入りましてなあ。『もう今日から死にたいと言わない』と申しております。おかげ様で出血も止まり、身体も良くなってきております。有難うございます。ところで先生は、これまで余程ご修行して来られたのでしょう。でなければ、あんなに良いお声にはなりません。あのような良いお話も出来ませんからなあ。」と仰いました。するとコウ師は、「いいえ、私はご修行らしいご修行はしておりません。」とお答えになりました。「では、何をなさっているのですか?」と尋ねられますと、「このお道では『此の方の行は、水や火の行ではない。家業が行ぞ。』とみ教え下さっています。私たちに与えて頂いた家業を行として、有難くさせて頂くことがこのお道の信心です。家庭や職場でそれぞれにご修行があるはずです。山にこもったり、滝に打たれて修行するのでもありません。食べ物を食べない修行をするのではなく、食物を有難く拝んで頂くご修行をさせて頂く。与えて頂いた仕事を生活そのものが修行であるのです。和らぎ賀ぶ心にならせて頂き、全てを拝んで有難く受け切ってゆく。誰でもが毎日の生活の中でしておりながら、誰でもが疎かにしてしまっている事を、真に有難くさせて頂くのがこのお道のご修行であるのです。」と仰せられたのでした。

★『世の中に表行をいろいろとする人がある。寒行として拝んで歩いている人もあるが、心行といって、人に不足を思わないで、物事の不自由を行とし、家業を勤め、身分相応を過ごさないよう倹約をし、誰にも言わないで行えば、これが心行である。』

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2017年01月12日

●一番大切なものはご信心

 二代教会長伊藤コウ師は、『心が神様に向かわせて頂いてご信心になっているときは、心穏やかで何をしていても有り難い。道を歩いていても食事をしていてもいろいろなところに思いを馳せて御礼が申せる。ところが、ご信心を落としているときはいろいろなところに不平不足がある。何か事が起こるとすぐに腹が立つ。そして、心が荒れてしまう。それが信心の落ちている姿である。一番大切なのは、形のあるもの(家、土地、金)を残すことではなく、形の見えない信心を次の代また次の代へと残させてもらうということである。』と、み教え下さっています。

★毎月、売り上げの報告と御礼のお届を御結界でなさるご信者がおられました。常に「神様が社長で自分は従業員であり、神様に使って頂いて商売をさせて頂いています。」という心積もりで、「自分が金儲けをして良い生活をしたい。」というような気持ちが中心ではなく、「これまでの御礼にどうぞ働かせて下さい。得意先に喜んで頂けますように。仕入先にすぐに御礼の支払いが出来ますように。」というお願いを中心になさっていかれました。日々の生活も贅沢をせず、倹約をしながらでも税金はきちんと払われ、後始末すなわち御礼の信心が出来ておりますと、有り難いことに収入がだんだんと増えていかれ、年々繁盛させて頂かれたのでした。

★一方あるご信者は、土地を購入され地鎮祭をお仕えになり、立派な建物が出来ていきましたが、コウ師が「お支払いは出来ていますか。」とお尋ねになると、その方は「支払いは出来ていません。十分に用意が出来ませんでした。」と答える始末でした。最初からまともな計画が出来ておらず、資金の余裕もなく準備も出来ずに分不相応なことをするから、借金が返せなくなってしまい全く後始末が出来ない状態となって、とうとう一年経たずにそこを売らなくてはならなくなってしまわれたのです。その後、小さな古い家に移られましたが、次第に夫婦の仲が悪くなって離婚なさることになってしまいました。夫婦はそれぞれの郷里に帰りましたが、奥様は二人の子どもを引き取られることになり、自分が働いて子供を他人に預けなくてはならず、ご主人の方はというと生きる気力を失ってしまったのでした。実に残念なことです。信心を落としてしまった結果です。

★コウ師は神様に申し訳ないこととお詫びをなされ、二度とこのような信心を落としてしまう人が出ないように、このお話を戒めとして教話なさったのでした。これらのお話から心が神様に向かわせて頂いておられる方と、信心を落としてしまわれた方との違いが分からせて頂けますね。どうあっても信心を基にして一年勝りに結構にならせて頂きたいと願われる家が増えさせて頂けますように、油断のない信心に励ませて頂きましょう。

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2017年01月11日

●おごりは諸悪の根源である

 三代教会長先生が、商売をされているあるご信者のお宅祭に行かれた時のことです。その家には、阿倍野教会のご信者のお知り合いの同業の方もお参りしておられたのでした。

★その方も親の代から金光教のご信心を頂いておられるとのことで、立派なお店を構えて商売をされていました。ところが、借金が嵩み、資金繰りに苦労しておられたのです。そこで、その方は三代金光様にお取次ぎを願われ、「なぜこのように商売がうまくいかないのでしょうか。」とお尋ねになったそうです。三代金光様は初めは何も仰らなかったそうですが、重ねて「なぜうちはこのように商売が…」とお尋ねになられました。すると三代金光様は、『何事も実意でな。』とみ教え下さったそうです。しかしその方は、「そんなことなら知っている。」と思ったと話されたのでした。その話しを三代教会長先生がお聞きになられ、「普段より心からみ教えを頂かねば、何をお話ししても聞き入れる余地が無いのだなぁ。」と残念に思われたと言うことです。

★『おごりは諸悪の根源である』とみ教えを頂いておりますように、自分自身の思い上がりや、ご無礼不行き届きが積み重なっていきますと、有難いみ教えを頂いていても、有難く頂くことができないのです。

★例えば、病人が医師から病気に合った薬を出して頂いたとしても、それを病人が「自分の口に合わないから飲みたくない」と言って服用しないのと同じことです。それでは、一向に病気は治りませんね。慢心、驕りは自分自身はもちろん家族も仕事もすべて滅ぼし、失う元です。

★『神になりても神より上になるとは思うな。』『おごりがましいことをすな。ものは細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』

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2017年01月10日

●神徳を受けよ 人徳を得よ

論語の中に、「其の才有りと雖も 其の力無きときは行われず 其の才其の力有りと雖も 其の徳無きときは行われず(才能があっても力が無ければ成就せず、才能と力があっても徳が無ければ成就しない)」とあります。どれほど学問を修めて知識と教養があり、地位があったとしても、自分の力だけで自分の身や周囲の方を守り、自分の才能だけですべてに都合良く生活する事は、決して出来ません。日々神様のおかげを頂いてお徳を頂かねば、人が信用して協力してくれずその知識も実力も発揮する事は出来ないのです。

★阿倍野教会では、神様の御機感にかなう「身代と人間と達者」が揃って代々続く家となるように「五つのお願い」(体の丈夫、子孫の信心教育、豊かな生活、平和円満、徳と力)を基本として誰もが願いを立てるように教えて頂いております。特に「徳と力」については、目には見えない部分ですが、大切に思って身を修めることを目標として信心させて頂くことを心がけなければなりません。学問を修めることはとても大切なことです。しかし、信心を基にさせて頂かなければせっかくの学問も、自分を活かし、世のお役に立つ働きにつながってゆかないのです。

★教祖様は『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』『神徳は人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問のうぬぼれ心もなく清い一心さえあれば受けられる。』『徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない』とみ教え下さっておられます。不安や心配は次から次へと起こってきます。しかし、ご信心させて頂いております私達は、お広前でみ教えやお取次を頂く事によって、不安や心配を全て願いに変えることが出来、神様にお預けする事が出来るのです。日々み教えを頂いて、天地の道理に基づいた生き方を目指し、正しい願いを持たせて頂いて、人生を正しい方向へ導いて頂きましょう。

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2017年01月09日

●入信より70年、三代目の信心の有難さ

昨日は、みかげ会例会にて、森山氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。戦後の混乱の中、お祖父様が晴明通りを歩いておられた時に、たくさんの方が出入りする旧広前に吸い寄せられるように足を運ばれ、伊藤コウ師にお取次ぎ頂かれたことが、御神縁となられました。当時、お祖父様は神経衰弱を患われ、定職にも就いておられなかったのですが、ご家族で日参されるようになる中で健康の上にも仕事の上にもおかげを頂かれ、お子さん方にも信心を伝えていかれたのでした。

★森山氏は、大学の工学部造船学科を卒業後、造船会社の設計部で6年間勤められましたが、造船業の低迷が続き、当時成長期にあったIT業界に転職されました。大阪の営業所から東京の営業所の勤務も経て、17年間勤められましたが、米国本社の売却、合併による早期希望退職が発表されたことを機に、お取次を頂いて再び転職を考えられました。そして、初めに就された造船会社の情報システム事業部に、思いがけず17年を経て再度就職することになられ、それまでの経験を生かしてお役に立たせて頂かれたのでした。

★現在は、同じ会社の、製造・開発を手がける事業部に所属しておられ、ヘリウムなどの資源のリサイクルや、環境などの社会的問題解決に貢献されるような重要なお仕事に、事業部長として勤めておられます。ご先祖様から伝えて頂かれたご信心のおかげでお徳と力を頂かれ、お取次を頂いて世の荒波の逆まく中も正しい舵取りをさせて頂かれ、世の中のお役に立たせて頂いておられることは、大変有り難いことと思わせて頂きます。

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2017年01月08日

●我を出さず、ままよという心に

皆それぞれに神様のご神縁に従ってお広前にお参りをさせて頂いて、おかげを蒙らせて頂いている共々でありますが、神様のお導きを頂いて、神様の氏子であることを自覚させて頂くことが大切です。皆それぞれに願いをかけて頂いています。

その願いがどのようなものであるかということをしっかりとつかませて頂くことが、信心の自覚と成長に繋がっていくのです。神様はどんな風に願って下さっているのか、神様の願って下さっているところを自分自身が気付かせて頂く、悟らせて頂くことが大切です。

★先日、お母様が入院なさっているご信者が「母は医師から、『危篤です』ともう何度も言われているのに、そのたびに命を取り留めております。どうして何度も命を繋いで頂いているんでしょうか?」とお伺いに来られました。

そこで「お母様が本来ならば無くなっているはずの命を何度も繋いで頂いておられるということは、そこに神様の思し召しがあるのです。お母様のお姿を通して、生き抜いていく力を与えて下さる神様のお徳の有難さや、親孝行とはなんぞやということを教えて下さっているのです。また、どのように自分自身の命を大切にせねばならんかということも教えて下さっておられるのです。まさに生命の神秘といった、有難いことを家族が皆それぞれに分からせて頂けるように、目に見せて下さってるのでしょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

出来事を通して、何を勉強せねばならんかということ、「神様の思し召し」を分からせて頂きたいものです。

★『何事にも無理をするな。我を出すな。我が計らいを去って神に心を任せよ。天地の心になっておかげを受けよ。』

つい、自分がああしたい、こうしたいという気持ちになったり、人間中心・自分中心の考えになったり、周囲のことを慮んばかることがなかなか出来ず無理を通してしまったりして、頂けるおかげも頂けないことになってしまうことがあります。神様にお任せということは大切なことと理解しながらも、なかなか実践出来にくいものです。

しかし、『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』とみ教え頂いております。神様に命を頂いている私達ですから、生きるも死ぬも神様にお任せというところまで進ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。
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2017年01月07日

●真心からのお供え 

 昨日は、昭和45年に81歳でお国替えされました伊藤スエ大刀自霊神様(二代教会長伊藤コウ師のお姉様)の御命日で、45年祭をお仕えさせて頂きました。スエ氏は阿倍野教会創設の頃には、上のお姉様のカツ氏と一緒に一信者として教会のために熱心に信心され、陰の御用に励まれ、ご自身のことは徹底して質素倹約されて旧広前の150坪の御土地をお供えされました。

★このお土地は地主さんがもっている大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあって、地主さんは切り売りをすることには乗り気ではあられなかったのです。しかし、スエ氏の真心に対してコウ師は何としてでも成就させて頂けるように、日々夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。その熱い願いが神様に届き、地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と仰り、遂に売ることを決心して頂けることになったのでした。後に、コウ師はその続きのお土地もすべて購入のおかげを頂かれたのでした。

★コウ師はスエ氏の真心に対し「倍にして御礼のお返しをしたい。」と願われ、スエ氏のお家を建てられ住んで頂くことになられたのです。姉妹は信心を基にして互いに真心で尽くし合いをなさったのです。家族みなが心を揃えてそれぞれの立場で一生懸命に御用され力を合わされたからこそ、阿倍野教会の礎が出来られたのです。実意をもって丁寧にどこまでも神様に心を向け、一心に貫かせて頂くその真心は神様に必ず通じてゆくのです。真心でご建築されました旧広前は現在も大切に使わせて頂いております。

★『真で成就せんことなし。成就せん時には、真が欠けたと思え。』

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2017年01月06日

●頂いたおかげを忘れない

 脳卒中の後遺症で手足が麻痺して動かなくなり、家でずっと寝ておられるご婦人がおられました。その方は、娘さんが何もかもお世話して下さっているにもかかわらず、「布団の敷き方が悪い!」「足音がうるさい!」など勝手気ままなことを言ってしまわれる状態であられました。ご主人が「私達がいくら言っても聞いてもらえない。もっと徳のある人に言って聞かせてもらおう。」とお考えになり、月例霊祭の日に奥様を連れて家族で教会にお参りされました。祭典を拝まれ、お説教を頂きますと、奥様は「今日のみ教えは私一人に言うて聴かせて頂いたようだった。」と思われ、それから心持ちが180度変わられたのでした。

★「今までずっと寝間住まいだったけれども明日からは布団を上げてしまい、病人にはならん!長い間気ままを言うて、娘や主人に甘えてばかりで相すまんことであった!これからは娘や主人に少しでも世話を掛けんように自分のことは自分でさせてもらおう!しんどいときは横になるけれど、出来るだけ起きて生活をしよう!少しでも役に立つことをしたい!」と心を決められ、半身不随のため自分で立って歩く気が無かったお方が、掃除や食事の用意など今まで家族にしてもらっていたことを出来る限り自分でなさるように努められました。そして、「このままでは家族に申し訳ない。これから改まってさせて頂きますから、どうぞ動く身体にならせて下さい。」と、神様に一生懸命にお願いすることを続けられ、有難いことにだんだんと手足が動くようになり、呂律が回らなかった言葉もはっきりと発音できるようになっていかれたのでした。そして、周囲の方々をお導きさせて頂くことが出来るようになっていかれたのです。

★『今まで、長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けて有難いこととその二つを忘れるな。その二つを忘れさえしなければ、病気は二度と起こらない。これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時の事を思い出して神に頼んであげよ。自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていれば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。』

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2017年01月05日

●惜しみない親切とは

 二代教会長伊藤コウ師のお結界に、あるご婦人がお届けに来られました。「母が嫁入り道具に持たせてくれた大切な着物をある人に貸したら、一年経っても返してくれません。それが元で夫婦で喧嘩になり、困っております。どうぞ返して頂けますように」というお願いでした。

★そこで、コウ師は「人に物を貸す時は、あげても惜しくないかということを考えてすることですよ。相手が着物を貸してほしいと要求してこられて、この着物をあげたとしても惜しくないなら、貸してあげられたら良いのです。けれども、あげてしまうのは惜しい。何かの折に、その着物を着て親の家に行ったら、親はいつまでも大切にしてくれていると安心する。だから、この着物は私の手元から、離すことはできないと思うのだったら、絶対に貸したらいけません。しかし周りを見回してみて、戦争であちこちに焼夷弾が落ち、多くの方が焼け出されて難渋しておられるこの世の中に、こんなきれいな着物はもう要らない。あの家が生活に困っておられるのだから、この着物も焼けてしまったと思えば惜しくない。これが先方さんのお役に立って、助かって頂ければそれで良い、と思えるなら、貸してあげたらよろしい。そこをこのお道ははっきり教えて下さっているのですよ」とお話し下さり、ご信者は得心して帰られたのでした。

★相手に助かってもらいたいと思う一方で、心のどこかに「礼を言ってほしい、恩にきてほしい」という気持ちがありますと、惜しいという気持ちが出て来て、自分の心も悩ませ、めぐりを積むことになります。本当に心の底から相手の事を願わせて頂きますと、おかげとなっていくのです。『たらいの水の信心』とみ教え頂いておりますように、その人からではなくとも、他所から返して頂けるのです。分相応を心がけ、日々み教えを頂き、身近なところから心の持ち方を稽古させて頂くことが大切ですね。

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2017年01月04日

●神様から与えて頂いている役目を知り自覚を持つ

 三代教会長・伊藤良三師の奥様は、実母を亡くされ、小学校四年生の時に、東京より1人で親元を離れて、阿倍野教会に入所されることになられたのです。教会に入所されて以来、生活の全てを二代教会長・伊藤コウ師のおっしゃる通りに習い学ぶことを修行とされました。掃除、洗濯はもちろんのこと、炊事、和裁・洋裁、編み物、布団の綿の打ち直し、畑仕事や鶏の世話など、奥の御用は全て引き受けて御用されたのでした。

★ある時、奥様がコウ師に「両親の元へ顔を出して、親孝行をさせて頂いてよろしいでしょうか。」とお伺いされました。すると、コウ師は「10年辛抱しなさい。」と仰せられました。奥様はそのみ教えを素直に守られて10年辛抱なさり、10年後に同じことをお伺いされました。するとコウ師は「10年辛抱しなさい。」と同様のみ教えをされました。奥様は計30年辛抱され、その後に東京から両親を呼び、大阪で暮らして頂いてお世話が出来られるようになられたのでした。

★コウ師は、奥様に「あなたは私のことを厳しい姑やと思っているでしょう。朝から晩までああしなさい、こうしなさいと私に言われているけれど、先々は必ず私より結構になります。私が御霊にならせて頂いてもずっとあなたのそばについて助けさせて頂きます。あなたは一人ではない。ずっと守らせて頂きますからな。あなたの心に私が生きているのですから、きっと結構になります。今の辛抱が先の幸せにつながるのです。」と仰せになっておられたのでした。

★奥様は80才を超える今日まで、出産以外は一度も入院なさることもなく、現在孫11人、ひ孫15人を頂かれ、今日もお元気におかげを頂いておられます。奥様は今日までのことを振り返られて、「辛抱しなさいと言われたので、自分が辛抱したように思っていましたが、それは間違いでありました。私が辛抱して頂いてきたのです。よう私のようなものを親先生、三代教会長先生は辛抱して下さったことです。有難いことです。」と顧みて仰っておられます。

★三代金光様は『信心のある者とない者との違いは、親のある子とない子の違いがあります。』と仰せになっておられます。神様の氏子としての自覚を持ち、御恩が分かり有難さを自覚させて頂くことを「親のある子」という言葉で表現なさっておられます。奥様が長年に亘ってみ教えを守り通され、ご修行して下さったおかげで、今日子孫の端々までおかげを蒙らせて頂いております。

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2017年01月03日

●心配は神様にお預けして

 先日もあるお方が、これまでのことをしみじみと振り返ってお礼のお届けをなさいました。そのご婦人は、以前は体のあちこちに不調を抱え、何十もの病名が付くような状態であられました。その方は、二十歳代の若いときから身を粉にして働いて家計を支えてこられ、「なぜ、うちのお父さんはきちんと働いてくれないのか。こんな両親の元に産まれて、なぜ私ばかりこんな苦労をしなければならないのか・・・」と、毎日不足ばかりを思って生活なさっていたそうです。そうするうちに、体調がみるみる悪くなり、働いて家族を養わなければならないのに、仕事が出来ない状態になられて、初めて、一心に神様におすがりするようになられたのでした。そうすると、段々と心も体も元気にならせて頂くことができ、何もかもご都合お繰り合わせを頂いて、「昨年はこれまでで一番有り難い年にならせて頂きました」と、御礼申されたのです。

★かといって、そのご信者の身の上に何も問題が無くなったのかといえば、そんなことはないのです。家庭の上にも、仕事の上にも、問題は次々と起こってくるのですが、その都度、生神金光大神様のお取次を頂かれ、不足を思わず元気な心で神様におすがりされ、心の上にも身体の上にも生活の上にもおかげを頂いておられるのです。

★神様におすがりすることを忘れると、ちょっとしたことでも辛く苦しく感じてしまい、問題に打ちのめされてしまいます。問題を通して、更に信心を向上させて頂き、一年一年有り難さの増していくようなおかげを頂きたいと思います。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:30 | 平成28年の「み教え」

2017年01月02日

●喜びに満ちて全てを生かす

5日から始まります、寒修行信行期間の目標に「それぞれが喜びに満ちて全てを生かす信心」と掲げさせて頂いておりますが、生涯のお願いとして心掛けさせて頂きたいものです。「全てを生かす」とは、時間を生かす・物を生かす・人を生かす・自分自身を生かす等のことで生かしていくということは生き生きとした働きになっていくということです。

物や人の命を大切にさせて頂いて、その命を生き生きとしたものにしていく。また、神様から与えて頂いている自分自身の役目をしっかりと悟らせて頂いて、責任をもって打ちこんでさせて頂くことに喜びを見出していけるようにならせて頂けますと、毎日が生き生きとして喜びに満ちたものになってゆくのです。これはご信心させて頂く上でとても大切なことなのです。

★しかし、生かすこととは反対に「命を生かせない」ということは申し訳ないことです。『心で人を殺すのは重大な罪である』とみ教え頂いておりますが、例えば病気や問題を抱えている人に対して「あの人は助からないだろう」とか「あんな人はだめだ!」等と思うことも心で人を殺しているのです。また、「私にはそんな力はありませんので、出来ません。無理です。」と自分自身を限ってしまうことも同じです。それでは自分自身を成長させることが出来ませんから、神様から与えて頂いている能力を生かせないことになってしまいます。

★どのようにさせて頂いたら生き生きとした働きにならせて頂けるのか、どのようにしたらおかげを頂いていくことになっていくのか、そしてどのようにしたら真心が通じるのか。そこをご信心させて頂いて勉強して頂かねばなりません。

★そして「私は本当に恵まれていて幸せだ」と心から思わせて頂ける日々の生活にならせて頂くには、心も体も健康でなければなりません。さらに周りとの関係が円満であることも大切です。自分自身が必要とされる場所があって、人の為、世の為に役に立たせて頂けるというのが幸せなのです。これは自分中心の考え方ではなく、人のことを思えるということです。そうしたところを心掛けておりましたら、喜びに満ちて全てを生かすということが出来てくるのです。

★『わがことは次にし、人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神様がよいようにしてくださる。』とみ教え頂いております。神様を杖にしっかりとおかげを蒙らせて頂けるご信心にならせて頂きましょう。
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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:34 | 平成29年の「み教え」

2017年01月01日

●平成29年をお迎えして

新年おめでとうございます。平成29年元日祭を午前6時より無事に仕えさせて頂きましたことを有難くお礼申し上げます。

★昨年一年間万事にご都合お繰り合わせを頂きまして、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂き、本日新たな年を迎えさせて頂くことが出来ましたことを、共々に神様にお礼を申させて頂きたいと思います。皆様方には、私どもの御用の不行き届きな中をご辛抱頂き、またひとかたならぬお祈り添えを頂きましたことを厚くお礼申し上げます。

★昨年一年間を振り返らせて頂きますと、「あれもおかげであった、これもおかげであった」ということばかりでございました。様々な出来事は全て神様のおかげの中でのことであり、私達の信心が向上するように神様の思し召しを頂いての出来事であると分からせて頂きます。

昨日よりも今日、今日よりも明日、先月よりも今月、今月よりも来月、去年よりも今年、今年よりも来年というように一段と信心が向上し、おかげを頂いてゆくように願って下さっています。すべてにお守り頂きおかげを頂き続けてきましたことへのお礼をしっかりと申し上げ、今年一年新たな心持ちで願いを立てて倦まず弛まず信心の稽古に邁進させて頂きたいと思います。

★本年は、二代教会長伊藤コウ師の35年祭、またコウ師のご母堂であられます伊藤ハル氏の85年祭をお仕え申し上げます。そこで、寒修行信行期間の信心目標を『喜びに満ち満ちてすべてを生かす信心』「願い成就に向けて本気になって願う」「それぞれの立場で本物になることを目指す」と決めさせて頂きました。

コウ師、ハル氏のご信心を習わせて頂き、一歩でも「真の信心」に近づかせて頂きたいと願っています。そして、11月11日には開教95年の記念大祭をお仕え申し上げます。大変大切な節目の年を迎えさせて頂くわけですが、各家の五ヵ年計画の満願成就に向けて、より一層信心をお進めになられ、御信者皆様の家々が益々有難い飛躍の年になられますようお祈り申し上げております。

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posted by 金光教阿倍野教会 at 12:22 | 平成29年の「み教え」