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2016年12月31日

●「これをおかげにせよ」 

 本日は大晦日を迎えさせて頂き、本年締めくくりの日とならせて頂きました。こうして毎日健康で参拝がさせて頂けるということが一番有難いことであり、神様がお喜び下さることです。今年一年間の御礼・お詫びを申させて頂き、新年がより一層有難い年にならせて頂けます様、お願いさせて頂きましょう。

★米国サンフランシスコに於いて布教の第一歩を印された福田美亮師は、東京での大学卒業後間もなく、住居が全焼し無一物になられるという大変な経験をなさいました。しかしその時先生は、
(1)長年かかって集めた多数の書物が焼けたことは、「小理屈を捨てよ」との神様からのみ教え
(2)大学の卒業証書が焼けたことは、「肩書を捨てよ」とのみ教え
(3)着物や伝家の宝刀が焼けたことは、「虚飾を捨てよ」とのみ教え
(4)大学の住所録の焼失は、「今までの友達との付き合いよりも、新しく信心の友達をつくりなさい」
とのみ教えと、全て神様からのみ教えと、実に潔く有り難く頂かれたのでした。

★そして、「火事に遭った悲しみは無く、清々しい無一物からの出発が返って有り難かった」と残しておられます。それからは、一時親戚を頼られたり、電車で移動しておられたところを、全て下駄履きで歩かれるなど、通常で考えますと不便を極められたことと思いますが、打ちひしがれるどころか、心勇んで全てを神様からのみ教えとして有り難く受け切られたのでした。そして、この火事の経験から『生かされて生きている』ということを悟られたのです。

★私たちは日々、自分自身の生活を見直し、考え直してゆくことが大切です。何か出来事が起こってきた時には、まず自分を振り返ることが柔軟で若々しい人のあり方です。反対に心が老化してしまうのは、頑なで人の話を聞き入れない姿です。「他が悪いからこのような事が起こってくるのだ」と、出来事を他のせいにしてしまっては、信心になりません。神様がこの出来事を通して「これをおかげにせよ」と教えて下さっている事に気付かせて頂くことが苦難に処する道であるのですね。

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2016年12月30日

●日々、今月今日の信心を…

『教祖様は「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰ったが、過ぎたことはどうにもならん。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで日に日に生きた信心をせよ。』(二代金光四神様のみ教え)

★よく過去を振り返って、後悔したり腹を立てたりと不足に考えてしまうことがあります。しかし、自分が覚えている過去もあれば覚えていない過去もありますし、生まれる以前の先祖の身の上のことも知ることも出来ておりません。ですから、知らず知らずのうちにご無礼お粗末なことはたくさんあるのです。そのような過去のことは神様におすがりして万事お任せすれば良いのです。過去にとらわれた生活は、決して助かってゆきません。今月今日の信心を一生懸命にさせて頂きましたら、過去一切がおかげとなり、助かっていくのです。そこを分かって信心をさせて頂けば過去から離れることが出来る、すなわち昨日を忘れることが出来るというご意味です。

★過去が助かるという事は、未来も助かってゆくという事です。今日という日は過去一切を含んだ今日なのです。ですから、目の前に頂いている家族、仕事を大事にさせて頂き、喜ばせて頂く、その生き方、今日からの生き方というものによって未来を良き方向へ導いてゆくことが出来るのです。ですから今日という日ほど大切なものはありません。今日を喜んで生活させて頂くからこそ、次々と喜ぶことが起きてくるのです。今日生命を頂いていることにお礼を申し、目の前に与えて頂いていることに懸命に取り組ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『日にあらた 日に新たにと神幸に 生かされてこそ 今日の身もあれ』(甘木教会初代教会長安武松太郎師のお詠)

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2016年12月29日

●ご先祖から子孫の端々まで助かるご神徳

昨日28日には、今年締めくくりの月例霊祭をお仕えさせて頂き、御霊様方の日々のお守りに御礼申し上げると共に、ご霊徳とご安心をお願いさせて頂いたことでした。

★初代教会長・伊藤徳次師は、ご実家である池田家のめぐりのお取り払いを頂く為に、家の代表として、16才から23才まで足掛け8年、甘木教会でご修行なさいました。そして、伊藤コウ師と結婚なさってからは、大阪で教会設立の礎を築くべく、一層厳しいご修行に励まれました。そのご修行のお徳により、池田家の子孫は、第二次世界大戦の折にも戦死者無しのおかげを頂かれたのです。

★徳次師の甥の池田正氏は、第二次世界大戦の時、飛行兵として小型爆撃機で飛行中、敵機により撃墜されて、フィリピンのジャングルに墜落したのでした。しかし、4名の同乗者の中で正氏だけが機外に投げ出され、落ちたところをジャングルの樹木に受け止められ、スコールで息を吹き返したことにより一命を取り止められたのです。 正氏は、そこから1年7ヶ月の間ジャングルで生き延び、半死半生で倒れているところを保護され、命を助けて頂かれたのでした。

★ご信心させて頂くことによって、目の前の出来事の助かりにとどまらず、子孫の端々まで助かるご神徳を蒙らせて頂くことが出来ます。また、ご先祖の霊様方のご霊徳とご安心にもつながり、そのご霊徳によって、一層のお守りを受けることが出来るのです。つまり、過去も現在も未来もが助かってゆくご信心の有り難い深いご意味をしっかりと分からせて頂き、心を込めてご修行に励ませて頂きたいと思います。

『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。』

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2016年12月28日

●分相応に生活させて頂く

 二代教会長伊藤コウ師は結婚以前の娘時代に、「神様、私は今上等な品物を買わせて頂く身分ではございませんので、一番安いものを買って参ります。辛抱するだけの辛抱はさせて頂きます。けれども、どうぞ将来は上等なものを買わせて頂けるだけの徳と力を頂かせて下さい。」と、お願いなさりました。

★しかしながら、辛抱というものは簡単ではありません。初代教会長伊藤徳次師と所帯を持って間もない頃、お二人で外食をすることになり、食堂でコウ師が親子丼を注文しようとなさると徳次師は「うどんで構わん。」と仰り、二人で素うどんを食べられたことがあったそうです。そのときコウ師は不服に思われたそうですが、徳次師と生活を共になさることで、有難いことにだんだんと辛抱することに慣れていかれたのです。

★ある日、コウ師が傘屋さんの前に立ってじっと傘を見ておられました。徳次師が「どうして傘屋の店先で立っているのか。」とお尋ねになると、コウ師は「あの傘を買ったつもりでいます。本当に必要になるときまでこの店に預けておこうと思って見ていました。」と仰りました。このように、欲しい物があっても辛抱を続けられたので、どれだけ収入が少ない月でも赤字を出すことはなかったそうです。そうしているうちに、だんだんと結構におかげを頂かれて豊かな暮らしが出来られるようになっていかれました。

★コウ師は「結構にならせて頂いたらその本当の有難さを分からせて頂けるのです。ところが、結構さも分からずご無礼な生活を続けておりますと、神様はそのことがよく分かるようにドスンと落として下さいます。そうなると困るでしょうから、結構にならせて頂いてからも一番良いものを欲しがらないようにしなさい。分相応を守って倹約をして最低限の生活をさせて頂いていると、どんな世の中になっても困ることがありません。」とみ教え下さっています。最低限の生活を知り、豊かな生活の有難さを分からせて頂きましたら、神様から間違いのない生き方を教えて頂けるのですね。このことを心掛けて、紙1枚、鉛筆1本でも無駄にならないように使わせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年12月27日

●信心辛抱のお徳

25日は、青年会学生会例会が開催され、河内谷氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和25年、河内谷氏の家は養鶏所を経営しておられ、大変繁盛しておられました。しかし、お祖父様はお商売で儲けられたお金をお酒と賭け事に使い込んでおられました。その後もお祖父様の生活は変わらず、5年程で養鶏所が倒産してしまいました。お祖母様は、生まれたばかりの二人の子供さんを育てていかなければならず、子供さんを連れて家を出てしまわれました。そして結婚前に身に付けておられた洋裁の仕事で生計を立てておられました。

★お祖母様のお父様は、そんなお祖母様を心配され、教会に一緒に参拝され、二代教会長伊藤コウ師にお届けされますと、「あなたが家を出られたら誰がお家を守ることが出来るのですか?信心辛抱していれば必ずおかげを頂けて結構にならせて頂けます」とみ教え頂かれました。お祖母様は、み教え頂かれた通り家に戻られ、洋裁の仕事をしながら、実家のお父様が営んでおられたうどん屋の仕事のお手伝いをされました。お祖母様が戻ってこられてからも、お祖父様の悪い癖がなかなか直りませんでしたが、コウ師から頂かれたみ教えを守られ、信心と家業に励まれました。その後、お祖父様も家業を手伝われるようになり、商売も軌道にのって繁盛されたのでした。

★お祖母様は大変厳しい状況の中、二代教会長伊藤コウ師より頂かれたみ教えを素直に守られて一生懸命ご修行に励まれたことにより、有難いお徳を頂かれたのです。そのお祖母様の信心辛抱のお徳によって、次の代、また次の代が「どうあっても親孝行をさせて頂きたい」と願う生き方が出来るようになってゆく、真心が育つように良い影響を与えるこことなられたのです。
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2016年12月26日

●神様を目当てに 親切を尽くす

 二代金光四神様は、ある時一人の信者に『人は欲しい、惜しい、憎い、可愛いという事を離れさえすれば楽じゃ』と仰せられました。さらにその信者は、「我が子と他人の子と遊んでいる時に、二人同時に転げたら、どちらを先に起こせばよろしいでしょうか」と尋ねました。すると二代金光四神様は、『それは他人の子を先にせよ』とお答えになりました。「それでは余りにも我が子に情愛が薄うはございませんか」と申し上げると、『いやそれで情愛が厚いのじゃ、その心になれば我が子は神様が起こして下さる』とお諭し下されました。

★これは「神心を養う」「神様を目当てにする」「信心を伝える」「人に親切を尽くす」という点でみ教え下されているのです。自分のことより他人のために親切を尽くさせて頂いたお徳は、自分の子孫に返ってくるのです。「人のためにこれだけしたのに、その人からはお礼の一つも言ってもらえない。骨折り損のくたびれ儲けだ!」と言う人もいますが、神様を目当てにさせて頂きましたら、丸儲けなのです。

★二代教会長先生は子供を生んでおられませんでしたから、「是非とも子どもを育てる経験をさせて頂きとうございます」と願われ、生活が困窮なさっておられるご家庭の子どもさんを預かり、衣食住をお世話なさり、教会から小学校・中学校へ通わせるように、お育てになりました。そうした人の中に、いつの間にかいなくなった方もあられたそうですが、その時には「神様が『あの方のお世話はもうさせて頂かなくて良い』と仰って下さっているのだ」と思われ、恩着せがましく思われることも、見返りを求められることもなかったのです。

★『子供も十五になれば、ぼつぼつ身しのぎをする術を教えこまねばならぬ。自分のことは自分でご信心しておかげを受けさすようにせねばならぬぞ。』
『親から見れば、大きくなっても子供のように思うけれども、かわいがりすぎたりすると、先の為にならぬぞ。信心の有難いことを話してやっておれば、ひとりでに親の跡を継いでご信心するようになる。』

★親も子も、お互いに尊び合わなければ育ち合うこともありません。お互いに立てあって、それぞれの精神が高まっていくようなおかげを頂きたいものですね。一人前の人に育てて未来へ送り出していく為にはしっかりと親がご修行させて頂いてお徳を頂くことが大切です。そうして共にご信心をさせて頂いて、有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年12月25日

●新気・根気・御礼の働き

教祖様は、『何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。』とみ教え下さっておられます。

★世の中は全て移り変わっていくものですから、たとえ現在、健康であるとしても、繁盛のおかげを頂いているとしても、銘々に信心していなければ良い状態も長くは続いていかないのです。つまり自分自身の現状を常に見つめなおして、道理にかなった在り方になっているだろうか?と自問し直してお礼の足りないところ、お詫びの足りないところに気付かせて頂き、根気強く改まりを続けさせて頂くことを心がけていかなくてはなりません。

★頂いたら出さねばなりません。そうでないと不健康な状態になります。取り込むばかりで御礼の働きとして表さなければ不健全な状態になるのです。働きに応じて給与も頂けますが、常に給与以上の値打ちのある御礼の働きを心がけてゆけば健康な状態を保たせて頂けるのです。働くこと、休養を取ること、全てにおいて、「生活即信心」といえるような、み教えに基づいたバランスの取れた健全な在り方にならせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。


★三代教会長先生が、10代の御頃に「日常の心得」として戒めておられた5つのこと。
1)何事も好きなことをする気で喜んでする。…どんな事でも喜びに満ち満ちてさせて頂けるよう、しっかりとした願いを持つ。
2)今日できる事を明日に延ばさない。…何事も神様にお願いしながらさせて頂き、体の上にも時間の上にも、万事にご都合お繰り合わせを頂く。
3)足るを知る。…分相応を過さぬように、倹約をする。
4)目前のことに迷わない…み教えに基づいた正しい決断が早く出来るようにならせて頂き、後悔のないように。
5)腹立てば三度「金光様」と御祈念する。…3度で治まらなければ10度・20度と御祈念する。

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2016年12月24日

●素直で純真な心になるように…

 昨日は、日々信心の稽古場所として使わせて頂いておりますお広前を一年の締めくくりに、大勢の皆様方の御用奉仕を賜り、年末の大掃除のおかげを蒙らせて頂きました。

★あるご信者が家族で広島から車で御本部へ参拝道中のことです。突然、目を開けていられないほどの明るい光が輝き、慌ててブレーキを踏み速度を落とし、前の車と車間距離をあけられました。するとその途端、前の車が追突事故を起こしたのです。もし車間距離をあけずにそのまま運転していれば、そのままご信者の車も前の車にぶつかって事故に巻き込まれていたのです。知らず知らずのうちに狭くなっていた車間距離を神様があけて下さり、大難を無難におまつりかえを頂かれたのでした。

★ご信者は、車を購入されました際に、広島から新車の御祈念に来られました。そこで、御神米をお下げさせて頂き、「運転席の日除けのところに御神米をお祀りし、運転するときは必ず御祈念して運転し、車から降りるときは『今日も無事故で有難うございました。』とお礼を申して降りましょう。」とお話しさせて頂きました。ご信者は、車に乗る時、降りる時には必ず御祈念なさって運転するのはもちろん、日々生活なさる上で常にご神米をお伴して、御祈念しながら生活しておられました。その素直な純真な心を神様がお受け下さり、結構な有難い体験をさせて下さり、大難を小難に小難を無難におまつりかえ頂くことが出来られたのです。

★教祖様はこのお道の奥義九ヶ条を教えて下さっています。
一、方位(日柄方位の迷信を絶つ)
二、毒絶て(迷信による食物の良し悪しを絶つ)
三、不成(成らずの心。「無理だ」「出来ない」など、可能性を小さくさせる思いを絶つ)
四、欲徳(我情我欲を持たずに、正情正欲を持つ。)
五、神徳(神様からのご信用を頂くこと。)
六、人徳(人から信用して頂き、用いられること。)
七、神(神様を敬う)
八、皇上(日本の国のご先祖を敬う)
九、親(生みの親育ての親を敬い、孝養を尽くす)

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2016年12月23日

●本当の有難さや楽しさを感じる

『心が神様に向かわせて頂いているときには信心になっている。しかし、心が神様に向かわせて頂いていないときには我情我欲である。』と二代教会長伊藤コウ師はみ教え下さっておられます。神様のみ教えに沿った生き方をさせて頂き、神様のお心に叶った生き方にならせて頂けるようにおかげを頂いていくことで、本当の有難さや楽しさを感じさせて頂くことができるのです。我情我欲を取り去ることは一生を通じてご修行させて頂かねばならない内容ですね。

★先日あるご信者が、「主人のペースに合わせて家事をすることはなかなか難しいことです。自分ではストレスを感じていないように思っていますが、身体には胃炎のような症状として表れているようです。」と話しておられました。「主人在宅ストレス症候群」という病気があります。それは、定年退職なさったご主人がずっと家に居られることで奥様が自分のペースで家事等をすることが出来ず、ストレスが溜まってしまい身体に症状として影響が出てしまうものなのだそうです。

★このような状態でどのようにすれば、心の底から有難く嬉しく思わせて頂けるのでしょうか。それは、例えば「ご飯はまだか。」とご主人に言われても、[神様が「今これをせよ」と仰っておられる。ありがとうございます。]と思わせて頂き、すべて神様を目当てにさせて頂くほかありません。神様に心が向かわずに人や出来事に心が向かえば、「今これをしようと思っていたのに。」というように我情我欲になってしまいます。神様に心が向かえば信心となり、有難いおかげを蒙らせて頂いて日々の生活を楽しむことが出来るのですね。

★論語に『これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。』また、礼記に『蔵修息遊』という言葉があります。家業を楽しんでさせて頂けるよう、信心に励ませて頂きましょう。

★蔵・修・息・遊
(1)蔵…知識も教養も次々と蔵に納めるつもりで、学ぶ。
(2)修…ただ知識として知っているだけではなく、身に修め離れないものにしてゆく。
(3)息…息をするが如く、自然に無意識のうちに行えている状態にならせて頂く。
(4)遊…遊びの境地で嬉しく、楽しんでさせて頂く。

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2016年12月22日

●目に見えない部分を大切に

 昨日は、金光四神貫行之君・金光攝胤之君例年祭・金光鑑太郎之君25年祭を無事にお仕え申し上げさせて頂くことが出来ましたことは、真に有り難いことでございました。

★教祖様が神上がられてから4年目の秋のことです。佐藤範雄師が二代金光四神様に『金光様、あなた様はあまりに御勤めがはげしゅうございます。御身体に御障りはいたしませぬか。』とお尋ねを申し上げられました。すると金光四神様が『わたくしだけでは、とてもつとまりませぬが、毎夜12時をすぎますと、親さまがもとのとおりにおでましになって、一日のお願いお届けの帳面を、くりかえしくりかえし、三か年のあいだご祈念くだされましたので、不徳なわたにしもつとまりました。』と仰せられました。

★教祖様がお出まし下さり、祈りを足して下さっているお姿が二代金光様のご心眼に映っておられたのです。しかし、誰にでも夜中に教祖様のお姿が見させて頂けたのかというと、そうではないでしょう。心眼に映るだけの御神徳を頂いていなければ、拝ませて頂くことは出来ません。

★教祖様は『真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ』とみ教え下さっておられます。毎日お広前に参拝させて頂いて、み教を頂き直して、心の眼を開かせて頂く稽古が大事です。私たちには行き届かないところがたくさんありますが、それはまさに足らないところを足して下さる神様・霊様のお働きによって、有難いことに立ち行かせて頂いているのです。私達もご信心が進ませて頂き、実意丁寧にご修行に励ませて頂きますと、心の眼が開かれて、神様・霊様に近づかせて頂くことが出来るのです。私たちの目に見えている範囲というものは実に狭いのです。目に見えていない部分を大切にし、み教えを頂き直して、心を清めて磨く稽古を生涯のご修行にさせて頂いておりますと、有難い部分が開けてくるのです。

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2016年12月21日

●子孫にも伝わるご信心のお徳

昨日は在籍教師であられた門田豊実先生のご命日でした。門田豊実先生は、警察署長を退職の後、企業に勤務なさり、その後昭和26年53才で阿倍野教会に入所させて頂かれ、昭和53年80歳でお国替えになられるまでの間、在籍教師として御用にお使い頂かれました。

門田先生は、お若い頃神経衰弱を患われ、全く仕事も出来られない程の状態であられた所を、日参と聴教・お取次ぎを頂かれて全快なさったのでした。門田先生は、その御恩を決して忘れる事なく、お礼のご信心に励まれたのです。

★東京で警察学校に通われた時には、ご自分で日参の出来る金光教の教会を探され、近くに下宿を決めて日参なさることを、神様とお約束なさいました。日参なさっておられた教会のご事情で教会が別の場所に移転なさった時にも、再びその教会の近くに引っ越されて、日参を続けながら警察学校に通われたのでした。

それ程の一心な熱烈なご信心のお徳によって、警察官となられてからは、お若い頃から異例の速さで出世なさったのです。同僚の方から、「何か大きなコネでもあるのでしょう?」と尋ねられた程であられたようですが、先生は、「はい、そうです。私には、『生神金光大神様・天地金乃神様』という大きなコネがあるのです。」と、お答えになられたということです。

★いくら五体満足な体を頂いておりましても、健康な心と身体がなければお役に立てないのです。そしてご信心させて頂いて、お徳を頂いていくことが大切です。心から神様におすがりして、日々の生活を続けさせて頂くとご信心のお徳を頂いていくことが出来るのです。

★豊実先生の息子さんは現在も熱心に参拝され、医師としてお役に立たれておられますが、「御祈念して仕事をさせて頂いておりましたら、ご両親の御霊様がすぐそばについて自分と一体になって仕事をして下さるということを実感させて頂きます。」と仰っておられました。

信心のお徳はそんな風にして子孫にも伝わり結構なおかげを頂いていくことが出来るのです。毎日お広前で勉強させて頂き、家中が身に付いて離れないようなご信心のお徳を積ませて頂きましょう。
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2016年12月20日

●互いに足らない所を足し合う生き方

 私達は、人から自分の思いに合わないことを言われたりされたりすると、つい相手に対して悪いことを思ったり、仕返しする心が出てきてしまうものです。先日も、あるご信者が「嫁と気持ちが合わない所があり、嫁姑関係で心を痛めております。」とお届けをされました。

★佐藤照師は『みんなよいことばっかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになるなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受けるくらいの心でおらねばならぬ。誰でもを受けていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受けるのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。

★一人の力は知れております。自分ひとりでは何事も成し得ません。特に大きな事は出来ないものです。家庭でも仕事でも、人のお世話にならなければ出来ないことばかりです。その事を自覚させて頂き周囲の方々に対して常に御礼を申す生き方をさせて頂くことで、自分自身が心身ともに健康にならせて頂くことが出来ます。自身の至らなさを知り、謙虚に慎み深い生き方を心がけ、お互いに感謝して足らない所を足し合うということが、皆が円満で互いに立ち行く元であるのですね。

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2016年12月19日

●覚悟を決めること

昨日は、万事にご都合お繰り合わせを頂いて、平成28年締めくくりの御本部御礼参拝を共々にさせて頂くことが出来まして、真に有り難いことでございました。毎月、決めて頂いた日に万障繰り合わせて、「何が何でも」の思いで参拝させて頂いておりますと、暑さ寒さが厳しい時等、参拝が難しいと思える時ほど、有り難いお徳を頂くご修行とならせて頂けるのです。

★昭和38年三代金光様ご帰幽の後5月11日春の御大祭の当日がどしゃ降りの雨の時があったのです。二代教会長・伊藤コウ師は
「三代金光様のご帰幽を天地が悲しんでおられる」と感じられるとともに
「私自身の不行き届きによって参拝なさり御用なさる皆さんが苦労しておられることは申し訳ない」とお詫び申し上げられました。

その天候をものともせず、多くのご信者がご参拝になられるお姿を他教会の先生がご覧になり、
「晴れても降っても変わりがない参拝の姿であった。この度は阿倍野教会のご信者の結構なご信心を拝ませて頂きました」と、おっしゃったのでした。天候気象にかかわらず、参拝させて頂く覚悟が決まっておりますと、常の参拝よりも増して二倍も三倍も有難いお徳を頂ける参拝にならせて頂きます。その覚悟が出来ているところに「信者の中の信者」と神様から喜んで頂ける信心となるのです。

★佐藤光俊師の御祖父は、
「信心のある者とない者との違い。それは、例えば同じ年月同じ病を患って全快したとすると、信心のある者は、『大変な病を結構なおかげを頂いて全快させて頂いた。有り難うございます』と、後に信心の徳が残る。信心のない者は、『この度は大病を患った。長い間大変な思いをした。お金もかかった』と、後に難儀と衰弱が残る。大変な違いである」とみ教えになっておられます。

★身の上に起きてくることを天命を悟って、難しい問題は、めぐりをお取り払い頂き、お徳を頂くための有り難いご修行だと、覚悟を決めることが出来れば、そこから道は開かれていくのです。

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2016年12月17日

●本物になるということは…

 平成29年1月5日からの寒修行信行期間の信心の目標といたしまして、『喜びに満ち満ちて全てを生かす信心』「願い成就に向けて本気になって願う。それぞれの立場で本物になることを目指す」という目標を掲げさせて頂きました。

★伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)は熱心に信心を進められ、70歳になられた折に、娘さんであるカツ氏、スエ氏、コウ師を上座に据えられ、下座から手をついて「あなた方が病弱で幼い頃から次々と命にかかわるような病気をしてくれ、さらに次から次へと問題が起きたおかげで、私は今日まで信心が続かせて頂けました。今ではこんな結構にならせて頂いております。有難うございます。あなたたちのおかげです。」と御礼を申されたのでした。

★本物になるという事はどういう事でしょうか?信心が向上するということは、今までお礼が申せなかったところにお礼が申せてゆき、お詫びを申すことができなかったところにお詫びが申せるようになることです。物事の本質を捉えるためには、神様から何を教えて頂いているかを考え、自ら練り出してゆく力を養うことが大切ですね。そうすれば、どういう状況でも神様を杖に有難く受け切り、乗り越えさせて頂き、周囲の方に喜んで頂ける姿にならせて頂けるでしょう。会社の社長として責任を持ち本物になる、家老として本物になる、それぞれが与えて頂いている立場で本物になるために、生涯「本物の信心にならせて頂けますように」と願い続けさせて頂きましょう。神様、御霊様に対して、家族、社員に対して心からお礼が申せるように、真の信心を目指し稽古を続けさせて頂き、与えて頂いた立場に責任を持って打ち込んでゆけば自ずと本物の姿に近づいてゆくことでしょう。

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2016年12月16日

●年を重ねるごとに高まるお徳

 先日、96歳を迎えられたお方がご家族中揃われてお届けに来られ、一年間のお礼を申されました。そのお方は、家でお休みになられながらも、「教会にお参りしたくてしたくてたまらない!」と毎日仰っておられたそうです。先日も歩いて教会までお参り出来られ、大変喜ばれてお礼申されたのでした。食事の量が以前と比べると少し減ってきたそうですが、誰しも年を重ねますと、気力や体力が衰えてくるのは当然のことです。しかし、積み重ねてきたお徳というものは、日勝り、月勝り、年勝りに高まってゆき、心が穏やかになって、神様に近づいていかれるのです。そのようなお姿が、子供さんやお孫さんに伝わり、尊いものを伝えていかれることになってゆくのです。そのお姿を拝ませて頂き、大変有難い尊いお姿だなあと心から有難く思わせて頂きました。

★お広前という場所は、「氏子の願い礼場所、信心の稽古場所」と教えて頂いておりますとおり、自分自身が良い方へ良い方へと生まれ変わっていく場所であります。確かに年齢が高くなっていきますと、衰えていく部分が必ずあります。しかしそれだけでなく、さらに向上していく部分があります。周囲の方から見られて拝んで頂けるようにおかげを頂いてゆかなければなりません。お徳を頂いてゆくということに一年一年向上させて頂くためには、新しいことに出会って、自分自身が変わっていかなければ、尊いものを生み出していくことは出来ません。自分の思ったことだけをするのではなく、出来てきたことは皆おかげにさせて頂けるようにご信心を進めさせて頂きたいと思います。

★『かわいがられる者は、どこへ行ってもかわいがられる。何事にも実意丁寧ということがある。だから、人にかわいがられるくらいの者なら、神さまにも好かれる。』(金光四神様のみ教え)

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2016年12月15日

●心と身体の掃除をする

 甘木教会初代教会長安武松太郎師は、お風呂に入られる時、洗面器三杯のお湯ですまされたそうです。それは限りある天地のお恵みを大切に使わせて頂くという意味ですので、粗末にせぬようにどこに行かれてもそのご修行を貫かれたということです。三代教会長先生もその御修行をお手本にされ、子供と共に風呂に入る際にも、お水に対してお礼を申し無駄にしない事を御教導下さいました。そのように、強く意識をもっていなければ、私達は知らず知らずの内にご無礼を積み重ねてしまっている事がたくさんあるのです。

★人間は意識をして生活をしているのが2割、無意識の内に判断しているのが8割だそうです。また。これまでの出来事で忘れてしまっている事が多くあります。ですから、ご無礼・不行き届きを全くなくしてゼロにするということは出来ませんが、意識を持ってご無礼を少なくしてゆくことは出来ます。

★このようにご無礼・不行き届きを取り去ってゆくことは、心や身体の面に於いても大切なことです。「心の掃除をする」とは、どのような所を掃除させて頂くのでしょうか。いつも不平・不足が出る。人と比べて羨ましく思う。人を批判する。人に勝とうとする。人に依存する。すぐに怠ける、楽をしようと思う。…こういった悪癖・悪習慣を掃除させて頂きますと、どれほどすっきりすることでしょう。

★また、「身体の掃除をする」とは、暴飲・暴食や偏食といった、不健康な習慣を改めて、規則正しい、バランスのとれた健康的な生活習慣を身に付けさせて頂くということです。今年もあと残り半月となりました。この半月間、日々自分自身の心と身体を掃除させて頂くつもりでみ教えを頂き、ご修行に励ませて頂きましょう。

★お取払い頂くべき我情我欲 1)克(こく)…人に勝ちたがる。2)伐(ばつ)…自慢する。3)怨(えん)…人に恨みを抱く。仕返しをする心。4)欲(よく)…貪欲なこと。自分に必要以上に取り込もうとする心。

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2016年12月14日

●よい種を蒔かせて頂く

 あるご信者は、近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられました。そんな時、ご神縁を頂かれて、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、「あなたは神様から結構な宝物を頂いておられるのですよ。お義父様はあなたの家の宝物です。あなたがご信心を元に、真心込めて孝行なさるか否かで、家が結構に栄えていくかどうかが決まります。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご信者が、教会で御用奉仕をなさっておられますと、何事においても実に心配りが行届いておられるご信者の姿に目が止まられたそうです。コウ師に「あの方はどうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」とお尋ねになりますと、「あの方は、自分のことよりもいつも人のことを第一に考えておられるのですよ」とみ教え頂かれたのでした。それを聴いたご信者は「お義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と有り難い決心が出来られ、生活の全面に渡って実行していかれたのです。

★すると次第に、「お義父さんはを苦労なさりながら主人を育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有り難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない」と、心底思えるようになられたのでした。そんな日々を送っておられますと、お義父様が80才を過ぎた頃に、教会に一緒にお参りしたいとおっしゃったのです。そして、コウ師に、「うちの嫁をこんなに立派に育てて下さって有り難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、おっしゃって下さったのでした。

★相手のことをお願いさせて頂くということは、そこに神心が働いていくということなのです。自分自身の心に神様が生まれるのです。そして、ご信心させて頂いてみ教えを頂いていくということは、明き(物事を考える力があり、思い分けの出来る賢さを持っている)・清き(心を常に清く保つことが出来る)・直き(神様に対して素直・正直である)心を養っていくということです。自分自身の本心を改め磨いていき、神心を育てさせて頂きましょう。

★『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ。』

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2016年12月13日

●お広前で心の迷いをお取り払い頂く

先日、ある受験生の学生さんがお結界で「大学を志望する上で、どちらの方向で受験するべきか悩んでいます。自分の思いと親の思いが合致しません。どうさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお届けなさりました。よくお話を伺ってみると、どちらの方向に進むことになっても一長一短で、この学生さんが悩まれる気持ちがよく理解できます。

★[あなたの悩んでおられることは神様に決めて頂いてはいかがですか。そのためにはお広前でご祈念させて頂き、み教えを頂き、お結界でお届けさせて頂くことです。「神様、どうぞ私の進むべき道を明らかにして頂けますように。お広前で迷いをお取払い頂けますように。お願い成就に向けて最大限の努力をさせて頂けますように。」とお願いさせて頂いて、日々与えて頂いていることを一生懸命打ち込んでさせて頂きましょう。]とお話しさせて頂いたことでした。

★お広前は心や体を癒して頂く場所であり、様々な形でみ教えを頂き直すことで新しくわが心に気付かせて頂く場所です。改めてみ教えに触れさせて頂くことによって心を正して頂いて、正しいことに気付かせて頂ける場所でもあります。それはお説教やお結界で頂くみ教えは勿論のこと、それ以外にも日めくりに書かれてあるみ教えを読ませて頂いたり、「天地は語る」や「教典」を読ませて頂いたりして、毎日お参りさせて頂いて、日々新たに神様から気付かせて頂ける様に、そして常に良いことを思い、良い事を願わせて頂いて、自分の心に刻み込んでゆくようにさせて頂くことが大切です。

★例えば「自分に打ち克つ」ということでも、「どうぞ、己の弱い心に打ち克てますように。正しい判断をさせて頂けますように。」と、毎日自分に言い聞かすようにお願いを続けさせて頂いていると一段と進ませて頂くのです。そして、「私のような者は駄目だ。どうせ私のような者は大成しない。」というような不成心を取っていくことも「自分に打ち克つ」ということです。つまらぬことを考えてしまったら、「金光様、申し訳ございません。今つまらぬことを考えてしまいました。この不成心をお取払い頂きますように。」と、お詫びとお願いをさせて頂くということを心掛けておりますと、いつも正しい方向に戻して頂くことができます。日参と聴教に励ませて頂き、お広前で心を正して頂きますと喜びに満ち満ちた生活がさせて頂けますね。
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2016年12月12日

●正しい願いを持つ

 阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。あるご信者が初めて参拝された時、初代教会長先生と二代教会長先生がお留守で、お広前には御隠居様(二代教会長のご母堂・ハル刀自)が座っておられました。あるお方が参拝され、「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので参拝しました。うちには身寄りのない厄介者の居候がおります。その居候が腎臓病により浮腫で体が腫れ上がっており、お医者さんは何日と持たんと仰ったのですがまだ生きております。この厄介者が早く死にますように。」とお願いをなさったのです。

★そのお願いを聞かれたハル氏は「この金光様のご信心は、そういうお願いはしません。そういうお願いをするならお断りします。この神様は天地の親神様で命を授けて下さる神様です。何としてでも助けてやりたい、氏子が助かりさえすればそれでよいと願って下さっている神様ですから『早く死にますように』なんて命の親様に対してご無礼です。ですから、そんなお願いは致しません。」と仰せになりました。参拝された方も理解され、「どのように願えば良いのでしょうか?」と聞かれたのです。ハル氏は「『どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように。』というお願いならさせて頂きます。3日間で腫れが引くようにお願いしましょう。」と正しい願いの仕方を教えられたのでした。そうして、その方は今までの間違えた考え方を改められ、正しい願いをもって、日々教会へ参拝され、願われたのです。

★そうしますと、居候の方は3日間で全身の浮腫が治まり、普通の食事が頂けるほど元気になられ「有難い有難い、こんな私のことをお世話して下さいましてこのご恩は決して忘れません。」と喜ばれ、1週間後に穏やかにお国替えされたそうです。

★その当時の事をコウ師は、「布教したてでみ教えがまだ地域に伝わっていない、お導きが十分に出来ていないので、そんなお願いをする方が来られ、神様に申し訳ないことでした。」と仰っておられました。真の信心を伝えていきますと、周囲の方、地域の方が正しいお願いをなさる方が日増しに増えていくということです。地域全体、市全体、さらには国全体が助かってゆきますように、心中御祈念しながら時間の工夫をして、人様のために心を配り身体を使ってお導きさせて頂きましょう。

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2016年12月11日

●信心の成長はみ教えの実行から

以前あるご信者が、
「入信の初めを振り返ると、私は親先生(二代教会長・伊藤コウ師)に恥ずかしい事ばかり申しておりました。『先生の言われることはとても程度が高くてよく分かりません。そんな難しいこと言われても実行出来ませんが、どうぞ私の願いはかなえて下さい』とうような勝手気ままを平気で申していたのです。そこを、このお広前で日々ご辛抱頂いて導いて頂き、結構なおかげを頂いてまいりました。真に申し訳ないことでございます」と、お詫びを申しつつお礼を申しておられました。

そのようなご信心の初めから、一段一段と進んでいかれ、熱心に日参と聴教に励まれるようになられたのです。そうして、土地も家も無いところから、自分の土地と家を持たせて頂けるようになられ、また、乳癌を患われた時も結構なおかげを頂かれ何度も無い生命を助けて頂かれたのでした。

★お広前は、心と体を癒して頂く所であるのと同時に、み教えに触れさせて頂くことによって、心を鍛えて頂く場所でもあるのです。耳に痛いみ教えを避けていては、自分の都合の良いようにばかり偏った心の持ち主になってしまいます。それでは、おかげの受けものを広げることは出来ないのです。常に自分の信心を見直し、聴き直し、考え直す姿勢でみ教えを頂き、改まりに苦心し、み教えを実行させて頂くことが、信心の成長につながるのです。

★『たびたび参ってきた人は、たびたび参ってきただけの神徳が頂けるであろう。たびたび参ってくる人は金光大神の話しを聞き覚えて、何かと知ることがある。また、たびたび参っても自分の思うことを頼むだけで、帰ることを急ぐ人は勝手な信心で、金光大神の話すことは何も分からないであろう』
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2016年12月10日

●豊かになるためには…

 先日、甘木教会・福岡教会・南博多教会へ今年一年間の御礼参りに行かせて頂きました。福岡教会のお結界では佐藤範雄師の次のようなみ教えを掲げておられ、毎年参拝させて頂く度に心を引き締めさせて頂いております。
★「貧乏になる人」
(1)人の欠点のみ数えて己の欠点を改めない人。
(2)百芸に器用にして一芸に通じない人。
(3)くだらない長話をして要領を得ない人。
(4)夜更かしをして朝寝をする人。
(5)金銭・物品の貸借を延び延びにする人。
(6)いたずらに希望のみ大きくして実行に努力しない人。

★では、豊かになるためには、どうすればよいかを考えさせて頂きますと、上記の反対の事をさせて頂けばよいのだと考えられます。
(1)人の欠点を見れば自分の改まるところとし、人の優れたるところを見ると少しでも近づかせて頂こうと努力する。耳と目と口の葉刈りをさせて頂く。良いことを聞き、良いことを見、良いことを口に出す.
(2)一芸に秀でるようになる。稽古を続けるということは難しいことです。一芸に秀でるには根気良く、辛抱が必要なのです。
(3)時間の無駄遣いをしない。要領を得た話をする。そうすると人の時間も無駄にしない。
(4)早寝早起き・朝参りをさせて頂きますと、心も体も健康にならせて頂き、全てにおいて良いリズムを作らせて頂けます。
(5)貸し借りはしない。やむを得ず借りた物はすぐに返す。支払いも期日の三日前にはお支払いさせて頂き、御礼は申すべき所にしっかりと御礼を申させて頂くように教えて頂いています。それは「真心で一文足す」ということです。そのように実意丁寧にさせて頂くためにも分相応な生活をさせて頂くことが大切です。
(6) 『日に新た 日に新たにと 神幸に 生かされてこそ 今日の身もあれ』と甘木教会の初代教会長・安武松太郎師はお歌を詠まれています。願い成就の為には、痛い時、痛まぬ時に関わらず、誰しも日々油断なくご信心させて頂き、生涯かけて努力させて頂くことが大切です。

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2016年12月09日

●願い続けることの大切さ

 昨日はみかげ会例会にて、市川氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。市川の家のご信心は、昭和5年頃にお祖母様とお母様が阿倍野教会にお引き寄せ頂いてから続いておられ、お祖父さんが表具商を始められて、代々信心と家業を相続されるおかげを頂いておられます。

★戦時中は三重県亀山市に疎開なさっており、疎開先ではみ教えに触れる機会がなく、だんだんと信心を基にした生活から離れてしまい、お母様がお国替えになられたり、お父様とのいさかいによってお祖母様が脳卒中になったりと、益々苦しい生活を送られることとなってしまわれたのでした。お父様が再婚なさり、大阪に戻って来られてから、ご両親は3人の子どもを連れてめぐりをお取払い頂くために日参と聴教に励まれ、信心と家業の相続を願い続けておられました。

★市川氏は中学校卒業後、お父様と一緒にお仕事をなさるようになられました。お父様はお仕事に於いても信心に基づいたご指導をなさり、お父様が体調を崩されることが多くなられた二十歳頃には、市川氏が主体でお仕事をされるようになり、お父様が日々お願いされていたことを自分のお願いとして教会でお取次ぎを頂くようになられたのです。

★昭和39年には、お父様が病気療養の為、お兄さん(次男)と一緒にお仕事をなさるようになり、長い間、一般の方や小規模の工務店から注文を受けた襖(ふすま)や内装の工事をされていましたが、大手取引先の勧めで集合住宅の襖工事を頂かれるようになられ、次々に大きな物件の注文を頂くおかげを頂かれたのでした。昭和45年12月8日にお父様がお国替えになられた後も次々と注文を頂かれ、事業内容も襖製作、内装工事、建具工事、自社製品の開発と広がっていき、売り上げも伸びてゆかれたのです。

★信心相続や家業相続を願い続けることや、自分自身が良いお手本とならせて頂けるようにお願いさせて頂きながら、次の代に伝えさせて頂くことはとても大切ですね。しかしながら、お徳を頂かなければ有難いものは伝わっていきませんので、信心に基づいた生活をさせて頂いて、実意丁寧に家業に励んで参りましょう。

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2016年12月08日

●信心と家業相続

5日に真栄根会例会が開催され、木村氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★木村氏のお祖父さんは、自動車販売・整備業をなさっておられました。木村氏も幼い頃から家業の後継ぎとして育てられ、高校時代も他でアルバイトすることをは許されず、家の仕事を手伝うように教えて頂かれました。在学中に、家業に必要な各種資格取得のおかげを頂かれ、修理や整備、板金仕事も子供の頃から見習ってさせて頂かれたことにより、自然と身に付いて行かれたそうです。学校卒業後は、自動車販売会社で8年間営業の勉強をなさり、平成元年よりお祖父さん・ご両親の思いを受け継がれて家業相続の道へと進まれ、現在28年続いておられます。幼い頃よりお父様の教えに背くことなく、素直に守られて実践させて頂かれたからこそ、無駄な事をせず、家業相続のための準備が出来られ、目標に近づくことが出来られたのでした。

★仕事の上で、お父様と衝突することが度々あられたそうです。その時に「もうやめたいなあ…」と思うことが何度もあられたそうですが、その度にみ教えが心に思い浮かび、思い分けをされて「実意丁寧・正直親切」でもって日々の家業に精励なさいました。そして「父親」を「社長」としてけじめを付けられ、親子という関係ではなく、日々の仕事の上で社長と部下という立場でもって徹底されたのでした。

★木村氏が小学校5年生の時、車寄せの所でお宅祭にお出ましになられる二代教会長・伊藤コウ師に出会われました。そこでコウ師が、木村氏に「信心させていただきましょうなあ」と、ニコニコと優しいお声でみ教え下さったそうです。47年経った今日も、そのお言葉を忘れることなく、信心と家業相続、御用奉仕に励まれ、天地の道理に適った生き方になるよう、日々ご信心を進めておられます。

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2016年12月07日

●熱の込もったご信心

昨日は中井氏の御命日であられました。中井氏は、心筋梗塞を患っておられ、一か月入院治療を受けた方で、いつ発作が出るかもしれないので、ニトロールを常に携帯しておられました。退院後は、「御本部参拝で病気の根を切って頂こう」と決心なさり、ニトロールを持たず参拝されていたのでした。

すると、ご霊地で発作が起こったのです。中井氏は、「金光様、金光様」と御祈念なさり、御神米と御神酒を頂かれ一心におすがりし、帰りの車中では大?詞を53巻奉唱なさって、何とか無事家に帰り着かれたのでした。それからは、生涯発作が起こることなく、全く後遺症なしに根切れの大みかげを頂かれたのでした。

★また、脳梗塞の時には、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。入院し治療を受けられましたが、造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。 しかし、その間に中井氏は夢の中で、御本部で二代教会長先生と三代教会長先生と一緒に金光様のお出ましを拝ませて頂いている先景を見られたのです。

二代教会長先生と三代教会長先生が前に立って最敬礼しておられ、その後ろに中井氏が立って拝んでおられた夢でした。目が覚めて「今夢を見た。金光様のお出ましを拝んでいる夢だったなあ…」と思ったらその時、「金光様お出まし…」と口から言葉が出たのです。横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏はみられた夢の内容を話されたのです。

★それから手も足も動き、朝にはストローで牛乳を飲むことが出来、翌日には教会から月例霊祭のお下がりで頂いたバナナを二回に分けて食べることが出来られたのでした。後になって調べてみますと、頸部の詰まった太い血管はそのままでしたが、詰まった血管を回避して新しい血管が出来て、血液が流れていたのです。そして、後遺症なくリハビリする必要なしに全快なさって退院させて頂くことが出来られたのでした。

★中井氏は実意・丁寧・正直な方でした。神様に対して、自分の神心に対して、また周囲の人に対して正直にならねばなりませんね。実意丁寧正直親切ということを心掛けておりましたら、実に結構なおかげを頂いていけるのです。

また、信心には熱がこもっておらねばなりません。線香の火ではご飯は炊けませんね。ご飯を炊こうと思えばそれだけの火力が必要です。実意丁寧正直親切な生き方をさせて頂き、熱のこもったご信心をさせて頂きましょう。
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2016年12月06日

●伝える働き

12月20日は二代金光四神様の御命日であります。二代金光四神様は教祖様のお跡をお受けになられて、10年間命がけで御神勤下さいました。その10年間で東へ西へとお道が広まってゆきました。教祖様のみ教えを二代金光様が受け継がれ伝えて下さったからこそ、後々までが助かることになったのです。

★四神様はお隠れになる二日前、ご家族に次のようなご遺言を残されています。「われは6歳のとき死ぬるを、親様の一心願より、助けていただいたは神様のおかげならこそ……どうぞ攝胤をつこうてくだされ。万事言い付けてくだされ。攝胤もあれくらいになったら、お広前の用使いはします。」この御遺言通り、三代金光攝胤様が14才で継がれることになられ、70年間にわたって84才まで御用におつき下されました。その間に明治33年に教祖様のご時代から願い続けておられた教団の別派独立が実現させて頂けることとなられたのです。その後四代金光鑑太郎様が28年、続いて現教主金光様が今日までご神勤下さり、このお道が続いていることは真に有難いことです。

★教祖様のみ教えを頂かられた二代金光様、直信の先生方が正しく伝えて下さったからこそ、教祖様のみ教えが後世に伝わり、このお道も全国各地に広まったのです。そして、直信・先覚の先生方が教祖様のみ教えを文書に残して下さったご尽力により、今日私達は金光教教典で教祖様が仰せになられたみ教えを頂くことができることは大変ありがたいことです。正しく伝えて下さる方がおられないことには、正しく伝わってはゆきません。

★私達各々の家も同じことです。信心の初代のころは、苦難の連続で苦労が絶えなかった中を信心をなさり、神様を杖に一心におすがりなさってこられました。み教えを頂き守り通して、ご修行を続けられおかげを頂いてこられた信心を、伝えて下さったからこそ二代目の信心・三代目の信心が続いてゆくことができ、めぐりが取れてゆき、子孫の末々までがおかげを頂いているのです。先日も子供会日曜例会でおかげ話をなさった小学5年生の子供さんは5代目の信心になられます。私はおかげ話を聞かせて頂いて、大変ありがたいことだとお礼を申させて頂いたことでした。次の代へこの有難い信心を伝える努力をさせて頂き、良い声掛けをして伝わる信心をさせて頂きましょう。

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2016年12月05日

●声は肥えなり

『此方(教祖金光大神様)の話したことを、病人、また家族に話しておくと、常に悪いことを思わず、安心して全快することばかり楽しむ。ただ一時でも早くようなれば、何のそれがしが見舞いに来てくだされた時より、急によろしくなったと思うて喜ぶ。見舞いに行き、病人を見て涙を流し、さぞさぞと病人をなでさすりして、病人の心を苦しめるようなことなく、病人のためになり家のためになるように親切するがよろしい。』

★常に良いことを思い、良いことを願い、良いことを口に出すことを心掛けさせて頂きたいと思います。自分の心が不成心に満ちてしまうと、有り難い神様のおかげを受けるだけの余裕がなくなってしまい、行いからも、言葉からも、知らず知らず悪いものが出てしまうようになります。

また、「思うことは願いになる」と教えて頂いておりますように、思う事だけでも決して油断は出来ません。『神は平等におかげを授けるけれども受け物が悪ければおかげが漏るぞ』とみ教え下されていますように、受け物が悪い物が満ちた状態になるとおかげを受けもらすのです。

★「声は肥えなり」と申します。祈りのこもった言葉は、相手の神心を目覚めさせて頂く力があるのです。周囲の方々に、祈りを込めて良い声掛けをさせて頂き、御本部参拝、月例祭、各会例会に共に参拝させて頂いて、有り難い助かりの輪が広がっていくことを願わせて頂きましょう。

『ここへ参るのに、途中で無駄口をついてはならぬ。注連鳥居をくぐってからは、いっそう慎めい。お参りしいしい思うたり言うたりすることは願いになるから、不浄口をついてはならぬ。』
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2016年12月04日

●『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。』 

 あるご信者は、教会にお参りをさせて頂くようになられて数ヶ月経った頃より、これまで全く気付かなかった所を気づかせて頂けるようになられました。

★大工であるそのお方は、今までは、「私ほど一生懸命に仕事をしている人間はいない!」と自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いてみ教えを頂きますと、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な生活をしていたということが分からせて頂けるようになられたのでした。

★どういったところにご無礼があられたのでしょうか?そのお方は、「自分の利益に直接関係する釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない得意先の材料は粗末にして、捨ててしまっておりました。自分では実意丁寧に仕事をしているつもりでしたが、神様の眼から見られますと、材料を粗末にするということが、大変なご無礼不行き届きであったのです。誰の物であるかなど関係なく、その人間がどのように物を生かして使うかどうかが大切であるのだということに気づかせて頂きました。一日では小さなことであったとしても、それが毎日、何年、何十年…と続きますと、どれ程めぐりを積んでしまっていたか分かりません。申し訳ないことでした。」とお詫びを申されました。

★世間一般には、給料以上の働きをするのは、損なことであると考えがちです。人を目当てにしますと、人の見ている所ではきちんとし、見ていない所では人の目をくらまそうとしてしまいます。その知らず知らずの内に積み重ねているご無礼が、めぐりとなって、さまざまな面に表れてくるのです。しかし、神様を目当てにさせて頂きますと、自分の仕事だけでなく、自分の給料以上の仕事がさせて頂けるようになります。それが、自身の徳となって身についてゆきます。

★ご信心させて頂きますと、今まで気づかなかったことに気づかせて頂け、見えなかったところが見えるようにならせて頂けます。『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。』とありますように、暗闇に光を照らして下さる、その光こそがみ教えであるのです。

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2016年12月03日

●周囲の人々のことを暖かい心で願う

平成29年の寒修行信行期間の信心の目標といたしまして、『喜びに満ち満ちて全てを生かす信心』「願い成就に向けて本気になって願う。それぞれの立場で本物になることを目指す」という目標を掲げさせて頂きました。年の初めから願いを新たにし、一年間良い方向へ導かせて頂いて、良いスタートが切らせて頂けますよう、日参と聴教に励ませて頂きましょう。

★ある小学生のお子さんは、同じクラスにやんちゃで悪戯な子がおられるそうです。いつもあれやこれやと理由を付けてそのお子さんにちょっかいを出したり嫌なことを言ってくるそうです。そのお子さんは、毎日のお届けの時に、「○○が助かられますように。」とお届けに書いて、毎日お願いしておられます。小学生という年齢にもかかわらず、その様にお届けがさせて頂けて、人のことが願えるということは、大変尊い姿だなあと感心致しております。

★毎日の生活に於いて職場や家庭や学校等で様々なことが起こってきます。その中でご信心を貫いて、全ての立場の人のことを拝むことが大切です。自分自身には至らないところが沢山あり、どれ程周囲の方に辛抱して頂いているか分かりません。そこをよく自覚させて頂きますと、自ずと人のことが願えるようになってくるのです。

★教祖様は『信心する人は、わがことより他人のことを先に願え。そうすれば他人も助かり、わが身にもおかげがたくさんある。』とみ教え頂いております。練り出す信心が肝要であり、本心を磨いて神心を養うことが大切です。「自分自身の至らない部分を直させて頂けます様に。そして周囲の人々が助かって頂けますように。」と毎日本気になってお願いさせて頂くところには、自分自身がおかげを頂いてゆくのです。
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2016年12月02日

●反省と改まり

『研きても なほ研きても研きても さびてはてなき わがこころかな』(安武松太郎師のご詠歌)
自分では「磨いてます」と言っていても、次から次へと錆びていくのが私達人間の心であり、誰しもが持ち合わせているものです。ですから、常に自分自身を見直さなければなりません。日々そのように見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂くのがご信心です。

★例えば、生まれたての赤ん坊や子供には弱いところがありますね。私は耳が弱く両耳とも中耳炎にかかり、難聴になったことがあります。既に治して頂いてはいるのですが、やはり弱いというところは残っているのです。先年、耳鼻科に行き聴力検査をして頂きましたら、「一般の方よりも聴力が劣っています」と診断して頂きました。自分では聞こえているつもりでしたが、確かに聞こえにくいこともあるようです。

★それと同じように各人には心の中にも弱いところはあるのです。特に小さい時に指摘して頂いていたところなどは、何十年経ってもなかなか克服出来ていないものです。そうした自分自身の弱いところを分からせて頂かなければ上達はいたしません。客観的に見て頂いて「あなたはここが弱いですよ」と教えて頂きますことは実は有難いことです。自覚して一生懸命稽古をさせて頂かないことには、克服出来てゆかないのです。「無くて七癖」と言いますが、二代教会長先生は「癖は七癖どころか四十九くらいありますよ」と仰っておられました。たくさんあるということを表現しておられるのですが、悪癖・悪習慣というのは、意識してお願いして改善させて頂かなければ、なかなか改まることが出来ないものです。

★本気になって改まりを願わなければなりません。何のために改まりを願うのでしょうか。それは願いが成就させて頂けるためにです。さらには成長して、一段一段向上させて頂き、神様のみ教えに近づかせて頂き、本物に近づくために改まりを願うのです。

★それはみ教えに基づいて見直しをさせて頂かなければ分からないのです。「あれは他人事だ」と思っているから、なかなか聞けないのです。他人事ではないのです。「自分自身のことだなあ」というように受け取らせて頂くのが、常にみ教えを頂く心になって、受け物を一生懸命作ろうとする人の姿です。一年の締めくくりは「反省」と「改まり」です。この12月、反省と改まりを申す稽古をさせて頂き、来年を有難い一年にさせて頂きましょう。

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2016年12月01日

●世話になる全てにお礼を申す

『お願い一ぺんにお礼十ぺんというようにお礼を言う心が厚い程、ご信心が厚い。ご信心が厚い程おかげが厚い。』

★私たちは毎日お照らし下さっているお日様に手を合わせてお礼を申すことが出来ているでしょうか?空気や水や食物などを与えて下さる天地全体のお働きに対して十分にお礼を申すことは、おそらく出来ていないでしょう。着る物や乗り物等に対しても同じことが言えます。また、自動車に乗らせて頂きますとガソリンを燃やしますので二酸化炭素が排出されます。そして、木々がその二酸化炭素を吸収してくれて酸素を出してくれます。街路樹等の木々にも知らず知らずのうちにお世話になっているのです。毎日有難いおかげを頂きながら生活をさせて頂いているのですから、お世話になっている全てものにお礼を申すよう心掛けることが大切ですね。

★先日あるご信者がお結界で、「お嫁さんから随分きつい理屈を言われました。その理屈がどうしても腑に落ちません。私の方も正しいと思うのですが、お嫁さんの言っていることも理屈としては正しいと思うのです。どうさせてもらえばよいのでしょうか?」とお尋ねになりました。[お嫁さんが私を理屈で言い負かそうとしているだとか、自分の考えを通そうとしているだとか、そのように考えずに「これは神様がお嫁さんのお口を通して私にみ教えを下さっている!先々の為にすべてに間に合うように準備するように仰っておられるのだ!」と思わせて頂けば良いでしょう。]とお話しさせて頂いたことでした。神様が「この機会に教えておいてやろう。今のうちに考えを広げるようにご修行させてやろう。」と仰せになっていると思わせて頂ければ有難いですね。

★全ての物事にお礼を申すことができるようになるには、柔軟で広く大きな心を持たなければなりません。心の受け物が大きいほど多くのおかげが頂けるのです。おかげを受け漏らさないようにさせて頂きましょう。

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