金光教阿倍野教会ページ内リンク


2016年11月23日

●生きている間も、霊神になっても生き生きと

あるご信者の姪御さんの息子さんが突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒に思ったご信者は、折に触れてはお道のご信心の有り難いことを話してお導きなさりたいと、真剣に願っておられました。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、ある年の春、やっとの思いで御本部の御大祭にお導きが出来られたのでした。

★ところが、米子に住む姪御さんと息子さんの到着が遅れて御祭典を拝むことが出来られず、御本部のお広前だけにお参りなさることになったのでした。ちょうどその時、御祭典後にお広前で御祈念させて頂いていた私が、居合わせたのです。声を掛けられ、ことの次第をご信者からお聴きして、一緒に御祈念させて頂きましたら、息子さんは、初めてお参りした御本部のお広前で長い時間額ずき、母親である姪御さんが驚くほどに、真剣に御祈念なさったのです。

私は、三代教会長先生の手代わりとして、お届けを受けさせて頂く場に移動して、更にお話しを伺いますと、姪御さんは、「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです。」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことに、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は昭和55年、11月23日28才の時に交通事故で亡くなられ、御本部の霊舎にも合祀をして頂いておりました。そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。

その後、息子さんは御神米を目当てに常々ご祈念が出来られるようになり、発作が激減したのです。夏休みにはお父様も共に家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

★ご信者が御祈念させて頂いてお導きなさったからこそ、おかげを頂かれたのですが、そこには神様・霊様が導いて下さっていたことがよく分からせて頂きます。『霊は道に入って作用するものである。人は生きておる時も霊となって働かねばならんが、それは信心して徳を受けておらねば、本当の働きは出来ない。(近藤藤守師み教え)』生かして頂いている今も、霊神になっても、働きが生き生きとしていくように、今月今日で信心させて頂いて、毎日本心の玉を磨いてゆくことを心掛けさせて頂きましょう。
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:34 | 平成28年の「み教え」