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2016年11月19日

●わが心が神様に向かうのは信心、神様に向かわない時は我情我欲

二代教会長伊藤コウ師が10才の時のことです。秋になりかけたある日、コウ師のお姉様であられますスエ氏が、急に腰がぬけて立てなくなってしまわれたのです。原因は、夏に冷たい物を食べ過ぎたり、夜も寝ている間に体を冷やしていたことでした。丁度それは豊中教会の御大祭の前で、ご母堂(伊藤ハル刀自)は、豊中教会の御大祭の際には、前日・当日・翌日と3日間泊まり込みで御用奉仕をなさっておられました。

★伊藤ハル刀自は、「娘が寝込んでおるということは、親の私が至らないからでございます。私が御恩の分からん人間でございました。そのせいで娘も神様の御恩の分からんまま自分勝手な生活をして、それが体に現れております。これからは御恩の分かる人間にならせて頂けますように教え諭しますから、どうぞお許しください」と御祈念なさった上で、迷う事なく御用に出かけられることになさいました。

用を足す事も一人でままならない状態のスエ氏に対して「あなたも一人で何もかも出来るように神様におすがりして、私が帰るまでにおかげを頂きなさい」と伝えられました。スエ氏も得心なさり、その3日の間ハル刀自が帰られるまでにと、神様に心よりお詫びを申し上げられましたら「金光様!」と声に出して立ち上がった時に、立てるようになられたのでした。

★「これは娘が悪いのです。親である私は悪くありません」等と考え、何の改まりもしないような親ならどうなっていたでしょうか?何か事が起こってきても自分が責任を持って神様に心を向けて御礼とお詫びを申し、「私の徳と力が足りません。私がより一層に周囲の人に正しいことを伝えさせて頂けるようなお徳が頂けますように」とお願い出来る人の真心は神様に届くのです。お礼・お詫びを申し上げるということは自分の器をしっかり磨いていくという作業です。だから正しいお願いが出来るようになってくるのです。

★スエ氏を置いて豊中教会の御大祭の御用奉仕に向かわれた伊藤ハル刀自は「後のことは神様に万事お任せして、神様を第一に、御用を第一に」と考えてなされましたから、神様もそれに応えて下さったのです。それは家のめぐり、身のめぐりをお取り払い頂き、身にも家にもお徳を頂くための信心であり、その徳は先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残る何よりも有難い大切なものだからです。そのような伊藤ハル刀自のご信心を私達もしっかり見習わせて頂かなければなりません。
posted by 金光教阿倍野教会 at 10:30 | 平成28年の「み教え」