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2016年11月07日

●不平不足を思わず、不自由を行とする

先日、真栄根会例会が開催されまして、藤田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。藤田氏のお家は祖母様が昭和20年に何気なく阿倍野教会・旧広前に参拝なされたことから信心が始まりました。

藤田氏が小学生の頃、昭和47年2月1日に近所が火事になり、藤田氏の家が類焼してしまわれたのです。お父様は二代教会長先生から「難はみかげですよ、焼け太りのおかげを頂きましょう。」とみ教え頂かれました。そこでお父様は1)火元の人を恨まない。2)朝参りの日参、月例祭のお参りを欠かさない。3)無理ムラ無駄を省く。この3つを自身のご修行と決められました。

すると、以前は土地を売って下さらなかった地主さんが土地を売って下さるようになり、3カ月後に自宅新築のおかげを頂かれたのでした。

★『金光様に近藤藤守師が山に入ってご修行したいことをお届けされ、「なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります」と申し上げられますと、金光様は近藤藤守師に「それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。」と仰せになられた』

★生きていれば少なからず不自由に思うことはあります。腰が少し痛かったり、肩が痛いだけでも不自由と言えます。新しいお家が出来るまでに大変不自由はあられたと思いますが、ご修行を決められ貫かれたからこそ有難いおかげが頂かれたのです。

★『不平不足におかげはなし、喜び楽しむ心におかげがある。』何を喜ぶか?何を楽しむか?毎日の何気ない一瞬一瞬を喜ばせて頂けるように、通常の生活を喜ばせて頂けるようにならせて頂くことが大切です。しかし通常の生活の有難さがなかなか分からないから御礼が足りないのです。

お礼が足りないのは誰もが皆足りてはいないのですが、それを自覚出来ているかということです。「私は行き届いてほどお礼が出来ている」と思っているのはおごりがましいのです。御恩が分かるように謙虚さを養っていく、御礼・御詫びの心を大きくさせて頂く、そういった自分自身の器を作るために、日参と聴教に励ませて頂くのです。
posted by 金光教阿倍野教会 at 15:07 | 平成28年の「み教え」