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2016年11月30日

●油断・迷いのない信心

 油断のないとは、常に心中御祈念して神様に心が向かわせて頂いている状態のことです。反対に神様に心が向かっていない時には油断が生じております。それは「自分がする」と思っているから、間違いや無理が生じるのです。『無理はめげるもと』ですから、段々とうまくいかないことになっていくのです。一生懸命御祈念して決断させて頂いたことは、後になっても「あれでよかった。結構なおかげを頂いたな」と思えます。神様にお願いして使って頂くと言う心持ちを忘れないようにしましたら、忙しい中でも、間違いのない判断と対処が出来てゆくのです。

★三代教会長先生が10代の御頃に心掛けておられた日常の心得の中に『目前のことに迷わない』というのがあられました。そして孔子の言葉に『四十にして惑わず』というのがあります。これは、大変高度なことを仰っておられるのです。一生懸命道を学んで、させて頂いておりましても、まだ若い時は決断するのに何日もかかることがあります。しかし、道を学んでいきましたら、有難いことに「これはこのようにさせて頂くのが、天地の道理・教えに適っておる」ということがすぐに分からせて頂き、決断をさせて頂き、その決断が後々も迷わないようになってくるのだということを仰っておられるのです。

★しかし、それでも何十歳になっても迷いやすいものです。そこで私達は教えに基づいて考えていくのです。教祖様のみ教えに基づいて考えさせて頂きますから、判断・決断を即座にさせて頂けるようになってゆくことは有難いことですね。

★迷いが生じるのは御祈念が足らないからです。一生懸命御祈念させて頂いてみ教えに基づいて考え「これだ!」と決めさせて頂いたことは、神様もお喜び下さり、全てにご都合お繰り合わせ頂き、より一層良い方向へ導かせて頂けるのです。神様におすがりして、願い成就に向けて最大限の努力をさせて頂くことが、おかげを頂く人の姿です。教祖様のみ教え、すなわち天地の道理に基づいて、お結界でお届けをし、金光大神様のお取次ぎを頂きながら進めさせて頂いていくことは、必ず神様が一番良い様にして下さいます。このことをしっかりと心に刻ませて頂きましょう。

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2016年11月29日

●死生の安心を頂くことを願って               

先日、91才を越えてお国替えされたあるお父さんは、ご遺言で「これまで私も家内も息子も何度も金光様に命を救って頂いたから、そのご恩を忘れてはならない。だから私がお国替えすれば、どうあっても阿倍野教会で告別式を仕えて頂きたい。」と残しておられました。そこで先日、金光教式で告別式がお仕えになられ、27日には無事に十日祭がお仕えになられたのでした。

★その奥さんは、二人目の子供さんを出産されて間もなく、産後の肥立ちが悪く産褥熱から不眠症にかかられました。そこで近所の方に熱心にお導き頂かれたのでしたが、「私は信心しません。」と意地を張っておられたそうです。しかしどうにもこうにもならず、親子心中しようと思われたほどまで追い詰められたのです。そこで奥さんは、乳飲み子を抱き幼い男児の手を引いて旧広前にお参りされたのが信心の始まりであられました。その時に二代教会長伊藤コウ師は「天地の親神様ですから、親だと思って誰にも言えないことも、どんなことでもお願いに来なさい。」とみ教え下さいました。それから奥さんは、朝に昼に晩にと一日4回お参りされ、一心にお願いされたのです。すると、薬を服用しても治らなかった不眠症も信心によって、神様に治して頂かれたのでした。

★この度お国替えなさったお父さんも、またその息子さんも、家族中夫々が阿倍野教会のお広間でお取次ぎを頂かれ、命のないところを助けて頂かれ、そのご恩を忘れないように御礼のご信心を続けておられます。さらに、御霊になられても死生の安心を頂きたい、金光様のお取次ぎによって、天地の親神様の御神徳を蒙らせて頂き、有難い御霊の神にならせて頂きたいと願っておられるのです。

★教祖様は『金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の御霊の働きにおかげがあるのである。』とみ教え下さいました。肉体の命には限りがありますが、御霊の働きは永遠です。肉体の働きが終わったら、何もなくなってしまうということではありません。生きている間は肉体の制限がありますので、行きたいところに行こうと思っても限界があります。ですが御霊とならせて頂きましたら、時間も空間も超えて、行きたいところに行かせて頂くことが出来、生き生きと働かせて頂くことが出来るのです。
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2016年11月28日

●奥様の一心でご主人が生まれ変わる

 あるご信者が会社に入社して5年の御礼の宅祭をお仕えになられたことがありました。お母さんとお嫁さんが終始涙を流しておられたのは「ありがた涙」でした。「夢のようです。こんな有難いお宅祭が仕えられるのは…。」

★なぜなら、アルコール依存症で働くことも出来ず、入退院を繰り返しておられたご主人が神様にお縋りして依存症全快のおかげを頂かれ、就職なさってから5年の間に課長にならせて頂かれたからです。3年間無遅刻、無欠席という真面目な勤務ぶりだというのです。朝早く朝食を終えられて、朝参りしてから直接会社へ出勤され、帰りに教会へ参拝なさってから自宅へ帰られる。寄り道もしないような毎日の生活に変わられたのです。

★「今日も一日しっかりと働かせて頂けますように!今までのご無礼はお許し下さい。酒一滴も口にせず、どんな誘惑にも打ち克つことが出来ますように!」とお願いして一日が始まり、「今日も一日しっかりと働かせて頂きました。有難うございました。」と御礼を申して帰られる。帝塚山に住宅を購入出来るようになられた家族は毎日朝参りを欠かされませんでした。

★ご主人がアルコール依存症で狂ったようになっておられた時期、奥様は実家にも友人にも誰にも打ち明けずに神様にお縋りして、お願いなさったのでした。よそへ恥を売り歩くようなことをなさらず、自分と主人の値打ちを下げることをなさらずに「どうあっても立派な主人になってもらいたい!二人の子供の父親として尊敬してもらえるような人になってもらいたい!」と諦めずに不成の心を持たずに願い続けられたのです。そのご信心でご主人は生まれ変わられたのでした。

★金光大神様はどんな氏子のことも決してお見捨てになさることはありません。ご慈愛に満ちたお取次ぎによって私達氏子は有難いおかげを頂き続けることが出来るのです。「こんなことでは申し訳ない。どうあってもおかげを頂けるように信心を向上させて頂かねばならない。」とどこまでも不成心を去ってお願い致しましょう。

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2016年11月27日

●日参と聴教により新しいものが生み出されてゆく

25日には、青年会学生会例会が開催され、後藤氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★後藤氏が28歳の時、麻疹にかかられ、とても仕事を続けられる状態ではあられませんでした。そこでお取次ぎを頂かれ、仕事を退職して先ずは病気を治すことに専念されました。麻疹にかかられた直後から、体がとても疲れやすく「もしかするとこのまま体調が戻らないのでないか…」と不安に陥られたこともあられました。

★しかし、「こういうときだからこそ、神様におすがりして、どうあってもおかげを頂かねばならない!」と強く願われたのでした。そして、日参と聴教に励まれ、御用を通して気力や体力向上のおかげを頂かれ、気持ちも前向きに変わられました。すると、その後再就職のおかげを頂かれ、身も心も弱りきっておられたところを「神様に諦めずにおすがりさせて頂くと、必ずおかげが頂けるのだ。」と、ご自身の体験を通して気付かれたのでした。その後も、お土地購入の際には素晴らしいタイミングで何もかも整えて頂かれ、本人の力ではとうてい出来るはずのないようなことを実現させて頂けるという大みかげを頂かれたのでした。お広前のお徳によって、心も体も癒して頂かれ、新しく生まれ変わることが出来られたのです。

★四代金光様は「繰り返す 稽古の中に 自ずから 生まれくるなり 新しきもの」とお歌を詠まれておられます。日々求められる信心の実践と共に、繰り返し同じみ教えをわが身・わが心に頂き直すことによって、培われてゆくものがあり、新しいものを身につけることが出来るということを教えて下さっておられます。日々新しい心持ちで、み教えを何度も何度も自分の心に頂き直し、身に付いて離れなくなるように、信心の実践に励ませて頂きましょう。
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2016年11月26日

●痛まぬ時の信心第一なり

 羽衣教会の二代教会長松岡安枝師は、全身に重い関節リュウマチを患っておられました。どんな医師にも、「リウマチは難病ですから、治ることはありません。あなたは椅子にも座れませんよ。」と言われたそうです。そんな中、二代教会長伊藤コウ師にお取次を頂かれ、「必ずおかげを頂きましょうなあ。」と、仰って頂いたのでした。松岡先生は、コウ師から頂かれたみ教えを心に刻み、覚悟を決められて神様を杖にして、「何が何でもおかげを頂こう!」と願いを持たれたのです。

★初めは便所にも四つん這いで這ってゆかねばならず、椅子に座ることも出来られなかったそうですが、椅子に座る稽古に取り組まれました。そうしますと、椅子に座ることが出来られるようになり、今度は大きめのお茶の缶に座られ、段々と小さい缶に替えて座ることが出来ていかれ、遂には正座が出来るようになられたのです。阿倍野教会へは電車に乗って日参を続けられ、月例祭では最後まで座礼で祭員の御用に就かれたのでした。迷いのない一心のご信心でおかげを頂かれたのです。

★金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様のご慈愛に触れさせて頂いて、気付かせて頂くことが大切です。世の中ではそれを「悟る」という言い方をしますが、それは自分一人で出来ることが出来ません。悟らせて下さる働きがあり、気付かせて下さる存在があるから気付かせて頂けるのです。このお道では『お気付けを頂く』という教えがありますが、それは「させて下さる」有難いことなのです。気付かせて下さり、お知らせを下さる。私達は全てにおいて「頂いて」いかなければ、心も体も保つことは出来ません。

★『痛まぬ時の信心第一なり』何か都合が悪い時だけ、「常はご無礼しておりますが、この時だけは聞いて下さい」というような勝手きままなお願いの仕方ではなく、神様を中心にした生き方をさせて頂くのです。自分の勝手きままを改めて、痛まぬ時に信心を第一にさせて頂き、お結界で頂いたみ教えは心の守りとして、どこまでも守らせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年11月25日

●良い手本になる信心

 『一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。』
★『一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ』
★先日、熱心なご信者であられた土井徳松氏の年祭のお宅祭をお仕えさせて頂きました。土井氏は最初、西区で米穀商を営んでおられましたが、戦災に遭われ、奈良に移られました。全くの素人が一から農業を始められたのですが、新参者に教えてくれる人はいなかったそうです。ですから、稲作、畑作(スイカ・大根等)、果樹園の農作業の上に大変なご苦労をなさいました。土井氏は自分自身で神様とお約束されたことを守り通され、農作業が終わって帰られますと、必ず自宅の御神前に座って大祓詞10巻奏上されてから食事を頂いておられました。その熱烈なご信心に神様がお応え下さり、作物の上に次々とおかげを頂いてゆかれたのです。

★ある時には、たくさんのスズメが田んぼに実った稲穂を食べに来るので困られたのでした。土井氏は、御礼と御詫びを申し上げた後にどのように神様にお願いなさったかというと、「スズメも立ち行かなければなりませんので、どうぞスズメにも餌を与えてやって下さい。」とお願いなさったのです。そうしますと、隣の松林にたくさんの虫が発生し、今まで稲穂を食べていたスズメがその松林の虫を食べてくれ、お米も無事収穫させて頂くことが出来られたのでした。普通であれば、スズメに稲穂を食べられたら、スズメに腹を立ててしまいがちですが、そこをスズメの立ち行きをお願いなされたのです。そのように有難い信心のお徳を頂いておられましたので、周囲の方々が次々と一緒に参拝され、おかげを受けられるようになってゆかれました。

★我情我欲をお取払い頂いて、愚痴不足を言わず思わず、全て神様にお預けし、今与えて頂いている仕事に打ち込ませて頂かれたからこそ、万事にご都合お繰り合わせを頂かれたのですね。私達も良い手本になるような信心をさせて頂きたいものです。

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2016年11月24日

●徳切れが恐ろしい

 二代教会長伊藤コウ師は、「徳切れの姿になると、前へ進むことも後ろへ退くことも出来ないような八方塞がりになるのです。また、生きたくても生きられない、死にたくても死なれない、というような状況になってしまう人がありますよ。」とみ教えを下さいました。私は幼少の頃に聴かせて頂いて恐ろしいことがあるものだと感じたことを覚えております。

★先日お結界で、「商売を独立させて頂いて5年が経ちますが、今は辛くて辛くてどうしようもありません。はじめのうちは順調に商売させて頂いておりましたが、いつの間にか取引先に利用されたり騙されたりすることが次々に起こってくるようになりました。本日久方ぶりに参拝させて頂いてお説教を聴かせて頂きましたら、なるほどと理解できました。これまでは1年に数回の参拝でなかなかお参りもできず、み教えを頂くこともお取次ぎを頂くことも出来ておりませんでしたので、信心を改まらせて頂かなければどうにもならないこと、自分がただ怠けていたことに気付かせて頂きました。」とお話しなさった方がありました。

★独立なさって3年程は順調でありましたが、それは親の信心のお徳と周囲の方々のご厚意で守られていたのでしょう。順風満帆の時期に自分を改め磨いていこうとなさらず、親のお徳と周囲のご厚意に甘えていたために、めぐりがだんだんと積み重なっていき徳が失われていってしまったのです。周囲に集まる人は自分と同じ様な人が集まります。徳が切れてしまったために自分自身の中にあるめぐりが現れ、利用したり騙したりするような心の人を引き寄せるようになってしまわれたのです。良い人や良い取引先に出会わせて頂き、結構な商売を続けさせて頂くには、自分自身がおかげを頂きお徳を頂いていかなければなりません

★徳切れにならないために、私達は日々しっかりとお徳を積む生活を心がけさせて頂き、前々の悪習慣や悪癖によるめぐりを取って頂く様に改まらせて頂かねばなりません。そして、おかげを頂いたら徳の貯蓄はゼロになったと思って、一からまた改まってお徳を積む生活を心掛けてゆくことが大切です。自分自身がしっかりと信心させて頂いて家業に励ませて頂き、積徳の心行を心掛けさせて頂きますと、自分自身だけでなく周囲の方も助かってゆくのです。

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2016年11月23日

●生きている間も、霊神になっても生き生きと

あるご信者の姪御さんの息子さんが突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒に思ったご信者は、折に触れてはお道のご信心の有り難いことを話してお導きなさりたいと、真剣に願っておられました。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、ある年の春、やっとの思いで御本部の御大祭にお導きが出来られたのでした。

★ところが、米子に住む姪御さんと息子さんの到着が遅れて御祭典を拝むことが出来られず、御本部のお広前だけにお参りなさることになったのでした。ちょうどその時、御祭典後にお広前で御祈念させて頂いていた私が、居合わせたのです。声を掛けられ、ことの次第をご信者からお聴きして、一緒に御祈念させて頂きましたら、息子さんは、初めてお参りした御本部のお広前で長い時間額ずき、母親である姪御さんが驚くほどに、真剣に御祈念なさったのです。

私は、三代教会長先生の手代わりとして、お届けを受けさせて頂く場に移動して、更にお話しを伺いますと、姪御さんは、「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです。」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことに、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は昭和55年、11月23日28才の時に交通事故で亡くなられ、御本部の霊舎にも合祀をして頂いておりました。そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。

その後、息子さんは御神米を目当てに常々ご祈念が出来られるようになり、発作が激減したのです。夏休みにはお父様も共に家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

★ご信者が御祈念させて頂いてお導きなさったからこそ、おかげを頂かれたのですが、そこには神様・霊様が導いて下さっていたことがよく分からせて頂きます。『霊は道に入って作用するものである。人は生きておる時も霊となって働かねばならんが、それは信心して徳を受けておらねば、本当の働きは出来ない。(近藤藤守師み教え)』生かして頂いている今も、霊神になっても、働きが生き生きとしていくように、今月今日で信心させて頂いて、毎日本心の玉を磨いてゆくことを心掛けさせて頂きましょう。
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2016年11月22日

●一人一人を大切に

20日の御本部御礼参拝の折に、金光英子先生の元へご挨拶に伺わせて頂き、11日に金光大神大祭を無事にお仕えさせて頂きました御礼を申させて頂きました。

★その際に、金光図書館が障がい者の方々に対して丁寧な対応がさせて頂けているということで、岡山県の知事より表彰して頂かれたというお話を聴かせて頂きました。

そのような表彰をして頂くことになられたのは、何か特別な事をしているということではないのだそうです。

ご信心に基づいて障がい者の方々に限らず、老幼男女を問わず一人一人の利用者の方々に対し「この方のためにはどうさせて頂いたらよいか?」、「あの方のためには何がさせて頂けるのか?」という事を一生懸命に考えてこられた結果だということです。

効率や費用対効果を思わず、一人一人を大切にさせて頂くという、初代館長になられた四代金光様のご方針ををずっと守り続けて来られた結果、表彰して頂くことが出来られたのでした。

★具体的にどうなさってこられたのかを聞かせて下さいました。四代金光様の心がけてこられたことを簡潔に表されたのが、「3つのことを言いません」というものです。

(1)問い合わせに対して「ありません。」は言わない。「お探ししましょう。作りましょう。」を心がける。

(2)どんな注文が来ても、「できません。」は言わない。「ここまではさせて頂けます。後はどうすればよいでしょうか?」とお願いして努力と工夫をさせて頂く。

(3)「分かりません。知りません。」は言わない。「教えて下さい。聞かせて下さい。」とお願いさせて頂く。

★目の不自由な方のためには、本を朗読しテープに録音したり、点字に翻訳なさいます。また、車いすで来られる方々が閲覧しやすいように、本を配置されています。お探しの本がない場合には、各地の図書館に連絡をし、お貸し頂けるように手配させて頂かれるそうです。

★このように、一つ一つの要望にどうしたら応えさせて頂けるかを考えさせて頂き、出来てきたことをおかげにさせて頂くということを長年続けて来られた結果、ふと気が付いた時には全国でも抜きん出て障がい者の方々のお役に立つ取り組みにならせて頂かれたのです。

★全ての人や物を活かしてゆくためには、一人一人を大切にさせて頂くということが基本となるのですね。

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2016年11月21日

●心を神様に向けたお礼の参拝             

昨日は共々に御本部御礼参拝をさせて頂き、11月11日の阿倍野教会の生神金光大神大祭を麗しく無事奉行させて頂きましたことを、お礼のお届けを申させて頂けましたことは、誠に有り難いことでございました。

★二代教会長・伊藤コウ師のお父上・房次郎氏は信心に大反対でした。しかしハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なく房次郎氏の愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通らない状態になられたのでした。毎日人力車に乗せて医師・薬・針やお灸など色々手を尽されましたが、一向に良くなりません。とうとう、房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられました。それまで何も言わずに神様にご祈念なさって辛抱しておられたハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次頂いて下さったら、きっと良くなります。」とすすめられ、その時初めて教会へ一緒に参拝なさったのです。

★そこで房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流し、「どうぞ助けて下さい。」と願われたのでした。するとお結界の先生は、「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。おかげを受けていますから…。」と仰せられました。急いで帰られると、それまで口もきけない、水も喉を通らない状態であられたカツ氏が、「お父さん、お帰り!」と玄関まで飛んで出て来たのです。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから、家族中が勢を揃えてご信心なさるようになられたのでした。

★ハル氏は、毎日お礼の参拝を欠かさず、信じて疑わず神様に心を向けられた信心の実践により、三人の娘さん達の生命にかかわる大病を、その都度助けて頂かれたのでした。

★毎月の御本部御礼参拝で、心を神様に向けた参拝にならせて頂きますと、結構なお礼の心に満ち満ちた参拝になりますし、それだけでなくめぐりをお取り払い頂いて、病気災難の根を置いて帰らせて頂くことが出来、さらにご霊地のお徳を身いっぱいに頂くことが出来るのです。
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2016年11月19日

●わが心が神様に向かうのは信心、神様に向かわない時は我情我欲

二代教会長伊藤コウ師が10才の時のことです。秋になりかけたある日、コウ師のお姉様であられますスエ氏が、急に腰がぬけて立てなくなってしまわれたのです。原因は、夏に冷たい物を食べ過ぎたり、夜も寝ている間に体を冷やしていたことでした。丁度それは豊中教会の御大祭の前で、ご母堂(伊藤ハル刀自)は、豊中教会の御大祭の際には、前日・当日・翌日と3日間泊まり込みで御用奉仕をなさっておられました。

★伊藤ハル刀自は、「娘が寝込んでおるということは、親の私が至らないからでございます。私が御恩の分からん人間でございました。そのせいで娘も神様の御恩の分からんまま自分勝手な生活をして、それが体に現れております。これからは御恩の分かる人間にならせて頂けますように教え諭しますから、どうぞお許しください」と御祈念なさった上で、迷う事なく御用に出かけられることになさいました。

用を足す事も一人でままならない状態のスエ氏に対して「あなたも一人で何もかも出来るように神様におすがりして、私が帰るまでにおかげを頂きなさい」と伝えられました。スエ氏も得心なさり、その3日の間ハル刀自が帰られるまでにと、神様に心よりお詫びを申し上げられましたら「金光様!」と声に出して立ち上がった時に、立てるようになられたのでした。

★「これは娘が悪いのです。親である私は悪くありません」等と考え、何の改まりもしないような親ならどうなっていたでしょうか?何か事が起こってきても自分が責任を持って神様に心を向けて御礼とお詫びを申し、「私の徳と力が足りません。私がより一層に周囲の人に正しいことを伝えさせて頂けるようなお徳が頂けますように」とお願い出来る人の真心は神様に届くのです。お礼・お詫びを申し上げるということは自分の器をしっかり磨いていくという作業です。だから正しいお願いが出来るようになってくるのです。

★スエ氏を置いて豊中教会の御大祭の御用奉仕に向かわれた伊藤ハル刀自は「後のことは神様に万事お任せして、神様を第一に、御用を第一に」と考えてなされましたから、神様もそれに応えて下さったのです。それは家のめぐり、身のめぐりをお取り払い頂き、身にも家にもお徳を頂くための信心であり、その徳は先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残る何よりも有難い大切なものだからです。そのような伊藤ハル刀自のご信心を私達もしっかり見習わせて頂かなければなりません。
posted by 金光教阿倍野教会 at 10:30 | 平成28年の「み教え」

2016年11月18日

●御用のお徳 

 先日婦人会でお話しを聞かせて下さった高瀬氏は、10月の末に道で両ひざを打ってこけてしまわれました。その足で教会に参拝され会合に出られて、星座をしてお説教を聴いて帰られました。その後足が腫れてきて、医師に診て頂かれますと、「膝の奥にある骨が陥没骨折しており、手術できる場所ではありません。日にち薬ですので、静養してください。」ということでした。その時に高瀬氏は「どうぞ、御大祭の御用に健康でお使い頂けますように。」と御祈念されました。そして次に「どうぞ16日には婦人会例会のおかげ話の御用を頂いております。何卒それまでにおかげが頂けますように。」とお願いされました。「怪我をしているので、御用は出来ません」ということではなく、どうあっても御用にお使い頂けますように」という姿勢におかげを頂かれる元があるのです。

★腫れていた足も、御大祭までに徐々におかげを頂かれ、直前には参拝されてお届けをさせて頂くことも出来られました。御大祭当日には、松葉杖を付いて歩いて参拝され、ご祭典が終わるまで受付の御用にお使い頂かれました。また、家で立っておかげ話をする稽古もされ、16日の婦人会例会では椅子に座らずに、30分近く立っておかげ話なさることが出来られたのです。

★御用をさせて頂きますと、御用のお徳を頂くことが出来ます。それは、神様からご信用頂ける働きになってゆきます。私たちは、神様を目当てにさせて頂き、神徳を積ませて頂くことが大切ですね。

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2016年11月17日

●本物にならせて頂くように

 戦後間もなく、あるご婦人がどなたにお導きされた訳でもなく、門の提灯を見られて訪ねて来られました。お結界で三代教会長伊藤良三師に、「私の主人が何処に居るのか分かりません。主人の居所を占って頂けませんか。」と尋ねられたのです。良三師が事情をお伺いにりますと、元々近くに住んでおられたのですが、戦争でその方は子どもを連れて疎開し、ご主人は家に残られました。終戦後1年程経ってから帰るとご主人が居なくなっており、親戚の家を転々としながらご主人を捜しておられるということでした。

★良三師は夫婦共に内地に居ながら離れ離れになられたことや終戦後1年間も自宅へ帰られなかったことを不思議に思われ、さらに事情をお尋ねになると、「実は、主人は何らかの病気にかかっておりドイツ語で書かれたおかしな薬を飲んでいましたが、それを隠していたので主人を信用できなくなってしまい仲が悪くなっていたのです。」とその方は話されたのでした。それをお聞きになった良三師は、「ご主人が病気にかかられているのなら、しっかりと支えて家老としての働きをさせて頂くのが本物の奥さんであるのに、それが出来られていない。改まって本物の奥さんにならせて頂けるようにお願いしなさい。教会は占いをする所ではなくお願いをする所です。ご主人の居所が分かるように神様のお徳におすがりしなさい。神様を信じて疑わないようにしなさい。」とみ教えをなさったのでした。

★その直後、ご婦人は教会を出られて帰り道に駅の陸橋を歩いておられると、おじさんに出会われました。ご主人を捜していることをお話しなさると、なんとおじさんは直前に駅の構内でご主人を見かけておられたのです。また後に、ご主人の家も見つかり家の前でじっと待っておられると、ご主人が帰って来られ、とうとう会うことが出来られたのでした。

★夫は夫として、妻は妻として、親は親として、子供は子供として本物にならせて頂けるように願い続けていくのがお道の信心をさせて頂いている私達の生活です。私達も神様の目からご覧になられて本物の氏子にならせて頂かなければなりません。何事もご祈念を先にさせて頂き本物の信心をさせて頂きましょう。

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2016年11月16日

●常にみ教えの鏡に照らし合わせる

 先日あるお方が「金光様のお広前にお参りさせて頂き、み教えを頂くようにならせて頂いて、分かったことがあります。それは、社会が移り変わってもみ教えというものは、全く変わらない天地の道理であり、それを説いて聴かせて下さることは、実に有難いことだと気付かせて頂きました。阿倍野教会にお参りさせて頂いて分からせて頂いたことは、初代教会長先生の頃から、また二代教会長先生、三代教会長先生、現在と変わらずに受け継がれておられるということは実に有難いことであり、我が家もこのように代を重ねて大切なものを受け継いでゆけるようにならせて頂きたいと思います。」とお届けされました。

★そこで[私達は常に教祖様のみ教えをどこまでも頂き直し、教祖様のみ教えに戻り、自分勝手な判断や解釈をせず、常にみ教えの鏡に照らし合わせていくことをさせて頂きます。常に見直しをさせて頂かなければ、どんどんと正しい道から外れていってしまうのです。そのために、日参と聴教に励ませて頂くということは、どれほど大切なことであるかということが分からせて頂きます。次に、様々な出来事に対処してゆくということは大変難しいことです。「世渡りほど難しいことはない」と仰る方もおられました。

そこで教祖様は、「金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。」と教えて下さっておられます。親の代も子供の代も、また孫の代も曾孫の代も、自分勝手な判断をするのではなく、み教えに基づいた生き方をさせて頂くのです。それが出来てゆかなければ、尊いお徳や有難いものは伝わっていきません。何か事が起こってくるというのが人生ですが、何か事が起こってきた時にどのように対処していくかを、このお広前で学んでゆくのです。おかげ話を聴かせて頂いて学ばせて頂く事もありますし、毎日、朝に10時に昼に晩にと、一日4回お説教がありますから、そのお説教の中身を自分自身に頂いて学ばせて頂く事もあります。またお結界で学ばせて頂く事もあります。様々な学び方がございますが、しっかりと自分自身にみ教えを頂くということを元にして、対処の仕方を学ばせて頂き、身に付いて離れないように習わせて頂いておかげを頂いてゆくのが、このお広前での勉強ですね。]とお話させて頂いたことでした。

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2016年11月15日

●実意丁寧・真心込めた日々のお徳

 11月9日、信徒総代の沖氏が76歳8ヵ月でお国替えされました。

★沖氏は、熱心なお母様に連れられて、9歳の頃から入信され、朝参り・日参聴教に励まれ、月初め月末にはお母様と妹さんと共に加賀屋より一時間程の道のりを歩いて朝参りなさることを決めておられたのです。それは、電車を使う便利な時代になっても有難さを忘れないように続けられたのでした。

★沖氏が高校進学の折、二代教会長・伊藤コウ師にお取次を頂かれて「あなたは家業を継がしてもらいなさい。その準備として昼は商売の見習い、夜は学校へ行かせてもらいなさい。」とみ教えを頂かれました。その頂かれたみ教えを素直に守られ、病弱なお父様のお世話に心を砕き、更に行商をなさっておられたお母様を助けられて衣料品小売業の家業に励まれたのでした。そして、沖氏が17歳の時に、店舗付き住宅の購入のおかげを蒙られ、その4年後には二階増築並びに店舗拡張され、家業繁盛のおかげを蒙られたのです。

★昭和40年、沖氏は良縁を頂かれて、ご夫婦揃って実意丁寧・正直親切に商売に励まれました。その4年後「株式会社オキ」として組織を改められ、婦人服専門店として発展のおかげを蒙られたのです。

★病弱のお父様を背におんぶして風呂屋に連れてゆかれ、入浴を終えられましたらおんぶして帰られるというように、心を込めて丁寧に親孝行をなさったのでした。昭和55年10月には、信徒総代の御命を頂かれ、より一層日参と聴教・朝参りに励まれ、真心込めてお導きと御用奉仕に励まれたのでした。

★平成24年緊急入院なさり、それから4年間静養なさって、11月9日にお国替えされました。信徒総代として実に36年間に亘って御用にお使い頂かれたのでした。神様は4年間という年月をご家族や周囲の方々に与えて下さり、その間に様々なところを整えて下さいました。しかし療養なさるご本人には、その間ご辛抱がありご修行の年月でもあります。そのご辛抱やご修行の年月を、じっとベッドの上で家族・親族・縁につながる方々のことを祈って下さることがあられますから、後に残る方がおかげを頂いておられるのです。

★沖氏は、生涯かけて頂かれたみ教えを素直に守られ信心を基にして、実意丁寧・正直親切に家業に励まれました。そのお徳で、子孫の上にも家業の上にも結構な繁盛のおかげを蒙られておられるのです。

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2016年11月14日

●常に未完成の心で

先日、あるご信者が「上司がお客様よりも会社の利益になるように誘導するように話をなさるのです。私はお客様に対して利益になって喜んで頂けるようにしていかなければ、会社は残っていかないと思うのです。だからどうも上司と考え方が食い違うのです。そして考え方が違う私よりも考え方が同じような社員の方を優遇なさるのです。しかし、ここでおかげを頂かなければいけませんので、どうぞ勉強させて頂いて、本物にならせて頂いて、さらに実力が向上していきますように。」とお届けをされました。この方の心構えが有難いことだなあと思わせて頂きました。もし自分の考えだけに固執してしまうと「上司は私のことを認めてくれない、会社はお客様の利益に反することばかりする」というところにしか目を向けられません。しかし会社と自分と双方立ち行くようにおかげを頂きたいからこそ、自分が勉強させて頂きたいという心になられたのです。

★どんなことにおいても、神様に一心にお願いさせて頂いて、その上で起こってきたことは一番良い状態にして頂いており、自分に一番必要なことが起こってきているのです。もし間違った受け取り方をしてしまっては、有難いものを有難くないものにしてしまうのです。『難はみかげ』と教えて頂いておりますが、その根本には神様が一番良いようにして下さるという信念があるからです。「あれもおかげである、これもおかげである」と分からせて頂けることが有難いのです。

★「こんなことでは相済まん、まだまだ行き届いておらん」という気持ちで、一段と信心を進めさせて頂きましょう。いくら足を広げても階段を10段上まで一歩で登れるかというと、登れませんね。信心も一気に進むということはないのです。今のあるがままの姿から、一段進ませて頂いて、また次の段階へ、また次の段階へ…と一段ずつ進むということを生涯かけて取り組ませて頂くのです。もうこれで出来たと思わずに常に未完成の心を心掛けていかなければなりません。いつも「さあ、ここからおかげを頂いていこう!」と自分自身に言い聞かせて、神様におすがりして神様を杖にしてさせて頂くことが大切です。

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2016年11月13日

●喜びに満ちた参拝

 11日の金光大神大祭では、関東から九州、沖縄まで遠方各地からも参拝されます。特に遠方の方は、春秋の御大祭・霊祭をはじめ、各祭典に万障繰り合わせてこの日は必ずと決めて参拝されます。「行けるか、行けないか分かりません…」ということがなく、「天候気象に関わらず何がなんでも参拝させて頂きます!」というご姿勢を拝ませて頂きますと、大変有難く感じさせて頂くと共に、私共が御祈念させて頂き、御用させて頂く姿勢の上により一層の心を込めて熱を込めさせて頂かねばならないと痛感いたしております。

★そして、早速多くの方々が御大祭のご庇礼を頂かれています。骨折なさったお二人の方は共に杖をついて歩いて参拝されおかげを頂かれました。また今朝もお礼を申されたあるご信者は、飼い犬が肝臓を患いずっと何も食べられず吐いていたのが、御大祭のお直会の小判餅を御洗米にして飲ませますと、なんと吐かずに頂くことが出来たそうです。さらにあるお方は、ずっと足腰が痛んで椅子に座ることさえも出来なかった身体がご祭典直前に歩けるようになり、正座も出来るように痛まなくなられ有難い参拝が出来られたのです。純真にみ教えを頂かれ、神様におすがり申し上げられたことを大変嬉しく有難くお礼申させて頂いております。

★福岡県の大牟田市にお住まいのあるご信者は、去年は秋の御大祭の参拝が出来られませんでした。なぜなら、白血病の治療をなさっていたからです。白血病が再発され2度目の治療でしたが、電話や手紙のお届けでも熱心にお願いされていました。そして見事におかげを頂かれ、今回の金光大神大祭には自らご家族と共に参拝させて頂くことが出来られたのでした。「神様から頂いたお命でございます。」と、嬉しく喜びに満ちた参拝であられました。

★『喜び上手がおかげの頂き上手である』とみ教えを頂いておりますように、喜びに満ちた参拝をさせて頂きますと、神様に大きな御礼の心が届くことでしょう。11日の御大祭でも、境内地で教会の内外で皆さまがニコニコと笑顔で御用をなさっていました。一人一人の真心が神様に届くのであり、その集大成が御大祭です。今から来年の開教95年祭に向けて各自がしっかりと家族親戚中をお導きさせて頂き、より一層に有難い喜びに満ちた御大祭にならせて頂けます様、お願いさせて頂きましょう。

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2016年11月12日

●金光大神大祭をお仕え申し上げて…

 昨日は、穏やかな秋晴れのお天気の下、全てに亘り万事万端御都合お繰り合わせを蒙り、生神金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。これもひとえに、皆様方のお手篤いご信心とお祈り添え、またたくさんの方々の真心からの御用奉仕とお導きの賜物であると思わせて頂きます。心より御礼申し上げます。

★祭典後は、島之内教会の三矢田光師より『近藤藤守先生のご事跡を仰ぎ奉りて』という御講題で、有難い御教話を賜わりました。来年は、難波教会の初代教会長・近藤藤守師がご帰幽になられて100年のお年柄を迎えられます。そのことに因み近藤藤守師のご事にふれてみ教え賜りました。

★近藤藤守師が入信なさる前、年老いた夫婦に出会われ、一杯のお水を所望して恵まれた折に、ふと「この老夫婦に自分の遊興に使ってしまう予定のお金を施したら、どれだけこの人達は生活が楽になるだろうか…」と思われ、そっとお金を置いて帰られたのでした。それから一ヵ月後、近藤藤守師の家に訪ねてきたその老夫婦が、朝早くに門の前で拝んでいる光景を見かけられたのでした。そのことにより近藤藤守師は「人から拝まれるということは、何と不思議な心地を覚えることだろうか…」と、何とも言えない感動を覚えられたのでした。

★その時に初めて、「自分が老夫婦を助けると、あちらがそのことを感謝して祈って下さる」という「人を助けて自分が助かる」という神様が生まれる瞬間を体験なさったのでした。さらにそれまで胃腸の病気を患っておられたのですが、その時以来痛みがピタッと治まったというのです。後になってこの時の出来事を、「人間は陰からでも人に拝まれるようなことをせねばならん」とお弟子さんに何度も語っておられたということです。

★来年は、阿倍野教会に於きましても大変有難い節目の年に当たります。二代教会長伊藤コウ師の35年祭、またコウ師のご母堂であられますハル刀自の85年祭、そして11月11日には開教95年の記念大祭をお仕え申し上げます。さらに、本日より一年間五ヵ年計画の第5年目を迎えさせて頂きます。共々に満願成就のおかげを蒙らせて頂けますようお願いを立て直し、この一年をより一層有難いものとさせて頂き、ここからの信心を進めさせて頂きたいと思います。

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2016年11月11日

●それぞれの家の御大祭、一人一人の御大祭

おめでとうございます。本日は、金光大神大祭をお仕え申し上げます。

★先日、御大祭の祈願祭の折、お迎えする心持ちということで、〔神様から『これをおかげにしてみよ』と与えて下さっている信心の課題を「何とかおかげにして頂かねば!」と発奮して御願いをさせて頂きましょう。御大祭に向けて、10日でも1週間でもよろしいですから特別なご修行をさせて頂きましょう。例えば「御大祭までに歩いてお参りが出来るようになりたい」とか、特に日を切って願って覚悟を決めて御修行させて頂きましょう。〕とお話しさせて頂きました。

★その後、あるご信者が教会にお参りさせて頂く道中に、転倒なされたのです。その方はそのまま教会に参拝なされ、会合に出席し、お昼のご祈念を拝まれ、み教えを頂いてからお家に帰られたのですが、足が腫れてきたので、病院に行かれましたら「膝のお皿の後ろの骨が陥没骨折しておりますが、手術は出来ません。ギプスをはめる必要はないので安静にして下さい。」と言われたそうです。ご信者は御大祭で御用があられますから「どうぞ御大祭までには、歩いてお参りさせて頂けますように」とお願いなさっておられましたら、有難いことに昨日「御大祭の御用がさせて頂けるまで回復させて頂きました。」とお礼のお届けが出来られたのでした。

★また別のご信者も転倒されて一人で起き上がることさえ出来られませんでしたが、「どうぞ御大祭までには、歩いてお参りさせて頂けますように」とお願いなさっておられましたら、段々と一人で起き上がることが出来るようになられたということです。

★思いもよらないことが起こってこられたのですが、これは「このことを通して御大祭のご比礼を頂きなさいよ」と神様から与えて頂いていることです。生活の中には何かしら出来事が起こってきますが、それをすべておかげにさせてもらわねばなりません。

★本日は阿倍野教会の信奉者一同が、御大祭をお仕え申し上げますが、それぞれの家の御大祭です。そして一人一人の御大祭です。それぞれの家が何代も前から入信させて頂いておかげを頂いてこられた歴史を振り返らせて頂いて、御礼を申させて頂く祭典でもありますし、皆さんがお生まれになってから今日までをしっかりと振り返らして頂いてお礼を申させて頂く祭典でもあります。そのことをしっかりと理解させて頂き、自分自身がお仕えさせて頂く、「私がお参りさせて頂いて、御用させて頂かねば御大祭は始まらん!」というほどの心持ちで、本日の有難い御大祭、ご家族・お導きの方々揃ってご参拝になられ、おかげを蒙られますようにお祈り致しております。
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2016年11月10日

●まずは相手の話を聴く 

 あるご信者が「先日知り合いから『今、高校生で学校に行きたくなくなっている学生さんに話をしてあげてほしい』と頼まれました。今日会わせて頂くことになっています。どのような事をお話しさせて頂けばよろしいでしょうか?」とお尋ねになりました。「そのお方に助かって頂くことをご祈念させて頂きながら、まず、相手のお話を聴かせて頂きましょう。事情は人それぞれですので、話させて頂く内容も、人によって違います。話を聴かずに自分ばかりが話してしまうと、相手の気持ちが分かりません。ただ、思った事を言っていても、相手には伝わらず、助かって頂くことは出来ません。ですから、自分がこの話をしようと思って持って行くよりも、じっと御祈念させて頂きながら、相手の話を聴いてあげることが第一なのですよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★まず大切なことは、相手の話を聴かせて頂くことです。ご信者の土井つちの氏のもとには、近所の人々がよく身の上の相談に来られたそうです。そんな時土井氏は、じっくと相手の方のお話を聴いてあげられた後に「私はこのようにおかげを頂いてきましたので聞いて下さい。」と言って、ご自分の信心をさせて頂いておかげを頂いたお話を丁寧になさったのです。そうして、相談事に対する具体的な解決策を安易に示したりするのではなく、周囲の人々を真の信心の道にお導きなさったのでした。お導きで一番大切なことはご信心の有難さ・神様の有難さが伝わっていくことです。自分自身が心の底から有難いと思わせて頂くことが、相手に伝わってゆくのですね。

★『信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。』

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2016年11月09日

●楽は望まん。苦労は覚悟。苦労し甲斐のあるように。

 昨日はみかげ会例会が開催され、川越氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。川越氏はお祖母様からの信心で三代目になられます。小学校2年生の時に教会の近くに移ってこられて、毎日子供会に日参され、また中学校からは学生会で自ら御用に励まれ、み教えを頂いてこられました。現在は3人の子宝に恵まれ、お孫さんを頂かれて子孫繁盛のおかげを頂いておられます。また、以前から勤務なされているコンピュータシステム会社に加えて、昨年1月から商社の取締役横浜支店長を任され、69歳になられた現在も現役で世の中のお役に立たれています。

★川越氏は大学受験に失敗なさり浪人生活を経験されました。そのときに二代教会長伊藤コウ師より、『楽は望まん。苦労は覚悟。苦労し甲斐のあるように。』とみ教えを頂かれ、その後現在まで幾度と挫けそうになられたところを前向きな気持ちに励まして下さる心強いみ教えとして大切になさっているそうです。大学卒業後は住宅総合メーカーに勤務なさり首都圏の支店長や営業部長を経験され、その働きぶりや実績を高く評価して頂かれて、大手建材商社の系列で新しく設立された住宅メーカーの代表取締役社長に任命して頂かれ、初代社長として企業基盤や経営基盤を確立されました。

★二年延長されて定年退職なさり、その後現在のコンピュータシステム会社に入社され、建築事業部と特販事業部の2つの事業部に所属しておられます。会社幹部から「設立間もないので、事業基盤を作って欲しい。」と強い要請を受けられると、なんと得意先候補である日本の会社の大半は川越氏が46年間に亘って築かれた深い繋がりのある会社ばかりであったそうで、大学卒業から所属してこられたすべての会社での経験や履歴が生かされるというおかげを頂いておられるのです。

★川越氏は60才を迎えられた時から、「人生はこれからだ。高齢者という言葉に甘えたり、自らを楽にさせることは、親神様に申し訳ない。そして今までの人生で得た経験や知識をあらゆる分野でお返しさせて頂かなければならない。」といつも自らに言い聞かしておられるのです。いつも神様に心を向けて実意丁寧に家業の行に励ませて頂くことの大切さや有難さを分からせて頂けますね。

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2016年11月08日

●実意丁寧、行き届いた働きを…

『一時に積んだ石垣は崩れやすい。ぼつぼつ積んだ石垣は、念が入っているだけに崩れはしない。 信心する者は何事にも実意丁寧、行き届いた働きをするようになれ』

★御大祭を前にして、より一層行き届いたお礼のご信心に励ませて頂きたいものです。広大無辺なおかげを頂きながら、忙しい事を理由に、お礼を申すことを忘れていては、行き届いたご信心の姿とは決して言えません。命を助けて頂きながら、「この度は命を助けて頂きましたが、お礼申すのを忘れていました。先生お礼申しておいて下さい」という心構えではお礼を申したと言うことにはなりません。「日ごろから信心が緩んでいる私に、この度は広大なおかげを頂き、勿体無いことであります。これからは改まってしっかりとお礼のご信心に励ませて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します」と実意丁寧にお礼を申し、お礼の足らないお詫びを申してお願いをさせて頂きますと、神様は真心をお受け取り下さるのです。

★実意とは、真心の事であり、「御恩を知り、御恩を感じ、御恩に報いさせて頂きたいと願う心」であります。丁寧とは、「まだまだ至らない、まだまだ行き届かない私である」と自覚し、繰り返し繰り返し反復練習させて頂くことです。

★私達は日々神様からお命を授けて頂いて、おかげの中に浸かって生活させて頂いているのです。そのことを分からせて頂くことが、御恩を分からせて頂く根本です。「一生懸命にさせて頂いているつもりですが、まだまだ至りません。申し訳ございません」という謙虚な姿勢こそが、神様から信用して頂く元であり、ご信心の最も重要なところであるのですね。

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2016年11月07日

●不平不足を思わず、不自由を行とする

先日、真栄根会例会が開催されまして、藤田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。藤田氏のお家は祖母様が昭和20年に何気なく阿倍野教会・旧広前に参拝なされたことから信心が始まりました。

藤田氏が小学生の頃、昭和47年2月1日に近所が火事になり、藤田氏の家が類焼してしまわれたのです。お父様は二代教会長先生から「難はみかげですよ、焼け太りのおかげを頂きましょう。」とみ教え頂かれました。そこでお父様は1)火元の人を恨まない。2)朝参りの日参、月例祭のお参りを欠かさない。3)無理ムラ無駄を省く。この3つを自身のご修行と決められました。

すると、以前は土地を売って下さらなかった地主さんが土地を売って下さるようになり、3カ月後に自宅新築のおかげを頂かれたのでした。

★『金光様に近藤藤守師が山に入ってご修行したいことをお届けされ、「なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります」と申し上げられますと、金光様は近藤藤守師に「それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。」と仰せになられた』

★生きていれば少なからず不自由に思うことはあります。腰が少し痛かったり、肩が痛いだけでも不自由と言えます。新しいお家が出来るまでに大変不自由はあられたと思いますが、ご修行を決められ貫かれたからこそ有難いおかげが頂かれたのです。

★『不平不足におかげはなし、喜び楽しむ心におかげがある。』何を喜ぶか?何を楽しむか?毎日の何気ない一瞬一瞬を喜ばせて頂けるように、通常の生活を喜ばせて頂けるようにならせて頂くことが大切です。しかし通常の生活の有難さがなかなか分からないから御礼が足りないのです。

お礼が足りないのは誰もが皆足りてはいないのですが、それを自覚出来ているかということです。「私は行き届いてほどお礼が出来ている」と思っているのはおごりがましいのです。御恩が分かるように謙虚さを養っていく、御礼・御詫びの心を大きくさせて頂く、そういった自分自身の器を作るために、日参と聴教に励ませて頂くのです。
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2016年11月06日

●一切の経験は皆自分の本心の成長の為

 あるご信者は、会社に研究職として勤めておられるときに1年半も上司から仕事(研究のテーマ)を与えてもらえなかったそうです。その方は毎日教会にお参りして、「どうぞお役に立てておりませんので、お役に立てますように。」と涙ながらにお願いなさっていました。上司に認めてもらえず仕事を任せて頂けないような辛い時期でも、このように前向きにお願いされ、前進する力に替えておられたのです。そして、自分自身がしなければならない研究に打ち込んでなさっておられますと、所属する部署を変えて頂き仕事を与えて頂けるようになられました。「仕事を与えて頂いてこんなに有難く嬉しいことはない!」と喜ばせて頂けるよう、神様がご修行を与えて下さったのです。それぞれに厳しいことを与えて頂き、成長の機会とさせて頂けることがおかげなのですね。

★私が21才の時、左足に怪我をしてギブスを装着し、松葉づえを使った生活を1ヶ月半ほど経験したことがあります。大変不便で辛抱を要し、自分自身が健康であったときのことが有難いことであったと改めて思わせて頂くことでした。1ヶ月半も足を動かさずにおりますと、踵を上げてつま先で立つことも出来ないほど筋力が落ちており、普通に歩けるようになるまでに1ヶ月半リハビリを続けました。それから走ることが出来るまでさらに1カ月半かかりました。この経験から日頃気にも留めないようなことが有難く、「あれもおかげであった。これもおかげであった。」と気付かせて頂くことができたのです。このような経験をしますと人の痛みや辛さも分からせて頂けるようになり、また人のことをお願いできるようにならせて頂けますので実に有難いと思わせて頂いております。

★『神様は私に必要以外の何物も与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は皆自分の本心の成長の為にあるのであって、無駄なことは何一つもない。元気な心で試練に堪えよ。たとえ天災でも病気や怪我でも或いは訳のない中傷でも、また気の進まぬ仕事であっても何事もご神意としてとり、明るく生き抜く覚悟を持ってせよ。』これは、三代教会長先生がご自身の戒めとしておられた心構えです。出来てくることの全ては自分自身の成長の為にあると思わせて頂いて有難く受け留め、神様にお願いさせて頂きながら前向きに生活させて頂くことを心掛けましょう。

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2016年11月05日

●ご修行の工夫

 御本部の金光学園の学園長をなさった隅田先生は、その以前大学の教授、あるいは企業に勤めて化学繊維の研究に成果をあげられたお方です。転勤なさったらその地域の教会に朝参りをなさっておられたそうですが、北海道にいらっしゃった時に、冬になるとご夫婦で毎朝石炭を担いで参拝されたそうです。教会の石炭をくべる御用のために運搬されていたのですが、石炭は重いですから一度にトラックで運べば楽なように感じます。しかし「それでは有難さが薄れてしまう」とお考えになり、自ら求めてご夫婦で重い石炭を担いで参拝されたのだそうです。

★参拝するのに、自転車や電車を使う方や車で参拝する方、または歩いて参拝される方など様々です。その道中に何か自分で決めてご修行させて頂くことが大切であるということを教えて下さっているのです。

★毎日欠かさず参拝なさっているあるご信者は、片道3回電車を乗り換えて参拝なさっています。この方は一日100回お礼を申す事を心掛けられ、参拝の道中の階段の上り下りの時に御礼を申させて頂くと、100回を軽く超えることに気付かれました。それからは一層心がけて御礼を申す稽古をなさっています。また他の方は、道具を持参されてゴミ拾いをしながら参拝されているお方もいらっしゃいます。ちょっとした工夫で、いくらでもご修行はさせて頂けるのですね。

〈信心の心構え〉
(1)どんな時にもどんな事でも、心から喜んで御礼が申す。…自分に都合の良い事でも悪い事でも、御礼を申させて頂く。神様は必要な事だけを与えて下さり、一番良いようにして下さると信じ切る。
(2)一生が修行である。…『50,60花なら蕾、70、80働き盛り。90になって迎えが来れば100まで待てと追い返せ』とみ教えにもありますように、何歳になっても「これでよい」と思わない。
(3)心で人を殺さない。…自分が一番至らないという事を自覚し、仕返しをする心を去る。

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2016年11月04日

●真心からのお供え

 池田太市氏は、吉井町から甘木教会へ参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝されていました。ある日、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁で縛って下げ持っておられたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ鯉が逃げてしまったのでした。ところが、太市氏は船頭さんにお願いをしてもう一度鯉が逃げたであろう所まで戻られたのです。すると、川の流れがあるにもかかわらず、その鯉が逃げたその場所にとどまって水面から一尺ほどの所にいるのを見つけたのでした。そして、無事に甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られた時に、安武先生が心を込めて「御供えさせて頂きたいというあなたの真心が神様に届いていたのです。」と仰って下さったのでした。

★御大祭に向けて御用をさせて頂きますが、手足を使った御用を通して労力や時間をお供えさせて頂くのです。そういったお供えも品物のお供えをさせて頂く時も、真心が大切です。

★「管子」の中に、『四体(したい)既に正しく、血気既に静かなれば、一意専心、耳目淫(じもくいん)ならず。』という言葉があります。これは、「身体を健全に姿勢を整えて、はやる気を抑えて冷静になって、一つの事に精神を集中すると、他のくだらないことは耳にも目にも入らなくなる。」という意味です。また、『明鏡止水』という言葉があります。「明鏡」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「止水」とは、流れずに静かにとどまって、澄んだ水面は景色がよく写ります。曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、。安らかに落ち着いた心境を言います。

★教祖様は『おかげは和賀心(和らぎ喜ぶ心)にあり』と表現して下さっております。和らぐ…波立っているものがスーッと穏やかになって正しく物事が写ること。喜ぶ…神様に通じて喜びがさらに喜びを生んで、毎日喜びに満ち満ちてお礼の心で生活させて頂けますと、神様に通じてゆきます。

★心が波立っていると落ち着いて御祈念も出来ませんし、物事にも集中できません。さらには今自分が何をしなければいけないかということさえも見えなくなってしまいます。そうしますと日々結構な生活にもなりませんし、結構な御用にもなりません。不安や心配に捉われたり、怒りで心をかき乱されないよう、真心を込めて一心に御用させて頂き、1週間後の御大祭までに、さらには来年の開教95年の記念大祭に向けてしっかりと家中が心を揃えて共々に真心から仕えさせて頂ける有難い御大祭にさせて頂きましょう。

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2016年11月03日

●積徳の信行 

 先日、あるご家庭に下半期の御礼のお宅祭に行かせて頂きました。そのご家庭では毎回のお宅祭の際に、御神殿の御神前・御霊前それぞれに、御鏡餅や野菜、果物、乾物といったお供え物を丁寧にお供えなさっています。その中に、この度は御大祭の御用奉仕の役割券が一緒にお供えされていました。そのように役割券を家の御神殿にお供えし、日々御祈念を込められているお姿を拝見し、「み教えをそのまま守っておられるのだなあ」と大変有難くお礼申させて頂きました。

★役割券を頂かれましたら、「当日どうぞ無事健康で御用にお使い頂けますように。」「どうぞ、家族・親戚中が揃って参拝のおかげが頂けますように。お導きの方々が、みな揃って参拝されますように。」と毎日ご祈念を込めておられるのです。そのお方は、たくさんの方を広範囲にお導きなさっておられますので、連絡をなさりお声かけをしておられます。そうした地道なお導きを代々続けておられるのです。そのお姿を拝ませて頂くと共に、本当に有難く、喜びに満ちた御礼のお宅祭がお仕えになられたことでした。

★そのご信者は日々、御用のお徳・お導きのお徳・日参のお徳を頂いておられます。ですから、心臓発作を起こされた時も、有難いことに何度もお命を助けて頂いておられます。神様は足らないところを足して下さり、おかげを授けて下さいます。金光様のお取次ぎにより、10のところを90足して頂いて100のおかげを頂くことが出来るのです。そのような結構なおかげを頂いてゆくためには、常平生から積徳の信行をしっかりと積み重ねさせて頂くことが大切であると改めて感じさせて頂きました。

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2016年11月02日

●家中が生まれ変わってゆく

今から17年前の10月28日、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の例年祭の日のことです。あるお方の息子さんが食事が喉を通らなくなってしまい、やせ細ってしまわれました。このままでは働けなくなってしまうという状態にまでなられ、良いお医者さんはないか近所の方に訪ねておられますと、「お医者さんもよろしいですが、もっと良いところがありますよ。」と親切なご信者にお導き頂かれたのでした。

★阿倍野教会に参拝なさった時、私は例年祭の為の神饌の御用をさせて頂いておりました。そこでその方に、[今日からすべての物を拝んで頂きましょう。空気やお日様のお照らし、食物やお水に拝んでお礼を申しておられますか?私達は天地のお恵みの中で生活させて頂いており、神様の賜り物で生かして頂いております。お水一杯でも、額まで上げて拝んで頂かせて頂きますと、お水の中に含まれている天地の恵みが自分の体に頂けるのです。神様は、毎日の生活の中で「感謝の心が足らない、喜びが足らない」と教えて下さっておられるのです。ですから、「金光様有難うございます」とお礼を申す稽古をさせて頂きましょう。今日はご祭典がありますから、しっかりと拝んでおかげを蒙らせて頂きましょう。]とお話しさせて頂きました。なんと、その息子さんはその晩から食事が頂けるようになられたのです。

★そのお母さんご自身も、腎臓病を患っている為に朝起きられず、今まで一度もご主人を朝送り出すことが出来られませんでした。しかし、ご祈念して休ませて頂くことで、毎朝4時に起きられるようになられたのでした。さらにご主人のお弁当を作って、送り出してから朝参りが出来られるまでおかげを頂かれました。さらに、入信前には多額の借金があったのですが、「どうぞ借金返済のおかげを頂けますように」と一心にお願いなさっておられました。すると、先月10月半ば頃になんと借金全額返済のおかげを頂かれ、10月28日の初代教会長先生の90年祭には有難いお礼の参拝が出来られたのでした。

★借金が返済させて頂けただけではありません。先々は貯金が出来るようになりたいと楽しみに働かれるようになられ、さらには息子さんのお一人が結婚されて子宝も頂かれ、家中が結構な方へ生まれ変わることが出来られたのでした。

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2016年11月01日

●責任を全うする

 あるご信者は学校の給食を作るお仕事に携わっておられます。そこの学校では1日に600食作られるそうですが、それでも少ない方であるらしく、別のある学校では1000食作られているそうです。毎日、食中毒などの間違いを起こさないよう600食や1000食を用意させて頂こうと思いましたら、御祈念せずにはいられませんね。献立を考えるときや準備をするとき、調理をするときも後片付けをするときも御祈念をしてさせて頂き、徹底して心配りをして責任を全うさせて頂くことが大切です。

★二代教会長伊藤コウ師は徳と力を頂くことについて、次のように仰せになっておられます。「徳と力の正体とは一体何だと思いますか?徳と力を頂くには、自分に与えて頂いた仕事に対して、責任を感じて実意丁寧に最後まで成し遂げるということです。例えば、ご飯を炊いて下さいとお願いして頂きましたら、米の洗い方、水、火の加減…すべての工程に御祈念をこめて、実意丁寧に真心こめて最後まで責任を持って作らせて頂きますと、美味しいご飯が炊けます。自分に与えて頂いている責任を全うできているでしょうか?『私のような者に仕事を任せて頂き、有難うございます。どうぞ責任を果たさせて下さい』とお願いして、仕事を成し遂げられる方は、『あなたのような人に仕事を任せたい。またお願いします』と頼んで頂ける、そんな人こそ忙しくなってゆくのです。このように、責任を持てる人間は神様からお徳を頂いてだんだんと結構にならせて頂けます。自分に与えられた仕事に対して怠慢でいい加減なことばかりしてお茶を濁しているようでは、とてもお徳と力を頂くということはできません。神様から信用して頂くことができません。」

★何事もご祈念してさせて頂きますと集中してさせて頂くことができます。集中してさせて頂きますとそれだけ無理、無駄、むらをなくして良い仕事ができていきますね。「どうぞ責任を全うさせて下さい。責任を持たせて頂ける働きができますように。」とお願いさせて頂いて、お徳と力を頂くおかげを頂いていきましょう。

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