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2016年10月31日

●今日一日、己に克つことを心がけて

先日、ある学生さんが初めてお届けに来られました。詳しいことは申せませんが、支障のないことだけ書かせて頂きますと「近頃段々と周囲のことばかりが目に入って、他の人と比べて、自分を取りまく環境の気に入らないところが見えてきました。それともう一つは、学校で自分の苦手な人がいます。その人と毎日顔を突き合せなければならず、それが苦痛で仕方ありません。」ということです。

★そこで色々とお話を聞かせて頂いた後に、[あなたは、それだけ自分のことを振り返って考えさせて頂く力を持っておられますね。まず第一に他の人を見て比べてはいけないと言うことが分かりますね。二つ目には、何事も打ち込んでさせて頂かねばならないと言うことがよく分かりますね。どんな道でもそうですが、人に勝とうと思わずに、己に克つことを心掛けてしっかりと精進していかないことには、立派なものを養っていくことは出来ません。勉強であろうが、スポーツであろうが、文化活動であろうが、人と比べて、人に勝とうと思っている人は大成しません。

★また成長することが人間の喜びとなるのです。しかし、あなたは結構ですよ。五体満足で健康で自由自在に思うように思索させて頂き、思うように体を動かすことが出来ますね。世の中にはベッドの上で休んでおかないと命を保てない人もあられますし、生まれながらにして障害を抱えておられる人もあられます。五体満足で健康であって、自分のしたいことがあれもこれもさせて頂けるというのは、これ以上ない有り難い、恵まれたことなのです。神様から与えて頂いている能力をしっかりと大きく育てていくために、「金光様」とお願いさせて頂いて、一段と成長を遂げてゆくのです。

★これから先、全てが思うような理想の場所はなかなか出会うことはなく、色んな苦しい場面が出会うことでしょう。今起きていることは、社会人になっても必ず起こってきます。しかし、今からそうしたことに対応出来るような力を身に付けさせて頂くということは実に大事なことです。自分自身の成長の材料として与えて頂いていることですから、「これは好きで、これは嫌いです。」と自分自身が枠を作っていては成長しません。一年生と、二年生では求められることが違ってきます。社会人になってくると更に責任を求められるのです。もっと多くの責任を与えられて厳しいことを要求されるのです。ですから、どんなところへ行かせて頂いても役に立たせて頂けるように、今から稽古をしておりましたら有り難いですね。まず人のことをお願いさせて頂きましょう。何事もしっかりと御祈念して一つ一つ乗り越えていかれてはどうですか。]とお話しさせて頂いたことでした。

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2016年10月30日

●神様のお試し

 先日、あるご信者が「仕事の上で改まらせて頂き、職場で人に対して一切不足を思わずにご修行させて頂こうと心に決めさせて頂きましたら、その途端に腹の立つことばかり起こってきました。次から次へと神様がお試し下さいました。そのお試しというのは仕事の上で、自分より下の立場の人から偉そうに言われたり、失敗したわけでないのに、無視されたり、のけ者にされたりします。どうしてそんな目に遭わなければならないのかと思うようなことばかり起こってきました。」

★「その時に『金光様、金光様…』とご祈念させて頂いておりますと、だんだんと心が落ち着いてきます。ご祈念を忘れてしまった時は、腹が立って仕方がありません。み教えを頂いておりますので、目の前の人のことを『どうぞ、この方が助かられますように。心が穏やかになり、幸せになって頂けますように。』とお願いさせて頂く事が出来るようになりました。そうしますと、実に心が穏やかに、和らぎ賀ぶ心にならせて頂けました。今まではさせて頂けなかった事がさせて頂けるようになりました。有難うございました。」とお礼を申されました。

★神様にお約束させて頂き、心に決めさせて頂いた途端に、神様から「そうか、それ程までに思っておるのか。どこまで進ませて頂いておるのかな。」とお試しがあります。私達はそのお試しに合格させて頂かねばなりません。ご修行に真剣に取り組ませて頂けば、取り組ませて頂くほど、神様はそれにお応え下さるように、様々な試験をして下さいます。それは、その人の信心をまた一段と向上させてやろうという、神様のご慈愛に満ちたお心であるのです。日々しっかりみ教えを頂いておりますと、その課題を有難く謙虚に受けさせて頂ける柔軟な心が育ってゆくのですね。

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2016年10月29日

●すべてを生かしてゆく道・真一心で長期に亘ったお願いを

 昨日は、天候をはじめ万事万端のご都合お繰り合わせを頂き、初代教会長・伊藤徳次彦霊神90年祭をお仕え申し上げることが出来ましたことは、真に有り難いことでございました。

★阿倍野教会は大正8年、巴通り(現在の近鉄百貨店南側)に布教の第一歩を印されました。しかし近くのお教会より「教会設立の願いがあるならば、8町離れなければなりませんので、他へ移って下さい。」と言われました。初代教会長伊藤徳次師、二代教会長伊藤コウ師はそのお言葉を有り難く受けられ、吉野通り(阿倍野区)へ移られました。

★吉野通りのお広前は炊事場もなく、二階の物干しに場に七輪と水を持って上がって炊事をしなければならないようなところでした。借家でしたので、月々の家賃を払わせて頂くのが精いっぱいでしたが、その頃から、「百畳のお広前を立てさせて頂きたい、千坪のお土地を頂きたい」と願っておられました。夢のような願いでしたが、初代教会長先生・二代教会長先生がご修行して下さり、有難いことに現在の阿倍野教会のお広前を神様が建てて下さったのです。

★このお道のご信心とはどういうご信心でしょうか?このお道は全てを生かしていくお道です。自分の心と体を生かしていく、人を生かしていく、物(の命)を生かしていく、家を生かしていく、土地を生かしていく…等々全てを生かしていくのです。神心を大きく育て、神様にお喜び頂けるような氏子になってすべてを生かしていけるようになることを神様が願って下さっているのです。

★真剣に信心させて頂きましたら、生神金光大神様のお取次ぎによって、天地金乃神様のおかげを頂いて、お役に立つ人間に生まれ変わらせて頂くことが出来るのです。お役に立たせて頂こうと思いましたら、生き生きとした姿にならせて頂かなければいけません。そのために体の丈夫(心身ともに健康)や、子孫の信心教育(ご信心に基づいて育てさせて頂いて、お役に立つ働きをする人間に育てて頂く)、豊かな生活(物心ともに豊かに)、平和円満、徳と力の五つのお願いをお願いさせて頂いているのです。

★有難いことに、阿倍野教会も子孫繁盛のおかげを頂いていることがよく分からせて頂けます。それは初代教会長先生・二代教会長先生・三代教会長先生が神様の御用をして下さり、ご修行をして下されたお徳によっておかげを頂いております。2週間後の11月11日には、阿倍野教会の金光大神大祭が奉行されます。同時に五カ年計画第五年目が始まります。しっかりと長期に亘ったお願いを立てさせて頂いて、日参と聴教に励ませて頂いて、何が何でもという熱のこもった信心の稽古とご修行をさせて頂いておかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年10月28日

●切磋琢磨

本日午後2時より、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の90年祭をお仕え申し上げます。ご家族ご親戚、お導きの方々打ち揃って参拝のおかげを頂かれ、日々お守り頂いているお礼を申し上げ、11月11日の御大祭に向けて願いを新たにさせて頂きたいと思います。

★論語の中で、孔子と弟子の子貢(しこう)が「人としての有るべき姿」の話をしていた一説です。子貢が「媚びない貧しい人々と威張らない裕福な人々はどうでしょうか?」と孔子に尋ねました。すると孔子は「良いことは良いが、貧しくして己の道を楽しみ、富みても尚、礼節を好む者には及ばないだろう。」と答えられました。これに対して子貢が「詩経が “切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く(切磋琢磨)” とはこのことでしょうか?」と孔子に再び質問しました。このことを聞いた孔子は「さすがである。それでこそ共に詩を語ることができるというものだ。これぞ往を告げてその来を知るものである。」と答えられました。

★「切磋琢磨」は、人間を磨く苦労を表す言葉ですが、実は創り上げてゆく喜びを表しています。苦労の中に命の躍動、歓喜を感じ、苦労の中に生きる楽しみを創り上げてゆく達成感を表した言葉です。自分自身の成長を願い、新しい姿に生まれ変わっていくことを楽しみに、生涯掛けて求め求めご修行させて頂いておりますと、結構なご神徳を蒙らせて頂く事が出来るのです。そして「生活が楽になりました。借金の返済が終わりました。」というだけが有難いのではありません。家中が心身共に健康で円満で有難い働きが残せるようになり、段々と良いものが伝わり、一年勝り代勝りにおかげを蒙らせて頂けることがおかげを頂いた有難い姿と言えるのです。

★少年期、青年期、壮年期、老年期、夫々の時期のご修行を喜んでさせて頂き、生涯かけて己の本心の成長の為のご修行を心掛け、自分自身を高めてゆきましょう。
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2016年10月27日

●神様を杖にして

 先日は青年会学生会例会が開催され、杉本氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。杉本氏が2才、お兄さんが6才の時にお父様が突然病気で亡くなってしまわれ、お母様が女手ひとつで2人の子供を育てられたのでした。有難いことにご信心を基になさって、お母様は一生懸命働かれてお育てになられ、子供たちは信心・勉強・御用に励まれた結果、お兄さんは薬剤師、杉本氏は看護師として勤務なさるまで成長されました。予期せぬお父様の死に直面しても、神様を杖に生活させて頂くことによって苦難を乗り越える力を頂けたのですね。

★二代教会長伊藤コウ師は、「真に幸せな人生とはどういう姿なのでしょうか。それはどのような難しい事が起こってきてもそれに打ちのめされずに、神様におすがりして難儀を乗り越えるだけの徳と力を頂いていくということが一番幸せなのです。」と仰っておられました。

★初代教会長伊藤徳次師が32歳でお国替えなさったとき、コウ師は悲しくても苦しくても「泣いている暇はありません。私も神様の御用をさせて頂きます。どうあっても神様におすがりしておかげを頂かせて下さい。」という心になられ、徳次師の願いを受け継がれたのでした。すると、徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職するということが起こりました。コウ師は[これは「人を頼りにするな」ということですね。人の杖をつこうとしていた私が間違っておりました。人の杖をつくところを神様が外して下さり、「神様の杖をつけ」と仰って下さいました。神様はここまで私を可愛がって下さいますか。有難うございます。]とお礼を申されたのでした。

★人に依存せず、神様を杖に自立する生き方を心掛けることが大切ですね。依存するということは自立していない人が寄りかかっているという状態です。寄りかかっている相手が崩れてしまうと自分も崩れてしまいます。神様を杖にして自立している者同士が支え合うと実に強固な関係が出来てくるのです。私たちは共にご信心をさせて頂いてそのような関係を目指していきましょう。

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2016年10月26日

●親は祈ってじっと待つ

 ★ある中学生のご信者はご両親と月の初めには必ず一緒にお参りなさって、お献備にご自分のお願いを書いてお届けなさっています。幼少の頃から続いておられることですが、信心と勉強と御用に取り組まれる姿勢は、まことに真面目で地道に努力なさり、いつも感心致しております。しかし、中学校に入学してから勉強の仕方が掴めず、なかなか成績が伸びないことや気力が充実しない状態であることをお聞きしました。

★お母様は成績が悪い時にはイライラして、「もうちょっと何とか勉強してくれたらいいのに…。小学生のときはよく出来て親を喜ばせてくれたのに…。」とばかり思ってしまわれるそうです。さらには「あの学校は子どもに合ってないのではないだろうか?このままなら先々どうなるやら分からない…!」等と嘆かれるということでした。そのお子さんは素直で考える力もありますので、お母様に、「子供を信じてあげて下さい。この子にはこの子のペースがあるでしょう。そろそろ子離れを考える時期ですよ。じっと見守って、少し離れて後ろから御祈念させて頂きましょう。先を楽しみにして、お子さんが本当にやる気になって勉強なさる時を待たせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★先日、ご両親がお礼のお届けに来られ、「子供が俄然やる気になって勉強をやり出しました。成績の良い子や先生にどんな勉強をしたら良いのかを聞いて努力したようです。お陰様で今回の試験では学級では一番良い成績の教科が複数あって、学校の先生方が驚かれたそうです。有難うございました。」と聞かせて下さいました。成績が伸びたことだけが有難いのではなく、本人が自らお願いしてさせて頂く気になって努力なさるように成長させて頂かれたことが有難いことです。それをじっと待って長期に亘った願いを持ち、祈らせて頂くことが親の役目なのですね。親がどこにでも子どもに付いて行って傍で力を足すことはできません。祈りを込めることはとても大きな力となる大切な事ですね。

★三代金光様の奥様であられる金光キクヨ姫様は『子どもが大きゅうなるほど親の心も大きゅうならにゃあ、親の値打ちはなくなってしまいます。その子その子で皆違うのじゃから。人とくらべてあれこれ言うてはなりません。しっかりお礼申して、先々お役に立つ子としてのおかげをお願いさせていただかねばなりません。』とみ教えを残して下さいました。親子の間では共に育ち合うということが大切です。そして親は子のことを長期に亘ってお願いさせて頂き、じっと時節を待つことを心掛けましょう。

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2016年10月25日

●み教えを自分自身に素直に頂く

 先日あるご信者が「毎日み教えを頂いておりますが、本当に自分自身に言って頂いていると思わせて頂きます。有難いやらもったいないやら、さらに申し訳ないやら…。神様は私に言うて聞かせて下さってるのに、私の信心は足らんところばっかりやなあ、と自覚が出来るようになってまいりました。」と仰っておられました。「あなたは結構ですね。自分がここも足らん、あそこも足らんと思えるのが有難いですね。」とお話しさせて頂いたことです。

★「今日は結構なみ教えを頂いたから、人に聞かせてやろう」と思う人は、み教えを自分に頂いておらず、ご信心から離れてしまっています。頂いたみ教えで自分の心を掃除させて頂いて改まらせて頂いた結果、有難いものが周囲に伝わるのです。

★『虚を以って心を養う』と教えて頂いておりますが、自分の考え方や我情我欲が心に詰まってるから、「私は出来ている」「前にも聞いた」という風に跳ね返してしまって、み教えを素直に頂けないことがあります。心を空(謙虚)にして常にみ教えをさっと頂けるようにすることが大切なのです。

★そして私達は慈愛の心を頂いています。慈愛の心(神心)を大きく育てさせてもらうのが毎日のご信心の稽古です。日参と聴教によって正しい心(神心)を養うのです。

★『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』とみ教え頂いております。み教えを素直に頂いて、心の掃除をさせて頂きますと、有難いおかげを頂くことが出来ます。その頂いたおかげを忘れないようにさせて頂き、さらに有難いおかげを頂けるような信心生活にならせて頂きましょう。

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2016年10月24日

●信心のある者とない者の違い

昭和28年の1月の事です。あるご信者のお宅祭に近所の方が来られて、二代教会長伊藤コウ師に「私は律儀に真っ直ぐに生きてきましたのに、難儀な目に遭っています。大砲の弾を作る為、国に金目の物もすべて納め家には何もなくなりました。恩給も取り上げられてしまいました。

また二人の息子も戦死してしまいました。ある神様に息子の無事を祈願していましたが、戦死した4か月後に通知が来たのです。正直者ほど馬鹿を見ます。つまらない世の中ですなあ。」と鬱積していた思いを打ち明けられました。

★二代教会長先生はその方のお話を聞かれて、「この方は気の毒な方だなあ。私も信心していなかったら、こういう考え方や生き方をしていただろうな。」と思われたそうです。「確かに、息子さんが亡くなられたという辛さは察するにあまりあることです。

しかし公報が遅れて息子が生きていると思えた4ヶ月、心が救われていたでしょう。4か月も時間を与えて頂き、息子が生きていると思って生活させて頂けたことは有難い事であったと私だったら思わせて頂きます。私たちは、天地の間に住まわせて頂いているけれども、生きている時だけ天地のお世話になっているのではありません。

死んだ後も御霊として、天地のお世話になって生き続けるのです。その信心をしっかり握った人は、たとえ愛しい人が亡くなったとしても、うろたえることなく信心が続き、おかげを頂く道を歩ませて頂けます。信心がなければ、神様を逆恨みしておかげを落としてしまうことになりかねません。

たとえ財産を失う様なことがあっても、神様からお預かりしたものを天地にお返ししたということ。健康ならその健康な体を頂いていることにお礼申して、一から働かせて頂く心になればよいのです。自分の人生を豊かにし、おかげを頂く方向に進ませて頂けるかどうかは、自分の心次第なのです。」と仰いました。

★いかなる環境であっても、毎日を暗闇の中で苦しんで生きるのか、明るい喜びに満ちた生活にならせて頂くかの違いは、御恩を分かるか分からないかの違いなのですね。

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2016年10月23日

●クレームや厳しい要求ほど有難いものはない!

 取引先や会社の上司から「こんな程度では満足できません。もっと改善しなさい…」等と厳しく要求されることに対して、素直に「はい。有難うございます。させて頂きます。」と言えるでしょうか?仕事の上で厳しい要求がある、クレームがあるということは本当は有難いことなのです。そのことによって一段と程度が上がり、技術が高まってゆくのですから、「もっと大きな器になりますように。徳も力も頂けますように」とお願いさせて頂くのです。

★何事も実意丁寧・正直親切に真面目にコツコツと取り組んでおりますと、五感が研ぎ澄まされていき、気が付かないところを気付かせて下さるのです。「これほど実意丁寧にしているのに…何故認めてくれないのだろうか…」と自分で思っていることは、おごりがましいことなのです。「出来ていないところがたくさんあります。これも足りません、あれも足りません…」という自覚がないことにはその仕事のレベルは上がっていきません。『おごりは諸悪の根源である』とみ教え頂いております通り、その傲慢なところ、思い上がったところが一番難儀な元なのです。それを生涯かけてお取り払い頂かねばなりません。二代教会長伊藤コウ師は「親切とは、相手の心になることです」と仰られました。御祈念させて頂いておりますと、段々と相手の心が分かるようになってくるのです。

★どこまでも高度な技術を追い求め、どこまでも誇りを持って打ち込んでさせて頂いておりますと、その会社は群を抜いて突出していき、一段も二段もずば抜けた仕事ぶりになってゆくのです。明るい心で先を楽しみにいつも元気で明るく、目の前に起こってきたことに打ちのめされず、おかげにさせて頂く事に一生懸命にならせて頂くのです。すると、仕事が楽しくて嬉しくて有難くなるのです。

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2016年10月22日

●自分で力んでもなかなか我欲を放せないが… 

 私が金光教学院にご修行中に学院長として御用なさっておられました内田守昌師は大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「私の家族はどうなるのか。」と、心配に捉われて不安でたまらない日々を過ごしておられました。

★そんなある日、松山先生の奥様であられます、いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中にすべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたそうです。すると次の日に医師から「内田さん、薬が効いた!」と告げて頂かれ、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しくて毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★内田先生ご自身がお話しなさっておられた中に[自分で欲を放そうとかすればするほどそれができないものです。ところが「お願いしておりますよ」といういわばお取次ぎの言葉を頂いた時、すっとそういう気持ちにならせて頂いたのです。いのちが承服したのです。なんでもないですね。放してみると、楽になるしありがたいし、ご飯はおいしいし、毎日が生き生きしてくるわけです。]とあります。

★『安心になるのもわが心、心配になるのもわが心』全てを生み出していくのはわが心からです。人間ですから出来てくる事に対して、心配もしますし、不安や焦りもあります。しかし御信心させて頂く私共は、いらない心配や不安、焦りを神様におすがりする心に変えさせて頂き、日々金光様のお取次を頂いて、今日を喜び、明日を楽しみにする事を稽古させて頂くことが大切ですね。

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2016年10月21日

●神様の願いを受けて世の中へ

 三代教会長先生が脳内出血、脳梗塞、大腿骨頸部骨折等で入院なさることがあられました。入院させて頂かれる時に、私に話されておられましたのは、「私は教会で御用させて頂く身であるけれども、今回は神様が病院に差し向けて下さったのです。そして病院で働く方々や、入院なさっている方々が多くおられますが、その方々全員が助かりますようにと御祈念させて頂く御用にお使い頂くのです。」と仰っておられました。

★そのように自分自身よりまず周囲の人々のことをお願いさせて頂かれましたので、手術後「痛むでしょう?」とお医者さんにお声を掛けて頂かれても、「いえ、全然痛みません」とお医者さんの方が驚くほど、痛みが全くあられないおかげを頂かれたのです。

★教祖様は神様から安政6年10月21日に『(中略)此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き』との立教の御神伝をお受けになられました。このようにして神様が生神金光大神様を世の中に差し向けて下さったのです。私達もお広前から、家庭や職場といった世の中へ神様の願いを受けて差し向けて頂いているのです。皆さんが周囲の方々のことをお願いさせて頂くということは、神様も喜んで下さり、自分自身も周囲もおかげを頂ける有難い御用になっていくのですよ。

★そのことを意識して日々御祈念させて頂きますと、それが徳となって積み重なっていき有難い毎日になってゆくのです。どこに行かせて頂いても神様を目当てに心中御祈念をさせて頂いて、『神も助かり氏子も立ち行く』ような助かりを生み出させて頂ける一日にならせて頂きましょう。

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2016年10月20日

●次の代へ信心を伝える

 先日は教徒会例会が開催され、雑賀氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。雑賀氏のお家は、お父様がお勤めになられていた綿布問屋が戦時下の統制により廃業に追い込まれたため、畑違いのメッキの仕事を始められたのですが、頼りになさっていた方が行方不明となり生活が行き詰まってしまわれたところを、昭和23年10月28日の初代教会長先生の例年祭の日にご近所の方にお導き頂かれました。

★二代教会長伊藤コウ師より、「難はみかげの初めなり。難があって神様に近づかせて頂ける。苦があって真から神様におすがりすることが出来る。」とみ教えを頂かれ、それからご両親は日参と聴教に励まれ、神様におすがりなさって家業と信心教育に尽力されたのです。お母様は教会へ足を運ぶことを大切になさり、「み教えは毛穴からでも入っていく。」と正座を辛そうにする小学生の子どもたちを連れて日参されたそうです。さらにお母様は、早朝3時のお掃除や阿倍野の奥城のお掃除、婦人会の会計係、御大祭での関係教会接待係など様々な御用にお使い頂かれました。

★雑賀氏は昭和44年に百貨店に就職され、約30年間お勤めになりました。その間、軽い風邪をひく程度で病気にかかることなく、殆ど欠勤することなしにおかげを頂かれたのでした。しかしながら、お勤めになっている頃は常々お母様から、「お教会にお参りして、お話を聴かせて頂きなさい。」と言われながらも、お仕事が忙しくなられると段々と教会から足が遠のくようになってしまったのでした。

★お母様は常々、「信心相続のお願い」、「毎月御本部御礼参拝のお願い」、「健康で人のお役に立たせて頂けます様お願い」と願っておられました。やがて、お母様のお身体は衰弱なさり、老人専門の病院に入院されることになり、雑賀氏は病室で寝ておられるお母様の淋しそうなお顔を見られて、「母の願いを叶えさせて頂こう。」と思われたのでした。現在はお母様の後を継がれて、朝参り、日参のおかげを頂かれ、御大祭の関係教会接待係の御用にお使い頂いておられます。

★『先の世まで持っていかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。』

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2016年10月19日

●我を取るご修行

 あるご信者が「先生、先日は神様からお気付けを頂きました。」とお届けされました。

★「指2本を、包丁で傷つけてしまいました。情けないことですが、主人と喧嘩をしてしまい、腹を立てながら店の仕込みで材料を切っていましたら、大きな包丁でいつもなら切らない所を切ってしまったのです。すぐにお医者さんに診て頂きますと、縫うこともなく軽く済ませて頂き、大難を小難におかげを頂き有難いことでしたが、これが私の我の強いところから来るものだと分からせて頂きました…。」と反省なさっていました。

★「主人からは『喧嘩をして何も良いことは生まれてこない。誰も得をしない。あんたが腹を立てて、全てが上手く行かなくなる。』といつも言われますが、全くその通りです。しかし、私は私で『あなたが腹を立てさせるからや。』と思ってしまいます。その日は、お店が今までで最低の売上げとなってしまいました。喧嘩をしていて怪我をして店が開けられなかったからです。健康で円満であるのが、一番の繁盛の元であることを、頭では理解しているのに、感情が伴いません。なぜ、私は主人に対してこんなに腹が立ってしまうのか、冷静になれないのかを考えますと、やはり私には甘えがあることに気付かせて頂きました。店のお客様や従業員の方々には親切丁寧にさせて頂けるのに、主人には出来ません。他の人には心を込めて御礼が申せるのに、主人には言えません。ここが私のおかげを頂かなければならないところです。どうぞ御大祭までに改まらせて頂けますように。」とお届けされたのでした。

★どうして、感情的になってしまうのか。それは、人に心が向くからです。神様に心が向かせて頂きますと、ご主人に対してであろうが、何が起こって来ようが、すぐに御礼とお詫びが申せます。「こっちが正しい!」といった理屈を離して、相手を立てさせて頂く“良き阿呆”となることは、自分の我を取るご修行となります。その為にはこつこつと日々の信心を積み重ねることが必要ですね。

★『真あれば徳ありと言うてあろうが。真で損をするように思うのはやっぱり真が足らんのぞ。恨みに報いるに徳を以ってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ』

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2016年10月18日

●どのように工夫と努力をすればよいのでしょうか?

 先日あるご信者が、「17年かかりましたが、家中が皆心を合わせて6000万円の借金を返済させて頂きました。秋の御大祭までにおかげを頂けますようにとお願いさせて頂いていましたら、とうとう返済させて頂くことが出来ました。こんな信心の至らない私たちに何もかもおかげを蒙らせて下さって有難いことでございます。」とお礼のお届けをなさいました。

★この方のお家はご主人が商売をなさっておられましたが、その商売の上で借金が膨らみ、お店をたたまれてお勤めになり、借金の返済をしてこられました。奥さんは病弱で朝は起きられず、お弁当を作ったこともなく、ご主人を見送ることも出来なかった体の状態であられたそうです。しかし、ご信心を始められ、「どうぞ朝参りをさせて頂けますように。お弁当を作らせて頂けますように。毎朝主人の出勤を見送らせて頂けますように。」とお願いなさっていると、だんだんと心身ともに健康になっていかれ、お願いなさっていたことが出来るようになっていかれました。すると今度は、ご主人が脳梗塞等の病気で身体が麻痺して動けなくなり、働けなくなってしまわれましたが、神様におすがりさせて頂いて無事回復し、再び家の大黒柱としてお仕事をなさるようになられたのです。その姿を子どもさん達は見ておられ、お勤めをなさって借金の返済に協力するようになられ、家中が心を揃えて「どうあってもこのめぐりを子孫に残してはならない。」という思いで一生懸命に働かれたのです。

★「このようにしておかげを頂きましょう!」とみ教えを頂いても「そんなことは出来るはずがない。」と自分勝手に判断せず、「どうあってもおかげを頂きたい!どのようにすればおかげを頂けるでしょうか?どうぞ一歩進ませて下さい!」という気にならせて頂ければそこからおかげになっていくのです。この方も「6000万円の借金なんて今の生活ではとうてい返済できるような金額ではない…。」と諦めてしまいそうなところを、家内中勢を揃えて神様におすがりなさり、信心を基にした生活をなさったことがおかげを頂く元になったのですね。何か問題が起こったときだけ神様にお願いするのではなく、常に神様に心を向けて信心を基にした生活を心掛けていきましょう。

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2016年10月17日

●良いことばかり思い、良いことをお願いする

 昭和38年5月11日御大祭当日のことです。二代教会長伊藤コウ師は朝のお説教で[御大祭を吉書(きっしょ)…「機会・節目・けじめ」として家内中が改まらせて頂く]ということについてみ教えなさっておられます。

★[毎日私達が頂いているこの目。どんな目の使い方をしているでしょうか。つまらん事ばかり見て、人の粗ばかりを探し、汚い所ばかりみることに一生懸命になってはいないでしょうか。神様の尊いところ、人の良いところ、また良いことばかりを見る目に改まらせて頂くということが大事です。段々と良いことを見ておりますと、良いことが実現させて頂けるようになります。次にこの両方に付けて頂いた耳。悪口を言っているところに耳を持っていって、要らんことばかり聞いてしまう耳を今日から改まらせて頂くのです。一番結構な神様のみ教えをしっかりと聴かせて頂く耳に仕替えさせて頂くのです。

良いことばかり聞かせて頂く耳に仕替えて頂き、良いことばかりが入っていく二つの耳に仕替えて頂くのです。次に口です。人を罵り、陥れ、愚痴を言い、不平を言うような口にはなっていませんか。口を開いた時には、「結構やなぁ、有難いなぁ」と人がその一言によって喜んでもらえるよう、その人が結構になることばかりを言わせて頂くのです。また、何を頂くにも、有難く頂かせて頂き、我情我欲に頂かない様に改まらせて頂くのです。さらに両手両足を良いことにのみ働かせて頂き、お役に立つ方に使わせて頂くのです。要らんことばかりに足を運んで、つまらないことばかりに走って行き、良いことにはちっとも足を運ばないというような両手足になってはいないか、そこを一つ一つ考えさせて頂き改まらせて頂くのです」

★有難い御大祭をお迎えさせて頂くために、今から一つでも改まらせて頂き、良いことばかり思い良いことばかりお願いさせて頂いて、結構なご庇礼を蒙らせて頂きたいと思います。

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2016年10月16日

●願いは神様に届く

旧広前の150坪のお土地は、当時地主さんがもっておられた700坪以上の大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあり、地主さんは切り売りをすることは絶対にしないと決めておられました。しかし、二代教会長伊藤コウ師は何としてでも成就させて頂けるように、毎夜そのお土地の前に座られ神様にお願いされたのでした。その熱い願いが神様に届き、地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と仰り、遂に一番良い条件のところを切り売りして下さることを決心して頂けることになったのでした。後に、コウ師はその続きのお土地もすべて購入のおかげを頂かれたのでした。

★さらに阿倍野教会布教当初から、「千坪のお土地・百畳のお広前を授けて頂けますように。」とお願いなさっておられ、徹底して質素倹約を心掛けられました。初代教会長先生は、一枚の紙でも裏も表も使わせて頂いて、初めは鉛筆で書かれ、その次にはペンで書かれ、そして墨で書かれて一枚の紙を三回も使われたのです。また、二代教会長・伊藤コウ師のご母堂・ハル氏は、一本の糸くず、釘、木切れ、一枚の紙でも、布の切れはしでも神様の賜り物として大切になさり、無理・無駄・ムラを省かれてご修行下されたのでした。 すると、布教の初めから5年後には「借金なし、分担金なし、寄付の強要なし」で旧広前のご建築が成就させて頂き、それから30年後には百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂かれたのです。

★実意をもって丁寧にどこまでも神様に心を向け、一心に貫かせて頂くその真心からの願いは神様に必ず通じてゆくのです。真心でご建築されました旧広前は現在も大切に使わせて頂いております。
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2016年10月15日

●神様に心配事を預けて真心で一心となる

『金光様は「欲しい、憎い、かわいいという心を放れて信心せよ」と教えられたが、ありがたいみ教えである。わが子の病気でもかわいい、かわいいと思って信心に油断ができると、かわいい子を殺してしまう。欲しい、憎いも神の機感にかなわない。』

★土井つちの氏の長女さんが9才の時に肺門リンパ腺炎に罹られた時、病気全快の為に、東天下茶屋に開業していた専門の医師を探している際に、偶然阿倍野教会の旧広前の提灯を見つけられ門をくぐられたのが参拝の始まりでした。

初めて二代教会長伊藤コウ師にお届けされた時、コウ師から「娘さんが胸の病気ということですが、親が今、胸を悩まされていることは何ですか?」と尋ねて頂かれたのでした。土井氏はお米の卸しと小売業を営んでおられ、一軒売掛金の回収が滞っているところがあり、そのことで家庭が不和になっている事をお話しされました。

★コウ師より「親がそうして心を悩まし、家の中が不和になっていることが、子供の病気につながっているのです。売掛金は神様の銀行に預けて無期限の定期を作ったと思って、後は催促をせずに時節を待たせて頂きなさい。御信心によって改まらせて頂いておかげを頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。

★それからはご夫婦で熱心に西九条から日参されて信心に打ち込まれたのです。すると、なんと今まで滞っていた食堂から未払いの分を何回かに分けてすべて支払って頂けるおかげを頂かれ、また同時期にお子さんの病気も全快の大みかげを頂かれたのでした。

★もし、つちの氏がコウ師からみ教えを頂いた時に「娘の病気を治して欲しいだけなのに、親先生の仰ってることはよう分からん。そんなこと私には出来ない。」と思っておられましたら、本当におかげを頂くご家庭にはなっておられなかったと思います。欲しい・惜しい・憎い・可愛い(溺愛する)を離すことが出来られたからおかげを頂かれたのです。

欲しい・惜しい・憎い・可愛い(溺愛する)というのは全て人に心が向いてしまっているのですね。神様が一番良いようにして下さるということを分からせて頂いて、そこから神様に心を向けさせて頂けましたら、おかげを蒙らせて頂けるのです。心配事は神様に全てお預けさせて頂き、神様に心を向けられるような信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年10月14日

●お互い不行き届きなところがありますから…

先日、あるご信者が「昨日、鍋に火を掛けたことを忘れて一時間以上も外出してしまいました。家に帰りますと、安全装置が働いて火は消えておりましたが、家中が焦げ臭く、鍋は真っ黒に焦げ付いておりました。大きなことにならずに済ませて頂いて有難いことでありますが、不行き届きで申し訳ございませんでした。毎日間違いのない生活がさせて頂けますように。せっかく結構な場所に有難い家を新築で建てさせて頂き、喜んで生活させて頂いていたつもりでしたが、その喜びが足らなくなっておりました。十分確かめて家を出たつもりでしたのに、気配り心配りが足らず行き届かないことでございました。この度は真に申し訳ないことでございました。神様にお詫び申し上げます。」とお詫びを申されたのでした。

★普段から行き届いて心配り気配りをさせて頂いているつもりでも、人間には不完全なところがありますから、過ちを犯してしまいやすいものです。そのようなお互いですのに、「あの人のこんなところが出来ていない…」等と出来ていないところを批判ばかりしていますと、相手に向けている批判は全て自分に返ってくるのです。ですから互いに足らないところを足し合う生き方を心掛けてゆくのです。自分自身が至らないながらも人に辛抱して頂き許して頂き、お世話になって助けて頂いておりますのに、自分は全て何もかも出来ているかのように勘違いして、人のことばかりあれやこれやと責め立てていては、徳を失うばかりで助かりは生まれません。「自分自身が間違っておりました。」とお詫び申して改まらせて頂きますと、また一段と進んだ姿とならせて頂けるのです。

★お互いが助かるためには、皆が譲り合い、許し合わなければなりません。我を張るのは争いのもととなり、相手はもちろん、自分も決して助かりません。大切なのは、まず自分が譲らせてもらい、先に負けることなのですね。先に負けることが出来る人は優秀なのです。「負けて勝つ」ということですね。
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2016年10月13日

●真のご信心を目指して

『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ』
自分が一粒の良い種にならせて頂く、良いお手本にならせて頂くことが大切です。

★先日「先生、良い種の一粒にならせて頂くということは、私自身が改まらせて頂かないといけないのですね。家中が結構におかげを蒙らせて頂けるようにならせてもらいたいとお願いしておりますけども、その為には『主人に改まって頂かねば』とか、『子供に改まって頂かねば』とばかり思っておりましたが、それでは実現しないのですね。」という結構なお届けを聞かせて頂きました。そこで「そうですよ。あなた自身が親として改まらせて頂くということが出来ていきましたら、皆が結構になっていきます。自分自身がご主人や子供さん達の代わりにお礼を申し、お詫びを申さねばならないですね。」とお話しさせて頂きました。

★自分が家族や周囲の人の代わりにお詫びを申させて頂くということは高度なことですが、それをさせて頂けるようになりましたら、一人前の信心に近づかせて頂いているということです。信心にも成長段階があり、初めは赤ん坊の信心から始まり、小学、中学、高校、大学の信心を経て、一人前に、そして真の信心へと、上には上があるのです。

★真の信心にならせて頂くには生涯かけて御修行させて頂かねばなりません。肉体の働きが終えられて後に「あの人は本当のご信心をなさっておられたなあ。」と人が評価する。すなわち積徳のおかげを頂き、人々の心に生き通しとなって、初めてあの人は真の信心であったと分からせて頂けるものです。そうして子孫に有難いものが伝わっていくのです。

★真の信心に近づかせて頂く為に、何をお願いさせて頂けば良いのか。それは
(1)「限りなく人が助かります様に。」
(2)「限りなくめぐりのお取り払い頂けます様に。」
(3)「限りなくみ教えを頂き続けることが出来ます様に。」そして
(4)「限りなくこのお道が成就いたします様に。」ということです。
御神願成就を願わせて頂き、神様と一つ心にならせて頂きたいものです。神様が願って下さっているところがすぐに分からせて頂けるような氏子にならせて頂く、それもまた真のご信心に近づかせて頂いている姿であると思わせて頂きます。

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2016年10月12日

●ご信心が強く厚くなるように

現在、悪阻で食べ物を食べる事が出来にくいご信者があられます。ちょっとでも食べると吐いてしまい、常に気持ちが悪く、身体は痩せ細ってしまいます。匂いにも敏感になり、今まで食べられた物が食べられなくなったり、欲しくなかった物が食べたくなったりします。

自分の身体のことで精一杯なのに、それでも家のことはしなければなりませんし、子供も育てなければなりません。それは大変苦しい、しんどいことです。けれども懐妊という出来事は大変おめでたい、有難いことですよね。お腹の中で胎児が順調に育って下さっているからこそ、悪阻が起こります。この辛さを乗り越えなければ、出産・養育という喜びは与えて頂くことが出来ません。

★悪阻の場合はとても分かりやすいですが、本来、私達の身に起こる全ての出来事は常に有り難いおかげの中に起こってくる苦しさであるのです。現在、有り難いおかげを頂いてお命を頂き、仕事を与えて頂き、家族を与えて頂いているのです。その中に痛いことや苦しいことが起こってきます。

しかし、私達人間はその基本的な有り難い部分は見ずに、自分達の苦しい・辛い事にばかりに目を向けてしまいがちです。今、自分が神様から与えて頂いている有り難いおかげを忘れてしまい、自分の願いばかりを神様に押し付けてしまいます。そして自分の思う通りにならなかったら、「思うようなおかげが頂けていない…」「なぜ信心しているのに…」と不足に思ってしまうのです。

それは、まだまだ幼稚な信心としか言いようがありません。幼稚園児のような信心から、小学・中学・高校・大学と信心の程度も進み、一人前の信心・真の信心へと進ませて頂きたいものです。

★そのためにもそれぞれがお願いをする前に、まずは、今の有り難さに気づかせて頂き、おかげを頂いている事に御礼を申すことが大切です。その上で御礼の足らないことのお詫びを申し上げ、何なりとも実意を以てお願いをさせて頂くのです。有り難さの中に起こりくる苦難は、その先に一段と進ませて頂けるおかげがある事を楽しみに、お願いさせて頂くことで乗り越えさせて頂けるのですね。

★『神様、金光様とお願いでつながっているのではご信心が浅い。おかげを受けていつもお礼を申しておると、神様とのつながりが深くなるからご信心が強く厚うなる』

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2016年10月11日

●今日一日、目の前のことに一心に取り組む

 昨日は、天候初め万事におかげを頂き、御本部の生神金光大神大祭を共々に拝ませて頂くことが出来まして、真に有難いことでございました。

★教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを差し止められたといっても過言ではないような状態になられたのでした。 しかし、教祖様は決して取り乱したりなさることはなく、「家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。」との、神様からのお言葉をただただ素直に守られたのでした。

★そして、この時期に本教の真髄ともいえる「天地書附」『生神金光大神 天地金乃神 一心に願え。 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい。』は、銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、神様からお下げになられたのです。また、「五年の辛抱」の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き拝ませて頂けることとなられたのでした。

★今月今日の信心を一生懸命にさせて頂きましたら、過去一切が救われていくのです。今日という日は過去一切を含んだ今日であります。また、今日からの生き方というものによって未来を良き方向へ導いてゆくことも出来るのです。ですから今日一日、今日一日、信心に基づいて油断なく一心に目の前のことに打ち込み、過去のことに捉われず、今日お命を頂いていることを喜んで、明日を楽しみにお願いをさせて頂きましょう。

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2016年10月09日

●親孝行な願いは神様が応えて下さる

 昨日はみかげ会例会が開催され、堀田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。堀田氏は、奥様のお導きにより教会にお引き寄せ頂かれました。結婚して3年目の年を迎えても子宝のおかげが頂けず、周りが次々に子宝を頂かれる姿をご覧になり、「今までの自分のご無礼不行き届きが子宝を頂けない元になっているのだろうか…」と心配されました。その折に、奥様のご両親より朝参りをして徳と力を頂くよう教えて頂かれ、夫婦で朝参り日参をさせて頂くようになられました。

★堀田氏はご自身の実家であられます西浦家の長男として結婚なさいました。しかし堀田家に後継者がおらず、ご両親が「養子縁組をして堀田家を継いで頂けますように」とお願いなさっていること、またその願い成就のために一心に日参・御用に励まれている姿をご覧になられ、堀田家を継ぐ覚悟をされました。西浦家のご家族と何度も話し合われた結果、結婚3年目にご夫婦揃って堀田家に入籍のおかげを頂かれました。その翌年の10月28日、奥様が二代教会長伊藤コウ師より「堀田さん、きっと子宝のおかげが頂かれますよ。」とのお言葉を頂かれ、その後すぐに妊娠のおかげを頂かれたのです。そして、信行期間である7月に毎日朝参りを続けられ、無事男児出産の大みかげを頂かれたのでした。

★その後も仕事の上に、ご自身・奥様の身体の上にも大みかげを頂いてこられました。平成3年には、約1メートルの路地を挟んだ隣りの家が火事になり全焼する中を、堀田氏の家は水一滴もかかることなく、無難のおかげを頂かれました。文具店を営んでおられますので、水がかかってしまうと商品に影響が出てしまいます。火事が起こった時刻や風向きなどにおいて、万事にご都合お繰り合わせを頂かれ、神様にお守り頂かれたのでした。

★平成24年には二世帯住宅新築建て替えのおかげを頂かれ、息子さん家族と共に一家勢信心で幸せな生活を送っておられます。

★『普段から神に取り縋っておれば神と心安くならせてもらっているのも同様である。無理も聞いて頂ける。大難は小難にまつり替えて下さり、小難は無難にお取り払い下さる。』

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2016年10月08日

●送らず、迎えず、応じて蔵せず

 二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、「長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)」

★「私(金光四神様)があるとき、妻に、『同じいただくご飯なら、もう少し軟らかく炊いたら食べよかろうにのう』と言うたら、妻は謹んで、『さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので』と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、『頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか』とご意見を受けたことがあるからのう。」

★奥様であられる桂ミツ師には、「のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念しておあずけせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教えなさいました。

★夫婦それぞれに自分自身がわきまえなければならないことを教えて下さったことは真に有難いことです。私共も日々心掛けてまいりたいと思います。

★『送らず、迎えず、応じて蔵せず。』という荘子の言葉があります。「過去にあった事に思いを巡らせず、将来起こって来るであろう事にあれこれ不安を抱かず、出来てくる事に対応して、心に不平不満を持たない。」ということです。『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ。』ということを心掛けておかげを頂きましょう。

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2016年10月07日

●おかげの中で生かされて

 先日お礼届けをなさった方がおられました。その方のお母さんがクモ膜下出血の症状が出たので、先月中旬に緊急で入院され手術なさいました。その手術は無事終了したのですが、その後に水頭症(脳圧が高くなり、体液が…)になっているとのことで、管を入れる手術もなさったのですが、その後なかなか意識が回復なさらなかったそうです。自発呼吸が弱い状態とのことで、鼻から肺へ酸素管を入れていましたが、3週間が経ち医師から「感染症になる恐れがあるから、管を抜きたい」と言われたのです。しかし「管を抜くと自発呼吸がしっかりと出来ていなければ、命に関わりますから、気管切開をしたいので承諾書を書いて下さい。」とも言われました。

★家族は、お母さんの反応が全くありませんから、このまま体中に管をつけて意識もはっきりしない中、命をただ長引かせるのは…、でももう少し経てば意識も回復するかも…、その可能性があるなら積極的に治療したいが、可能性が低ければ苦しめるだけでは…と悩み、お届けに来られました。

★「一分一秒でも一日でも長く生かして頂けますように。そこをお願いしながら、後のことは神様にお任せするしかありません。まだ3週間しか経っていないのですから、前向きに考えていくのがよろしいでしょう。命を永らえて頂けるのに治療を止めるのは命を縮めてしまうことになりかねません。ここはしっかりとおかげを頂かねばならないところですよ。」とお話しさせて頂いていたのでした。

★そうお話しさせて頂いた日に、気管切開の手術の承諾書を書いて渡そうと思われて病院に行かれたところ、看護師の方から「お母さんが反応なさいましたよ。管を抜いて自発呼吸しておられますよ。」と聞き、病室に駆けつけて「お母さん!」と呼ばれると返事が返ってきたそうです。

★おかげを頂いていることの実感が大切です。「病気になってから、初めて健康の有難さが分かりました」とか「家事になりかけて煙だけで済ませて頂きました、有難うございます」ということはもちろんおかげを頂いて有難いことですが、一番有難いのは今日何も心配なしに朝を迎えさせて頂いたということが一番有難いのです。おかげの中で日々生活させて頂いています。日々有難さを忘れずにみ教えを一生懸命頂いて、自分の心を改め磨くことを心掛け、ご信心させて頂きましょう。

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2016年10月06日

●徳切れにならない為に

日々、しっかりと信心の稽古に励ませて頂き、めぐりをお取り払い頂いて、身に徳を頂く信行に励ませて頂いておりますと、何か事が起こってきた時に、全てに間に合うようにご都合お繰り合わせ頂く事が出来るのです。

★また事が起こってきた時に、心を乱して間違いを犯してしまったり、考え違いや取り違いをすることにならないように、常から正しい判断や対処がさせて頂ける人間にならせて頂かねばなりません。そのためには、出来てきたことを全て信心の行にさせて頂き、信心の材料として受け切ってゆくことが大事です。自分自身に不利益なことや災難が起こってきますと、誰しもそこから逃れたいと思います。しかし、その出来事の中にも一つ一つご神意があることを悟らせて頂かねばなりません。神様が自分自身の本心を磨いて下さり、私たちの成長を願って起こして下さっている出来事ですから、一段と向上させて頂く為に有難く受け切ってゆくのです。

★次には陰の徳を積むことです。二代教会長伊藤コウ師のご母堂・ハル刀自は、陰の徳を積まれる事に一生懸命に励まれたお方です。教会の近所の道路を駅までお掃除される際には、夜になって誰もが寝静まってから、裏から表へ、隣から隣というように人目につかないように心掛けられました。それは「人から礼を言ってもらえば徳積みとならない。人に知られないところでするところにお徳が頂ける」という事を教えて下さったのでした。人に「私はこんな良いことをしています」と自慢して言ったり、人に礼を言ってもらおうとするのでは、徳を積むことはできません。神様からも人からも用いて頂く人間になるためには、陰の徳を積むこと(人が見ていないところでのご修行)に励ませて頂く事です。

★陰の徳を積むことと、それぞれに起きてきた問題に対して逃げることなく、おかげを頂く方へ舵取りをさせて頂いて有難く受け切ってゆくことに励ませて頂いておりますと、徳切れにならない姿とならせて頂けるのです。
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2016年10月05日

●心が神様に向かう 

 ご隠居様は、豊中教会の御大祭の際に、前日・当日・翌日と3日間泊まり込みで御用奉仕をなさっておられました。二代教会長伊藤コウ師が10才の時のことです。ご隠居様がどんな時にも神様に心を向けられていることがよく分からせて頂ける、忘れられない出来事がありました。

★秋になりかけたある日、コウ師のお姉様であられます、スエ氏が急に腰がぬけて立てなくなってしまわれたのです。原因は、夏に冷たい物を食べ過ぎたり、夜も冷やして寝ていたことでした。丁度それは豊中教会の御大祭の時で、ご隠居様は御用奉仕があられました。ご隠居様は、「食べる事から便所に行かせて頂く事等、全てにおいて自分ひとりでさせて頂けるようにおかげを頂いてゆかねばなりません。この子のことは神様にお預けさせて頂き、私自身は神様の御用にお使い頂いて、先祖からのめぐり、私の代で積んだめぐり、またこの子が積んでしまっためぐりをお詫びさせて頂き、お取払い頂かないことにはおかげを頂くことは出来ません。どうぞよろしくお願いします。」と神様にご祈念させて頂かれました。

もし、神様に心が向いていなければ、病人の傍で愚痴・不足を言い、自分も病人も苦しむということになってしまっていたかもしれません。しかし、神様にお任せさせて頂き、神様を杖にさせて頂くことが出来られましたので、迷う事なく御用に出かけられることになさいました。「あなたも一人で何もかも出来るように神様におすがりして私が帰るまでにおかげを頂きなさい。」と伝えられましたら、スエ氏も得心なさったのでした。

★ご隠居様は親として至らなかった自分と子供の気随気儘をお詫び申されながら、常々掃除が行き届かない納屋や便所のお掃除を自分が引き受けてなさり、実意丁寧に御用に励まれました。その間、残されたスエ氏は、これから3日間おかげを頂かねばなりません。親に喜んで頂けるように改まる心が決まらせて頂き、御礼とお詫びを申しながら身の回りの事を自分でさせて頂かれました。そして、3日後にご隠居様が帰って来られた際には、「このように良くならせて頂けました。」と出迎えさせて頂かれるまでにおかげを頂かれたのです。この経験が良い機会となり、スエ氏はご自身の生活を改まらせて頂け、また自分のことでなく、親のことを第一に考えさせて頂けるように変わらせて頂かれたのでした。

★御用をさせて頂きますと、心がすぐに神様に向かわせて頂くことが出来ます。子供に起こってきたことを、親も子も共に改まらせて頂くことが大切であるのですね。

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2016年10月04日

●自分ばかりが正しいと思わずに

 あるお方のお家では、お姑さんの身体がだんだんと動きにくくなってこられたので、その介護をお舅さんが一生懸命しておられます。お姑さんは何もご自分でなさる気力がなく、何でもお舅さんにしてもらいたいと望まれるそうです。お嫁さんはその二人の様子を見ると辛くなり、「少しでも代わりましょう。私がさせてもらいましょう。」とお舅さんにお話しになりましたが納得して下さらないのでした。

★お嫁さんは「このままではお舅さんの方も疲労が過ぎて身体が動かなくなってしまわれ、お二人ともが立ち行かなくなってしまう。お姑さんさえ心を変えて下さったら皆が助かるのに…。」という気持ちになられ、先日お結界でお届けなさったのです。その時に[お舅さんはお世話をしたいと思っておられ、お姑さんはお舅さんにお世話してもらいたいと思っておられるのだから、「お二人とも健康で長生きして頂けますように。毎日円満に笑顔で暮らして頂けますように。」とお願いすると良いですよ。]とお話しさせて頂いたことでした。

★自分の思っていることが一般的に正しいとしても、それを押し付けてしまうことは周囲が助かりません。お舅さんやお姑さんも「自分の考えが正しい。」と思われているかもしれませんね。そして、神様から見られたら、「皆を立ち行かせてやりたい。それぞれの思いを叶えてやりたい。」と思われるに違いありません。各自は様々な立場からものごとを考えますが、神様はそれぞれが立ち行くように願っておられるのです。

★『謙虚さを以て心を養うこと。』を教えて頂いております。謙虚であるということはみ教えを頂く心の準備ができているということです。それはみ教えが入る余地があるということなのです。謙虚でない人は人の言葉を聞き入れられません。「私はこうだ!今までこうしてきた!」という凝り固まった思いがあるので頑なになり、み教えを聞き入れられなくなってしまいます。信心して心の凝りを取り払い、謙虚な心でみ教えを頂き、皆が助かるように有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年10月03日

●信心の勉強をさせて頂く

 私が学校に勤めさせて頂いていた頃、23才の時のことです。車を運転中に渋滞して、全く動かず停滞したことがありました。すると、勢いよく走ってきた反対車線の車が、私の車の右前から後までを擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので、弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、名刺を頂き、教会に帰らせて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。すぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。このことは私のこれまでの車、ガソリン、時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生の御口を通して神様がみ教え下されたのだと思い分けをして、「はい、その通りにさせて頂きます。」とお返事が出来たのでした。そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂きました。

★一般的に考えましたら「怪我がなくて良かったなぁ。お相手が弁償して下さるのか、そうしたら弁償して頂いたらよろしいでしょう。」となるでしょうが、三代教会長先生は「今回は大難を小難におまつりかえ頂いて有難いことであった。しかし、先々もっと大きなことが起きてきても助かるように、間に合うように、おかげを頂かねばならない。将来にわたって大難を小難に小難を無難におまつりかえ頂けるおかげを頂きたければ、今のうちにこのお気付けの意味を分からせて頂かなければならん。」と私に願いをかけて下さったのです。そのご意味が分からせて頂けましたから、嫌々ではなく納得して有難くさせて頂くことが出来たのです。後々色々なことが私の身の上に起きてまいりましたが、無難におまつりかえ頂くおかげを頂いたのでした。

★毎日出来て来ることの中で神様からみ教えを頂く機会は様々あります。人の姿を通してみ教え頂くこともあります。二代教会長先生は「出来てきたことには神様からの手紙が付いているのです。しかし、信心が浅い時は手紙がついていることさえ分かりません。分かっても読むことは出来ません。それは勉強をさせて頂いていない言葉を読ませて頂くことと同じだからです。」とみ教え下さっています。日々信心の勉強をさせて頂いて、神様からのお手紙を読ませて頂けるような人間にならせて頂けるよう、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年10月02日

●御大祭までの40日

二代金光四神様は、信心の心得を箇条書きにしてみ教え下さっています。

1)信心は立ち聞きをする心で信心すること。…日参聴教の「聴」は耳をそばだてるという意味で、自分から求めてみ教えを頂き信心に励ませて頂きましょう。

2)信心は我身我心に克つことを心掛けること。…悪習慣、悪癖、間違った考え方を改まって、己に打ち勝ってゆくのです。毎日小さな勝利を収めていくことを積み重ねていって、初めて大きな勝利を掴ませて頂けるのです。

3)感情に任せて言いたいということは明日言えということがあれども、明日も明後日も一生涯言わないように心掛けよ。…「今、私は感情に任せて言いたいことがありますが、それをしてしまいますと目の前の人も助からず、自分自身の徳も失います。それでは双方が助かりません。私もご修行させて頂きますので、神様から本人に伝えて頂ける有難い瞬間を与えて頂けますようによろしくお願い致します。」と神様にご祈念させて頂いて時節を待つ。

4)堪忍辛抱を去って、自己の不行き届きを悟ること。…自分の不行き届きを知って、どれほど周りから辛抱して頂いているかという事を分からせて頂くことが大切です。

5)ただ一心に願ってわが心に思い来る曇を払うこと。…毎日心にかかる雲(不成心)を取り払い、一心に神様におすがりさせて頂く。

6)めぐりがきても我が心を苦しめず、明日の幸福の来ることを楽しみに願うことを心掛けること。…信心をさせて頂いてお徳を積む生活を心掛けさせて頂いておりますと、前々のめぐりと信心の徳がせめぎ合って、一番軽い状態で表わして下さるのです。

★御大祭までの40日間、神様が夫々の家にかけて頂いている願いを悟り、神様の願いに沿って正しいお願いをさせて頂いて、ご庇礼を蒙らせて頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 平成23年の「み教え」

2016年10月01日

●御礼とお詫びによって進歩する

 『一年三百六十五日のことを正月元日に頼みおき、また、月三十日のことは朔日に頼みおき、一日のことは朝頼みおけ。病んだる時の信心は願いなり。病まぬ時の信心第一。』とみ教え頂いておりますが、朝に一日のことをお願いさせて頂いて、無事に一日おかげ頂きましたら、晩にはお礼とお詫びを申させて頂くことが大切です。そして翌朝のことをお願いして、また翌朝に一日のことを頼みおくということを続けさせて頂きましたら、それがひと月となり、さらには結構な一年となってゆくのです。

★二宮尊徳先生は「思うままにならないということは、代金を払わず品物を求めて、種を蒔かずに穀物をとろうとするからである。」と仰っておられます。ある方は家賃を3年も払わなかったそうですが、その人が大家さんに「戸を直して下さい」「ガラスをはめて下さい」と言っても相手にされなくなったそうです。それは当たり前ですね。払うべきものを払っておられないのに、自分のして欲しいことだけ言っても通用しません。

★それは神様に対しても同じことなのです。自分は真心を現すことなく、「あれもしてほしい」「これもしてほしい」とお願いばかりしていても、それは御恩が分かっていない姿により一層なってしまいます。自分の足らない部分を金光様・御霊様が足して下さって神様にお取次下さるから、おかげを頂いておりますのに、「ここまでおかげを頂いております、有難うございます。」という御礼も言わず、足らない所ばかり見ていては結構にはなりません。

★自分自身がどういう生活をさせて頂いているか、どこが行き届いていないか、ということをしっかり分からせて頂いて、改まらせて頂くことがお礼とお詫びに繋がるのです。『信心は日々の改まりが第一じゃ』とみ教え頂いております。改まりとは「新たに芽が出る」ということです。お礼とお詫びを申し上げるということは日々改まるということです。お礼とお詫びをさせて頂いて、改まるべき点をしっかり見直し、新たに芽を出させて頂き、新しい自分に進歩させて頂けるおかげを蒙らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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