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2016年09月04日

●便利な社会になり何が失われたか

『世が開けるというが開けるのではない。めげる(壊れる)のである。』
『今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うている。』

★ある大学の教授は、「私たちが生きる現代の世界に目を向けると、科学技術がもたらす危機的状況が見えてくる。そうした事態を、科学批評作家のニコラス・G・カーは、オートメーション(自動化)やインターネットなどを事例に論じている(『オートメーション・バカ』『ネット・バカ』)。彼によれば、航空機の自動操縦、建築設計用のソフトなど、人間の代わりを務める技術は会社に利益をもたらすが、それを使う人間の能力や創造力を喪失させる方向に働く。また急速に普及するインターネットは、紙のテキストと比較して情報が断片に分けられ、深い読みをもたらさず、私たちの脳を注意散漫な状態にさせる。私たちは、新たな技術により何を得たかだけでなく、何が失われたかを洞察し、行動を選び取る必要に迫られている。」(教学研究会_金光教教学研究所_Konkokyo Reserch Insutitute http://www.konkokyo.or.jp/kyogaku/conference.htmlより抜粋)とお話しされています。

★安全のた為、事故を回避する為、自動運転化が急速に研究され、進められていますが、便利な反面、私たちは便利さを追求することにより神様から与えて頂いている能力を失うことに気付くべきです。また、インターネットを使えば得たいものを早く簡単に探し出すことが可能です。しかし、それは表面的な理解であって本質的な理解にはならないのですが、私たちはそのことになかなか気付くことができません。便利で簡単に情報や知識を得られると思いがちですが、それは実に皮相的なものなのです。本来、学問を身に修めるということは長期に亘って研究をして深く掘り下げることが必要であるはずです。書物等をじっと読み進め、理解するために何度も繰り返し読み直していくものです。

★信心に於いてはなおさらのことです。日参と聴教においても、み教えを一回聴くだけで分かるというものではなく、分かったつもりにならずに何度も頂き直して本質的なところを捉えていくことが大切です。精神世界をとりまく環境もさらに悪化の傾向にあります。じっくりと話を聴き、み教えを頂き、内省して自分を見つめ直す時間の少なくなっていることは逃れようのない事実です。これらの理由に、テレビやインターネット、ゲーム、スマートフォン等があげられます。じっと物事と向き合って努力する精神を失ってはいけません。注意散漫では本当に見なければならないことを見られなくなってしまい、本当に聞かなければならないことを聞けなくなってしまいますね。じっと深く考えることを心掛けていきましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 07:44 | 平成28年の「み教え」