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2016年09月30日

●めぐりのお取り払い

二代教会長先生ご在世中のお話ですが、非常に喧嘩っ早く、すぐに腹を立てる性分の方がおられました。そのお方は、ご信心されるようになられてだんだんと改まって変わっていかれたのですが、ある時些細なことで仕事の現場で喧嘩になりました。

その方は、みんなから殴られて叩きのめされ、穴へ放り込まれて体中あざだらけになり、そのまま病院に担ぎ込まれたのでした。

★その家族の方は、コウ師に「本人がどうしてもと申しますので、何とか病院までお越し頂けないでしょうか。」とお願いされ、コウ師は病院へ出向いて行かれました。その方はコウ師に「もう腹が立って、腹が立ってしょうがありません。こんな酷い目に遭わされました。何としてでも仕返しをしないと気が済みません。」と愚痴不足を並べられました。

するとコウ師は[あんたまた以前の病気が出てきましたな。また元の姿に戻ってしまいましたな…。今まで人に迷惑を掛けっぱなし、お世話になりっぱなしで何のお返しも出来ておらず、お礼お詫びの一つも無い積み重ねをずっとしてきたあなたですから、今回あなたは結構なお気付けを頂いたのです。

痛い目に遭わされたのも神様があなたの為にして下さったことですから、今までのめぐりのお取り払いだと思って、「今日は結構なめぐりのお取り払いを頂き有難うございました。」とお礼を申しなさい。相手を恨んだり憎んだりしておっては、お徳を積むばかりか、めぐりを積む生活になってしまいます。そうなってしまいますと、あなたも助からず、家族も助からず命を落とすことになりますよ。命があることに本当に心から喜んでお礼を申さなければなりません。命の無いところを小難におまつり替え頂いているところをお礼を申し、しっかりと改まらせて頂きなさい。]と仰られたのでした。

★「無くて七癖」などと昔から言いますとおり、誰にでも考え違い、間違った生活や悪習慣・悪癖、至らない性分があるものです。御大祭までの40日間、み教えに沿って天地の道理に基づいた生き方に日々改まらせて頂き、先祖代々から積み重ねているめぐりのお取り払いや、我情我欲を放すご修行に励ませて頂きますと、大変結構なご庇礼を蒙らせて頂く事が出来るのです。

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2016年09月29日

●神様を目当てに

27日に奉仕係の全体会合を開かせて頂き、10月10日に参拝させて頂きます御本部金光大神大祭参拝と、来たる10月28日の初代教会長伊藤徳次彦90年祭、また11月11日の金光大神大祭に向けましての打ち合わせをさせて頂きました。

★奉仕係とは、お導き係だと教えて頂いております。お導き係とは、ご信心をさせて頂けるように新しく人々をお広前に導かせて頂くこともそうですが、家族や親族を良い方向へ導き、その御用を通して家全体が、また親族全体が或いは町内会全体が助かっていくようにお願いさせて頂くのです。それは神様がお喜び下さるような世の中になってゆくようにお願いさせて頂く信心の実践です。

★先日も、新しく御用を頂かれた方がおられましたが、先輩のご信者がその方に横へ付かれて、嬉しく有難く御用がさせて頂けるように、親切丁寧にお世話をなさっておられますことは真に有難いことです。一つ一つ共に勉強させて頂かれ、共に御用に励まれますと、初心に戻らせて頂くことが出来ますので、有難いお導きのお徳、御用のお徳を蒙らせて頂くことが出来るのです。

★甘木教会の安武松太郎師は「信心してはいかぬ。させて頂かねば…」と教えられ、更に「いうことも、することも、信心にならねばいかん。」と教えておられます。 毎日お届けをさせて頂き、健康で仕事の上に御用の上にお使い頂きましょう。「させて頂く心」で「信心になりきる」ことをねがわせていただき、そのようなおかげを蒙らせて頂けるようにお願いをさせて頂くのです。そして、必ずお下げ頂きました御神米を懐におともして、家庭生活の上にまた社会生活の上に御用にお使い頂きますと、足りないところを足して下さいます。「自分がする!」という力み過ぎた姿にならないように、神様にお願いして御用にお使い頂きましょう。

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2016年09月28日

●何事も実意丁寧に有り難く拝んで頂く心持ち

 二代教会長伊藤コウ師のご母堂である(伊藤ハル刀自)ご隠居様は、教会から頂かれた通知状(御祭典等の案内状)を御神前にお供えされ、お祈りをされていました。コウ師が「なぜ通知状をお供えしてご祈念しておられるのですか?」とお尋ねになると、ご隠居様は[世の中にはどれほど大勢の方々が住んでおられることでしょうか。その中にあって私達は金光教のお道に御神縁を頂いてお教会にお参りさせて頂き、金光様のご祈念を頂けるようにならせて頂いているということは真に有り難いことです。神様から願いをかけて頂いていると思わせて頂くと、お教会から頂いた通知状はおろそかにできません。その日まで、「何卒お参りできますように。御用にお使い頂けますように。」とご祈念を込めさせて頂くことは私たちの真心でしょう。]とお話しになりました。

★話は変わりますが、食物は拝んで有難く頂き、御礼を申し上げてこそ身体の養分となり活きて働いてくれます。お風呂も有難く拝んで入らせて頂くと、天地のお徳が活きて働いて身体から疲労物質を取ってくれます。また、身体の垢を取って頂くだけではなく、心の垢も取って頂けるようご祈念して入浴させて頂くとどれほど結構でしょうか。このように有難く拝んで体内に取り込ませて頂くことが「頂く」ということなのです。

★仕事や人間関係など全てにおいて同じことが言えます。仕事や様々な問題も「有り難く拝んで頂く」心が大切です。職場に行かせて頂いたら、門の前で今日一日の会社全体のこと、部屋に入るときには部内全体のこと、席に着くときには自分自身の仕事のことを拝ませて頂き、電話を取るときも掛けるときも先方の助かりをご祈念してからさせて頂くというように、何事も祈りを込めてさせて頂くと有難いお徳を身に頂くことができるのです。

★日々、天地のお恵みを頂き続け、国家社会の恩恵の中で周囲の人々のお世話になるというように、常におかげを頂き、お繰り合わせを頂いている毎日でありますので、お世話になる全てにお礼をしっかりと申し上げ、なお一層のおかげを蒙らせて頂けるようご祈念させて頂くことを心掛けて生活させて頂きましょう。

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2016年09月27日

●辛抱という棒は強い棒じゃ

日々の仕事に打ち込む上で辛抱させて頂くこと
(1)冷たさ(社会の冷たさ、人情の冷たさ、冷遇)
(2)苦しさ(苦労、辛さ、痛さ)
(3)煩わしさ(実意丁寧にさせて頂こうと思うほど、煩わしいことが起こってきたりします。忙しい時にこそ丁寧・親切にしにくいものです。)
(4)暇な時間(どのように時間を有意義に使わせて頂くかをご修行とさせて頂く。普段出来ない整理整頓・人を育てること)

★真の幸福を掴む人は、どんな苦労や難儀なことに出遭っても、それを「生神金光大神様、天地金乃神様…」とおすがりして、神様を杖に乗り越えてゆくことが出来る、徳と力を頂いている人です。「我」を出さず、無理をせず、わが計らいを去って神様にお任せするように心がけておりますと、神様に可愛がって頂き、人からも愛情深く教えてもらえるようになります。この人間ならと見込んでもらい、教え鍛えてもらうことは有難いことです。

★辛抱させて頂く稽古が身に付いておりますと、どんな難しいことでも、今まで出来なかったことでも、神様におすがりしてさせて頂くことが出来るのです。信心をさせて頂き、辛抱が出来る人間にお育て頂くことが大切ですね。

★反対に不幸せになる人は辛い苦しい問題は避けて通りたいという考えに陥り、勝手気ままをしても平気となってしまいます。

★二代教会長先生は、紙に書いて机の前に貼っておきなさいと仰って「今せねばいつする!「私がせねば誰がする!」と教えて下さいました。それを自宅の目に付く所に貼って毎日変わらず努力なさっておられるご家庭がありますが、真に有難いことです。

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2016年09月26日

●身勝手な姿にならぬよう

つい感情に任せて言いたくなる時があると思いますが、『言いたい事は明日言えということがあれども、明日も明後日も一生涯言わないように心掛けること』と二代金光四神様よりみ教え頂いております。感情に任せて言葉を発したり、次から次へと自分の思うままに言葉を出していると、人を傷つけてめぐりを積むばかりです。

さらには自分も徳を落として周囲の人も助からず、家族さえも嫌がって逃げてしまい、孤独になってしまうこともあるのです。そうなってしまっても本人は、「こんな孤独な思いをしなければいけないのは他の人のせいだ!」等と責任転嫁までしてしまう。これらはみ教えを守ることが出来ていない姿です。「私は長年信心しております」と口では言っていても自分勝手・身勝手な姿になってしまっているのです。いくら理屈は正しくても言いたいことを言って、したいことをして、自分中心の考えで周囲のことを思わない生き方は良い影響を与えません。

★片岡次郎四郎師は、実直で正義感が強いお方でした。ご信心を頂かれる前までは、間違っている人がいると、その相手を責め、承服させずにはおれぬものを持っておられました。しかし教祖様より、「性根を直さなければ、徳は頂けない。」とお取次ぎ頂かれ、それまで「正しい」と信じて疑わなかった生き方を、み教えによって改めることを決意なさったのです。厳しいご修行を自ら進められ、教祖様からも天地の親神様からも厚いご信用を頂かれるようになられ、お取次ぎの御用をなさるようになられたのでした。

★『此の方の行は、水や火の行ではない。家業が行ぞ。』家業の行をするという生き方は、どんなことでも有難く受けて全て自分の肥やしにさせて頂くのです。出来てきた事1つ1つには意味があります。その意味をしっかり分からせて頂けるように、常平生の信心を実意丁寧にさせて頂いて、何か事が起こってきた時には正しく受け切って、一段と進ませて頂けるように良い信心の材料にさせて頂いて、良いご修行にさせて頂くことが大切です。周囲のことを考えず自分中心に物事を考えてしまうような、身勝手な信心にならないよう、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。
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2016年09月25日

●たらいの水の信心

 以前、三代教会長伊藤良三師の同級で、幼少の頃より熱心に信心なさっておられた税理士のご信者が、「世の人々がご信心をなさり、天地の道理に基づいた生き方をさせて頂けるように心根が変わって頂きたいと思うことが度々あります。特に『たらいの水の信心』『めぐりのお取払い』というみ教えを皆がしっかりと分からせて頂くことが大切だと思います。」と、仰っておられました。

★このご信者は、顧問先に船場のある大きな卸問屋さんを持たれていました。店主がお父さんのご時代は、堅実にお仕事をなされて、お店は実に繁盛していたのですが、お父さんが亡くなられて息子さんに代替わりしますと、息子さんは相続税を申告せずに自分のものにしてしまったのです。それが分かったご信者は息子さんに、「相続税を払わなければいけませんよ。修正申告しましょう。」と忠告なさいましたが、息子さんは、「あんたは私の敵か!うちの顧問の税理士ならなんとか税金を払わなくてよいように私の味方をしろ!」と言われ、忠告に従わずにそのお金で土地を買って、大きな屋敷を建てられたのです。すると、何年か後に「丼池の大火」と言われる大火事に遭われ、帳簿も金庫も持ち出せずに店が焼けてしまいました。そして、税金をごまかして手に入れた土地も屋敷も全て売り払わなければならなくなり、後にその家は絶えてしまうことになったのです。

★神様がご覧になられていることを知らない人たちの中には、人の目をごまかしたら得をすると思っている人が少なくありません。たらいに水を入れて向こうへ向こうへと水を押すと、たらいの向かい側のふちに当たって返ってくる様に、相手の為を思ってさせて頂いた良いことは後々自分自身に返ってきます。反対に、水をこちらの方へと取り込もうとすると、向こうへ返っていく様に、私利の為にしたことは後々自分の手から放れてしまいます。人の目をごまかして手に入れたものは、後々帳尻が合うように神様がなさるのですね。日々の生活の中で、自分のことよりも先に周囲の人のことを祈り願える『たらいの水の信心』を心掛けさせて頂きましょう。

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2016年09月24日

●考え方、生き方が変わってゆく

 あるご信者は、近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられました。そんな時、ご神縁を頂かれて、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、「あなたは神様から結構な宝物を頂いておられるのですよ。お義父様はあなたの家の宝物です。あなたがご信心を元に、真心込めて孝行なさるか否かで、家が結構に栄えていくかどうかが決まります。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご信者が、ある時教会で御用奉仕をなさっておられますと、何事においても実に心配りが行届いておられるあるご信者の姿に目が止まられたそうです。コウ師に「あの方はどうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」とお尋ねになりますと、「あの方は、自分のことよりもいつも人のことを第一に考えておられるのですよ」とみ教え頂かれたのでした。それを聴いたご信者は「お義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と有り難い決心が出来られ、生活の全面に渡って実行していかれたのです。

★すると次第に、「お義父さんはを苦労なさりながら主人を育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有り難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない」と、心底思えるようになられたのでした。そんな日々を送っておられますと、お義父様が80才を過ぎた頃に、教会に一緒にお参りしたいとおっしゃったのです。そして、コウ師に、「うちの嫁をこんなに立派に育てて下さって有り難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、おっしゃって下さったのでした。

★人間の心を鈍らせる見方。
1、我見(思考を我に基づいて見ること)
2、偏見(物事を総合的にとらえられない見方)
3、邪見(よこしまなねじけた根性の見方)
4、先入観(一つのイデオロギーにこだわって、すべて型にはめてしまう。自分の主義、自分の理論にこだわる見方)

間違えた見方をしてしまいますと、正しい見方が出来なくなり、道を外れていってしまうのです。正しい教えに触れさせて頂きますと、神様から頂いている分け御霊が共感し、正しい生き方がさせて頂けるようになるのです。

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2016年09月23日

●秋季霊祭をお仕え申し上げて…

昨日は、天候を初め万事にご都合お繰り合わせを頂きまして、無事盛大に秋季霊祭をお仕え申し上げさせて頂き、共々に教徒信徒の霊様に御礼申させて頂き、御霊徳とご安心を御祈念させて頂けましたことは真に有り難いことでございます。

★三代教会長先生が中学生の御頃、二代教会長伊藤コウ師に「霊様の働きが分かりません。霊様について詳しく教えて下さい」とお尋ねになられました。そこでコウ師は、[今までおかげを頂いてきたことと、これまで取り組んできた信心とを天秤にかけたらどちらが重いですか?頂いたおかげの方が重いのであれば、釣り合いがとれないでしょう。例えば一万円の品物を「私だけ百円、一円にして下さい」と言うのは無理な話です。一万円の品物は一万円出さないと買うことが出来ませんね。あなたの場合はおかげを受けているばかりで、自分の信心はとても足りないということであれば、世の中で、釣り合いのとれないことは長く続くものではありませんから、あなたの信心の足りないところを足して下さる働きがあるということです。それが生神金光大神様のお取次ぎのお働きであり、霊様のお働きです。そのことをよく理解させて頂きなさい]とみ教え下さったのでした。

★私達は一人一人、神様から御分霊を頂いた尊い神様の氏子です。その尊い存在である一人一人が互いに尊重し合って生活させて頂かねばなりません。「自分」という存在は、家族の一部分であり全体の一部分であり社会の一部分であることを悟らなければなりません。ご先祖から肉体を頂いているということと、天地の祖神様から命を頂いているという根本は、大変重要な普遍的な事実なのです。私達一人だけの命だけでなく家族ともご先祖とも繋がり、縦にも横にも繋がっているのですから、一部分が自分勝手にふるまって、全体を狂わすようなことをしますと、大きな影響を及ぼしてしまうのです。私達一人一人から進歩向上させて頂くことによって、社会全体をまた世界中を良い方向へ導かせて頂く元になり得るのです。ですから、自分一人がおかげを頂いていくということは、家族・親族全体がおかげを頂いて、千人も万人もおかげを頂いていく元になるのです。


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2016年09月22日

●御先祖あっての私達

昨日は二代教会長伊藤コウ師のお父上の房次郎氏の御命日でした。房次郎氏は胃がんを患われ、明治37年、コウ師が9歳の時に55歳でお国替えされました。京都から大阪に移らせて頂いて間もなくお父上が亡くなられたのですが、コウ師のご母堂ハル刀自は生活がなかなか成り立たないので「大阪に残ろうか、京都に帰ろうか」と悩んでおられました。

そこでお結界で先生にお取次頂きますと「伊藤さん、信心しなさいや。信心しなさいや。しっかり信心しなさあいや。」とみ教えを頂かれたのです。み教えを頂いたハル刀自は「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることは無い。今必要なことはしっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。信心でもって張り直しをさせて頂くのだ。」と悟られたのです。

★房次郎氏は、「神様を拝むならわしを拝め!」と言うほどに信心嫌いの方であられました。また、入信される以前房次郎氏とハル刀自はしょっちゅう喧嘩をしておられたのですが、

ハル刀自がご信心させて頂かれるようになってからは、喧嘩をしないように改まられ、辛抱をさせて頂くご修行に励まれましたので、後々に家中が勢を揃えて信心させて頂けるようになり、明治33年には教徒の列に加えて頂くことが出来ました。

★婦人の五徳・・・1)平素、人と競争せず。2)苦難の時に恨み言を言わず。3)飲食を節する。4)感情をむき出しにしない。5)よく尊敬する。(神様、ご先祖、人)と教えて頂いておりますが、この教えをしっかりとご修行して下さったのがハル刀自です。

私達はハル刀自のご信心を習わせて頂かなければなりません。ハル刀自が信心教育をして下さらなければ、コウ師が御用をなさることも、初代の先生が伊藤の家に来て下さることもなく、家が絶えていたのです。ハル刀自の信心教育があられたから、後が続いたのです。

★御先祖があられての私達です。本日は、お昼二時より秋季霊祭をお仕え申し上げます。御家族揃って参拝のおかげを頂かれ、霊様にお礼を申し上げ、またより一層徳高い霊神様となって頂けますよう、御祈念を込めさせて頂きましょう。
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2016年09月21日

●転ばぬ先の杖 

 先日から次々と台風が日本に上陸しており、各地で記録的大雨を観測しています。大雨や強風への対策を早めにさせて頂き、おかげを頂いてまいりたいと願わせて頂きます。台風も季節を進めて下さり、海の水をかき混ぜて下さります。人間には出来ない天地のお働きがあるということは大変有難いことであり、一切何も起こらないということがおかげなのではありません。いろいろ起こってくる中をご都合お繰り合わせ頂いてゆくことが日々のおかげであるのです。

★先日、農業をなさっているあるご信者が「先生、今回は絶妙なお湿りを頂きました。作物にとっても素晴らしいお湿りとお照らしを頂き、最高のおかげを頂いております。有難うございます。」とお礼届けをされました。また、あるご信者は「今年は少し遅めに生育するイネの品種を選び、稲作をさせて頂いております。これから台風が続き、水に浸かってしまいますと作物に影響が出てしまいます。どうぞ、万事ご都合お繰り合わせを頂けますように。」とお願いなさいました。天候気象や自然災害など、天地のお働きのことは、私達人間の力ではどうすることも出来ません。また、人それぞれによって都合も異なります。そこのところを実意丁寧に神様にお願いさせて頂き、御都合御繰合せをつけて頂けるようにおかげを頂いてゆく必要があります。

★常の信心をしっかりさせて頂いておりますと、いざという時に神様が一番良いようにご都合をつけて下さいます。何かが起こってきた時にうろたえることなく、先の安心を頂けるのです。それは農業に限らず、健康の上にも、仕事の上にも、家族の上にも同じことが言えます。常の信心が転ばぬ先の杖となります。しっかりと常の信心を手厚くさせて頂きましょう。

★『常平生から手厚く信心しておれ。手厚い信者であれば、神から心配してやる。』

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2016年09月20日

●御本部御礼参拝のお徳

 三代教会長伊藤良三師のお姉さんであられます大黒トクさんは、胆石の痛みを患っておられました。その痛みというのは、突然背中や腹部に激痛が走り、七転八倒するような強い痛みであったそうです。御本部参拝の日にその発作が起こり、ご祈念して御神酒や御神米を頂かれてもなかなか痛みは治まらず、大変苦しんでおられました。そこで、そのことを随行の先生にお伝えなさると、その先生は二代教会長伊藤コウ師にご報告され、お取次ぎをお願いなさりました。するとコウ師は、「この飴をご祈念してから頂かれるようにお伝え下さい。」と、ご祈念を込めた飴をお下げくださったのでした。早速そのことをトクさんにお伝えなさると、トクさんはその飴を一生懸命ご祈念して頂かれました。すると、その日以来一度も胆石の痛みが再発することはなかったのです。御霊地で病気の根を切って頂かれたのでした。

★淡路島のあるご信者は、大阪の親戚の家に泊めて頂かれて春秋の御大祭にお参りなさり、御本部にお礼参拝をなさってから淡路島に帰られるということを長年続けておられました。この方は80才を過ぎてから両目とも白内障を患っておられましたが、御本部では御神水を頂かれ、目に御神酒をつけ、御神水で目を洗って御祈念なさっていたのです。ある時、医師から手術が必要だと告げられ、阿倍野教会の御大祭の後に手術の日時を決める段取りになったそうです。御大祭に参拝なさり、御本部にお礼参拝をなさってから診察を受けられますと、「手術の必要はありません。視力が回復しています。」と言って頂かれたのでした。常平生の実意丁寧なご信心のお徳によって、大みかげを頂かれたことがよく分からせて頂けます。

★月々の御本部御礼参拝は、日々おかげを頂きお守り頂いていることに対する「御礼の参拝」という心で参拝させて頂きますと、めぐりのお取り払いを頂くことが出来、また病気災難の根を御霊地に置いて帰らせて頂くことが出来るのです。共々に、月々の御本部御礼参拝が続かせて頂けますよう、ご都合お繰り合わせを願わせて頂きましょう。そして御霊地に満ち満ちた有難いお徳を身一杯に頂くように、み教えを心に頂き、船にも車にも積めぬほどのお徳を頂いて帰らせて頂きましょう。

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2016年09月19日

●祈りを足してゆく

 あるご信者は、大変危険な場所で命を掛けて日々世の中のために働いておられます。そのご信者は、常にご祈念してご神米をおともなさって現場へ行っておられますが、毎回24時間体制で出勤なさり、どこへ出張するかも分からず、またどんな現場へ行かれるか分からない緊張の連続の毎回の勤務だそうです。

★そのご家族の方は、どれほど心配なさって日々を過ごしておられることでしょうか。しかし、家族の方が毎日ご主人の現場について行って何かお手伝いをし、ご主人を守ることが出来るかと言えばそれは不可能なことですね。ただ家族の方々は日々後ろ祈念をなさって祈りを足してゆくことは出来ます。お広前なら何度でも油断なくお参りさせて頂くことが出来、何度でも油断なくご主人のことをお届けさせて頂くことが出来るのです。

★祈りを足してゆくと言うことは、ご主人がどんな所へ連れて行かれても、生神金光大神様のお取次ぎによって、天地の親神様のご神徳を蒙らせて頂く事が出来られる為の大きな力となるのです。自分で自分の身を守ることも出来ず、自分で家族の身を守ることは出来ません。そこでお願いさせて頂くのです。その切なる願いは金光大神様に届かないと言うことはありません。「徳も力も足らない微力な私ではございますが、金光様のお取次ぎによりまして、天地の親神様に私共のお願いさせて頂いております所をお聞き取り下さいます様に。どうぞよろしくお願い致します。」とお願いさせて頂くのです。それを信じて疑わずにご祈念させて頂くことが、私共のさせて頂ける唯一のことです。あとはご主人が帰られたら心をゆったりと落ち着かせて頂くために、また英気を養ってもらうように、一生懸命心配りをさせて頂くことが、家族としての精一杯の出来る務めです。

★家の長は家の長としての役目があり、家老は家老としての役目があります。 夫々の立場で、自分自身に与えて頂いた責任を全うさせて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年09月17日

●子孫に有難いものが伝わる為に…

 三代教会長伊藤良三師は幼い頃から、御両親と共に布教当初の吉野通りのお広前にお参りなさっておられました。そして、初代教会長伊藤徳次師より日々み教えを頂いておられたのです。徳次師より頂いたみ教えの中で、良三師は幼心にも印象に残り、生涯守り通されたみ教えが、1)大地にタンや唾を吐かない。2)人と喧嘩をしない。ということでした。それは、戦時中に軍隊に入られ、戦地に赴かれても同様に守り抜かれたのでした。親様から頂いたみ教えを生涯かけて守り通すところに、子孫に有難いものが継承されてゆくのです。

★信心教育というのは、真心を育てるということです。いくら口でみ教えを説いたとしても、自身がみ教えを守っていなければ、何も伝わりませんし、真心は育ってゆきません。子供がおられない方でも、お導きの親として、人様に教え導かせて頂く時に、自身がみ教えを守っていれば、自ずと相手の心に響き、尊いものが伝わるでしょう。二代教会長伊藤コウ師は、「信仰を持たずに、ただ勉強ばかりしていても、天地の道理に基づかない生き方になってしまうのです。それでは怖ろしい人間を作ってしまうことになります。」と仰せになっておられます。神様から頂いた尊いものを育ててゆけるような、親としての役目を果たせる信心に向上させて頂きましょう。

★『家庭は器のようなものである。水は円い物に入れれば円く見え、四角の物に入れれば四角に見える。母親が真の心を持ち、神の子が胎内にいるという尊い心持ちで、家業を潔く勤め、親兄弟に親切をして、信心に油断なく、教育にも油断がなければ、よい子が育ち、先祖への無礼もなく、国も栄えるもとになる。』

『信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作ができるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。』

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2016年09月16日

●生まれながらにして与えて頂いている徳と力  

 熱心なご信者であられた桃井氏は、二代教会長伊藤コウ師より「人間は生まれた時に、神様からすでに徳と力を与えて頂いて生まれてきます。しかし、成長するにつれて、その徳と力を大きくすることや維持することが出来ずに、小さくしてしまう人が多いのです。それは、そのような信心教育が出来ていないからです。」とみ教えを頂かれました。例えば、勉強があるからと御用をしないでよいと言ってしまいますと、大きくさせて頂けるはずの力が広がりません。与えて頂いている徳と力を大きくさせて頂けるような信心教育をさせて頂くことが大切であるのです。

★コウ師は小学校一年生の時から、ハル氏(コウ師のご母堂)に「これから毎朝起こして頂かなくても、自分で起きてご飯を炊いて学校へ行かせて頂きます。」と自ら申し出られました。明治33年頃のことですので、当然かまどで炊くわけですから、簡単には出来ません。火を入れて湯を沸かし、ご飯を炊くのもひと仕事でした。

★桃井氏はそのお話を聴かれて、自分の子供にも同じように躾けられ、娘さんが一年生の頃にはすでに自分でご飯を炊けるようになっておられました。「親の事を思える子になったら、周りの人々の事も思いやれるようになります。神様から頂いている能力を貶めてしまうようでは、神様に申し訳ありません。だから、親を思い他人を思いやる子に育てなければなりませんよ。」とコウ師は教えて下さったのです。そのような有難いお話を聞かせて頂いた時に、「小学校一年生でありながら、そのようなことが出来たというのは、コウ師だから出来られたことであって、私達には到底出来るはずがない…」とか「ハル氏だからそこまでの信心教育が出来られたのだ。私には出来ない…」と思ってしまいますと、そこでおかげを受ける器はこわれてしまいます。自分には無理だと思わず、桃井氏のようにみ教えを素直に実行させて頂くことがおかげとなります。頂いている能力を十二分に発揮させて頂けるような教育をさせて頂くことが親の務めであるのですね。

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2016年09月15日

●人の助かる御用に使って頂く

 私が教師にお取り立て頂いて間もなくの頃、お結界に座らせて頂いておりましたら、あるご信者が「先生、Y君をご存知ですか?」と私に尋ねられました。Y君とは私が学校に勤めておりました時に、担任を受け持たせて頂いた生徒でした。そのご信者と彼は近所に住んでおられ、ご信者は「Y君は卒業したのですが、志望校へ進学できなかったので今、浪人中です。あの子に助かって頂きたいので、おかげを蒙られますようにお願いして下さい」とお届けなさったのです。そこで「Y君に会う機会がありましたら、阿倍野教会に連絡を取るように仰って頂けますか?私も御祈念させて頂きますから、どうぞよろしくお願い致します。」とお話しさせて頂きました。

★その翌日、彼からお電話を頂き「昨日○○さんとお話ししてたんですよ。○○さんから事情を聞かれましたか?」と聞くと「いいえ」というのです。話を聞きますと「どうしても電話がかけたくなってかけました。今日参拝させて頂いてもよろしいですか?」とのことでした。その日に参拝なされ、一緒に横についてお結界でお届けをさせて頂くことが出来たのでした。Y君は色々悩みを抱えておられたのですが、その後も機会あるごとにお参りをなされ、翌年の春には無事志望校へ合格のおかげを頂かれました。

★それまで私と彼が連絡を取り合っていたわけではありませんのに「参拝したい!」と思われたのは、彼のことをお届けして下さったご信者の真心が神様に届いたからです。生神金光大神様のお取次を頂いて天地の親神様が本人の心に働きかけて下さり、助かる道をつけて下さったのです。

★人が助かっていくということは大変素晴らしく有難いものです。『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい』とみ教え頂いておりますが、相手に喜んで頂くと自分自身も嬉しくなります。喜びは共有出来るから有難いですね。相手があって喜びが生まれてくる。周囲を幸せにさせてもらうから、自分も幸せを感じられる。ご信心させて頂いたらその有難さを分からせて頂けます。

★自分自身が今まで色々な方にお世話になり育てて頂いたのですから、御礼として周囲の方の助かりをお願いさせて頂きましょう。真心からお願いをなさって、一人また一人と助かる方が増えられるようお手伝いをさせて頂く、その御用に使って頂くことが神様の一番のお喜びになり、神様への一番のお礼になるのです。

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2016年09月14日

●御恩を知り御恩に報いる生き方     

二代教会長伊藤コウ師は、[「世界中で一番幸せです。」と、言えるようにならせて頂く条件は、御恩を知って御恩に報いていく生き方をさせて頂くことです。]と、み教え下さっています。左うちわで優雅に暮らすことのみが幸せではなく、「生神金光大神様、天地金乃神様」におすがりして、どんな困難でも乗り越えさせて頂くことが幸せなのです。御恩を知り、御恩に報いる生き方を心掛ければ、どんなことでも有り難いと受け取ることができ、乗り越えることができます。そのような生き方をするためには、心の眼や心の耳を開かせて頂けるよう、日参に励み、み教えを頂くことが大切です。神様の大恩を知るということが、信心をさせて頂く上での基本となるのです。

★また、コウ師は「世の中で一番情けない人間は恩を知らん人間です。御恩がわからん人間は恥知らずです。人間は恥を知らなければいけません。御恩がわからん人間になりなさんな。」とも、み教え下さっています。私たちは日々、神様から様々なおかげを頂いて生かさせて頂いており、国家社会の恩恵を享受し、親・先祖をはじめ、周囲のたくさんの方々にお世話になりながら生活をさせて頂いています。その御恩に報いることを願える人間にならねばなりません。

★ある日、コウ師は下のお姉さんであるスエ氏に、「お姉さんは私(コウ師)のために何もかも尽くして下さって大変恩を感じています。教会のためを思って神様にお供えして下さったり、自分というものを抜きにして修行生にも尽くして下さいます。誠に有り難いことでございますが、誰にでもその通りになさるのですか。」と、お尋ねになりました。スエ氏は、「私だってあほと違う。恩の分からんような人間には世話をせん。」と、ニコニコ笑ってお答えになったのでした。

★神様も助けがいのある氏子に「あれもしてやろう。これもしてやろう。」と思って下さいます。しかし、御礼の信心ができていないことには次のおかげは頂けません。「知恩・感恩・報恩」、このような生き方が幸せの元です。神様、霊様、産みの親、育ての親、あるいは地域や社会、お世話になった人に対して、御礼の働きをしっかりとさせて頂きましょう。
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2016年09月13日

●ままよという心

 以前に金光英子先生から昭和26年12月「金光教報」の一頁を見せて頂いたことでした。松山成三師(元・大連教会長後に岡山中部教会長)のご遺稿を拝読させて頂く機会を得たのです。その一部分を紹介させて頂きます。

★「略…我は終戦と共に何故その様な事になったと、悩み患ひ、或は先々を憂慮、煩悶もしない。この時こそと、本気に一心に信心に飛上り、教師の本分一途にと、心は立上り、信心する時はこの時なり、神の御用をする時はこの所じゃとその日その日を後先忘れて、信心御用にのみ立上り、その気持ちこそ、今月今日なりと、嬉しく楽しく有難く思ひ続けて人々が心配苦悩している事も、我には一向その様な気になれず、悪い妙な気は起らず、その事その時も良い事のみ思い出しては喜びニコニコして暮らされてあり。人々に比べて阿呆になった。良い阿呆になれたと感謝している。『我心で我身を救ひ助けよ』とはこの様な事かと、み教えを一層有難く思へる。何を食ふても同様においしゅうて、何が無くても苦にならぬ。人のしてくれる事はみな有難い。…中略…生活上苦が苦にならず、何事も嬉しく有難く受け取れるこの境地、こんな気持ちを一人でも多く施し伝えるこそ人助けの最大なる事最も尊い事ではないか。…後略」

★松山成三師は戦後満州、大連教会より引き揚げられましたが、私共が筆舌に尽くせぬ艱難辛苦を経験なさったのでした。終戦後の体調が優れぬその中での生きられ方の尊い部分を教えて頂いたことです。

★「神様が一番良いようにして下さる」と信じて疑わず、神様に万事お任せをし、すべてを有難く受け切るということが出来れば、どれ程有難い毎日になるでしょうか。どんなに厳しい仕事であっても、自分に与えられたご修行として喜んで受けきってゆくところに、時間のご都合、人のご都合、全てにご都合を頂いて、運良く間良くおかげを頂いてゆくのですね。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

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2016年09月12日

●我を取る稽古

あるご信者のご家庭はご夫婦と一人息子さんがおられ、商売をしておられました。入信前は、それぞれ我が強く、自分は正しいと思い、いつも相手を責めて崩壊寸前の状況であられました。息子さんが何か言うとご主人が腹を立て、気に入らないことがあると大酒を飲み、暴れまわる日々を繰り返しておられたのです。

奥様はその状況に嫌気がさし、離婚して家を出たいと思われたのでした。離婚するに当たり、何ももらわずに別れるのは悔しいと思い、家庭裁判所へ相談しに行かれました。裁判所の前まで来られた奥様は、入る決心がつかずうろうろした挙句、近くの喫茶店に入られたのです。

そこで、店主に離婚の手続きについて尋ねようとしたのですが、その店主が阿倍野教会のご信者だったのです。色々と経緯を聞かれたご信者は「裁判所よりもっと良いところがありますよ。」とお導きをなさって、奥様が阿倍野教会に入信なさったのです。

★参拝なされ、み教えを頂く日が続きまして、二代教会長伊藤コウ師にお届けされますと、「あなたはご主人に対して真心が足りません。一度でも、自分の命に代えてでも主人に尽くそうと思われたことがありますか?」と仰いますと、み教えを頂き段々と改心なさっていた奥様は、「悪いのは、主人でも息子でもない、私でありました。私が間違えていました。これからは、主人のことをお願いし、主人のことを支えていきます。どうぞ円満な家に変わらせて頂けますように。」とお願いされたのでした。

★奥様は、それから自分の身を飾ることもやめられ、その分を貯金し、御神殿を購入されたのでした。そして、お宅祭を仕えさせて頂けるようになられたのです。全く信心する気がなかったご主人も、段々と宅祭も拝まれるようになり、参拝もして下さるようになったのでした。

息子さんは仕事を辞められたことをきっかけに、奥様はこの機会にどうあっても参拝して頂けますようにとお願いされ、夜の参拝にお導きされました。息子さんはその日から毎晩参拝してくれるようになり、翌日からまた仕事をしてくれるようになられたのです。そうして、一家が勢信心のおかげを頂かれ、それぞれに神様を目当てにする生活に変わってゆかれ、円満な家庭が築けるようになってゆかれたのでした。★日々み教えを頂き、み教えの鏡に照らして自分の姿を見直し、改まり、我を取ってゆく稽古をさせて頂きましょう。
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2016年09月11日

●神様は私をかわいがって下さっている! 

 大正15年10月28日にお国替えになられた初代教会長・伊藤徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長・伊藤コウ師は、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は私達がみな引き受けて何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われたのでした。

★連判状を御神殿にお供えされ、「神様、可愛がって下さいまして有り難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように。」とご祈念をされました。そして、5日後に控えた御大祭も、「初代教会長先生のご生前中よりも盛大にお仕えさせて頂けます様に。」とお願いなさり、実際にそのようにおかげを頂かれたのです。そうして翌年の11月11日には、旧広前の新築落成奉告祭を無事お仕えになられたのでした。

★「人に頼ることなく、神様におすがりする」というみ教えは、阿倍野教会が今日まで大切に守らせて頂いている無いようです。建築委員の総辞職という大変な事態の中に、神様の思し召しをしかと掴まれた伊藤コウ師のご信心のお徳によって、御庇礼を頂く道が開かれたことは真に有り難いことと思わせて頂きます。

★疑いの心があっては、コウ師のように起こってきた苦難に対して「神様は私をかわいがって下さっている!」とは思えません。疑いの心を離し、神様を杖にさせて頂く真のご信心に進ませて頂けますよう、今日一日、今日一日を大切に、ご修行に励ませて頂きましょう。

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2016年09月10日

●一年一年有難くなるよう、信心向上のおかげを

二代教会長伊藤コウ師は「『あれもおかげであった、これもおかげであった』と喜ばせて頂けるようになるには、まず自分自身が日々喜びを見出していく稽古と、努力を積み重ねてゆくことが大切です」とみ教え下されておられます。

『類をもって集まる』という言葉がありますが、『有難い』と思うところには有難いことが集まり、『不平不足』ばかり思っているところには不平不足ばかりが集まるのです。おかげを蒙らせて頂くには自分自身の器を作っていくことから始めなければいけません。

★コウ師は「上を見るのも、下を見るのも、上手に見なければいけない」ともみ教え下さっています。例えば自分より厳しい生活、苦労をしておられる方を見て「私はまだまだ苦労が足らん。あの人の苦労に比べたら私の苦労など大したことは無い。もっとしっかりと苦労させて頂くことを覚悟させて頂かないと」というように見させて頂くのです。

また、上を見るということは、自分よりずっとご信心が出来ている方を見させて頂いて「ご信心させて頂いたら、あの人のように結構にならせて頂けるとは、有難いことだ。私はまだまだ行き届いた信心がさせて頂けていないけれども、いつかはあの人のようにならせて頂きたい」というように見るのです。

★『年が寄る程位がつく』とみ教え頂いておりますが、ご信心させて頂いておりましたら、お礼を申して、喜んで生活をさせて頂くということが上手になっていきます。そして一年一年、有難くなっていくのです。

そうしたおかげを蒙らせて頂けるように、「真のご信心をさせて頂ますように」「一段と向上させて頂けますように」と日々お願いさせて頂き、しっかりとめいめいのご信心をもう一段向上させて頂いて、神様に喜んで頂き、金光様にも喜んで頂き、自分も大きな喜びをもって、家族・親戚共々に揃って参拝させて頂きましょう。
そして一年一年有難くならせて頂けるような、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2016年09月09日

●すべておかげの中での出来事 

昨日は、みかげ会例会が開催され、三橋氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★三橋氏は阿倍野教会の熱心なご信者とご結婚なさったのがきっかけで入信されました。平成16年より自らも参拝されるようになられ、義母・溝口くにゑ氏の熱心なご信心を習われ、神様より有難いご都合お繰り合わせを頂いておられます。

★今年の元日、三橋氏は石段を登っている時に躓き転倒され、右肘に強い痛みを感じられました。その3日後に近所の整形外科で診察を受けられますと、医師は触診もせずに「骨折しています。手術して縫合が必要です」との診断でした。その2日後に別の総合病院で再度診察を受けられますと、「手術しましょう」との一点張りだったそうです。三橋氏は過去の骨折経験から納得出来ず、手術は拒否されて早速教会でお届けされました。すると教会長先生より「別の整形外科でセカンドオピニオンを受けなさい」とのみ教えを頂かれました。

★1月9日、東三国にある整形外科で診察を受けられ、今後の治療を決められてその日は帰宅されました。その翌日は御本部年賀参拝でしたので、娘さんとお孫さんが泊まりに来ていました。三橋氏は、夜10時前にパソコン作業中に突然右手指が動かしづらくなり、一階へ下りようとすると右足も動きづらくなっていたことに気付かれたのです。何とか家族がいる居間に行かれ「身体の具合がおかしい」と言おうとすると呂律も回りにくくなっていました。娘さんはすぐに救急車を呼んで、堺で有名な脳外科へ搬送されました。その症状は、脳梗塞の一歩手前の「一過性脳虚血発作」であると診断されました。専門の医師より対処施術して頂かれ、2、3時間後には症状が治まり、その後は一切脳梗塞の症状は出られませんでした。もし右腕の骨折によりすぐに手術をしていたら、血液をサラサラにする薬剤の点滴は出来なかったそうです。さらに入院から11日目には無事退院のおかげを頂かれ、2月から職場復帰をされるまでに回復のおかげを頂かれました。

★思い起こされますと、1月9日の晩、奥様も娘さんも居る一番良い時に発症したのがおかげであったことに気付かれたのでした。更におかげを頂かれたことは、元日に石段を登っておられる時に転倒して右肘に大きな内出血をしたことにより、万全の状態で「一過性脳虚血発作」を発症させて頂かれ、大難を小難におまつり替え頂かれたのでした。全てはおかげの中での出来事であると悟られ、この有難いご信心を家族、親族、縁につながる人々に伝えてゆくことを願っておられるのです。

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2016年09月08日

●お守り頂いているという意味

 二代教会長伊藤コウ師はご晩年、三代教会長伊藤良三師に、「私はあなたをずっと守ってきました。」と仰いました。そのとき良三師はそのお言葉がどういうことを意味しているのかがすぐに理解出来られませんでした。じっとお考えになり、コウ師から「酒を飲んではいかん。」「煙草を吸ってはいかん。」「賭け事をしてはいかん。」等々、いろいろみ教えを頂いてきたことを思い出され、そのことによって自分の身体や人生を守って頂いていたことに気付かれたそうです。

★良三師がお若い頃、向学心に燃えられて、「大学へ行って勉学に励ませていただきたい。」と願いを持っておられました。そこで、コウ師にその旨をお願いなさいますと、コウ師は、「大学へは行かなくてよろしい。」ときっぱり仰いました。しかし、良三師は納得することが出来られず何度も何度もお願いなさいました。あまりにも何度もお願いなされたので、コウ師は良三師と共に御本部まで行かれ、三代金光様にお伺いに上がられたのでした。そして、金光様にお届けなさると、「行かないでよいでしょう。」とみ教え下さったのでした。

★そのみ教えを頂かれた良三師は「三代金光様が仰せになられたということは、神様が仰せになられたということだ。その神様が仰せになられたことに背いて、私が世界中どこへ行こうとも、自分のしたいことをしようとも、お守りを受けることは出来ない。命がなくては何も出来ないことである。神様から守って頂く生き方をさせて頂くには、今このみ教えを守らせて頂くことだ。」と思い分けをなさって、大学へ行くのを断念なさったのです。しかし、それが後になっておかげとなりました。同年代で大学へ行かれた方々は、多くが学徒動員などで軍隊へ徴兵されることになったのです。良三師はみ教えを素直にご自身のものとして頂かれたことにより、外地へ赴かれた際にもお命を三度も助けて頂かれました。

★神様からお守り頂いていることに気付かせて頂き、神様からのみ教えを素直に有難く頂くことを心掛けさせて頂きましょう。

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2016年09月07日

●つもり貯金

 私が小学6年生の頃、二代教会長伊藤コウ師が業務用のバリカンを私に買って下さいました。業務用で丈夫ですので、壊れずに現在まで43年間使わせて頂いております。二代教会長先生は「そのバリカンを使って床屋に行ったつもりで貯金をしなさい。」と仰いました。それは無駄を省くことを教えて下さったのです。「小さなお金を簡単に使わずに、先々大きなお金が必要になったときに使わせて頂けるような人間になりなさい。小遣いばかり使うのではなく、大遣いができるようになりなさい。その為に、つもり貯金をしなさい。床屋に行ったつもり、映画に行ったつもり、旅行に行ったつもり…というようにしたつもりで貯金させて頂きなさい。」とみ教え下さいました。そうして、生活の中で様々な所で無理無駄を省くことを事細かに教えて頂いたことを、有難く思わせて頂いております。

★心身が共に健康な状態が続くということと、経済的に安定した生活を続くということは、容易な事ではありません。我情我欲のままに無理、無駄、ムラのある生活をを続けておりますと、心身も生活も乱れ、壊れて崩れてしまいます。毎月頂いたお給料は、(1)過去への御礼(2) 現在の消費生活 (3) 未来への蓄え (4)冠婚葬祭等の交際費と4つに分け、ご無礼のないように分相応に使わせて頂きましょう。

★『一年に分限者(財産家)になるような心になるな、先は長いぞ、一文二文とためたのはみてる(尽きる)ことはないが、一時に伸ばしたのはみてやすい、神信心をすれば我慢我欲は出来ぬぞ、ぬれ手で粟のつかみ取りの気を持つな、人より一年遅れて分限者になる気でおれ』『おごりがましいことをすな。ものは細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』

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2016年09月06日

●人が助かり、自分も助かる道

熱心なご信者であられた上田喜久子氏が、平成2年にご両親のお世話をさせて頂く為に市内から堺市へ住居を移されることがあられました。ご主人は7人兄弟であり、喜久子氏は「夫は二男だし、私達の夫婦がお世話に行くことは商売もあるし無理だろう…」と思っておられました。

ところが、三代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと「親孝行に行かせて頂きなさい。あなた達が親孝行させて頂けば、4人の子供さんが皆おかげを頂かれますよ。」とみ教えを頂かれたのでした。

喜久子氏は、「両親は80才を越えておられますし、長い間別々に暮らしていたので不安もありましたが、神様が行きなさいと仰ったのですから有難く行かせて頂きます。」と転宅し同居なされたのです。そして常に心中御祈念され、実意丁寧にお世話されたのでした。

★その生活の中で数々のおかげを頂かれたのです。ある日、急にお母様が意識不明の昏睡状態になられ、入院されました。家族が揃ってご信心に励まれ、喜久子氏は、声をかけても反応がない中、お母様が大好きな花の話をしておられたのです。すると段々と回復のおかげを頂かれました。

床ずれになっておられる体を診察して頂いた時に、喜久子氏は、自身の胸のしこりを医師に相談されますと、大きな病院を紹介して下さり、乳癌と診断を受けられ、早期発見して頂かれ無事手術のおかげを頂かれました。

★三代教会長先生は「神様のおかげで今日まで58年間生かして頂いたことをしっかり御礼を申し上げ、これからは御恩に報いさせて頂ける御礼の働きを、今から58年間1日1日させて頂けますように。その為には健康のおかげを頂かなければ出来ませんから、しっかりお願いさせて頂き、今月今日の心で油断なくご信心させて頂きましょう。今日神様に生かして頂き、働かせて頂けることに御礼を申し上げましょう。御礼を申し上げると元気になりますから。」とみ教えを下さったのでした。

★そのみ教えの通りに、喜久子氏は、「少しでも周囲の方々に助かって頂けますように。」と願われ、親切丁寧にたくさんの方々をお導きされました。先日の喜久子氏の20年祭には、ご家族、親戚をはじめ、お導き頂かれた方々が多数参拝され、ご生前中のお礼を申されました。

そして、「現在も喜久子氏に御恩返しがさせて頂ける私にならせて下さい。」とお願いされ、それぞれの信心に励んでおられます。ご家族、お導きなさった方々の心にいつも上田喜久子氏が生き続けておられるのですね。
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2016年09月05日

●未来を開くご信心

 教会の最寄りの東天下茶屋の駅の近くで寿司屋を営んでおられ、結婚後20年経って初めて子宝を頂かれた木下さんというお方がありました。その息子さんが成人された時には、戦後の事で寿司屋が出来なくなっており、「先生、父は亡くなりました。父の跡を継ぎ、商売をさせて頂きたいと考えておりましたが、戦争で出来なくなりました。今はある会社でボイラー炊きの仕事をしております。いつまでもこんなことをしていてよいのか、今している仕事が何の役に立つのか、と疑問に思うのです。私はどうさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお結界でお届けなさったのでした。

★三代教会長先生は「どうぞお父さんのしておられた商売をさせて下さい、と神様にお願いさせて頂きましょう。そして神様から与えて頂いている今の仕事を大切にして、最大限の実意を込めて打ち込んでさせて頂きなさい。ボイラーを炊く仕事と、将来の自分の仕事とは何の関係もないと思い易いけれども、神様から『この氏子の願いなら聞き届けてやろう』と思って頂けるような仕事ぶりになることこそ、実意を込めたお願いとなるのです。」とみ教え下さったのです。

★み教え通りに一生懸命に仕事をさせて頂いておりましたら、「店を持ちませんか?」と声をかけて頂かれ頂かれ、自分の手持ちの資金で買わせて頂くことが出来、看板も自身で書いて準備を整えられましたら繁盛して、さらに目抜き通りの良い場所に、立派な店を持たせて頂くというおかげを頂かれたのでした。

★もし、自分自身に与えて頂いている仕事に不足を言って日々を過ごしていたら、不幸せを生む因になってしまいます。人の仕事がうらやましく思えて、自分の仕事がつまらなく思って「なぜ自分だけ…」と思っていましたら、それは見る方向が間違っているのです。有難いこと・喜ばせて頂けることをしっかりと探させて頂いて「こんなに有難い仕事は他にない」と思わせて頂く稽古をさせて頂くのです。そうして毎日喜んで家業を努めさせて頂きましたら、それが徳積みとなるのです。そして今日の信心が未来を開いていくのです。共々に「家業の行」と心得ておかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年09月04日

●便利な社会になり何が失われたか

『世が開けるというが開けるのではない。めげる(壊れる)のである。』
『今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うている。』

★ある大学の教授は、「私たちが生きる現代の世界に目を向けると、科学技術がもたらす危機的状況が見えてくる。そうした事態を、科学批評作家のニコラス・G・カーは、オートメーション(自動化)やインターネットなどを事例に論じている(『オートメーション・バカ』『ネット・バカ』)。彼によれば、航空機の自動操縦、建築設計用のソフトなど、人間の代わりを務める技術は会社に利益をもたらすが、それを使う人間の能力や創造力を喪失させる方向に働く。また急速に普及するインターネットは、紙のテキストと比較して情報が断片に分けられ、深い読みをもたらさず、私たちの脳を注意散漫な状態にさせる。私たちは、新たな技術により何を得たかだけでなく、何が失われたかを洞察し、行動を選び取る必要に迫られている。」(教学研究会_金光教教学研究所_Konkokyo Reserch Insutitute http://www.konkokyo.or.jp/kyogaku/conference.htmlより抜粋)とお話しされています。

★安全のた為、事故を回避する為、自動運転化が急速に研究され、進められていますが、便利な反面、私たちは便利さを追求することにより神様から与えて頂いている能力を失うことに気付くべきです。また、インターネットを使えば得たいものを早く簡単に探し出すことが可能です。しかし、それは表面的な理解であって本質的な理解にはならないのですが、私たちはそのことになかなか気付くことができません。便利で簡単に情報や知識を得られると思いがちですが、それは実に皮相的なものなのです。本来、学問を身に修めるということは長期に亘って研究をして深く掘り下げることが必要であるはずです。書物等をじっと読み進め、理解するために何度も繰り返し読み直していくものです。

★信心に於いてはなおさらのことです。日参と聴教においても、み教えを一回聴くだけで分かるというものではなく、分かったつもりにならずに何度も頂き直して本質的なところを捉えていくことが大切です。精神世界をとりまく環境もさらに悪化の傾向にあります。じっくりと話を聴き、み教えを頂き、内省して自分を見つめ直す時間の少なくなっていることは逃れようのない事実です。これらの理由に、テレビやインターネット、ゲーム、スマートフォン等があげられます。じっと物事と向き合って努力する精神を失ってはいけません。注意散漫では本当に見なければならないことを見られなくなってしまい、本当に聞かなければならないことを聞けなくなってしまいますね。じっと深く考えることを心掛けていきましょう。

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2016年09月03日

●有難いおかげと神様からのお気付け

 あるご信者宅で、31日の晩10時頃から、1日の朝迄の間に家に泥棒が入ったそうです。そのご信者は二階で休んでおられたそうですが、朝起きて朝参りをさせて頂こうと一階へ下りられますと、何か様子がおかしいことに気付かれました。

★早速調べられますと、裏口のガラス戸が、15センチ角ぐらいに切られて外側に置いてあったそうです。土足で家に侵入した形跡があり、二階の寝室の前まで足跡が付いていたということです。すぐに、何か盗られたものがないか調べられますと、一銭の被害もなく、ご信者自身何も危害を加えられなかったのは大変有難いことでした。そして、警察の方に連絡されて事情聴取を受けられた時に話を聞かれますと、なんとその日は6件の被害届があったそうです。そのうちの一件は、なんと200万円も盗られたお家があったというのですから油断は禁物ですね。

★早速お届けに来られ「この度は大変有難いおかげを頂くと共に、神様からお気付けを頂きました。一人で寝ておりましたが、何の被害もなく、また危害を加えられることもなく、ご都合お繰り合わせを頂いたことは大変有難いことでした。ましてや寝させて頂いている間の出来事で恐い思いをすることもなく、おかげを頂きまして有難うございました。しかし神様からお気付けを頂き、日々お礼の足らない生活になっていたことを改まる機会を頂いたと感じております。これからしっかりと改まったご信心をさせて頂き、お徳を積ませて頂けます様に。」とお礼とお詫びを申されたのでした。

★私たちも毎日の生活の上で、災難との取り組みもあれば、病気との取り組み、或いは仕事との取り組み、人間関係の取り組みなど様々な課題を与えて頂くことがあります。それをご信心を元にしておかげを頂いていく生き方をさせて頂いておりますと、ご都合お繰り合わせ頂き、大難は小難に、小難は無難におまつり替え頂くことが出来るのです。日々のご信心が盗人より勝りますと、「この家には何か入りたくないな…」と盗人から恐れられるような家にならせて頂けます。家に入る時も帰って来た時も常に心中ご祈念をさせて頂いておりますと、ご祈念のこもったお土地やご祈念のこもったお家になり、様々な災難から身を守って頂く事が出来るのですよ。

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2016年09月02日

●お役に立つ信心

 昭和36年、熱心なご信者であられた溝口氏が住んでおられたご近所の方の息子さんが、京都の大学でアメリカンフットボール部に所属しておられ、試合中に相手の選手と激しくぶつかって、その場で意識不明の状態に陥ってしまったのです。放心状態となられたお母さんが、溝口氏にそのことを打ち明けて話されました。溝口氏は、助かって頂きたい一心で、その青年に代わって代参をされ、青年の名前と干支と年を書いて、毎日お届けされたのでした。お結界の先生より「しっかりお願いさせて頂きましょう。日々の容態をお届けさせて頂きましょう。」とみ教え頂かれました。

★なんと、京都の大学病院で2ヶ月間も昏睡状態が続いたところを、青年は有難いことに意識を取り戻すおかげを頂かれたのでした。意識が戻った青年は開口一番、「黒い着物を着た丸刈りの方に御恩返しをしなければ」と話されたそうです。その後、溝口氏は京都まで通われて、御洗米を届けられました。青年は何も口から頂けなかったようですが、御洗米だけは頂くことが出来られ、徐々に快方に向かい、麻痺をしていた身体も回復され、無事退院のおかげを蒙られたのでした。

★溝口氏は、一年後の御本部の春の御大祭にその青年をお導きされて、三代金光様のお出ましを一緒に拝まれました。すると、初めて三代金光様のお姿を拝まれた青年は、「入院中に、お夢の中に出てこられたお方や。」と言われたのです。溝口氏の一心のお願いがお結界の御取次ぎにより、御本部の三代金光様まで届いて、青年の夢の中に三代金光様がお出まし下さり助けて下さったことは真に有難いことでした。その後、青年は立派に社会人になられ、結婚後にお子さんも頂かれ、50年以上も経った現在も、頂いたおかげを忘れることなく、阿倍野教会の御大祭や総会にお参りなさって、お礼のご信心を続けておられます。

★『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』周囲の方が助かって頂けるような信心をさせて頂くことが、御神徳を頂ける元となります。(喜びとおみちびき・お役に立つ信心)

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2016年09月01日

●喜びに満ちた生活をしてお徳を頂く

 伊藤の家は、コウ師のご母堂ハル氏が入信される前は夫婦がケンカばかりしておられたそうです。ハル氏が入信されてからは一切ケンカをしないようになさり、徹底して信心に基づいて改まった生活をされたのでした。ただケンカをしないようにするということだけでは、めぐりは積みませんがお徳を頂くことには及びませんので、喜びとおみちびきの生活をしてお徳を頂けるよう稽古に励まれたのです。

★カツ氏(コウ師の上の姉)は脊椎の病気と肺病を患われました。手足に力が入らなくなり、食事も喉を通らない状態になられたとき、伊藤の家は勢信心にならせて頂くおかげを頂かれたのでした。そして、スエ氏(コウ師の下の姉)は腎臓病と心臓病を患われ、コウ師は13才の折に肋膜炎と腹膜炎を併発なさいました。ハル氏はこのような通常ならば喜べないことも、「このことを通してめぐりを取って頂くのだ!これが信心を進ませて頂く材料となる、神様から与えて頂いたご修行だ!有難いことだ!」とお礼を申して喜ぶよう心掛けておられたのです。

★ハル氏は70歳になられたとき、娘さん3人を上座に座らせ下座から手をついて、「お前たちのおかげです。一難去ればまた一難と、次から次へと皆が病気を患い、いろいろと問題を起こしてくれました。そのおかげで私の信心は70歳まで続かせて頂きました。今では有難うて有難うてなりません。こんなに結構になりました。お前たちのおかげです。ありがとうございました。」とお礼を申されたのでした。

★それぞれの家にも身にも様々なめぐりが積み重なって存在します。それが山のように積まれているとして、いっぺんにめぐりが出てしまえば家が絶えたり、命を落としてしまったりということにもなりかねません。しかし、有難いことに神様は少しずつ一番軽い形で事が起こるように計らって下さっているのです。だから、何か都合の良くない事が起こったときでも「ありがとうございます。軽く済まして頂いております。」とお礼を申し上げ、喜ぶことが大切なのです。日々信心の向上に励み、お徳の貯蓄が出来るよう、出来てきたことを全て喜びに変えていき、周囲の方々を良い方向へ導くことの出来る有難い生活になるよう心掛けましょう。

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