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2016年07月07日

●ご慈愛に満ちたお取次ぎがあってこそ…

 教祖様ご在世中の御頃のことです。教祖様のお広前の近くに、目の不自由なおばあさんが住んでおられました。そのおばあさんは、お広前にお参りされ「何とか目が見えますように」と一心に願われました。教祖様も、天地の親神様にご祈念なさってお願いされますと、何と晴眼のおかげを頂かれたのでした。そのおばあさんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後にそのおばあさんの目が見えなくなってしまわれたのでした。そこでおばあさんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで教祖様も天地の親神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。おばあさんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、そのまままた信心が止まり、普通の生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。そこで、教祖様は天地の親神様にお願いされますと、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのでした。しかし、教祖様は「私が代わりにお詫び申させて頂きますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」と代わりにお詫び申されて、お願いなさったのでした。

★このお話は、決して他人事ではなく、私たちも同じようなことが毎日の生活で起こり得ることだと感じます。夫々に神様にお約束を申し上げて、お願いを立てて進ませて頂きながら、それを守り通すことができないことがあります。そこを氏子の立場に立って神様に取り次いで下さる、慈愛に満ちたお取次ぎのお働きがあってこそ、私たちは夫々におかげを頂いているのです。常に「今の自分自身の行いは、神様の目からご覧になって神様のお心に適う生き方になっているだろうか?」と自問自答しながら日々の生活を進めさせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:56 | 平成28年の「み教え」