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2016年07月31日

●過去・現在・未来を通しておかげを頂く

過去・現在・未来を通しておかげを頂いていくためには、めぐりをお取払い頂かねばなりません。先祖代々からの、知らず知らずにご無礼を重ねてきたお詫びを申し上げることを日々重ねさせて頂きましょう。そして永年に亘って神様にお許しを頂き、おかげを頂き続けておりますことを御礼申し上げ、さらに「日々信心させて頂きますから、めぐりをお取払い下さい。」と実意丁寧にお願いさせて頂くことによって、次第にめぐりをお取り払い頂くことが出来るのです。

★『昨日を忘れ 今日を喜び 明日を楽しめ』とみ教え頂いておりますが、なかなか過去を忘れることが出来なかったりするものです。過去は変わらないのに「あの時こうすればよかった…」等と考えてしまうこともよくあります。また自分の生まれる以前の先祖の身の上ことも知ることも出来ておりません。しかし過去のことは神様におすがりして万事お任せすれば良いのです。今月今日の信心を一生懸命にさせて頂きましたら、過去一切が救われていくのです。そこを分かって信心をさせて頂けば過去から離れることが出来る、すなわち昨日を忘れることが出来るというご意味です。

★今日一日、今日一日信心に基づいて一心に目の前のことに打ちこんでいくことを一生懸命させてもらい、今日生命を頂いていることを喜んで明日を楽しんでお願いをさせて頂きましょう。今日という日は過去一切を含んだ今日なのです。また今日の生き方、今日からの生き方というものによって未来を良き方向へ導いてゆくことも出来るのです。ですから今日という日ほど大切なものはありません。今日生命を頂いていることにお礼を申し、出来ることを一生懸命させて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年07月30日

●神様のお手伝いをさせて頂くつもりで

 「御礼に働かせて頂く」とか「世のため人のために働かせて頂く」ということは極端な様に聞こえるかもしれませんが、実に大切な根本の考え方です。「自分が食べるため、自分が生きるために仕事をしている」という考えは勿論一部分では正しいのですが、それだけでは、立ち行かなくなっていきます。ほとんどのことを神様にして頂き、様々な方々のお世話になっておきながら、そのことを自覚しない生活になってしまいますとだんだんと驕りが出てきてしまうのです。

★神様のお働きは大変大きなものであります。氏子が「その一部分でもお手伝いさせて頂けますように…。」と願い、仕事をしていると神様は喜んで下さいます。私たちが出来ないことは神様がして下さり、神様が出来られないことは私たちがさせて頂くのです。例えば、神様は命を授けて下さいますが、人(子)をお産みになることはありません。人が人(子)を産み、神様が様々なお恵みを与えて下さってお育て下さいます。人は神様のお手伝いをさせて頂くつもりで子供を養っていくのです。

★また、神様は何十万年、何千万年もかけて鉱物、石油等を作り出して下さり、大地を肥やし、木々を生育させて下さいます。人は神様がお作りになった原材料を使わせて頂いて様々な産業を営ませて頂いているのです。各産業では精製や加工を行い、製品を作っていきますが、ついつい人間の力だけでできている様に勘違いをしてしまいます。

★何もかもを神様に与えられていながら、その有り難さを感じずに生活してしまうと、御無礼不行届きとなって身体あるいは仕事に表れてきます。信心をさせて頂いていると、神様に御礼を申し上げる生活が出来、天地に対する慎みの心が育ち、日々有り難さを分からせて頂くことができますから結構ですね。「万分の一でも神様のお心に添い奉るような生き方ができます様に。」とお願いさせて頂きましょう。
『神様の氏子らしくならせて頂くのが信心である。』

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2016年07月29日

●神様・御霊様に心を向ける稽古

 故・加川一夫先生(元在籍教師)の御母堂であられる加川たつの氏は、大変熱心なご信者であられ、ご信心の有り難いことを常日頃から家族にお伝えになっておられました。さらに「私がお国替えしたら、信心させて頂くと何と不思議なことがあるか、ということを見せます。」と、いつも口癖のようにご家族に仰っておられたそうです。

★たつの氏がお国替えされた翌月、昭和62年2月の末のことです。10年ほど前に購入していた白梅の鉢植えに、一枝にだけ紅梅の花が咲いたのです。お孫さんのお嫁さんである古澤氏がたつの氏の夢を見られ、夢で梅のことを尋ねられますと、たつの氏は「あの花は私が咲かせました」と仰ったそうです。

★古澤氏の家族は、8坪の2階建ての自宅に住んでおられました。たつの氏はご生前中より「朝に隣家の前の道路のお掃除をして、隣の家が購入させて頂けるように毎日お願いしなさい」と教えておられましたので、古澤氏はその通りになさっておられました。するとたつの氏がお国替えなさった半年後、先方から「あなたに土地家屋を購入して頂きたい」と言って来られたのです。その後、お嫁さんはたつの氏の夢を見られ「おばあさん、隣の家を買って欲しいと仰っています」と話されますと「おかげを頂きましたね」と言われたそうです。しかし先方に返事を渋っておられると、また夢の中にたつの氏が出てこられ「早く決めないとこうなります」と言われ、隣家が無くなっており隣は絶壁で暗闇になっている夢を見られたのです。慌てて次の日に購入の返事をされると、また次の日の夢にたつの氏が出てこられ、はっきりと4桁の数字が表れ、後日先方から提示された土地の金額と全く同じだったそうです。そして無事にお土地購入のおかげを頂かれたのです。

★こちらが神様・御霊様に常に心を向けておりますと、時間も空間も超えてお働き下さるのですね。神様、御霊様からのお知らせを受け取らせて頂けるように、御祈念をしっかりさせて頂き、心を神様に向け、受け物を作らせて頂きましょう。

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2016年07月28日

●信心の地を肥やす

 植田氏は幼少の頃より大変身体が弱く、心臓脚気(脚気衝心)を患い、その全快のおかげを頂きたいと一心に願われてご信心を進められ、病気根切れのおかげを頂かれたのでした。

★植田氏は有難さに、神様と生涯の約束を3つされました。「1、生涯日参をさせて頂きます。2、絶えず喜ぶ稽古をします。3、毎日の食事は2食に致します。」と決められ、ご修行に励まれたのです。日参は文の里より、また転宅後は甲子園から続けられました。6人の子宝を頂かれましたが、出産の前日まで参拝され、産後20日間は代参をたてられるという徹底したご修行をなされたのです。そして計64年間参拝を続けられたのでした。

★ある時、ご主人が工場で鉄板が倒れてきて右手親指が皮一枚残して骨も神経も切れてしまわれました。医師は「とても治りません。」と言いながらも一応手術して下さったそうです。植田氏は「体裁が悪いので、どうぞ形だけでもくっつけて頂けますように。」とお届けなさいました。

★すると、二代教会長伊藤コウ師は「そんなお取次は出来ません。形だけの指なら木でもセルロイドでもひっつけときなさい。天地を丸生かしになさる親神様の御神徳を汚し奉るようなお願いは出来ません。元通りしっかり働きの出来る指にして下さい、というお願いならお取次させて頂きましょう。」と厳しくみ教えを下さいました。そのみ教えによって改まってご主人のそばで夜通し御祈念させて頂かれますと、痛みがなくなり、医師が驚くほど血管も神経もつながって後に全快の大みかげを頂かれたのでした。

★私達の生活で、いつ何が起こってくるか分かりません。その中で大難を小難に、小難を無難におかげを頂いてゆくためには、常から信心の地を肥やしておかねばならないのです。お徳を積ませて頂きますと、いざという時に神様が足らないところを足して下さり、おかげを授けて下さいます。地を肥やすことと信心の根張りをよくすることを心掛けさせて頂きおかげを蒙らせて頂きましょう。

★『とかく信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。』

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2016年07月27日

●ご恩返しの働き

 竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。

★竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。その時、親戚の中に金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。今17〜8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。

そうして皆さんが、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて命を助けて頂かれる大みかげを頂かれたのでした。そこで竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教えを頂かれ、御礼に日参なさるようになられたのが、信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時の事、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく「京都の竹本さん、ようお参りでした。」とお言葉をかけて下さいましたので、竹本師は驚かれ感激されました。その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。それからの後半生は良しのぎの出来る体に作り変えて頂かれ、自ら働いてその利益によって、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。また、信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に。」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。

★ご恩を知って、神様やご先祖の願いに添う生き方に務めさせて頂いておりますと、心も体も自由自在に使わせて頂くことが出来るのです。毎日、手も足も自在に使わせて頂いていることにお礼を申し、そのお礼に少しでもお役に立つ働きに務めさせて頂きましたら、どれほど有難い生き方になるでしょうか。

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2016年07月26日

●信心を基に仕事をさせて頂く

樋口氏は、お父様が信心を基にしてプロのカメラマンをなさってこられ、それを習い同じカメラマンの仕事をされています。

★そのお父様が開業なさる時のことです。二代教会長伊藤コウ師より、「これから百日朝参りをして、それから独立開業しなさい。」と、み教えを頂かれました。お父様は結婚する前、「私は無神論者で一生通すつもりだ。」と言って信心をなさっておられませんでしたが、お母様との交際中に共に教会にお引寄せ頂き、コウ師にお取次ぎ頂き、み教えを頂いて一段一段信心を進められ、一人前の写真家として認められてゆかれるのでした。

★開業した初めの頃、仕事を頂くときに、入札で他社と同額となって競合するところがありました。その折に、コウ師から「相手にその仕事を譲りなさい。」とみ教えを頂かれたのでした。仕事を頂きたい者からすると、聞き入れ難いお言葉でありますが、お父様は百日間の朝参りをして、み教えを頂く受け物ができておられましたので、素直にみ教えを守り、その仕事を譲られたのでした。

すると、競合相手の仕事の出来具合に対する評価が悪く、依頼者に納得されなかったため、一度他の会社に譲った仕事が戻ってきたそうです。これがおかげを頂く元となり、それから実意丁寧に仕事をなさって多くの方々に信用して頂けるようになられ、繁盛させて頂かれたのでした。

やがて、公の機関から仕事を請け負うようになり、航空写真を撮られますと、「この方の写真は群を抜いている!」と喜んで頂かれるほどの腕前となられたそうです。我欲を抑えて信心を基に仕事をさせて頂くということは大事なことですね。

★人に信用して頂き、神様に信用して頂き、お徳を頂くためには我情我欲と不成心を取り去っていく必要があります。相手があり、お互いお世話になり合っての生活でありますから、自分の思いだけで物事を進めようにも成り立ちません。また、相手が悪い心で来てもこちらは良い心であり続けられるよう、心の修行を進めていきましょう。
『打ち向かう者には負けて時節にまかせよ』

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2016年07月25日

●裏の御用があるからこそ…

 昨日は、天候・気象を初めとして全てに於いて万事万端ご都合お繰り合せを頂きまして、教会内外の夏の大掃除をさせて頂きました。大勢の御用奉仕を頂きまして、お広前や掛け出しの畳も全て上げて天日干しをさせて頂くことが出来、怪我過ちなく行届いてお礼のお掃除をさせて頂くことが出来ましたことは、真に有り難いことでございます。皆様の御用奉仕のおかげと心から厚く御礼申し上げます。

★大掃除の御用の中には、表の御用もあれば、裏の御用もあります。裏の御用というのは、数日前から朝食のお下がりの準備や大掃除に向けての準備をして下さっている方々がおられます。そういう方々の御用があればこそ、表の御用が成り立ち、スムーズに御用がさせて頂けるのです。

★伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)は、お国替えなさる73歳まで、毎日台所の御用を一手に引き受けられ、大勢の人の炊事一切を紋付、羽織、袴にたすきがけという格好で御用なさっておられたのです。ハル氏は「お広前の先生方は皆、紋付、羽織、袴を着て御用をされる。その先生方が御食事をなさって元気が出て、御説教もでき、御宅祭にも行かれます。その大事な御用をされる方々の食事を作るのが私の役目ですから、奥の台所の御用をさせて頂く時にも紋付を着てさせて頂くのです。」と仰られ、御用される方々の事を思われ、裏の御用を引き受けて責任を持って心配りをなさいました。

★それぞれの家庭でも仕事でも、表の働きと裏の働きがあります。その裏の働きがあるからこそ、表の働きがさせて頂けるのです。また、自分一人の力だけでは到底させて頂けないようなことも、周囲の方々のお世話になってさせて頂けるのです。四代金光様は『世話になるすべてに礼を言う心』というみ教え下さっています。「相手の心になる」事を心掛け、実意丁寧にさせて頂くことにより、そこに神様が生まれ、助かりと立ち行きの世界が生まれてくるのです。

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2016年07月24日

●稽古を積み重ねる 

 今日は、教会内外の夏の大掃除をさせて頂きます。信行期間中の大掃除です。有難く喜びに満ちて御礼の大掃除をさせて頂きたいと願わせて頂きます。

★二代教会長伊藤コウ師は、「早く・きれいに・丁寧に」と常々み教えを下さいました。その「早く・きれいに・丁寧に」とは、全てを実意・丁寧にさせて頂くということです。しかし、早さばかりを追求しますと、丁寧さに欠けたり、イライラして仲たがいが起きてしまったりします。全てにおいて、実意・丁寧にならせて頂くには、どのようにさせて頂いたら良いのでしょうか。

★例えば、荷物の梱包を解く際に、早くしようとすれば、紐を切り、紙を破れば早く解くことが出来ます。しかし、それでは物に対して実意・丁寧とはいえません。反対に、紐や紙を再利用できるように丁寧にしようとすれば、時間がかかります。この両立は大変難しいことです。どちらも両立させるためには、稽古が必要です。反復練習を積み重ね、段々と上達してゆくことが大切なのです。

★平成23年の青年会学生会例会で、小池先生が「稽古を考える」というご講演をして下さいました。その中で、稽古の「稽」には考えるという意があり、「稽古」とは「古きを考える」という意味があるそうです。古きを考え、正しく規正してゆくということであり、中国では「練工夫:工夫を練る」というようです。最初は、型を真似ることから始まり、次第に心を練ってゆくことに繋がります。技・気・心を練ることにより、自然と行えるようになってゆくのです。

★教会の大掃除も毎年、当日までに段取りの打ち合わせをさせて頂き、また終了後には反省会を持たせて頂いて、改まるべき点や新たに工夫させて頂く所をみなで考えさせて頂いております。そのおかげで、年々充実した内容にならせて頂いており、大変有難いことと御礼申しております。回数を重ねるごとに洗練させて頂くためには、稽古を積み重ね、心を鍛えることが大切であるのですね。

★蔵・修・息・遊
(1)蔵…知識も教養も次々と蔵に納めるつもりで、学ぶ。
(2)修…ただ知識として知っているだけではなく、身に修め離れないものにしてゆく。
(3)息…息をするが如く、自然に無意識のうちに行えている状態にならせて頂く。
(4)遊…遊びの境地で嬉しく、楽しんでさせて頂く。

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2016年07月23日

●根気強く努力する

 細菌学者の野口英世博士が梅毒ウイルスを発見された時、10000枚の標本を用意され、毎日根気強く見続けられた結果、9996枚目で発見出来たそうです。その後に最初から見直しますと、全てにそのウイルスを見出すことが出来られたということです。今まで断片的に黒い点としか見えていなかったものが、何度も見続けることにより、立体的に頭の中に浮かび、それが梅毒ウイルスであることが分かられたのです。根気強く継続なさるその熱意が、大きな発見が出来られた元だと思わせて頂きます。京都大学総長であった方が、「根気強く続けてゆくということは、不可能を可能にする。野口英世は天才ではないが、尊い鈍才、恐るべき鈍才である。超人的な努力家である」と称されました。

★続けるということは容易な事ではありませんが、やり抜こうとする根気と実行が不可能を可能にしてゆくのですね。み教えも一回聴かせて頂いて、すべてを理解するということは難しいですが、日々み教えを頂き直すことにより、だんだんと奥深く程度の高いところまで理解できるようになり、全体像が見えてくるのです。毎日毎日のたゆまぬ努力がなければ、新しいものを生み出すことも練り出すことも出来ません。それぞれにお願いしていることに対して「必ず成就する!」と思って、あきらめずお願いをし、根気強く最大限に努力させて頂くということが、人間を進化させ、新しいものを見出すことが出来、お願い成就につながってゆくのです。

★人間が退化する因(ノーベル生理学・医学賞受賞 アレキシス・カレル)
1)飲食をむさぼる。
2)他を誹謗中傷し、嘘をつく。
3)二心を抱く。信頼を裏切る。
4)つじつまの合わないことを強引に言いくるめようとする。
5)口先上手で、余計な事ばかり話す。
6)愚にもつかない放送を見たり聞いたりする。等・・。
これらは、人間を自滅してゆく人生になってゆきます。与えて頂いている仕事や御修行から逃げずに、み教えを基に真正面から受け止め、一段と努力させて頂いて、責務を果たさせて頂きましょう。

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●根気強く努力する

 細菌学者の野口英世博士が梅毒ウイルスを発見された時、10000枚の標本を用意され、毎日根気強く見続けられた結果、9996枚目で発見出来たそうです。その後に最初から見直しますと、全てにそのウイルスを見出すことが出来られたということです。今まで断片的に黒い点としか見えていなかったものが、何度も見続けることにより、立体的に頭の中に浮かび、それが梅毒ウイルスであることが分かられたのです。根気強く継続なさるその熱意が、大きな発見が出来られた元だと思わせて頂きます。京都大学総長であった方が、「根気強く続けてゆくということは、不可能を可能にする。野口英世は天才ではないが、尊い鈍才、恐るべき鈍才である。超人的な努力家である」と称されました。

★続けるということは容易な事ではありませんが、やり抜こうとする根気と実行が不可能を可能にしてゆくのですね。み教えも一回聴かせて頂いて、すべてを理解するということは難しいですが、日々み教えを頂き直すことにより、だんだんと奥深く程度の高いところまで理解できるようになり、全体像が見えてくるのです。毎日毎日のたゆまぬ努力がなければ、新しいものを生み出すことも練り出すことも出来ません。それぞれにお願いしていることに対して「必ず成就する!」と思って、あきらめずお願いをし、根気強く最大限に努力させて頂くということが、人間を進化させ、新しいものを見出すことが出来、お願い成就につながってゆくのです。

★人間が退化する因(ノーベル生理学・医学賞受賞 アレキシス・カレル)
1)飲食をむさぼる。
2)他を誹謗中傷し、嘘をつく。
3)二心を抱く。信頼を裏切る。
4)つじつまの合わないことを強引に言いくるめようとする。
5)口先上手で、余計な事ばかり話す。
6)愚にもつかない放送を見たり聞いたりする。等・・。
これらは、人間を自滅してゆく人生になってゆきます。与えて頂いている仕事や御修行から逃げずに、み教えを基に真正面から受け止め、一段と努力させて頂いて、責務を果たさせて頂きましょう。

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●根気強く努力する

 細菌学者の野口英世博士が梅毒ウイルスを発見された時、10000枚の標本を用意され、毎日根気強く見続けられた結果、9996枚目で発見出来たそうです。その後に最初から見直しますと、全てにそのウイルスを見出すことが出来られたということです。今まで断片的に黒い点としか見えていなかったものが、何度も見続けることにより、立体的に頭の中に浮かび、それが梅毒ウイルスであることが分かられたのです。根気強く継続なさるその熱意が、大きな発見が出来られた元だと思わせて頂きます。京都大学総長であった方が、「根気強く続けてゆくということは、不可能を可能にする。野口英世は天才ではないが、尊い鈍才、恐るべき鈍才である。超人的な努力家である」と称されました。

★続けるということは容易な事ではありませんが、やり抜こうとする根気と実行が不可能を可能にしてゆくのですね。み教えも一回聴かせて頂いて、すべてを理解するということは難しいですが、日々み教えを頂き直すことにより、だんだんと奥深く程度の高いところまで理解できるようになり、全体像が見えてくるのです。毎日毎日のたゆまぬ努力がなければ、新しいものを生み出すことも練り出すことも出来ません。それぞれにお願いしていることに対して「必ず成就する!」と思って、あきらめずお願いをし、根気強く最大限に努力させて頂くということが、人間を進化させ、新しいものを見出すことが出来、お願い成就につながってゆくのです。

★人間が退化する因(ノーベル生理学・医学賞受賞 アレキシス・カレル)
1)飲食をむさぼる。
2)他を誹謗中傷し、嘘をつく。
3)二心を抱く。信頼を裏切る。
4)つじつまの合わないことを強引に言いくるめようとする。
5)口先上手で、余計な事ばかり話す。
6)愚にもつかない放送を見たり聞いたりする。等・・。
これらは、人間を自滅してゆく人生になってゆきます。与えて頂いている仕事や御修行から逃げずに、み教えを基に真正面から受け止め、一段と努力させて頂いて、責務を果たさせて頂きましょう。

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2016年07月22日

●おかげ日を大切に

7月20日にあるご家族が、「今日は我が家の命のおかげ日です。」とお礼のお届けされました。

★ご主人は、電気工事の仕事をされていました。今から28年前の昭和63年7月20日、電線を入線中に220Vの電圧線に接触し、感電してしまわれたのです。15分間心肺が停止し、救急搬送して頂いた病院で心臓マッサージを受けられ心肺も動き出しましたが、意識不明の重体となられたのでした。

医師からは、「このまま意識が戻らなければ命の危険があります。また、意識が戻っても重い後遺症が残る可能性があります」との診断を受けられました。それでもご家族は諦めることなく神様におすがりなさり、奇跡的とも言える回復のおかげを頂かれ、二週間で退院させて頂かれました。

★しかし、記憶障害の後遺症がしばらく続き、時々痙攣も起こり、思うように働けない日々が続かれました。一年前に自宅を新築したローンもあり、子供二人はまだ小学生でした。不安と苛立ちから、ご主人は3度も自殺未遂を計り、奥様はとにかく今日一日、今日一日を無事に過ごさせて頂けるよう神様に必死でおすがりなさり、気の抜けない日々を送られました。

★そうした日々を積み重ねられて、13年後、労災の医療補助を受けるのを止めて欲しいと、労働基準監督署から連絡がありました。奥様が、言われた通りに手続きをなさいますと、代わりに会社から補償金を出して頂けることになりました。

それと同時期に、借地であった自宅の土地が、以前の半値で売りに出されることになり、無理なく購入させて頂ける大みかげを頂かれたのです。

★事故当時は、小学生だったお子さんも、それぞれ独立して家庭も持たれ、ご主人は事故を機に正社員となって厚生年金に入れて頂いたおかげで、退職後も安心のおかげを頂かれました。後で振り返ってみますと、すべてがおかげの中に、有り難い方向に導いて頂いたことを実感なさったということです。事故から28年経った今日ではお孫さんも頂かれ、繁盛のおかげを頂いておられます。

★皆それぞれに「おかげ日」というものがあります。もしそのおかげを頂いていなければ、人生が大きく変わっていたかもしれませんし、今の自分の生活は成立しないかもしれません。つまり、おかげ日を忘れることは、自分自身を忘れるも同然なのです。

しかし、普段の忙しい生活に追われ、そのおかげを忘れたかのような生き方になってしまいがちです。これまで自分自身や家族に頂いてきたおかげを忘れず、有難さを忘れずに、御礼に満ちた生活をさせて頂くことが大切ですね。

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2016年07月21日

●真のお詫び、真の改まり 

 先日、16日の婦人会例会でおかげ話をなさった松本氏は、以前に医療事務のお仕事をなさっておられたのですが、その職場で大変厳しい看護師さんがおられたそうです。部署内の関係も悪く、会話もほとんど無い状態でした。その方には仕事上必要最低限なことを聞いても答えてくれず、また問題が起きると全て松本氏の責任にさせられ、さらに患者さんの前で必要以上に怒鳴られる等、毎日耐え難い気持ちで出勤なさっていました。

★ある日の朝参りで、三代教会長先生のお説教の中で『自分のことになってくると仲々わからぬものじゃが、そういう時には、金光様はどうなさったじゃろうか、どうなさるじゃろうか、おかげを蒙っておる者はどうしたらよいじゃろうか、と考えたらすぐに合点がゆく。』というみ教えを拝読され、そのみ教えを聴かれた松本氏は、ふと「前の親先生ならどう考えられるだろうか」と考えられました。早速すがる思いで伊藤コウ師教話集を開かれますと、パッと心に残る文字が目に飛び込んできたのでした。

1つ目が「心配り」という文字であり、「私は心配りが足らないのだ」と気付かれたそうです。次に「覚悟」という文字が目に入り、「現在与えられている環境でやっていこうという覚悟が出来ていないのだ」と気付かれ、昨日まであんなに悩み苦しんでいたのが、このみ教えによって心が定まり、同じ事をされても捉え方が変わってきたのでした。そしてそれをお願いに変えられ、そこからその方に対して一心に心配りをされて仕事をなさったのでした。

★すると三年後、その方が定年退職されるとき「あなたのような人と一緒に仕事が出来て良かった」と言って下さるまでに関係は改善されたのです。また、他の部署の看護師さんから「あなたはあれだけひどいことを言われたのに、よく許す心になれましたね」と言われたのですが、松本氏は「許すとかそんなことは全く思わず、この方のおかげでお取次ぎを頂いてみ教えを頂くことに真剣になることが出来て、この方は私にとって恩人だと思わせて頂けるようになっておりました。」と話されたのでした。さらに、その厳しい看護師さんに認めて頂いたおかげで先生方からも信頼され、病院内でも一番円満な部署に変わっていかれたということです。

★心の底から「自分自身が至らないなあ」と悟らせて頂きますと、真のお詫びが出来てゆくのです。そこから真のお礼が申せるようになり、そしてそれが真の改まりに繋がってゆくのです。そのような心持ちにならせて頂きますと、人に対して「あれもこうしてくれ、これもこうしてくれ。」と周囲の人にばかり求める「してくれ病」「くれない病」には決してなりませんね。今与えて頂いている環境を喜び、覚悟を持って「自分自身の役割を全うさせて頂けますように」とお願いしておりますと、一段一段進ませて頂くことが出来るのです。


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2016年07月20日

●不自由や難儀が起こるもと 

 先日、ある奥さんが「主人を怒らせてしまいました…」とお届けされました。[主人が家族の為に時間を割いて一生懸命にしてくれていたことに対して、「もっとこうしてほしい、ああしてほしい」と注文をつけてしまいました。主人は、その注文を聞いてくれましたが、その後に「これからはもうしない!」と言って怒ってしまいました。いつも、してもらうことが当り前だと思っていた私は、自分が御礼の足りていなかった事に気付いていませんでした。しかし、「もうしない!」と言われて初めて気付くことになりました。よくお説教で『御礼の心が足りない』とみ教えを聴かせて頂いておりましたが、自分自身がお世話になっているご恩が分かっていないこと、御礼が足りていないというのはこういう事なのだと、よく分からせて頂きました。]とお詫びを申されたことでした。

★このお話は、他人事ではありません。私達は日々の生活の中で、人様に辛抱して頂いていること、許して頂いているということがたくさんあるように思いますが、そのことへの御礼が平素申せているでしょうか? 二代教会長伊藤コウ師は、あるご信者に、「あなたの御礼の心は小さいなあ。顕微鏡で見ないと見えないような、小さな小さな御礼の心では情けないですよ」とみ教え下さったそうです。現在もその事を思い出して、そのご信者は「40年以上も前に頂いたみ教えですが、未だ私の御礼の心はまだまだ小さいことを申し訳なく思っています。一番大切なことでありながら、私の分かっていなかったところを教えて頂いたことは、有難いことでした」とお礼とお詫びのお届けをなさっておられます。

★誰しも信心に至らない部分があり、日々頂いているおかげに対してお礼の心が足りていません。御礼が足らないから、不自由や難儀が起こってくるのです。自分自身の御礼の足らないことを横に置いておいて、主人が…子供が…と、人のことばかり言っていてはおかげになりませんね。「自分は出来ている!」という考えから、「私ほど御礼の足らない者はない」という謙虚な姿勢に変わらせて頂き、御礼の申せる私達に成長させて頂きたいと願わせて頂いております。

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2016年07月19日

●出来てくることを皆おかげにさせて頂く信心

 あるご信者さんは、先日ご主人の転勤が決まられ、それに伴って家族で関西から関東へ転居することとなられました。そのことについて、「家族それぞれが新しい環境に慣れさせて頂けます様に。子どもたちが良い先生と出会い、良い友達ができます様に。」と、御結界でお願いなさっています。このお方は大学院を出られ、資格を取られて、これまで勉強や仕事を真面目に一生懸命なさってこられましたが、この度、ご主人の転勤という異動により、思いもよらぬ変化に対応を余儀なくされることとなりました。しかしこのことは、新しい環境で新しくおかげを頂いていく、という有り難いご修行となるに違いありません。

★『難はみかげ』と三代金光様はみ教えをくださっています。人生は慣れ親しんだことばかりが、延々と続くということはなく、どこかで変化が求められます。それに対応するだけの、徳と力を頂いていくということが、幸せな生活を生み出していきます。「なぜ私ばかりこのような目に遭うのか」と思うのではなく、どんなことも「出来てきたことは、皆おかげにさせて頂く」という信心を進めさせて頂く決心が大切です。自分自身の都合で物事を考えて「これは良いこと。これは悪いこと。」と決めつけないことです。心を神様に向け、「これも必要だからこそ私たちに与えて頂いたこと!」「あれもおかげにさせて頂こう!これもおかげになるに違いない!」と思えるように器の大きな人間にならせて頂き、ひとつひとつに御礼を申すことができれば、より一層信心が進ませて頂けるのですね。

★『おかげを受けて御信神が進んでいくとはいうても時々おさらいをさせられるぞ』私たちは、信心が年々歳々向上させて頂くことを願いますが、だんだんと進ませて頂くと、時々神様から信心のおさらいをさせられることがあるというみ教えです。色々なことが出来てくる時こそ、それによって自分自身の状態を分からせて頂くことができるよい機会です。大切なことは、年齢を問わず、「さぁ今からおかげを頂こう!」という心持ちでお願いさせて頂くことですね。そのような心で生涯かけてご修行させて頂きましょう。

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2016年07月18日

●信心辛抱のお徳・御用のお徳を積み重ねる

昨日は、夏の信行期間の御本部御礼参拝を共々におかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。

★伊藤コウ師は、子供にはしっかりと用事をさせ、言って頂いた御用の合間を見つけて、自分の勉強や用事が出来るような人間に成長することを、教育方針として持っておられました。

★三代教会長先生の奥様は、小学4年生の時に教会に入所されて以来、生活の全てを二代教会長・伊藤コウ師のおっしゃる通りに習い学ぶことを修行とされました。掃除、洗濯はもちろんのこと、炊事、和裁・洋裁、編み物、布団の綿の打ち直し、畑仕事や鶏の世話など、言って頂くご用は全て、「はい、有り難うございます。」と、受けられたのでした。

そのようにして、お徳を頂く生き方を積み重ねてこられたおかげで、80才を超える今日まで、出産以外は一度も入院なさることもなく、今日もお元気におかげを頂いておられます。

★また、ご自分のお父様が胃癌の治療で入院、手術を受けられたときには、大阪府立病院で看護師をしていた私の家内が偶然にもその病棟で勤務していたというお繰り合わせを頂いたのでした。

★与えて頂く御用は、全て神様が自分に差し向けてくださったこととして、有り難く、精一杯努めさせて頂いておりますと、目に見えないところは神様が全てお守り下さり、人も差し向けて下さり、万事にご都合お繰り合わせを付けて下さるのです。

★人間の力は微々たるものでも、足りないところを間に合うように足して頂くおかげを受けていくことが出来る、それがお徳を頂いてゆく有り難さなのです。どんなことも無駄だと思わず勉強し、御用させて頂いて身に修めていけば、神様に与えて頂いている力を十二分に発揮し、活き活きとお役に立たせて頂けるようになるのですね。

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2016年07月16日

●仕事の始まりと終わりに

 先日、商売をなさっておられるご信者に、商売させて頂く上での心構えをお話しさせて頂きました。そして、日々仕事の始まりと終わりに神様にお願いさせて頂く内容を具体的にお話しさせて頂いたことでした。

★1)神様、御霊様、家族のおかげで、家業に精励させて頂きます。ありがとうございます。
2)今日までお命を頂き、お育て頂いたお礼の働きができますように。
3)天地のお恵みであります水や火や電気を使わせて頂きます。無理、無駄、ムラなどご無礼不行届きのありませんように。
4)食材を無駄にしませんように。
5)時間を大切にし、集中してできますように。
6)思い違い、考え違いのありませんように。
7)神様より与えて頂いている能力を十二分に発揮できますように。
8)親孝行、御恩返しができますように。
9)お客様に喜んで頂ける店作りが日々新たにさせて頂けますように。
10)地域の他店舗や同業者が共に繁盛しますように。
11)地域社会の発展に貢献ができて、お役に立つ店にならせて頂けますように。

★仕事の上でも勉強させて頂く上でも、まず神様にお礼を申し、与えて頂いている能力を充分に発揮させて頂き、お役に立てる自分にならせて頂けるようにお願いさせて頂くことが大切です。そういう謙虚な姿勢が神様からも人からもご信用頂き、お徳が頂けることにつながってゆくのです。また、相手の事を祈る、相手を立てるということは、相手を敬う稽古であり、神心を養う稽古なのです。相手のことを思わずに、常に自分のことばかり考えることは、自己中心的となり、我情我欲が強くなってしまうのです。いくら勉強が出来て成績が良くても、自己中心的で我が強ければ、周囲の方に喜んで頂ける働きはでき得ません。どこまでも相手のことを先に祈る稽古をしましょう。「神様のお目からご覧になれば、私はまだまだ至らないことばかりであるに違いない。」と思って、謙虚にいそいそと喜んでさせて頂きたいと思います。

★『今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うている。』

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2016年07月15日

●おかげの中に生まれ、おかげの中に死んでいくのである

 初代教会長伊藤徳次師は、伊藤コウ師と共に阿倍野教会創設の礎をお築き下さり、旧広前のご建築がいよいよ始まろうとしていた布教5年目にして、「おかげやで、おかげやで。」というお言葉を残されて、お国替えになられたのでした。そのご意味は「私が御霊となるということは、これからより一層御霊として働かせてもらえるということです。これは伊藤の家にとっても、阿倍野教会にとっても、信奉者一同にとってもおかげですよ。」と、これから御霊となることをおかげの中での出来事と、言い残されたのだと悟らせて頂きます。

★また、コウ師の御母堂・ハル氏は、ご自身の死期を悟られた時には「私が御霊になってもどこにも行きません。あなたのそばにずっとおります。教会の表の御用もしっかりと手伝わせて頂きます。もちろん裏の御用も手伝わせて頂きます。だからあなたは何も心配することはありませんよ。」とコウ師の体を後ろからギュッと抱きしめられて仰せになられたのです。

★誰しも家族や親しい方がお国替えされるという事は、大変辛いことです。しかし、亡くなられたら、もうそれで何もかも消滅してしまうことではありません。御霊の神となって付きに付いてお守り下さる存在になられるのです。それぞれに生命を頂いていますが、亡くなられた方々と共に生きていくという事を分からせて頂くことが大切です。後に残った者が、御霊様の霊徳と安心を願い、自分自身がしっかりとご信心させて頂いて、お徳を積ませて頂くことに精励しておりますと、御霊様もお喜び下さり、祈り合って共に生きてゆくことが出来るのです。

★『お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。』

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2016年07月14日

●自分が変われば、周囲が変わる 

 ある奥さんは、ご主人が仕事や経済に対して大変勝手気ままな人で、夫婦別れをしたいと家を出られ、お姉さんのところに行かれました。お姉さんは妹さんを連れて教会に参拝され、二代教会長伊藤コウ師にお届けされました。

★伊藤コウ師は「これから一週間、お姉さんの家から朝・昼・晩にお参りしなさい。お参りしてみ教えを頂き、神様から今後歩むべき道を示して頂きなさい。今こそ、あなたには信心をさせて頂くよい機会ですよ。お参りしてしっかりと信心の勉強をさせて頂き、稽古をさせて頂いて器を作らせて頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。お姉さんはそのみ教えのご意味をすぐに理解され、妹さんを連れて日参してみ教えを頂かれました。

★一週間後、コウ師はその奥さん(妹さん)に「自宅へ帰らせて頂きなさい。誰かに連れて帰ってもらうのではなく、一人で帰りなさい。神様と共に戻らせて頂くのです。」と仰いました。続けて「『夫は夫たらずとも、妻は妻たれ。』ご主人がどんな方であれ、相手を責めるよりも自分に責めを負いなさい。相手がどうかは関係ありません。自分自身が妻として子供の母として行き届いたことが何も出来ていないのではないですか。それを反省せずして人を責めたり、環境のせいにしてはいけないのです。覚悟が決まれば、自分の性根が変わります。性根が変われば、顔つきや態度が変わらせて頂けるのです。」とみ教えを下さいました。

★その奥さんは、コウ師のみ教えの通りにご主人の元に戻られました。その後、夫婦別れをすることなくおかげを頂かれました。そればかりか、今まで目がつり上がっていた奥さんの険しい顔が、見違えるように穏やかでにこにこした表情に変わられ、二人目のお子さんを頂かれて家族円満の大みかげを頂かれたのです。そうしてコウ師の元へお届けされ「先生、主人が変わってくれました!子供のこと、経済のことを考えてくれるようになりました。本当に有難うございます!」と御礼を申されました。

★奥さんご自身が変わられたので、ご主人が変わって下さったのですね。その奥さんは一週間の参拝の間に、御教えを有難く頂く準備をされて、コウ師のみ教えを理解させて頂くことが出来られました。それが、ご自身を変えさせて頂く元となったのです。私達もこの信行期間中に一回でも多く参拝し、御教えを頂いておかげの元を作らせて頂きましょう。

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2016年07月13日

●覚悟を決める

 あるご信者は、朝参りをさせて頂きたいと思っておられるのですが、仕事を終えて帰宅して就寝時間を考えると、時間的にも体力的にも「これ以上は無理だ。とても朝参りは出来ない」と思っておられました。しかし、お結界で「この信行期間は、ご家族の諸問題の上におかげを頂く為にも是非一段と進んだ信心におかげを頂きましょう。」とみ教えを頂かれたことを機会に、「どうあってもおかげが頂けますように。」とお願いされ、朝参りがさせて頂けるように練り出して工夫なさったのです。そうしますと、ご信者は朝に晩にお参りが出来られるようになられたのでした。そうしますと、身体も神様が整えて下さり、毎日元気に有難く仕事にも日参と聴教にも励んでおられます。

★信心の上でも、仕事の上でも、家事育児の上でも、誰しも「とてもこれ以上は出来ない」と思うことがあるでしょう。しかし、自らを限るのではなく、覚悟を決めて「これ以上のことをさせて頂くためには、どのようにすればよいであろうか」とお願いして工夫させて頂きますと、神様が整えて下さるのです。覚悟が決まれば、身体は動きます。心も前向きになって健全な働きをするようになるのです。周りに目を向けて人と比べたり、人を批判しておりますと、心が乱れ、迷いが生じて常に心がぶれてしまいます。それは、まだ、自身の覚悟が決まっていないということです。

★「管子」の中に、『四体(したい)既に正しく、血気既に静かなれば、一意専心、耳目淫(じもくいん)ならず。』という言葉があります。これは、「身体を健全に姿勢を整えて、はやる気を抑えて冷静になって、一つの事に精神を集中すると、他のくだらないことは耳にも目にも入らなくなる。」という意味です。自分自身に現在与えて頂いている仕事、役目、御修行に対して、覚悟を決めて取り組ませて頂きますと、今まで気になっていたことなど全く気にならなくなり、段々と有難くなって御礼を申してさせて頂けるようになり、問題も乗り越えさせて頂けるようになるのですよ。

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2016年07月12日

●何事も先にご祈念をしてから…

皆様が、新しく車や自転車を購入された場合には、教会に於いて新車のご祈念をして頂かれ、安全運転の上におかげを頂いて下さい。自転車から大きな業務用トラックに至るまで祝詞の奏上、おおぬさでのお祓いをして頂き、ご祈念を込めて頂いた御神米をお祀りして、無事・安全をお願いさせて頂くのです。

★昭和46年7月13日の夕方6時過ぎ、交差点をあるご信者が単車に乗っておられ右折しようとなさった時に、直進してきた車(ライトバン)と接触してしまいました。単車は大破し、先方のライトバンも前部がペシャンコになりました。

ご自身は放り出されましたが、すぐに病院に運んで頂いたところ、骨折することなく左足の怪我も軽く済ませて頂かれました。後日、修理に出された単車と単車にお祀りしていた御神米を業者の方が持って来て下さいました。

汚れないようにビニル袋を何重にも巻いていた御神米を開けさせて頂きますと、ちょうどお剣先さんの先端の部分が真っ黒になっていたのです。その部分は、人に例えると足に当たる箇所であり、御神米が身代わりになって下さったかのようでした。

ビニル袋は破れたり溶けたりせずに、全く変化していないにも関わらず、中の御神米だけがそのようになっていたのです。ご信者は、その御神米を教会へお納めになり、「私の足は軽傷で済ませて頂きまして、御神米が身代わりになって下さいました。有難うございました。」と御礼申されました。教会では、今でも大切にその御神米を保管しご祈念させて頂いております。

★私たちはつい勘違いをしてしまいやすいのです。簡単なことは自分の力で出来ると思い神様にお願いせずにしてしまいがちです。また、自分の力では及ばない大きなことは神様にお願いしなければ…と思って、おすがりする気になるのです。

しかし、そうではなく、日々の生活の中で、小さなこと大きなことの区別なく、何事をする時にもご祈念してさせて頂くことを教えて頂いております。家を出るとき、車や自転車に乗るとき、電話をかける時や取る時にも先にご祈念してさせて頂きますと、神様が全てにご都合お繰り合わせをつけて下さるのですよ。

★『大きなことはお願いし、このくらいのことは構わないということはない。神には、大きいこと小さいことの区別はない。何事にも神のおかげをいただかなければならない。』

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2016年07月11日

●今日は合格できたであろうか?

 7月10日は、昭和7年にお国替えなさいました伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)の御命日でした。ハル氏は、「楽は望まぬ 苦労は 覚悟 苦労し甲斐のあるように」とのご精神で、伊藤家の信心の礎となるご修行を生涯貫かれたのでした。ハル氏のご信心の万分の一でも習わせて頂き、日々信行に励ませて頂きたいと願っております。

★先日あるご信者が、阿倍野橋から歩道を歩いておられた所、後ろから走ってきた自転車がそのご信者にぶつかってきたそうです。しかもそのぶつかってきた相手から「何でそんなところ歩いているんや!さっさとどかんか!」と言われたということです。幸いにも怪我がなかったので大きな事にはならなかったのですが、そのご信者はお届けに来られ[世の中には色んな方がいるものですね。これも神様が私のめぐりを取って下さっておられるのだと思わせて頂きます。しかし、相手がぶつかってきたときに先方から「申し訳ありませんでした」と、お詫びの一言もなくムカッときましたが、ケンカをすることもなく済ませて頂きました。神様が私にこの事を以て、少々のことで腹を立てないように教えて下さっておられるのだと思わせて頂きました。有難うございました」と御礼を申されたのでした。

★私たちも共に、「腹を立てないご修行・不平不足を言わないご修行」をこの信行期間中に取り組ませて頂きたいと願わせて頂いております。しかし、「腹を立てないご修行をさせて頂こう!」とご修行を決めさせて頂いた途端に、腹の立つことが次々と起こってくることがあります。それは学生さんに実力試験があるように、神様からのご試験であり、どこまで信心が進ませて頂けているのかを見て下さる為に、それぞれに必要だからこそ神様から与えて下さる試験なのです。今日一日振り返って「今日は神様のご試験に合格出来ただろうか?」と自問自答し、合格点を取らせて頂けるように、日々信心の稽古に励ませて頂きましょう。

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2016年07月10日

●今日を喜び、明日を楽しむ

 昨日は、二代教会長・伊藤コウ師の34年廻れる例年祭をお仕え申し上げました。有り難いことに、午前中のお湿りも午後にはやみ、涼しく過ごしやすい天候気象のお繰り合わせを頂き、真に有り難いことでございました。ご生前中にご教導頂き、御霊神となられてからも日々付きに付いてお守り頂いて、助かり立ち行きを願って下さっていることにお礼をしっかりと申させて頂き、ご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと思います。

★伊藤コウ師は、「教祖様は、『天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え』とみ教えくださっておられます。願いがないというのは、神様に対して実意が足りません。しっかりと神様に真の心を向けて、実意のあるお願いをさせて頂きましょう。」

と、み教え下さっておられます。そして、どのような願いを持たせて頂いたら、神様がお喜びくださり、それぞれの家が子孫繁盛家繁盛の道を歩ませて頂けるか、それをご布教の初めから、ご信者お一人お一人に説いて下さいました。

★また、三代教会長先生は、「伊藤コウ師は、お姉様が『あなたはどうしてそんなに何でも喜べるのですか?』と、おっしゃった程に、喜び上手であられた。神様が、何もかも一番良いようにして下さるということを、信じて疑っておられなかった。だから、先を楽しみにお願いなさることが出来られた。そして、どんな時も落ち着いておられた。」と、述懐なさっておられました。

★このお道は、「喜びでひらけた道」と教えて頂いております。日々参拝し、み教えを頂いて、しっかりと喜び上手にならせて頂き、子孫繁盛家繁盛につながる確かな願いを持たせて頂きましょう。
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2016年07月09日

●日参聴教の徳・御用の徳

 本日午後2時より、二代教会長・伊藤コウ師の34年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。ご家族親族揃って御礼の参拝が出来られますようお祈り申し上げます。

★昨日は、みかげ会例会にて、水野氏の有り難いおかげ話を聞かせて頂きました。昭和23年に阿倍野教会にお引き寄せ頂かれてから68年、熱心にご信心が続いておられます。入信間もない頃、二代教会長・伊藤コウ師に仕事のことでお取次を願われ、「細くとも長く続く信心をしなさい」とみ教えを頂かれ、このみ教えを今日まで大切に頂き続けておられます。日参と聴教に励まれ、手配りの御用など入信当初から御用にお使い頂かれ、青年会、みかげ会会計の御用にお使い頂かれた後、みかげ会会長13年と、お役を頂いての御用にもお使い頂かれました。その御用のお徳によって、お仕事の上にも、お体の上にも、ご家族の健康の上にも子供さん・お孫さんの仕事や学業の上にも真に有難い信心を元におかげを頂いておられます。

★昭和30年後半には、郊外へ土地を購入させて頂かれましたが、コウ師より「お広前を遠ざかればおかげの抜け始め、最初の決心も段々と薄れていきますからなぁ」とみ教えを頂かれたのです。水野氏は願い続けられ、昭和43年に購入済みの土地を売却され、教会近くの建売住宅の広告を見てコウ師にお届けされますと、「購入させて頂きなさい」とみ教えを頂かれ、購入のおかげを蒙られました。

★平成10年に前立腺癌、平成12年に白内障と網膜剥離、平成24年に心臓バイパス手術と合わせてステント挿入手術を受けられましたが、いずれも早期発見で無事成功のおかげを頂いておられます。とりわけ平成24年の心臓の手術については、みかげ会のやさしい生活講座で講演して下さった医師と、直接お話しする機会があられ、「水野さんも年齢的に一度CT検査を受けられたらどうですか?」と勧めて頂かれ、自覚症状のなかった状態にもかかわらず、血管の詰まりを見つけて頂かれたのでした。

★水野氏は、定年退職後は町会長として地域に貢献なさり、町会長を退かれた今日では、有志で朝の子供たちの安全通学誘導のボランティアにあたっておられます。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

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2016年07月08日

●「元」となる尊いもの

先日、お食い初めの時期を迎えた赤ちゃんを連れて、ご信者がお礼のお届けに来られました。お乳もたくさん飲み、夜泣きも以前に比べると随分落ち着いて、日に日に順調に成長なさっておられることを共に神様にお礼申させて頂いたことでした。幼い子供の成長というものは、お食い初めの一口を祝うほどに、小さなことの一つ一つも実に嬉しく、親を初め、周囲の人々を喜ばせてくれるものですね。

★『井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心にまめで繁盛するよう元気な心で信心せよ』とありますが、「元気な心で信心せよ」の意味を教えて下さいとおっしゃった方があります。
辞書で調べますと
@健やかなこと、勢いのあること、
A体や精神の活動力、
B物事の根本となる気力、
C盛んな意気、
D万物が生成するもとになる精気、と記されています。

★「元気」という言葉の「元」という字は、「もと」「はじめ」とも読むように、神様から本来頂いている、尊い神心がしっかり表に出せている状態のことをいうのです。「元」は、根元とか根本のことであり、私たちの「元」を考えてみますと、神様から授かった生命とご先祖から受け継いだ体を頂いています。

毎日天地に生かされて生きているという有難さ、喜びがありませんと、元気な心にならないのです。御礼を申す稽古をしていますと、元気を取り戻します。また、「はじめ」の心とは、生まれながらに授かっている「純真さ」「素直さ」「熱烈さ」「謙虚さ」という尊い心を指します。

★成長と共に、人間としての智恵を身に付けさせて頂くことは大切な事ですが、智恵も使い方を間違うと、神心を覆い隠してしまうことにつながります。信心の稽古を油断なくさせて頂き、我情我欲をお取り払い頂かなければ、神様から頂いている徳も力も十分に発揮させて頂くことは出来ません。今月今日、自分自身を見直し、心と体に積もる塵や誇りを掃除するつもりで、信行に励ませて頂きましょう。

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2016年07月07日

●ご慈愛に満ちたお取次ぎがあってこそ…

 教祖様ご在世中の御頃のことです。教祖様のお広前の近くに、目の不自由なおばあさんが住んでおられました。そのおばあさんは、お広前にお参りされ「何とか目が見えますように」と一心に願われました。教祖様も、天地の親神様にご祈念なさってお願いされますと、何と晴眼のおかげを頂かれたのでした。そのおばあさんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後にそのおばあさんの目が見えなくなってしまわれたのでした。そこでおばあさんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで教祖様も天地の親神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。おばあさんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、そのまままた信心が止まり、普通の生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。そこで、教祖様は天地の親神様にお願いされますと、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのでした。しかし、教祖様は「私が代わりにお詫び申させて頂きますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」と代わりにお詫び申されて、お願いなさったのでした。

★このお話は、決して他人事ではなく、私たちも同じようなことが毎日の生活で起こり得ることだと感じます。夫々に神様にお約束を申し上げて、お願いを立てて進ませて頂きながら、それを守り通すことができないことがあります。そこを氏子の立場に立って神様に取り次いで下さる、慈愛に満ちたお取次ぎのお働きがあってこそ、私たちは夫々におかげを頂いているのです。常に「今の自分自身の行いは、神様の目からご覧になって神様のお心に適う生き方になっているだろうか?」と自問自答しながら日々の生活を進めさせて頂きましょう。

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2016年07月06日

●神様のお心にかなう願い

 阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。あるご信者が初めて参拝された時、初代教会長と二代教会長がお留守で、お広前には御隠居様(二代教会長のご母堂・ハル刀自)が座っておられました。そのご信者が話し始めますに、「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか亡くなりません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」とのことです。

★御隠居様はじっと御祈念されて、お取次ぎ下さいました。「この金光様のご信心は、そのようなお願いはいたしません。御断り致します。『どうぞ、生かして下さい』というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。しかし、死なせて下さいというお願いはしない神様です。よく考えてみなさい。あなたは、今、死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。虫一匹、草木一本にしてもみな生きたいと思っている。それは、頂いた命を生かしてゆくという天地金乃神様の御心です。『どうあっても生かしてやりたい』と思って下さる神様に対して、『死なせて下さい』というお願いは神様に対しての親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。」

★それを聞かれたご信者は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、「私は考え間違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。『どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように』というお願いでしたら聞いて頂けますか?」とお尋ねされました。

★御隠居様は「喜んでさせて頂きましょう。3日間、日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところがおこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は一生忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★結局亡くなってしまったと捉える人もあるかもしれません。しかし、周りの人から疎まれて、厄介者扱いの上に「いつ死ぬのか」と待たれるような境遇で、辛い思いを残して亡くなるよりも、周りの人から「元気になってほしい!」と願いをかけて頂き、体調回復のおかげを頂かれ、「この御恩は一生忘れません!」と思えるほどに有難い心持ちにならせて頂いて、天寿を全うさせて頂くのとでは大きな違いがあります。周囲の人々も「助かって欲しい」と願える生き方と、「いつになったら死んでくれるのだろう」と思って死ぬのを待つようなめぐりを積む生き方とは、後々が全く違うのです。

★思うことは願いになります。毎日、良い事を思い、良い事を願わせて頂くことが大切ですね。

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2016年07月05日

●本心の成長

 先日、NHKの番組でパラリンピックの選手についての報道を見せて頂きました。ロンドン・パラリンピック陸上男子100メートルの金メダリスト、ドイツのハインリッヒ・ポポフ選手は、8歳の時に左足に骨肉腫を発症し、「生存率はほぼゼロ」と診断されて、命と引き換えに左膝関節から切断しました。ポポフ選手は、義足を作って下さった技術士さんに指導を受け、歩幅を一定にして真っ直ぐに足を前に出す練習を地道に積み重ねてゆかれました。そして、少しずつ走れるようになったのです。13歳の時に陸上を始め、17歳でパラリンピックの陸上競技に出場するため、スポーツ用の義足をつけられました。スポーツ用の義足は、日常用の義足より速く走れるのですが、義足の反発力を受け止めるだけの技術も筋力もなければ速く走れないそうです。義足をつけて全速力で走るだけの日々全身の筋力をつけるトレーニングなど、日々厳しい練習を諦めず重ねた結果、現在プロとしてのトップアスリートとなって世界で活躍しておられます。

★ポポフ選手は番組の最後に「私は、病気のために失った膝関節から下の足を神様に返して下さいとは言いません。神様が返してやろうと言っても断ります。障害は、まさに神様からの贈り物です。かけがえのない修行を一生の間にさせてもらえるきっかけでありました。義足を使って走れるようになるまで、色々な方と出会い、自分の身体の筋力を鍛えることができ、幸せでした。」と言われたのです。私は、それを見せて頂き、大変素晴らしい考え方であられるなあと感動いたしました。ぜひ今後も活躍なさることをご祈念しながら注目してゆきたいと思わせて頂いております。

★三代教会長先生がご自身の戒めとしておられた心構えとして『天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。敢然として試練に堪えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても何事も御神意と受け取り困難を困難とせず明るく生き抜く覚悟を以ってせよ。』と仰っておられます。

★今与えて頂いている環境、仕事を喜ばずして、一体何が生まれるでしょうか。現在与えて頂いているすべてを喜び、有難く受け切ってゆくことが、神様よりそれぞれに頂いている尊い本心を研いてゆくこととなり、心も身体も元気でお役に立つ働きがさせて頂くことが出来るのです。

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2016年07月04日

●喜びに満ちた清々しい心

 米国サンフランシスコに於いて布教の第一歩を印された福田美亮師は、東京での大学卒業後間もなく、家が全焼し無一物になられるという大変な経験をなさいました。

★しかしその時先生は、
1)長年かかって集めた多数の書物が焼けたことは、「小理屈を捨てよ」との神様からのみ教え
2)大学の卒業証書が焼けたことは、「肩書を捨てよ」とのみ教え
3)着物や伝家の宝刀が焼けたことは、「虚飾を捨てよ」とのみ教え
4)大学の住所録の焼失は、「今までの友達との付き合いよりも、新しく信心の友達をつくりなさい」とのみ教えと、全て神様からのみ教えと、実に潔く有り難く頂かれたのでした。

そして、「火事に遭った悲しみは無く、清々しい無一物からの出発が返って有り難かった」と残しておられます。それからは、一時親戚を頼られたり、電車で移動しておられたところを、全て下駄履きで歩かれるなど、通常で考えますと不便を極められたことと思いますが、打ちひしがれるどころか、心勇んで全てを神様からのみ教えとして有り難く受け切られたのでした。

★信行期間には、銘々に決めさせて頂いたご修行にしっかり打ち込ませて頂き、不平不足、愚痴等の我情我欲、即ち心の凝りを取り除かせて頂いて、喜びに満ちた清々しい心にならせて頂きましょう。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』


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2016年07月03日

●信心の根張りをよくする

 おがたまの木は、「小賀玉」とも「招霊」とも書かれたりします。おがたまの木は、昔から榊と同様、神社などに植えられていることがよくあります。阿部野教会のおがたまの木は、昭和32年に御信者が苗木でお供えになられたもので、当時は人の背丈程のものでした。 それから大地におろしますと、一度枯れかけたことがあったのですが、植木屋さんが「根が生きていると、元気になれば新たな芽が出ます」と、枯れている所を根本から切って下さり、新芽が出るようにして下さいました。二代教会長伊藤コウ師は、バケツの水の中に御神酒を少し入れてかけておやりになり、「どうぞ元気になって下さいよ」と声をかけながら、ご祈念を込められて大切に育てられたのです。

★それから初代のおがたまの木は、50年以上を経て、幹も太く枝も張り、教会の屋根の高さほどまでに育ち、花が咲いて実が成りました。しかし、ずいぶんと弱り、2年程前にいよいよ植え替えの時期にならせて頂きました。そこで、この木の実から育てた子供にあたる若木を新たに植えさせて頂き、現在は二代目のおがたまの木が育たせて頂いております。育てる上で、学ばせて頂いたことですが、木が育つには、土にしっかりと空気が入るように、柔らかい土にしてあげることが大切なのだそうです。木は枝が広がっている範囲まで、土の中で根を張っており、水分と空気も摂り入れます。毎年、土を入れ替えて水はけを良くし、根の働きが活発になるように土壌の改善をいたしました。

★植物が種から育つ為には「水」「温度」「光」の3つが必要ですが、ご信心も同様です。「光」は「明るさ」、思い分けの出来る賢さであります。「温度」は「熱意」、熱のこもった信心をさせて頂きましょう。「水」は命の根源で、心・体に潤いを頂くための「み教え」です。これらがご信心が進んでいく元です。地を肥やすことと信心の根張りをよくすることを心掛けさせて頂きおかげを蒙らせて頂きましょう。

★『めでためでたの若松様よ、枝も栄える。葉も茂るとめでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは地の下に目には見えぬが、大きく根を張っておるからじゃ。』

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2016年07月02日

●我が心から練り出す信心

昨日から始まりました信行期間で、信奉者一同が真心込めて「お礼の信行」に励ませて頂き、一段と信心が進ませて頂くようにお願いさせて頂いております。また、自分自身の信心を向上させて頂くために、我が心から練り出してご修行に励ませて頂くことを、この信行期間中の目標と掲げさせて頂いております。夫々に大きな願いを立てさせて頂き、お願い成就に向かって日々どのように改まらせて頂いたらよいのか、どのような信心生活にならせて頂いたら、神様にお喜び頂けるようにならせて頂けるのか、を考え各自が信行に励ませて頂きたいと思います。

★1)神様を信じて迷わず疑わない心を持たせて頂く。

2)どんな時にも、どんなことでも心から喜んで神様にお礼が申せるようになる。…例えば、病気になった時に「他の家族のものでなく、私が病気で良かった。私が家の難儀を引き受けさせて頂きます。有難うございます。」とお礼を申すことを探し出す。

3)一生が修行である。…ご修行というのは「もうこれで到達しました。」ということはありません。また改め、また改め進めさせて頂いてご修行に励ませて頂くのです。ですからどこまでも謙虚でなければなりません。

4)心で人を殺さない。…人を助けるお手伝いをさせて頂く。悪いことを思わず言わず、仕返しをする心を取ってゆく。

5)私がまだまだ出来ていないと思う。…人から言うことを聞いてもらえない時は、「私が一番至りません。私に徳が足らないからです。申し訳ありません。」という心にならせて頂きますと、相手に対して責める心が出てきません。

6)「かわいそうだなあ。」という心を持たせて頂く。…職場でも心が荒れている人に対して、「かわいそうに、何か事情があるに違いない。助かってもらいたいなあ。」と思えると、そこから相手の助かりを願う心になって、それは自分自身の助かりに繋がってゆくのです。
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