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2016年06月14日

●重石をかけて頂いてよい味が出る

私たちが成長してゆく上で、重石(おもし)をかけて頂くことを必要とする時期があります。それは私達を鍛え、成熟させ、人生を味わい深い良いものにしてくれるのです。

★例えば、あるお嫁さんにとっては、姑さんが重石です。お嫁さんは幼少の頃からご信心をさせて頂いており、み教えを頂いて育たれました。嫁ぎ先が豊かな家庭になるように家老としてのお徳を積ませて頂き、何としても有難い役目をさせて頂きたいと願っておられたのです。しかし、その姑さんが全く認めて下さらないのです。「あんたのような人が嫁に来て、うちの家は困っている。」と毎日のように言われ、ご飯を作れば「こんなまずい物は食べられない。」と言われます。それが長年続いたのでした。普通ならなかなか辛抱し切れないでしょう。ところが、そのお嫁さんはご信心を頂かれて嫁がれましたので、「どうぞこのお姑さんに喜んで頂けますように」というお願いを離されませんでした。そして、あれこれと仰る前に自分から動くということを徹底されました。現在は「私はあのお姑さんに鍛えて頂いたので、農作業でも料理でも何でもさせて頂けるようになりました。私は姑さんを恨んだことはありません」と話せるようになっておられます。その姑さんは、そのお嫁さんにとって必要な重石であったのです。

★また、ある方にとってはお舅さんが重石でありました。そのお舅さんは、会社の経営の上で道理に合わないことばかりを仰い、まともに経営させて頂きたいと思っている息子さんとお嫁さんは困っておられました。しかし、「どうぞ親孝行がさせて頂けますように。喜んで何もかも任して頂ける私達にならせて頂けますように。」とお願いされました。現在は重責を任して頂いておられます。そのご夫婦にとっても、お舅さんは必要な重石であるのです。しかしその必要性が分からなければ、“不必要”だと思ってしまいます。それが間違いの元となってくるのです。

★「あんな事を言う姑は不必要だ。」「あんな事をいう舅は不必要だ」と不足を言っていると、感情をコントロール出来なくなります。そして、自分の思いに添わない者は排除しようとばかり考えます。しかし、それでは味のある素晴らしい人間性には育ちません。ですから、「私にとって必要なご修行なんだ。重石をかけて頂き、より程度の高い人間に成長させて頂こう」と思わせて頂きますと、出来てきた事を有難いおかげにさせて頂けるのですね。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:12 | 平成23年の「み教え」