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2016年06月30日

●信心の初めに

 一昨日に月例霊祭の祭典後に本講をされました桃井師は、昨年5月より一年間、金光教学院で御修行され、今年の6月12日に御本部において教主金光様より教師の補命を頂かれました。6月22日は桃井師のお祖父様の御命日であり、昭和16年にお祖父様がおかげを頂かれたことがご信心の始まりでした。

★お祖父様は乾性肋膜という病気にかかり、三年間絶対安静という診断を受けられました。病状は悪くなるばかりでしたので、お祖母様は良いと評判の神社仏閣を参拝されましたが、一向に良くなりません。途方に暮れておられたところ、知り合いの方が阿倍野教会にお導きくださり、二代教会長伊藤コウ師に御取次ぎを頂かれました。コウ師は、「貴方のご主人は、大切な恩人をきれいに忘れてなさる。よくご主人と話して、お世話になった方々に日夜御礼を申しておかげを頂きましょう。」とみ教えを下さいました。

お祖母様はそのみ教えをご主人に話されますと、父を3歳、祖父を13歳のときに亡くし、広島の伯父夫婦に育てて頂いたこと、教師を勝手に辞めて好きな洋裁の道に進んだこと、連帯保証人となり、先祖からの財産を全て失い、それから何の連絡も取っていないことを明かされました。お祖母様がすぐにその事をコウ師にお届けされますと、「今日から一週間で全快のおかげを頂きましょう。あなたは一日四回お参りさせて頂きなさい。そして、ご主人はこの御神米を目当てに、今日まで育てて頂いた産みの親様、育ての親様の顔を思い浮かべながら、御礼・お詫びを申し上げ、それから病気の全快をお願いさせて頂くのですよ。」とみ教えを下さいました。夫婦揃ってみ教えを一心に守られますと、なんと六日で全快のおかげを頂かれたのです。一週間の日切をして頂いた7日目に夫婦で教会に御礼参拝をなされ、その日から桃井家のご信心が始まったのでした。

★75年を経た現在も四代目、五代目まで信心相続のおかげを頂かれ、御礼のご信心に励んでおられます。自分の家のご信心の元を振り返らせて頂き、子孫に続くご信心を一心に進めさせて頂きましょう。

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2016年06月29日

●神様やご先祖に笑顔を見せる

 ある奥さんは、入信の初めに二代教会長伊藤コウ師より「親は親たらずとも子は子たれ」というみ教えを頂かれ、そのみ教えが心に突き刺さり衝撃を受けられたのです。

★ご主人のご両親は、戦時の混乱の中で小さかったご主人を他の家へ預けられました。ですから奥さんがご両親について聞かれても、ご主人は「親はいないと思っている。探す必要は無い。」との一点張りでした。しかしそのみ教えを頂かれた時に、ご主人は奥さんの親は大事にして下さっておりますが、自分はご主人の親には何も親孝行させて頂いていない事に気付かれたのでした。そして「どうあっても主人の親に孝行がさせて頂けますように」と願われ、ご主人に隠れて縁をたどって真心で探されました。

★すると、なんとお母様が堺に住居なさっておられることがわかり、そこへ訪ねていかれました。そのお母様は、体の不自由な娘さんと一緒に住んでおられ、生活保護を受けておられたのです。事情を聞かせて頂きますと、生きていくことが難しかった戦時中、体の不自由な娘さんを育てる事に精一杯であられた為、健康であったご主人を他のお家へ預けられたのでした。それからというもの奥さんは、毎月お見舞いに行かれて親孝行のまねごとなりともとさせて頂かれたのです。そしてお母様がお国替えなさってからは、ご主人に全てを話して理解してもらい、家でお祀りさせて頂きたいと願われ、帰教式を仕えて頂かれ霊神様としてお祀りして頂かれたのです。するとその後、お国替えされたお母様がつきについてお守り下さり、何とご主人の仕事の上で、今までに無いような利益が上がらせて頂くおかげを蒙られたのでした。

★人に対してだけでなく、神様やご先祖の霊様に対しても笑顔を見せ、御礼を申し上げる事を心がけさせて頂きますと、神様・霊様も共に喜んで下さり、子孫も喜ぶことが出来るようにお守り下さるのです。昼夜を別たずお守り下さっておられる神様・霊様にお礼を申し、親と子が共に願い合い、頼み合いをしておかげを蒙らせて頂きましょう。
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2016年06月28日

●愚痴を言わない、言い訳をしない

 三代教会長先生は、起きてくること全てを神様のみ教えとして頂かれ、ご自身の心の行となさいました。伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)がご在世中、三代教会長先生がお便所の掃除をなさった後をご覧になりますと、雫が一滴落ちていたそうです。それをご覧になって、三代教会長先生に、「今この便所に人が入ったら何の雫か分からず、嫌な思いをされるかもしれません。たとえきれいに掃除をした後でも、そんなことでは相済みませんから、気を付けさせて頂きなさい」とみ教えになられたそうです。三代教会長先生は、一切言い訳なさることなく、素直に有り難くみ教えとして頂かれたということです。

★また、教会の勝手口の土間に、三代教会長先生の孫たちの靴が、下駄箱にしまわれることなくたくさん脱いであった時のことです。三代教会長先生は、「子孫繁盛家繁盛、有難うございます」とお礼申されながら、愚痴のようなことは一切おっしゃらず、子供たちの靴を揃えられたのでした。

★人に何か指摘されたり、心に障るようなことがあると、言い訳をしたり、つい相手をやり込めたくなったりするものです。感情にまかせて言いたい放題に口に出すようでは、辛抱が弱くなります。さらに、相手に勝ちたい心、保身の心を増長させてしまいます。それは、自分を甘やかし、徳を失うことにつながるのです。

常に本心を磨くことを心がけ、弱い自分に打ち克たせて頂けるよう、信心の稽古に励ませて頂きましょう。『信心いたしましたら、言いたいことは、なるべく明日に延ばしますがよろしい。明日に延ばせましたら、十日向こうに延ばしますがよろしい。十日向こうに延ばせましたら、百日先に延ばしますがよろしい。百日先に延ばす力ができましたら、一生言わないがよろしい。』(二代金光四神様のみ教え)
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2016年06月27日

●実意を以て願う

 今、大学受験を目指して勉強しておられる学生さんが、あと数週間後には夏休みに入り、休みなく夏期講習に通わせて頂くためにも必要なので、毎日利用している電車の定期券を買うことになったそうです。

★先日お届けに来られた時のことです。[実は親から「あなたは何ヶ月の定期券を買わせて頂くつもりですか?」と聞かれました。私は1ヶ月の定期か3ヶ月の定期か6ヶ月の定期かと悩んでいます。なぜなら長期なら高額ですが、割安です。しかし私は物をよく失うことがあります。定期券を、もし長い期間を買ってしまうと失ってしまったら大変だと思います。]とのことでした。

★そこで[あなたは親様からの問いかけによって、何を考えていかねばならないのでしょうか?自分はどれほどのものを使わせて頂ける人間にならせて頂くべきかを考えてゆかねばなりません。親はあなたに、立派なものをしっかり維持管理出来る人に育ってほしいと願っておられるのです。さらに、物を失くさない為にはどういう工夫をあなたはするべきかを、尋ねておられるのではないですか?親様に安心して頂けるように、「このように定期券の保管と使用について改まらせて頂きますので、何か月分の定期券を買わせて下さい。よろしいでしょうか?」とお願いさせて頂くのです。この機会に物の扱い方を改まらせて頂くように成長させて頂きましょう。]とお話しさせて頂いたことです。

何事も責任を持って対応させて頂けるように、親に納得して頂き、何事も協力して頂けるような人にならせて頂けるようなおかげを頂かねばなりませんね。

★物事が成就するためには、計画・準備・実行・後始末の段取りをつける力が必要ですね。早くから計画を立て、行き届いた準備をさせて頂いて、細心の注意をはらって実行し、その後始末を忘れないことです。日々、ご信心のお徳を頂き、神様から「この氏子の願いならどこまでも聞いてやろう」と思って頂けるような熱のこもったご信心に進ませて頂くことが必要です。願い主が諦めることなく「これだけ改まりますのでどうぞよろしくお願い致します」と、神様に実意をもって願うことがおかげを頂くことに繋がってゆくのです。

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2016年06月26日

●日々お世話になる全てに御礼を申す生活

 先日、敗血症の診断を受け、緊急で入院なさった方がありました。人工呼吸器を装着され、抗生物質の点滴治療を受けておられました。勿論しゃべることも水を飲むこともできない状態でしたから、一週間ほど後に容態が回復するおかげを頂かれ、23日に人工呼吸器を外して頂いた時には、「お水を頂ける事が本当に有難い!大変美味しく感じる!話すことが出来ることは何と素晴らしいことだろうか!」と喜ばれていたそうです。毎日、変わりなく飲ませて頂き、食べさせて頂くことが出来る、ということはどれほど有難いことかがよく分からせて頂きます。目が見えることや耳が聞こえることなどは、当たり前のことではありません。使わせて頂いている身体の各器官にも御礼を申し上げることが大切だと痛感いたしました。

★また、私たちが生まれてから今日までと考えてみますと、どれほど多くの物にお世話になっていることでしょうか。ただ物を使うのではなく、使用させて頂く物に御礼を申す信心を教えて頂いていることは真に尊いことです。阿倍野教会の毎日4回の教話に使わせて頂いている演台も初代教会長先生のご布教の初めから95年に亘って使わせて頂いております。多くの先生方がお話しなさってこられた演台は、布教の初めからご祈念が込められています。真に有難いことです。また、真心のこもった、価値あるものを毎日使わせて頂いております。お広前の御神燈、御霊燈は大谷相模掾鋳造所で作って頂きました。こちらでは、「名古屋城の金のしゃちほこ」や「法隆寺五重塔」「東大寺金堂」等に関わる仕事を手掛けてこられましたが、型は残さないため、二度と同じものを作ることはしないそうです。有難いことに、丹精込めて作って頂いた御神燈、御霊燈は、昭和33年から現在まで60年近く使わせて頂いております。完成当時、大谷氏が「毎日乾いた布で拭いて下さい。」と仰いましたので、その通りにさせて頂きましたら、今では何とも上品な輝きを見せてくれております。

★真心を込めて御礼を申しながら大切にさせて頂くと、物は何十年でも生かして使わせて頂くことが出来ます。生活の中で、当たり前のように使っている自分の身体や物に御礼を申し、全ての生命を大切にする稽古をさせて頂きましょう。

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2016年06月25日

●「信心辛抱」から開ける真のおかげ

 藤原佐理・藤原行成と並んで「三跡」の一人、小野道風が描かれた人形浄瑠璃にこんな話が出てきます。いくら書いても書が上達しないと悲観していた小野道風が、しとしと雨が降る日に道を歩いていると、柳の下にいる一匹のカエルがふと目に留まりました。柳の小枝にしきりに跳びつこうとしている雨ガエルは、跳んでは落ち、跳んでは落ち、何度落ちても止めようとしません。とうとう最後に柳に跳びつくことが出来ました。道風は「私は悪筆で書いても思うように上達しないと思い込んでいたが、そうではなかった。まだまだ稽古が足りなかっただけであった。こんなことで諦めてはならない。このカエルが教えてくれているではないか。」それから道風は精進を重ねて書の第一人者となったというお話です。

★二代教会長伊藤コウ師は、「お徳と力を頂くことの第一は、『信心辛抱』であると思います。教組様は、『辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。こんこうさま尋求教語録の中には、『信心辛抱』と言うてござったが、おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい。』と、み教え下さっておられます。信心は、長く続かせて頂いたら本当の値打ちがわからせて頂けますし、本当のおかげを頂いていくには、長く続かせて頂くことが大切です。神様の綱を握って、しっかり信心辛抱させて頂くこと。その問題を通してもう一段信心が向上させて頂く事。それこそが、徳と力を頂くことになるのです。」と、おっしゃっておられます。

★事柄の解決ばかりを焦って、自分の心の持ちよう、生活のあり方を一向に改まらないというのでは、たとえ問題が一つ解決したとしても、痛みが起こる元、苦しみを生み出す元を断つことは出来ません。目の前の問題を通して真のおかげを頂く心になり、しっかり信心辛抱の稽古をさせて頂きましょう。

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2016年06月24日

●たらいの信心

三代教会長先生の同期で、三代教会長先生と共に子供会でご信心なさり、共に住吉中学へ進まれ、共に軍隊へ行かれたあるご信者がおられました。そのお方は後に国税局の監察官をなされ、税務署の署長を歴任されて、後に税理士として開業しお役に立たれました。

★税理士になられてから、船場の丼池にある立派な問屋さんの顧問先を持たれました。その問屋さんは、お父さんが亡くなられて息子さんに代替わりしたのですが、お父さんのご時代は、実にしっかりとお仕事がなされて繁盛されました。それから息子さんが跡を継ぎ、相続の件になると当時で4億円という金額をごまかそうとしました。

★そこでその税理士の方がそれを見て、その息子さんに「これを修正申告しましょう。神様の目はごまかせませんから、こういうことはしてはいけません。」と忠告されました。すると、その息子さんは「あんたは私の敵か。税理士なら私の味方になれ!」と言われて修正せずにそのまま申告してしまったのでした。そしてその息子さんは、そのお金で土地を買って、大きな屋敷を建てられたのです。すると、何年か後の昭和40年2月に「丼池の大火」と言われる大家事に遭われ、帳簿も金庫も持ち出せずに、家も全て焼け果てて土地も屋敷も手放さなければならなくなり、後にその家は絶えてしまうことになったのです。

★向こうへ向こうへと水を押しますと、たらいの向かい側のふちに当たって返る水の様に、相手の為を思ってさせて頂いている良いことは、後々自分自身に返ってきますが、こちらへこちらへと引くように自分に取り込もうとすると、後々自分の手から放れてしまいます。人の目をごまかして得をしても、後に損をして倒れることになるのです。神様を目当てにご修行し、神様と共にある生活を意識し、神様に対して正直な生き方を心掛けさせて頂くことが大切です。我が心におられる神様が常に見て下さっていることを意識し、背かない生き方に努めさせて頂きましょう。
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2016年06月23日

●神様を目当てに… 

 先日、会社にお勤めのあるご信者が「会社で重宝に使って頂いており、いろいろな方々から仕事を言って頂くので、どんどんと仕事が増えて大変忙しい状態です。同じようにお給料を頂いている人達の中で私ばかりがこま鼠のように働いて、時折不満が出てきます。仕事があることは有難いこととは分かってはいますが、どのように考えさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けなさいました。

★そこで[忙しくさせて頂けているのは、有難いことですね。「この人なら責任を持って仕事をしてくれるに違いない。」と思って下さっているからこそ、仕事を言うて下さるのです。それは、神様が「あなたならこの仕事がさせて頂けますよ。」と与えて下さるからこそ、次から次へと仕事が集まってくるのです。また、出来ない事は与えられません。それは自分自身を認めて下さっているという事であり、大変有難いことなのです。ですから、不足に思わず、「はい、有難うございます!させて頂きます!」と心から嬉しく喜んでさせて頂きましょう。そうしますと、ストレスを感じるどころか、後から心地よい緊張感と達成感を感じさせて頂けますよ。]とお話しさせて頂いたことです。

★人ばかりを目当てにしていますと、人のあら捜しばかりをしてしまいます。「人から言われている」と思うから、不足になります。神様に使って頂いていると思わせて頂きますと、有難くなりすべき事に打ち込んでさせて頂けるのです。出来事を通して、自分自身の器を作らせて頂き、ひびの入ったところを焼きつぐ心にならせて頂くことが大切です。

★6月は反省と改まりの月です。半年間の御礼を申させて頂き、今の自分自身が真の信心にならせて頂けているのかを振り返らせて頂いて、見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂きましょう。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶にひびの入っていることに気がつかずに、水をくみこんで安心しているから蓋をあければからっぽである。水をくみこむ心で焼き接ぐ心になればよい。』

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2016年06月22日

●真心が通じ合う  

 6月21日は、平成16年に73歳でお国替えなさった内尾節子氏の御命日でありました。この方は阿倍野教会で祭典の楽の御用をなさっておられた田中増江氏の娘さんにあたり、3代目の信心であられましたが、縁あって大分県に嫁がれました。阿倍野教会の毎月の御本部御礼参拝には日を合わせて大分県より参拝され、また春秋の御大祭には信心友達である陶山氏の家に泊めて頂いて参拝する熱心なご信者であられたのです。

★晩年、内尾氏は癌を患われ、末期状態であるということが判明し、ホスピスで治療を受けられることとなったのです。6月1日内尾氏の娘さんから陶山氏に連絡があり、「母が陶山さんに会いたがっていたのでお見舞いに来て欲しい」とのことでした。その時の内尾氏は昏睡状態で食事も出来られず、意識が無い状態が続いておられたそうで、いつどうなってもおかしくないとのことでした。陶山氏は早速教会へお届けされますと「是非行ってあげなさい」とみ教えを頂かれ、6月4日に会いに行かれました。すると、会いに行かれた日は意識が回復しておられ、内尾氏は待ちかねていたかのように大変喜んで歓談が出来られたのです。更に昼食が用意されましたら「美味しい、美味しい。」と完食することが出来られたのでした。後になって判明したことですが、内尾氏は陶山氏に会われた3時間だけ意識を取り戻されたというのです。その後、お国替えなさるまで話が出来る状態になるということはあられませんでした。

★陶山氏のお宅では娘さんの承諾を受けて、内尾氏の御霊神を自宅の霊舎に合祀して頂かれ、現在でも日々御霊前で拝礼しておられます。

★このお道は生神金光大神様のお取次ぎを頂いて天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂ける有難いお道です。大切なのは生神金光大神様のお取次を願うということ、お取次ぎによっておかげを頂いていくということです。ここがこのお道の神髄でありますから決して外してはいけませんね。
★『願うことは何事も、かなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』

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2016年06月21日

●神様に差し向けて頂き、使って頂く御用

 19日に御本部御礼参拝をさせて頂きました際に、御本部の御内で阿倍野教会の団体参拝の方々が、大変有難い御用にお使い頂きました。教徒社への道を体格の立派な男性が自転車に乗って走っておられました。すると、旧正門の階段の下あたりで、男性は急に容態が悪くなり、発作を起こされたのです。そして、道路と公園の間にあります深さ50センチメートルほどの水路に自転車のまま転落され、意識不明の状態で痙攣を起こされたのでした。

★なんと、その転落を阿倍野教会のご信者が目撃されていたのです。ご信者は一斉御祈念が終わった後、毎月の参拝の時には、そのまま休憩所へ行くのが常ですが、今回は金光図書館に寄ってから、休憩所へ向かっていたところ事故を目撃されたのでした。ご信者はすぐに駆け寄りますと、足が自転車に絡まり、とても一人では救助できない所に、阿倍野教会の教師とご信者が通りかかられたので、助けを求められました。3人で男性の足に絡まった自転車を取り、道路に担ぎ上げている所へ、なんと医師であられる阿倍野教会のご信者と教師3人とご信者が通りかかったのです。

★教師の一人が119番に通報し、救急車を要請しました。医師免許を持ったご信者が、男性の状態を確認され、「脈がはっきりしているので、痙攣が落ち着くまで待ちましょう。」との事で、痙攣が落ち着いてから、みなで男性を救助させて頂き、道路に担ぎ上げたのです。嘔吐した時に喉に詰まらないように横向きに寝かせておりましたら、救急車が到着し、救急隊員の救急車の応急処置により、男性は意識を回復なさったのでした。

★お湿りの後にも関わらず、水路の水深は数センチで、溺れることもあられませんでした。また私達が大阪から参拝させて頂く日に、またその瞬間に神様が引き寄せるように次々と正しい判断ができる医師と屈強な方々をその場へ差し向けて下さり、倒れたその人が助かられる御用に使って下さったのでした。毎月参拝させて頂く際は、御霊地や休憩所やトイレを必ず掃除させて頂き、少しでも御霊地で御用にお使い頂きたいと願っております。そうして、ただお参りするだけでなく、何か御用にお使い頂いて帰らせて頂く事を心掛け、願っておりますと、神様が次々と有難い御用を差し向けて下さるのだと思わせて頂いたことでした。

★『人が人を助けるのが人間である。人間は子供がこけているのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを見て、すぐに引き上げてやれる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。』

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2016年06月20日

●改まりのご修行が繁盛の元

昨日は涼しく身体に楽な天候のお繰り合わせを頂き1列車とバス7台で無事に上半期の御礼参拝を御本部にさせて頂くことが出来ました。大変ありがたいことと御礼を申し上げております。

★伊藤コウ師のご母堂、伊藤ハル刀自は、娘さん3人が次々と大病を患われ、家のめぐりの深さを思い知られたのでした。そして、「伊藤家のめぐりを私一代でお取り払い頂けますように。

その為にはどんなご修行でもさせて頂きます」と、神様にお誓いになりました。夜中の人目に付かない時間を選んで、近所近辺の道の掃除や溝さらいをなさり、大地にひれ伏して、家が代々積み重ねてきた天地に対するご無礼をお詫びなさいました。そのようにして、陰の徳を積むご修行に一心になられ、また、人々のお導きに熱心に取り組まれたのでした。

★人は皆、「なくて七癖」と言われ、様々な悪癖や我情我欲も持ち合わせているものです。物事がうまく運ばない時には、事の成就をただただお願いするばかりではなく、今日まで積み重ねてきためぐり(悪癖・悪習慣)をお取り払い頂けるよう、改まりのご修行を心がけさせて頂くことが、本当のおかげにつながってゆくのです。

ご先祖から代々のご信心によって、今日おかげを頂いているとしても、おかげを頂く元となった、その家々の改まりのご修行の歴史が必ずあるはずです。そこを忘れては、先々の繁盛は危ぶまれます。一日一日、油断なく、めぐりのお取り払いと、徳積みのご修行に真剣に励ませて頂きましょう。

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2016年06月18日

●自ら練り出し、改まる

 16日に婦人会例会でおかげ話をなさった門田氏は、ご両親が大変厳しい経済状況の中で入信させて頂かれ、二代教会長伊藤コウ師の御教導を頂いて、立ち行くおかげを頂かれました。

★門田氏のご両親は、入信後生まれた子供を2人亡くされました。門田氏のお父様は、お母様に「信心しているのに、子供が次々と亡くなるとはどういうことだ。これ以上信心するのであれば、御社と一緒に家を出てゆけ。」と言われたのです。悲しみの中、夜中にお母様は出てゆかれ、ふと気付いたら教会へお参りしておられました。お広前にコウ師がお出まし下さり、コウ師より「御主人が倒れたら家が立ち行きません。御主人の命の身代わりに子供さんが亡くなったのです。あなたの家のめぐりはどこへ逃げても逃げられるものではない。私に命を預けたと思って、死んだ気になって命がけで信心しなさい。1日3回お参りしなさい。その気になればまだ夜中もあります。何度でもお参りし、神様を信じ、一心におすがりしなさい。人に頼らず神様を杖に、いつも金光様、と私と一緒にいると思って、しっかり信心しみ教えを頂きなさい。先を楽しみにな。私が親と思って、何でも言ってきなさい。」とみ教えを頂かれたのです。

★それから、1日何度もお参りし、夜中にも参られ、一心不乱に辛抱して信心なさっておりますと、お父様も段々とお参りして下さるようになりました。身体の上でも生活の上でも苦しい中、今までの考え方、生活を改められ、徹底してみ教えを守り抜かれた結果、身体も毎日働かせて頂ける健康な身体に作り変えて頂かれ、子供に着せる産着がないほど、困窮しておられた生活から貯蓄ができる生活に変わってゆかれたのです。そして、今日も子供さん達が信心相続し、毎日参拝され、子孫が立ち行くおかげを頂いておられます。

★自ら練り出し改まってご修行させて頂くところに、道がつき、立ち行くおかげが頂けるのです。この夏の信行期間には、『練り出す信心、練り出す修行』を信行テーマとさせて頂きます。み教えを聴かせて頂いて、わが心から練り出す稽古をこのお広前で求め、神様とお約束させて頂き、熱のこもった信心を続けさせて頂きましょう。

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2016年06月17日

●女性の信心

婦人の五徳 
1)平素、人と競争せず…人と比べて競争をして、体裁を飾ることをせず、自分自身に打ち克つことを心掛ける。
2)苦難の時に恨み事を言わず。…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、悪いことを思わず、言わないことを心掛ける。
3)飲食を節する。…飲食を節することで身体と経済の健康を保たせて頂けるのです。衣食住が十分に足りている時でも、信心を元にして節することを心掛ける。
4)感情をむき出しにしない。…特に怒り、悲しみをむき出しにしない。喜ぶことはしっかりと喜び、意志をコントロールする。
5)よく尊敬する。…神様・ご先祖御霊様・周囲の人に対して尊敬する。敬う心を大きくしてゆくことが、自身の受け物を大きくし、徳と力を頂ける元です。

★家庭に於いては、子供さんが小さい頃から、神様にご先祖の霊様に手を合わせて拝むことが出来るように、親が子供の真心を作ってゆくのです。その家庭環境を作っていくのは親の役目ですから、それを怠りなくさせて頂くことは大変大切なことです。幼小の頃からみ教えを頂き、手を合わせて拝ませて頂く稽古をさせて頂いておりますと、自ずと真心が育っていきます。婦人は神様から有難いお役目を頂いています。そのお役目を喜んでさせて頂くことが、神様のお喜びお楽しみであると仰せであります。さらに家族の健康と真心を作り、それぞれに与えて頂いたお役目を全うし、社会のお役に立つことが出来るおかげが頂けるのです。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取り扱い注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり。子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも子供の健康のためである。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜ばれる。ここに母親の大責任がある。神の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神に参らない時に信心することがたくさんある。』

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2016年06月16日

●『昨日を忘れ 今日を喜び 明日を楽しめ』

二代教会長伊藤コウ師のことを「泥棒」だと言ってふれ回った人がありました。それが、あろうことか修行生の一人だったのです。

★その話が親教会にまで伝わり、当時の教会長であられた吉田新太郎先生が伊藤コウ師をお呼びになり、事情を説明するということになられたそうです。しかしコウ師は、一切弁明するようなことをおっしゃらず、「この度は、わざわざお時間を頂き有難うございました。

全て私の不徳の致す所でございます。真に申し訳ございません。」とお詫びだけを丁寧に申されたのでした。

★後に、その件が事実無根のことだと分かったのでしたが、コウ師は相手を責めるようなことは一切なさいませんでした。それどころか、「あの人は、もっと自分に親切にして欲しい、もっと自分に気を使って欲しいとそればかり思っているのです。

それをこちらが汲み取ることが出来なかったのが、私の至らなかったところですから、どうぞしっかりとあの修行生が育ちますようにお願いさせて頂きます」と仰ってその修行生の立ち行きを願い続けられ、ご布教が出来られるように準備をなさったのでした。

★さらにはその方が良縁を頂かれるように尽力なさり、お嫁さんを探されたのでした。そして、そのお嫁さんになられる方に対して「是非ともこのご縁の成就のおかげを頂いて下さい。どうぞ宜しくお願い致します」と手を付いてお願いなさったのでした。

★『昨日を忘れ 今日を喜び 明日を楽しめ』とみ教え頂いております通り、昨日のことに捉われておりますと、今日から新しいものを生み出すということにはなりません。過去のことは神様にお任せすれば良いのです。今月今日の信心を一生懸命にさせて頂きましたら、過去一切が救われていくのです。今日という日は過去一切を含んだ今日であります。

また、今日からの生き方というものによって未来を良き方向へ導いてゆくことも出来るのです。ですから今日一日、今日一日、信心に基づいて一心に目の前のことに打ち込み、過去のことに捉われず、今日お命を頂いていることを喜んで、明日を楽しみにお願いをさせて頂きましょう。

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2016年06月15日

●真心からの一心でおすがりする

 初代教会長・伊藤徳次師のお国替えの後、十日祭の当日のことです。旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長伊藤コウ師は、「何と、神様はここまで私を可愛いがってくださいます。これは、依存心の強い私に『人に頼らず、神にすがれよ』との有り難い思し召しと存じます。」と思われ、連判状を御神殿にお供えされました。そして、「この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。初代教会長先生のご意志を受け継がせて頂き、何としてでもご建築を成就させて頂けます様に」と、お礼とお願いを申されたのでした。

★三代教会長先生は、「人は皆それぞれに自分の生きる指針を持っています。我情我欲を指針とする人は、生きる世界が狭くなり、孤立し、やがて行き詰まります。神様のみ教えを指針とし、与えて頂く天職、御用を全て有り難く頂く人は、実に広々とした世界を生きられます。それは、出来てくる事全てを、おかげにさせて頂く修行となさっているのです。親先生が、お金もない、頼る人もない、という四面楚歌の状態で、なぜ強い願いを持ち続けることが出来られたのでしょうか。それは、『初代教会長先生のご意志を何としても受け継がせて頂きたい』『年老いた母が少しでもお元気なうちに神様のお広前を立てさせて頂き、ご安心頂きたい』という、二つの願いからでしょう。このような、真心からの一心が、実意というものです。『氏子身の上のことなんなりと実意をもって願え』と教祖様がみ教え下さったところの、実意のある、神様に通じていく願いです。」と説いて下さいました。

★神様を杖にさせて頂く、真のご信心に進ませて頂けますよう、今日一日、今日一日を大切に、ご修行に励ませて頂きましょう。

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2016年06月14日

●重石をかけて頂いてよい味が出る

私たちが成長してゆく上で、重石(おもし)をかけて頂くことを必要とする時期があります。それは私達を鍛え、成熟させ、人生を味わい深い良いものにしてくれるのです。

★例えば、あるお嫁さんにとっては、姑さんが重石です。お嫁さんは幼少の頃からご信心をさせて頂いており、み教えを頂いて育たれました。嫁ぎ先が豊かな家庭になるように家老としてのお徳を積ませて頂き、何としても有難い役目をさせて頂きたいと願っておられたのです。しかし、その姑さんが全く認めて下さらないのです。「あんたのような人が嫁に来て、うちの家は困っている。」と毎日のように言われ、ご飯を作れば「こんなまずい物は食べられない。」と言われます。それが長年続いたのでした。普通ならなかなか辛抱し切れないでしょう。ところが、そのお嫁さんはご信心を頂かれて嫁がれましたので、「どうぞこのお姑さんに喜んで頂けますように」というお願いを離されませんでした。そして、あれこれと仰る前に自分から動くということを徹底されました。現在は「私はあのお姑さんに鍛えて頂いたので、農作業でも料理でも何でもさせて頂けるようになりました。私は姑さんを恨んだことはありません」と話せるようになっておられます。その姑さんは、そのお嫁さんにとって必要な重石であったのです。

★また、ある方にとってはお舅さんが重石でありました。そのお舅さんは、会社の経営の上で道理に合わないことばかりを仰い、まともに経営させて頂きたいと思っている息子さんとお嫁さんは困っておられました。しかし、「どうぞ親孝行がさせて頂けますように。喜んで何もかも任して頂ける私達にならせて頂けますように。」とお願いされました。現在は重責を任して頂いておられます。そのご夫婦にとっても、お舅さんは必要な重石であるのです。しかしその必要性が分からなければ、“不必要”だと思ってしまいます。それが間違いの元となってくるのです。

★「あんな事を言う姑は不必要だ。」「あんな事をいう舅は不必要だ」と不足を言っていると、感情をコントロール出来なくなります。そして、自分の思いに添わない者は排除しようとばかり考えます。しかし、それでは味のある素晴らしい人間性には育ちません。ですから、「私にとって必要なご修行なんだ。重石をかけて頂き、より程度の高い人間に成長させて頂こう」と思わせて頂きますと、出来てきた事を有難いおかげにさせて頂けるのですね。
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2016年06月13日

●明日は必ず良くなる!明後日はもっと良くなる!

 故・太田康夫氏は、42歳の時に心膜炎にかかり、心臓に水が溜まり体中に浮腫が起きられたのでした。一日に摂取できる水分量に制限があられた中で、ご家族が御洗米を毎日重湯状に炊いて病院に持っていかれました。すると、お小水にどんどん溜まっていた水分をお取り払い頂かれ、40日の入院で全快のおかげを頂かれたのでした。

★また、66歳の時には膠原病による免疫力の低下で呼吸困難になられました。体の皮膚や、爪がはがれてしまうほどに衰弱されたのでした。約三ヶ月余り入院されましたが、この間もご家族が勢を揃えて心を神様に向けられお世話されました。昼食に看護についていたおられた妻・弘子氏がサンドイッチを食べようとすると、45日間病院食も頂かれていない康夫氏がずっと見ておられるので、弘子氏は神様にご祈念されて康夫氏に渡されました。すると、全て喉を通るおかげを頂かれ、それからお粥を頂かせて頂けるようになり、みるみる元気になられたのでした。

★78歳の時には咽頭癌で放射線治療を受けられました。免疫力が低下しやすいお体であったにもかかわらず、医師から「放射線に強い体ですね」と言って頂かれ、十分な治療を受けることが出来、全快させて頂かれたのでした。

★日々の生活で、心配事は次々と起こってきます。しかし、信心させて頂きますと、心配は神様にお預けして、お願いに変えてゆくことが出来るのです。神様にお預けさせて頂いた以上、全て忘れて「明日は必ず良くなる!明後日はもっと良くなる!」と良いことばかり思って先を楽しみに信心させて頂きましょう。すると、先が開け、神様は必ず良いほうへ道をつけて下さるのです。

★『心配が増したり、物事を苦に病むようになるのは、信心が落ちた証拠である。その時、これをありがたく思って信心すると、これが修行になって、また一段と信心が進んでいく。そうでないと信心が落ちてしまって、心配や苦難に負けて、どうにもならないようになってしまう』

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2016年06月12日

●宝を生み出し、人間の値打ちが上がるみ教え 

『此の方の行は、水や火の行ではない。家業が行ぞ。』
『金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ』とみ教え下さっていますが、どのように生活をしてゆけば豊かになって幸せになるのでしょうか?

★二代教会長伊藤コウ師は、仕事について分かりやすく教えて下さっています。「銘々に与えて頂いている仕事は、神様から与えて頂いた御用だと思い、有難くさせて頂くことが大切ですよ。“こんな仕事は嫌いです、あんな仕事も嫌いです”と言っている人には、あなた命が無くなってしまってもよろしいのか、と話します。例えば、食べ物でも”これが嫌い、あれが嫌い”と好き嫌いばかり言っていると、体が弱ってしまい、生きてゆけなくなります。それと同じように、仕事でも”これが嫌い、あれが嫌い”とばかり言っておって仕事が無くなると、食べられないようになり、生きてゆけなくなってしまうのです。それだけ仕事は大事なんですよ。」と説いて下さっています。

★さらに、コウ師は子供の頃に読んだという話を引用してより分かりやすく説いて下さっています。[昔、遊大庵(アソビタイアン)さんと石部金吉(イシベキンキチ)さんという2人の人がいました。遊大庵さんは、医者でしたが、酒ばかり飲んで遊び呆けており、借金ばかりしていました。一方で石部金吉さんは、真面目に朝早くから夜遅くまでこつこつ働く金物細工の職人でした。ある日、石部金吉さんの家に泥棒が入り、お金をごっそり持って行ってしまいました。それを聞きつけた大庵さんは、「今日こそは金吉さんも腰を抜かして落ち込んでおるだろうから、見舞いに行って慰めてあげよう」と様子を見舞いに行きました。しかし、金吉さんはいつもと変わらずに平然と仕事をしていたのです。金吉さんの「お金は持って行かれても、命を持って行かれたわけではない。お金は働いたらいくらでも得られるから何という事はない」との言葉に、大庵さんは大いに感心したのでした。有難く喜んで仕事をしている人と、仕事が嫌で仕方なく働いている人と、その生き方は全く正反対です。神様にお願いしながら有難く喜んでさせて頂く仕事は、神業といわれるほどのことが出来るようになってくるのですよ。]

★今の環境に不足を言わず、与えて頂いている仕事や家族、土地、家に対して御礼を申して喜んで生活させて頂く生き方が、幸せの元であるのですね。お道のみ教えは、宝を生み出すみ教えであり、人間の値打ちが上がるみ教えであるということです。

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2016年06月11日

●必ず届く「有り難い」の一心

 『神様が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる。それを聞いて、子供にでも他人にでも話して聞かせてあげよ。めいめいにそれを心得、天地の神様はありがたいとわかって信心する人が一人でもできれば、神様がお喜びになる。そうなれば、あなた方も神様のご用に立つこととなる。』

★あるご信者は、姪御さんとその息子さんをお導きなさりたいと、真剣に願っておられました。息子さんは、突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒に思ったご信者は、折に触れてはお道のご信心の有り難いことを話しておられたのでした。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、ある年の春、やっとの思いで御本部の御大祭にお導きが出来られたのでした。

★ところが、米子に住む姪御さんと息子さんの到着が遅れて御祭典を拝むことが出来られず、御本部のお広前だけにお参りなさることになったのでした。ちょうどその時、御祭典後にお広前で御祈念させて頂いていた私が、居合わせたのです。「先生。」と声を掛けられ、ことの次第をご信者からお聴きしました。息子さんは、初めてお参りした御本部のお広前で長い時間額ずき、母親である姪御さんが驚くほどに、真剣に御祈念なさったのです。私は、三代教会長先生のお手代わりとして、先生がお届けをお受けになる場に移動して、更にお話しを伺いますと、姪御さんは、「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです・・・」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことには、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は、28才の時に交通事故で亡くなられ、そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、御霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。その後、息子さんは御神米を目当てに常々ご祈念が出来られるようになり、発作が激減したのです。夏休みにはお父様も共に家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

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2016年06月10日

●神様に通じる願い方

 先日、あるご信者がお届けに来られ、「お願いさせて頂いたら、私の願いを聞き届けて下さるのでしょうか?」とお尋ねになりました。

★その方に対して〔あなたはどうあってもおかげを頂けますように、とお願いしなければならないのではありませんか。おかげが頂けるならお願いをする、おかげが頂けないならお願いをしないというのは、神様を疑っているようなもので、真心のこもった一心のお願いとは言えません。例えば、夫婦が結婚を決めようとする際に相手に「私の言うことをずっと聞いてくれて、私の気に入るように生涯お世話をしてくれるなら、愛すけれどもそうでなければ愛せない」と言ってしまうと夫婦として円満な生活を送れるでしょうか?相手を幸せにしたいとお互いに思い、相手の為に苦楽を共にすることを心掛ける生活こそ幸せを生み、円満な家庭が築けるのではないでしょうか。そのような在り方は人に対してもそうですし、神様に対しても同じことです。神様が聞き届けて下さるような願い方、真心一筋の信心をさせて頂くことが神様に通じてゆく道なのです。〕とお話しをさせて頂いたことでした。

★「私のお願いは聞いてもらえるだろうか?」と疑いの心を持ったり、「私はだめな人間ですから、お願いしても聞き届けて頂けないだろう」と自分に言い訳をして不成心を持ち、自分の力を限ることは神様への冒涜です。不成心を取り去って、真一心に願い、そして神様から頂いたみ教えを素直に守らせて頂く所に、神様が願いを聞き届けて下さるのです。

★『みな、おかげを受けるために参って来ているはずであるが、中には、神が「おかげをやろうやろう」と言われるのに、「いや、結構です」と言って帰る者もある。おかげをぜひいただかなければ帰らないという気でいる者こそ、おかげがいただけるのである』
『容赦をすな。鐘は打ち割る心でつけ。太鼓はたたき破る気でたたけ。割れも破れもせぬ。ただ、その人の打ちよう、たたきようしだい。天地に鳴り渡りてみせよう』

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2016年06月09日

●願いを持つ

 昨日は、みかげ会例会が開催され木村氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★木村氏は、ご信心のあられる奥様との結婚を機に入信され、今年で38年になられます。入信当初、二代教会長伊藤コウ師のお説教で、しっかりと願いを持つことと、5つのお願い(体の丈夫、子孫の信心教育、豊かな生活、平和円満、徳と力)が大切であることを教えて頂かれました。早速、@結婚のお願いA宅地建物取引主任者試験合格のお願いB母親の肝臓病全快という3つのお願いを立てられました。すると、すぐに全てのお願い成就のおかげを頂かれ、何事も一心にお願いすればおかげを下さる神様であるということを身を持って体験されました。

★木村氏は「子宝を授けて頂けますように。その為にはどのようにご修行すればよろしいでしょうか?」とお届けされました。そして「一回でも多く参拝させて頂き、み教えを頂きましょう。」とみ教え頂かれました。そこで昭和53年7月の信行期間に、夫婦揃って一日も欠かさず朝参りをさせて頂かれました。すると信行期間が終わった8月1日に妊娠の診断を頂かれたのです。しかし、その一週間後に流産の恐れがあるということで奥様は入院なさることになりました。「一週間でおかげを頂きましょう」とのみ教えの通りに、一週間目に退院のおかげを頂かれましたが、9ヶ月に入った頃に、今度は早産の恐れがある為、二度目の入院をされました。しかし、二代教会長先生や三代教会長先生の深いお祈りにより、早産ではなく無事に長女さん出産のおかげを頂かれたのでした。また、二世帯住宅購入の際にも土地や時節において大変なおかげを頂かれました。現在は娘さん家族と円満に同居され、子孫繁盛・家繁盛、信心相続のおかげを頂いておられます。

★しっかりとした願いを持ち、五つの願いに沿って日々の参拝と御用を油断なく熱心に取り組んでおられることにより、家庭の上にも、仕事の上にも、子孫の上にも結構なご都合お繰り合わせを頂くことが出来るのですね。

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2016年06月08日

●無理、無駄、ムラを省く

現代の生活は随分恵まれていることばかりですが、その中にあって足るを知り、生活の無理、無駄、ムラを省かせて頂くことが、末永く繁盛する元です。両足を目一杯に広げて立っていると、前から少し突かれたらすぐに倒れてしまい、後ろから少し押されるとすぐに転んでしまいます。そういう状態が「無理」な状態です。

★「無駄」というのは、物や、時間、お金、労力など、生活全般に亘って粗末にしていることです。例えば、各家庭に必ずあります冷蔵庫、その中の腐り物を捨てる量は、1ヶ月で平均3000円分もあるそうです。お金も物も人の労力をも無駄にしていますね。

また、鉛筆の芯は丸い円筒形ですが、鉛筆を削って先をとがらせて使います。円筒形を三角錐にするとして計算しますと、3分の1だけが残ります。それが、実際に使用する部分です。すなわち削ることによって、その都度3分の2が削られ捨ててゆくことになります。

一本の鉛筆を使い切ったとしても、実際使う部分は3分の1ということとなり、1ダース(12本入り)と使い切ったとしても、実際に使う部分は、たった4本なのです。そのような鉛筆を使い切らずに半分ほどで捨てるとなれば、どれほどの無駄をしているでしょう。私達は、知らず知らずのうちに無駄をしているのです。

★「ムラ」というのは、飽き性で一度決めた良いことが長く続かないことや、調子の良し悪しが激しいことを言います。ムラっ気のある生活は、決して繁盛しませんね。

★二代教会長伊藤コウ師は、「改まるということは、新たに芽が出るということなのです。家としての改まり、仕事の上での改まり、全ての面において一つ一つ改まらせて頂くことによって、段々と新しい芽が出ていって、結構にならせて頂けるのです。」とみ教え下さっております。

★飽食の時代にあって、私達は何をご修行にし、どのようにおかげを頂いてゆかねばならないか、考える必要があります。四代金光様は『実意を込めてすべてを大切に』とみ教え下さっていますように、手元のところから大切に生かして使わせて頂くことが、無理、無駄、ムラを省いた生活となってゆき、繁盛してゆくのです。
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2016年06月07日

●小欲を放し、大欲を持つ

二代教会長伊藤コウ師のお母様であられますハル氏は、コウ師に「ここに大きな長持があるとします。そこにはあなたが欲しい物が全て入っています。しかし、その長持には鍵がかかっています。その鍵を開けようと思えば、生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂かなければ開きません。ですから、欲しいと思えば神様におすがりしなさい。また、頂かせて頂けるだけの徳と力を頂きなさい。そうすれば神様が鍵を開けて下さり、いくらでも頂かせて頂くことができるのです」と仰ったのでした。

★我情我欲を放し、「神様の御心に近付かせて頂きたい」という大欲を持ち、今、目前にあるしなければならないご修行に打ち込んでさせて頂きましょう。生まれながらにして神様から頂いている欲、「生きたい」という欲や「助かりたい、向上したい」という欲は人間にとって必要なものです。さらに周囲の方々に助かってもらいたいという神心を大きくして、大欲を持つことが大切なのです。

★教祖様は『世界中の人を助けたいという欲がある』とまで仰せになっておられます。神心に沿った正しい欲を持つ事によって、段々と人の事が思えるようになり、願えるようになり、お世話がさせて頂けるようにならせて頂けるのです。 お広前は、生涯かけてみ教えを学ばせて頂き、信心の稽古をさせて頂く有難い修行の場です。み教えを頂く事で心を練り直させて頂き、ご用やお導きを通してお徳を頂きましょう。

★「五濁」…お取払い頂くべき我情我欲 ○貪…欲深く自分に取り込もうとする心。○瞋…怒ること。不平不足を思って人に腹を立てること。○痴…非理性的なこと。愚痴不足を言うこと。○慢…驕り慢心。○疑…疑いの心。

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2016年06月06日

●覚悟を決める元

 三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血で40日間絶対安静を必要とする状況になられました。私はベッドのそばで御祈念させて頂いておりましたが、心配や不安で離れることができませんでした。「今晩徹夜してでもかまわない。御祈念させて頂く。」と思っている最中に奥様が「あなたが一晩徹夜しても治られるわけではありません。一人では何も出来ません。皆が交代しながら長期に亘ってお世話をさせて頂き、おかげを頂かねばならないことです。気が済むまでお広前でしっかりと御祈念させて頂いて、すべて神様にお任せさせて頂きなさい。先生は必ずおかげを頂かれます!」と言って頂いたのでした。その後、お広前で1時間半ほど心中御祈念させて頂いておりますと、有難いことに「あとは万事お任せ」と思わせて頂くことが出来ました。

★私が高校3年生の時でしたので、三代教会長先生に「私は高校を卒業させて頂いたら、大学には進学せずに、金光教学院に入らせて頂きます。」と覚悟の程をお話ししますと、先生は「大学を受験させて頂きなさい。私は必ずおかげを頂きます!」と仰って下さったのです。

★40日間絶対安静の後に、歩く事からリハビリをなされ、お説教やお結界の御用を通して徐々に回復のおかげを頂かれました。そして先生は90歳6ヵ月で天寿を全うされるまで、御用にお使い頂かれたのです。

★三代教会長先生と奥様が、「必ずおかげが頂ける!」と神様にすべてをお任せされ、どんな状況になられても揺るがないご信心を示して下さいました。そのお姿を拝ませて頂き、私の心に有難い衝撃を与えて下さったのです。この出来事を通して、私の心は定まらせて頂き、お許しを頂きまして、現在も神様の御用にお使い頂いております。親を思う心は、覚悟を決める元となり得ます。神様に喜んで頂くには、まずは、親様に喜んで頂くことが第一歩であるのですね。

『神様の事を知りたければ、親の有難い事をまず知れたら、神様の有難い事が解る。』

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2016年06月05日

●神の一言は千両の金にもかえられぬ

 伊藤家の信心の初代である伊藤ハル刀自(二代教会長・伊藤コウ師のご母堂)は、京都から大阪へ転居されて間もなくご主人を亡くされました。娘三人と、女ばかりの所帯ですので、「京都へ戻って親戚を頼るべきか?大阪へ残るべきか?どうすればよいか?」と大いに悩まれました。その時に、難波教会のお結界で井上又兵衛先生のお取次を頂かれ、「伊藤さん、信心しなさいや、信心しなさいや、しっかり信心しなさいや」とみ教えを頂かれるのです。ハル刀自は、「京で鳴らん太鼓は、大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は、京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることはない。今必要なことは、しっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。どこでも鳴り響く太鼓に張替えさせて頂こう」と、この時決心させて頂かれたのでした。

★生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂いて、確かな道を示して頂けるという事は、どれ程有り難いことでしょうか。日々の生活の中で、全てのご都合お繰り合わせを頂いて、参拝させて頂くには、それだけの願いと覚悟が必要です。「何としてでも朝参りをさせて頂こう!」と願いを立てさせて頂いたら、朝参りに間に合うように起床させて頂くために、前の晩から工夫が生まれるでしょう。一回でも多く参拝させて頂き、一言でも多くみ教えを頂いて、お広前のお徳を頂けば、そのお徳によって、日々の生活で万事におかげを頂くことが出来るのです。

★『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2016年06月04日

●心の眼、心の耳を開く

先月のことですが、あるご信者は、外出する際に、自宅の扉の鍵を閉め、カバンの中に鍵の束を入れ、15分ほど自転車に乗って知人のお宅を訪れ、用事を済まして帰宅されました。自宅の鍵を開けようとカバンの中を探しましたが、鍵が見当たりません。御主人にも伝え、一緒に探されましたが、とうとうその日、鍵は見つかりませんでした。

★御主人は、それから御神殿で「この度の鍵の紛失によって、信心が一段と進ませて頂き、御大祭のご庇礼が頂けますように。どうぞ、出てきますように。」と御祈念されました。翌朝、御主人は、教会へ参拝されお願いしておりますと、心に「妻が訪れた先方の家の近くに落ちている」と教えて頂かれたのです。

★もう一度、奥様が通られた同じ道を御祈念しながら、「必ず出てくる」と信じて探されました。先方の家まで行かれ、引き返して探しておられますと、交差点の信号が点滅したので、止まられました。ふと車道と歩道の間にあるプランターをみておりますと、「そこ(向こう側)に落ちている気がする」と心に思われ、自転車を降りそのプランターと車道の間をみますと、なんと鍵が落ちていたのです。鍵をみますと、頑丈な部分が一つ欠けている所があり、おそらく鍵は車道に落ちて車のタイヤで飛ばされたことが分かりました。信号が変わらなければ、そのまま通り過ぎていたところを、神様が教えて下さったのです。御主人は、早速お礼届けに来られ「御大祭のご庇礼を頂き、有難うございました。この度は、貴重な結構な勉強をさせて頂きました。」と御礼を申されました。

★どのようなことが起きてきても「これをおかげにさせて頂けますように。」とお願いさせて頂き、改まらせて頂きますと、心の眼、心の耳が開いて神様の思し召しが分からせて頂くことが出来るのです。それは、出来事を通して教えて頂くこともありますし、また人の口をもって教えて頂けることもあるでしょう。また、心に思わせて頂くこともあるでしょう。それを、素直に有難く頂いて改まってゆく所に、みなおかげとなってゆくのです。
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2016年06月03日

●明き・清き・直き心

 先日、淡路島で玉ねぎの栽培をなさっておられるご信者がお参りに来られ、お届けされました。[今年は、うちの地域で玉ねぎの菌が病気にかかり、その病気に対応して薬も散布しているのですが、多くの農家は玉ねぎが大きく育たなかったり途中で腐ってしまうという被害に遭っています。しかし、うちの玉ねぎは結構なおかげを頂きまして、病気にかかったにもかかわらず、立派に大きく育ってくれました。

私が毎回必ずさせて頂くことは、菌にご神酒を水にうすめて撒かせて頂き、「今年も立派な玉ねぎが出来ます様に」とご祈念を込めてその苗を守って頂くのです。薬も他の農業と同様に散布しますけれども、もう一軒のご信者さんの畑も同じようにご神酒を水にうすめて畑に頂かせて頂いておりますので、うちとそのご信者さんの畑は昨年同様に立派な玉ねぎが収穫出来ました。他の農家の方が「あなたのところはこんなに立派な玉ねぎがよく出来ましたね」と皆が感心して仰っておられました]と大変喜んでお礼を申されたのでした。

★そこで、そのご信者に御神酒をお下げさせて頂きますと大変喜ばれ「これでまた自分自身の体の上にもおかげを頂きますが、作物の上にもおかげを頂きます」とお礼を申されました。

★心清く純真にご信心を進められ、「どうあっても御神酒でおかげを頂こう」と真心込めてお世話なさっておられることにより、そこに天地のお徳が表れ、作徳のおかげを頂いておられるのですね。

★私達は、日々「明き・清き・直き」心を育てさせて頂く事が大切ですね。
○明き…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。
○ 清き…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。
○直き…心を空にして、み教えを心から有難く頂き、素直に実行させて頂く。

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2016年06月02日

●おかげを頂き続けるためには・・・

『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』

★6月は上半期締めくくりの大切な月です。何事も、後始末をしっかりとさせて頂くことが、成功を連続させる鍵となるのです。半年間のお礼を行き届いて申させて頂けるよう、日々稽古させて頂き、喜び上手に、また、お詫びの申し上手にならせて頂きましょう。そこから、正しいお願いが生まれるのです。

★息子さんの家庭内暴力に悩まれていたある方が、ご信者にお導き頂かれて、二代教会長・伊藤コウ師より、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれました。しかし、お父さんは、「自分が働いて息子をここまで育ててきた。」という思いからなかなか抜け出せず、み教え通りに息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこでお父さんは毎日毎日、「どうぞ、この息子を心の底から拝めますように。」とお願いなさる稽古をされたのです。

★来る日も来る日も、神様におすがりしながら、年月をかけて息子さんを拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていったのです。さらにその息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、ついにはその子供を連れて教会へお参りしてくれるようになられたのでした。それでも、お父さんは、「私はまだ心から有難く息子のことを拝むことが出来ておりません。どうぞお許し下さい。」とお礼とお詫びを申され、入信の初めに頂かれたみ教えを、生涯かけて素直にまた謙虚に守り通されたのでした。

★「もうこれで十分」と思うときには、そこで信心は止まってしまうのです。真のお礼、お詫び、お願いをさせて頂けているのか、油断なく自分を見つめ続け、生涯かけて稽古に励ませて頂きましょう。

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2016年06月01日

●初めの心を忘れずに

四代金光様は、『どこまでも、教祖様のおぼしめしを頂いて、自分の流儀とか、自分が中心になるような考え方ではなしに、つまりご用が金光大神流になるということ、我流なご用にならんというそういう生き方は、やはりお手本を習う、けいこをしていく生き方のなかからできていくのだと思います。

「信心も手習いも同じこと」とおっしゃっておられます。習うのは自分ですけれど、全部、お世話になり、手本があってのことであります。我をはっては、手本に絶対に似ることはありません。手本に似るということは、我流が抜けていく姿だと思います。我をはるつもりはなくても、自分の思うことが中心になったり、自分の思いを通したりすることは、結局、自己過保護にすぎない。我を通すことも、わがままをすることも、みなそうだと思います。』と仰せになっておられます。

★『這えば立て、立てば歩めの親心』と昔から言いますが、天地の親神様は氏子が這うことが出来るようになれば、次は立てるようにと願って下さいます。さらに、立つことが出来るようになれば、次は歩くことを願って下さって、どこまでも私達の信心が進むことを願って下さっておられます。しかし人間というのは、年を経て、月を重ね、社会に出て様々なことを経験していくづつに、おごりがましくなってしまいやすいものです。

★そこで、成長させて頂くにつれて、初めの心(純真さ、素直さ、熱烈さ、謙虚さ)を忘れずに、常に見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂くことが大切です。常に心が正しく神様に向かわせて頂き、今日一日今日一日新たに向上させて頂けます様、下半期おかげを頂いて参りましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
posted by 金光教阿倍野教会 at 00:41 | 平成23年の「み教え」