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2016年03月29日

●先手の信心 

 金光大神様に近藤藤守師が山に入ってご修行したいことをお届けされた時のこと、『はじめは麦粉で練った団子で命をつなぎます。次には木の実や木の葉で生きられるようになります。ついには水ばかりで生きられるようになります』と覚悟を決められた上で、

『なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります』と申し上げられますと、金光様は近藤藤守師に『それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。』 と仰せになられたということです。

★何もかもが有難いことばかりですのに、千のうち一つほどの痛いところがあれば、そればかりが気になって不足を言ったり、人の悪い所ばかりが目に入ってしまうのでは、私達が神様から頂いている尊いものが表に現れなくなってしまいます。今、私達に与えて頂いているおかげの数々に気が付かせて頂けましたら、喜びに満ちた生活にならせて頂けるはずです。心に深山幽谷を作って、日々そこでの不自由をイメージして暮らすならば、現在がどんな環境にあっても、その中に喜びを見つけることは出来ます。病床にあって、不自由が多くても、喜ぶべきことはたくさんあるはずなのです。

★「あれも当たり前だ、これも当たり前だ」と思っているから、神様が「そうか、これもあれも全部一人で出来るんだな。ではやってみてごらんなさい」と、自由を取り上げなさるのです。そうしてやっと、自分ひとりでは何も成し得ないことに気が付き、「あれも人様に世話になっているおかげであった、これも神様のおかげであった」ということが初めて分からせて頂けるのです。当たり前と思っていたことが、失ってみてはじめてその有難さに気が付くのでは、後手の信心です。私達は先手の信心をさせて頂くことを教えて頂いています。何もかも自分が考える以上のおかげを頂いてのことであるということに気付かせて頂き、喜びを見つけるご修行をさせて頂きましょう。

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:36 | 平成28年の「み教え」