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2016年03月31日

●辞して譲る

 真清会館建築の際、設計図を作成させて頂きました。作成後、隣接のご近所の方に集まって頂いて説明させて頂いた上で、役所に建築確認申請を出させて頂きました。そして基礎工事が始まり、着々と工事が進んでいた時のことです。ご近所の方から「設計図にあった裏口を作る事を止めて欲しい」という要望があったのです。ご近所の方々との話し合いが終了して午後10時頃より設計して頂いた方と話し合いました。法的には何の問題もありませんが、三代教会長先生に翌朝報告させて頂き、お伺いしなければなりませんので、万が一の為に新しい案を考えさせて頂いておりますと、夜中12時を過ぎました。

突然その部屋に三代教会長先生がお出ましになられ、経緯を説明させて頂きますと、三代教会長先生は「皆さんの要望に応えさせて頂き、言われる通りにさせて頂きなさい」と仰せになったのです。そこで考えておりました案をお見せしましたら、「これでよろしい、進めなさい。」とお許しを頂くことが出来ました。設計図を書き直していきますと、空間の無駄がなくなり、機能的で維持管理しやすい以前の案よりも良い設計となったのです。

★翌日、ご近所の方にご挨拶に行き[昨日のお申し出を教会長先生にお伺いさせて頂きますと、「皆さんの仰る通りにさせて頂きます」と仰せになりましたので、その通りにさせて頂きます]と伝えました。するとご近所の方々は「無理を承知で言いましたので、まさか聞いて頂けるとは思いもしませんでした。そこまで聞き入れて下さるのでしたら、私達もこれからは一言も何も言いません」と仰ったのです。変更させて頂いたことで、ご近所の方が大変喜んで頂けることにもなり、建物も以前の設計よりも使い勝手が良い設計とならせて頂いたのでした。そして建築確認申請に変更をかけて出し直し、工事も無事に進むおかげを頂いたのです。

★工事が完成するまでの間に三代教会長先生は大腿骨頸部を骨折なさったため、真清会館完成後には車を使って表口から出入りされる事になったので、裏口を使う必要は無かったという事に後で気付かされたことでした。神様は先々のことを考えて、ご近所の方のお口をもって教えて下さったのですね。

★1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)
2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)
3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)
4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)

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2016年03月30日

●補佐の御用に徹する御姿勢

 二代教会長伊藤コウ師が金光教学院へ入学を志願された時、初代教会長伊藤徳次師におもむろに進言されますと、徳次師は「奥さんは奥の御用をして頂いたら良い。」と退けられました。コウ師は「はい。」と素直に聞かれ、それからは神様に一心にお願いされました。すると、徳次師は学院入学の願書締め切り前日に、妻であるコウ師が亡くなった夢を見られたのです。そして、自身の考え違いを深く反省され、入学を許可されたのでした。コウ師は、どのような事でもご自分の意見を通すようなことはなさいませんでした。それは、立場をわきまえられ、補佐の御用に徹せられたのです。

★三代教会長・良三師も徹底してコウ師の補佐の御用を貫かれました。良三師がコウ師の随行で四条教会に参拝なされた時のことです。四条教会の先生が、良三師に「立派な若先生になられましたなあ。先々は結構な教会長になられますなあ」と言葉をかけられた時に、三代教会長先生はすかさず「いえ、私がなれることではありません。」と答えられたのです。どういうことかと言いますと、「私は跡継ぎになろうとか、次の教会長になろうとかそういうことは考えておりません。神様がお決めになられることですから、自分がしようとは考えておりません。私は、補佐を一生懸命させて頂いて、全うさせて頂くだけです。」ということでした。行き届いた補佐をさせて頂くという姿勢だけがあられて、自分がしようという姿勢は微塵もあられなかったのです。三代教会長先生もおもむろに進言をされることはあられましたが、コウ師が首を横に振られましたら、素直に頂かれ、また時節をみて、進言されるという御姿勢を貫かれました。

★コウ師は「責任を持てる人は、神様からお徳を頂いて段々とより一層に結構にならせて頂けるのです。徳と力を頂くということは、与えて頂いた仕事に責任を感じて、実意丁寧に全うさせて頂くことです。仕事に対して、怠慢でいい加減なことばかりしてお茶を濁すような事をしていては、徳と力は決して頂けず、神様からもご信用は頂けません。」とみ教え下さっています。
それぞれに与えて頂いた仕事、立場に責任を持ち、全うさせて頂くことが神様からも人からも信用を頂くことになるのです。

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2016年03月29日

●先手の信心 

 金光大神様に近藤藤守師が山に入ってご修行したいことをお届けされた時のこと、『はじめは麦粉で練った団子で命をつなぎます。次には木の実や木の葉で生きられるようになります。ついには水ばかりで生きられるようになります』と覚悟を決められた上で、

『なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります』と申し上げられますと、金光様は近藤藤守師に『それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。』 と仰せになられたということです。

★何もかもが有難いことばかりですのに、千のうち一つほどの痛いところがあれば、そればかりが気になって不足を言ったり、人の悪い所ばかりが目に入ってしまうのでは、私達が神様から頂いている尊いものが表に現れなくなってしまいます。今、私達に与えて頂いているおかげの数々に気が付かせて頂けましたら、喜びに満ちた生活にならせて頂けるはずです。心に深山幽谷を作って、日々そこでの不自由をイメージして暮らすならば、現在がどんな環境にあっても、その中に喜びを見つけることは出来ます。病床にあって、不自由が多くても、喜ぶべきことはたくさんあるはずなのです。

★「あれも当たり前だ、これも当たり前だ」と思っているから、神様が「そうか、これもあれも全部一人で出来るんだな。ではやってみてごらんなさい」と、自由を取り上げなさるのです。そうしてやっと、自分ひとりでは何も成し得ないことに気が付き、「あれも人様に世話になっているおかげであった、これも神様のおかげであった」ということが初めて分からせて頂けるのです。当たり前と思っていたことが、失ってみてはじめてその有難さに気が付くのでは、後手の信心です。私達は先手の信心をさせて頂くことを教えて頂いています。何もかも自分が考える以上のおかげを頂いてのことであるということに気付かせて頂き、喜びを見つけるご修行をさせて頂きましょう。

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2016年03月28日

無限の力を引き出すために

科学者が総がかりになっても無のところから一つの細胞をも生み出すことは出来ないと言われています。

それを考えますと、生命が生み出されるということは天地の大親神様のお働きであり、どれほど尊いことでしょうか。

人間の体は、元は一つの細胞から始まり、母親の胎内で分裂を繰り返して、およそ40週かけて一人の人間として産まれてきます。そして生まれた後も体は代謝を繰り返し、古い細胞、傷ついた細胞は新しい細胞に生まれ変わりながら、私達は意識することもなく知らず知らずのうちに日々体を整えて頂いております。

一説では、脳の細胞は生涯のうちに10パーセント程度しか使われず、残りの90パーセント近くは開発されることがない、未知の領域の能力だと言われているようです。生命を頂いているということは、実に驚くべき天地のお働きを受け続けているということなのですね。

★心も体も、親神様から頂いた尊い賜りものです。日々生かされているお礼をしっかりと申し、頂いている能力を最大限に発揮出来るようお願いさせて頂くことによって、有り難い働きをいくらでも現わさせて頂くことが出来るのです。心も体も、自分も助かり周囲の人々も助かるような、神様に喜んで頂ける使い方をさせて頂けますよう、日々心掛けて稽古に励ませて頂きましょう。

★『信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。神様へおかげを受けるお願いも、その人、人で、違いがある。おかげも仕事も人なみ以上のおかげをこうむり、人にほめられるようにしなさい。』
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2016年03月27日

●おかげの再認識

 25日は青年会学生会例会が開催され、尾ア氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。尾ア氏は、曾祖父母からこの有難いご信心を素直に受け継がれて、小さい頃より信心と勉強と御用に励んでおられたことにより、何度も命のないところを助けて頂かれました。また結婚と子宝のおかげを頂かれて、未信奉者であられた奥さんをお導きされ一家勢信心のおかげを頂いておられます。

★おかげ話の後、尾ア氏とお話させて頂き[おかげ話を通して、結構な過去を振り返らせて頂く機会を与えて頂かれましたね。改めて過去を振り返って、おかげを頂いてきたことを文字に表すということは、今まで気付かなかったことに気付かせて頂くことが出来、今まで分からなかったことが分からせて頂くことが出来るのですよ。おかげ話をさせて頂くことによって、自分自身だけでなく、家族・親族もがあなたが有難いおかげを頂き続けてきたことを再認識させて頂くことが出来ますよね。

さらに、初めてその話を聞かれた方々には「小さい頃からなんと有難い体験をさせて頂かれているのだなあ」と周囲に有難いものが伝わってゆくのです。そしてあなたが経験を積み重ねさせて頂くことによって、「今のうちに分からせて頂きなさいよ、そうすれば先々が結構にならせて頂けますよ」と神様から願いをかけて頂いていることを悟らせて頂くことが出来るのです。今回はここからまたどういう方向へ進ませて頂いたら良いのか、考え直しをさせて頂く良い機会にさせて頂きましょう]とお話しさせて頂いたことでした。

★受けたおかげを人に話したり、文字に書き表すことによって、今まで分からなかったことが一段と分かるようになり、信心が一段と進むことが出来るのです。すると、有難いものがまたそこから生まれてゆくはずですよ。

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2016年03月26日

●毎日がおかげに満ちた新しい日

 あるご信者のご主人は、電気工事の仕事をなさっておられましたが、昭和63年7月に220ボルトの電圧線で感電してしまわれたのでした。呼吸も停止し、瞳孔も開いたままで、病院に搬送され、15分間心臓が停止したままでしたが、心臓マッサージ等の懸命な救命措置のおかげで一命を取り止められました。

3日目に瞳孔反応が見られてから、徐々に、医師も目を見張る程の回復を遂げられ、10日目に退院許可が出て無事退院、なんと一月後には仕事に復帰させて頂かれたのです。それも、事故以前は自営業でしたが、立ち行きを願って下さり、会社に社員として雇って頂けることとなったのでした。

★しかし、記憶障害の後遺症がしばらく続き、時々痙攣も起こり、思うように働けない日々が続かれました。一年前に自宅を新築したローンもあり、子供二人はまだ小学生でした。不安と苛立ちから、ご主人は3度も自殺未遂を計り、奥様はとにかく今日一日、今日一日を無事に過ごさせて頂けるよう神様に必死でおすがりなさり、気の抜けない日々を送られました。

★そうした日々を積み重ねられて、13年後、労災の医療補助を受けるのを止めて欲しいと、労働基準監督署から連絡がありました。奥様は、言われた通りに手続きをなさいますと、代わりに会社から補償金を出して頂けることになりました。それと同時期に、借地であった自宅の土地が、以前の半値で売りに出されることになり、無理なく購入させて頂けることとなられたのでした。

事故当時は、小学生だったお子さんも、それぞれ独立して家庭も持たれ、ご主人は事故を機に正社員となって厚生年金に入れて頂いたおかげで、退職後も安心のおかげを頂かれました。後で振り返ってみますと、すべてがおかげの中に、有り難い方向に導いて頂いたことを実感なさったということです。

★平穏無事な毎日は、知らず知らずのうちに神様が全てにご都合お繰り合わせを付けて下さり、広大なおかげを頂き続けている日々の連続のことなのです。一日一日新しい命を頂き、結構なおかげの中に新しい日を与えて頂いているお互いです。喜びとお礼の心に満ちた日々を積み重ねさせて頂きたいと思います。
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2016年03月25日

●真のお礼の信心

 あるご信者は、37才の時に目の病気を患われ、緑内障で失明するかもしれないとのことで、病院を回られましたが、手術することもできない状態で医師からも手を放されたのです。お導きを頂いてお引き寄せを頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「ここへお参りしていた限りはきっとおかげが受けられるから、信じてお願いしなさい。あなたも少しなりとも御修行をさせて頂きなさい。おかげを頂けることを信じることと、今まで喜べなかったことが喜べるように毎日喜ぶ稽古をしなさい。」とみ教えを頂かれたのです。

★それからは、毎日朝に昼に2人のご信者さんが両脇を抱えて一緒に参拝して下さって、み教え・お取次ぎを頂かれたのです。ご信者は、薄紙を剥ぐようにおかげを頂いてゆかれ、夜も眠れない状態から段々と休ませて頂かれるようになられ、視力も徐々に回復のおかげを頂かれたのでした。そうして、針に糸が通せるまでに視力も回復され、全快のおかげを頂かれたのでした。その後には、御縁を頂いて、徳島県に嫁がれて農家を手伝われ、3人の子宝にも恵まれました。

★27年ぶりに、64才の時にお参りされた時には、病気が全快されてから一度も再発することなく、さらには娘さんが嫁がれるまでにおかげを頂いておられました。参拝された時に、三代教会長先生より「願いが成就したら後の信心が止まるということは、願いが小さい。神様、金光様に申し訳ないでしょう。助けて頂いたら、その有難さを周囲の多くの人々に話し伝えておかげを受けられる方々が増えてゆくよう御礼の信心が出来ますように大きな願いを持ちなさいよ。」とみ教えを頂かれたのです。

★神様は見放されることはありませんが、結構なおかげを頂いた後に、一段と進んだ信心に向上させて頂かねばなりません。今まで手を引いてお導き下さったことへの御礼に、今度は自身が難儀な方の手を引いてお導きさせて頂いて周囲の方が助かって頂けるようにお願いの中身が広く大きくなってゆくことが、真の御礼になるのです。天地の親神様のお心に適うお願いのあり方にならせて頂きましょう。

★『この広前へ参りてお願いし、全快してお礼参りをすればそれで大願成就とする人もあるが、この神様のおかげで全快すれば、此方の話を聞いた事を他の難儀な者に伝え、一人増しに真の信心する人のできるよう、話し伝えるのが神様へのお礼になる。』

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2016年03月24日

●信心に油断なく… 

『目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず。耳に諸々の不浄を聞いて心に諸々の不浄を聞かず。鼻に諸々の不浄を嗅いで心に諸々の不浄を嗅がず。口に諸々の不浄を言うて心に諸々の不浄を言わず。身に諸々の不浄を触れて心に諸々の不浄を触れず。この時に清く潔きことあり。…』という文が六根清浄祓の中にあります。教祖様も唱えておられた時期があられたようです。

★世の中のものを色々と見聞きしたりしますが、自身の心が汚れないように物事を見極めさせて頂くことが大切です。そのためにはまず、自身の心を静め、いつも穏やかにすることです。明鏡止水の平常心の状態であれば、はっきりと物事が映りやすいですが、曇っていてはっきりと映らないのは、心が乱れているからです。心が乱れていては、物事を正しく見ることは出来ません。安定した平常心を保つためには、和らぎよろこぶ心になる必要があります。しかし、人間の心は一瞬の内に変わってしまうものです。ですから、日々油断することなく信心の稽古を積み重ねさせて頂くことが大切であるのですね。

★『神は一つ一つ実地の学問をさせるのじゃから、その日その日はみな手習いじゃなあ。手習いは坂に車を押すがごとくという、油断をすればあとへ戻ります。信心も同じことじゃなあ。』

★『信心する氏子は、本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。』

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2016年03月23日

●心の「こり」を取り除く

 三代教会長先生は、[二代教会長伊藤コウ師は、いつもどんなことでも喜びに満ち満ちて生活なさっておられました。愚痴不足は仰られたことは一切あられませんでした。そして、常に自分の事は横へ置いて人の事を一生懸命ご祈念なさっておられました。また、神様に対して常にお礼を申す事を心掛けておられたことと共に、「自分自身が至りませんでした。私の不徳からこのようなことになり申し訳ありません」と常にお詫び申しておられました。ですからいつもコウ師の心は落ち着いておられました]とお話し下さったことを思い出します。

★常日頃からお礼を申す稽古をさせて頂いておりますと、難儀に出会ったときにでも有難いおかげの中に難儀があることに気が付かせて頂き、お礼を申すことが出来ます。そして、自分の改まるべきところが分からせて頂き、正しい願いを持つことが出来るようになるのです。日々御取次、み教えを頂いて、自分の心にある「こり」(不必要なこだわり、わだかまり)に気が付かせて頂き、「こり」を取り除く稽古をさせて頂きましょう。

そのように、余計なものを取り除かせて頂きますと、日々生かされている事に対するお礼の心、喜びの心が大きくならせて頂き、有難いおかげの受けものが出来ていくのです。心の凝りを取り除きませんと、人の意見も耳に入らず、自分の殻を破ることは出来ません。日々み教えを頂き、天地の道理を悟らせて頂いて、何事もお礼とお詫びを申す稽古をさせて頂きましょう。すると、心が安定し落ち着き、正しいお願いが出来てくるのです。

★『こりを取っての信心ならしてみよ。すぐにおかげがある。世に水を浴びて神を祈る人は、こりを取らずして、こりをつけるのじゃから、おかげにならぬぞ。凝りは寝間の中でも取り除かれるぞ。』

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2016年03月22日

●日を切ってお願いせよ

あるご信者は、去年に足の手術を受けられましたが、それからずっとしびれと痛みが続いておられました。先日お届けなさって「日を切ってお願いせよ、とみ教えにありますが、これはどういうことでしょうか?」と尋ねられたのでした。

★そこで「日を切ってお願いをするということは、まず願い主が諦めてはならない、押して願えとみ教えを頂いています。七日のうちにとか、三日の内にと日を切って目標を決め、その目標に向かって打ち込んで改まった信心をさせて頂くのです。

願い主があきらめないように、何が何でもおかげが頂けるように打ち込んでご修行に取り組ませて頂きなさい、ということですよ。あなたの場合は、今度の4月10日の御本部御大祭参拝までに、おかげを蒙らせて頂きましょう。」と申しますと、ご信者は「丁度、1年前の足の手術を受けたのが、4月10日でした。

私は、手術を受けてからというもの、なぜあの手術を受けてしまったのだろう、なぜあの病院で手術を受けたのだろう、と日々後悔するばかりでした。」と話されたのです。

私は「4月10日は、天地金乃神様の御祭日で、大変有難い日ですよ!それでは、これからは4月10日がおかげ日となり、この手術がおかげであったとお礼が申せるように、また手術して頂いた先生が大恩人であると思わせて頂けるように、信心を進めてまいりましょう。

過去を振り返らせて頂いて、あれもおかげであった、これもおかげであったとお礼が申せるようにならせて頂ければ、何もかもが有難くなってゆきますよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★同じ4月10日を迎えさせて頂くにも、どんな心持ちで迎えるかは、人それぞれによって違います。御本部御大祭参拝まであと20日、阿倍野教会の御大祭まであと50日あります。

それぞれにご修行を決めさせて頂いて、あきらめず何が何でもおかげを蒙らせて頂けますように、願いが成就させて頂けますように、打ち込んで改まった信心を進めさせて頂きましょう。

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2016年03月21日

●心配りもご修行とする

 昨日は、素晴らしい晴天の下に春季霊祭をお仕え申し上げることが出来、共々に霊様にお礼申させて頂けましたことは、真に有り難いことでございます。

★教祖様は、神様から様々なご修行をさせて頂かれました。その一つに、「裸足で秋中農業せよ」という行がありました。教祖様は、神様の仰せのままに裸足の行を始められましたが、奥様は、「大霜の時まで裸足でいては、『信心ばかりしてわらじも作らんのか』と人に笑われます」と、人の目を心配なさいました。そこで、教祖様は、鍬の先にわらじを下げて裸足で出られ、不思議に思って尋ねる人があったら、「わらじが足にくいこんで痛いのです」と、説明なさったということです。神様を第一にお立てになって、仰せのままになさりつつも、奥様の思いもくまれ、信心のない人にも神様に対する不浄の心が起きぬ様、あらゆる面に心配りをなさったのです。そのようなご修行の結果、次第に「金光様のおっしゃることは、神様のおっしゃること」と、家内中が心を一つにご信心なさるようになっていかれたのでした。

★どんな時にも心を神様に向けさせて頂くことが出来れば、人に対して腹を立てることもなく、ましてや仕返しの心などは生まれません。日々の信心の稽古を怠ることなく、日参と聴教に励み、心を曇らす我情我欲をお取り払い頂いて、清々しい心で神様に向かわせて頂きましょう。

★『人間、我欲のためにわが心にちりが積もる。わが心わが身が汚れぬように、心と体の掃除をするごとく、今月今日で信心をせよ』

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2016年03月20日

●本日は春季霊祭です!

本日、お昼の二時から春季霊祭をお仕え申し上げます。春秋の霊祭は教徒・信徒の合同慰霊祭です。各家庭のご先祖が安心なされ、お徳の高い霊様となって、子孫をお守り下さるように、天地の親神様にお取次下さる大切な御祭典です。

ご家族ご親族揃って参拝のおかげを頂かれ、霊様にお礼を申し、一層のご霊徳とご安心を頂かれますようお祈りさせて頂きたいと思います。

★あるご信者が入信当初のことです。二代教会長伊藤コウ師よりお結界でみ教え頂いた事に対して「先生、そんなことありますかいな。私は一生懸命してますがな。」と言い返しておられたそうです。信心の初めはコウ師の仰せになることに対して聞く耳を持たず、またみ教え下さるご意味が理解出来られなかったのです。

★ご信者は、ご信心を進めてゆかれるうちに段々とみ教えの有り難さ、お取次ぎの有難さが分かられて熱心に日参なさり御用をなさるようになられました。後に、乳癌を患い、また家から一歩も出られない状態にまで精神的にも病まれるという経験をなさいますが、それまでの常の信心の積徳によって、一心におすがりなさることが出来られ、全快のおかげを頂かれたのです。

ご信者はより一層に信心が進まれ「後で考えますと、入信当初はなんとおこがましいことを言っていたのかと反省するばかりです」と言っておられたことを思い出します。

★信心が行き届きません時にはみ教えをなかなか素直に頂けないものです。おかげが頂けない事を神様のせいにしたり、人のせいにしてしまいがちです。しかし、信心が進んで参りますと、おかげが頂けないのは自分のどこが間違えているのであろうと思い、み教えを真剣に頂けるようになり、どこを改まればよいのかと考えさせて頂けるようになってゆくのです。

日々、繰り返し繰り返しみ教えを頂いて、それを守らせて頂くことを心掛けさせて頂き、一段と進んだ姿に成長させて頂きましょう。み教えを守らせて頂きましたら、神様・霊様が守って下さいます。

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2016年03月19日

●仕返しする心を取る 

 近頃は、交通事故が起きた時に、お互い紳士的に落ち着いた話し合いが出来ないで、すぐに感情的になってけんかをしてしまったり、「謝った方が損をするから謝らない」と吹き込まれたり、無理やりに手前勝手な法外要求をしてしまう風潮があるそうです。しかし、どこで被害者になるやら、加害者になるやら分からない世の中です。双方が立ち行くことを願わせて頂き実意丁寧親切に対応することをこのお道では教えて頂いています。

★先日のみかげ会総会で、岸本氏が事故に遭われた時のお話をして下さいました。平成21年、11月のある朝、ご家族3人が車に乗って中央市場に向かわれていた際に、交差点で北向きに信号待ちをしていますと、後ろから居眠り運転のトラックに衝突されたのです。車のトランクがぺしゃんこになって潰れてしまうほどの衝撃で、交差点の真ん中まで車が飛び出してしまったほどでした。かろうじてドアが開き、ご家族の方々が外に出られましたが、有難いことに東西方向に車が通っておらず、二次災害が起こることはありませんでした。相手のトラックの運転手に対しても、所属しておられる会社に対しても紳士的な対応をさせて頂かれ、無理な要求をせずに円満に解決させて頂かれたのです。

すると後日、中央市場の中で事故が起こりました。岸本氏の会社社員の方が使用中の電動の荷車がよそのトラックに接触事故を起こしてしまったのです。そのトラックの会社にお詫びの連絡をされますと、なんとその会社は以前に交通事故を起こしたトラックの会社だったのでした。先方の社長さんが「全く問題ありません。以前にこちらもお世話になっておりますので、御心配なさらないで下さい。」と仰って下さったそうです。

★仕返しをする心を持たずに、岸本氏が先方に実意丁寧な対応をされたので、次に事が起こってきた時に、紳士的な対応をして頂くことが出来たのです。自身が出すところのプラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも、どちらもそのまま自分に返って来ます。「仕返しをする心を取る」ということが大切なのですね。

★『世の人がかれこれと言うのを、気にかけるな。人の口に戸は閉てられぬ。障子一重されままならぬ人の身の上じゃないか。先のことが何でわかろうぞ。負けて勝てい。すべて、物事はひかえ目にして時節を待てい』

『あれがこうしたからこうしてやった、としっぺ返しをしたことを手柄を立てたように言うたり、こう言うたからこう言うてやった、というて仕返しをしたことを偉いことをしたように言うたりする者があるが、御信心する者はしっぺ返しをしたり仕返しをしてはならん。おかげを受けておる者はお礼返しをせよ』

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2016年03月18日

●責任を引き受ける

 ある方は大層お酒が好きで不規則な勤務で会社では気に入らないとすぐ怒り、子供は病弱で、家内は不和になり、立ち行かなくなりました。奥様は昭和28年5月にお導きを頂いて、翌日より日参と聴教に励まれました。御主人の禁酒を願っておられましたら、二代教会長伊藤コウ師より「主人にこうなってほしいと思ったら、しっかりお話を聴いて改まりなさい。」とみ教えを頂かれたのです。

奥様は、主人が悪いのになぜ自分が改まらなければならないのかお尋ねしますと、「この家に遊びに来たのか、それともこの家を潰しに来たのか」とコウ師より厳しくみ教えを頂かれたのです。続けてコウ師は「あなたの家はどうならせて頂きたいのですか」と聞かれ、奥様は「主人と私、子供2人、結構にならせて頂きたいと思います。」と答えられますと、コウ師は「そうか、その思いを大切にして、しっかりと信心しなさいや。」と仰ったのでした。

★そして、昭和31年には御主人も参拝して下さるようになり、一生懸命信心に励まれ、その後一年間ほどで酒量がどんどん減り、日々み教えを頂かれ、改まってゆかれたのです。

★ある時、コウ師より「御本部御礼参拝の帰りに、無事に帰らせて頂いたお礼と、来月参拝のおかげを頂けるようにお願いさせて頂きなさい。」とみ教えを頂かれ、それ以来、御主人は91歳でお国替えされるまで御本部御礼参拝を620回続けさせて頂かれたのでした。昭和57年6月7日、コウ師は奥様に「色々あったけれど結構になったなあ。良かった、良かった。お話を聴いて帰りなさいや。」と仰いました。最後となった教えでした。現在は、子供さん2人はお国替えされましたが、お嫁さんが毎月続けて御本部への参拝を続けられ、日参と聴教に励んでおられます。

★出来てきた事に対して、相手が悪いと思っていては、周囲は助かりません。家族の身の上、会社の中で起きてきたことは、自分が行き届かないと思わせて頂いて改まってゆけば、必ず円満になり、結構になってゆきます。

★『昔から、親が鏡二つ買うて持たして嫁入りをさせるのはなにゆえか。これは顔をきれいにするばかりではない。第一、その家を治めに行くのである。心につらい悲しいと思う時に鏡を立て、必ず人に悪い顔を見せんようにし、その一家を治めよということである。』

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2016年03月17日

●親の願いを受けて人が育つ

 二代教会長・伊藤コウ師は、13才の頃、肋膜炎と腹膜炎を併発し、骨と皮だけに痩せてしまわれ、医師も匙を投げる程の重症になられました。その時、御母堂・伊藤ハル氏が、「この私のご無礼により、幼い子供がこんなに苦しんでおります。数々のご無礼の点、何卒お許し下さいませ。今日迄この子を私の子供だと思っておりましたが、これは大きな間違いでした。今日限り私の子供だとは思いません。」と一心に自分自身が改まられました。さらに、「成長後も決して伊藤の家の為には使いません。只々神様の御用にお使い頂けるような人間に育てさせて頂きますから、今一度、神様のおかげによりまして生き永らえさせて頂きます様に、どうか宜しくお願い致します。」と一心に願い続けられ、全快のおかげを頂かれたのでした。

★子供の病気を通して、自分の育て方や考えが間違っていたことに気付き、お詫びが出来られたハル氏のご姿勢を、私達も見習わせて頂かなければなりません。「私は一生懸命している」という思いが考え違いの原因となります。また、自分が間違えていることには気付きにくいものです。安武松太郎大先生も「我よしと思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」というお歌を残して下さっておられます。

★コウ師の病気が全快なされた後も、ハル氏が何十年と願い続けられご修行して下さったことにより、コウ師はお道の教師としてお引き立て頂かれ、現在の阿倍野教会の礎が築かれていったのです。そのハル氏のご信心を常に近くで見られていたコウ師は、親様の願い、霊様の願い、御取次ぎ下さる金光大神様の願いをご自身の願いとなさり、御用一筋におかげを頂かれました。

★親の祈りを受けて子が育っていきます。私たちも、親が願って下さっていること、神様が自分に願いをかけて頂いているところを悟り、自分の願いとさせて頂き、より一層のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年03月16日

●信心の辛抱を強くせよ

 先日農業をしておられるご信者が「昨年から今年は雪害よりも獣害がひどくなってきています。」とおっしゃっていました。今年は雪が少なく、鹿や猿や熊・猪などの動物が山から下りてきて、野菜や木の実等を食べに来るそうです。それに伴い、電車に鹿が当たって止まったり、車と衝突して事故が起きてしまうことがよくあるそうです。また、田んぼや畑に電柵などの囲いをしても、頭を使って農作物を取っていってしまうとのことでした。

★農業をなさる方々にとって、雨風などの天災だけでなく獣害などのさまざまな大変なご苦労があられます。そのような事を辛抱をしていかねば、収穫は出来ませんし、収入も得られません。同じように、信心にも辛抱が必要です。私達の身の上にさまざまな出来事が起こってきます。各家庭で不自由があったり、辛抱しなければならないことは必ずあります。自分の身体の上に、仕事の上に、夫婦の間に、子供の上に…と、各家庭によってご修行しなければならない内容は百人百様で違いがあります。しかし、それら全てはおかげの中に起こり来ることなのです。「信心辛抱」というと、しんどく感じたり、嫌になったりしますが、大きな願いを持ってそれを有難く辛抱させて頂くことが出来ましたら、身に徳を受けるご修行となるのですね。


★『何事も辛抱が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげは受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒な事である。車でも辛棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世ができない。漁師や農民には雨風の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、幸せにはなれない。信心するにも辛抱が大切である。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

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2016年03月15日

●信心に朱を入れて頂く

 三代教会長先生のお供をさせて頂いて、御本部御礼参拝をさせて頂いた時のことです。ある学院生にお会いしたのですが、その方は私が高校に教員として勤めていた時の先輩の先生でした。久しぶりにお会いして、ご挨拶をさせて頂いてから、「ところで伊藤先生、先ほど誰かとお話ししておられた時、神様に背を向けて人の方に向いておられましたが、それはちょっと違うのではないでしょうか。親先生(三代教会長先生)は、ご神前に向かってご祈念なさっておられるのですから、そのお姿を習われた方がいいと思いますよ」と、指摘して下さったのでした。それは、遠方からお参りになったご信者が挨拶をなさった時のことで、お広前のじゅうたんの階段近くで、ご信者に応対していましたので、私はご神前に背を向けた形になっていたのでした。真にその通りであると反省させて頂き、その方のお口を通して大切なみ教えを頂いたことを、神様、金光様に御礼申させて頂いたことでした。

★御本部は、生神金光大神様、天地金乃神様をお祀り下さり、金光様が日夜ご祈念御取次下さる世界唯一の有り難い場所です。ご霊地に満ち満ちたお徳で心も体も浄化して頂き、御霊地での御祈念、御用を通して、また参拝道中での出来事一切を通してみ教えを頂く心にならせて頂きましょう。月々欠かすことなく、御本部に御礼参拝させて頂き、常平生の信心を見直し、聞き直し、考え直しをさせて頂いてわが心を磨かせて頂きましょう。

★『ここは手習いして清書を持って来る所じゃ。うちで手習いして、ここへ来て清書を直してもらうのじゃ。』

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2016年03月14日

●親は親たれ、子は子たれ

昨日は、万事万端にご都合お繰り合わせを頂いて、団体列車1車輌とバス6台を運行させて頂き、御本部御礼参拝を共々におかげを頂きましたことは、真に有難いことでございました。

★二代教会長伊藤コウ師がご幼少の頃、ご近所に集金の御用を母親・ハル刀自に仰せつかりました。一軒一軒家を回られて、集金されたことがあられたそうです。

すべての家の集金が終わり、家に戻られて計算しますと、50銭多かったというのです。コウ師はハル刀自に50銭多いことを伝えられますと、ハル刀自はコウ師を試されました。

「そうか。あなたが一生懸命御用したので、ご褒美を下さったのでしょう。お使いに行ったお駄賃に50銭余計に下さったのだから、あなたの好きなものを買って来たらどうか。」と仰ったのです。

コウ師は「お母さん、そういうわけにはいきません。50銭多いということは、どこかの家が間違えて50銭多く払っているということですから、もう一度一軒一軒回って確かめてまいります。」と答えられたのでした。

★そして、コウ師が一軒一軒聞いて回られますと、間違えて多く払っておられた家が見つかったので、50銭を返金されて帰宅されました。コウ師が家に帰られ「お母さん、有難いことでした。返金できました」と喜んで報告なさいましたらハル刀自は御神殿で御祈念しておられました。

コウ師の報告を聞かれ、ハル刀自は目にいっぱい涙をためて神様に「有難いことでございます。結構なおかげを頂きました。有難うございます。」と御礼を申しておられたのです。そして、ハル刀自はコウ師に「こんなうれしいことはない。実は、お前の信心を試してみた。人が知らなくても、もらってはいけないお金は決してもらってはならない。これが信心する者が心得てゆくべき道である。」と泣いて喜んで下さったのでした。

★どれほど頭脳明晰である人でも、心が育っていなければ、その能力は間違えた方向へ使ってしまい、人を傷つけることになってしまいかねません。教祖様は『若い者は本心の柱に虫を入らせなよ』とみ教え下さっておられます。人間として生まれさせて頂いて一番大事な物、持つべき物は信仰であり、神様を知るということです。

信心を基にした教育をさせて頂くことが、神様から頂いた能力を世の為、人の為に使わせて頂くことになるのです。子供の真心を育て、正しい方向へ導いてゆくことが、正しい繁栄を築いてゆけるのですね。

★『親は親たれ、子は子たれ』親は親の立場でどこまでも慈愛の心を持って子供のことを願い正しいことを伝え、子供は子供の立場で親に孝養を尽させて頂きましょう。

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2016年03月12日

●どこまでも謙虚に

東日本大震災が発生し、11日で5年が経ちました。

これまで1万5894名という多くの方々がお国替えされ、未だに2561名の方々が行方不明になっておられます。

この5年間、阿倍野教会では毎朝の一斉御祈念に於いて「亡くなられた霊神様のご霊徳とご安心、更に被災地の方々の助かりと立ち行き、被災地の早期復興」を信奉者一同がお願いさせて頂いてまいりました。20日の春季霊祭にも心を神様・霊神様に向け、真心込めてご奉仕させて頂き、引き続き助かりと立ち行きをお願いさせて頂きたいと願っております。

★生きていく上で、様々なことが起こってきます。自分の身の上に、家族の身の上に様々な問題が立ちはだかることもあるものです。またお照らしの日もあれば、お湿りの日、風の強い日や雪の降る日もあります。

しかし、私達は天地のお恵みの中に有難い環境で、有難い場所に住まいさせて頂きながら、つい人間中心の考え方、自分勝手な捉え方で、物事を判断してしまいがちです。例えばお照らしが続けば、お湿りがないと不足を言い、お湿りが続けば早くお照らしがほしいと不足を言いがちです。

大切なのは、今日まで何不自由なく生活させて頂いてきたお礼を申し、お礼の足りないお詫びを申し、その日その日、万事にご都合お繰り合わせを頂けるよう真心こめてお願いさせて頂くことです。

★天地の親神様の御神徳に満ち満ちた世界で生活させて頂き、生かされて生きております。日々、神様のお恵みを享受させて頂き、様々な命を分けて頂いて、お命を繋いで頂いております。

自分一人の力ではどうすることも出来ず、天地のお働きの中で、様々な人にお世話になって生活させて頂いているのです。ですから天地のお働きに対してお礼を申し、どこまでも謙虚に生活させて頂くことを心掛けなければなりません。

★どのような出来事に遭遇しましても、その出来事を通して神様が教えて下さっていることがある(神様の思し召しがある)、と思わせて頂き、すべてを受け切ってゆく信心をさせて頂きましょう。私達人間は謙虚さを失い、驕りがちになります。神様の思し召しを悟り、出来事を有難く受け切ってゆき、そこからまたおかげを頂く方へ舵取りをさせて頂くことが大切なことなのですね。

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2016年03月11日

●日々わき起こる不成心を取る

 教祖様はこのお道の信心の奥義九ヶ条を教えて下さっています。
一、方位(迷信による日柄方位の良し悪しを絶つ)
二、毒絶て(迷信による食物の良し悪しを絶つ)
三、不成(成らずの心。「無理だ」「出来ない」など、可能性を小さくさせる思いを絶つ)『此方のふじょうは、不浄にあらず、成らずと書くのぞ』
四、欲徳(食欲等、生きる為に必要な欲は、神様から与えて頂いたもの。正しい欲はしっかり持たせて頂く。ただし我情我欲にならないように)
五、神徳・寿命長久(神様からのご信用を頂くこと。肉体の命だけではなく、徳の高い霊(魂)となって永遠の働きをさせて頂くこと。)
六、人徳(人から信用して頂き、用いられること。)
七、神(神様を敬う)
八、皇上(日本の国のご先祖を敬う) 
九、親(親を敬い、孝養を尽くす)・・・ご恩を知ってご恩に報いること。


★九か条の三番目である「不成」でありますが、偽りの心が、私心、放らつ、おごり、慢心なども不成心と同じであります。例えば受験の際に「どうあっても合格させてもらえますように」とお願いさせて頂きますが、受験勉強が辛くなると願いを放したくなったり「どうせ自分には…」と自分を卑下してしまうことがあります。

★『信心ということは、しんはわが心、じんは神なり。わが心が神に向かうをもって信心と言うなり。』まず命を頂いていることがおかげですし、その命が毎日毎日続かせて頂いていることが大変有難いことであります。天地の間に満ち満ちているご神徳の中に浸からせて頂いている私達であって、おかげを頂き続けているのです。諦めたり卑下してしまわずに、いつでも真心を神様に向けて願い続け、さらなるおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年03月10日

●自分自身を知る

教祖様は『信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せず、うかうかと暮らす人は、めぐりを積んでいるのである。』というみ教えを残して下さっています。

★私達人間が日々生活させて頂く上で、神様に対してご無礼不行き届きなところは、必ず出来てきます。お土地や空気を汚したり、水、食物を粗末にしたり、心で人を殺したり、人の心を傷つけたり…等々、神様のお目から見れば、ご無礼不行き届きなところは多々あるでしょう。「私は何も悪いことはしておりません。」「私は何もめぐりを積むようなことはしておりません。」という人は、ただ自分自身を見ていない、自分を知らないだけなのです。

★信心させて頂くということは、今まで天地の御恩も親や御先祖の御恩も知らない生き方から、御恩を知って御恩に報いていく生き方に変えさせて頂くということです。そして、知らず知らずのうちに積んできた前々のめぐりをお取り払い頂いて、お徳を積ませて頂く生活に変わらせて頂くのです。

★み教えを頂きますと、今日までどれほどの恩恵を受け、お世話になって生活させて頂いたかが分からせて頂けます。まず私達の心が「和賀心」すなわち「和らぎよろこぶ心」にならせて頂くことを目標に信心の稽古をさせて頂きましょう。

難儀の真っ只中であろうが、病床で治療を受けている時であろうが、いついかなる時にも、「和らぎ賀こぶ心」にならせて頂けるように努力させて頂くことが、自分の心を研いてゆくこととなり、その瞬間からおかげを頂いてゆく道が開けるのです。

★『不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたく頂くという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。』
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2016年03月09日

●いざという時に現れる常の信心のお徳

 昨日は、穏やかな天候の下、みかげ会総会が無事開催され、岸本氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。昭和24年にご両親が近所の方にお導き頂かれて入信なさり、ご信心と家業である果物商を堅実に相続しておられ、今日では息子さんと共に家業に精を出して、日参に励んでおられます。

★昨年1月、奥様といつものように早朝の市場の仕事に車で出かけられる時、奥様は背中にキリで突かれるような痛みを訴えられました。奥様は一度市場まで行かれたものの、あまりの痛みに耐えかねてタクシーで帰宅され、自宅裏の医院を受診しようと思われました。しかし、その医院は正月休みでしたので、以前お世話になられた別の病院を受診なさいますと、諸々の検査の後、「これは緊急を要します。救急車を待つ時間もありませんから、タクシーで市大病院に行って下さい」とのことだったのです。

★岸本氏は、すぐに電話でお届けをなさり、奥様は市大病院を受診なさいますと、急性大動脈解離という、致死率が非常に高く、一刻の猶予も許されない状態であることが分かったのです。市大の医師より、「初め受診された医師が正しく診断して下さってよかったです。腎臓結石等と誤診され、処置が手遅れになるケースも珍しくはないんですよ」と、お話があったのでした。入院から3週間後の1月28日、月例霊祭の日に無事退院なさり、その後も順調に回復のおかげを頂かれ、今日もお元気にご夫婦揃ってお仕事に励んでおられます。

★岸本氏は、ご恩を感じ、ご恩に報いる実意丁寧なご信心をご両親から受け継がれ、日参と聴教、お取次を頂くことを油断なく心掛けておられます。そのようにして、万事に神様と霊様のお守りを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

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2016年03月08日

●たらいの信心

 交通や伝達の手段が整い世の中が便利になってきますと、早さ・手軽さを追求するあまり、有難さが薄れてしまうことがあります。御本部参拝も便利になって速く移動出来るようになりましたら「帰ってからあれも出来る、これも出来る」と他の事を考え邪念が入るようになり、その日の参拝が純粋に真心からのものでなくなってしまう恐れが出てきます。丁寧に心を込めて手紙を書くことさえも、その手間を省いてしまい電子機器での連絡で済ませていく内に、だんだんと実意丁寧な在り方が失われてしまうこともその一つです。遠方でもありませんのに、教会への用事をFAXやメールで済ませようとしますと、自ら足を運んでお参りさせて頂いたり、み教えを頂くことを省略するようになります。そうしていく内に、信心が抜けていってしまうのです。

★自分自身が手足を動かし心を配り、実意丁寧にさせて頂くことが身に付いてゆき、また自分に返ってきます。それは人に対しても同じ事です。自分自身が人に対して親切丁寧を尽くさせて頂きますと、それがまた自分に返ってくるのです。その手間ひまを省いてしまいますと、面倒くささだけが相手に伝わってしまい、人に助かって頂くことが出来ません。

★このお道では『たらいの信心』とみ教えて頂いています。たらいに水を入れて向こうへ向こうへと水をやると、向こう側に当たって返ってきます。こちらの方へと取り込もうとすると、向こうへ返ってしまいます。相手の事を先に考えて行動させて頂きますと、その人からではなく他所から返ってくるのです。

★また、片岡次郎四郎師は『骨折り損のくたびれもうけという事があるけれど、信心するものは、まるもうけじゃ』とみ教えを下さっています。せっかく人の事を思って尽くさせて頂いたのに、良い反応が返ってこなければ損をしたように思えますが、そうではないのです。損得や効率は少し横に置いて、人や物事に対して実意丁寧を尽くさせて頂きますと、その有難さが通じてゆくのですね。

★本日は、昼2時よりみかげ会総会が開催されます。ご家族揃って参拝させて頂き、おかげを頂く受け物を作らせて頂きましょう。

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2016年03月07日

●受け切ってゆく力

「明き」…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。
「清き」…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。
「直き」…心を空にして、み教えを心から有難く頂き、素直に実行させて頂く。

★子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂くには、まず家庭内が健康かつ円満であることが大切です。円満であるからこそ元気な心で仕事に取り組ませて頂くことが出来、さらには繁盛させて頂くことに繋がるのです。

★常平生、日参と聴教に励ませて頂き、み教えを心にしっかりと頂いて心を改め磨いてゆく稽古をさせて頂いておりますと、何か事が起こってきた時には、親も子も心が揃って、願いの方向が一つになり、同じ方向へ進ませて頂くことが出来ることは真に有難いことです。

★佐藤照師は『(略)みんなよいことばっかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになるなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受けるくらいの心でおらねばならぬ。誰でもを受けていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。

相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受けるのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。

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2016年03月06日

●お宅祭の有難さ

昨日、私の家内の父親の十年祭を仕えさせて頂きました。家内の実家は浄土真宗でご先祖を祀っておられますが、結婚させて頂く際に、結婚後は金光教の教師になるために、家内一人が金光教の教徒にならせて頂くことのお許しを頂きました。それから、家内の実家にも金光教のご祭典に触れて頂く機会が徐々に増えていったのです。

★先年のこと、「私は無神論者だ」と仰っておられた家内の叔父(父親の弟さん)の家が金光教の教徒にならせて頂かれました。教徒になられるきっかけとなりましたのは、色々悩みを抱えておられる時に、亡くなられたお母様(家内の祖母)が夢に出てこられたそうです。

そして「やよひに相談すれば良いではないか」と仰られたそうです。叔父は目が覚めて「うちは分家だからご先祖を金光教で祀って頂けばいいじゃないか。そうしたら後のことは教会が末々まで祀って下さるではないか」と思われたのだそうです。早速、家内(やよひ)に電話をかけて来て下さり、機会を作って話を聞かせて頂き、事が進んでゆきました。

★お宅祭は金光教がどのような教えであるか、どのような信仰であるかといった様々なことをご祭典を通して感じて頂くことが出来、有難さが伝わり、お導きをさせて頂ける大変有難い場であると思います。

★私達が霊様のお祭りを仕えさせて頂きますと、天地の大親神様の御神徳の中で霊様が助かってゆかれ、さらに霊徳高くなられまして、後々の子孫のことや縁につながる方々に至るまでをつきについて守って下さるのです。

またご先祖の霊様方は子孫が助かり、幸せになることを願って下さっています。このように先祖と子孫がともに願い合い・頼み合いをさせて頂いて、あいよかけよで立ち行くのがこのお道です。それを天地の大親神様に取り次いで下さるのが生神金光大神様です。私達の力だけでは出来ないことも、生神金光大神様のお取次を頂きますと、力を足して下さって成就させて頂けるのです。

★『願うことは何事もかなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』とみ教え頂いております。お宅祭をおろそかにせず、どんな時でも生神金光大神様のお取次を頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2016年03月05日

●してみせて、言うて聞かせて、させてみて

 私が幼い頃、二代教会長伊藤コウ師にご注意を受け、み教えを頂きます時には、三代教会長先生や奥様が私の横に座り、一緒にみ教えを頂いて下さり、一緒にお詫びして下さいました。そして「真に申し訳ありませんでした。ここが間違っておりました。改まらせて頂きますのでどうぞよろしくお願いいたします。」とお詫びを申して、お願いさせて頂くことを教えて下さいました。そして、三代教会長先生は「親先生はまことにお忙しいお体であられながら、あなた方に時間をとってお話をして下さることは、大変有難いことですよ。よくその有難さを分からせて頂かねばなりませんよ。」と諭して下さったのでした。

★私は幼い頃より胃腸が弱く、外出をすると、すぐに熱を出していたそうです。その度に、三代教会長先生は神様にお詫びをして下さり、改まって下さいました。腹を立てないご修行など様々なご修行をして下さって、私は頑健な身体に作り変えて頂いたのです。三代教会長先生、奥様の御祈念とご修行により、小学校、中学校、高校の12年間、無欠席で通学のおかげを頂いたのでした。

★小さい頃から教えを頂く環境を親が整えて下さったことを心より有難く思っています。親が物を大切にする 事、御用に対する姿勢等、信心を基に生活させて頂く事を常に示して下さったのでした。「して見せて 言うて聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は育たぬ」とあります。私自身もそのように心がけて参りたいと改めて思います。

★『しつけというのはいかにも大事なことじゃが親が色々に言うて聞かしても子供は結局親のしている通りをする。信心しておかげを受けねばならぬのはすることである。だからすることを願わねばならぬ。』

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2016年03月04日

●和らぎよろこぶ心

 桃の節句を迎えさせて頂き、気候もだんだんと暖かくなって、春の訪れをより一層感じさせて頂けるようになってきました。教会でも植木班の方々が日々真心こめて御用をして下さり、梅がきれいなピンク色の花を咲かせています。世の中には花が咲いていることにも気づかずに、忙しさに振り回されて、日々を過ごしている方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、心の余裕を持たせて頂き、心豊かな日々を送らせて頂けることはどれほど有難いことでしょうか。私達は「このような美しい花が咲いているんだな」と気づかせて頂いて、天地のお働きを感じることが出来る、豊かな心にならせて頂きたいものです。慌ただしい日々だからこそ、お広前にお参りしてじっくりと自己を見つめ直す時間も必要なのではないでしょうか。

★先日も、有難いお礼参りがありました。あるお方の息子さんが突然学校へ行けなくなってしまわれたのです。お導き頂かれ、教会に参拝されるようになられました。この出来事を親としての自分自身を見つめ直させて頂く信心の材料とさせて頂き、心持ちを改まらせて頂かれました。毎日教会へ参拝され、自らが不成心を取ることを心がけて御祈念をなさり、日々の信心を進めて来られました。徐々に息子さんのことを焦らずに祈れるようになられました。そうして一ヶ月ほど経ち、ついにその息子さんは学校へ行かせて頂くことが出来られたのです。2駅も離れた所から友達が誘いに来てくれ、一緒に学校へ行って下さいました。また、通常の教室で過ごすことが出来、帰りは別の友達と笑顔で帰ることが出来られたそうです。家族にとっては嬉しい変化であり、息子さんにとっては大きな第一歩を踏み出されたと言えます。次の一歩また次の一歩を続かせて頂かれますよう祈らせて頂いております。

★子供の苦しみは親の苦しみでもあります。家族に起こった問題であっても、親は親なりに子供は子供なりに改まらせて頂き、家族が心を揃えて正しい方向へ進ませて頂くことが大切ですね。それぞれに信心の課題が与えられた時、どんな状況であっても、出来ているところ、良いところを見る稽古をして和らぎよろこぶ心にならせて頂くことを修行とし、人にではなく、神様に心を向けさせて頂くことが大切なのですね。

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2016年03月03日

●一歩進んで丁寧な信心に

 先日、神戸よりまだ西の方から参拝なさったご信者が、「私はまだまだお参りが足りません、休みの日には教会に参拝させて頂くようにはさせて頂いておりますが、まだまだみ教えの頂きようが足りないことでございます。」とおっしゃいました。

★そこで「そうですか。教会までの距離がありますと、日参させて頂きたくても出来ないということもあるでしょうね。そうしましたら、玄関から一歩外に出て、教会の方を向いてご祈念させて頂き、続いて御本部の方を向いてご祈念させて頂き、家へ入ってご神前でご祈念するようになさったら結構ですよ。そうして教典や阿べの誌を拝読してみ教えを頂きましょう。朝夕にその日の事を丁寧にご祈念させて頂きましょう」とお話しさせて頂いたことでした。

★何事にも工夫をさせて頂いて、お礼もお詫びもお願いも、より行き届いて丁寧にさせて頂けるようになることが、信心の成長と言えますね。より行き届いたご信心にならせて頂く為には、一度でも多く教会に足を運ばせて頂き、一言でも多くみ教えを頂くことです。普段からしっかりとみ教えを頂いておりますと、日々いかに有り難いおかげを頂いているのかということが、段々と分からせて頂けるようになります。そして、神様のご恩、ご先祖様・御霊様のご恩に報いる働きをさせて頂くために、どのようなお願いをさせて頂き、どのような生活の改まりをさせて頂けばよいのかということも、分からせて頂けるようになってくるのです。この月も、銘々に有り難い改まりの月とさせて頂きましょう。

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2016年03月02日

●足りない所を足して下さる働き

三代教会長先生が中学生の御頃、二代教会長伊藤コウ師に「霊様の働きが分かりません。霊様について詳しく教えて下さい」とお尋ねになられました。

そこでコウ師は、[今までおかげを頂いてきたことと、これまで取り組んできた信心とを天秤にかけたらどちらが重いですか?頂いたおかげの方が重いのであれば、釣り合いがとれないでしょう。

例えば一万円の品物を「私だけ百円、一円にして下さい」と言うのは無理な話です。一万円の品物は一万円出さないと買うことが出来ませんね。あなたの場合はおかげを受けているばかりで、自分の信心はとても足りないということであれば、世の中で、釣り合いのとれないことは長く続くものではありませんから、あなたの信心の足りないところを足して下さる働きがあるということです。

それが生神金光大神様のお取次ぎのお働きであり、霊様のお働きです。そのことをよく理解させて頂きなさい]とみ教え下さったのでした。

★ご先祖、霊様は、木に例えれば根の働きをされています。根の働きがなければ、枝葉は茂りませんね。目には見えない根の働きのおかげにより、幹が太り枝葉が繁るように、霊様が助かられてこそ子孫が繁栄させて頂けるのです。ご先祖、また生みの親、教えの親を大切にし、敬い、尊ぶ心を大きくさせて頂くことが、神様、霊様に通じ、近づかせて頂くことが出来るのです。

そして私達が助からせて頂こうと思えば、まず先にご先祖が助かって頂くことを願わせて頂くのです。おかげを頂いた霊様の働きは永世生き通しとなり、霊様も助かられ喜んで頂くと共に、私達子孫も守って頂けるのです。

ご先祖の霊様がお徳の高い霊神として生き生きと働かせて頂けるように日々信心の徳を積み重ねさせて頂きましょう。

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2016年03月01日

●自分のご修行から逃げない

 以前、阿倍野教会の修行生が、御本部の金光教学院でのご修行を目前に控え、二代教会長・伊藤コウ師より「学院では、寒中に水垢離を取るようなことはせんでよろしい」とみ教え頂いたことがありました。伊藤コウ師は、「そんな事をしても、お水はあなたの体の上を流れ、排水溝に入ってしまうだけです。また、寒中に体を冷やして体を痛めるだけです。それよりは、そのお水を何度も生かして使うご修行を心がけて、掃除の仕方でも工夫させて頂いた方がよろしいでしょう」と、教えられたということです。

★三代金光様は、14歳より84歳までの70年間、親様であられる二代金光様のご遺言のままに、お結界にお座りになられました。ある教師に御結界より、「天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって早うお国替えなされてなぁ。

それから何も知らぬ私が座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。 初めのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがなぁ。親様の教えを守らしてもろうて泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事もいつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事でございます。」と、み教え下さったということです。

★今自分がさせて頂くべき仕事(家事・育児)や、日々の勉強、あるいは難しい問題に直面した時、それこそが銘々がさせて頂くべきご修行です。身の上に頂くご修行をあれこれ迷わず、一切を有り難く受け切らせて頂くことがお徳を頂く一番の近道なのです。常に御取次、み教えを頂いて心を神様に向けさせて頂き、自分の為すべきご修行を見失ったり逃げたりすることのないよう、油断のない信心をさせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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