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2016年02月26日

●楽は望まぬ、苦労は覚悟。苦労しがいのあるように。

『金光様は喜びの道を開いて下されたのじゃから、それをご信心申す者が、喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。』

★羽衣教会の松岡安枝師は独身の頃、二代教会長伊藤コウ師のお取次を頂かれ、お父様の残された借金を自分が代わりに真心こめて返済し、その証文を全て手元に返して頂くという大みかげを頂かれました。安枝師とお母様は、そのおかげを頂いたことが有難くて有難くて、どのようにして神様にお礼の心を表させて頂こうかと考えて話し合われました。

その結果、大阪から岡山県浅口郡金光町のご本部まで、歩いて参拝なさることを決意なさったのです。汽車で参拝したら楽なのです。それをあえて片道250キロの道のりをお礼の一心で歩いて参拝することを選択なさったのでした。そして無事に三代金光様にお礼のお届けをさせて頂く事が出来られたのです。すると、お礼の真心を天地の親神様にお取次ぎ下さった三代金光様より「ようお参りでした。帰りは汽車になさい。」との、ご慈愛に満ちたお言葉を、お下げ頂かれたのでした。

★安枝師とお母様は、御礼の心をどのように表させて頂くかということを考えられ、汽車よりもずっと時間がかかり身体にも負担がかかる、徒歩での参拝を選ばれたのでした。一歩一歩有難い心に満ちてお礼を申しながら踏み歩まれたのですね。「いかに楽にしようか、合理的にしようか」等ということを考えている内に、有難さ・勿体なさは薄れてしまいます。そして「忙しいのに用事を言いつけられた…」「もっと楽に出来ればよいのに…」という考えが出てきて、「有難さ」ではなく、「有難くない」ことが周囲に伝わってしまいます。私達は「どのようにすればもっと御礼の心を大きくさせて頂けるのか」、「どのようにすればお徳を積ませて頂けるのか」ということを中心に考えさせて頂かねばなりませんね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 平成28年の「み教え」