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2016年02月25日

●神様を杖につけば楽である

 松山成三師(元・大連教会長、後に岡山中部教会長)は、満州・大連教会より戦後引き揚げられたのでしたが、戦後昭和21年に着の身着のままで引き揚げられたご経験は、実に厳しいものであられたようです。

★しかし、松山成三師が教師の会合で演台に立って講話をして下さった時のことです。三代教会長伊藤良三師もその場に居られたのです。ある教師が尋ねました。「松山先生、これからどこに落ち着かれるのでしょうか?」すると「はい、毎日神様がお使い下さるままに、来いと仰る所へと参ります。京都へ来いと言われたら、京都へ行かせて頂きますし、大阪へ来いと言われたら、大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら、御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日御用にお使い頂くだけだと考えております。」とお答えになられたのです。

★以前、松山成三師のご遺稿を拝読させて頂く機会を得たのです。その一部分をご紹介させて頂きます。「略…我は終戦と共に何故その様な事になったと、悩み患ひ、或は先々を憂慮、煩悶もしない。この時こそと、本気に一心に信心に飛上り、教師の本分一途にと、心は立上り、信心する時はこの時なり、神の御用をする時はこの所じゃとその日その日を後先忘れて、信心御用にのみ立上り、その気持ちこそ、『今月今日なり』と、嬉しく楽しく有難く思ひ続けて人々が心配苦悩している事も、我には一向その様な気になれず、悪い妙な気は起らず、その事その時も良い事のみ思い出しては喜びニコニコして暮らされてあり。 人々に比べて阿呆になった。

良い阿呆になれたと感謝している。『我心で我身を救ひ助けよ』とはこの様な事かと、み教えを一層有難く思へる。何を食ふても同様においしゅうて、何が無くても苦にならぬ。人のしてくれる事はみな有難い。人が他人に親切をしているのを見ても嬉しくてたまらん。礼が言いたくてたまらん。…中略…生活上苦が苦にならず、何事も嬉しく有難く受け取れるこの境地、こんな気持ちを一人でも多く施し伝えるこそ人助けの最大なる事最も尊い事ではないか。…後略」

★今日の日本で、結構な生活をさせて頂きながら、喜びの足りないことでは、これほど神様・御霊様にご無礼なことはありません。み教えを頂いて心を開かせて頂き、神様を杖について喜びとお礼の心に満ちた生活をさせて頂きたいと思います。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成28年の「み教え」