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2016年02月10日

●感謝や敬いの心を持ち続ける

 2月8日は竹中哲哉氏の御命日でした。平成元年に80歳でお国替えされたのです。大正11年13歳の時に盲腸炎で手遅れの中を、初代教会長先生の御取次を頂いて全快され、九死に一生を得るおかげを頂かれました。病弱であられた体を健康にして頂かれ、今宮中学、第三高等学校、京都帝国大学に進まれたのでした。

★大学卒業後、松下電器に入社し、十指に余る特許を出願、その優秀な働きを認められ、千代子氏との縁談が進み、クボタ鉄工(株)に迎えられたのでした。京都大学で学ばれたのは電気工学でしたのに、鋳物を研究する所を担当されました。与えて頂いた仕事を天職だと思って、有難くお受けになり、仕事に惚れて、打ち込んでさせて頂かれますと、恩鹿島工場長をはじめとして、新日本パイプ(株)社長・クボタハウス(株)社長・クボタ精機(株)社長・旭精工(株)社長・日本鋳工所社長を歴任されたのです。

★しかも新大阪駅の丸型の柱を鋳物製で作られ、ポーランド・ワルシャワで開かれた世界鋳物大会に日本代表として研究発表をされました。仕事をする上で研究なさったことにより、60歳を過ぎられて工学博士になられたのです。

★そんな実績を積まれた方でありますから、関係会社で赤字の会社を立て直す仕事を次々と頂かれたのでした。普通なら「皆が嫌がる仕事を何故自分だけ重責を担わなければならないのか」と断りたくなるところです。しかし、神様が「貴方なら出来るでしょう」との思召しがあって、神様から与えて頂いた仕事として、有難く拝んで受けなさったのです。

★竹中氏は毎日朝参りをなさって、頂くみ教えをいつも日々新しく自分の心に頂き直されたのでした。そして常に油断なく御祈念を先にさせて頂かれ、心に気付かれたことはすぐメモに書き記して、神様がお知らせを下さっているところを受け切ってゆかれました。お国替えなさる直前まで御礼の信心を続けられ、世の中の役に立たれたのです。

★毎日、感謝の心や尊敬の念を大きくしていくことを心掛けている人こそ、行く所行く所で徳と力を発揮してお役に立つ働きが出来るのですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成28年の「み教え」