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2016年01月31日

●夢の中でも教えて下さる

 故・加川一夫先生(元在籍教師)の御母堂であられる加川たつの氏は、大変熱心なご信者であられ、ご信心の有り難いことを常日頃から家族にお伝えになっておられました。さらに「私がお国替えしたら、信心させて頂くと何と不思議なことがあるか、ということを見せます。」と、いつもご家族に仰っておられたそうです。

★たつの氏のお孫さんである古澤さんの家族は、8坪の2階建ての自宅に住んでおられました。たつの氏は、お孫さんのお嫁さんにご生前中より、「朝に隣家の前の道路のお掃除をして、隣の家が購入させて頂けるように毎日お願いしなさい」と教えておられましたので、その通りになさっておられました。するとたつの氏がお国替えなさった半年後、先方から「あなたに土地家屋を購入して頂きたい」と言って来られたのです。

その後、お嫁さんはたつの氏の夢を見られ、「おばあさん、隣の家を買って欲しいと仰っています」と話されると「おかげを頂きましたね」と言われたそうです。しかし先方に返事を渋っておられると、また夢の中にたつの氏が出てこられ「早く決めないとこうなります」と言われ、隣家が無くなっており隣は絶壁で暗闇になっている夢を見られたのです。

慌てて次の日に購入の返事をされると、また次の日の夢にたつの氏が出てこられ、はっきりと4桁の数字が表れ、後日先方から提示された土地の金額と全く同じだったそうです。そして無事にお土地購入のおかげを頂かれ、現在も使われているのです。お孫さんのお嫁さんは、たつの氏がご生前中から、たつの氏のおっしゃることを、とりわけ素直に聴いておられたということです。

★日々の信心の稽古、ご修行の積み重ねによって、ご神徳を頂き、心眼が開かれてゆくのです。『死したる後、神に祀られ神になることを楽しみに信心せよ』とみ教え頂いておりますように、一生が積徳の信行と心掛けて、信行期間に身に付けさせて頂いた良い習慣を続けさせて頂きましょう。

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2016年01月30日

●疑いを放す

土井つちの氏は、大変熱心なご信者であられ、お参りすること、み教えを頂くこと、お届けをすることが大好きなお方であられました。

★土井氏の長女さんは9才の時に肺門リンパ腺炎に罹られました。その病気全快の為に、東天下茶屋に開業していた専門の医師を探している時に、偶然阿倍野教会の旧広前の提灯を見つけられ門をくぐられたのが参拝の始まりでした。初めて二代教会長・伊藤コウ師にお届けされた時、コウ師から「娘さんが胸の病気ということですが、親が今、胸を悩まされていることは何ですか?」と尋ねて頂かれたのでした。土井氏はお米の卸しと小売業を営んでおられ、一軒売掛金の回収が滞っているところがあり、そのことで家庭が不和になっている事をお話しされました。

★コウ師より「親がそうして心を悩まし、家の中が不和になっていることが、子供の病気につながっているのです。売掛金は神様の銀行に預けて無期限の定期を作ったと思って、後は催促をせずに時節を待たせて頂きなさい。御信心によって改まらせて頂いておかげを頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。

★それからはご夫婦で西九条から日参されて信心に打ち込まれたのです。すると、なんと今まで滞っていた食堂から未払いの分を何回かに分けてすべて支払って頂けるおかげを頂かれ、また同時期にお子さんの病気も全快の大みかげを頂かれたのでした。そして奈良に移られてからは、神様におすがりなさって、農業をなさいました。そしてご近所の方々にこの有難いお道のお話をなさって、お導きされたのです。

★土井氏がお結界で頂いたコウ師のみ教えを信じて疑うことなく、一心にご信心に励まれたところにおかげの元があるのですね。『疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり。』

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2016年01月29日

●させて頂く心

『信心するという心におかげはない。信心させて頂くという心におかげはある。』
『一粒の種子をお土地にまかせて頂けば、何十倍何百倍の実りになるごとく、人間の針ほどの働きも棒ほどにして下さり、お恵み下さるから生活が出来るのである。しかるに微力な人間が、わずかばかりの働きで生活ができるのを、自分の力で生活していると思い誤っておりはすまいか。すべての事を自分がするのではない。親神様の無限の愛、無限のお力とに育まれて、一日一日あらゆる職業の人間が生活を営ませて頂いていることを自覚し、日夜に感謝の真を現し奉るのが、信心生活である』(安武松太郎師教話より)

★私達は何事をするにも「生神金光大神様、天地金乃神様」と心中御祈念をして全ての事を「させて頂く」のです。そのように自分の力でするというのではなく、「させて頂く」という心におかげを頂いていくのです。

★金光様のお取次ぎを頂くということは、誠に有難いことで、10のところに90足して頂いて100のおかげを頂けるのです。しかし「御祈念したから、私は何もせんでも、神様がして下さいますわ」ということではいけません。生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、天地金乃神様の御神徳を蒙らせて頂けますよう御祈念させて頂いて、色々とお願いさせて頂きましたら、自分自身も最大限の努力をさせて頂いて、油断のないようにさせて頂くのです。「今せねばいつする。自分がせねば誰がする」「今すぐその手で二度手間なしに」という心構えで、事の大小を問わず全ての事を自分自身が御祈念してさせて頂きましょう。

★日々生活をする(お金を稼ぐ)為に働くと考えがちですが、働きとは「端(はた)を楽にする」「天地金乃神様のお手伝いをさせて頂く」ということです。生かして頂いていることの御礼を申しながら、感謝の真を現わす為に働かせて頂くのです。その中心にあるのは『御恩を知って御恩に報いる』生き方です。お世話になっている天地に対して、国家社会に対して、周囲の人々に対して、お礼の働きになるように御祈念して働かせて頂きましたら、日々有難い心持ちで実力以上のことをさせて頂けますよ。

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2016年01月28日

●信心辛抱を強く

『何事も辛抱が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげは受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒な事である。車でも辛棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世ができない。漁師や農民には雨風の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、幸せにはなれない。信心するにも辛抱が大切である。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

★例えば、感情に任せて物を言うということは、辛抱が足りない姿です。感情に任せて物を言いますと、相手にはきちんとしたことが伝わらず、言った人の徳も失われてゆきます。しかし、心中御祈念し相手の助かりをお願いしておりますと、必要な時に必要な事だけを神様が言わせて下さるので、相手に伝わってゆきます。また、必要でないことは、神様が言わないように止めて下さいます。

★どんなことが起きてきても有難く頂いてゆく姿が、信心辛抱です。一方、「我慢」の意には、「耐える」という意味の他に、「わがままに振舞う」という意味があります。意地を張って我慢する(わがままに振舞う)ことによって、相手も自分も傷つくことになるのです。

★考えてみますと、私達もどれほど周囲の人々に辛抱して頂いてきたでしょうか。ですから、辛抱させて頂くのも有難く御礼の心でさせて頂くことがよいですね。御礼の心を中心にしますと、力みがなく、迷うことなく信心がさせて頂けるのです。

★植物でも、冬は寒さに耐えじっと力をためて、春に開花させます。私達も、飛躍的におかげが頂けるように目の前にあるご修行を有難く取り組ませて頂き、信心辛抱を強くさせて頂きましょう。

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2016年01月27日

●真心をお供えさせて頂く

 先日も、お導き頂かれた方がお届けに来られ「お参りさせて頂いてから、周囲がどんどんと変わってきました。まず、主人が変わってくれました。今までは亭主関白で自分の言うことを聞かなければ絶対に許さないという主人でしたが、お参りさせて頂いてお届けさせて頂く様になってから、私が願う以上に変わってくれるようになりました。またお店の従業員や、娘も良い方へ変わってくれました。私自身は大した改まりも出来ておらず、まともに願えてもおりませんのに、どうしてこの様に次々とおかげを蒙らせて頂けるのでしょうか?」とお届けされました。

★そこで、[それはあなたがお引寄せ頂かれてから、今までの自分を見つめ直し、「こんなところが至らなかった」と気が付かせて頂いて「これからは少しでも改まらせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します」という心になられたからです。その瞬間から神様はおかげを授けて下さるのです。次々と道が開けてゆくのですよ。]とお話しさせて頂いたことでした。

★さらにそのお方は「み教えに『先祖からのご無礼がありましょうとも許してくださいませ。日々信心いたしますから、信心の徳をもって、どのようなめぐりもお取り払いくださいませと言って願うがよい。』とありますが、「めぐり」とは何でしょうか?」とお尋ねになられました。[自分自身や親の代や祖父母の代、またそれ以前から今日まで積み重ねてきた悪癖や悪習慣などがありますね。例えば、天地の道理に反した生き方や御恩を知らない生き方をしたり、日柄方位を見たり、不成(偽・私・放・奢など)の事を言い立てたり、人のせいにするなど、そのようなことも含めて体質や性質が受け継がれているものがあると思います。そういったことを総称して「前々のめぐりあわせ」「めぐり」と仰っておられます。

ご信心させて頂くことによって、悪癖悪習慣を良い習慣に変えて頂くことが出来るのです。「日々信心させて頂いて改まらせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します」とお願いさせて頂いておりますと、神様はその真心を受けて下さるのです。現時点で出来る限りの真心を神様に向けさせて頂きますと新たな道が開けるのです。]とお話しさせて頂いたことでした。

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2016年01月26日

●『天地日月の心になること肝要なり。』 

 以前、あるお方が[職場で気が合わない人がいます。こちらが挨拶をしても返事も返して下さらず、顔を合わせるのも嫌になる時があります。こちらが相手を立てて接しても、全く相手にされません。そのような状態が続いてくると「もういいか…」と心が折れそうになります。最初は相手のことを祈る心になっていましたが、気にしているとこちらが辛くなるから気にしないでおこうと、なるだけ見ないように気にしないようにしています。先生、これからどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか?]とお届けなさったので

★「やはり、相手の助かりと立ち行きをどこまでもお願いなさることですよ。」とお答えさせて頂きました。すると「ちょっとはそのようにしていたんです。どうぞあの方も立ち行かれますようにとお願いさせて頂いていたのです。しかし、思ったような反応がなく、その内に、もういいかと諦めてしまったのです…。」と話されました。

そこで、「相手との関係が自分の理想とする関係にならないと困ると思わなくていいのです。色々な距離感があって当然なのですよ。相手がどうであろうが、こちらは日々、相手の事をお願いさせて頂き続けるのです。神様が私達にどのような願いをかけて下さっているかを理解することが信心です。『信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。』とみ教え頂いています。神様の心に近づかせて頂けるように、ご信心に励ませて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★このお道では、天地のような広く大きい心になることを願うように教えて頂いております。人を受け入れる力を鍛え、足りないところを足せるようになるには、それだけ心が広くなくては出来ることではありません。日々み教えを頂き、お取次を頂いて、広く豊かな心にならせて頂けるよう稽古に励ませて頂きましょう。

★『天地日月の心になること肝要なり。』

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2016年01月25日

●運命を愛し、運命を生かす

 御生前中に阿倍野教会に講師としてお出まし下さったことがありました中山亀太郎師は、満99才を越えてご長寿のおかげを頂かれました。幼少の頃に、事故で両腕と片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられたそうですが、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、優しく励まして下さったそうです。

★亀太郎師は「真剣に苦しみ、真実に生き、運命を愛し、運命を生かす」と表現され、「(中略)運命を愛するということになった私は、一本足になったことさえも有難く思えるようにならせて頂いたのです。金光様のお取次を頂いて、神様のお心に添い奉るような信心をさせて頂きましたならば、いかなる難儀からも救い助けられ、真のおかげ・真の幸せというものを得ることが出来るようになってまいります。運命を呪う苦悩の生活から解放され、運命を素直に受け入れて、それを生かしていく信心の世界のあることを分からせられ、『あれもおかげ、これもおかげ』と生活全体が有難くならせて頂けるようになりました。

(中略)金光教の信心をさせて頂いて頂くおかげとは、信心させて頂くということによって、自分自身の命が生き生きとさせて頂く、自分の生活が力強く輝かしいものにならせて頂いて、助かっていくということになっていくのだと悟らせて頂きました。」とお話し下さいました。

★私達一人一人の中には苦難を跳ね飛ばして、苦難をおかげにして、ものともせずに生き抜いていく力を生まれながらにして頂いております。しかしそれを引き出して、より確かな強いものに育てていくことが大切です。それが本当の意味での救済となってくるのです。たとえ困っている方に一時的にお金や手を貸したりしても、それはあくまで一時的な救済で、生涯にわたる本当の救済とはなりません。

『徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない』と教えて頂いているように、心配のない有難い道を教えて頂けるのがこのお道です。『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』とのみ教え通り、神様を杖に信心生活をさせて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年01月24日

●恵まれた中で足るを知る生活に

 以前、三代教会長先生がお使いになっておられた電気カミソリが、長年のご使用で調子が悪くなっている様子でしたので、「新しいものを買ってお供えさせて頂きたいと思います」と、先生にお伝えさせて頂きました。そうしますと先生は、「それは有り難い。しかし、私は『最高最上の物を持ちたい』という考えではないので、髭をきちんと剃ることが出来るものであれば、それで構わないから」と、おっしゃったことでした。

★スーツでも、40年以上も同じものをお召しになり、ある時クリーニングに出されますと、クリーニング店主より「これは襟が擦り切れていますので、もう精一杯着られたと思います。」と言われたことがありました。

しかし、三代教会長先生は、「かけつぎをして下さい。」とお願いなさり、かけつぎ屋の方に見事にきれいに仕上げて頂いて、三代教会長先生は大変喜ばれ、その後も大切に着られたのです。

★現代の生活は随分恵まれていることばかりですが、その中にあって足るを知り、生活の無理、無駄、ムラを省かせて頂くことが、末永い繁盛の元です。自分の生活の間違いに気づいたらすぐに改まらせて頂くということは、勇気が必要です。

長年の悪習慣を変えることを小さなことからこつこつとさせて頂きましょう。小さな改まりでも積み重ねてゆけば大きな改まりとなります。

『家業が行』とみ教え頂いておりますように、銘々の恵まれた生活の中でのご修行とさせて頂くのです。一代のみならず、三代以上続く子孫繁盛・家繁盛の願いをもって改まらせて頂いたことは、たとえ生活に余裕が出来てきたとしても、改まりに油断が生まれることはありません。この寒修行信行期間に、悪い習慣を断ち切らせて頂き、良いことをコツコツ続けさせて頂きましょう。
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2016年01月23日

●下座の行を有難くさせて頂く

 あるご信者は、仕事の上で様々に経験をなさってこられ、技術や知識はあるのですが、事情により現在は仕事の中でも下準備の仕事を自らするようになられたのです。世間では、降格されたと嘆いたり、なぜ下端の仕事を自分がしなければならないのかと思うようなことですが、ご信者は「神様から下座の行をするようにとみ教えを頂いたように思います。

今こそ辛抱させて頂く時期を頂き、周囲の方に心配りをしなければならない御修行を与えて頂いております。日々心中御祈念をしながらさせて頂いておりますと、今までは気付かなかった色々なことに気付かされます。有難いことです。」と御礼を申され、自ら進んで有難くご修行に取り組んでおられます。私はお話を聞かせて頂いて、どうしても今しなければならない御修行を神様がさせなさっているのだと感じさせて頂きました。神様がさせなさるご修行は、必ず後々それが活かされ、役に立ってゆくはずです。

★下座の行とは、頑固な心、驕りがましい心等の我情我欲を取る行であり、初心に戻りお礼の働き、お詫びの働きを無心にさせて頂くことなのです。甘木教会初代教会長・安武松太郎師は「我を殺し まことに生きる楽しさを 味わう人ぞ 我が道の友」「研きても なお研きても研きても さびてはてなき わがこころかな」とお詠を残しておられます。日々反省、改まりをすることは、決して辛い・苦しいことではないのです。自分の心を研くということは、人間にとって生きる楽しさであると安武松太郎師は教えて下さっています。

それが、辛い、苦しいと思うのはまだまだ御修行が足りないのです。自分の心を研いても研いても我情我欲というのは出てくるものです。日々頑固な心、驕りがましい心等の我情我欲をお取り払い頂けますようにとお願いさせて頂き、喜んで御修行に取り組ませて頂きましょう。

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2016年01月22日

●日々新たに頂き直す楽しさ

 先日あるご信者が[先生、『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。』というみ教えを昨朝は説いて頂きましたが、毎日お説教を聴かせて頂いておりますと、「このみ教えはこのようなご意味があったか?」とか、「今日はここを頂き直さねばならないな。」というように、以前よりも少しずつ気づかせて頂ける所があります。これも『天地の開ける』と捉えさせて頂いてよろしいでしょうか?]とお尋ねになりました。「その通りです。段々とおかげを頂いておられ、結構なことですね。」と共に喜ばせて頂いたことです。

★み教えの一片を切り取って、全てを理解したような心持ちになってしまいがちですが、ご信心が進むにつれて、さまざまな面から頂き直すことが出来るようになってきます。そこにみ教えを頂くことの有難さや楽しさがあるのです。年令や経験の積み重ねによって、み教えの頂き方が変わってゆきます。若い頃に頂いたみ教えを、経験を積んでから頂き直しますと、さらに広く、深く、新たに頂くことが出来るのです。ですから、自ら求めてみ教えを頂くことが大切ですね。

★また、『祭典は無言の教導である』とみ教えを頂いておりますように、ご祭典の作礼は全てが「神様にどのような真心を以てお仕え申し上げるのか」ということを教えて下さっているのです。言葉で説明なさるのではありませんが、神様へ真心を向けさせて頂く姿勢のお手本を見せて下さっています。祭典はそれをその都度改めて習わせて頂く場なのです。

★有難いことに、寒修行信行期間を設けて頂き、自ら求めて教えを頂き直す機会を多く与えて頂いています。一言でも多くみ教えを頂き、その有難さに触れさせて頂きましょう!

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2016年01月21日

●すぐ素直に、有難うございますと頂けるように。

 以前のことですが、ある学生さんがお結界に来られ「僕のお母さんは口うるさく腹が立って仕方ありません。この間も勉強していたら横でごちゃごちゃと口うるさく言うものですから、つい鉛筆を投げてしまいました。うちのお母さん、何とかなりませんか」とお届けされたことがありました。

★そこで三代教会長先生は、「親は子供に言いたいことはいっぱいあります。私もそうです。もっとこうなってほしい、ああなってほしいと思いますから今のうちに注意をするのです。それが親ですよ。親になってみたらよく分かります。しかし、親になってから分かるというのでは遅いので、子供の時に親の心が分からせてもらうために、ここへお参りさせて頂いて『親の心が分かりますように』と願うのです。神様のお心を分からせて頂こうと思えば、すぐ傍にいる家族の心が分からないことには、神様のお心など到底分かるはずがないのです。『横にいる人の心が分からせて頂けますように』と心掛けてご修行させて頂いておりますと、段々と神様のお心も分かるようになってくるのです。そこに自分自身の信心を向上させて頂くことに繋がるのです。信心を向上させて頂くということが大事なことなのですよ」とみ教えなされました。

★教えを頂いて、親が願って下さっていることを知り、自分自身にどのような願いをかけて下さっておられるのかを分からせて頂くことが大切です。そのことを理解させて頂きますと、親の一言一言もあだにすることは出来ませんね。自分自身の凝り固まった心をお取り払い頂き、柔軟な心にならせて頂きますと、問題の解決に向けて早くおかげを頂く方へ導いて下さるのです。神様から頂いたみ教えをすぐに「有難うございます。させて頂きます」と素直に頂くことをご修行にさせて頂いておりますと、危ない所から逃れさせて頂け、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂くことが出来るのです。さらに、時間や人のお繰り合わせ頂け、何もかも結構におかげを頂いてゆくことが出来るのです。

★『あなたが、親神様にああして下さいこうして下さいと色々に願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることがすぐ素直に有り難うございますと頂けるような人間にならせて下さい、というて願う方が心配がないぞな』

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2016年01月20日

●真の財産とは

阿倍野教会における財産とは、布教以来今日まで94年以上に亘っておかげを頂いてこられたご信者皆様です。教会の広前は、願い礼場所、信心の稽古場所です。ご信者がお広前で信心の稽古をなさって身に徳を頂かれ、それぞれの家庭や職場で助かっていかれ繁盛させて頂かれる為に教会があります。ですから、ご信者がおかげを受けて下さることこそが教会の大切な財産であり、宝なのです。目に見える動産、不動産だけが財産ではありません。真の財産はお金に換算できるようなものではありません。働きの後に残った物が、動産や不動産なのです。その働きが大事なのです。お徳というのは、その働きを意味するのです。

★まずは、天地のお働き、天地の親神様の大神徳の中に生命があり、生活をさせて頂いていることを悟るのです。自分自身の為だけに働くのではなく、人の助かりのために、天地の働きのお手伝いをさせて頂くことが大切です。

★農業も天地の働きのお手伝いをさせて頂くのです。先日も、あるご信者が畑で作られた大きな大根をお供えされました。今年は例年よりも増して随分大きな大根が出来られたそうです。ご信者は「毎年と同じ作り方でさせて頂きましたが、天候や気温が大根に合っていたのか立派な大根が出来ました。私達は、何もしておりませんが、天地のお働きによって、このように立派なものが出来ました。有難うございます。」と御礼届けをなさいました。

★商業に携わる方は天地の間に与えて頂いている賜り物(産物)を流通させ、必要とする方に分け届けるお手伝いをするのです。医療に携わる方は銘々に与えて頂いている治癒力や回復力を高めるお手伝いをさせて頂くのです。神様の働きのお手伝いをさせて頂くつもりで、人のお役に立ち、助かって頂くことこそが、真の働きとなるのですね。人を喜ばせ、幸せにすることで自分も喜びを感じ、幸せを感じることが出来るのだと分からせて頂きます。

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2016年01月19日

●受け継ぎ現される信心のお徳

 昨日は、教徒会総会が開催され、平尾氏のおかげ話を聴かせて頂きました。ご信心のある奥様の家に婿に入られたのが入信のきっかけで、お義母様が信心の初代であられます。

★大阪から奈良に転宅なさった時の御礼のお宅祭で、二代教会長・伊藤コウ師より、「世の中ではおかげを頂いて結構になり、遠方へ行くと教会から離れ、お参りが遠のいてしまっている人が多い。おかげを落としても音はしないから分かりません。お礼の参拝を忘れることなく続けさせて頂きましょう」とのみ教えを頂かれました。そこでお義母さまは一番電車に乗って、朝参りを続けられ、信心の機関車となられたのでした。

★平尾氏は、結婚後もしばらくは奥様に、「あなたが参るのは構わないが、私は無神論者だから私には信心を勧めないようにしてくれ」と、きっぱり断っておられたそうです。奥様も、お義母様も、決して無理に信心を勧めることなく、静かにご祈念なさりながら時節を待たれたのでした。そのうちに、奥様が妊娠なさり、前置胎盤で母体の命が危ぶまれたところを助けて頂かれ、退院の時にご夫婦で伊藤コウ師のお取次を頂かれたのでした。その時に頂かれたみ教えがきっかけとなり、「今までの悪習慣を断ち切る努力をさせて頂き、朝参り・聴教に励ませて頂こう」と、心に誓われたのでした。

★朝参りをなさるようになってからは、お仕事に対しても、「給料泥棒にならないように、実意・丁寧にさせて頂こう」という姿勢に生まれ変わられ、大きな仕事、難しい仕事を、その都度ご都合お繰り合わせを頂いてこられました。任期満了で退職なさった後も、朝参りを続けておられますと、お父様のご命日に再就職先が決まるおかげを頂かれ、神様と霊様のお働きを実感させて頂かれたのでした。

★退職なさった今日も、地域でお役に立つ働きに努められ、子孫の信心相続、信心向上を願って、お義母様から受け継がれた朝参りを熱心に続けておらますことは、真に有り難いことと思わせて頂きます。

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2016年01月18日

●誓いは守られているか?

21年前の1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。6343名の亡くなられた方々の御安心をお祈り申し上げます。神戸は鉄道も開通し、倒れた阪神高速や建物も建て直され、この21年間で多くの方々の努力により現在の姿に復興されてまいりました。

★震災発生直後、1月19日に兵庫県のお教会に物資を届けさせて頂く為に、西宮北口を降りて歩かせて頂きましたら、大変な被害であることが実感できました。阪急電車の線路の上を歩く為に移動しておりますと、前方からこちらへ向かって歩いておられる70代のご夫婦が「戦争の時は大変やった。爆弾は落ちてくるし、食糧はないし、大変な思いをした。でも今は、ちょっと離れたところに行くと食料は調達出来るし、爆弾は落ちてこないし、有難いことや。壊れた物もあるけど、また建て直したらよい。こうして命があって結構なことや」と話しておられました。その会話を聞かせて頂いて大変感心いたしました。

★大阪に帰り着きますと、大阪は一部地域を除いてほとんど大きな被害はありませんでしたから、地下街は何の影響も受けておらず、いつもと変わりない光景であり、大変なギャップを感じました。「もう二度と不足は言うまい!」と堅く誓いながら帰ってまいりました。

★そして現在に至るまで、私のその誓いは守られているのだろうか?と自問しています。私達は帰らせて頂く家があり、毎晩暖かい布団で休ませて頂けて、お水は美味しく安全なものを飲ませて頂け、食事も毎日頂かせて頂いて、仕事も与えて頂いている、という大変結構な生活をさせて頂いております。忙しい時や体調が悪い時には少々食べられないと言っても、食べるものがないわけではありません。何も不自由なことはありませんのに、その中からでも細かい事を見つけ出して不足をを思い不自由を感じてしまっているのです。結構な暮らしをさせて頂きながら、御礼を申せていないということは、喜ぶことが下手なのです。

★話は変わりますが、「こんな苦しみを味わうことになるということは、私にはどんな大きな罪があるのでしょうか?」とお伺いなされたご信者に対して、コウ師は「あなたは大きな罪がありますよ。これまでお世話になってきた全てに対するお礼が足らんという罪があります。そして不平不足を言うことによってその罪が重なってきます。だからこそご信心してその罪をお取り払い頂き、積徳の生活に変わらせて頂かねばなりません。」とみ教えなさいました。神様に心を向けて御礼を申しながら生活させて頂きますと、御礼を申すことが上手になり、喜び上手になっていくのです。不平不足ばかり言っていてはおかげになりません。御礼を申す稽古をさせて頂きおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年01月17日

●徳切れにならぬように

 先日も、真栄根会の勉強会が開催され、昭和37年の二代教会長伊藤コウ師のお説教を拝聴させて頂きました。そのお話の中の例話です。

★あるお方がコウ師のもとにお届けに来られ「私の主人は、欲張りでどうしようもない人です。挙句の果てに、私に出て行けと言うのです。ですから、この頃お風呂も沸かしてやりませんし、ご飯も作ってやりませんねん」とお届けされました。そのお方は、若い頃にお参りされておられたのですが、最近はお広前から遠ざかっておられたので、言葉使いも荒く、自己中心的になり、顔は夜叉のようで、容貌も心の持ち様もコロッと変わってしまわれたのでした。

★そこでコウ師はその方のお話を聞かれ、[今日から「神様どうぞ主人にかわいがってもらえる家内になれますように」とお願いしなさい。また「子供からもかわいがってもらえる母になれますように。」「人様からかわいがってもらえる人間になれますように。」とお願いしなさい。「今日からは絶対に主人の悪口は申しません。」と誓いなさい。そして、ご主人がお風呂に入ろうが入ろまいが、とにかくお風呂はちゃんと沸かして、ご主人がご飯を食べようが食べまいが最上の御馳走を作って待たせて頂くのです。そしてご主人が帰って来られたら「おかえりなさいませ」と手をついてご挨拶させてもらいなさい。]と長時間かけてみ教えなさいました。すると後日そのお方がお届けに来られ「昨日、主人が帰って来る前にお風呂を沸かして、主人が帰ってきた時に『お帰りなさい。お風呂が沸いておりますからどうぞお入り下さい』と言うことが出来ました。有難うございます」とお礼を申されたのでした。

★お広前から遠ざかってしまいますと心に有難いお徳を頂くことが抜けてしまい、徳切れの恐ろしい姿となってしまうのです。お徳の高いお広前に座らせて頂いて、み教えに浸らせて頂き、自分自身のどこに改まるべきところがあるかを、み教えを頂いて求め求めさせて頂くことが一番のおかげを頂く近道になるのです。日々無病息災であるいうことを、心から喜ばせて頂いてそのことをお礼申させて頂くのです。

痛いから参る、痒いから参る、辛いから参る、そして辛いのが治ったらお参りはご無礼になってしまうのでは、お徳の貯金は出来ません。何事もない時にしっかり御礼にお参りして、徳の貯金の出来るように心がけておりますと、ことがある度に、その徳の貯金がすうっと下りてきてお金の都合も人手の都合も、時間の都合も、お徳が頂け万事万端ご都合お繰り合わせが頂けるのです。そして「世界中で私ほど結構なものはないなあ、有難いなあ。」と喜ばせて頂けるようになるのですよ。

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2016年01月16日

●御用のお徳 

 9日の晩、御本部年賀参拝の前日の出来事です。あるご信者のご家庭では、翌日の御本部参拝の準備をしておられました。すると、夜10時半頃に御主人が二階から降りてこられ、「何かちょっと調子が悪い。身体が動きにくい。」と仰いました。奥様が問いかけていますと、みるみる内に滑舌が悪くなって来られたのです。翌日の御本部参拝の為に娘さんとお孫さんが実家に帰っておられ、まだ起きていましたので、呼んで様子を見てもらいましたら、「これはすぐに救急車を呼びましょう。脳梗塞かもしれないから…」ということで、すぐに救急車を要請して搬送して頂かれ、緊急入院されました。

★発見が早く、すぐに適切な処置をして頂いたおかげで、数日後にはすでに右手右足のマヒは回復し、言葉も出せるようになり、自力で歩いたり、右手でお箸を使って食事が頂けるまでに回復するという大みかげを頂かれたのでした。

★後で考えてみますと、全ての出来事が運良く間良く御都合お繰り合わせ頂いてのことであり、全くおかげであったのです。いつどこで症状が出ていてもおかしくないのです。夜中でも入浴中でも困ります。いつもであれば、御本部参拝の前の晩は早く休まれるのですが、その日は奥様も娘さんも遅くまで起きておられたので、すぐに対処が出来られたのです。また、たまたまご本部参拝の前日だった為に、娘さんも家にいて下さり、手助けをして頂けたのでした。

何故その日は遅くまで起きておられたのかというと、ちょうど実家に帰って来られた娘さんに、婦人会の書類作成の御用を手伝って頂いたのだそうです。「私達はこれまでの御礼に御用にお使い頂きたいと思って、御用をさせて頂いております。今回の事を通してこんなに絶妙のタイミングで時間の都合・人の都合・身体の上にお繰り合わせを頂けることが分からせて頂きました。これが御用のお徳ということですね。」と御礼を申されていました。

★時間や人など、自分の力ではどうにも出来ない所を全てにご都合お繰り合わせを頂いておられ、神様がお働き下さっていることが身を以て分からせて頂けるお話ですね。御用のお徳、お導きのお徳、日参のお徳、お取次ぎのお徳…等、こちらが御礼の心でさせて頂いていることが、大きなお徳を積むことに繋がっているのですね。

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2016年01月15日

●信心も基礎固めが大切

 初代教会長伊藤徳次氏の甥にあたる池田氏は、神戸市長田区でカメラ販売店を営んでおられましたが、阪神大震災に遭われながらも、店舗兼自宅のガラス一枚割れることなく、陳列してあったカメラも一台も落ちて壊れることはなかったそうです。建物の基礎工事が大変しっかりしていたということもありましたが、予定よりも一階低く建築した結果、柱や梁は強力で激震にも耐えることが出来たのでした。その判断もおかげを頂かれたことの一つです。これら全てが、ご先祖様からの手厚いご信心のお徳によるもので、無難のおおみかげを頂かれたのでした。

★ご信心の基礎は、日々の参拝、聴教によって揺ぎ無いものとなっていきます。信心の地固めが出来ていないと、急な判断を要する時に、心が揺らいでしまい、正しい判断が出来なくなってしまいます。「今、自分はどうさせて頂くべきだろうか…」と、悩みに陥ってしまうのは、常日頃の信心が抜けている証拠です。

★例えば試験を受ける時もそうですが、準備をおこたらずさせて頂きましても、「読み違い、書き違い、考え違いのありませんように」とお願いして受験させて頂きますね。それは平常心を失わないように実力を発揮できるようにお願いするのですが、信心も同じことです。

日参と聴教によって、正しい心を養い、いつも神様に心を向ける稽古をさせて頂いておりますと、出来事を通して、人の口を通して、また、自分の心に思わせて頂く形で、あらゆることを通して、神様の思し召しを感じ取らせて頂くことが出来るようになり、正しい判断を瞬時にさせて頂けるようになってゆくのです。

★また、月々の月例祭、御本部参拝を欠かすことのないよう、御礼の信心第一に心がけさせて頂くことも、基礎を築かせて頂く上において大切なことです。この寒修行信行期間には、家族揃って信心の基礎を一層確かなものとさせて頂けるよう、おかげを頂いてまいりましょう。

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2016年01月14日

●日参は有難い!お届けは有難い!

先日あるご信者が参拝され、お届けなさいました。

★「嫁がせて頂いて30年ほどになりますが、絶対に日参は出来ないと思っていましたが、昨年から願いを立て直して、現在時間を繰り合わせて日参のおかげを頂いております。また、嫁いでからずっと毎日の料理を作らせて頂いておりますが、この度初めてお姑さんから美味しかったと言って頂けました。本当に有難いことです。最近は、お姑さんの言われる言葉がどんなに厳しいことでも有難く受けさせて頂けるようになってきました。

そして、今まで辛かったことが辛くなくなってきたのです。私は、小さい頃から信心をさせて頂いてみ教えを理解していると思っていましたが、日参できていなかったときは、み教えをただ知っているだけだったのです。月に二回か三回ほどの参拝は心がけてしているつもりでしたが、これまではお姑さんのことを有難く思えませんでした。至らないながらも日参させて頂くようになってからは、御祈念を足して頂いて何もかも自分の力以上のおかげを頂いております。今まで御礼が申せなかったことに御礼が申せるようになってきました。」とお礼届けをされました。

★また、他のご信者はお届けなさって「先生のお話しを聞かせて頂いて、今まで回り道をしたように思えた事柄も、自分にとっては無駄なことは一つもなく、必要な事であったと分からせて頂けました。その時その時神様が必要な事をさせて下さったのですね。今まで見なければならない所を見ずに、見なくて良いところを見ておりました。これからは見なければならない所に目を向けるような心の眼が開かせて頂けますように。」とお願いされたのでした。

★私は「御礼の申せる所を書き出しましょう。家族、親に対しての御礼、今までさせて頂けてきたことに対しての御礼…等々御礼の申せる所はたくさんありますよ。そうすれば、今まで気付かなかった所や見えなかった所が見えてきますよ。」とお話しをさせて頂いたことでした。

★『時の信心よりは常の信心。時の追い肥より常の地肥。時のお百度参りよりは、その日参りにおかげを受けるがよいぞ。』

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2016年01月13日

●よい手本になる信心をせよ

『一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。』

★三代教会長先生は小学校六年生の時に教会に入所なされて、親先生のご薫陶をお受けになって、中学校の時には「将来は金光教の教師になりお道の御用をさせて頂きます」と覚悟を決めておられました。

★三代教会長先生が親先生の随行で四条教会に参拝なされた時のことです。四条教会の先生が「あなたは次の教会長になられる人やなあ」と言葉をかけられた時に、三代教会長先生は「いえ、私がなれることではありません。」と答えられたのです。どういうことかと言いますと、「私は跡継ぎになろうとか、次の教会長になろうとかそういうことは考えておりません。神様がお決めになられることですから、自分がしようとは考えておりません。」ということでした。行き届いた補佐をさせて頂くという姿勢だけがあられて、自分がしようという姿勢は微塵もあられなかったのです。そういう心持ちで御用をして下さいましたので、親先生の補佐も行き届いてなされ、ご信者皆様が助かってゆかれたのだと有難く思わせて頂きます。

★全く正反対の話ですが、あるお方が、三代金光様に「私は一生懸命しているのに、借金ばっかり増えて、なんで商売が上手くいかんのでしょうか?」とお伺いされました。しかし三代金光様は横を向いたまま一言も答えて下さらなかったそうです。聞こえていないと思われ、さらに大きい声でお伺いされますと、三代金光様は「何事も実意でな!」とみ教え下されました。しかし、その時にそのお方は「そんなことは何度も聞いて知っている…」と思ったということでした。実意丁寧という意味が全く分かっていないということですね。

★初代教会長先生、二代教会長先生、三代教会長先生がご修行して下されたお徳によって、後に続く信者一同が助からせて頂いております。そのことをしっかりと分からせて頂き、御礼を申し「行き届きませんがどうぞよい手本になるような信心をさせて頂けますように」とお願いしながらおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年01月12日

●わが心でわが身を救い助ける

10日には、御本部年賀参拝を団体列車1列車とバス8台併用し、新幹線・在来線・飛行機・自動車等を利用され、参拝なさった方々と共に団体参拝を無事させて頂けるおかげを頂きました。穏やかな素晴らしい天候のもと、御霊地において成人式や御神酒授与の上に万事におかげを蒙りましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げております。

★ある会社の重役をなさっておられるご信者が遠方から御本部に年賀参拝をされました。「先生、3年前に比べると今は夢のようです。大変なおかげを頂いております。有難うございます。3年前はもう死にたいと思っていました。家庭は崩壊し、家は売らねばならず、会社ではまともなお給料が頂けずに、親の介護を始めなければならないという八方塞がりの状態でした。何もかも上手く行かず、こんな状態であれば死んだ方がましだと思っていました。

しかし、今年は家族が全員揃って、穏やかなお正月を迎えさせて頂きました。三年の間に息子は結婚し、息子夫婦には子供を授かりました。娘も去年結婚させて頂いて幸せに暮らしてくれ、親は健康で生活してくれています。落ち着いて住まいさせて頂く家も与えて頂きました。仕事はというと、給与の条件も良くなり、今は社長のすぐ下で総務・経理・人事を統括する責任者という立場で働かせて頂いております。こんな結構なことはありません。本当に有難うございます。」と御礼を申されたのでした。

★さらに、次のように振り返っておられました。「そもそも、なぜそのような窮地に陥ったのかというと、私の驕りが原因でした。『驕りは諸悪の根源である』とみ教え頂いておりますように、自分自身が思い上がり、ご無礼不届きが積み重なって、全ての歯車が上手く噛み合わなくなってしまったのです…。自分の力でしているという考えが大間違いでした。」 

★3年前には直接お会いしてお話を聞かせて頂いても、電話や手紙でのお届けでも、「どうか金光様、こんな私ですが助けて下さい」という切実なお願いをそれこそ一生懸命になさっておられました。それが今では万事におかげを頂かれ、喜びに満ちた御礼のご信心にならせて頂かれたのです。同じ人でも心ひとつで見違えるほどにおかげを頂くことが出来るのですね。

★寒修行信行期間も1週間が経ちました。しっかりとご修行に取り組ませて頂き、自分自身の心を改め磨かせて頂きましょう!

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2016年01月11日

●物事に不自由を行とする

 昨日は、万事万端のご都合お繰り合わせを頂き、御本部年賀参拝のおかげを蒙りましたことは、真に有り難いことでございました。

★神様のお徳を十分に頂かせてもらい、繁盛の道を歩ませて頂くためには、生涯かけて教祖様のみ教えを実行させて頂く他はありません。また、三代金光様は、「有り難い有り難いという人には、有り難いことばかり起こってきます」と、み教え下さっておられます。

★『病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである。』

★人間の苦悩の代表的なものに、(1)冷たさ(社会の冷たさ、人情の冷たさ、冷遇)(2)苦しさ(苦労、辛さ、痛さ)(3)煩わしさ(実意丁寧にさせて頂こうと思うほど、煩わしいことが起こってきたりします。忙しい時にこそ丁寧・親切にしにくいものです。)(4)暇な時間(どのように時間を有意義に使わせて頂くかをご修行とさせて頂く。普段出来ない整理整頓・人を育てること)があります。

苦しいと思えること、辛いと思えることの中には、そこをご修行とさせて頂くことによって、一段と成長した姿に引き上げてやろうという、神様の思し召しが込められているのです。常に心中ご祈念を欠かさず、神様の思し召しを受けそこなう事のないよう、全てを大切に日々のご信心に励ませて頂きましょう。

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2016年01月09日

●良い手本になる信心を

 昨日は、みかげ会初例会が開催され、西本氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和26年、西本氏のお母様が市大病院に入院され、その時お見舞いに来られた方よりお導き頂かれ、その一か月後に初めてお参りされたのがご信心の始まりであられました。

★西本氏が中学3年生の頃、大型トラックとの接触事故で命のないところを、大難を小難におまつり替え頂かれました。その現実を見られて、家族中が教会に参拝されるようになられたのです。

★昭和26年、教祖70年大祭の御本部参拝に夜行列車で参拝される日の朝の事です。お母様は、お腹に激痛が起こり、七転八倒の思いで苦しんでおられました。痛むお腹をさすりながら、教会へお届けに行かれ、二代教会長伊藤コウ師より「神様にしっかりお願いしておかげを頂きましょう」とみ教え頂かれました。お母様は必死の思いで神様におすがりなさり、ままよの気持ちで出発されました。

車中でも、御本部のお広前でも痛みは続きました。しかし、御祭典の最中、急にお腹の中が一回転したような気がし、その後ガスが出たのです。すると、それから痛みは次第に無くなり、帰る時には元気な元の体に仕替えて頂かれたのでした。御本部の御大祭の日にお命を助けて頂かれ、その後40年余りも長生きされ、平成3年4月7日御本部御大祭の朝、78歳でお国替えされました。

★お父様もまた肺癌を患われ、余命三ヶ月と宣告されましたが、三代教会長先生より「自宅で養生され、家族でお礼のお世話をさせて頂きましょう。悪いことを言わず、考えないことです」とのみ教えの通りに、家族中、心を揃えて神様におすがりなさり、お父様のお世話に心を砕かれました。その後、余命三カ月と宣告されていたお父様は、10ヶ月もお命を延ばして頂かれ、安らかにお国替えされたのでした。

★現在西本氏は79歳であられますが、ご両親の願いをご自身の願いとして受け継がれ、日参と聴教・お取次を頂かれて、日々コツコツまじめに御用にお使い頂かれておられます。一家の機関車として良い手本になるような信心をさせて頂かれてきたことが、お体の上にも、お仕事の上にも、子孫の身の上にも、おかげを頂かれる元になっていることがよく分からせて頂きます。

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2016年01月08日

●心の「こり」を取り除く

 先日80才を越えられたあるご信者は、発熱し風邪を引かれて、お届けに来られました。私は「年末年始に忙しくなさっておられましたから、仕事の疲れが出られたのですね。神様が体を休めるようにと熱を出させてして下さったのでしょう。休むべき時は思い切ってしっかりと休みましょう。そして、また元気になって仕事に励ませて頂かれますようにご祈念させて頂きます。」とお話しさせて頂きました。後日、ご信者はお礼届けに来られ、「先生、有難うございます。お届けさせて頂いて、寝間で休ませて頂きましたら、久方ぶりに36時間も横にならせて頂きました。そうしましたら、おかげを蒙りまして熱も下がり、くしゃみも鼻水も出なくなり風邪もすっかり全快のおかげを頂いて、身体がシャンとしました。」と御礼を申されたのでした。

★『こりを取っての信心ならしてみよ。すぐにおかげがある。世に水を浴びて神を祈る人は、こりを取らずして、こりをつけるのじゃから、おかげにならぬぞ。凝りは寝間の中でも取り除かれるぞ。』

★何をするにも有難くさせて頂きますと、心と身体の「こり」が取れてゆくのです。反対に、何をするにも嫌々文句を言いながらしますと、心に「こり」をつけてゆき、めぐりを積んでゆくのです。日々御取次、み教えを頂いて、自分の心にある「こり」(不必要なこだわり、わだかまり)に気が付かせて頂き、「こり」を取り除く稽古をさせて頂きましょう。与えて頂いたことに対して、常に明き、清き、直き心でさせて頂きましょう。

★(1)明き…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。いくら勉強ができても、思い分けが出来なければ、本当に賢いとはいえません。
(2)清き…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。
(3)直き…心を空にして、み教えを心から有難く頂き、素直に自ら実行させて頂く。

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2016年01月07日

●信心を基に真心を尽くす

 昨日は、昭和45年に81歳でお国替えされました伊藤スエ大刀自霊神様(二代教会長伊藤コウ師のお姉様)の御命日で、46年めぐれる例年祭をお仕えさせて頂きました。

★スエ氏は、旧広前のお土地を購入させて頂く時に、「どうぞお土地を神様にお供えさせて頂けますように。」と願われ、ご自身は徹底して質素倹約されました。しかし、このお土地は、地主さんがもっている大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあって、地主さんは切り売りをすることに乗り気ではあられなかったのです。母のハル氏を始め、姉のスエ氏・カツ氏は自分のことは横へ置いて、教会設立の為に、とにかく家族中が力を合わせて一生懸命に神様の御用にお使い頂きたいと願われたのでした。そのお心をコウ師は受けられ、どうあってもその願いを成就させて頂きたいと願われ、初代教会長伊藤徳次師に「どうぞその交渉の役目を私に任せて下さい。」と申し出られますと、初代先生は「それなら任せましょう。」と仰って下さったのです。

★それからというもの、コウ師は毎日夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。なんと、その熱い願いが神様に届いたのです。地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と言って下さり、遂に売ることを決心して頂けることになったのでした。後になって、その続きのお土地も購入のおかげを頂かれ、コウ師はスエ氏の真心に対し「倍にして御礼のお返しをしたい。」と願われ、お家を建てられ住んで頂くことになられたのです。姉妹は信心を基にして互いに真心で尽くし合いをなさったのでした。

★『信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。みやすう信心をするがよいぞ。』とみ教え下されています。「このように生きなさいよ」と実にシンプルにおかげを頂く道を教えて下さっているのですが、氏子が自分の都合ばかり考えて物事を難しくしているのです。また、神様が氏子を見離されることはありません。ご慈愛に満ちた天地の親神様のお心に応えさせて頂けますように、私達は実意丁寧に真心を込めてご信心をさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2016年01月06日

●『真で成就せんことなし』 

 『金光様は 有難き 恐れ多き 勿体なきの三きを備えて祈れ 一切の願い事を成就させてやる とおっしゃったが この有難き 恐れ多き 勿体なき三きの心に 新気 根気 (御礼の)働きが立ち添うてこそ 一切成就の御信神がそなわるのじゃ これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』(片岡次郎四郎師)

★はじめの『有難き 恐れ多き 勿体なき』の三きとは「心」が行き届いているということであり、『新気 根気 働き』の三きとは、「姿」が行き届いているということだと教えて頂いています。心の底から「有難い、畏れ多い、もったいない」と思う心が、「日に日に新たに求め表す」「根気強く御教えを頂き願い続けてゆく」「生かして頂いていることへの御礼の働き」を心がけていく姿に表れるのです。そこに不足の心はなく、嫌気がさすことがありません。

★年明けに、ある受験生の方が参拝されました。大学入試センター試験まであと半月になり、大変プレッシャーを感じておられました。「親は浪人はしてはいけない、国公立を目指すようにと言っています。自分もそのつもりで目標を掲げて頑張ってきましたが、いざ目前に迫ってきますと、緊張で心も身体もカチコチです。一生懸命させて頂かなければならないということは分かっているのですが、時々嫌になることがあります…」とお届けされたのでした。

★[なるほど、その通りです。そのような気持ちが起こってくるのも勿論よく理解できます。私達人間はそのような弱い面を持っているものです。しかし、そういう時にこそ、ご信心を頂いている私達は大変幸せですよ。迷いの心が出てきたら、すぐに「金光様!」と御祈念させて頂き、もう一度新たな心持ちで取り組ませて頂けばよいのです。また辛抱出来ない時や、つまらない事、間違った事、悪い事を思ってしまったら、ご祈念させて頂く。それを根気強く続けさせて頂くことが大切です。

それが、有難い事に勉強に表れてきます。『真で成就せんことなし。』とみ教え頂いておりますから、「どうぞ真心にならせて頂けますように。」とお願いさせて頂きましょう。「あれが出来ない、これが出来ない…」と嘆くのではなく、まず神様にここまで続けさせて頂いた御礼を申し上げて、更に「どうぞ親孝行と御恩返しが出来ますように。その為にも成就させて下さい!」とお願いさせて頂くのです。]とお話しさせて頂いたことでした。

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2016年01月05日

●ひびを焼き継ぐ心で

 本日より、寒修行信行期間に入らせて頂きました。常平生よりも一層心を込めて日参と聴教に励ませて頂き、ご修行のお徳を頂きましょう。

★以前あるお方が、「先生、教会のご神前に祀られているのも、我が家のご神前にお祀りさせて頂いているのも、同じ天地金乃神様ですね?では、教会にお参りせずとも家で拝ませて頂いてもよいでしょうか?」と、お尋ねになった方がありました。教会のお広前は、自分を磨かせて頂く修行の場であり、み教えを頂き、見るもの聞くもの全てを通して信心を勉強させて頂く生涯教育を受ける場でもあります。

また、心も体も癒して頂き治して頂く場でもあります。人間は放っておくと、信心が抜けてしまったり、間違った方向に進んでしまう危険を誰しもが持っているものですが、自分の信心が横にそれていることに、自分自身だけではなかなか気が付かないものです。そこで、教会に足を運ばせて頂いてみ教えを頂き、日々自分の信心を見直し考え直させて頂くことが、信心を進めさせさせて頂く一番の近道なのです。

★『徳のないうちは心配する。神徳をいただけば心配はいらない。』とみ教え頂いております。そのような有り難いお徳を頂く為に、自分はどの様に改まらせて頂いたら良いのかを、家中で考えさせて頂きましょう。おかげの受けものに、知らず知らずに入ったひびを探して焼き継ぐつもりで、信行に取り組ませて頂き、信心向上のおかげを頂きましょう。

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2016年01月04日

●今年はどのような改革を心がけるか

昨日は、お正月の設えを平常に戻させて頂き、本日は奉仕係の初会合が開催されます。各会から代表して計6名の方より年の初めについて所信表明をして頂き、大変有難いお話を聞かせて頂きます。

5日より寒修行信行期間が始まります。しっかりご信行に励ませて頂けます様に共にお願いさせて頂きましょう。

★二代教会長伊藤コウ師は、業績が悪化した会社の社長さんに対して、「さあ、今回は大改革をさせて頂かねばなりませんなあ。どのように大改革をするのか、よく家中で相談してきなさい。」とみ教えなさいました。

早速、仕入れや製造・販売など何もかも見直し、この程度で良いだろうということではなく、もっともっと精度の高いもの、皆さんから求められるよう改善していくことに努められました。お参りの上では、時間を見つけてお参りさせて頂かれ、生活の上では無理無駄ムラがないよう、常に心中御祈念させて頂いて見直し、どうあっても繁盛させて頂ける様に改まっていかれました。

信心の上ではどう改まるのか、家の中ではどう改まるのか、経営の上ではどう改まるのか、資金繰りの改まりはどうか、一部分を見直すのではなく、おかげを頂く方へ見直しをさせて頂かれました。

すると繁盛のおかげを頂かれ、一つのことをきっかけとして、全てをおかげを頂く方へ舵取りが出来るようにご庇礼を頂かれたのです。

★現在、夫々の家庭に於かれまして、「うちの家はここが問題だな」という所がもしあられるのでしたら、今年はどのようにして大改革をさせて頂こうかとお考えになられたら結構です。そして、実践させて頂き、ここをこうさせて頂こうと改まることが出来るようにお願いをさせて頂くのです。

日参させて頂く上ではどこをどの様に改まらせて頂くのか、御本部参拝ではどのように改まって月々参拝させて頂けるか工夫し、ずっと続けさせて頂ける様にお願いをさせて頂きましょう。

★明日からの信行期間、少しでも改まりの機会が増え、自分自身の信心が向上させて頂けますよう、共々に信行に励ませて頂きましょう。

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2016年01月03日

●小さな勝利を収める

 毎日の生活をさせて頂く上で、小さな勝利を収めていくということが大切です。先日も小学生の方に「信心・勉強・御用を毎日させてもらうということが大切ですよ。強くなるというのは喧嘩に強くなるということではなくて、自分自身の心が強くなるようにお願いしましょう。『嫌だな、しんどいな、止めようかな』と思った時に『金光様、どうぞもっと強くならせて下さい』とお願いをして、弱い心に打ち克っていくことが出来たら結構ですね。」とお話しさせて頂いたことでした。

★また、朝参りをなさるには「眠たいな、寒いな」という弱い自分に打ち克たなければ朝参りも出来ません。時間がある時にお参りするのとはわけが違います。毎日同じ時間に参拝するということは、自分に打ち克つこと、そして前日の準備が必要です。前日の準備には「どうぞ明日も朝参りさせて頂きますように」との御祈念が大切です。克己心を養うという意味で、真に有難いご修行が朝参りなのです。

★私が大学時代、書道講師の先生が「練習は一日千枚書きなさい」と講義中に皆に言われたことがありました。私はとても出来ないと思いましたし、そう思った人はしないのです。しかし書道部は合宿の間に夜中まで千枚を目指して書かれるのです。実際一日200枚しか書けなくても二日間で400枚、五日間で1000枚になります。最初から出来ないと決めつけて、やらない人は何日経っても0枚です。

★しなければいけないから嫌々するということではなく、「どうあっても責任をもってさせて頂けますように」とお願いさせて頂くのです。「何でこんなことしなければいけないんだ」と嫌気がさしてくるのは責任感をもっていないからです。「何が何でも!」という願いを強くもって確かなものにさせて頂きましょう。そして、日々小さな勝利を収めておかげを蒙らせて頂ける、強い自分にならせて頂けると有難いですね。

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2016年01月02日

●徳と力を頂くことについて

 二代教会長伊藤コウ師は徳と力を頂くことについて、次のように仰せになっておられます。「徳と力の正体とは一体何だと思いますか?徳と力を頂くには、自分に与えて頂いた仕事に対して、責任を感じて実意丁寧に最後まで成し遂げるということです。

例えば、ご飯を炊いて下さいとお願いしましたら、米の洗い方、水、火の加減…すべての工程に御祈念をこめて、実意丁寧に真心こめて最後まで責任を持って作らせて頂きましたら、美味しいご飯が炊けます。自分に与えて頂いている責任を全うできているでしょうか?私のような者に仕事を任せて頂き、有難うございます。どうぞ責任を果たさせて下さいとお願いして、仕事を成し遂げられる方にまたお願いしますと頼んで頂ける、そんな人こそ忙しくなってゆくのです。」

★阿倍野の地にご布教を始められた5年後、大正15年初代教会長・伊藤徳次師は「おかげやで、おかげやで」と言い残され、お国替えされました。その十日祭の当日、旧広前のご建築の為の役員・建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長・伊藤コウ師は、連判状を御神殿にお供えされ「神様、可愛がって下さいまして有り難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。」と御礼を申されました。そして、「どうあってもお広前の建築成就のおかげが頂けますように」と徳次師のご遺志を受け継がれて願われ、神様を杖に孤軍奮闘されたのです。誰もが教会の建築は絶対にできないと思っていたところを、翌年の11月11日には、旧広前の新築落成奉告祭を無事お仕えになられたのでした。

★神様、親ご先祖が願って下さる願いを分からせて頂き、受け継がせて頂くことによって、神様、御霊様と一つ心にならせて頂くこととなり、自分の力以上のことをさせて下さるのです。難しい、出来るはずがないお願いでもあきらめず、投げ出さずに「どうあっても成就させて頂けるように、最大限に努力がさせて頂けますように」とどこまでも一筋に生神金光大神様、天地金乃神様とお願いさせて頂きましょう。

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2016年01月01日

●平成28年をお迎えして

 新年おめでとうございます。今朝は平成28年元日祭を午前6時より無事に仕えさせて頂きましたことを有難くお礼を申し上げます。

★昨年一年間万事にご都合お繰り合わせを頂きまして、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂き、本日新たな年を迎えさせて頂くことが出来ましたことを、共々に神様にお礼を申させて頂きたいと思います。皆様方には、私どもの御用の不行き届きな中をご辛抱頂き、またひとかたならぬお祈り添えを頂きましたことを厚くお礼申し上げます。

★『正月一日に神に伺えば、1、2、3、4か月のことは教える。2日が、5、6、7、8、3日は、9、10、11、12と教える。そこで正月三が日をもって1年中のことを伺うておきさえすれば、みな神様が教えて下さる。その徳を受けられよ。』『正月は一年中のことを祝うので、まことにめでたいものじゃ。よって、氏子は腹が立っても三が日じゃ、怒るな怒るなと言うじゃろう。よってのう、日々元日の心で暮らしてのう、日が暮れれば大晦日と思い、日々うれしく暮らしますのじゃ。そうすれば家内に不和はないのじゃ。日々うれしく元日の心で暮らせばよいのう。』

★この正月三が日は、今年一年の予定について行き届いて御祈念をこめさせて頂きましょう。去年の干支の未の字には「枝が伸び、広がってゆく・繁栄」という意味がありました。そして、今年の干支の申の字には「まっすぐに伸びる」という意味があります。今年は、それぞれに去年より積み重ねてきたご修行を倦まず弛まず続けさせて頂き、さらに有難い方向へまっすぐ伸びてゆきますように、お願い致しましょう。日々正月元日の心で暮らし、和らぎ喜ぶ心で有難く生活させて頂きましょう。

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