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2015年12月12日

●神様を杖に、不自由を行とする

 御隠居様(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)が信心の始め、京都の北野天満宮の近辺の長屋に引っ越しをされました時、その長屋の井戸が枯れていました。大変不便で、近隣に水をもらいに行かなければならなかったそうです。御隠居様は神様に「今迄、水に対してご無礼不行き届きを重ねてきたので、伊藤の家のめぐりが出ました。お礼の足らない生活、御無礼の多かったことをお許し頂けますように。」とお詫びをなさいました。

そして、毎日井戸の淵や周りを掃除され、井戸のふたの上にお供え物をさせて頂き、「どうぞ私共が改まったご信心をさせて頂きますので、枯れた井戸に水を沸かせて下さいませ。天地のお徳を表して下さいませ。」と日々祈念を欠かさずされたのです。そうして諦めずに御祈念されておられますと、再び水が湧き出るということになり、後々まで使わせて頂けるようになったのでした。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』つい人を杖につきたくなります。頼りになる人を探したり、お金に頼ったりしてしまいますと、失った時に人のせいにしてしまうのです。神様を杖にさせて頂くということは、覚悟が必要ですし、御修行も必要となります。できてくること全てに先ず御礼を申し上げ、神様におすがりさせて頂いて、有難く受けさせて頂き、最大限の努力をさせて頂くところに、神様が使って下さり、人も環境も立場も自分が思う以上にすべて神様が整えて下さるのです。

★何か不自由なことがあるということは、自身のご無礼不行き届きなところを神様が教えて下さっているのです。神様は先の立ち行きを願い、お気付けとして教えて下さるところがあるのです。ですから、不自由を行とし、どんな時でも神様を信じて迷わず疑わず、おすがりさせて頂きましょう。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、分相応を過ごさぬよう倹約をし、人に言わずに行えば、これ心行なり。』

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:42 | 平成27年の「み教え」