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2015年12月31日

●「あれもおかげであった、これもおかげであった」

平成27年も残す所、今日一日とならせて頂きました。御信者皆様には日々御祈念を賜りました事を厚く御礼申し上げます。

本日午後7時半から、越年祭をお仕え申し上げます。ご家族ご親族揃って参拝のおかげを頂かれ、一年間万事にご都合お繰り合わせを頂きましたお礼を、神様に申し上げさせて頂きたいと思います。

★昨日もあるお方が「今年一年のお礼を申させて頂きます。今年は昨年に比べて有難いおかげを頂き、収益が上がり繁盛のおかげを頂きました。今年一年忙しくさせて頂き、仕事の幅の広がりも増えて、顧客も新しく頂いて実に有難い一年でございました。

社員の方々も次々と成長させて頂いております。有難うございます」とお礼を申されました。今年一年振り返らせて頂きますと、一年一年結構になり、有難いおかげを頂き続けている毎日です。

★しかし、忙しい最中や厳しい仕事に当たらせて頂いている真っ最中には、そちらの方に気が回ってしまい、目先の事に捉われて、人に心が向き、お礼を申して生活するということは、なかなか出来にくいものです。

後で振り返らせて頂きますと、「あれもおかげであった、これもおかげであった」と気付かせて頂くのですが、厳しい直面に出合った時にすぐ「有難うございます。神様の仰る通りでございます。おかげ頂かせて頂きます」とお礼を申すことが出来ましたら、どれほど有難い生活になってゆくでしょうか。

★今日一日、行き届いて今年一年のお礼とお詫びを申し上げさせて頂き、有難い心に満ち満ちて平成28年の新春を迎えさせて頂きましょう。

★ 1)虚を以って心を養う…心を空(謙虚)にして常にみ教えをさっと頂ける心にする。

2)徳を以って身を養う…世渡りは簡単な事ではない。仕事も家庭も身に徳を頂くことによって1つ1つおかげを頂ける。

3)善意を以って人を養う…相手の良い所を見る。常によい事を思ってよい事を願う。

4)慈愛の心を以って天下万物を養う…かわいそうだなあと思える心を養ってゆく。

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2015年12月30日

●地を肥やし、信心の根張りをよくする

 以前、就職のお願いをなさってお参りなされた方が、日参し改まって御教えを頂き、立派な会社に就職が出来られました。真面目に働かれ、それなりの立場に昇格された途端に、分を忘れて大きな賃貸物件に入居されたことがあられました。二代教会長伊藤コウ師は「そんなおごりがましいことをしてはいけません。もっと地に足のついたことをしなさい。住宅は小さいところからでもかまいませんから、コツコツと積み上げていきなさい。」と教え諭して下さいましたが、「部下も出来て人を招待するのに立派なところが必要です。もう借りましたから。」ということで住まわれたのです。

ところが、御本部参拝も日参もおろそかになり、日々の信心も忘れてしまわれました。そうしますと、奥様が病気に罹られ亡くなってしまい、次いでお母様も病気に罹られ亡くなってしまいました。妹さんには「生きている間は会いたくない」とまで言われてしまい、その方はとうとう孤独な生活をせねばならないことになってしまわれたのです。二代教会長先生は、かわいそうなことになってしまったと、涙ながらに神様に教導の不行き届きをお詫びなさったのでした。

★これは地を肥やしていない結果です。どのようにして助かったのか、どういう風におかげを頂いてきたのか、何を大事にしなければいけないかが分からなくなり、結構になったからと言って、御恩を忘れて自分勝手な生き方になってしまったので、立ち行かないようになってしまったのです。

★『めでためでたの若松様よ、枝も栄える。葉も茂るとめでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは地の下に目には見えぬが、大きく根を張っておるからじゃ。』植物が発芽する為には「水」「温度」「光」の3つが必要ですが、ご信心も同様です。「光」は「明るさ」、思い分けの出来る賢さであります。「温度」は「熱意」、熱のこもった信心をさせて頂きましょう。「水」は命の根源で、心・体に潤いを頂くための「み教え」です。これがご信心が進んでいく元です。

★『とかく信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。』ご信心して結構にならせて頂いても、大切なところを忘れてしまっては、大変なことに陥ってしまいます。地を肥やすことと信心の根張りをよくすることを心掛けさせて頂きおかげを蒙らせて頂きましょう。

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●地を肥やし、信心の根張りをよくする

 以前、就職のお願いをなさってお参りなされた方が、日参し改まって御教えを頂き、立派な会社に就職が出来られました。真面目に働かれ、それなりの立場に昇格された途端に、分を忘れて大きな賃貸物件に入居されたことがあられました。二代教会長伊藤コウ師は「そんなおごりがましいことをしてはいけません。もっと地に足のついたことをしなさい。小さいところからでもかまいませんから、コツコツと積み上げていきなさい。」と教え諭して下さいましたが、「部下も出来て人を招待するのに立派なところが必要です。もう借りましたから。」ということで住まわれたのです。

ところが、御本部参拝も日参もおろそかになり、日々の信心も忘れてしまわれました。そうしますと、奥様が病気に罹られ亡くなってしまい、次いでお母様も病気に罹られ亡くなってしまいました。妹さんには「生きている間は会いたくない」とまで言われてしまい、その方はとうとう孤独な生活をせねばならないことになってしまわれたのです。二代教会長先生は、かわいそうなことになってしまったと涙ながらに神様に教導の不行き届きをお詫びなさったのでした。

★これは地を肥やしていない結果です。どのようにして助かったのか、どういう風におかげを頂いてきたのか、何を大事にしなければいけないかが分からなくなり、結構になったからと言って、御恩を忘れて自分勝手な生き方になってしまったので、立ち行かないようになってしまったのです。

★『めでためでたの若松様よ、枝も栄える。葉も茂るとめでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは地の下に目には見えぬが、大きく根を張っておるからじゃ。』植物が発芽する為には「水」「温度」「光」の3つが必要ですが、ご信心も同様です。「光」は「明るさ」、思い分けの出来る賢さであります。「温度」は「熱意」、熱のこもった信心をさせて頂きましょう。「水」は命の根源で、心・体に潤いを頂くための「み教え」です。これがご信心が進んでいく元です。

★『とかく信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。』ご信心して結構にならせて頂いても、大切なところを忘れてしまっては、大変なことに陥ってしまいます。地を肥やすことと信心の根張りをよくすることを心掛けさせて頂きおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年12月29日

●『今みかげをという心になれよ』

あるご信者は、母親に連れられてお参りを始められたのでしたが、そのころは「なぜ教会へ参らなければならないのか?」と心に不満が多く、なかなか物事を喜ぶことの出来ないお方でした。

しかし、み教えを頂かれるほどに、徐々に心を改めていかれたのです。そして、3年後に血液の癌が発病した折には、

「入信当初は、み教えを聞いても何を話しておられるのか分からず、心に受け入れることが出来ませんでした。それでも、お参りを続けさせて頂いておりますと、素直にみ教えを頂けるようになり、至らない自分に気が付かせて頂きました。そして、血液の癌が見つかりました。しかし、心が乱れることはありませんでした。今までの3年間は準備期間でした。本気になってご信心をさせて頂くようになって、こうして良い時節に病気を与えて頂いて有り難いです。先々に起こり来る病気をご存知で神様が私におすがりさせて頂く為の準備をさせて下さったのだと理解出来ましたので、必ずおかげを頂けると思いつつ治療を受けさせて頂きます。」と仰っておられました。

常平生のご信心のおかげで、一心に神様におすがりすることができられましたら、再発することなく、病気全快根切れの大みかげを蒙ることが出来られたのでした。

★銘々に神様がかけて下さっている願いがあります。自分に起こり来る出来事をどのように有難く受けさせて頂くことが出来るか。不幸と思わず、これをご修行とさせて頂き、おかげを頂く心にならせて頂きましたら有難いのですね。

『やれ痛やという心でありがたし、今みかげをという心になれよ』

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2015年12月28日

●お広前で心身に徳を頂く

 本日は、今年最後の月例霊祭をお仕え申し上げます。今年も一年間、歴代教会長先生、ご先祖の御霊様方に日々お守り頂いて、大難を小難、小難を無難におかげを頂いて参りました御礼を、共々に申させて頂きたいと思います。

★日々真面目に日参と聴教に励んでおられるあるご信者が、「私は、信心させて頂いているとは言いましても、教会に参拝させて頂いているだけで、み教えを実践出来ているわけでもなく、行き届いたことは出来ておりませんのに、どうしてこんなに結構なおかげを頂けるのかと思うようなことばかりです。家庭の上にも有難いおかげを頂き、この度は会社の昇格試験を受けるよう、上司から勧めて頂きました。上役の方々が皆さん望んで下さっておられるので是非にと、もったいないお話を頂いております。有り難うございます」と、お礼届けをなさったことでした。

★お広前は、心も体も浄化して頂き、癒して頂く場です。お広前で静かに神様に心を向けさせて頂き、お取次、み教えを頂くことによって、知らず知らずの間に悪毒病毒:不浄の心を取り除いて頂き、ご神徳を頂くのです。

★『信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげを受けることが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である』とみ教え頂いております。日々の信心をこつこつと積み重ねさせて頂くことによって、神様、御霊様から知らず知らず受けているおかげ、お守りの大きさを感じさせて頂くことが出来るようになり、同時に、知らず知らずのご無礼に対するお詫びの心が深く、慎み深い姿へと生まれ変わらせて頂けるのです。有り難いご神徳に満ちた信心に進ませて頂くことを楽しみに、日参と聴教に励ませて頂きましょう。

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2015年12月27日

●神様がさせなさるご修行

『このお広前へある山伏が来てかれこれ(暴挙を働く)したことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれ(仕返し)してはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。

それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。…この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子先で合点せよ』

★教祖様は、ご自身が引き受けてご修行なされ、範を示されました。荒らしに来たその山伏達に対しても、仕返しをする心を持たれずに一切腹を立てられることはあられませんでした。それどころか、神様がさせなさるご修行として有難く受け切られ、相手の立ち行きを願われたのです。

そして、山伏の暴挙について口々に不平不足を言い合っている信者に対して、「皆が不浄の言を言い言い汚すばかりして人に腹を立てさせる者ばかりで、神を勇め慰める者がない」と戒めなさったのです。

山伏の荒らしにやってきたことを通して、信者一同の信心が向上します様、先々尊いものが人々の心に生まれることを願われたのです。

★家の中で病人があられるとします。その病人の助かりを願うことによって家の中は改まらせて頂くことが出来ます。神様は家中がそのことを通して信心が向上してゆくことを願って下さっておられるのです。

「今、この子が私達の代わりに病気で寝込んでおります。この子が家のめぐりを全て引き受けてくれております。私達もしっかりと改まらせて頂き、助かりを願って家中が心を揃えて信心が向上させて頂けますように」と願わせて頂くのです。

家族の難儀を「自分の代わりにご修行してくれているのだ」と思わせて頂けますと、家族皆が助け合うことが出来、病人が助かってゆくのですよ。

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2015年12月26日

●実意丁寧な生活態度になるように願う

 先日もあるご信者が上司の方や同僚の方と、仕事の上で行き違いが生じるということで「色々な方が職場におられますが、どういう態度で接しさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けなさいました。

★そこで「それは職場の方の助かりをお願いしたらよいのです。どんな考え方の違いがあっても『あの方がどうぞ助かられますように、立ち行かれますように』とお願いさせて頂いて、あなたは誰に対しても実意丁寧を心掛けられたらよいのです。常に相手の助かりや職場全体の助かりをお願いしてさせて頂きましたら、神様に通じてゆき、人にも通じてゆきます。だからしっかりと御願いさせて頂きましょう。

『この人は理解してくれるからこちらも丁寧にする』『この人は理解してくれないからこちらも丁寧にしない』等と人によって態度や対応を変えてしまうのは、人を目当てに考えている人の行動です。そこを神様を目当てにさせて頂くのです。人間ではなくその後ろにおられる神様を見て、神様を第一に生活をさせて頂くということを心掛けさせて頂いたら、誰に対しても実意丁寧に出来るようになります。そういうところを大切にさせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★実意とは、心が行き届くこと・真心です。御恩を知って御恩に報いさせて頂く生き方にならせて頂けるようにお願いさせて頂くのです。そして丁寧とは行いが行き届くこと・まだまだ足らんと思って、何度も反復練習して求めて現わしていくことです。

★『氏子身の上のことなんなりと実意をもって願え』とみ教え下さっておられますが、真心をもって願うということです。それをどのようにして形に現わすかということが大切です。いつでもどこでも、だれに対しても実意丁寧な生活態度になるように願うのです。起居一切が実意丁寧になっていくように心を込めて生活をさせて頂くのです。それが天地の道理に生きるということであり、神様のお心に適うということです。

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2015年12月25日

●信心が強くなるように…

 中学2年生のご信者は、剣道部に入っておられ、大変厳しい先生のご指導を受けて日々稽古に励んでおられます。厳しさのあまり、何度も退部を考えましたが、剣道錬士6段の段位を持たれる先輩のご信者が「素晴らしい先生と巡り合えてよかったですね。それだけの練習を指導して下さる先生はそうたくさんおられませんし、出会えることもめったにありません。剣道には、『突きは出て受けよ』という言葉があります。これは突いてこられた時に逃げると必ず突き倒されますが、一歩前へ出て受ければ、突きが当たることはありません。つまりは難しいことが起きてきても逃げずに、積極的に受けていきなさいということです。」と適切に導いて下さったのです。

★中学生のご信者は、恵まれた環境で稽古をさせて頂ける有難さに気付かれ、厳しい練習も嫌々するのではなく、自分から一歩前へ出て取り組んでいこうと思いなおされ、現在まで継続しておられます。現在では、入部した時とは違い、筋骨隆々になっておられ、この度、初段に合格されました。その姿を拝ませて頂いておりますと、日々鍛えさせて頂くことの有難さを感じさせて頂いたことです。

★厳しい、辛いことが起きてきた時に、一歩前に出れば、受け流して対応することが出来、乗り越えさせて頂けるのです。しかし、厳しい、辛い事から逃げますと、その出来事に突き倒されてしまうのです。日参と聴教に励ませて頂き、どんなことが起きてきてもおかげにさせて頂けるように、自身の信心を強くさせて頂きましょう。

★『ある相撲取りが金光四神様の御前に参って「金光様、何とぞ、私に幕の内に入れるおかげを下さるように願います。」とお願い申し上げたところ、金光四神様は「強い者とは、負けるほど取り組め。弱い者と取り組めば次第に弱くなる。また世の中を渡るについては、貧乏との取り組み、病気の取り組み、火難盗難の取り組み、その他様々な取り組みがあるが、信心が強ければいつでも勝てる。」と諭されました。』

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2015年12月24日

●良い手本を真似て心を改める

三代金光様の奥様の金光キクヨ姫は、授乳する際に乳首が切れる「乳切れ」をご経験なさいました。そのことについて、「こうして乳首が切れて、痛み悩んでお願いに参る人がどれほどあるんじゃろうかなあ。』と自分の疼きを自分自身が痛みながら、自分のことよりも『全国の教会にこうして乳の疼きをお願いに来ておる人が、おかげを頂きますように。』とお願いさせてもらうことが出来ました。この痛みは、人の話を聞いたぐらいのことで分かるもんじゃあない。神様が体験をさせて下さったのです。」と仰せになっておられます。

★自分の身に起きてくる問題を有り難いご修行と頂いて、そこから必要な勉強をさせて頂き、諸問題を乗り越えるおかげを頂きましょう。そうしますと同じように困っている人がおられた時に、「神様があなたに必要だからこそ、『あなたなら』と思し召し下さって、必要な勉強をさせて下さっているのですよ。私もそのようにして、おかげを受けて、現在結構にならせて頂いています。何事も無駄ことはありませんよ。」と、その経験を通して、人様を正しい方向へお導きさせて頂くことが出来るようになります。痛い思いや辛い思いも経験してみないと、人の痛みというものもわからせて頂くことは出来ませんね。

★また、教会でみ教え頂くことは、すべておかげを頂く道を教えて頂くのです。いかに素直に頂き、素直に自分の心を改まらせて頂くかが、おかげを頂く鍵となるのです。『人の振り見てわが振り直せと言う。おかげをいただいた人の話を聞いて、そのとおりしますと、おかげもいただける。どうしても治らぬ、おかげいただけぬ、と言う人の真似をしていたら、やはり、そのとおりに治らぬ。おかげをいただけぬ方へ行くわい。信心にもいくとおりもあるが、まず心を改めていくのが、一番早い』(二代金光四神様のみ教え)

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2015年12月23日

●心と体の掃除をするごとく…

 21日は植田千代子氏の御命日でした。植田氏は幼少の頃より心臓脚気の病気があられました。17歳の時御本部参拝の際、お広前で「私は、小さい頃より身体が弱いですので、周囲に心配をかけております。どうぞ病気をお預かり下さい。」と一心に御祈念されました。そうしますと、清々しい気持ちになられ、その時以来どんどんと良くなり根切れのおかげを頂かれたのでした。

★植田氏は有難さの余り、神様と生涯の約束を3つされました。「1、生涯日参をさせて頂きます。2、絶えず喜ぶ稽古をします。3、毎日の食事は2食に致します。」と決められ、ご修行に励まれたのです。日参は文の里より、また転宅後は甲子園から日参され、6人の子宝を頂かれましたが、出産の前日も参拝され、その後20日間は代参をたてられ、計64年間続けられたのでした。

★ある時、ご主人が工場で鉄板が倒れてきて右手親指が皮一枚残して骨も神経も切れてしまわれたのです。医師は「とても治りません。」と言いながらも一応手術して下さったそうです。植田氏は「体裁が悪いので、どうぞ形だけでもくっつけて頂けますように。」とお届けなさったのでした。

★二代教会長・伊藤コウ師より「そんなお取次は出来ません。形だけの指なら木でもセルロイドでもひっつけときなさい。天地を丸生かしになさる親神様の御神徳を汚し奉るようなお願いは出来ません。元通りしっかり働きの出来る指にして下さい、というお願いならお取次させて頂きましょう。」と厳しくみ教えを下さいました。そのみ教えによって改まってご主人のそばで夜通し御祈念させて頂かれますと、痛みがなくなり、医師が驚くほど血管も神経もつながって後に全快の大みかげを頂かれたのでした。

★自分の姿を見直し、聞き直し、考え直し、小さなことから一つ一つ改まらせて頂くのが、信心の稽古です。今年も残すところあと一週間となりました。心と身体の掃除をするつもりでしっかりと信心の後始末をさせて頂きましょう。

★『座敷、押し入れ、板場にちりが積もるごとく、人間、我欲のためにわが心にちりが積もる。わが心わが身が汚れぬように、心と体の掃除をするごとく、今月今日で信心をしなさい。』

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2015年12月22日

●『石になるなよ、綿になれ』

 昨日は、金光四神貫行之君・歴代金光様の例年祭を無事に仕えさせて頂きました。

★二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、「長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)」

★私(金光四神様)があるとき、妻に、『同じいただくご飯なら、もう少し軟らかく炊いたら食べよかろうにのう』と言うたら、妻は謹んで、『さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので』と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、『頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか』とご意見を受けたことがあるからのう。

奥様であられる桂ミツ師には、「のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念しておあずけせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教えなさいました。

★夫婦の間でも互いを思いやり、寛大に受け入れていくことが大切です。そして妻は「主人が今日も健康でお役に立つ働きが出来、願い以上のおかげが頂けます様に」と願い、夫は「妻の身の上が健康で、家事・育児がさせて頂けます様に」と願いましょう。初めのことを忘れずに、互いに後ろ祈念をして支え合って生活させて頂きたいものです。

★『教祖さまは、「信心と夫婦は、初めのことを忘れるな」と教えてくだされたが、おかげをいただいて信心するようになっても、日にちがたつに従って次第に初めのことを忘れて、ありがたさが薄くなる。もったいないことである。夫婦でもそのとおり、初めのことさえ忘れねば、一代むつまじゅう暮らすことができる。よく心得ねばならぬことである。』

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2015年12月21日

●生涯未完成の心で

金光キクヨ姫様があるお方に「ご理解百節を覚えていますか?」とお聞きになられました。「覚えております」と答えたその方にキクヨ姫様は「それではこれから毎日読ませて頂きなさい」とみ教え下されたのでした。一旦覚えているからと済ませるのではなく、何度も何度も頂き直しをさせて頂くという意味です。そうすると自分の理解できていなかったところが新たに理解出来たり、理解が深まったりするのです。

★私達は分かっているように思っても一部分しか分かっていないのです。そうしますと皮相な(薄っぺらい)理解にしかなっていきません。一面だけ、一辺だけを見て分からせて頂いている気になってはいけないのです。年齢や経験の積み重ねによっても、み教えの頂き方は変わってきますので、何度も何度も頂き直しをさせて頂くことが大切です。

★同じみ教えを頂きましても受け物の違いによっておかげの現われ方が変わってくるのです。お広前では心を浄化して体も良い方へ作り直して頂き、しっかりとした受け物を作らせて頂く場所です。信心させて頂けば一年一年有難い姿に進ませて頂けます。それだけの徳と力を頂いていけるようなおかげを頂いて参りましょう。日参と聴教をさせて頂き、何度もみ教えを頂き直して、受け物作りに励ませて頂きましょう。

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2015年12月20日

●人の感情によって作り出される毒

『人の悪口を言う者がよくある。もし、その場にいたら、なるべく逃げよ。陰で人を助けよ。陰で人を助けておけば、おのずと神の恵みがある。』

『大勢寄り合った時、人の陰口を言ってそしる者がよくある。そのような場合には、あの人はそういう人ではないと言って打ち消しておけ。』

★悪い事ばかり口にしていると、自分が難儀になってゆくだけでなく、周囲の人達まで辛くさせてしまいます。それは科学的にも証明されているのだそうです。吐く息を集めて急速冷凍をしますと、その息が微量の液体となります。

いろいろな人の息をサンプルとして集めて研究をされた結果、悲しんでいる人の息は青色に、怒りに満ちた人の息は褐色になったそうです。残忍な殺人鬼の液体は栗色になり、これをモルモットになめさせると頓死しまうほどの強い毒があったのだそうです。感情に任せて生活をしている内に、人間の身体の中に毒を作り出し、その毒は自分自身を痛めるだけでなく、また周囲の人をも傷つけてしまうのです。「毒気にあてられる」という言葉は本当なのです。

★私達は毎日の生活の中でちょっとした事にすぐに腹を立てたり、ほんの一言が有難く感じたりと、心が大きく左右されてしまいます。極端なように思いますが、そういう部分を人間は持っており、そこに人間の弱さがあるのです。弱い人ほど腹を立てたり、不足を言ったりします。段々とご信心が進ませて頂きますと、つまらない事を思ったり、不足を言ったりしないようになり、有難いことが口から出て来るようになるのです。それが周囲の方々から信頼して頂き、身にお徳を頂く元となってゆくのですね。

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2015年12月19日

●大きな罪とは?

 あるお方が胃に腫瘍ができ切除手術をしましたが、再度手術の必要があるということで、阿倍野教会のあるご信者にお導きを頂かれて、二代教会長伊藤コウ師にお届けをされました。「先生、私はよほど罪深い者だと思います。しかし、いったいどのような大きな罪を犯したのかわかりません。どのような罪を犯したのでしょうか?」と尋ねられました。

コウ師は「確かにあなたは大きな罪を犯してきました。であるから、そうして苦しんでいるのです。それを神様が可哀想に思われて、こうして人をお使いになってお導き下さったのです。『神の恵みを人知らず。親の心を子知らず。』というみ教えがあります。天地の有難いお恵みを知らないという大きな罪を犯しているのです。毎日お参りをして、み教えを頂くずつに今日まで考え違い、思い違いをしていたと気付き、お詫びをさせて頂きましたら、今までの罪が取り払われてゆくのですよ。」と仰せになられたのです。

★人間社会の法律上にふれるような罪を犯しておりませんが、信心の上では罪を犯していることが多々あります。与えて頂いている生命、物、仕事、人に対して不平不足を思い、神様の御恩を知らず、神様のお働きにお礼を申していないことが神様に罪を犯しているのです。つまり今月今日で一心に信心させて頂くことが出来ていないことが罪になっているのです。

そしてわが心が「和らぎ賀こぶ心」にならせて頂いていないことが罪となっているのです。私達が休んでいる間も神様はお働き下さっています。天地のお働きにお休みはありません。その御神徳によって私達は生かされていることを自覚し、日々お礼を申して生活させて頂くことにより、心も身体も生まれ変わらせて頂いてゆけるのです。そして、前々のめぐりをお取り払い頂いてゆくのです。「今日一日だけでも、ありがたく御礼を申して過ごさせて下さい。」「今日一日不平不足を言わずに、腹を立てない生活にならせて下さい。」と願い、めぐりを積む生活を改めて、すべてを有難く喜ぶ生活を心掛け、お徳を積む生活をさせて頂きましょう。

★『信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せず、うかうかと暮らす人は、めぐりを積んでいるのである。』

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2015年12月18日

●おかげへの第一歩

 先日あるお方が、「血圧が高くて、外に出歩く機会も減りました。夜も熟睡できず、何時間かおきに目が覚めてしまいます…。」とおっしゃいますので、「夜中に目が覚めたら、目が覚めたからといって起きて何かしようとするのではなく、横にならせて頂いておいたら、内臓諸器官も休めることが出来ますよ。目が覚めたら心を沈めて、お礼を申して、そのまま横になって休ませて頂きましょう。また、塩分を控えめにして、水分をしっかりと摂らないといけませんよ。そして、しっかり歩きましょう。」とお話しさせて頂きました。

すると、「先生、そんな難しい事ばかりおっしゃって。塩分を控えめにするのはなかなか難しいですし、水分を摂ったらトイレにばかり行きたくなって困ります。歩くのも、どうもしんどいですし…。」と、ことごとく「無理です。」とおっしゃいますので、「『体の丈夫を願え、体を作れ』とみ教え頂いているでしょう。丈夫な体は、日々心掛けて作っていくことが大切なのですよ。」と、お話しさせて頂いたことでした。

★頂いたみ教えを自身が「本当にその通りだ。どうぞ、み教えを実行させて頂くことが出来ますように。」と素直な心でお願いさせて頂くことがおかげへの第一歩です。次には神様にお願いしながら、どこまでも諦めずに日々努力を重ねさせて頂くことによって、自分もおかげを頂き、周囲の人々にも助かりの輪が広がってゆくのです。目の前に与えて頂いている問題は、今自分がさせていただくべきご修行です。先ず、何事も「難しい…。無理だ…。」と思わないように言わないように稽古しましょう。そして問題を避けず、逃げず、み教えを素直に実行させて頂く心になって取り組ませて頂き、一段一段と信心を向上させて頂きましょう。

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2015年12月17日

●神様が授けて下さる徳と力・ご縁

 あるご信者は中学生の頃、学校の先生から「あなたは神様へお参りしているそうだが、自分一人だけが受験に合格するように神様にお願いしているのか?」と問われたそうです。しかしそのご信者は「いいえ、神様から授けて頂いた能力が十二分に発揮出来るように、お願いしています。」と答えられたのでした。幼少の頃から御教えを頂いておられますと、中学生といえども本質的な所を理解する力が身についておられたと云えます。

★今現在、学校教育の現場では生きる力を育むために、自分で考え判断し、実行する力を身につけられるように教育なさっておられるようです。それは本当に大切なことですが、神様・御先祖から各自頂いている尊い才能をしっかりと活かし育み、表してゆくには、様々な面でおかげを頂かねばなりません。人との縁や、仕事の縁、土地との縁など、自分の力ではどうにも出来ない所で足らないところを足して頂くおかげを頂いてゆく必要があります。生まれながらにして授かっている徳と力が大きくなって更に輝くように、神様にお願いさせて頂き、み教えを頂いて、おかげの頂ける方へと導いて頂くことが大切です。

★先日、「大阪の職人を尋ねる」というTV番組を観させて頂いておりますと、偶然にも藤本氏の藤本硝子加工所が紹介されていました。御年86歳の今も、20歳の頃から65年以上もガラス切子やサンドブレストのお仕事を続けておられることや、ご家族の事、作業の様子などが紹介されていました。番組中には、奥様やお子さん達、土井つちのさん(奥様のお母さん)との家族写真も紹介して頂かれ、大変有難く、私は手を合わせて神様に御礼を申しながら拝見させて頂きました。このように結構なおかげを頂いてこられたのは、藤本氏が神様におすがりして「させて頂く」お仕事を続けられた賜物です。神様から授けて頂いた能力が十二分に発揮出来るよう、神様から有難い縁を授けて頂ける私達に成長させて頂きましょう。

★『信心するという心におかげはない。信心させて頂くという心におかげはある。商売するというから神は見ておる。商売させて頂くという心になれば、神はつきまとうてさせてやる。』

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2015年12月16日

●出来てくる事みなおかげ

 真清会館建築の際、設計図を作成させて頂きました。作成後、隣接のご近所の方に集まって頂いて説明させて頂いた上で、役所に建築確認申請を出させて頂きました。そして基礎工事が始まり、着々と工事が進んでいた時のことです。ご近所の方から 「設計図にあった裏口を作る事を止めて欲しい」という要望があったのです。ご近所の方々との話し合いが終了して午後10時頃より設計して頂いた方と話し合いました。万が一の為に新しい案を考えさせて頂いておりますと、夜中12時を過ぎてその部屋に三代教会長先生がお出ましになられ、経緯をご説明させて頂くことになったのです。

★三代教会長先生は「皆さんの要望に応えさせて頂き、言われる通りにさせて頂きなさい。」と仰せになられました。そこで、変更をかけた代案を見て頂きますと「それで結構です。少々費用が掛かってもそれが必ずおかげになりますから、そうさせて頂きなさい」と仰せられました。

★翌日、ご近所の方にご挨拶に行き「昨日のお申し出を教会長先生にお伺いさせて頂きますと、『皆さんの仰る通りにさせて頂きます』と仰せになりましたので、その通りにさせて頂きます」と伝えました。するとご近所の方々は「無理を承知で言いましたので、まさか聞いて頂けるとは思いもしませんでした。そこまで聞き入れて下さるのでしたら、私達もこれからは一言も何も言いません」と仰ったのです。変更させて頂いたことで、ご近所の方が大変喜んで頂けることにもなり、建物も以前の設計よりも使い勝手が良い設計とならせて頂いたのでした。そして建築確認申請に変更をかけて出し直し、工事も無事に進むおかげを頂いたのです。

★工事が完成するまでの間に三代教会長先生は大腿骨頸部を骨折なさったため、真清会館完成後には、車を使って表口から出入りされる事になったので、裏口を使う必要は無かったという事に後で気付かされたのです。神様は先々のことを考えて、ご近所の方のお口をもって、教えて下さったのですね。

★それぞれの受け物次第で、現れるおかげが大きく変わってきます。毎日お広前で、夫々の家が結構な方向へ導いて頂くための受け物作りをさせて頂いておりますと、様々な出来事をあれもこれもとおかげにさせて頂くことが出来るのです。

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2015年12月15日

●信心は素直な信心をせよ

 先日は御本部の布教功労者報徳祭並びに二代金光様の奥様であられます金光真心高清姫様の100年祭に参拝のおかげを蒙らせて頂きました。

★高清姫様は心掛けておられたことが3つあられたそうです。
1)言うて頂いたことに対して「はい、させて頂きます」と何事も受けさせて頂く。
2)それを心から喜んでさせて頂く。
3)出来ないことはお詫びをする。
この3つのことを心掛けておられたと金光英子先生(金光図書館館長)に聞かせて頂きまして、真に潔いお方であられたのだなあと有難く思わせて頂きました。

★高清姫様は20歳の時に結婚なされ、参拝なされた方々のお世話をなさっておられました。しかし、結婚5年後に教祖様が神上がられて、ご主人が二代金光様になられ、金光様の奥様という立場になられました。さらに10年後には二代金光様が神上がられるということになられたのです。そして8人のお子達の中で数え年で14歳であられた摂胤様が三代金光様になられたのです。結婚後15年で環境が大きく変わられても、「金光様は神様じゃから」と親の立場であられながら、三代金光様をお立てになられ仰がれる姿勢を生涯貫かれたのでした。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』とみ教え頂いておりますが、あれやこれやと言い分けをしたり、不足を言ってしまいがちで、なかなかそれを実践出来ない私達ですが、まずは有難くさせて頂いて、その上で自分自身を磨いていく心構えが大切です。『信心は素直な信心をせよ』と二代金光様がみ教え下されています。神徳を頂かせてもらうには素直で清い心さえあれば頂けるのです。高清姫様のご信心に習わせて頂き、「させて頂きます」と素直に受け切り、心から喜んでさせて頂ける稽古をさせて頂きましょう。

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2015年12月14日

●広く大きな心で

 昨日は、共々に御本部御礼参拝をさせて頂き、特にこの度は御本部布教功労者報徳祭を拝ませて頂きまして、金光様、布教功労者の御霊様に御礼を申させて頂けましたことは、真に有り難いことでございました。

★以前あるお方が、小学生のお子さんのことについてお届けなさいまいした。あるお友達がご信者のお子さんに、「私とだけ仲良くして欲しい。他の人とは友達にならないで」と言い、他のお友達と話しをするのを見るだけで泣いて嫌がってしまうので、困っておられるとのことでした。そこで、「それはお困りでしょうね。しかし、人から慕われるというのは、それだけのお徳を頂いているということですから、有り難いことですよ。

さらにもう一段進んで、『あの人のいうことなら、聞いてみよう。あの人が、皆と仲良くしたいというのなら、私もそうしてみよう』と、思ってもらえたら、もっと有り難いですね。クラス全体が明るく円満になっていく中心的な存在とならせて頂けるようなおかげを頂くことを、目標とさせて頂いてはどうですか?そのように、お願いすることをお子さんに伝えてあげて下さい」と、お話させて頂いたことでした。

★教祖様のお広前があられた敷地の周りには、藁の垣がありましたが、ある時、その藁の垣に火をつけた者がありました。幸い大事には至らなかったのでしたが、ある人が、「金光様、こういうことをする者には罰を当てておやりなさい」と言うと、教祖様は、「こういうことをする者こそ願ってやって、心を直さなければならない」と、み教えになったということです。

★教祖様のような広い心で、周囲の人々を初めとして、世界中の人々の助かりを願う事のできる、広く大きなご信心に進ませて頂くことを、生涯の目標とさせて頂きたいと思います。『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2015年12月12日

●神様を杖に、不自由を行とする

 御隠居様(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)が信心の始め、京都の北野天満宮の近辺の長屋に引っ越しをされました時、その長屋の井戸が枯れていました。大変不便で、近隣に水をもらいに行かなければならなかったそうです。御隠居様は神様に「今迄、水に対してご無礼不行き届きを重ねてきたので、伊藤の家のめぐりが出ました。お礼の足らない生活、御無礼の多かったことをお許し頂けますように。」とお詫びをなさいました。

そして、毎日井戸の淵や周りを掃除され、井戸のふたの上にお供え物をさせて頂き、「どうぞ私共が改まったご信心をさせて頂きますので、枯れた井戸に水を沸かせて下さいませ。天地のお徳を表して下さいませ。」と日々祈念を欠かさずされたのです。そうして諦めずに御祈念されておられますと、再び水が湧き出るということになり、後々まで使わせて頂けるようになったのでした。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』つい人を杖につきたくなります。頼りになる人を探したり、お金に頼ったりしてしまいますと、失った時に人のせいにしてしまうのです。神様を杖にさせて頂くということは、覚悟が必要ですし、御修行も必要となります。できてくること全てに先ず御礼を申し上げ、神様におすがりさせて頂いて、有難く受けさせて頂き、最大限の努力をさせて頂くところに、神様が使って下さり、人も環境も立場も自分が思う以上にすべて神様が整えて下さるのです。

★何か不自由なことがあるということは、自身のご無礼不行き届きなところを神様が教えて下さっているのです。神様は先の立ち行きを願い、お気付けとして教えて下さるところがあるのです。ですから、不自由を行とし、どんな時でも神様を信じて迷わず疑わず、おすがりさせて頂きましょう。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、分相応を過ごさぬよう倹約をし、人に言わずに行えば、これ心行なり。』

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2015年12月11日

●御恩を決して忘れない

 私は、福岡県の甘木教会・福岡教会・南博多教会へと今年一年の御礼の参拝をさせて頂きました。来年は初代教会長伊藤徳次師の九十年祭を迎えさせて頂き、また再来年には開教95年の記念大祭・二代教会長伊藤コウ師の三十五年祭・伊藤ハル刀自の八十五年祭を万事お仕え頂けますよう、お願いさせて頂きました。今年一年の御礼参拝がさせて頂けること、またこれから先にお願いさせて頂けることがあるということは大変有難いことです。

★阿倍野教会の初代教会長伊藤徳次師が16歳より23歳まで実家池田の家の代表として甘木教会にご修行に入らせて頂くことになり、初代教会長安武松太郎師のお手厚い御祈念・お取次を賜ったのです。安武松太郎師のご祈念を賜り、徳次師、コウ師がご修行下さったおかげで今日の阿倍野教会は結構におかげを頂いております。私達は、その御恩を決して忘れることなく、残して下さったご信心を頂き続けてゆくことを心掛けてまいりたいと願っております。

★福岡教会の初代教会長・吉木栄蔵先生は、ご布教の際に二代金光様より「馬鹿と阿呆で道を開け。道は神が開く。」とのみ教えをはなむけの言葉として頂かれました。吉木師は、「そうだ、自分の計らいを捨てて、神様のお計らいのままにご用させて頂こう。」と覚悟なされ、九州でのご布教に身を尽くされたのでした。

★以前、私が福岡教会に参拝させて頂いた際に、「このみ教えのご意味がまだよく分かっておりません。」とお伺いさせて頂いたことがあります。その際に「それは、我を離すということでしょう。」とみ教え下さいました。「なるほど…」と理解させて頂き、さらに頂き直しておりますと、一心になるということも、真心を貫くということも、神様に心を向けるということも、どのような苦難にも打ち克つということも全てが含まれている、真に深いみ教えであるように感じるのです。

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2015年12月09日

●正しい信心相続を

 昨日は、みかげ会例会にて、花岡氏のおかげ話を聴かせて頂きました。

★花岡氏は三十歳の時にご信心のある(祖母様から両親・奥様と三代目になる)奥様とご結婚なされ、奥様と共に参拝され、現在も熱心にご信心なされておられます。定年退職なさるまで自衛隊の事務官として働かれておられた花岡氏は、全国異動が原則ではあられますが、家族の生活を第一に考え「自宅から近い地域に勤務できますように」とお願いされておられますと、12回の異動を経験なさいましたが、有難いことに遠方でも金沢や福井でとどまり、そのほかは通勤の出来る地域での異動であられたそうです。そして厄介な問題や面倒な事が起きた時には必ず「金光様、金光様」と心中御祈念させて頂かれ、解決されるおかげを頂いてこられたのです。

★昭和五十八年に三十八度の発熱があられ、近所の病院でも風邪だろうと診断され少し休んで出勤なされたものの、異常な体のだるさを感じておられたそうです。あまりの顔色の悪さに改めて自衛隊病院を受診なさいますと感染症による劇症肝炎と診断されました。劇症肝炎とは急性肝炎の中でも特に重症のもので、短期間で肝臓の細胞を壊し、高度の肝機能不全と意識障害を引き起こし、患者の5割は死亡する恐ろしい感染症なのですが、二ヶ月間御神米を身に付け入院させて頂かれ、退院の大みかげを頂かれたのでした。

★定年退職後は奥様のお父様とご自身のお母様のお世話を一生懸命になされ、また子孫の信心相続にも励んでおられます。お子様も大変親孝行な方で、ご両親のお姿を見てお育ちになられたことがよく分からせて頂きます。子供の養育は親の務めでありますから、信心に基づいて十分にさせて頂けるようにお願いをして、自分自身も向上・成長させて頂かなければなりません。それぞれのご家庭が頂いているおかげを振り返らせて頂き、次の代、さらに次の代へとより一層に、子孫が繁盛し家が繁盛し、正しい信心が伝わらせて頂けますようにと願わせて頂き、さらにおかげを頂いてまいりたいと思います。

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2015年12月08日

●与えて頂いたご修行を有難く喜んで!

金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)は、リウマチを患われ雑巾も絞る事が出来られませんでした。しかし、夜のうちからたくさんの雑巾をバケツで濡らし、夜、竿に干しておかれました。すると翌朝二時には、適度に水の切れた雑巾が出来ており、その雑巾を使って拭き掃除をなさっておられたのです。『広い大教会所の雑巾がけに、雑巾をバケツで洗っていると時間がかかるので、先にしぼった多くの雑巾を、あちらこちらに配っておきます。そうすれば時間がかかりません。片手ではなく両手で雑巾がけをすると早くできます。そのように頭を使い工夫してご用させていただきました』と仰せになっておられました。

さらにキクヨ姫様は、『リウマチの私が病気だから出来ないと言ってしまえばそれだけのこと。そこをお願いして掃除をさせていただけた時の喜びは、元気な者が掃除をさせていただく喜びより何倍の喜びか分かりません。神様におすがり申してさせていただきたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。ご用させてくださいます』と仰せになられたのでした。

★病気があることをハンデと思わず、どのようにして健康な状態の方同様にお役に立たせて頂けるか工夫してさせて頂くことを願っておられたのです。「私は病気だからこんなことはとてもできません。あれもこれも出来ません…」等と言って手足を動かさずにいましたら、自分自身が助かりません。ついに、身動きが取れなくなってしまいます。

体に痛みを感じたりや不都合が起こってくることは、苦しく辛いことですが、それは実は自分自身の五年先、十年先のために、現時点において神様がさせて下さっているご修行なのです。ご修行には自ら求めてさせて頂くご修行もあれば、神様がさせて下さるご修行もあります。それから立場上せざるを得ないご修行もあります。そのご修行を喜んで工夫して取り組ませて頂いておりますと、それがおかげとなり先々が明るく開けてゆくのです。

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2015年12月07日

●有り難いの一心でお縋りする

 昨日がご命日であられた中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、両方とも熱心な信心のお徳により全快根切れのおかげを蒙られました。

★御本部参拝の前日に心筋梗塞が発症したので、家族に代参を頼み、御本部参拝の当日は無事一人で留守番をなさったのです。そして、翌日に入院をなさり、約一ヵ月半の間治療を受けられました。

入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。

信心がぼけるとおかげがぼける。 退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と、病床にありながら自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★退院後もしばらくは、発作を抑えるためのニトロールという薬をいつも持ち歩くことになられました。しかし、「御本部参拝で病の根を置いて帰らせて頂き、根切れのおかげを頂きたい。」と強く願われ、「御神酒と御神米でおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさり、ニトロールを携帯せずに参拝されたのでした。

★昭和50年6月の御本部参拝の行きの列車で発作が起こり、苦しくて岡山で列車を降りられ、引き返し帰宅されました。そのことが悔しくて「こんな弱い信心でおかげを頂けるはずがない。」と、願いを新たにされました。

同年9月御霊地で発作が起こり、6月の3倍も苦しまれましたが、御神米と御神酒を頂き、生命のことは神様にお任せされて帰りの列車では53巻大祓詞を唱えさせて頂かれ無事帰宅されたのです。なんと、それ以来お国替えなされるまで、一度も発作が起こらず病気根切れのおかげを頂かれたのでした。

★教会でみ教えを頂ける喜び、金光様のお取次を頂いて、神様にお願いさせて頂ける事の喜びを土台にして、一心に神様におすがりしきることが出来られたことが、真に尊いことですね。『神の前に泣いてお縋りするような信心をするので、おかげにならない。神の前に悟りを開いて、いつもお礼のできる信心をせよ。』
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2015年12月06日

●今日を喜び明日を楽しんで生活をする

『教祖様は「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰ったが、過ぎたことはどうにもならん。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで日に日に生きた信心をせよ。』

★過去を振り返って不平不満に思ったり、今日の出来事に腹を立てて不足を申すことは、明日から喜ぶに満ちて暮らすことになってゆきません。出来てきた事に対してどのように喜ばせて頂くかを考え、悪いことを口に出さず、良いことを思い、良いことを願わせて頂いて、み教えを実践させて頂きましょう。

★二代金光四神様は、瀬戸廉造師に信心の心得を箇条書きにしてみ教え下さっています。
1)信心は立ち聞きをする心で信心すること。

2)信心は我身我心に克つことを心掛けること。:修行とは己に克つことと教えて頂き、一生が修行であると教えられました。

3)堪忍辛抱を去って、自己の不行き届きを悟ること。:自分の不行き届きを知って、どれほど周りから辛抱して頂いているかという事を分からせて頂くことが大切なのです。

4)ただ一心に願ってわが心に思い来る曇りを払うこと。:毎日心にかかる雲(不成心)を取り払い、家族、住まい、仕事に惚れる稽古をさせて頂くのです。愚痴不足を言っても自分も周りも助かりません。

5)めぐりがきても我が心を苦しめず、明日の幸福の来ることを楽しみに願うことを心掛けること。:出来事に御神意があることを忘れてはなりません。すべての経験は自身の成長の為なのです。無駄なことは何一つありません。

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2015年12月05日

●お役に立つことが有難い!  

 ある時、二代教会長伊藤コウ師がラジオの放送局でインタビューを受けられました。その記録テープが残っています。その中で「教会に参拝される方々はどのような信心をなされているのですか?」という質問に対して、次のようにお答えになっています。

「戦後の厳しい時代を乗り越えさせて頂くために、社会を支える力を頂けるようお願いなされています。苦しい経済状況、仕事での苦難、病気・災難など家庭内の問題など、さまざまな問題を抱えておられる方々が朝早くから参拝され、『今日一日、人の二倍も三倍も値打ちのある働きがさせて頂けますように』とお願いされます。そうして毎日、喜んで仕事をさせて頂くように変わらせて頂きましたら、生活の上にも、身体の上にも次々とおかげを頂かれています。そういう方々がだんだんと増えさせて頂いており、ご信心は大変有難いですよ。」

★すると、インタビュアーの方が「それ(朝から参拝に時間を費やし、そんなにも行き届いた働きを為すこと)は自分を犠牲にするということですか?」と問われました。コウ師は、「そのように喜んで働いて国家社会のお役に立つ人が増えていかないことには、戦後の荒廃から立ち直ることは出来なかったのですよ。それはこれからも同じことです。『一生懸命に働かせて頂き、お役に立たせて頂こう!』という心構えの方々が国家社会を支えてゆくのです。それを喜んでさせて頂ける方々が増えさせて頂けるのが、ご信心なのですよ。」とお答えになりました。

★インタビュアーの方からすると、損な生き方のように感じられたのかもしれません。しかし、「どれだけ楽をして多く給料をもらえるか」という事を考える人ばかりですと、国家は成り立ちません。どんな出来事にも環境に対しても、前向きに喜んで、お役に立つ働きがさせて頂ける人間にならせて頂けますよう、信心を進めさせて頂きましょう。

★「上農は草を見ずして草を取る。(草が地上に生える前にとっておく)中農は草を見て草を取る。(生えてきた草は取るようにする)下農は草を見ても草を取らず。(草が生えてきたことに気が付いても取らず、どうにも手が付けられ なくなった頃に慌てる)」(高橋茂久平師)

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2015年12月04日

●時の信心より常の信心

 先日あるご信者が、車で直進しておられ、ちょっとよこ左側に寄せたところ、右側に寄せてきた市バスと接触したそうです。警察にも届けて事故扱いになりましたが、ご信者の車の塗料が市バスの車体に付いただけで済んだようです。そして警察が「両者で話し合って下さい」と仰ったので、市バスの運転手さんが接触部分を確認なされたところ、「あなたの車の塗料が付いただけですし、綺麗に拭いたら取れると思いますので、直す必要もありませんし、物損扱いになさらなくて大丈夫です。弁償もして頂かなくて結構ですので、これで終わりにしましょう」と仰って頂いたのです。

第一に乗客が一人も乗っておられなかったのがおかげでした。これがもし乗客がおられて急ブレーキをかけておりましたら、乗客が怪我をして、大きな賠償問題になるはずだったのです。さらに車体は塗料が付着しただけで無傷のおかげを頂かれたのです。ご信者は「大難を小難に、小難を無難におまつりかえ頂き、何重にも有難いおかげを頂きました」と御礼を申しておられました。

★『時の信心より常の信心』とみ教え頂いておりますが、何かことが起こったときのお百度参りということではなく、毎日毎日変わらずに日参させて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂き、今日一日のことを油断なくお願いさせて頂くところに、結構な信心が育っておかげを頂けるのです。

★日々「真の信心をさせて頂ける信者にならせて下さい」とお願いをさせて頂きましょう。何事にも一段向上する為にはご修行が必要ですので、辛抱しなければならないことがあるはずです。しかしそのご修行を嫌がって逃げておりましたら、いつまで経っても成長しません。「真の信心をさせて頂ける信者にならせて下さい」とお願いし、自分から進んでご修行を決めさせて頂きましょう。

★師走は特にそうですが、気忙しい時期ですので、少しの不注意だけでも思いもよらぬことが起こってしまいます。ですから、常に神様にお守り頂けるよう、御神米を身に付けさせて頂いて、何をなさる時も心中御祈念させて頂いておかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年12月03日

●助かられますように…立ち行きますように…

私達は日々、結構なお恵みの中に生かされております。そのお礼に信心させて頂き、お礼に働かせて頂き、お礼に勉強させて頂くことを教えて頂いております。

★一生懸命心配りをさせて頂いているつもりでも、自分にとって都合の悪いことを言われますと、その人に対して「あんなことを言われた、こんなことを言われた…。」等と不足心が生じ、自分自身の軸がぶれてしまいます。

それは自分自身の受け物が小さいからです。そして、いつまでも不足に思い恨み続けますと、人を生かすどころか、反対に心で人を殺すことになってしまうのです。

いつも心穏やかにぶれることなく、どんなことでも対応させて頂けるだけの大きな受け物作りが大切です。それには神様から与えて頂いている神心を大きくさせて頂く稽古を、日々積み重ねさせて頂くしかないのです。

★相手に助かってもらいたいと思う一方で、心のどこかに「礼を言ってほしい、恩にきてほしい」という気持ちがありますと、自分の心も悩ませ、めぐりを積むことになります。本当に心の底から「助かられますように…立ち行かれますように…」と相手の事を願わせて頂きますと、おかげとなっていくのです。

たとえ、自分に悪意を向けてきたり、自分に対して厳しい相手に対してでも、恨みを向けるのではなく、相手の助かりと立ち行きを願うことが出来るようになると、自分の心も助かり、相手も助かる道が開かれるのです。

自分のことよりも人のことを先に祈らせて頂き、真心をもって相手の助かりを祈らせて頂ける大きなご信心にならせて頂くことを目標にさせて頂きましょう。

★天地の恩恵の中で生活させて頂いているお礼に、自分自身をどこまでも生かして、神様のお心に適うようなお役に立つ働きに努めさせて頂きましょう。

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2015年12月02日

●見る範囲、知る範囲を広げてゆく

 私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。病院でレントゲンをとって頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの有り難い診断でした。

★早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。親である私達は、娘が左利きであることについて、もちろんお願いもしておりませんでした。

★出来てきたことにお礼を申し、先々のことをお願いさせて頂けるということは、常に神様に心が向けておりませんと出来ません。そして、日々意識している範囲が狭いと、目に見える範囲も知る範囲も少ないのです。信心が進ませて頂きますと、より意識が向上し、目に見える範囲、知る範囲、祈る範囲が広くなってゆくのです。

★『信心すれば目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えてあれもおかげであったこれもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。』

★いよいよ師走を迎えさせて頂き、平成27年締めくくりの月を迎えさせて頂きました。「一年の計は元旦にあり」と言われておりますが、二代教会長伊藤コウ師は「一年の計は前の年の年末にあり」と教えて頂いております。この一ヶ月間、見える範囲、分かる範囲が広がってゆきますように、信心を進めさせて頂きましょう。そして、新年はどのような一年にさせて頂きたいかをしっかりと考えさせて頂き、願いを新たにすることで正月元日から良いスタートを切らせて頂けることになるのです。

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2015年12月01日

●締めくくりの月を迎えて

有難いことに、一年の締めくくりの月を迎えさせて頂きました。師走の月は、一年間の御礼の信心すなわち後始末をさせて頂く月です。この一年間を振り返らせて頂き、今日まで万事ご都合お繰り合わせを頂いてきたお礼をしっかりと申させて頂きましょう。

★先日もあるご信者がおかげ日の御礼を申されました。そのお方は工場の責任者としてお勤めされ、毎朝欠かさず朝参りをしてからそのまま出勤なされていました。ある日、いつものように出勤して工場のドアを開けられますと、何かいつもよりも空気が温く感じられ、違和感を覚えられたそうです。

調べてみますと、昨日の晩に事務室でやかんを火にかけたまま、消し忘れてしまっていたのでした。中のお湯はもちろんなくなっており、すぐそばに置いていた洗い桶は熱で変形してしまっていたそうです。それ程の熱が伝わっていたのにも関わらず、やかんに穴は空いておらず、上にかかっていたタオルにも引火していませんでした。数えてみますと、火は14時間以上もつけっぱなしになっていたそうですが、有難いことに火事になることなく、おかげを頂かれたのでした。

★もうすでに十何年も前のことで、そのご信者は会社も退社なさっておられますが、毎年欠かさずに御礼を申しておられます。自分がこれまでにおかげを頂いたことを忘れてしまっては、御恩を知らないご無礼な生き方になってしまいます。神様は私達の至らない所を足して下さり、大難を小難、小難を無難におまつり替え下さっているのです。そのことにしっかりと御礼を申させて頂き、御恩を知って御恩に報いる生き方をさせて頂きたいと願わせて頂いております。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 平成27年の「み教え」