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2015年08月31日

●何事も御礼が土台

 先日あるご信者が「うちの娘が小学生の時に、脳腫瘍の手術を受けさせて頂きました。術後、悪性のその腫瘍は心臓の周りに蜘蛛の巣のように散らばってしまいました。治療をして頂き、全快のおかげを頂きまして、今日では30歳を超えさせて頂いております。先日もMRI検査を受けさせて頂きましたが、全く問題がないとのことでした。有難うございます」と御礼のお届けをされました。

★娘さんは、抗癌剤の治療を受けられたのですが、医師は「どの薬が効果が上がるのか全く分かりません。手さぐりの状態です」とおっしゃったそうです。小学校低学年の子供が入院して抗癌剤の治療を受けるのは、並大抵のことではありません。そのご信者は、毎日お参りを続けられ、教会で頂かれたみ教えを娘さんに話して聞かせられました。すると、娘さんの身体に薬が見事に合致し、癌は全てきれいにお取払い頂けたのです。

★その後、再発を防ぐ根本的治療のため無菌室での治療となりましたが、身体の各粘膜から出血するという過酷な治療に、お母さんがうろたえられた事がありました。その時、娘さんが「お母さん、教会でみ教え頂いたのでしょ。神様が要らない血をお取り払い下さり、必要な血を残して下さっているのだから大丈夫だよ。」と、言って励まされたのでした。

★親が心配しておろおろする状態であっても、み教えを頂いた娘さんが慰めてくれるとは、なんと有難いことでしょうか。毎日み教えを頂き、心を正しく養わせて頂くことで、神様から与えて頂いている免疫、自然治癒力を高めさせて頂けるのです。何事も御礼を土台とさせて頂き、喜び上手にならせて頂くことがおかげの元であるのですね。

★『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い』

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2015年08月30日

●いつでもどこでも「金光様、ありがとうございます」

 先日、あるご信者が「心配で心配で夜も眠れず、いてもたってもいられないんです。」とお届けなさいました。「どのようにしてお願いをすればよろしいでしょうか。どういうご信心をさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお届けされましたので、「全てのお願いが『どうぞ親孝行が出来ますように、ご恩を知って御恩に報いることが出来ますように。』と真心から生まれてくるお願いにならせて頂いたらよろしいですよ。体の丈夫というお願いでも、神様に安心して頂けますように、どうぞ御恩返しが出来ますようにというところからきております。その為には健康のおかげを頂かせて下さい、その為には商売も繁盛し、豊かな生活にならせて頂けますように、というようにお願いさせて頂くのです。願いの中心を改めなければいけません。」とお話しさせて頂いたことでした。

★さらに「あなたのお家はご両親が熱心に日参と聴教に励まれ、み教えを頂いて改まりに苦心なさって、家業も立ち行き子孫もおかげを頂いておられるのです。あなたもそのご両親にお育て頂かれて今日があるのですから、信心の初めを忘れてはなりませんよ。毎日御礼を申し上げる稽古をしましょう。歩きながらでも『金光様、ありがとうございます…。金光様、ありがとうございます…』と御礼を申しながら歩くのです。電車に乗っていても、車に乗っていても、御礼は申せます。掃除をしながらでも、炊事をしながらでも御礼を申すのです。眠れない布団の中でも、『金光様、ありがとうございます…』と御礼を申しながら横になるのです。」とお話しさせて頂きました。

力みが入ってしまいますと「自分が!自分が!」と自分がしなければいけないという気になってしまい、限界を感じて「自分には出来るはずがない」と思ってしまうのです。それでは信心も上達しません。御礼を申していると心も体も健康な状態に戻して頂きます。

★入信させて頂く前の我が家がどうだったのかを思い出し、み教えを頂いて改まらせて頂いて、結構なおかげを頂いてきております現在と、またこれから先どのようにおかげを頂いていけばよいかを常に考えて、御礼とお願いをさせて頂きましょう。そうして御恩を分からせて頂いて、御恩に報いさせて頂く生活を進めさせて頂きましょう。



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2015年08月29日

●いつもおそばに… 

『人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになる事である。人間は万物の霊長であるから死んだ後、神に祀られ神になる事を楽しみに信心せよ。』

★教祖様が神上がられてから四年目の秋のこと。佐藤範雄師が二代金光四神様に『金光様、あなた様はあまりに御勤めがはげしゅうございます。御身体に御障りはいたしませぬか。』とお尋ねを申し上げられました。すると金光四神様が『わたくしだけでは、とてもつとまりませぬが、毎夜12時をすぎますと、親さまがもとのとおりにおでましになって、一日のお願いお届けの帳面を、くりかえしくりかえし、三か年のあいだご祈念くだされましたので、不徳なわたにしもつとまりました。』と仰せられました。

★教祖様がお出まし下さり、祈りを足して下さっているお姿が二代金光様のご心眼に映っておられたのです。しかし、誰にでも夜中に教祖様のお姿が見させて頂けたのかというと、そうではないでしょう。心眼に映るだけの御神徳を頂いていなければ、拝ませて頂くことは出来ません。そのような御神徳に万分の一でも近づかせて頂けるよう願わせて頂いております。

★御先祖・御霊様は私達のそばに付きについてお守り下されています。陰ながらお働き下されている御霊様にしっかりとお礼を申させて頂くのが、月毎の月例霊祭の意義です。さらに、立派なお徳の高い御霊様になって頂くこと、ご安心を得られますことを神様にお願いさせて頂きましょう。

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2015年08月28日

●徳と力を頂く

 ある学生さんは、学校でクラスの委員長になり、委員長として一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをしたり、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、半殺しの目にあわせてやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。なぜこのような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのかと無性に腹が立ったので、その方はお結界に来られ「どういう風に考えさせて頂いたらよろしいでしょうか」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは、10代にして徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きました。それは有難い事ですよ。知識があり成績だけ良くても、それでは解決できないことです。そこで大切なことは一生懸命努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずにクラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。

あの人の言う事なら付いていこうと思ってもらえるようなお徳を頂いていかねばなりません。それがいまあなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな時にでもくじけず、自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりませんよ。脇目も振らず一生懸命になり実力を付けていくことです。目の前に与えて頂いたことは、神様から自分に与えて頂いた課題であると分からせて頂くのです。逃げずにしっかりと受け切っていく覚悟を持たせて頂くことです。次に大切なことは、その上でいつも謙虚であるということです。そのためには常に神様を目当てにすることです。

神様の目からご覧になられると人間はどこまでも至らないことばかりで、それを許して頂いて生活させて頂いております。神様の教えに照らし合わせて、神様のお心に適うまでどこまでも謙虚にならせて頂くのです。その為には教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通してあなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★自分に忠告して頂いた人に対して「有難うございます」と頭を下げることの出来る人間にならせて頂くことが大切です。すると誰とでも円満に争いのない世界に身を置くことが出来るのですね。

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2015年08月27日

●あなたのおかげや、ありがとう。

あるご信者は、「息子が近頃随分真面目になってくれて、神様のおかげですわ。有難いことや。」と自宅でお嫁さんに言って喜んでおられました。それを聞かれたお嫁さんが、「神様のおかげではありません。私が一生懸命頑張ったからです。」と言われ、お姑さんとお嫁さんの意見が食い違い、関係が悪くなってしまったのでした。

★その事をお結界でお届けされ「どうにも仕方のない嫁です。」と話されますと、三代教会長先生は「それは、あなたの心掛けが間違っていますよ。そのような言い方では、お嫁さんにしてみれば『私が(お姑さん)これだけ一生懸命お願いしているから、神様がおかげを下さったのですよ』というように恩着せがましく聞こえてしまったのです。信心が進ませて頂きますと、『あなた(お嫁さん)が一生懸命に息子に尽くしてくれるから、息子が結構にならせて頂けた。あなたのおかげや。有り難う。』とお礼を言えるようになります。」と仰せられました。

「では、神様のおかげはどこへいってしまったのですか?」と続けて尋ねられますと、「お嫁さんこそが神様のおかげの現れです。あなたがご信心を進ませて頂いて、お嫁さんを心から拝めるようになりお礼を申せるようになったら、今度はお嫁さんの方も『そんなに言ってもらったら恥ずかしいです。お母さんがご信心して下さるおかげです。』となり、円満に治まるのです。神様のお働きをお嫁さんの中に見つけさせて頂きましょう」とみ教え頂かれたのです。

★どんな関係でも『あいよかけよで立ち行く』ということは、どれほど有難いことでしょうか。「あなたのおかげです。」とお互いに感謝し、御礼を言いあって生活するのです。親子の間でも嫁姑の間でも夫婦の間でも、どんな間柄でもそれが大切です。「私がしてやってるからだ!」というように人に伝わってしまうのは、信心が行き届いているとは言えません。「私が有難さを本当に分からせて頂ける人間になりますように…」「相手に感謝の気持ちが伝わっていきますように…」とご祈念して「あいよかけよ」を心掛けさせて頂き、一段と進んだ信心をさせて頂きましょう。

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2015年08月26日

●成就するのとしないのとの違い

 ある方が、「私は親に厳しくしつけられ、『こうしなさい・・・。これはやめなさい・・・』と、何かと辛抱させられて大きくなりましたので、自分の子供にはしたい放題にさせてやろうと思います」とおっしゃっていました。

★私は、「子の家の子孫は大丈夫なんだろうか?将来はどうなってゆくのだろう?」と感じたことでした。なぜならその方は、現在結構な生活を送らせて頂いておられますが、親が苦労して信用を築いてこられ、長年に亘って商売の上で辛抱なさってこられた結果であります。更に、頂いておられるおかげの数々が、親様に信心を基にしてお育て頂かれたことが元になっていることを、分かっておられないようです。

★現在、取りたてて困った問題がないとしても、自分から求めてご修行させて頂く心が抜けますと、信心は確実に後戻りしてしまいます。また、どんなに良いことでも、「させられた」というような不足心、あるいは、「自分の力で為した」という慢心がありますと、発展も成長も止まってしまうのです。今日までおかげを頂いてきたお礼の心を元にして、「今日も一歩前へ進ませて頂こう!」という心で、出来てくる事全てを自分に与えられた有り難いご修行として受けさせて頂くことが、更なるおかげにつながるのです。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「食べられなければ食べられなくても結構でござます。着られなければ着られなくても結構でございますので、どうぞ人の助かる教会としての御用にお使い頂けます様にとお願いさせて頂いておりましたら、着られないということも、食べられないということもありませんでした」と、おっしゃっておられます。どんな困難も、自ら前向きな心で、有り難く取り組む覚悟を決めさせて頂くと、神様が何もかもご都合お繰り合わせをつけて下さり、更に、ご修行のお徳が頂けるのです。

★『おかげを受けてももうひとふんばりというところでやめてるからお徳が頂けん。何ごとによらず、成就するのとせんのとは、ひとふんばりの違いである。神信心も初めは元気を出しておるように見えるが、おかげを頂くところまでいかん。途中で一服する。おかげを受けると、やれやれ一服となる。この一服がいけん。肝心なのはいつでもここからもう一ふんばり、元気の出るご信心を頂くことじゃ。そうするとお徳が頂ける。』

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2015年08月25日

●真心のお徳に満ちた御霊地 

 23日には、子供会列車を編成して頂き、御本部御礼参拝をさせて頂きました。一人も怪我や病気をすることなく、また食中毒や熱中症を起こすことなく無事に参拝させて頂けましたことは誠に有難いことでした。清々しい天候のおかげを頂き、各会の方々の御用奉仕を賜り、御霊地での行事も全て滞りなく終えさせて頂ましたことは、大変有難くお礼申させて頂きます。喜び勇んで御礼参拝させて頂く姿を、神様も金光様もお喜び下さっています。今後ともお喜び頂けるようしっかりとお礼の信心に励ませて頂きたいと願わせて頂いております。

★御本部にて金光英子先生に子供会列車の御礼を申し上げさせて頂きました。その時に御本部の金光図書館にある展示室を拝ませて頂きました。汽車が走り出した頃、川には板が渡してあるだけで不便だったそうです。駅から歩いて御本部に参拝される方々の為に、金光町の有志の方々が真心からみかげ橋を作られたのでした。このように御霊地は皆さんが真心から御用なされて出来た門前町であるのだそうです。それは、町の方々の真心が形になったものだと教えて頂き、誠に有難いことであると思わせて頂きました。

★また、吉田初三郎という絵師の方が、昭和8年に描かれた御霊地の鳥瞰図絵が、展示室に掲げられていました。金光英子先生より、吉田氏が絵を描かれた後に感じられたことを詠まれたお歌も紹介して頂きました。『あめつちの ひらけゆくらむ 金光の そのみひかりに ひれふし祈る』
『教祖いま いきていませり 金光の みをしへの聲 むねにひゞきて』

★「御本部にお参りさせて頂いて、教祖様が確かに生きておられると感じさせて頂けるほど、み教えが胸に響いてくる」とご信者でないお方が、敬謙なご姿勢で御霊地を拝まれていたのです。私共は、そのような心持ちで御霊地を拝ませて頂けているでしょうか?自分自身を省みて考え直させて頂いたことです。御霊地に毎月参拝させて頂いて、有難い瞬間を頂き続けているということを、心から分からせて頂き、御礼のご信心を続けさせて頂きましょう。

★本日夜7時より学生講演会が開催されます。家族揃って学生6名の方々の素晴らしい講演を聴かせて頂き、信心相続の有難い機会とさせて頂きましょう。

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2015年08月24日

●神様を杖に 

 松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師はその講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか」と質問されました。「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も着の身着のまま「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。

さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、松山先生のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思い、お教会に参拝させて頂き、直接お話を聞かせて頂かれたのでした。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成したのでした。

★出来てくることをおかげにされ、難しい問題から逃げず、無一物でも不足に思わず、どんな困難な中にあっても必ず道は開けると信じて、神様を杖に生きてこられたからこそ、その通りに道は開かれたのですね。

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2015年08月22日

●一時の利欲打算にとらわれず将来の徳を得る

 ずっと以前ですが、二代教会長先生と三代教会長先生が車に乗っておられた時のことです。教会の運転手さんは常に丁寧に安全運転をなさる方でしたが、車が阪神高速を走行中に長距離の大型トラックが車線を越えて近寄ってきて、先生方の乗っておられた車に接触したのでした。車体右側にトラックのホイールが接触し、大きな傷が付くほどでしたので、双方が路肩に止まったのです。

相手の大型トラックの運転手は車を降りるなり、「ちょっと急いでます!」とだけ言い、一言のお詫びもなかったのでした。三代教会長先生は、「そうですか。お急ぎでしたらどうぞ行かれて結構ですよ。後はこちらで修理させて頂きます。」とだけおっしゃり、事故扱いにはなさらず、そのままトラックは去ってしまったのでした。後にこの事故のことについて「あのように、誰も怪我をすることなく、軽く済ませて頂いたのは大変有難いおかげです。めぐりをお取払い頂いたのです。こちらが喜んで有難く修理させて頂いたらよいのです。」と、おっしゃったのです。

★相手があって起こる事故や怪我や難儀というものも、過去に積み重ねてしまっている家のめぐりや、自身のめぐりが他の人のめぐりと出会って起きてくるのです。出来てきた事をめぐりのお取払いであると有難く受けさせて頂く心がおかげになってゆくのですね。相手に謝罪を求めたり、弁償を求めることは一時の利害損得に心が囚われているのです。

★『神徳寿命長久』とみ教えにありますように、私達は先々おかげを頂いていけるような道を進むことを教えて頂いております。子孫が助かる道であり、良い人に出会い、良い仕事に出会い、良い運、良い縁につながってゆくおかげを頂く道です。ですから「負けて勝て」と教えて下さるのです。それは、自分に打ち克つ道です。将来の為に徳を積む生き方です。相手の助かりを願い、自身のめぐりをお取り払い頂いて、お徳を積ませて頂くことを考えさせて頂きましょう。

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2015年08月21日

●一日一日を大切に生きる

あるご信者のお母様が癌の末期で入院しておられます。子供さんが「お母さん、今一番したいことは何?」と聞きますと「教会にお参りして先生にお届けしたい…」と仰ったそうです。

★お母様は痛みを感じでおられますが、お医者さんが痛み止めを強くすることを提案されましても納得されません。何故なら現在食事も出来ておられますし、会話も出来られます。それが会話も食事もできなくなり、うとうと眠るように横たわるだけの状態になると聞かれたお母様は断られるそうです。子供さんは「こんなに苦しい思いをするのならいっそのこと…」と思われることもあるそうですが、お母様自身は「もっと生きたい!少しでも良くなりたい!」と思っておられますから、決して悪いことは仰らないのです。

★そこでご信者に「一日でも長く生かして頂かれるようにお願いしなさいよ。一日一日、一瞬一瞬を大事にしましょう。『苦しいのなら早く楽にしてあげたい…』という気持ちが起こるかもしれませんが、そんなことをしたら、生涯あなたの心の中に傷が残ります。お母様は『一日でも長く生きたい!』と思っておられるのですから、心で殺すようなことをしてはなりません。逃げてはだめです。今のお母様のお姿を直視しなさい。家族の代わりに御修行して下さっているのです。今までのお母様の生きられ方を思い出しましょう。毎日日参なさってみ教えを頂かれ、家族の為にご祈念をこらしてこられたのです。どこまでもみ教えに基づいて元気な心で生活させて頂くということを貫かれました。病床にあってもあなた方のことを一生懸命願って下さっているのです。そうして身を以て生き方を示して下さっているのですから、今のうちにお母様の生きられ方を学ばせて頂きなさいよ。」とお話をさせて頂いたことでした。

★神様が与えて下さる出来事は必要だから与えられるのです。今与えて頂いていることを素直に「有難うございます。今このような役目を与えて頂いております。どうぞさせて頂けますようにお願い致します。」とご祈念させて頂く他はありません。

★おかげはわが心から生み出されるのです。良いことも悪いことも自分自身の心から生み出されるのです。『おかげは和賀心にあり』と教えて頂いております。神様から頂いているお命です。どのように今日一日を生きるかということを考えさせて頂きましょう。

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2015年08月20日

●実意丁寧・謙虚な姿勢を貫く

18日には教徒会例会が開催され、松井氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★松井氏のお父様は、和菓子の丁稚奉公をなさっていた頃に、叔父さんからお導き頂かれて日参なさるようになられました。その後、お父様は和菓子のお店を独立開業なさって、御自身が第一線で活躍なさったのでした。

松井氏は、二代教会長伊藤コウ師より、「お父様の元で修行させて頂きなさい」とみ教え頂かれ、お父様のお姿を拝みながら日々のご信心を進められ、お仕事を教えて頂かれたのでした。

ですから、お商売の上でも常に謙虚なご姿勢で取り組まれ、「田辺大根」という地域の特産物を活かした新しい商品を開発されて売り上げ向上のおかげを頂いておられます。今までの商品を大切にすると共に新しい商品を開発して、地域の振興に努力していかれる姿が大変有難い事だなあと思わせて頂きます。

★松井氏は、現在楽人の御用にお使い頂いておられるのですが、お父様の実意丁寧なご姿勢を、松井氏が見てお育て頂いておられますから、これまで月例祭や月例霊祭、春秋の御大祭や霊祭、各例年祭や元日祭・越年祭、全ての御祭典を今日まで欠かさないように努めて御用にお使い頂いておられます。

ですから一日も寝込むことなくお仕事の上にもご都合お繰り合わせ頂いておられるのです。以前、静脈瘤の手術をされたのですが、御用に差し支えることのないよう、日帰りで手術出来る病院を探されて手術を受けられたのでした。

そのような実意丁寧・謙虚なお姿を貫いておられますから、お仕事の上にもご家族の身の上にもおかげを頂いておられるということがよく分からせて頂きます。

★商業繁盛十訓 
1)信用第一 
2)いつも自信を持ってにこやかに 
3)商品は金銭同様、丁寧に扱う 
4)今日の仕事は今日中にする 
5)急がず怠らず一歩一歩前進する 
6)常に創業時代の心持ちを忘れないように 
7)石にかじり付いてでも努力する 
8)省みて天地に恥じない商売をする 
9)人より恨みをかう因を作らない 
10)困難は神が示す試練である


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2015年08月19日

●素直に有難く… 

 東苑のお土地購入の際の出来事です。入札に向けて、三代教会長先生が御霊前で一心に御祈念されていました。すると御隠居様がお出まし下さり、「これだけの値段で入札する者があるから、大阪府に坪1万円計110万寄付するつもりで高く入れたらよろしい」と金額を教えて下さったのです。

このことを、三代教会長先生が二代教会長伊藤コウ師にご報告されますと、「それは有難いですね。でしたら、金額のことはあなたに任せます。それで入札に参加して落札出来なければ、ご神意がないということです。ご神意があるならば、落札させて頂けるでしょうし、そうでなければ、このお土地は、落札出来なくても仕方がないということです」と仰せになりました。

★三代教会長先生はその通りになされ、無事落札のおかげを頂かれたのです。その後、門田豊美師に代理で府庁に行って頂き、二番目の方の金額を教えて頂かれますと、なんと御隠居様が教えて下さった金額にぴたりと一致したのでした。入札の際には、誰もアドバイスをして下さる方はいませんので、どれくらいの金額を書いたらよいのか、全く想像も付きません。そこで御祈念なされた三代教会長先生の元へ、御隠居様がお出まし下さり、お働き下さったのです。

★御隠居様は、昭和7年に御国替えされました。ところが、その40年後の貨幣の価値をよく御存じの上で、ぴたりと当てはまる金額を教えて下さったということは、御霊様が時間も空間も越えてお働き下さっているということが良く分からせて頂けます。しかし、三代教会長先生や二代教会長先生のように、お知らせに気付かせて頂いたり、すぐにご神意を理解させて頂くにはご信心が必要です。日々み教えを頂き、教えを素直に有難く頂く心を養わせて頂きましょう。

★『天地の神のおかげを受けようと思えば、氏子の心の横着をするな。夢を見ても、これは何のお知らせであろうかと、起きて行ってみる気になっておれ』

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2015年08月18日

●チャンスをつかむ準備

 神様は、私たちの願いが成就するためのチャンスを、あらゆる形で下さっておられます。そのチャンスをつかませて頂けるか否かは、こちらの日ごろの準備次第なのです。チャンスをつかむ為の準備とは、心身を磨くためのご修行に他なりません。

★一朝一夕にみ教え通りの姿になることは難しいでしょうが、「こんなことは出来るはずがない」と思ってしまっては、そこから進むことは出来ません。「ご修行させて頂きますので、み教えが身に付いて放れないものとなり、神徳人徳を頂かせて下さい」と、神様にお願いさせて頂きながら、生活の中で工夫をし、小さなことからでも稽古させて頂きましょう。そうして、常日頃から信心を練っておかげの時を待たせて頂いておりますと、神様から与えて頂くチャンスを逃すことなくつかませて頂き、願いが一つ一つ成就させて頂けるのです。

★ご修行させて頂きながら時節を待つ時に大切なのは、「信心辛抱」「祈って待つ心」「最大限の努力」です。そして、お取次を頂きながら、ご修行も神様にお願いしてさせて頂かなければ、出来ることではありません。磨き仕上げていく喜び、成長の喜びを感じながら、日々の信行に励ませて頂きましょう。

『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』

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2015年08月17日

●母が教えを示してくれたこと

私が、小学校低学年の頃、遠足の前日に友達と一緒にお菓子を買いに行く約束をして帰ってきました。

母親は「二代教会長先生のお許しがなければお小遣いは渡せません。親先生にお願いしなさい。」と言いましたので、二代教会長先生の元へ「ただいま帰りました」と挨拶に行きました。すると、神様にお供えになったお下がりであるお菓子を袋に入れてお下げ下さったのです。

私は「高価なお菓子は持って行けません。何円までと決まっています。そこでお菓子を買いに行きたいので、お小遣いがほしいのです。」と申しますと、先生は大変お叱りになられ「ここに神様のお下がりがあるのに、小遣いが欲しいとはどういうことですか。現在目の前にある神様のお下がりを有難く頂きなさい。それが出来なくて買いに行きたいとはもっての外です。小遣いばかり使う人間は、大遣いができる人間にはなれません。これを有難く持って行かせて頂きなさい」とみ教え下さいました。

★友達が迎えに来ました時、母親は「今日は行けません、ごめんなさいとお詫びしてきなさい。親先生のみ教えは絶対です。」と言い聞かせてくれました。

母親は、陰で小遣いを渡すようなことをせず、二代教会長先生のみ教えをそのまま守る様に伝えてくれたのでした。

★私の場合は、今しなければならないことが分からず、自分の都合だけが先に立ってしまいやすい状態でした。ですからそこを戒めてゆくように親が導いて下さったことは大変有難いことでした。

★以前私が、子供会の御用にお使い頂いておりました時、小遣いの使い道についてお話しさせて頂いたことがありました。「土曜日には子供会でお菓子のお下がりを頂きますし、日曜例会では文房具のお下がりを頂きます。

そのお下がりを有効に使わせて頂いて、頂いたお小遣いは大事に置いておきましょう。そして、高校や大学に入学させて頂く時に、これまで貯めておいた小遣いを入学金の足しにさせて頂ける様に今からしっかりと、つもり貯金をさせて頂きましょう。小遣いを使うのではなく、大遣いの出来る人間にならせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたのでした。

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2015年08月16日

●真のお礼・お詫びとは?

 昨日8月15日は終戦記念日でした。ちょうど戦後70年を迎え、安部首相の戦後70年談話も発表されました。私共も、まずこれまでの70年間平和に安心して生活させて頂けている事に御礼を申させて頂き、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという事を痛切に感じ、反省しお詫びの念を新たに持ち、これからの行動に示してゆくことが大切だと考えます。

★国政の上で国同士の関係においては、言葉の使い方などに焦点が当てられることがよくあります。話は変わりますが、私達が信心をさせて頂く上で、神様に対してであれば、どうでしょうか?例えば、あるお家が「一度お詫びをしましたから、もうお詫びはしません」という姿勢であるとしたら、神様に真は通じるでしょうか?そういう事ではありません。親も子孫も過去に間違った事をお詫びし、二度と繰り返さないよう反省と改まりをし続けることが大切であり、神様に真が通じる生き方です。

★二代教会長先生がお亡くなりになられた時、私は大学生でした。離れて暮らす私に家族は心配をかけないため、二代教会長先生が入院なさって治療を受けておられることを伝えていませんでした。危篤状態となられ、連絡を受けて慌てて帰りましたが、間に合いませんでした。御遺体を拝ませて頂き、ご挨拶させて頂くのが大変辛かったことを覚えています。

何より一番辛かったのは、ご生前中にご心配ばかりおかけして、まだまだご安心頂けていないということでした。しかし、旬日祭を終え、「ご生前中に、一度お礼、お詫び申し上げたら、それで全てが済むということではない」と気づかせて頂いたのです。それから後、どのような生き方をさせて頂くのかということが大切なことで、年月が積み重なってゆき、それが真のお礼、信のお詫びとなっていくのです。私は天寿を全うさせて頂くその瞬間までがお礼とお詫びの連続であるという心構えで、日々頂き直しております。

★私達は、信心の上でそれぞれに過去を振り返らせて頂き、これからどのような生き方をさせて頂いたら良いのかを考え直させて頂くことが肝要だと思います。

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2015年08月15日

●心の助かりは身体の助かり

『信心せよ。信心ということは、しんはわが心、じんは神なり。わが心が神に向かうをもって信心と言うなり。恩徳の中におっても、氏子、信なければ、おかげはなし』

★二代教会長伊藤コウ師ご母堂・伊藤ハル氏の信心友達であられました、竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。

「今の内に会っておいた方がよろしい」ということで親戚の方々が何人もお見舞いに来られたのですが、皆さん「いつ死ぬだろう」と話されるばかりでした。そんな中に一人だけ金光教をご信心なさっておられる方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。こういう風に死ぬのを待つというのはよろしくないのです。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。今17〜8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。そうして皆さんが、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて命を助けて頂かれる大みかげを頂かれたのでした。

★竹本駒蔵師は42歳まで病弱で働くことが出来られなかったのですが、働かせて頂ける身体にまで作り変えて頂かれました。

★心が助かられましたので身体も助かられたのです。竹本駒蔵師は信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。私達は尊い能力を頂いているのに、それをなかなか活かしきるということが出来ておりません。「出来ない」と決めつけるのではなく、「させて頂けます様に」とお願いさせて頂き、十二分に能力を発揮させて頂けるおかげを頂きましょう。

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2015年08月14日

●神心に素直に

『あんたが親神様に、ああして下さい、こうして下さい、といろいろに願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることが、直ぐ素直に有難うございます、と頂けるような人間にならせて下さい。と言って願う方が心配がないぞな。』

★み教えを頂き、せっかく正しいことを教えて頂いても、実行する素直さがなければ、おかげを頂くことにつながっていきません。その素直な心を磨かせて頂くのがご修行です。よく世間では、周囲を気にかけず、自分の思いをそのまま口に出したり、行動に現したりすることを「素直」と言ったりしますが、それは辛抱が出来ていないだけの状態で、本当の素直とは違います。本当の「素直」とは、自分の中の神心に素直になることです。

★三代教会長先生は、お説教の中で、「例えば、廊下に糸くずが落ちているのを見た時、気になりながら『後で拾っておこう』と、後回しにしたりすることがついあるが、親先生(二代教会長・伊藤コウ師)は、気付かれたら必ず、すぐに拾われる。そういうところが、違われるのです。」と、み教え下さっておられます。

★自分の心に思わせて頂くことが、神心に思わせて頂いたことなのか、あるいは、自分の欲であったり、世間の常識に偏ったことであるのか、瞬時に判断するのは難しいものです。そこで、日々お取次ぎ、み教えを頂き、常に心中ご祈念をさせて頂きながら、ご修行に励ませて頂きましょう。ご修行が進めば進むほど、自分に頂いている有り難いものを大いに表に出させて頂けるようになり、活き活きとお役に立たせて頂けるようになるのです。

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2015年08月13日

●ご命日を忘れることなく

8月10、11、12日は私の命のおかげ日であります。丁度30年前の昭和60年、日航123便に乗るはずのところを、乗らずにすまして頂きお命を助けて頂いたのでした。当時、三代教会長先生は増田家の霊神名簿を持ってくるようにおっしゃいました。

調べてみますと、8月10日は、三代教会長先生の御実家である増田の家の姉様・増田のぶ霊神様、8月11日は、お父上の伯母様・増田よね霊神様、8月12日は、お父上の養父様・和田亀次郎霊神様の御命日でありました。

私は、三代教会長先生に「これはどういう御意味でしょうか。」とお尋ねさせて頂きました。

すると三代教会長先生は「あなたは事故からお命をお守り頂いたことは神様のおかげだと、神様にだけお礼を申していますが、御霊様にお働き頂いてお祈り添えを頂き、お取りなしを頂いて神様のおかげを蒙らせて頂いているのですよ。

御霊様にお働き下さっているという事実をよく分かるように教えて下さっているのです。あなたにも分かり易く体験をさせて下さったのですよ。ですからよく理解させて頂きなさい。」とみ教え頂きました。

★そこで「はい、良く分からせて頂きました。今後、私はどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお尋ねしました。

すると「今は増田の家は寅之助さんの奥さんがきちんとお祀りなさって御霊様を拝んでおられますが、将来はあなたしか縁につながる者はいないのですから、あなたがしっかりと責任を持ってその霊神様方の御霊徳とご安心を祈らせて頂きなさい。

今後の事もあなたがしっかりと御祈念して下さいよ、と御霊様が分かり易く教えて頂下さっているのです。」とみ教え下さいました。

★飛行機事故を通して、神様が知らず知らずのうちに守って頂いているという現実を自覚させて頂き、さらにご先祖の御霊様のことを思わせて頂けるようにお導き下さった出来事でした。これからも亡くなられた方々の助かりと立ち行きを願わせて頂き、一層御用にお使い頂きたいと願わせて頂いております。

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2015年08月12日

●神様から与えて頂いたお命

 今年で日航123便の事故からちょうど30年が経ちます。私はその飛行機に乗るはずのところを、神様とご先祖の霊様にお命を助けて頂きました。日々ただただ、命を頂いていることへの御礼と、御礼の足らないお詫びを申させて頂いております。

★当時このような事をおっしゃった方がおられました。「先生、なぜその飛行機に乗らなかったのですか?先生が乗ってご祈念をなさって、この機が危険だと察知してその520名の方々が助かられたら、それが一番良かったのではありませんか?」…私にはそのような徳も力もあるはずがなく、考えようもないことです。

★私が10日〜12日に長野県に出張する予定は聞いておりましたが、東京まで中央本線で行き、羽田から飛行機に乗るということは全く知らされておりませんでした。更に事前に出張が延期されましたので、私はクラブの用意で三重県に居て、事故のニュースを報道で視聴したのです。

全く他人事のように感じていたのでした。8月中もクラブの練習もあり、毎日学校にも出勤していました。9月2日になって、飛行機に乗るはずであった、それが日航の123便であったということが分ったのでした。自分自身で危険を回避したいと思ったのではなく、知らず知らずの内におかげを頂いていたと後になって分かったのです。

★確かに、私の代わりに乗られた方が亡くなられたという事実があります。そのことを通して、「私とは関わりのないと思っている人の命の上に、自分自身は生かして頂いているのだ」という事を神様から教えて頂きました。例えば、戦争で亡くなられた方々もそうです。全く知らない人の働きの上に私達の生活があるのです。

「自分が知らないだけであったのだ」ということに気付かせて頂く機会を与えて頂き、私にとっては大変有難い経験をさせて頂きました。ですから、私の命は全て神様にお供えさせて頂き、助けて頂いた御礼に少しでも人を助ける御用にお使い頂けますよう、お願いさせて頂いております。

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2015年08月11日

●虚を以て心を養う

8月は葉刈りの信心と教えて頂いております。葉刈りとは、枝葉が伸びた木の風通しを良くしたり、虫が付くのを防いだり、いらない方向に伸びたものを切って形を整える為に行います。毎日私達は生活している上で我情我欲が積もっていきます。み教えを頂いていくことで、自分自身を見直し、心の持ちようを変えさせて頂き、葉刈りの如く我情我欲等を取って頂くのです。

★木の葉刈りが終わりましたら、とても綺麗に整えられているのですが、1年経つとまた色々な方向に、伸びたい放題に伸びております。また葉刈りをせねばなりません。私達人間も年々少しずつ変化しております。年を重ねて成長する部分もあれば、衰える部分もあります。

例えば、私の場合体重の変化によって食事の摂取を見直しが必要とされます。足がむくんだりして正座をするのに以前より辛抱が必要となったりするのです。去年の私と今年の私は違うのですが、そこに気付かないということが問題です。み教えを頂いていると気が付くことが出来ます。そこに人間の成長があります。ですから、毎年8月は葉刈りの信心ということでみ教えを頂きます。その時々によって見直しをさせて頂くことが大切です。

★教祖様御在世の御頃、直信先覚の先生方は多くのみ教えを頂かれ、現在に残して下さった方々が多くいらっしゃいます。その方々は大事なみ教えを頂かれる受け物があられたのです。私達もそういうしっかりとした受け物を作らせて頂かなければなりません。小さな受け物でありながらいっぱい物が詰まっておりましたら、新しいものを入れることが出来ません。

「私はこんな人間だ。こんな性格だから誰が何と言おうが変わりません!」という考えを持っておりましたら、大切なものが入ってきません。私達の心にある、不要なものは取り払っていかなければなりません。その為には教会に参拝し、み教えを頂いて、自分自身を見直させて頂き、我情我欲をお広前に置いて帰り、大切なものを入れることの出来る受け物を育てさせて頂きましょう。

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2015年08月10日

●お世話になるとは、命を分けて頂くこと

 先日あるご夫婦が、ご主人と奥様との間で意見の食い違いがあって、「あなたが間違っている!」「私は間違っていない!」とお互いが言い合い、なかなか折り合いがつかないと、お届けなさいました。話しを聞かせて頂きますと、どちらの考えも間違っているということではないようでした。

そこで、「あなたのお考えも、ご主人のお考えもどちらも正しいのです。間違ってはいませんよ。ただ、時と場合によって、あるいは立場の違いによって、食い違いが出来る事がありますから、お互いに相手を尊重しあって、立ち行きを願い合うことが大切です。足らない所を足し合うのが夫婦ですよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★完全無欠の人間は、一人もいません。家族でも、会社でも、不完全な人間同士が集まって、社会を作っているのです。ですから、お互いに相手を尊重し合い、足りないところを足し合う心にならせて頂くことが大切です。そもそも、自分自身が、知らず知らずに足りないところを足して頂き、辛抱して頂いて、様々な人やもののお世話になり通しているのです。

★「お世話になる」ということは、時に手間をかけさせ、相手の時間を頂くということであり、時間や労力をかけて頂くということは、その相手の命を頂いているということです。様々な方の命を日々分けて頂いているという自覚を持たせて頂いて、しっかりとご恩返しの出来る生き方にならせて頂きたいものです。

★「天地日月の心になること肝要なり」天地のような広く大きい心になることを願うように教えて頂いております。人を受け入れ、足りないところを足せるようになるには、それだけ心が広くなくては出来ることではありません。日々み教えを頂き、お取次を頂いて、広く豊かな心にならせて頂けるよう稽古に励ませて頂きましょう。

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2015年08月09日

●お礼の心に満ち満ちて

昨日は、みかげ会例会が開催され、河村氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。河村氏は、お母様が昭和37年に入信なさったのが始まりとなり、現在77歳で毎朝、毎晩熱心に日参と聴教に励んでおられます。

★河村氏は63歳の時に、医師より「胃癌の進度5段階中5である。」と宣告を受けられ、すぐに手術するように言って頂かれました。

三代教会長先生にお届けされますと「しっかり信心させて頂いておかげを頂きましょう。出来てきた事をおかげとして、医師の手をお借りして悪い所を取って頂き、神様に治して頂きましょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★河村氏はそれまでなぜ自分がこんな病気に侵されなければならないのかと思っておられましたが、医師より「あなたの胃癌は普通では見つけ難い所にあり、定期的に検査を受けておられたので発見が早く、手遅れにならずに済みました。」と言われた事を思い出され、大病を小病におまつりかえ頂いている事に御礼を申されました。

そして手術の際には、胆のうにも癌があることが見つかり、胃癌と共に切除して頂かれ無事成功のおかげを頂かれたのです。

★その手術から2年後の、平成14年9月8日のみかげ会例会でおかげ話のご命を頂いておられました。その例会の2日前の朝、突然めまいに襲われ、天井が回り始めた途端倒れてしまわれました。

暫くしてからお取次を頂かれて府立病院でCTスキャンをとって頂かれると、抗癌剤の投与で体が衰弱し様々な後遺症の影響で血圧が下がったのであろうとの事でした。

例会当日もめまいの状態は完全に治まっておられませんでしたが、「最後までおかげ話の御用にお使い頂けますように」とお願いされ、最後まで倒れることなく無事御用にお使い頂かれたのでした。

★術後の二年間は、絶えず熱が出たり痛みがあられたそうですが、おかげ話の御用にお使い頂かれたことにより、その日から段々とそのような症状が起こる間隔が長くなり、体調回復のおかげを頂かれたのです。

★毎日喜びに満ち満ちたお礼の信心を進めておられることにより、ご自身のお体の上に、またご家族の身の上におかげを頂いておられるのですね。

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2015年08月08日

●御霊様のお働き

 先日は真栄根会例会が開催され、久野氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。久野氏のお姉さんは、幼少の頃からみ教えを聞かせて頂くことが大好きであられ、両親と久野氏を引っ張って教会に参拝されるような方だったそうです。しかし、そのお姉さんが小学校三年生の時に、腎臓病から腹膜炎になり、「今まで育てて下さったお礼と両親より先に死ぬことのお詫び」をされながらお国替えされたのでした。家族中でも一番熱心に参拝されていたお姉さんが亡くなり、気落ちしたお母さんがお届けをなさいますと、二代教会長伊藤コウ師は「久野家のめぐりを持って御霊様になられたのですから、後々しっかりと家族中が助かるように、御霊様も助かるように、お参りさせて頂きましょう。」とみ教え下されたそうです。その後息子さんが同じ症状に罹ってしまい、全快根切れのおかげを頂きたいと願い、お母さんは一生懸命日参と聴教に励まれました。

★昭和51年、久野氏が働いておられましたら、作業中の機会が大爆発を起こして、長さが5メートル、重さ60キロほどの釜の蓋が吹き飛んだそうです。久野氏は、蓋が吹き飛ぶ直前までその場におられたそうですが、用事を言いつかり物を取りに行く為に、二階の倉庫にいた時に大爆発が起こったそうです。

★そうして命を助けて頂いたのは、神様のおかげ、また亡くなられたお姉さんの御霊様のおかげです。自分一人では大したことは出来ませんが、神様や御霊様が力を合わせて足して下さっておられるから、日々結構なおかげを頂けるのです。

★『ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心しても死ぬる者は、うちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を無駄死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ。』

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2015年08月07日

●世界真の平和を目指して…

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★2005年8月6日の新聞のコラムに石垣りん氏の『挨拶』という詩の一部分が紹介されていました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。

『…しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前8時15分は 毎朝やってくる 1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ25万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた』

★私達も毎日、同じように清々しい朝を迎えさせて頂いています。午前8時15分というと、朝食を取っている人もいれば、出勤の用意をしている人もいます。あるいは、すでに通勤、通学途中の人もいることでしょう。

しかし、何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。何が起きるか分からない、そのような世界情勢にあるのだという事を、私達は本当に理解出来ているでしょうか?また、これから先々どのような国、世界へと導いてゆけばよいのでしょうか?改めて考えさせられる詩であります。

★有難いことに、戦後日本は平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今もさまざまな社会問題は起こっています。素晴らしい進歩を遂げた科学技術、さらには政治、経済、司法、行政、全ての根底には信心教育を元にした考え方がなければなりません。天地の道理から外れてしまうと恐ろしい事態を起こしてしまいます。

★原爆投下のその日と変わらず、毎朝やってくる8時15分。戦後70年という節目の年を迎えた今、私達は平和の意味、その重みを再度考えさせて頂く必要があるのです。

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2015年08月06日

●知らず知らずの無駄を改める

『十銭の無駄をすれば十円の罰(バチ)をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる』

★「百円の無駄をすれば千円の罰をこうむる」というのは、神様が10倍の罰をお与えなさるということではありません。実際は、自分で気が付いた1つの無駄の10倍もの無駄があり、10倍ものご無礼が重なっている、ということです。自分なりに一生懸命やっているつもりでも、結果が伴っていないように感じるときには、それだけの無駄やご無礼が自分自身に必ずあるのです。み教えを頂いて、気が付いたところから地道にコツコツ改まらせて頂きましょう。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「戦後焼け野原からの復興を日本が遂げるには、各自が心身共に健康で家内円満で、己の使命を全うさせて頂くことが大切です。弱い立場にある人の分まで、健康でおかげを頂いている私達が働かせて頂くのです。それは大変有難いことなのです。人の分までよく働くことが損をしているように思うのは大きな間違いです。

一人前の働きとは、自分の生活が立ち行くことです。更には、二人前、三人前の働きを目指しましょう。それには、人の倍も三倍も値打ちのある働き方をさせて頂くのです。子供を育て、成人するまで養育するだけの貯蓄が出来、親を養える人間にならせて頂きましょう。そして国家を支える為の税金を十分に払わせて頂けますようにお願いしましょう。心も体も健康で、与えて頂いている能力を十二分に発揮させて働かせて頂けるようなおかげを頂きましょう。」との内容でみ教え下さっておられます。

★人の為を思って自分が働いたことは、全て自分自身に良い事として返ってくるものです。その働きは、子孫にも徳として残っていくのです。生活の無駄を一つ一つ改まらせて頂き、世の為人の為にお役に立つ働きを十分にさせて頂けるよう、心がけましょう。

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2015年08月05日

●己の分をわきまえる

 昭和32年にこのお広前が完成した頃のことです。あるご信者が真心から中古車をお供えしようとなさったことがありました。
その時にコウ師は「その真心だけ神様にお取次させて頂きます。教会は今、御建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。

それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。先々に維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になってから、現金で買わせて頂きます。必要ならば2台、3台と使えるようにならせて頂きたいと願っておりますが、今は出来ませんのでどうぞご理解下さい」と仰ったのでした。得心されたそのご信者は、車をお持ち帰りになりました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売りはったらいいのです」と言ってこられたのです。コウ師は「教会はそんな人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です」と仰せになり、そのお方も納得されたのでした。

★私達は、自分の分を越えてしまうことがあります。それは驕りから起きてくることです。家庭の上でも、仕事の上でも、全てにおいて信心を基にさせて頂き、常に分相応を心掛けることが大切であるのですね。

★『猿も木から落ちる、弘法にも筆の誤りという。木へ登っても、危ない危ないと思うておると、用心するからけがはないが、少し上手になると横道になって、大けがをしたり命を落としたりする。慢心は大けがのもと、まめなとも信心の油断をしてはならぬ』

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2015年08月04日

●人や物を大切に  

 私が金光教学院の御修行を終えて教会へ戻らせて頂いた時の事です。三代教会長先生と共に住宅の屋根裏の物置を整理させて頂いたことがありました。その物置に二代教会長・伊藤コウ師のご母堂、伊藤ハル氏のご時代から使っておられたタンスなどが置いてありました。

その中にハル氏が嫁入り道具として持参なさった鏡台がバラバラになって置いてあったのでした。それを使わせて頂くことを三代教会長先生にお許しを願いましたら、「それは有り難いことです。ご隠居様が大変お喜びのことでしょう」とお許し下さったのです。それを木工用ボンドで組み合わせますと、元通りに使用させて頂くことが出来、現在まで毎日使わせて頂いております。

★阿倍野教会では、初代教会長先生が御布教なされた当初から、お説教の演台は実に93年以上も同じものを使わせて頂いております。初代、二代、三代教会長先生と長きに亘って、力を込めて説き続けて下さったその熱き心を感じ取ることが出来ます。阿倍野教会にとっては大切な宝物です。その天板の無垢の一枚板には力を込めて説かれる為に、両手の親指の爪の跡が刻まれています。そうした精神を失わないように大切にしながら、毎日の四回のお説教時に今日も現役で使わせて頂いております。

★喜んで使わせて頂いておりますと、物も喜びます。物が喜ぶということは、それを伊藤の家に嫁入り道具として持参されたハル氏が喜ばれることに繋がるのです。例えば、食べ物をおろそかにすると人の働きをおろそかにすることになり、天地のお働きをおろそかにすることになります。人や物を大切にさせて頂いて、神様からも人からも信頼して頂ける生き方をさせて頂きましょう。

★『ご無礼である、お粗末であるというが、商売人がはかりの目盛りをごまかしたり、人の目をくらましたり、農業する人が山や田畑の境目を勝手に動かしたり、水や食べ物を粗末にしたり、自分の勤めをおろそかにしたりするほど無礼はない。人の目をくらまして得をしようとするから、損をしてたおれる。境目を欲張るから、その田畑を放さなければならないようになる。食べ物を粗末にするから食べられないようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、働けないようになる。みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである。』

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2015年08月03日

●人を助ける御用

教祖様ご在世中のことです。岡山県浅口郡乙島の國枝三五郎というお方は、ある年の夏、西瓜の初なりをわが家の御神前にお供えして、翌日これを携えて大谷の金光様に参拝しようと家を出ました。

途中、玉島というところで、ある家で休憩していますと、親子連れの巡禮が通りかかり「どこへゆかれますか?」と聞きますので、「大谷の金光様に西瓜の初なりをお供えしようと持って参るところです」と答えました。空腹をおぼえていたその子供は、「わしも金光様になりたい」と泣きだしたので、三五郎はかわいそうに思い、西瓜をその子に与えて、何も持たずに参拝しました。

外でもじもじしていると、金光様が出てこられて「國枝さん、西瓜の初なりは昨夕、神様が喜んでお受け取りになった」と三五郎に話されたのでした。

★『人一人助ければ、一人の神である。十人助ければ、十人の神である』とみ教え頂いております。人のことを思い、人のことを願い、人の助かりにお手伝いさせて頂くということは、自分も助かり神様も助かるということです。

人のことを可愛いとか、かわいそうだと思う心は神様と通じているのです。そういう心が自分を浄化してくれます。自分で自分の尊い神心を汚してはなりません。日々浄化されていきますような、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年08月02日

●繁盛を妨げるものは?

 有難いことに神様に心を向けてご祈念させて頂きますと、お知らせを下さるのです。それは、心にふと思わせて頂く形で、あるいは人の口を通して、あるいは出来事を通して、神様は私たちに必要なことを教えて下さっておられることがわかるようになります。

しかし、それを素直に受ける心になれなかったり、すぐに実行せず後回しにしたりすると、全てが間に合わなくなってしまい、大小様々な問題が起きてくる元になるのです。また、危険なところで回避できるようになってゆくのです。神様のお心を十分に分からせて頂くためには、心の鏡を曇らす元となる我情我欲を取り払い、自分の受け物をしっかりと作らせて頂くことです。


★幸田露伴の洗心録に「木の五衰」(木が衰える因)として、
1、懐の蒸れ(枝葉が茂りすぎて風通しが悪くなると、虫が付きやすくなる。人間でいえば、貪欲・多欲になりすぎ、心身の病を引き起こす状態)
2、裾上がり(根が浅くなる。人間で言えば、軽薄になること)
3、末止まり(成長が止まってしまう)
4、虫が付く(悪友、悪習慣がつく)
5、末枯れ(衰退する)
があると残しておられます。これらは繁盛を妨げるものです。

★8月も、心と体の掃除をさせて頂くつもりで、家族揃って信心の稽古に励ませて頂きましょう。
『めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂ると、めでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは、地の底に目には見えぬが大きく根を張っておるからじゃ。もとになる根が枯れると、太い幹も茂った枝葉も枯れてしまう。日々信心の根張りをよくしておると、無常の風が吹いても、たおれることがない。おかげで枝葉も茂って繁盛する。これがめでたいのじゃ。』

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2015年08月01日

●『心配する心で信心せよ』  

 先日、有難い御礼届けがありました。毎日家族中のことをお届けし、お願いなさっておられるご信者が御礼申し上げられたことですが、嫁ぎ先のお舅さんは、病院に行くのが大層お嫌いな方でした。しかし最近になって、高熱が続いたり、話のつじつまが合わないところが見受けられたのです。異変を感じられた職場の方々が心配して忠告しても、家族がどれ程説得しても、断固として病院に行こうとはなさいませんでした。

★そこで家族の方々は、意を決して無理にも病院へ連れて行き、緊急で診て頂かれました。すると、熱は40度近くもあり、肺炎、さらには敗血症まで引き起こしてしまっていたのです。あと数時間遅れていたら、命のなかったところを、ぎりぎりのところで助けて頂かれたのでした。家族の一心の祈りが届き、神様が生命をお助け下さったことを御礼申し上げておられるのです。

★日々の生活の中で、心配事は次々と起こってきます。しかし、信心させて頂きますと、心配は神様にお預けして、お願いに変えてゆくことが出来るのです。

★『人間じゃもの。生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はなかるまいが、心配がみなおかげになれば心配はなかるまいが。心配は信心しさえすればみなおかげになる。心配は体に毒。神様に御無礼。今日からは心配する心を神様に預けて信心する心になりなさい。おかげになります。』

★7月1日から始まりました1ヶ月の信行期間も昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には各々にご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げております。信行期間には、不成心を取払い、御礼をしっかりと申す稽古をさせて頂きました。それが、8月もしっかりと続かせて頂けるよう、より一層ご信心を進めさせて頂きましょう。

銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様に御礼を申し上げられましたら、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒で悪毒病毒をお取り払い頂かれますように、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈り致しております。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 平成27年の「み教え」