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2015年07月31日

●共に願い合い、助け合う

 先日、病院にお見舞い行かれる方に「あなたがこのお広前でお徳を頂かれて、そのお徳を持って病院にお見舞いに行かせて頂くのですよ。そしてそのお徳を病床にある方に分けさせて頂くのですよ。そしておかげを蒙って頂くように願わせて頂くことがあなたのお役目ですよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★皆さんがご信心によって頂かれたお徳は、どこへ行かれましても、表すことが出来られる事は、大変有難いことです。家庭に於いては、家族の身の上にもおかげを頂き、また家庭円満にも繋がります。また職場に於きましても、勤務なさる際に会社や社員全体の事を祈りそのご信心のお徳を表していかれましたら、周囲の方々が助かられ、社員全員の助かりと会社の繁栄に繋がってゆくのです。

★天地の親神様は、氏子一人一人の助かりを切に願って下さっています。氏子が共に願い合い、助け合うことを願っておられるのです。私達氏子も「御神願成・総氏子身の上安全・世界真の平和」を願わせて頂き、天地の道理に沿った生き方を貫かせて頂きましょう。職場であろうが、家庭であろうが、もうだめだと諦めることなく祈り続け、最大限の努力をさせて頂くことが大切です。

★生神金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様の御神徳を蒙らせて頂きますと、自分が願う以上におかげを授けて下さいます。自分の事は後にして周囲の人の事を先に願わせて頂いておりますと、そこに共に助かる有難いおかげが頂けるのです。

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2015年07月30日

●生まれ変わるおかげ

教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられたといっても過言ではないような状態になられたのでした。

しかし、教祖様は決して取り乱したりなさることはなく、「家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。」との、神様からのお言葉をただただ素直に守られたのでした。

★そして、本教の真髄ともいえる、「天地書附」は、この時期に、銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、神様からお下げ頂かれたのです。また、「五年の辛抱」の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き拝ませて頂けることとなられたのでした。

★何事が起きてきても、その出来事を通して、小さい自分の殻を破らせて頂き、一段と進んだ姿に成長させて頂くことが有り難いのです。その事を教組さまは、「生まれかわり」という言葉で表現しておられます。

そのためには改まりを本気で願い、新しい自分への、成長の一歩を踏み出さなくてはなりません。信行期間で銘々に改まらせて頂いたことを起点として、ここから更に良い方向に生まれ変わっておかげを頂いてまいりましょう。

『人間は死ねるからありがたい。信心しておかげを受ければ生まれ変われるからなあ。この生まれ変われるような信心をせねば、ご信心がご信心になるまいが』

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2015年07月29日

●良い生き方を伝える

 先日、95才でお国替えされた平尾氏の三十日祭がお仕えになられました。平尾氏のご信心は、娘さんの足の付け根に、腫物が出来たことがきっかけで、阿倍野教会にお導き頂かれたことに始まります。二代教会長伊藤コウ師にお取次ぎ頂かれ、そのみ教えを一心に守られて、病気全快根切れのおかげを頂かれたのでした。

それから、毎日熱心に日参聴教に励まれ、娘さんのご良縁、一家勢信心と次々におかげを頂いて来られました。そのような有難いおかげを頂かれるまでには、どれ程のご修行があられたかは言うまでもありません。

★教会の近くの家から、奈良県へと転居なされた際に、コウ師より『奈良へ移ったからといって、信心を離してはいけませんよ。毎日しっかり日参しなさい。信心を落としても音はしませんよ』とみ教えを頂かれました。徳切れになってはいけないということを教えて頂かれたのです。

そのみ教えをずっと守り通され、徳積みの生活をさせて頂かれたのでした。「遠い」「近い」と思うのも人の心次第です。「自分自身の役割を自覚し、責任を持って果たさせて頂けますように」という心にならせて頂けるかどうかが問題であるのです。

★先日の三十日祭には、お孫さんや親戚の方々が遠方各地から駆けつけられ、参拝されました。皆さんが異口同音に、「おばあちゃんは、どんな時でも苦しい、辛いという事を口に出しませんでした。そして、90歳になっても、『何とかしてあげたい!』という思いが強く、困っている人のために自分の身体を使うことを厭わず、常に周りに気を配っておられました」と話しておられたことが印象的です。平尾氏のご修行されたことが、良い生き方として子孫に伝わっているのです。日々み教えを頂き、自分を改め磨いて、有難いものを子孫に残してゆくことが大切であるのですね。

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2015年07月28日

●毎日を有難く喜んで暮らす

天地の親神様は『氏子が助かってくれればそれで神も嬉しい。』と仰って下さるご慈愛に満ちた神様であられます。愛情とは4つに分けることが出来ます。

1)好む愛
2)求める愛
3)与える愛
4)応える愛

与える愛とは親が子に対する無償の愛などを指します。神様も私達氏子に、無償の愛を与えて下さっておられます。天地の親神様の御心を分からせて頂き、応えさせて頂ける氏子にならせて頂くのが私達氏子の御恩返しとも言えます。

★『信心して我欲を放れて毎日を楽しめ』とみ教え下さっておられます。楽しく有難く暮らさせて頂くことはもちろんですが、そこにお礼の働きが立ち添うてこそ、おかげを頂いているお姿と言えます。お礼の心に満ち満ちて、御恩に報いさせて頂いて、お役に立たせて頂くことが出来るのです。そうしてお役に立たせて頂いてこそ、神様の無償の愛に応えられるのです。

★『今日を喜んで暮らしましたら、死ぬ事と病む事を忘れて暮らします。死ぬ事と病む事を忘れて暮らしましたら、その上の欲はいりませんなあ。』(二代金光様のみ教え集より)有難いということを忘れてしまっては決して結構にはなりません。毎日楽しく有難く、ご信心を基にして常にお礼の働きに心掛けて暮らさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年07月27日

●心と身体の掃除をするつもりで

 昨日は、天候・気象を初めとして全てに於いて万事万端ご都合お繰り合せを頂きまして、教会内外の夏の大掃除をさせて頂きました。大勢の御用奉仕を頂きまして、お広前や掛け出しの畳も全て上げて天日干しをさせて頂くことが出来、怪我過ちなく行届いてお礼のお掃除をさせて頂くことが出来ましたことは、真に有り難いことでございます。皆様の御用奉仕のおかげと心から厚く御礼申し上げます。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように、心と身体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』表面はいつもきれいにさせて頂いているつもりでも上敷きを上げたり、畳を上げると塵や埃が溜まっています。布団の上げ下げや、衣服の着脱等、人間が生活する以上、自然に塵やほこりが溜まりますね。人間の心も同様に、我情我欲で以て我が心に塵が積もります。日々心に塵が積もらないように、今日一日今日一日根気強く信心を油断なく進めることが大切です。

★み教えに沿って天地の道理に基づいた生き方に日々改まらせて頂き、我情我欲を放す稽古を常平生からさせて頂くことが大切です。稽古が出来ていないと、いざという時にうろたえてしまい、神様を忘れて人をあてにしたり、責任を自分以外のものになすりつけたりしてしまうことになるのです。

★徳と力を頂く為には、毎日の生活の中で、仕返しをする心を取り去ることが大切です。その「仕返しをする心」とは、日常あらゆる場面で起こってきやすいものです。そこを「金光様…金光様…」と御祈念をさせて頂いて仕返しをしないように、さらに仕返しをする心にならないようにおかげを頂いてゆく信心をさせて頂きましょう。

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2015年07月26日

●人を助けるのが人間である

 『人が人を助けるのが人間である』とみ教え頂いております。三代教会長先生は戦時中、信太山第四連隊に所属し、陸軍砲兵として招集され、外地の前線にも赴かれました。二代教会長・伊藤コウ師は、「あなたは、戦地に人を殺しに行くのではありません。人を助けに行くのです。お広前で御用させて頂く事が、戦地での御用に場を変えるだけです。人が助かる御用にお使い頂くのですよ」とみ教えなさって、送り出されたのです。

三代教会長先生は、頂かれたみ教えをひた受けに受けられ、過酷な戦地に於いて、現地の村人達をも助ける働きをさせて頂けるよう願い続けられたのでした。そして、100名程の部下が一人も欠けることなく、遺骨なしで帰国出来るという大みかげを頂かれたのでした。

★教祖様は、『一生が修行じゃ』とみ教えくださっておられます。人生において、何の苦労もなく、問題も起こらないことを望むのが世の常と言えるかもしれません。しかし、事に当たることによって、改まりが生まれ、願いが確かなものとなってゆきます。そして、どんな苦労の中にあっても、心を神様に向け、行くところ行くところで人の助かる働きをさせて頂くことによって、信心が一段一段と進ませて頂けるのです。

★反対に、「あの人は死んだ方がよい」とか「自業自得な…」等と人を恨んだり憎んだりすることや、「この病気は治らないだろうな…」と見放したりすることは、心で人を殺すということになり、重い罪であるとみ教え頂いております。常にみ教えを頂いて、人生の目標を見失うことのないよう、積徳の信行に励ませて頂きましょう。

★『信あれば徳ありと、昔の者がいうておろうが。真で損をするように思うのは、やっぱり真が足らぬのぞ。恨みに報ゆるに徳をもってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ。』

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2015年07月25日

●問題を正面から受けきる

 商売をなさっていたあるご信者は、無理難題ばかりを言う取引先に困っておられました。値引きを強要され、利益は少ないし、要求は細かいし、悪口雑言は吐かれるしで、気持ちはなえてしまいます。ある時には、「今から5分で来い」と電話で言われ、到底5分では行けない距離であるにもかかわらず、そのように要求してくるので、急いで行ってみると、電話の連絡で事が足りるような用件であった、ということもあったのでした。

いっそのこと取引をやめてしまいたいと思われ、お結界でお伺いをさせて頂かれますと、「相手が取引をやめたいというのでなければ、こちらからやめる必要はありません。仕事の上でご修行させて頂き、勉強をさせて頂くのだと思って続けさせて頂きましょう」とみ教え頂かれたのでした。

★み教え頂いたとおり、仕事を続けておられますとその取引先の方から、「もっと安く仕事をしてくれるところを見つけたので、取引をやめるから」と一方的に言ってきたのでした。ところがしばらくしてから、「安いところを見つけたと思ったが、おたくのような良い仕事はしてもらえない。以前より条件を見直させてもらうから、どうかもう一度取引をお願いしたい」と、言葉も態度も丁重にお願いに来られたのでした。

★問題が起きてきた時には、苦しい所から逃げず、信心を元に正面から受け切らせて頂き、実意丁寧正直親切を貫く覚悟をさせて頂けば、神徳人徳を頂き、全てにおかげを頂くことが出来るのです。

★問題に直面したら・・・
(1)楽を望まない。
(2)悪い事を思わず言わず、仕返しをする心を去る。
(3)陰で人の悪口を言わず、心で人を殺さない。人の助かりを願う。
(4)保身のためにごまかさない。
(5)正論で人を追い込まない。

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2015年07月24日

●信心の姿勢

 教祖様は42歳の御頃に、のどけという九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へ無礼しておりますか。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のところ、お断りお詫び申し上げます」と神様に真心からお詫びなされたのです。

★「凡夫で相分かりません」とお詫びなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得遣い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様は常に、私共人間の生活にはどこまでも至らないところがあるという心持ちであられたのです。

★「私はよく出来ています」と言う人ほど、出来ていないものです。「私ほどしっかり頑張っているものはありません」と言う人ほど、どこかに不行き届きな点がたくさんあるのです。「一生懸命にさせて頂いておるつもりですが、まだまだ至りません。申し訳ございません」という謙虚な姿勢こそが、神様から信用して頂く元であり、ご信心の最も重要なところであるのですね。

★『神を拝礼するのに別に決まりはない。実意・丁寧・正直・真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で、知らず知らずにご無礼、お粗末、お気障りなどしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい。』

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2015年07月23日

●おすがりしてお願いして、させて頂く

 私が中学・高校生の頃のことです。自分には徳も力もございませんので、とても御用させて頂けるような人間ではないと思っておりました。三代教会長先生から「先々しっかりと御用させて頂くように」と仰って頂く度に「自分にはとても…」と思ってしまうのでした。

★ある日、三代教会長先生に「どうして私は教会に生まれてくることになったんでしょうか?」と思わず口をついて出てしまったことがございます。そうしますと三代教会長先生は何とも言えない悲しそうな顔をなさいました。

そして「この親の元に生まれてこようと思って生まれてくる人間はどこにもおりません。また、この子をこういう風に授かろうと思う親もどこにもおりません。まさにこれは運命なのです。この親の元に生まれてきたのも、教会の御用をさせて頂くという環境を与えて頂いたのも運命です。その運命を生かしていける人間になるか、そうでないかはあなた次第です。そこを神様におすがりしてお願いをしていくことが、あなたのおかげを頂いていかなければならないところではないですか。」と仰せになられました。私はおすがりもお願いもしていない自分に気付かせて頂き、二度とこんなつまらんことは言うまいと強く心に刻みました。

★物事を与えて頂いた時に、「それは簡単に出来るからします。それは出来そうにないからしません。」と言うような人間になってはいけないのです。そのような生き方は有難いものは生み出せません。出来る・出来ないということは置いておいて、神様にお願いしておすがりしてさせて頂くのです。

★私達は自分の力で生まれてきたわけではありません。与えて頂いた命であって、生かされて生きているのが真実です。苦しいことや辛いことも全てお願いに変えさせて頂くのです。そういう生き方がさせて頂けるからこそ、自分に与えて頂いている命も体も生き生きとしたものになっていくのです。現在頂いている命を有難く思い、活かせるようなおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年07月22日

●運命を愛し、運命を生かす

 中山亀太郎師は、幼少の頃に事故で両腕と片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★亀太郎師は小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられたそうですが、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、優しく励まして下さったそうです。また、お母さまは、昼は鉱山で夜は内職をして仕事で忙しく亀太郎師は幼い頃から自分のことは何でも自分で出来るよう、神様にお願いしながら稽古なさったのでした。

★思春期18才の頃は、将来に希望を見出すことが出来られず、自分で自分の運命を呪い、憎んで苦しんだ末に、喉にハサミを突き立てたこともあられたそうです。その先を思い止まることが出来たのは、昼も夜もなく一生懸命に働いて、弱音も吐かず神様に一心におすがりなさるお母さんの顔が心に思い浮かんだからでした。

★亀太郎師は、何とかしてこの悩みから救われたい、この苦しみから助かりたいと祈りに祈って真剣に道を求められたのです。そして「運命を愛し、運命を生かすこと」すなわちご自分の体の不自由を「仕方がない」と諦めるのではなく、神様にお願いして、生かして使うことを考えられました。

★「信心させて頂いて、幸せな三つのこと」として、
1)有難いということが分からせて頂いてから、ますます健康にならせて頂いたこと。
2)不自由が少ないこと。(何事も神様にお願いすれば、させて頂けるようになられた)
3)いつも朗らかであること。(引け目を誇りとする生活)「真剣に苦しみ、真実に生き、運命を愛し、運命を生かす」
と、おっしゃっておられます。およそ100才までお命を頂かれ、子孫に恵まれて御用に徹しられたのです。何事も神様におすがりして、努力をいとわず、足るを知り、運命を明るく受けきってゆくご信心を、私共も万分の一でも習わせて頂きたいと思います。

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2015年07月21日

●与えて頂いている責任を全うさせて頂く

 二代金光四神様はお隠れになる二日前、ご家族にご遺言を残されました。その御遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才で御結界の御用を継がれることになられ、明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。

★三代金光様は、後に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。「天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。初めのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがな。

親様の教えを守らしてもろうて泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事もいつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事でございます。」と仰せになられたのです。

★三代金光様も数え年14才というご年令で、初めはお辛い思いをなさっておられましたが、神様の思し召しと有難く受け切られ、親様のお祈りを受けられて、ひたむきにお縋りなさって信心辛抱のお徳を表して下されたのです。本当の辛抱とはおかげを蒙らせて頂かねば出来ないことです。辛抱させて頂けば頂くほど、有難い信心辛抱のお徳を積ませて頂けるのです。


★信心の上での苦労は、させて頂かねば身に徳を頂くことは出来ません。苦労から逃げようとしたり、責任転嫁ばかりしては決して結構にはなってゆきません。各家庭においても、家の長は家の長としての役目があり、家老は家老としての役目があります。 夫々の立場で、自分自身に与えて頂いた責任を全うさせて頂いておりますと、子孫の端々まで助かってゆくおかげが頂けるのです。

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2015年07月20日

●御礼の一心でかなわぬことなし

昨日は、万事万端にご都合お繰り合わせを頂きまして、共々に信行期間中の御本部御礼参拝をさせて頂きまして、真に有り難いことでございました。

★初代教会長・伊藤徳次先生は、布教当初の経済的に厳しい状況の中でも、「ふんどしを質に入れてでも御本部に御礼参拝をさせて頂きたい」との強い願いを持っておられました。御本部は、有り難いの一心で御礼参拝させて頂きますと、病気災難の根を置いて帰らせて頂き、ご霊地のお徳を頂くことが出来るのだと、教えて頂いております。このみ教えを素直に頂き、大みかげを蒙られた方は数知れません。

★三代教会長先生の実姉であられます大黒トクさんは、胆石の痛みを患っておられました。ある時、御本部参拝の日にその発作が起こり、ご祈念して御神酒や御神米を頂かれましてもなかなかその痛みは治まらず、大変苦しんでおられました。

そこで、そのことを随行の先生にお伝えなさると、先生は二代教会長伊藤コウ師に報告してお取次ぎをお願いなさいました。するとコウ師は、「この飴をご祈念してから頂かれるようにお伝え下さい。」と飴をお下げになったのでした。早速そのことをトクさんにお伝えすると、トクさんは、そのお下がりの飴を一生懸命ご祈念して頂かれました。すると、その日以来、胆石の痛みの根を切って頂かれたのでした。

★今日、ご信者お一人お一人が、御礼の真心を込めて御本部参拝をさせて頂き、おかげを頂かれることを、生神金光大神様、天地金乃神様、そして、歴代教会長先生の御霊様方が、どれ程お喜びになっておられるでしょうか。み教えを一心に守らせて頂き、神様、親様にご安心頂ける信心に進ませて頂きたいと思います。

『「なんぼうご信心じゃというても、金光様のようなまねができるものか。金光様は神様に生れついてござった」と言う者がある。金光様は、「此方じゃというても、はじめから生神じゃなかった。言うて聞かすとおりにしてこい。此方のようになれる」と言うてござったから、できぬのではない、せぬのぞ。命を助けてもらおうと思う時の一心があったら、できぬということはない。』

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2015年07月18日

●御恩を知る

『めでためでたの若松様よ、枝も栄える。葉も茂るとめでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは地の下に目には見えぬが、大きく根を張っておるからじゃ。もとになる根が枯れたら、太い幹も茂った枝葉も枯れてしまう。日々信心の根張りをよくしておると無常の風が吹いても倒れることがない。おかげで枝葉も茂って繁盛する。これがめでたいのである』

★あるご婦人が入信当初、朝参りして御教えを頂いておられた時のことです。自分の家が御教えに反したことばかり積み重ねてきたことに気付き、有難いと同時に毎日のように泣けてくる思いになられたそうです。その家は工場を営んでおられ、入信までに三度も火災を起こし、三度目には職員さんが三人も亡くなったのでした。

生活は苦しく借金に追われ、大変な思いをしておられたのです。助かりたい一心でご主人をお導きなさろうとされますが、なかなかお導きは出来られず、お宅祭をさせて頂かれても、熱心にお話を聴いておられるのはご婦人だけでした。それでも二代教会長伊藤コウ師は熱心にお話し下され、段々とご主人もご婦人の横で正座をして話を聴いて下さるようになられたのです。

★そして有難いことに、以前は借金があり生活が苦しいから働くという心持ちであられたのが、仕事を神様から与えて頂いた天職であると拝んで、御恩を返すつもりでさせて頂かれるようになられましたら、日本国内だけでなく遠くアフリカからも注文を受けるような会社に成長なさり、借金も完済のおかげを頂かれました。

★自分で何もかも出来ていると勘違いしてはいけません。たとえ法を犯していないとは言っても、ご恩の分からないところに人間の御無礼があります。ご信心の浅い時には何に対してお礼を申してお詫びを申せばよいか分かりません。分からないからこそ、自分のことばかり考え、自分中心で物事を理解しようとしがちです。

有形無形の恩恵に対してどれだけお礼を申さなければいけないか、お礼の申し足りないお詫びをどれほど申さなければならないか。そのことを分からせて頂くことが大切です。御恩を分からせて頂けるようになるということは、おかげを頂いておられる姿ということです。御恩を知り御恩を感じ御恩に報いるご信心をさせて頂きましょう。

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2015年07月17日

●家庭は檜舞台 

『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。』

★会社経営、農業、サービス業…等、どんな職業であっても信心を基にさせて頂くことが大切です。それは家事、育児においても同じことが言えます。洗濯や買い物、料理も全て、御祈念をしてからさせて頂くのです。

★あるご信者は、胃腸が弱く腸炎を起こしておられ、手術が必要かもしれないと医師から言われたそうです。そのお方に、胃腸に悪い食べ物はどのような物であるか、またどのような食事の仕方をすれば良いかをお伝えしました。自分の身体を保つために、正しい食事を摂ることも信心生活です。悪習慣を良い習慣に変えていくことや、収支のバランスを整えていくこと等、毎日の生活を天地の道理に沿った生き方に変えていくことは、全て信心生活であるのです。

★『ここは教会所だから、神様の教えをお話してきかせ、信心の稽古をするところ、家庭はいわば、檜舞台。教会所で習ったところを、家の檜舞台で踊りそこなわないように、しっかり信心の稽古をさせていただきなさい』と甘木教会の初代教会長先生がみ教えを下さっています。教会で教えを頂いてその時に心から有難く感じていても、家に帰って自分勝手なことをしていては家老としての働きは務まりません。

自分自身が真心になっておらねば、子供も真心にはなり得ず、自分が改まっていかなければ、子供を正しい方向へ導いてゆけるはずもないのです。まずは、自分自身の在り方を見つめ直してゆくことが第一であるのですね。

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2015年07月16日

●人を助ける願いを持つ

『人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい』

★ご信心をさせて頂く私達は、み教えを頂くようになりましたら、まず人の助かりを願い、次に自分の助かりを願わせて頂きましょう。一歩進んだご信心を目指して向上させて頂くのです。そしてその為にはご修行をさせて下さいと願うことが大切です。

★お願いさせて頂くと同時に目の前に与えて頂いている御用に最大限打ちこんで努力してさせて頂きましょう。最大限努力させて頂きましたら、後は「万事神様にお任せ」という心にならせて頂けます。お願いすることも努力をすることも、おろそかにしていてはいけないのです。どんな事でも御祈念して実意丁寧にさせて頂きましょう。

★実意とは…御恩を知って御恩に報いさせて頂けますようにと願う心の事です。そして全てに思いが行き届くということと教えて頂いています。丁寧とは…まだまだ至らないところが多くあると自覚して反復練習を怠らないことです。また行いが行き届くということと教えて頂いています。

行いが行き届くということは簡単なことではありません。トイレ掃除でも終わった後に水滴が1滴落ちているだけでも他人から見れば行き届いているとは言えないと思われてしまいます。自分が与えて頂いている御用に責任を持ってさせて頂く、そうしたら周囲の人からも信用を得て本当にお役に立つ働きが出来るようになっていきます。何事にも実意丁寧を心掛けさせて頂き、自分だけではなく、周囲も助かるご信心・ご修行をさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年07月15日

●親の願いを受け継ぐ

 三代教会長先生は、昼夜の別なく二代教会長伊藤コウ師の補佐の御用に徹せられました。たとえ夜中であろうが、コウ師が「あの祭詞はどうなっていますか?」と尋ねられましても、「今から書かせて頂きます」とおっしゃって、すぐに起床して祭詞を書かれて「これでよろしいでしょうか。ご指導下さい」とご覧になって頂けるように用意なさるというように、ご安心頂けるような御用に徹せられました。また、どの様な厳しいみ教えを頂いても、すぐに思い分けをされ心を切り替えられて、一度も不足に思われることなく素直に有難く受け切っておられたのでした。

★さらにコウ師が御晩年、三代教会長先生に「私はあなたのことをずっと守ってきました」と仰られたそうです。そのお言葉にどういう御意味があるのか後で考えられ気付かれたことがあられました。それは若い時から厳しく教えて下さっていたことは、命を守って下さることであり、御用させて頂く上でおかげを頂く方へ守って下さる教えであったと気付かれたのでした。

★コウ師がお国替えなさった後、三代教会長先生は四代金光様にお届けに行かれました。そして「これからどのような心構えで御用させて頂いたらよろしいでしょうか」とお届けなさったのです。すると四代金光様は「今まで通りになさったらよろしいでしょう」とみ教え下されたのでした。そして、その頂かれたみ教えの通り、どこまでも変わらずにコウ師の教えを受け継いでゆかれたのでした。

★三代教会長先生がお国替えなさった現在も、初代・二代・三代教会長先生より受け継がせて頂いた有難いものを、これからも変わらずに守り通し、その中で新しいものをより一層生み出していくように、日々の御用に精励させて頂きたいと願っております。

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2015年07月14日

●不自由を行とする

『病気になると、欲しい物が食べられないので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたく頂くという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである』(山本定次郎師の伝え)

★あるお方は「腰を痛めてしまい、真っ直ぐ歩くことやしゃがむことが出来ず、本当に不自由をしております…」と仰っています。また、あるお方は、膝の半月板を損傷され、正座が出来なくなってしまいました。

そして今まで正座させて頂けていたこと、足が曲がることがどれ程有難かったかを気付かせて頂かれました。今は手術することなくご神酒でおかげが頂けるよう、元のように正座が出来るようにとお願いなさっておられます。

★それぞれのお方にとって、不自由があるということは、確かに難儀なことです。しかし、『不自由が行である』とみ教えを頂いておりますように、その難儀を自分自身のご修行とさせて頂くことが出来ます。何か不自由なことが起きてきますと、普段当たり前だと思っていたことが、大変なおかげの連続であったことに気付かせて頂けます。

腰を痛めて初めて、痛まずに動かせた有難みが分かり、膝を痛めて初めて、正座が出来ることの有難さが分かるのです。そして、その不自由を行とさせて頂き、万物を有難く頂き直す心で、「世話になるすべてに礼を言う心」を自分に言い聞かせ、普段どれ程お礼・お詫びの申しようが足らないかを反省させて頂くことがおかげを頂いていく元であるのですね。

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2015年07月13日

●真の喜びを生み出してゆく

 あるご婦人は、教会に参拝することをご主人から快諾してもらわれ、信心のある実家のご家族のことも尊重して大切にして頂いておられるそうです。お子さんも一緒に教会にお参りすることが出来られ、喜んでおられるのですが、お姑さんだけは、教会の参拝を快く思っておられないそうです。本当ならば週に何度でも参拝させて頂きたい、という思いでおられるそうですが、お姑さんの顔色を伺いながら、参拝しておられるとのことでした。

★しかし、「以前なら腹を立てていたお姑さんの言動にも、最近では全く腹が立たなくなってきたので、それだけでも随分おかげを頂いております。」と、お礼を申しておられました。そこで、「あなたはご主人やお子達から応援して頂かれて幸せですねえ。それをもっと喜んでお礼を申さねばなりませんね。神様は、お姑さんを通して、あなたにご修行させて下さっておられるのでしょう。この氏子はどうやってこの試験を受けとめるだろうか、合格点をとれるだろうか。今日はどんなおかげを頂くだろうかと、見守って下さっているのですよ。」と、お話しさせて頂いたことでした。

★生きている間は、日々勉強、日々ご修行です。先のご信者も、以前は腹の立っていたことでも、腹が立たなくなる、という段階にまで、一段進ませて頂かれたことは、有り難いことです。出来事を通して、我が心から信心をどう練りだし、おかげを頂くのかということが、大切なのです。

★真のお詫びは真の改まりとなり、真の喜びを生み出してゆきます。どんなことでも信心で受けきり、有り難いものを我が心から練りだしていく稽古をさせて頂きましょう。

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2015年07月12日

●信心の信念を築く

 伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)が、地方債を買って娘さん(コウ師の姉君)に預けておられたことがあったそうです。ところが、その地方債が紛失してしまうということが起こったのです。それなりの額のものであったようで、二代教会長伊藤コウ師は、警察に頼もうとなされました。

しかし、ハル刀自は一切動揺されることなく、「あのお金は、ご信心させて頂くようになってから、めぐりをつまんように、お礼するところにはきちっとお礼をさせて頂いて、工夫して始末して貯めさせて頂いた穢れのないお金です。今は、伊藤の家に必要がないから、必要な人のところにいっているのでしょう。必要な時が来たら必ず戻ってきます」と仰ったのでした。

それを聞かれたコウ師は、ご自身の考えが間違っていたと反省なさり、改まられたそうです。また、地方債を紛失してしまったコウ師の姉君は大変申し訳なく思われ、ご自分の信心として、預かっておられた金額を返済させて頂かれたそうです。すると、伊藤ハル刀自がお国替えになられた後に、なくなった地方債が紛失した時の倍の価値をもって、伊藤家に戻ってきたのでした。

★信心させて頂きますと、心の眼が開かれていきます。正しい願いを持ち続けて、どこまでもあきらめることなく願い続けさせて頂きますと、そこにしっかりとした信念が出来てくるのです。

★また、信心させて頂いていても、人間ですから間違えることもあります。しかし、教えを頂いていますと、その改まりのスピードが早くなっていくのです。日々み教えを頂き、信念を築かせて頂きましょう。


★『体の調子が悪いときは、ものの味が狂うておろうが。ご信心も同じことで、ご信心が狂っておるときは、おかげの有難さが違うぞ』

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2015年07月11日

●信心辛抱

 初代教会長伊藤徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長伊藤コウ師は、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は私達がみな引き受けて何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。

人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われ、連判状を御神殿にお供えされ、「神様、私を可愛がって下さいまして有り難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように」とお礼とお願いを申されました。

★信心辛抱はどれほど有難いことでしょうか。人生では色んな思いをしなければいけません。淋しい思いや辛い思いもありますが、それらを信心辛抱で有難く受け切って乗り越えさせて頂けましたら、人生が豊かになっていく結構なおかげを頂くことが出来ます。もし人のせいにして不平・不足ばかりを申しておりましたら、どうなるでしょうか。人を恨んで憎んで、腹を立てて暮らしておりましたら、決して結構なものは生まれてきません。「人を呪わば穴二つ」と言いますが、「人を呪わば穴一つ」です。呪った人間が落ちるだけのことです。

★徳と力を頂く最大の近道は信心辛抱をさせて頂くことです。それが徳と力を頂かせてもらう結構なご修行になっていくのです。「苦労は覚悟、苦労しがいのあるように」とお願いしてさせて頂いておりますと、苦労知らずのおかげを頂くことが出来ます。コウ師は「私は苦労らしい苦労はしておりません。お願いしてることは皆お願い以上のおかげを頂いていますから、それは苦労と言いません。」と仰せになりました。願いは諦めずに願い続け、最大限の努力と信心辛抱をさせて頂き、苦労知らずのおかげを蒙らせて頂きましょう。

★『辛抱しなさい。辛抱という棒は強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり、曲がったりしたらそれは辛抱じゃない。金光様は信心辛抱と言うてござったが、おかげを受けようと思えば辛抱でなければならん。信心は長う続かねばならん。長うて強い信心辛抱にはどのくらいのおかげを担えるやらわからんぞ。先を楽しんで信心辛抱させてもらいなさい。』

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2015年07月10日

●ご恩を知ってご恩に報いる

 昨日は、二代教会長・伊藤コウ師の33年廻れる例年祭をお仕え申し上げ、共々にお礼申させて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。また、今日7月10日は、伊藤コウ師のご母堂であり、伊藤家の信心の初めである伊藤ハル刀自の御命日です。

★伊藤ハル刀自、伊藤コウ師が、ご信心させて頂かれる上で一番大切になさっていたことは、親のご恩、地域社会のご恩等、日々受け続けている有形無形のご恩を、どこまでも忘れず、心から有り難くお礼申していく、ということであられたと思います。「恩知らずは恩詰まりになり、徳切れになる」と教えてくださり、ご恩を知ってご恩に報いる生活を徹底して心掛けられました。

★また、「喜び上手がおかげの頂き上手」だと教えて下さっておられます。阿倍野教会の布教当初は炊事場もなく、二階の物干しに場に七輪と水を持って上がって炊事をしなければならないような状態でした。それでも伊藤コウ師は、「世の中にはもっと厳しい生活を強いられている人がたくさんおられる中で、結構な生活をさせて頂いて有り難い」と、お礼申されたのでした。

★また、ご隠居様は、「私一代で、伊藤家のめぐりをお取り払い頂けますように。その為にはどんなご修行でもさせて頂きます。」とお願いなさり、「楽は望まぬ 苦労は 覚悟 苦労し甲斐のあるように」とのご精神で、伊藤家の信心の礎となるご修行を生涯貫かれたのでした。

★有り難いご信心につながる私たちも、日々信行に励ませて頂き、わがまま気まま、不平不足を少しずつでも取り除かせて頂くことを心がけさせて頂きましょう。み教えを元に生活させて頂き、めぐりを積む生き方にならないよう、徳の貯蓄をさせて頂けるよう、おかげを頂いてまいりたいと思います。

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2015年07月09日

●実意丁寧なご信心 

 本日午後2時より、二代教会長・伊藤コウ姫の33年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。ご家族揃ってお礼の参拝が出来られますよう、お祈り申し上げます。

★昨日は、みかげ会例会が開催され、井上氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。井上氏は、現在74歳という御年令でスチール家具全般の製造会社の社長という重責を担っておられます。

★昭和43年4月に金光教阿倍野教会で結婚式を挙げさせて頂いたことが、御神縁を頂いた初めであられたのです。奥様の母上、愛子氏が昭和29年にお導きを頂かれ、信心させて頂かれるようになられたのですが、その母上と同居なさって家内中が勢信心のおかげを頂かれたのでした。愛子氏は実意丁寧なお方で、現在95歳の今日まで、家族、親族知人の方々のことまで日々お願いなさっておられます。

★井上氏が社長に選ばれた時、前社長の意向により、幹部による投票という形で選ばれたのでした。当時井上氏は、取締役の末席であられたようです。「古番頭の居られる中、若い後継者を選ぶときに幹部の信任が得られるかどうか確かめる為に、幹部による投票という形を取られた」ということが後に判明し、前社長の手厚い配慮に感謝なさったのです。

★井上氏は、一昨年10月に三重県津市で会合があられ、その帰りの電車の中で腹痛が起こりました。次の駅で降りられ、改札口に着いた時にはあまりの痛さで、一瞬意識を失いかけられました。すぐに気が付かれ、駅員さんが走ってこられ救急車を呼ぼうとされたのですが、奥さんに連絡されてそのまま家に帰られました。翌朝総合病院に行かれ診察を受けられたのです。

診察の結果、左肋骨4本骨折、そのうち2本は完全にずれて肺細胞を傷つけ、空気が胸部に漏れ血液が溜まっているとのことでした。鎮痛剤でしか治療方法がなく、3日間眠れない日々を過ごされました。3日目に院長より「肺細胞からの空気の漏れは止まり、溜まっていた血液も少しずつ減少しているので、経過観察しましょう」と診断して頂かれ、大難を小難に小難を無難におまつり替え頂かれたのでした。

★井上氏は、毎週名張から参拝なさってお届けで五カ年計画成就のお願いをなさっておられます。また、出張に行かれる際には必ずお届けされ、会社や社員全体の事をお願いなさっておられますから、年々会社発展のおかげを頂かれ、お仕事の上にもお体の上にもお守り頂いておられるのですね。

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2015年07月08日

●時の信心よりは常の信心

『時の信心よりは常の信心。時の追い肥より常の地肥。時のお百度参りよりは、その日参りにおかげを受けるがよいぞ』

★人間は「なるだけ短期間で苦労せずに願いを成就させたい」とか「楽をして儲けたい」ということに気持ちが走ってしまいがちですが、長い年月をかけて目標を立て、大きなお願いを持つことが大切です。一時だけのことにとどめず心を改めて磨くことを長期にわたって続けさせて頂きましょう。

★〈商売繁盛の心構え 8箇条〉
1.朝はどこの店よりも早く起きる。
2.十万円の客より百円の客を大事にする。(小さな仕事だからと言って、粗末に扱うのではなく、小さな仕事こそ大切にさせて頂く。)
3.買った人が返品に来た時には、売る時よりも一層大切にする。
4.繁盛するに従って、ますます倹約をする。
5.小遣いは一円より記す。(どんぶり勘定をせず、収支のバランスを保たせて頂く。)
6.開店の初めの時を忘れない。(繁盛して結構になってくると、つい創業の時の厳しさや苦労を忘れ、楽を求めがちですが、油断をしないようにさせて頂く。)
7.同業の者も互いに好意を厚くして励むこと。(同業者に敵対心を持たず、大切にさせて頂く。)
8.のれん分けして出店する人があれば、常に面倒を見る。

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2015年07月07日

●人を助ける身にならせてもらう

『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい』とみ教え下さっておられます。信心しておかげを頂くとは、自分自身が改まることが出来ていくということであり、その改まりによって有難いことに自分自身も変わらせて頂き、周囲も変わらせて頂けるようになるということです。さらに自分のことは後にして、人の為に一生懸命に願わせて頂き、親切を尽くし、「相手の心になる」ことが出来るようになります。

★「相手の心を慮る」という言い方は聞きますが、二代教会長伊藤コウ師は「親切とは相手の心になるということです」とみ教え下さいました。「今まで人に迷惑ばっかりかけて、何のご恩返しも出来ていなかった人間でも、信心を本気になってさせて頂きましたら、人に迷惑を掛けないでいいようになり、人のことが願えるようになり、人のお世話が出来るようになってゆきます」とみ教え下さったのです。生き方が変わっていくお姿がおかげを頂いている姿なのです。

★『神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話しておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話しをしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ』

自分がおかげを頂いたことを実意丁寧に人に伝えていき、真の信心をしていくことが神様へのお礼になると仰っておられます。自分のことで精一杯で人のことを思わない在り方は、神様はお喜びになられません。世の中には苦しんでおられる方々がたくさんあられます。そういう方が皆結構におかげを頂いていかれますように、助かっていかれるように願わせて頂ける心になりたいと思わせて頂きます。

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2015年07月06日

●親を思い、親に孝養を尽くす

阿倍野教会の信徒総代をなさった山階芳太郎氏は、若い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんに育てられ、義理の弟さんが出来られました。その義母はいつも義弟ばかりを大事にし、自分は疎んじられていると思って僻んだ山階氏は、10代の終わりに家出をされ、30年間以上も音信不通となっていました。

成功して親を見返してやりたいという思いが強くあった山階氏は、小さな鉄工所を営んでおられましたが、多額の借金を抱え、公園でアイスを売って日銭をかせいで生活をしなければならない苦しい状態であられたのです。

★49才の時に伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)にお導き頂かれ、

「何十年も音信不通になっているとは、どれ程親は心配されていることでしょう。それは、親不孝の極みです。そこにあなたが結構にならない元があるのです。

根性を改めなさい!親の御恩のわからない人間にどうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!相手がどうあろうと、親は親です。まず両親にお詫びに行かせて頂き安心して頂きなさい。

これからは親孝行させて頂けるように改まりなさい。」と熱心にみ教え下さったのでした。

山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれ、早速実家に戻られ、お詫びをされました。それはどれほど勇気のいることだったでしょうか。しかし、何十年も心が離れてしまった状態であった為、なかなか信用して頂くことが出来られませんでした。

その中を、「親孝行出来ますように。」とお願いされながら、どこまでも真心で孝養を尽くされたのです。

★そうして一心にお詫びをなさり、道に落ちている古釘さえも拾って拝んでおし頂くようになられ、身を粉にして働かれたのでした。鉄工所は10年の間に目覚ましい発展を遂げ、従業員100名を超える大きな工場に繁盛のおかげを頂かれたのでした。

また、お義母さんには先々は安心して喜んで過ごして頂けるようにと南向きの一番良い部屋を用意させて頂かれたのでした。

★7月の信行期間の目標として掲げております通り、親を思い、親の為に真心を尽くしておりますと、結果全て自分に返ってくるのです。今の自分自身の生き方は親孝行になっているのか、今一度見つめ直し、親孝行ご恩返しに務めさせて頂きましょう。

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2015年07月05日

●神の一言

 あるご信者は入信当初、ちょうど戦後で世の中が混乱した時代ということもあり、教会へ参拝された際に下駄が盗まれるということが7回も起こったそうです。それも、新しい下駄、立派な下駄を下ろした時に決まって盗まれたのです。初めは、「神様に参ってなぜ下駄が盗まれるのだろう」と不足に思っておられたようです。しかし、日々み教えを頂いてゆかれるうちに、お広前で「自分には新しい下駄をはく資格がない。分不相応なのだ」と神様から心に思わせて頂かれたのです。

★そして、「神様からお許しがあるまでは新しい下駄をはかない」とご修行を決め、何と自ら下駄を作って参拝されるようになられました。更に、禁酒、禁煙、遊びも一切やめるようにご修行を決められ、分相応の生活に改まってゆかれると、次第に家庭は円満に、商売も繁盛させて頂くおかげを頂かれたのです。

★そのように、自らご修行を決めて取り組まれ、結構に改まっていかれる姿が信心のよいお手本となられ、姉妹や、近所の方々のおみちびきが次々と出来ていかれたのでした。

★このお道では、「家業が行」と教えて頂いております。いつでも、どこでも、誰でも、その心構えを忘れずにご祈念してさせて頂きさえすれば、ご修行となるのです。例えば、いつでも目の前の人を拝む稽古をします。「自分が人から良く思われたい」という心は横に置いておいて、まずは自分が人の良いところを見、相手を立てることを心がけさせて頂くことは、生涯かけて取り組ませて頂く結構なご修行になります。小さなところからコツコツと、取り組ませて頂きましょう。

『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2015年07月04日

●自己の不行き届きを悟る 

 私の娘が1才になった頃に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、泣きじゃくる娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に下りる廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。

そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番悪うございました。申し訳ございませんでした」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。病院でレントゲンをとって頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの有り難い診断でした。

★早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。

★何か起きてきた時に、人を責めるのではなく、まず自分自身を省みて、自己の不行き届きを悟り、お詫びさせて頂くことが大切なのです。また、常平生からお願いさせて頂いておりますと、何か起きてきた時に「これがおかげである」と思わせて頂くことができるのです。

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2015年07月03日

●お徳を包んで持ち帰る

 御隠居様(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)は、毎日風呂敷を手さげの中に入れて日参をなされていました。コウ師が「なぜ風呂敷を手さげの中に入れて参拝なされるのですか。」とお尋ねになりますと、御隠居様は「わが家のめぐりを包んでお参りして、お広前でそのめぐりをお取り払い頂いて、お徳を包んで持って帰らせて頂く。日々そういう心構えでお参りをさせて頂いているのですよ。」と仰ったそうです。

★阿倍野教会では日参と聴教を大切にさせて頂いております。日参と聴教のお徳を頂いていく生き方を積み重ねている人と、めぐりを積む生き方を積み重ねている人とでは大きな違いがあります。1回1回の参拝ではその差は分からないかもしれませんが、「点滴岩を穿つ」と言いますように5年10年と続けさせて頂きましたら、その結果は大きく目に見える形で現れていきます。だから日参と聴教が大切なのです。毎日めぐりをお取り払い頂いて、日参と聴教のお徳を頂く生活を続けさせて頂き、その有難い積み重ねをさせて頂きましょう。

★お広前というところは私心を置いて神心を頂いて帰れる場所です。さらに我情我欲をお取り払い頂く場所であり、神様からみ教えを頂いて帰れる場所であります。『信心は日々の改まりが第一ぞ。』と教えて頂いております。また、『わが心さえ改めればいくらでもおかげが頂ける。』とも教えて頂いております。み教えを頂いて自分自身の心を改め磨かせて頂くことが出来る参拝にならせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年07月02日

●疑う心を去っておかげを頂く

あるご信者は、嚥下が出来なくなる(飲み込む事が出来ない)状態に悩んでおられました。

喉には神経が通っているので、唾液でも飲み込むことが出来ますが、ご信者はその神経が麻痺してしまわれたのです。

様々な検査を受けられましたが、原因不明で根本的治療は不可能ということで、医師より胃ろうの手術を行う事を勧められたのです。

ご信者は決断を迫られ、ご家族と共に二代教会長伊藤コウ師にご面会を願われました。そこで応接間に通して頂かれて、コウ師よりみ教えを頂かれたのでした。

「まず今日命があることがおかげです。手足が自由に動くこと、耳が聞こえ、目が見えること、また、今の症状が出るまでは何不自由なく飲食させて頂いてきたことも、大変なおかげであったということを、よくよく分からせて頂きましょう。

今日頂いているおかげにお礼を申し、お礼の足りないお詫びをしっかり申させて頂きましょう。」と仰せになられました。

★そして、ご信者とご家族にジュースを出されました。奥様は、ジュースを頂こうとするご信者の口の下にタオルを添えられました。すると、今まで飲み込めなかったご信者が “ゴクンッ!”とジュースを頂くことが出来られたのです。

ご信者はコップに入っていたジュースを全て頂かれましたが、まだ信じられない状態で隣の奥様のジュースまで頂かれました。なんと全て飲む事が出来られ、それからは、喉の神経が通う様になって嚥下がさせて頂かれるようになられたのでした。そして医師より胃ろうの手術をする必要はないと言って頂くおかげを蒙られたのでした。

★信行期間中、阿倍野教会では毎朝御洗米を炊いて頂いております。御洗米とは、御神殿にお供えしたお鏡餅を小さく切り、御神酒で清めご祈念を込めたものです。「この御洗米を頂いて体中の悪毒・病毒をお取り払い頂こうと!」と心から有難く頂き、体質・性質改善のおかげを頂きましょう。

疑う心を去って真剣にお願いすれば、神様のおかげは無尽蔵ですよ。

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2015年07月01日

●今日から信行期間が始まります!

「親を思う真剣な信心」という目標を掲げさせて頂き、今日から信行期間に入らせて頂きました。それぞれにご修行を決めさせて頂き、一歩でも二歩でも信心が向上させて頂けますよう、信行に励ませて頂きたいと思います。

★先日、一日に二件の手術のお届けがありました。一方のご信者は、人工股関節に置換する手術を受けられ、もう一人のご信者は、手首から先の血管が壊死した状態になっておられ、血管を再生する手術を受けられたのでした。いずれの方も無事成功のおかげを頂かれ、有り難いこととお礼申させて頂きました。それと同時に、手も足も思うように動かせて頂けることは何と有り難いことか、決して当たり前ではないということを改めて教えて頂いたことでした。

★信行期間は、お願いをしっかりと立てさせて頂き、その願い成就に向けて、お礼の信行に励む心にならせて頂くことが、一番の根本になります。今日まで結構におかげを頂き続けているお礼に、一回でも多くお参りをさせて頂いてみ教えを頂き、お礼の御用にお使い頂き、お導きに励ませて頂きたいと思います。

「ご修行させて頂く」と言いましても、命を頂いているからこそのことです。ましてや、参拝させて頂ける、御用させて頂けるということは、体の上にも、時間の上にも、家族を初め周囲の方々の理解を頂くという上にも、おかげを頂いてのことですね。神様に喜んで頂けるようなお礼をしっかりと申せる信心に進ませて頂けますよう、ご修行に励ませて頂きましょう。

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