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2015年06月30日

●実意を以って願う

ある修行生が御本部主催の会合に参加する為、大阪センターまで行かせて頂きました。印鑑を持参して下さいとのことでしたので、持って行かせて頂いたら交通費を支給して下さったということで「どうさせて頂いたらよろしいでしょうか?」と尋ねてきました。

★私も以前同じ経験をさせて頂きました。当時の大阪センターは、あるお教会の一部をセンターが借りておられました。別の先生の様子を見させて頂きましたら、そちらのお教会のお賽銭箱に交通費を頂いた封筒のまま入れておられましたので、同じようにさせて頂きました。

★阿倍野教会に帰らせて頂き、三代教会長先生にそのことをお話させて頂きましたら「頂いといたらいいのに。」と仰っしゃられたのです。どういうご意味かなと思っておりましたら、「あんたは考えが小さいな。有難く頂いておいて、御本部に十倍にして御礼を返したらよろしい。」とみ教え下さいました。

その時に「本当に自分の考えが小さいなあ、情けないなあ。」と目が覚める思いが致しました。改めて御献備を用意させて頂いて、御本部にお供えさせて頂いたことでした。そのことを修行生にお話させて頂きましたら「そんなことは思いもしませんでした。」と驚いておりました。

★自分自身に教えて頂いた内容を自分のものにさせて頂いて、生活の上に行いにして現わしていく、それが出来てこそ分かったということになるわけです。小さなことでも積み上げて生涯続けていくということが出来ていけば、大きな意味のあることになっていきます。
とにかくコツコツ続けて、形にして現わしていかなければ、そこに意味も信念も出来てきません。良い事をずっと続けさせて頂くということが大切です。

★『願うとは真の値で買うということ』と教えて頂いておりますが、その真・真心をどういう風に現わさせて頂くかということが日々の信心の稽古です。み教えをしっかり頂いて天地の道理に即した生活に改まらせて頂きましょう。

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2015年06月29日

●親の願いを自分の願いとする

 二代教会長伊藤コウ師は、三代教会長先生の奥様に「朝から晩までああしなさい、こうしなさいと私に言われているけれど、先々は必ず結構になります。私が請け負います。私がいなくなった時に私の心はすべてあなたに移っています。だから、あなたが御用する時は私も一緒にしていることになるのです。あなたの心に私が生きているのですから、きっと結構になります。今の辛抱が先の幸せにつながるのです。朝はゆっくり寝て何もせんでもよいと言えば楽かもしれないが、それでは結構にはなれないのです。」と仰せになっておられたのでした。

★奥様は厳しいご修行の中でも、今日まで出産以外一度も入院なさることなく、日々お元気で御用下さっております。現在は「辛抱しなさいと言われたので、自分が辛抱したように思っていましたが、それは間違いでありました。私が辛抱して頂いてきたのです。よう私のようなものを二代教会長先生、三代教会長先生は辛抱して下さったことです。有難いことです。」と顧みて仰っておられます。

★「あんなことを言われた、こんなことを言われた…。」といつまでも不足に思い恨み続けますと、心に生き続けるどころか、反対に心で人を殺すことになってしまうのです。いつまでたっても不足に思っておりますと、その不足心が次の代、次の代へと伝わってしまうのですよ。有難いものを伝えさせて頂くためには、何事に於いても「有難い、有難い」と有難いの一心で受け切らせて頂きますと、将来が結構になってくるのです。

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2015年06月28日

●本当の幸せとは?

 役所に勤めている私の知人は、保健婦の仕事の一環として独居老人の家を定期的に訪ねているそうです。「色んな方がおられるなかで、『この人は喜んで日々を過ごして、あまり愚痴不足も言わず、心豊かに過ごしておられるな』と感じる人の中には、金光様のお社を祀っている方が多いんですよ。」と、話しておられたのでした。

さらに「年金が高くなると、理性でおさえていたことが、たががはずれたように抑制がきかなくなって出てしまうことが多くなりますが、そういうことがあられないですね」それは教えを頂き続けておられるからでしょうね。」と続けて話され、大変有り難いことと、聴かせて頂いたことでした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「難儀が起きてきた時に、逃げずに辛抱し元気な心でその難儀を打ち破っていく徳と力を頂き、乗り越えていく人こそが世の中で一番幸せな者である。」とおっしゃっておられます。神様が与えて下さるご修行は、「この人間なら」と見込んで頂いている証拠なのです。

自分の至らない部分は、人からも、神様からも厳しく教えて頂き、わずかな過ちも正して頂き、生活全般を改まるよう仕向けて頂くことは幸せなことなのです。反対に、辛い事、厳しいことから逃げ、勝手気ままをしながら、なんとなくその場をしのいでしまうことを続けることは、先の不幸せを生む生き方になってしまうのです。

★み教えを心に頂いて、一歩ずつでも有り難い方向に進ませて頂くことによって、先が開けてゆくのです。日々お取次を頂き、一生懸命にみ教えを実行させて頂くうちに、生き方そのものがみ教えの通りに近付いてゆき、心身ともに豊かな生活を送れるようにならせて頂けるのです。

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2015年06月27日

●反省と改まり

 「職場で問題が起こりましたが、大きな問題になるところを小さなことで済ませて頂きました。有難うございました。でも、私がもっと気を付けていればこのようなことは防げたはずです。反省しております。それにも関らず、周囲の方々は慰めて下さって、申し訳ないやら、勿体ないやら…。お礼とお詫びばかりです…。」とのお届けでした。

★人間は反省と改まりをしなければ成長することは出来ません。そのために神様がお気付け(気つけ薬)を下さるのです。お気付けとは人をお育て下さるためのもので、決して怖がるものではありません。小さなことで現わして下さって、大きなことにならないように事前に気付かせて下さるのです。もし、自分のご無礼不行き届きがそのまま現れてきたらどうでしょうか。

もしかしたら、一家離散したり、命を失うまでのことにならないとも限りません。そうではなくて、ずっと軽い状態で現わして下さり「こんなことをしていてはご無礼が重なってしまうぞ。めぐりを積んでしまうぞ。今のうちに気が付いて改まりなさいよ。」との思召しで教えて下さっているのがお気付けなのです。

★もし赤ちゃんがはさみで遊んでいましたら、親は怪我をする前につねってでも教えようとします。これは親の愛の現れです。神様も御慈愛の中で私達氏子を隅々まで見て下さり、付きについて守って下さり、教えて下さっているのです。ですから、お気付けは罰が当たっているのではありません。お気付け通して更に信心が進むおかげを頂けるようにならせて頂きましょう。

★『一年三百六十五日のことを正月元日に頼みおき、また、月三十日のことは朔日に頼みおき、一日のことは朝頼みおけ。病んだる時の信心は願いなり。病まぬ時の信心第一。』と教えて下さっておられますが、これは願いのある人の生き方です。先々このようになりたいという願いがあられ、計画を立てて生きておられますから、今日一日どのように過ごせばよいかということが分かっているのです。

さらに今日一日のことをお願いさせて頂く為には、前日のことを振り返る必要がありますね。そして一日の終わりにお礼とお詫びと明日のお願いのお届けをさせて頂きます。そういう風に一日一日の反省と改まりが積み重なってひと月となり一年になるのです。常に自分自身を客観的に見直させて頂き、反省と改まりを重ね、その日その日のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年06月26日

●地を肥やし、信心の根張りを強くする 

 木を植えても、根が張らずに花が咲くと、実がならないで散ってしまうそうです。植えてすぐの根は、栄養を吸い上げにくく、栄養を木に溜め込む力がありません。根が張ると長く続いて大きな実がなってゆきます。

★これはまさに、信心にも同じことが言えます。本当のご修行をさせて頂いて、花が咲き、実がなってゆくためには、信心の根張りをしっかりとしておかなければなりません。 それには長い年月がかかります。根気強く願い続け、その労をいとわず地を肥やす信心をさせて頂きましょう。

一時に獲得しようと焦ったり、付け焼刃(にわかじこみ・まにあわせ)の信心では、迷いやすく、長期にわたっておかげを頂き続け、子孫も繁盛し家も繁盛させて頂けるような姿になることは出来ません。自ずと身に付いて離れないようになることが大切であるのです。

★そして、信心の根張りを強くするには、心行をさせて頂くのです。行には水や火の行など様々な表行(わぎょう)がありますが、金光教のみ教えでは『表行よりも心行をせよ』と教えて頂いています。私達は、毎日の生活の中で、それぞれ目の前にご修行を与えて頂いています。その事柄に対して、何事も有難くさせて頂く事が心行となるのです。

そのご修行から逃げて、寒中に水をかぶる等の表行をしていても、それはただの『迷い』であると金光様ははっきりとみ教え下さっています。日々起こりくる出来事をご修行とさせて頂き、み教えを頂いて、しっかりとした根を張り、花が咲き、大きな実がなってゆく信心をさせて頂きましょう。

『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、誰にも言わずに行えば、これ心行なり』

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2015年06月25日

●相共に助かるように

 人にはそれぞれの思いがあり、様々な都合を抱えて生活させて頂いておりますから、一言に「願い」といっても実に多種多様なものです。そのような多種多様の願いのあることをお分かりになった上で、天地の親神様は一部分の限られた人が助かることを願っておられるのではなく、世界中の人々全てが助かり、繁盛することを願って下さっておられるのです。

★昭和三十四年六月、アメリカのシカゴ大学の宗教学者・ビーバー博士が、御本部を訪問され、お結界に進まれて、「日本の人々だけではなく、世界中の人々に対して、何かメッセージがありましたら聞かせてください」と願われ、三代金光様は、「いろいろ願いがありますから、そのご都合を頂かれますよう、お願いいたしております」とお答えになられ、博士は得心なさったということです。教組生神金光大神様は、神様のご都合を頂くことによって、一人一人の願いが、天地の調和の中に叶えられていくことをどこまでも願って下さっておられるのです。

★今年は戦後70年という年にあたります。世界中が平和でありますように、争いがあるがなくなるにはどうしたらよいか?不平等や人種差別がなくなるにはどうしたらよいか?国と国とが良い関係を保つためにはどうしたらよいか?いろいろと尽きる思いはありませんが、私たち一人一人も、自分の助かりのみを願うのではなく、目の前の人の助かりを願わせて頂きたいと思います。「相手あっての自分」ということが分かりますと、感謝の心、謙虚な心が自然と生まれ、自分も相手も共に助かる世界が生まれるのです。

★また、神様の思し召しを有り難く頂き、ご都合お繰り合わせを頂く生き方を身に付けさせて頂けるよう、日々み教えを頂き稽古させて頂きましょう。

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2015年06月24日

●懐妊の御礼届け 

 先日、あるお方が懐妊のお礼のお届けをされました。そのお方はずっと懐妊のお願いをされていたのですが、無事に懐妊なさるまでは時間がかかられたのです。しかし、それは神様が心や身体の準備の期間を与えて下さっていたのですね。懐妊のお願いをさせて頂くのならば、出産に耐え得るだけの身体や心持ちに整えてゆかねばなりません。『物ごとに時節を待たず苦をすること』とみ教えにありますように、準備をせずに物事に当たり、苦悩を生み出してしまうことのないように、何事も準備が大切です。

★そのお方にお礼、お詫び、お願いの仕方を紙に書いてお伝えさせて頂いたことでした。まず、「懐妊のおかげを頂きまして、有難うございます。只今、妊娠○周目にならせて頂きます。有難うございます」とお礼を申させて頂きます。

★次に「今日まで親様にお祈り頂き、お育て頂きながら、その有難いことも分からず、お礼の足りませんことをお詫びを申し上げます。知った上でのご無礼、知らず知らずのご無礼をお詫び申し上げます」とお詫び申し上げます。自分が子どもを授かって初めて、今までお育て頂いたことの有難さを体感させて頂けます。だからこそ、そのお礼・お詫びをしっかりと申し上げることが出来るのです。

★その上で、「神様から授けて頂いたこのお命を、健康で五体満足に出産させて頂けますように。予定日は○月○日ですが、一番良い日時に出産させて頂けますように」とお願いさせて頂くのです。人間が出産の日を決められるのではありません。医師、助産師の方々の都合や家族の都合など、自分の力ではどうにもならない事は、神様のおかげを頂いてゆかねばなりません。

そして最後は「どうぞ私達夫婦も、立派に子どもを養育させて頂けるだけの徳と力が頂けますように。そのようなご信心をさせて下さい」とお願いさせて頂くのです。親としての自覚を持ち、子どもと共に親も成長させて頂かねばなりません。このように、お礼・お詫び・お願いを立てさせて頂き、その方向に向けて進歩・向上させて頂くことが大切ですね。

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2015年06月23日

●及第点を取れるように

 先日あるお方が、車の接触事故に遭ったところを、自分の車は全くの無傷で、大難を無難におかげを頂かれたとお礼届けをなさいました。相手の方も、ナンバープレートが少し曲がった程度で済ませて頂かれたそうです。

「事故にあった瞬間、前日の朝のお説教で交通事故にまつわるみ教えを頂いたことを思い出させて頂きました。後方から接触されたので、こちらに一切非はなかったのですが、み教えを頂いておりましたおかげで、相手の方を責めるような気持ちが一切起こりませんでした。有り難うございました。」と、結構なお礼届けが出来られたのでした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「今日は神様のご試験で落第点を取ってはいまいか。及第点を頂くことが出来ただろうかと、一日の終わりに反省しております。」とおっしゃいました。何かことが起こったときに、その人の信心の程度が現れてくるのです。信心が進んでおりませんと、問題が問題を呼び、体を壊したり、人間関係がこじれたり、というようなことが起こってきます。

修行が足りない状態は怪我をしやすいものです。トラブルにも巻き込まれてしまいます。信心が進んできますと、問題が起きてもそこから更なるおかげを頂く方向へと、瞬時に舵取りが出来るようになってくるのです。

★『難はみかげ』とみ教え頂いておりますように、問題にあたり、自分の信心の程度を分からせて頂き、改まりの機会を与えて頂くことは、とても有り難いことです。み教えの鏡に照らして自分を見つめ直させて頂き、「本物の信心をさせて下さい」との願いを常に持ち続けさせて頂いて、日々信心の稽古に励ませて頂きましょう。

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2015年06月22日

●お取次を頂き、おかげを頂く道

6月21日は、73歳でお国替えなさった内尾節子氏の御命日でありました。この方は阿倍野教会で祭典の楽の御用をなさっておられた田中増江氏の娘さんにあたり、3代目の信心であられましたが、縁あって大分県に嫁がれました。阿倍野教会の毎月の御本部御礼参拝には日を合わせて大分県より参拝され、また春秋の御大祭には信心友達である陶山氏の家に泊めて頂いて参拝する熱心なご信者であられたのです。

★晩年、内尾氏は癌を患われ、末期状態であるということが判明し、ホスピスで治療を受けられることとなったのです。ある日内尾氏の娘さんから陶山氏に連絡があり、「母が陶山さんに会いたがっていたのでお見舞いに来て欲しい」とのことでした。その時の内尾氏は昏睡状態で食事も出来られず、意識が無い状態が続いておられたそうで、いつどうなってもおかしくないとのことでした。

陶山氏は早速教会へお届けされますと「是非行ってあげなさい」とみ教えを頂かれ、会いに行かれました。すると、会いに行かれた日は意識が回復しておられ、内尾氏は待ちかねていたかのように大変喜んで歓談が出来られたのです。更に昼食が用意されましたら「美味しい、美味しい。」と完食することが出来られたのでした。

内尾氏は陶山氏に会われた3時間だけ意識を取り戻されたということでした。その後、お国替えなさるまで話が出来る状態になるということはあられなかったのでした。

★陶山氏のお宅では娘さんの承諾を受けて、内尾氏の御霊神を自宅の霊舎に合祀して頂かれ、現在でも日々御霊前で拝礼しておられます。

★このお道は生神金光大神様のお取次ぎを頂いて天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂ける有難いお道です。大切なのは生神金光大神様のお取次を願うということ、お取次ぎによっておかげを頂いていくということです。ここがこのお道の神髄でありますから決して外してはいけません。

『願うことは何事も、かなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』と教えて頂いております。お取次頂くということは大変有難いことでございます。何をするにも教会のお結界でお取次ぎを頂き「金光様!」と心中御祈念してさせて頂き、有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2015年06月21日

●頂いたみ教えを素直に頂く

 学校に勤めさせて頂いていた時の話です。私が片側一車線の道を運転中に渋滞し、全く動かなくなり停滞しておりました。すると、反対車線の車が私の車だけに接触し、車体の右前から後まで側面を擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので、弁償させて頂きます。」とのことです。

「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、名刺を頂き、教会に帰らせて頂きました。三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいますので、私は「相手のお方が加害者で、全額弁償するとのことです。」と申し上げると、重ねて「あなたが支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。

★「はい、そのようにさせて頂きます。」とすぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。このことは私のこれまでの車、ガソリン、時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生の御口を通して神様がみ教え下されたのだと思い分けをして、「はい、その通りにさせて頂きます。」とお返事が出来たのでした。そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂きました。後に私は何度も、命のないところを危険からのがれさせて頂いて、助けて頂いたのです。

★頂いたみ教えを素直に有難く頂けるか否かは、受け物によります。頂いたみ教えを有難く頂く心にならせて頂きますと、神様は必ず守って下さるのです。神様は私達に助かってほしいと願って下さっておられるのにも関わらず、み教えを素直に頂かずに不足に思いますと、おかげを落とし続けることになるのです。神様を目当てにした生き方をさせて頂いておりますと、自分自身に今必要なみ教えだと素直に有難く頂くことが出来、全てに間に合うように整えて下さるのですね。

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2015年06月20日

●先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るもの 

 二代金光様のみ教え『(桂松平師に対せられ)「桂さん、世の中に何が一番怖ろしいかな。」と問われた時「昔から地震・雷・火事・親父と申しまする。私もそれが怖ろしうございます」と申し上げたところ「そうじゃなぁ。それもあるが世の中に徳切れということがある。徳切れほど怖ろしいものはない」』

★二代教会長伊藤コウ師は、「徳切れの姿になると、八方塞がりになるのです。生きたくても生きられん、死にたくても死なれん、というような状況になってしまいます」とみ教えを下さったことを思い出します。また、二代金光様は続けて説いて下さっておられ、徳切れになると黒いものが白く見え、白いものが黒く見え、正しいことが嫌いになり、間違った生き方が当たり前になってしまうことが大変恐ろしいことだと教えて下さっているのです。

★先日あるご信者がお届けなさり、「私はご信心させて頂いて有難いお徳を積ませて頂き、子どもや孫に良いことが伝わっていきますようお願いさせて頂いております。しっかりと信心させて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します」とお願いなさいました。大変有難いお願いであると思わせて頂きます。それは財産や土地といった物を残したとしても、徳切れになってしまっては後々立ち行きません。何を子孫に残させて頂いたらよいのか、それはこの世で積ませて頂いたお徳であるのです。

★『先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』

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2015年06月19日

●改まるべきは自分

 先日ある方が、「我が家の敷地内の駐車場によその犬の糞がありまして、道路ならまだしも、なんと非常識な飼い主もいるものかと驚きました・・・」と、話しておられました。腹を立てても仕方のないような状況とも言えるでしょうね。

★しかし、自分の家の敷地内は困るけれども、道路なら良いのでしょうか?その家庭も犬を飼っておられます。散歩につれて行き他所で排泄させるのが常です。犬の小便の後始末にペットボトルを持ち歩いて少しは水で洗い流していると言っても、どれほどのことが出来ているでしょうか?自分の家の敷地内では排泄させないけれども、道路なら良いのでしょうか?天地の親神様のお体である大地を汚すことには変わりないのです。我が身を振り返って見直しをしてゆくことが必要だと神様は教えて下さっているのでしょうね。

★誰でも、他人のことは細部が見えるのに、自分の姿は客観的に見ることが出来ず、「あの人はもっとあそこを改まったらいいのに」などと、思ってしまいがちです。腹が立っては、尚更自分のことが見えなくなりますね。批判の矛先を自分に向けるということはなかなか難しいのです。「人には寛大に、自分には厳しく」という内容は、生涯のご修行でもあります。そこで、日々み教えを頂き、み教えの鏡に照らして自分の姿を見直しをさせて頂くことが大切なのです。ご信心させて頂いているつもりでも、み教えを頂かず、自分の分かった範囲だけで「これでよし」としていては、勝手気ままが増大して、どうにも鼻持ちならない姿になってしまわないとも限りません。

★自分は日々どれ程のお許しを神様から頂いているのか?頂いているおかげに対して、お礼もお詫びもどれ程足りていないのか?ということを悟らせて頂き、改まりの材料とさせて頂くのです。そして、自分自身が、子供として、親として、あるいは夫として、妻として、「真の信心をさせて頂ける氏子にならせて下さい!」と生涯かけて願い続け、稽古させて頂きましょう。

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2015年06月18日

●たらいの信心

 二代教会長伊藤コウ師の御結界に、あるご婦人がお届けに来られました。「母が嫁入り道具に持たせてくれた大切な着物をある人に貸したら、一年経っても返してくれません。それが元で家族中で喧嘩になり、困っております。どうぞ返して頂けますように」というお願いでした。

伊藤コウ師は「人に物を貸す時は、あげても惜しくないかということを考えてすることですよ。相手が着物を貸してほしいと要求してこられて、この着物をあげたとしても惜しくないなら、貸してあげられたら良いのです。けれども、あげてしまうのは惜しい。何かの折に、その着物を着て親の家に行ったら、親はいつまでも大切にしてくれていると安心する。だから、この着物は私の手元から、離すことはできないと思うのだったら、絶対に貸したらいけません。

しかし周りを見回してみて、戦争であちこちに焼夷弾が落ち、多くの方が焼け出されて難渋しておられるこの世の中に、こんなきれいな着物はもう要らない。あの家が生活に困っておられるのだから、この着物も焼けてしまったと思えば惜しくない。これが先方さんのお役に立って、助かって頂ければそれで良い、と思えるなら、貸してあげたらよろしい。そこをこのお道ははっきり教えて下さっているのですよ」とお話し下さり、ご信者は得心して帰られたのでした。

★相手に助かってもらいたいと思う一方で、心のどこかに「礼を言ってほしい、恩にきてほしい」という気持ちがありますと、惜しいという気持ちが出て来て、自分の心も悩ませ、めぐりを積むことになります。本当に心の底から相手の事を願わせて頂きますと、おかげとなっていくのです。『たらいの信心』とみ教え頂いておりますように、その人からではなく、他所から返ってくるのです。分相応を心がけ、日々み教えを頂き、身近なところから心の持ち方を稽古させて頂くことが大切ですね。

★『真あれば徳ありと言うてあろうが。真で損をするように思うのはやっぱり真が足らんのぞ。恨みに報いるに徳を以ってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ』

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2015年06月17日

●家の機関車となって

『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。』

★二代教会長・伊藤コウ師のお結界にあるご信者がお届けなさり、「女に生まれて実につまらんことです。朝から晩まで台所仕事ばかりで、地味で目立たない仕事です。いくらやってもその場限りで、お金にもなりませんし…」とおっしゃったそうです。

★伊藤コウ師は、身震いする思いでその内容をお聞きになり、「どのようにすればこの女性に理解してもらえるでしょうか。神様どうぞ正しく伝えさせて頂けますように。」と御祈念なさってからお話しになりました。

「汽車に例えたら女性はもっとも重要な機関車といえます。食事を作り、洗濯をすることで、家族の心と体の健康を保つのです。女性が家の仕事を責任持ってさせて頂くことによって、子どもは健康でお役に立つ人間に成長し、家族はそれぞれの働きを十分にさせて頂くことが出来るようになるのです。

そこを疎かにしてしまうと家がもちません。女性の役割ほど尊いものはありませんよ。」とみ教えになったのでした。女性の信心が、神様のお楽しみ・お喜びです。家の家老として、み教えに基づいて正しく舵取りをすれば、家中皆が助かるのですね。

★婦人の五徳 
1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。
2)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。
3)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、自身の改まりを心掛ける。
4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。
5)よく尊敬する…神様、御霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。

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2015年06月16日

●有難き恐れ多きもったいなきご信心

金光教のお道では寄進勧化は一切致しません。教祖様は「氏子が助かりさえすればそれでよい。」と仰せになられました。御本部に参拝させて頂きましたら、御霊地がご信者皆様の真心でもって整えられた場所だということがよく分からせて頂きます。

御本部の広前会堂も修徳殿も奥城も境内地の全ての土地・建物が、寄付の強要なし分担金なしで真心からの浄財で建てられました。大祭場が建築された時に、高橋正雄先生は「この大祭場は誰のものでもない」と、はっきり仰せになられました。それは神様の建物、神様の境内地、そして氏子一人一人の真心の結晶であるから、誰のものでもないと仰せになられたのです。

★『有難き恐れ多き勿体なきの三きを供えて祈れ。一切の願い事を成就させてやる。』とみ教え下されておりますが、ご信心させて頂いて有難いということが本気で分からせて頂きましたら、「有難い」だけでは表現出来なくなってくるのです。

有難い、恐れ多い、もったいないという3つの言葉をそれぞれ辞書で引いてみますと、全てに「有難い」という意味もありますが、たとえば「恐れ多い」でしたら、ただ有難いというだけではなく、お詫びの心も含まれています。

「日々、おかげを頂き有難いことでございます。このような程度のご信心でありますのにおかげだけは頂き、恐れ多くもったいないことでございます。こんな程度では相済まんことですので、より一層ご信心が進ませて頂きますように、お願い申し上げます。」という風に、お礼を申すことと、お詫びを申すこと、さらにお願いをさせてもらうことが大切です。

★生涯かけてご修行させて頂くのがご信心です。ご信心をさせて頂き、有難いということを本気で分からせて頂き、真・真心を貫かせて頂く信心生活をさせて頂きましょう。

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2015年06月15日

●我流を戒め、姿勢を正す

昨日は、天候初め万事万端ご都合お繰り合わせ頂きまして、列車・バス共に無事運行させて頂き、教団独立記念祭参拝のおかげを蒙らせて頂きましたことは、誠に有難いことでございました。

★終戦直後は、二代教会長先生・三代教会長先生・ご信者1名の3人で御本部参拝をなさっておられました。当時は御大祭に参拝しても金光様にお供えさえて頂くお献備も、手のひらにおさまるくらいのごくわずかなお献備の数であったようです。

そこでコウ師は、「どうぞ毎月何としてでも御本部にお礼のお参りがさせて頂き、真心からのお供えがさせて頂けますように。」と願い続けられました。すると年勝りに参拝者数も奉献者数も増えさせて頂きました。現在は団体列車一列車とバス7台を併用して参拝のおかげを頂いています。

★私達は「御本部」のことを「御霊地」とも表現しますが、「本部」という言い方はしません。「御本部」への「御礼の参拝」を月々させて頂くのです。そして我流になっているところを戒め、考え違いをしていたところを改まり、生神金光大神様のご信心に習わせて頂いて姿勢を正していくのです。

★常に私達は横道へそれ易いものです。それが信心が進むにつれて修正するスピードが速くなってゆくのです。み教えに基づいてすばやく改まり修正が出来てゆくように、一段一段向上させて頂きましょう。

至らないところを改めていくことを御修行にさせて頂くことが日々の信心です。それには日々み教えを頂いて稽古していかねば、なかなか出来ることではありません。習字の手習いをして頂くことと同じで、清書に朱を入れて頂く如く、自分自身のあり方に朱を入れて頂くつもりでみ教えを頂くのです。

★初心に戻して下さる御本部御礼参拝を毎月続けさせて頂き、教祖様の御信心に少しでも近づかせて頂けるように有難い御神徳を蒙らせて頂きましょう。

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2015年06月13日

●一家がみな信心になるように

 先日あるお方が、お子さんの症状のことでお届けに来られました。そのお子さんは、もう社会人になっておられますが、学生の頃から、症状が出ては親に心配をかけることを繰り返してこられました。その親御さんに、

「あなたのお願いのなさり方は、まるで他人事のように聞こえますよ…。お子さんは、あなたの分身といってもいいでしょう。お子さんの症状は自分自身の日常の信心の現れとして、受け止めさせて頂くべきものです。自分のこれまでの信心を振り返り、至らぬところを神様にお詫びを申し、その中でおかげを受け続けてきたお礼を申し、気が付いたところからでも改まらせて頂きますので、どうぞおかげを頂かせて下さいと、お願いさせて頂くのが筋というものでしょう。決して他人事のように考えてはおかげになりませんよ」と、お話させて頂いたことでした。

★家族のことはもちろんのこと、人のことを真剣に祈らせて頂き、その人になり代わって、神様にお礼もお詫びもお願いもさせて頂くところに、真のおかげが現れるのです。良い手本になる信心をさせて頂き、信心が一粒万倍に広がっていくようおかげを頂いてまいりましょう。

★『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ』

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2015年06月12日

●信心辛抱

『一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。』

★先日、拝聴した昭和37年6月の二代教会長伊藤コウ師の御説教の中に、毎日何度も熱心にお参りなさって結構なご信心を身に頂かれた、あるご信者の話が出てきました。そのご信者の家が三人目の子宝を授かりたいということになった時に奥様が「家がこんな狭くては子供を産めません。」と言われたそうです。

その時にご信者は「私の信心が行き届きませんので、家内がこんなことを言ってしまい申し訳ございません。私が信心をもっとしっかり行き届いてさせて頂いて、家内中を正しい方向に引っ張って、有難い繁盛をさせて頂ける家にならせて頂けます様に。」と神様にお詫び・お願いをなさったのです。そして次のお子様が生まれるまでには、新しい家を買わせて頂けるおかげを頂かれたのでした。

★御説教の中で「『親のご無礼で子供がこうして幼いのに患います。かわいそうなことです。私の信心がしっかり出来るようになって、子供が達者にならせて頂けますように。』こういう心持ちがありますから、出来てくることが、みな結構なおかげになってゆくんですよ。

子孫も繁盛し家も繁盛していく基は信心辛抱ですよ」とコウ師がみ教え下されておられました。このご信者も自分が責任をすべて負って信心辛抱を率先してなされたから、子孫繁盛家繁盛のおかげを蒙られたのですね。

★よい手本になる人が1人2人3人と増えてゆかれましたら、周囲が次々と助かります。それは世の中が良い方向へ変わってゆく一粒の種となるということです。『実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ。』とみ教え下さっておられます。

阿倍野教会では実意丁寧正直親切とみ教え頂いておりますが、このみ教えはどのような時代でも変わらず大切にさせて頂かなければなりません。実意丁寧正直親切を心掛け、信心辛抱させて頂けるような信心向上のおかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2015年06月11日

●分相応を過ごさぬよう

 私が中学校に入学する前のことです。二代教会長伊藤コウ師が業務用のバリカンを私に買って下さいました。そして「そのバリカンを使って床屋に行ったつもりで貯金をしなさい。」と仰っしゃいました。それは無駄を省くことを教えて下さったのです。さらに「小さなお金を簡単に使わずに、先々大きなお金が必要になったときに使わせて頂けるような人間になりなさい。小遣いばかり使うのではなく、大遣いができるようになりなさい。その為に、つもり貯金をしなさい。床屋に行ったつもり、どこどこへ行ったつもり…というようにしたつもりで貯金させて頂きなさい」とみ教え下さったのでした。

★また私が高校生の頃、三代教会長先生より革靴を頂きました。「この革靴は、ご信者さんが真心込めてお供えなさったものですから使わせて頂きなさい。私には小さいので履けないから、足が入るようなら履かせて頂きなさい。」と仰っしゃったのです。そこで、早速その靴を履かせて頂きますと、私には随分大きいもので、指を何本か入れてもまだ余る状態でした。

三代教会長先生に「これは私には大きいのですが…」と申しますと「それなら靴の先に脱脂綿を詰めて履かせて頂きなさい。」と仰っしゃいました。仰せの通り脱脂綿を入れさせて頂いたのですが、靴を脱いだ時にその脱脂綿が靴下に付きどうしようもありません。そこで何とか工夫してその靴を履かせて頂けるよう、中敷きを敷いて履かせて頂きました。何年も履かせて頂いているうちに靴の底がすり減ったり、かかとを替える必要がでてきましたので、その度に当時晴明通りにあった靴の修理屋さんに持って行き、何度も修理して頂きました。

その修理屋の方が「これだけ修理されるなら新しいものに買い替えられたらどうですか。」と言われるほどに長く大切に履かせて頂きました。高校生から履かせて頂いて、14年以上も大切に履かせて頂くことが出来たのでした。そのことで分相応を教えて頂き、無駄のないようにさせて頂くことが、心豊かな生活をさせて頂く元である事を教えて頂いたのです。

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2015年06月10日

●有難いの一心で…

 あるお方は、脳卒中で倒れられた後にずっと寝込んでおられたところを、お導き頂かれてみ教えを頂かれるようになり、次々と快復のおかげを頂かれました。お宅祭もお仕えさせて頂けるようになり、大変有難い円満な生活にならせて頂かれました。しかし、その有難いご信心が子孫に伝わっていきませんでした。

★それはなぜだったのでしょうか?そのお方は家に帰ると、いつも口癖のように『二代教会長先生のみ教えは難しい。なかなかよう出来ない…』とばかり口癖のように言っておられたのです。それが習慣となってしまい、信心の有難いことが子どもや孫に伝わっていかなかったのでした。

★信心は、有難いの一心にならせて頂かねばなりません。その為には、素直な信心になることです。三代教会長先生は、本当の「素直」という姿には、賢くなければなれないものだとみ教えを下さっています。操り人形のように、言われたままにさせられるのではなく、本当に心底納得して自ら進んで行えるように、理解力と思い分けの出来る賢さが必要であるのです。

★先日のみかげ会でおかげ話をして下さった守口氏は、二代教会長伊藤コウ師から頂かれた厳しいみ教えを一生の宝として有難く頂かれ、何十年も後にそのみ教えを生かしておられます。その結果、大変有難いおかげを頂いておられるのです。有難いということが何よりも大切なのですね。

★『初めに聞いて有難かった話が、いつ聞いても有難かったら病なしの信心である。初めに聞いて有難かった話が有難う聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、三十、五十になってもおいしかったら病気はないのである。』(二代金光様のみ教え)

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2015年06月09日

●あるがままを受け入れる

 昨日はみかげ会例会が開催され、守口氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。大学生の時から朝参り、日参と聴教に励まれ、何事もお取次を頂いて、就職、転職、住宅の購入等、何事にもみ教えを素直に実行なさり、神様のご都合お繰り合わせを頂いてこられました。

★3年前の12月には、お取次を頂いて30年勤めた会社を55才で早期退職なさいました。それから就職活動をなさったのですが、思いもかけず3度の転職を繰り返すことになられたそうです。中には、会社側の都合で退職を余儀なくされたのにもかかわらず、「自己都合の理由で退職届けを出して下さい」といわれるような、理不尽な扱いを受けることもあられたそうです。

その時も、お結界でお届けなさいましたので、「二代教会長伊藤コウ師は『時は神なり』とおっしゃいました。短期間で退職になったのも神様のご都合頂いたのでしょう。あるがままを受け入れる、という姿勢が大切ですよ。」と、お話しさせて頂きました。

★守口氏は、み教えを素直に頂かれ、「あるがままを受け入れられた、教祖様のお心を万分の一でも習わせて頂く稽古をさせて頂こう」という心になられたのです。そして、間もなく始まる寒修行信行期間には、頂いたみ教えに基づいて信心目標を決められ、自らの場所を定められたのです。

次の就職活動に望まれますと、寒修行期間中に、現在の職場に就職のおかげを頂かれたのでした。以前の職場近くの通いなれた場所で、会社からも必要とされ、ご本人もとてもやりがいを感じておられる有り難い仕事に就いておられます。我情我欲を離れ、神様のお心に適うご信心に進ませて頂けるよう、稽古に励ませて頂きましょう。

★『病気災難があったからというて、にわかに神に信心を始めるよりは、常平生から手厚く信心しておれ。手厚い信者であれば、神から心配してやる。いかに大病じゃの九死じゃのという病難でも、絶頂をしのがして全快さしてやる。とかく信心は地を肥やせい』

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2015年06月08日

●生き死にを通して頂くおかげ

肉体の命には限りがありますが、御霊の働きは永遠です。肉体の働きが終わったら、何もなくなってしまうということではありません。生きている間は肉体の制限がありますので、行きたいところに行こうと思っても限界があります。ですが御霊とならせて頂きましたら、時間も空間も超えて、行きたいところに行かせて頂くことが出来、生き生きと働かせて頂くことが出来るのです。

★『死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。』とみ教え下されてありますが、死に際には「今から御霊の神となって生き生きと働かせて頂けますように。」とお願いさせて頂くのです。

★初代教会長、伊藤徳次師がお国替えされる直前に「おかげやで、おかげやで。」と仰せになりました。そのご意味は「私が御霊となるということは、これからより一層御霊として働かせてもらえるということです。これは伊藤の家にとっても、阿倍野教会にとっても、信奉者一同にとってもおかげですよ。」というご意味であられたと考えます。

そのお心をお受け取りになられた二代教会長、伊藤コウ師は「私が御用が出来ませんと投げ出してしまっては、主人の遺志を無駄にしてしまうことになる。何がなんでもご信心させて頂いておかげを頂かなければ!」と改めて決意なされ、涙を流している暇もない程に必死に御用して下さいました。

★また御隠居様が、ご自分の死期を悟られた時には「私が御霊になったら、教会の表の御用をしっかりと手伝わせて頂きます。もちろん裏の御用も手伝わせて頂きます。だからあなたは何も心配することはありませんよ。」とコウ師に仰せになられたのです。

★人の一生は様々です。長短も様々ですが、生かして頂いている間、神様から頂いている命を大切に生かして使わせて頂きましょう。私達はこの世に生を受ける時に、それぞれに神様から願いをかけて頂いております。

お役に立たせて頂ける有難い生涯になりますよう、生き死にを通しておかげを頂く為にも、一生が修行と心得てご信心に励ませて頂き、頂いた命を全うさせて頂きましょう。

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2015年06月07日

●苦労とは…

 先日、あるお方が「家庭でも職場でも様々な問題が起こってきて大変苦しいのです。どのように考えさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお届けされました。そこで「あなたは、現在ご修行をさせて頂ける環境において頂いて有難いですよ!神様が『おかげを頂かせてやろう。鍛えてやろう』と思し召し下さってのことですから大変有難いのです。

人間、どんな職業であっても、どんな家庭であっても、誰しも厳しいご修行をさせて頂くことが一生の内に必ず何度かあります。あなたの場合は、その何度かの内の一回が今なのですよ。家庭でも職場でもご修行させて頂く場を与えて頂いていることは大変有難い事です。『今この様にご修行の場を与えて頂きまして有難うございます。神様から可愛がって頂きまして有難うございます』という心持ちにならせて頂いて、元気な心を呼び起こしましょう!」とお話しさせて頂いたことでした。

★二代教会長伊藤コウ師は「いつかは苦労させて頂かねばならないと思っておりますが、私はまだ未だに苦労ということを知りません。苦労とは、思ったことが思った通りにならない、願ったことが願った通りにならないということを経験して苦労だと言えますが、私の場合は思ったことが思った通りになり、願ったことが願った以上のおかげを頂いておりますから、苦労らしい苦労はしておりません。ですから、おかげを頂いたおかげ話は出来ますが、苦労話は出来ません。」と仰せになりました。

★針の先でついたような出来事を「あぁ辛い…。あぁしんどい…。苦労ばっかりだ…。」と嘆く人と、全く動じずに平然としている人とあります。これは受け物の違いです。受け物をしっかりと作らせて頂かねば御神徳は頂くことは出来ません。生涯掛けて心を磨かせて頂き、どんなことでも有難く受け切らせて頂くだけの大きな受け物を作らせて頂きましょう。

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2015年06月06日

●人の助かりを先に願う 

 二代金光四神様は、ある時一人の信者に『人は欲しい、惜しい、憎い、可愛いという事を離れさえすれば楽じゃ』と仰せられました。

@欲しい…貪欲。金銭欲、名誉欲、自己顕示欲にふけること。
A惜しい…見返りを求めること。恩着せがましいこと。
B憎い…人を憎んだり恨んだりすること。
C可愛い…溺愛すること。または自己保身。
これらはいずれにしても我情我欲のことを仰っしゃっています。

★さらにその信者は、「我が子と他人の子と遊んでいる時に、二人同時に転げたら、どちらを先に起こせばよろしいでしょうか」と尋ねました。すると二代金光四神様は、『それは他人の子を先にせよ』とお答えになりました。「それでは余りにも我が子に情愛が薄うはございませんか」と申し上げると、『いやそれで情愛が厚いのじゃ、その心になれば我が子は神様が起こして下さる』とお諭し下されました。

★かわいそうな人を見たら、その助かりを神様にお願いせずにはいられないという心になりますと、自分自身の心が浄化され、神様に近付かせて頂くことが出来るのです。

★先日あるご信者が「すぐ近くに同業者のお店が出来ました」とお届けされました。そのお方に「“同業者”であって“商売敵”ではありませんよ。『互いに立ち行き、相乗効果で相手もこちらも共に繁盛させて頂けますように』とお願いさせて頂きましょう。相手の店が潰れても、こちらだけが繁盛したいなどと、決して悪いことを思ってはいけませんよ」とお話しさせて頂いたことです。

★「相手もこちらも共に助かり、立ち行きますように」という願いは神様に通じる願い方となります。「周囲はどうなっても、こちらだけ繁盛しますように」という願いは我情我欲です。お願いの立て方や信心の仕方を間違えてしまいますと、神様に通じてゆきません。人の事を先に願い、親切を尽くさせて頂くことが、神様へと通じてゆく正しい願い方であるのですね。

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2015年06月05日

●今日から良くなる!

私が金光教学院にご修行中に学院長として御用なさっておられました内田守昌師は大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「私の家族はどうなるのか」と、心配に捉われて不安で不安でたまらない日々を過ごしておられました。

★そんなある日松山先生の親奥様いち先生が、病院にお見舞いに来て下さり、『お願いしておりますよ。』と仰っしゃられたそうです。その瞬間そのお言葉がすとんと心に納まりました。

内田師は、「そうだ!御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中にすべておまかせしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。

涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたそうです。すると次の日に医師から「内田さん、薬が効いた!」と告げて頂かれ、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しくて美味しくて毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★「安心になるのもわが心、心配になるのもわが心」全てを生み出していくのはわが心からです。「今日から良くなる!明日は良くなる!明後日はもっと良くなる!」と毎朝毎晩自分に言い聞かせましょう。心が「有難いの一心」になりますように…。

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2015年06月04日

●苦しい時にこそ御礼を

先日あるお方が「身体が苦しい、しんどいという時にどのように御祈念させて頂いたらよいのでしょうか?」とお尋ねになりました。そのお方は腎臓病を患っておられ、少し動くとすぐに身体が疲れてしまい、すべき事がたくさんあると分かっていても、横にならねばならないのです。

そのお方に「しんどい時にも、『金光様、有り難うございます、有難うございます』と御礼を申す稽古をさせて頂きましょう。そうすれば、気持ちが楽になるだけでなく、身体も楽になってきます。『金光様、治して下さい。助けて下さい』とお願いばかりしてしまいがちですが、そこを『今日はこんな用事がさせて頂けました。有難うございます』と御礼を申すようにさせて頂くのです。

長年使わせて頂いている身体に対して、御礼を申すことが抜けてしまいがちですが、暇があれば御礼を申させて頂く稽古をさせて頂きましょう。それは『どうぞ信心させて下さい』とお願いさせて頂くのと同じことなのですよ」とお話しさせて頂いたことです。

★金光キクヨ姫様がよくぐずっていたお孫さんに、ある時お話をなさいますと、そのお孫さんがそれまでとは手のひらを返したように、急にぐずらなくなられたそうです。

「どのようなお話をして下さったのですか」とお尋ねしますと、「ぐずぐず言いたくなった時には、『金光様、金光様』とお願いさせてもらいなさいよ。それでもぐずぐず言ってしまう時には、言った後でもいいから『金光様、金光様』とお願いさせてもらいなさい。そうすると気持ちが穏やかになります。そして、さらに『どうぞ、信心させて下さい』とお願いさせてもらいなさい」と仰せになったそうです。

キクヨ姫様が小さな子どもに対して教えられたことですが、常に頂き直さねばならない内容は、大人も子どもも同じであるのですね。

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2015年06月03日

●人の優れた所に学ぶ

 金光教学院には、若い方から高齢の方まで、様々な年齢の方がご修行に入られます。私は大学を卒業し、高校に勤務させて頂いてからご修行に入らせて頂きましたが、中には高校を卒業したての方もおられました。

★ある日の夕食後、食器の後片付けをしていた時のことです。私は洗剤に手を滑らせて陶器のお湯飲みを落としてしまいました。お湯飲みは、一旦洗い場のコンクリートのふちに接触し、下に敷いてある木製のすのこに落ちてから、コンクリートの土間を転がりました。その瞬間、私は、「あ!」としか声が出ませんでしたが、横で同様に洗っていた若い同期の方は、「金光様!」と声に出して、とっさに御祈念して下さったのです。

お湯飲みは、割れることも欠けることもなくおかげを頂きました。その方に「あなたがご祈念をして下さったので、割れずにヒビも入らずおかげを頂きました。ありがとうございました」と御礼を申しました。私も常に心中ご祈念させて頂くよう心がけていたつもりでしたが、全く至らない信心であることを改めて痛感させられる出来事でした。

★お道のご信心にご縁を頂き、み教えを頂くことが出来るということは大変有り難いことです。み教えを頂かなければ、心は小さく小さく凝り固まっていくばかりです。自分はさも出来ているように勘違いをし、人の優れているところは見ようともせず、欠点の粗探しばかりして、より一層に傲慢不遜な態度になってしまいがちです。日々繰り返し繰り返しみ教えを頂き、ご神徳に満ちた広い世界に触れさせて頂くことによって、自分の小さい殻を破らせて頂くことが出来るのです。日参と聴教に励み、心を一層大きく広くさせて頂けますようおかげを頂きたいと思います。

★『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。』

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2015年06月02日

●何事も実意丁寧に

ある外国の時計の製造工場に勤めておられた少年のお話です。

最優秀な時計が出来てゆく職場で、その少年は優秀な工員さんに教えて頂いたことがありました。

1)最優秀な時計とは温度の変化によって早い遅いということが生じないこと。

2)ねじが強くかかっている時と、ねじが緩い時で早い遅いで違いがないこと。

3)時計が置いてある場所によって早い遅いがないこと。

その3つを教えてもらった少年は、この最優秀な時計のようになりたいと思ったのでした。そこで、暑い寒いと同僚が仕事を怠けていても自分はそんなことに負けてなるものかと、一生懸命打ち込んで仕事に精を出されたのでした。

また、給料を頂いたら同僚はすぐ使いたくなって遊ぶことを考えたり贅沢なことをするけれども、自分は目先の楽しみに負けてなるものかと、始末倹約を心掛けられたのでした。

さらに、人が見ていると一生懸命働き、見ていないと怠ける同僚がいたのですが、働く環境が変わっても不足を言わず打ち込んで仕事に励まれたのでした。このことを常に心掛けていますと、その少年は段々と会社で用いられ、ついにはその会社の社長になられたという話です。

★信心の上でも同じことで、毎日の生活で気候の変化や体調の良し悪し、また仕事の上に難しい仕事等、様々なことが起こってきます。そこを信心でもって何事にもお取次を頂き、どんな環境や気候の変化、体調の良し悪しに関わらず、実意丁寧に倦まずたゆまずコツコツと真面目に取り組む姿勢が大切です。

重責を与えて頂いたら「こんな責任の重い仕事は出来ません。」と愚痴を言ったり、反対に責任が軽かったら「私は力があるのに役不足だ!」等と、不足を言って、環境や人の言葉影響されてしまうようでは実意丁寧な生き方とは言えません。

いつも心穏やかにぶれることなく、どんなことでも対応させて頂けるだけの大きな受け物作りが大切です。そのことを心掛けておりますと、神様からご信用頂け、人から用いて頂くことが出来るのですね。

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2015年06月01日

●子供の成長・親の修行

ある先生が金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)に「うちの子供がやんちゃで困ります。障子をよく破るので注意しておりましたが、度重なるごとに怒鳴ってしまったり、叩いてしまいます。」とお届けをなさったそうです。

★すると、キクヨ姫様は「良い子じゃのう、元気な子じゃ。」と子供を褒められた後、「やんちゃするだけ元気なことだから喜ばねばならんじゃないか。2歳、3歳で外に働きに行くまい。小さい頃は親の手元におって、ガサゴソするのが仕事じゃ。やんちゃをしなくなると、水枕や体温計と走り回り、どうぞ一日も早く良くなってやんちゃをしてくれと言うであろう。」と仰せられ、次には「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。

その先生は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。するとキクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるではないか。破られたままにしておるから子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐに貼る。そうすると子供ながらに『私が一生懸命破っているのにお父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、破るということは良くないことだな』と思うようになり、破るのをやめる。」とおっしゃったそうです。

★そうしますと三か月程して破らなくなったのです。お礼のお届けをなさいますと「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にやんちゃをして破ったのを、今貼りよるんじゃと思って貼りなさい。子供はまた20年,30年したら貼らされますよ。」と笑いながら仰せになられたのでした。

★『家庭は器のようなものである』水は丸い物に入れれば丸く見え、四角の物に入れれば四角に見えます。環境によって姿を変えていくということです。『神様は荒地荒屋敷をお嫌いなさる』というみ教えの荒地荒屋敷とは、散らかっているということだけではなくて、心や家庭内が荒れていることも意味します。

毎日喧嘩をしているような家庭はまさに荒地です。その荒地を立派なものが育つように土地を肥やしていかなければいけません。土地を肥やすためには耕さなければいけません。それが日々の信心です。耕すには手間も時間も労力もかかりますが、それらを惜しまずに整えていくのが親の仕事です。神様の氏子をお預かりしているという尊い心持ちで、人が育っていく土地・器をしっかりと作らせて頂けるご信心をさせて頂きましょう。

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