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2014年11月30日

●お礼の心が篤いほど信心が篤い 

11月の月末を迎えさせて頂きました。阿倍野教会の御大祭月である11月には、たくさんのご信者が御大祭の御庇礼を頂かれ、次々とお礼のお届けをされています。大変有難く神様にお礼を申し上げて頂いております。

★あるご信者は、今年1年を通しておかげを頂かれました。春の御大祭の後には、まず身体のお手入れをして頂き、手術を受けさせて頂かれました。無事に秋の御大祭の御用もお使い頂かれた後、一番良い所へ就職のおかげを頂かれました。

なんと100分の1の確率で、たくさんの方が受けられた中、たった1人だけ合格させて頂くという大みかげを頂かれたのです。

★まさに神様がレールを引いて下さったとしか思えない程、全て順調に進ませて頂いておられます。しかし、そのレールの上を歩んでいけるかどうかは、自分自身の信心次第なのです。

おかげを頂かれる方というのは、今日を喜び、明日を楽しんで前向きに信心の稽古に励んでいる方です。私達の生活の1つ1つは、奇跡的なおかげの積み重ねであるのです。

それを「有難い、有難い!」と日々感謝する心が大切です。一方で、「有難い」の正反対にあるのが「当たり前」です。「こんな事は当たり前だ」と感謝する心を忘れ、自分勝手な考えになってしまいますと、我情我欲に囚われてしまいます。

★この月末には、しっかりとひと月のお礼を申させて頂きましょう!そして、明日からは師走を迎えさせて頂きます。12月は今年1年のお礼を申させて頂く月です。

私達が頂いているおかげに対して、何度お礼を申しても足りません。1日に100回でも200回でもお礼を申し上げる心で、今年1年の締めくくりの月を過ごさせて頂きましょう!

『お願い一ぺんに お礼十ぺんというように お礼を言う心が篤いほど ご信心が篤い ご信心が篤いほど おかげが篤い』


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2014年11月29日

●倦まず弛まず信心を続けさせて頂く

 あるご信者の御家庭には、昭和45年9月24日次女さんが誕生されました。生後10カ月になる翌年の7月、風邪の様な症状で入院され、心臓が肥大した状態とのことで1週間目の7月31日に亡くなられたのでした。

★親としては悲痛極まりない状態であられたところを、親戚の熱心な御信者が心を込めて導いて下さったのです。
「これからの生き方が大切ですよ。亡くなった事は悲しくて大変な事ですが、神様のなさる事には深い深い御意味があります。このままでは苦しみだけが残って先々不安な状態で生活する事になりますから、これ以上苦しみのない様に神様におすがりさせて頂いてしっかりと御信心をさせて頂きなさい。そして生き死にを通して、このお道におすがりさせて頂きなさい。」と教えて下さったのでした。

★又、お導きなさったお母様が、「これを機会に帰教式を仕えて頂きなさい。亡くなった御霊様が神様になられるようにしっかりとお祀りさせていただきなさい。」とお話し下さり、そのご意味を素直に分からせて頂かれたのでした。

★帰教式の席で三代教会長先生より、「亡くなられた子供さんは、これから霊神様となられます。家族の身代わりとなってこの家を守られ子孫を守られるのです。御霊様は永遠にお働きくださるのですよ。1本の木に例えれば根になられたのです。残った者が信心させて頂きますと結構にならして頂けますよ。」とみ教え頂かれたのでした。

その後も、ご家族揃って一生懸命御ご信心させて頂いておられますと、2年後に再び懐妊のおかげを頂かれ、8月の出産予定日であられたところを、なんと亡くなられた次女さんの誕生日と同じ9月24日に元気な三女さんが出生なさったのでした。その後、長男さんを頂かれ、現在娘さん達は嫁がれ、子供さんを連れて勢信心のおかげを蒙っておられます。

★このお道に御神縁を頂かれ、ご信心を放さず続けられたことにより、ご家族も亡くなられた御霊様も助かってゆくおかげを頂かれたのです。生神金光大神様のお取次を頂くことによって、霊神様となられてもご信心をして下さり、子孫が助かるように生き生きとお働き下さるのです。現在生命を頂いております私達は、特別なことをするのではなく日々倦まず弛まずコツコツとご信心させて頂くことが、過去の御霊様も子孫も助かってゆくのです。

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2014年11月28日

●かわいがられる者は、神様にも好かれる

 去る11月26日ABCテレビの番組で紹介された藤本硝子加工所・藤本幸治氏のお姿を録画で見せて頂いて、実に有難く思わせて頂きました。85歳というご年齢を感じさせないほど元気ハツラツと硝子加工のお仕事(切り子加工・サンドブラスト加工等)をなさっておられます。数年前に奥様を亡くされましたが、家事一切をなさりながら、毎日忙しくそして有難く家業に打ち込んでおられるのです。

★藤本さんは、いつも笑顔を絶やすことなく誰に対しても実意丁寧に応対なされます。また、どんなに忙しい時でも毎朝天満から朝参りをなさって日参・聴教を欠かすことなく、神様と御霊様に心を向け、心と身体を清め鍛えておられるのです。そのお仕事は難しい手のかかることばかりが集まってきますが喜んで有難く実意丁寧になさっておられます。

番組中に写真が紹介されましたが、奥様と二人の写真と土井つちのさん(奥様のお母さん)と家族が映っておられた写真を拝見しましたときには涙が出ました。どれ程喜んでおられるだろうかと思います。そしてどれ程つきについて守っておられるかなあと有難く感じました。

★奥様は、お国替えになりましたが、後々何にも困らないように整理整頓しておられたそうです。その中にあっても不自由なことはたくさんあられると思いますが、常に相手の事を考え、周囲のことを思われて人の事をお願いしておられますので、息子さんも娘さんも必ず色々と手伝いに来られます。周囲の方々が助けて下さいますが、周囲の方々も、藤本さんに助けられているのですね。

『かわいがられる者は、どこへ行ってもかわいがられる。何事にも実意丁寧ということがある。だから、人にかわいがられるくらいの者なら、神様にも好かれる。』
(二代金光四神様のみ教え)

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2014年11月27日

●階段を一段一段上るように

御本部の金光教学院でご修行させて頂いた時のことです。私は、自分の過去を振り返り、何もかもが至らないことばかりであったと申し訳なく思い、若さゆえに情けない思いにもなって、当事の学監であられたの高橋行地郎師に面談の際にうちあけてお話させて頂きました。

 すると、「過去を全て否定してしまってはいけませんよ。親様に産んで頂き、様々なお働きを受けて、今日があるのです。人間はみな、階段を上がっていくようなものです。今日も一段、今日も一段と、上がっていくのです。時には、階段に踊場があるように、足踏みをするように感じる時もあるかもしれませんが、とにかく一歩一歩、神様にお願いさせて頂きながら努力を重ねていけばいいのです。」と、み教え頂いたことでした。

★何か問題に直面した時、自分を責めるばかりでは前に進みません。また、人を責めたり批判したり、環境を恨んだりしては、徳を失うばかりで助かりは生まれません。いつも、今日一日、今日一日を大切にさせて頂き、「今から成長させて頂こう!」という心持ちで、起きてくる出来事を信心成長の糧とさせて頂くのです。

 それは、高齢になったからといって、出来ない事ではありません。有り難い信心の手本となるような生き方をさせて頂いていると、周囲の人々もその生き方を自然と習うようになり、皆の助かりにつながっていくのです。ご恩を知ってご恩に報いる生き方がしっかりさせて頂けるよう、信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。


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2014年11月26日

●徳切れにならないために… 

 二代金光様のみ教え『(桂松平師に対せられ)「桂さん、世の中に何が一番怖ろしいかな。」と問われた時「昔から地震・雷・火事・親父と申しまする。私もそれが怖ろしうございます。」と申し上げたところ「そうじゃなぁ。それもあるが世の中に徳切れということがある。徳切れほど怖ろしいものはない。」』

★世の中には様々な恐ろしいことがあるようです。以前に聞いた事例ですが、電車にひかれて重体になられた方を、救急隊の方々や医師が懸命に治療なされ、一命を取り留められたのです。しかし、実はその方は自殺をしたくてホームから飛び降りられたということが判明したのでした。両足切断・意識不明のまま病床で生命を保っておられるのだということです…なんとも言いようのない可哀想なことです…

★二代教会長伊藤コウ師は、「徳切れの姿になると、八方塞がりになるのです。生きたくても生きられん、死にたくても死なれん、というような状況になってしまいます。」とみ教えを下さったことを思い出します。また、二代金光様は続けて説いて下さっておられ、徳切れになると黒いものが白く見え、白いものが黒く見え、正しいことが嫌いになり、間違った生き方が当たり前になってしまうことが大変恐ろしいことだと教えて下さっているのです。

★徳切れにならないために、私達は日々しっかりとお徳を積む生活を心がけさせて頂き、前々の悪習慣や悪癖によるめぐりを取って頂く様に改まらせて頂かねばなりません。御隠居様は、毎日風呂敷を手さげの中に入れて日参をなされていました。コウ師が「なぜ風呂敷を手さげの中に入れて参拝なされるのですか。」とお尋ねになりますと、御隠居様は「わが家のめぐりを包んでお参りして、お広前でそのめぐりをお取り払い頂いて、お徳を包んで持って帰らせて頂く。日々そういう心構えでお参りをさせて頂いているのですよ。」と仰ったそうです。

★お徳を頂いてゆくことは、私達が生涯心がけていかねばならないことです。私達がお徳を積ませて頂くことで、過去の御霊様も、未来の子孫も助かってゆくのです。また、周囲の方々が皆おかげを頂いてゆかれるように自分になれるように、しっかりと信心させて頂き、お徳を積ませて頂きましょう。

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2014年11月25日

●神様が体験させて下さる

昨日は、羽衣教会の金光大神大祭がお仕えになられました。

★羽衣教会の二代教会長・松岡安枝師は、お母様と共に阿倍野教会で熱心に御信心を進められました。亡くなられたお父様が残された多額の借金を、伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、3年間で返済されたのです。

その3年間は、ご自分の物はたとえ靴下一枚であっても、一切買わないということを決められ、ご修行に励まれたのでした。また、お母様は肺結核を患っておられましたが、薬は飲まずご神前にお供えになった塩水でおかげを頂こうと決心なさり、神様におすがりなさって喀血を止めて頂かれたのでした。

★松岡安枝師が全身の関節リウマチを患われた際には、医師からは「難病ですから全治は難しいでしょう」と診断されたのでしたが、阿倍野教会伊藤コウ師にお届けなさり、「全快のおかげを頂きましょう。」とのお言葉を有り難く頂かれ、「何が何でも正座をさせて下さい。」と願われたのでした。

それからはトイレへ行くのも這って行かれた程痛みが激しい中、痛みが少ない日には座る稽古をされたのです。そして正座が出来られるようにまでなられたのでした。そして御晩年には段々と目も見えにくくなられましたが、毎日歩いて阿倍野教会へ日参を続けられ、月例祭は最後まで座礼で祭員の御用に就かれたのでした。

★自分自身の身の上に於いて、病気など様々な体験をさせて頂くことがあります。それは、自分自身の事だけに留まらず、同じような体験をしている人の辛さや痛みが分かり、共に助け合ってお役に立たせて頂けることに繋がるのです。神様が私に与えて下さったご修行だと悟らせて頂けましたら、どれ程有難いご修行となることでしょうか。

★自分自身のおかげの体験を通して、周りの方が次々と助かって頂ける、良いお手本になるようなご信心に進ませて頂きましょう。

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2014年11月24日

●生き死にを通してご神徳は輝く

昨日11月23日は私の家内の兄の御命日でした。昭和55年・28才で亡くなったのです。私達は日々御霊神としてお祀りして、徳高くなられご安心なさるようにご祈念させて頂いております。

★ある年の春、御本部の御大祭に参拝させて頂いた時のことです。

御祭典を拝ませて頂いた後に、御本部のお広前で「先生。」と声を掛けられましたので振り返りますと、阿倍野教会のご信者のご婦人がおられました。

話しを伺いますと、米子に住む姪御さんをお導きなさって駅で待ち合わせをしていたのに、姪御さんの到着が遅れて御祭典を拝むことが出来られず、こうしてお広前に参拝させて頂いた、ということでした。

姪御さんには息子さんがおられ、突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒になってお導きなさったのでした。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、やっとの思いでお導きなさり、息子さんも一緒にお参りになったのでした。

★ところが、いざお参りなさると、息子さんは長い時間額ずいて、神様に助けて頂きたいと真剣に御祈念なさったそうです。三代教会長先生がお届けをお受けになる場に移動して、更にお話しを伺いますと、姪御さんは、「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです・・・」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことには、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は、28才の時に交通事故で亡くなられ、そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、御霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。

その後、息子さんの発作は激減し、夏休みにはお父様も共に家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

★お導きは有り難いですね。日参のお徳、お導きのお徳、御用のお徳、生涯通して徳積みのご修行をさせて頂きましょう。ご神徳を頂きますと、お導きの方々から、子孫の端々までおかげを頂き、死んだ後も御霊神となって活き活きと働かせて頂くことが出来るのです。

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2014年11月23日

●『信心は素直な信心をせよ』

 先日も誠に有難いお礼のお届けがありました。あるご信者がお導きをされたお方が、親戚内の人から厳しい、心ない事を言われ、大変なショックを受けられました。あまりのショックの大きさに睡眠や食事も取れず、入院生活を余儀なくされたのでした。「仕事も一生懸命にし、家にも懸命に尽くしてきたのに、何故このような事を言われなければならないのか。」と相手を不足に思っておられました。

★そのような中、この度お導きを頂かれて、病院から外出許可を頂いて参拝なされ、み教えを頂く機会を与えて頂かれました。大変素直な心を持っておられ、御結界で「相手の助かりをお願いさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれますと、今までの不足に満ちた心がコロっと変わられたのでした。

★それから毎日、入院中の病院で御献備を書かれ、お礼とお詫びと相手の助かりをお願いされました。そして、お導きなされたお方が代参されてお届けをされました。すると参拝なさって一週間後に、なんと親戚内の方から連絡があり、「悪い事を言ってしまい、申し訳ありませんでした。」とお詫びをして下さり、和解することが出来られたのです。

★たった一週間で神様がおかげを下さったのは、そのお方が素直な心ですぐに心を入れ替えられたからです。自分が改まらせて頂きますと、相手も変わって下さいます。み教えを素直に有難く頂く事が、どれ程大切かが、よく分からせて頂けますね。

『信心は素直な信心をせよ。信心はしとやかな信心をせよ。言う通り守らないからおかげはない。言う通りを守らずに、まだ治らない、おかげが無いというてきても神は 知らんと申される。 おかげがない時は我が心をよく調べてみよ』(二代金光四神様のみ教え)

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2014年11月22日

●神様が可愛い氏子に罰を当てなさるのではない

私達は皆それぞれに、日々為すことが成就するような失敗のない生活をさせて頂けますようにとお願いさせて頂いて生活しております。ところが自分自身の不行き届きやご無礼によって失敗が起こってきます。

それを「何ぞの祟りだ…。」とか「神様の罰が当たった。」等と思うのは人間中心の考え方で、神様に大変ご無礼なことです。さらに言えば出来てきた事柄は、大難を小難にして頂き、大病を小病にして頂いて、神様が私達氏子のことを思って下さり慈愛に満ち満ちて、助かるために与えて下さったお気付けとも言えます。

その神様の御心を知ってその御心に適う生き方が出来ますように願わせて頂き、「ご無礼があるぞ、今のうちに改まりなさい。」と与えて下さっているお気付けを取り違えることなく有難く受け切らせて頂くことが大切です。

★毎日の生活の中でどこにどのようなご無礼不行き届きがあるかなかなか分からないものです。それは知った上でのご無礼もあり、知らず知らずのうちに犯しているご無礼もあるからです。そこでご信心させて頂いて、その自分自身の不行き届きは一体どこにあるのか、何が間違いのもとであるのかを神様にお願いして教えて頂くのです。

お礼が足らない、お詫びが足らない、お願いが足らないということが間違いのもとであるとすれば、それをすぐにお詫び申して即座に改まらせて頂くのです。それは出来事を通して教えて下さることもありますし、人の口を通して教えて頂くこともあります。

さらに信心が進みますと、我が心に直接教えて頂くことも出来るようになります。神様から「今のうちに改めなさいよ。」と教えて頂くことは実に有難いことです。物事がうまく運ばない時には、自分の至らないところを神様が教えて下さるのだ、と分からせて頂き改まりますと、すぐにおかげを頂くことが出来るのですよ。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為(しわざ)ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。』
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2014年11月21日

●神様に心を向けた日々の生活を

 御高徳な高橋富枝先生が御用なさっておられた西六のお教会でのお話です。

古くなった教会の竈(かまど)を作り直されることとなり、3人の手伝いの方を頼んでおられたところ、着工に際するご祈念をなさる前に、一人の手伝いの方が古いかまどを鍬を打ち込んで取り壊しにかかってしまいました。すると、手伝いの方3人共腹痛がおきたのでした。

先生がご祈念をなさり、お伺いをなさると、神様からお知らせがありました。長い間煮炊きすることを許して頂き、守って頂いていたことを御礼も申さず、お詫びもせずに鍬を打ち込んだので、腹痛が起こったとのことでした。早速皆で神様にお詫びのご祈念をされたら、3人の腹痛は治まったそうです。

また、幾日か教会に泊めて頂いていたある男性が、ある朝腹痛をおこしました。高橋富枝先生がご神前で御祈念なさいますと、その男性は、毎朝ご神前に向かって無意識にふんどしを締め直しておられ、そのご無礼を神様よりお知らせ頂かれたのです。その旨を男性にお伝えになり、お詫びのご祈念をなさると、腹痛がおさまったそうです。

★どこにどのようなご無礼があるか分からない、あるいは意識していないのが、私たち人間です。み教えを頂くことによって、天地の道理を悟らせて頂き、起きてくることの一つ一つを改まりの機会とさせて頂くのです。

常に心を神様に向けさせて頂いて、食物の扱い方、水の扱い方、人に対する態度等、何事においてもご無礼の無いように、意識を高めた生活を心がけさせて頂きましょう。そうして、日々心を改め磨き、和らぎよろこぶ心にならせて頂き、お礼も、お詫びも、お願いも行き届いて出来るようになっていく事が、子孫繁盛、家繁盛の道です。

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2014年11月20日

●礼を尽くす 

『言いたい事は明日言えということがあれども、明日も明後日も一生涯言わないように心掛けること』(二代金光四神様のみ教え)

★高橋富枝師は神様から『無言の行をせよ』とみ教え頂かれました。例えば、隣りで人が間違ったことを言っていたとしても、口出しをせぬよう仰せられたのでした。

自分の分を越えて、言い過ぎてしまうと、徳を落としてしまいます。礼を尽くすということは、自分の分を知り、相手を立てるということなのです。

★「論語物語」の中に、「礼を尽くす」ということがよく表されているところがあります。孔子がまだ若い頃に、魯の国の最も大きな祭典、大廟(たいびょう)の中心となる役に選出されたことがあられました。

若くしてこのような責任重大な役に任命されたことで、魯の国の人々は「どんな立派な人がくるのか」と構えて孔子を迎えました。

★すると、孔子は今まで祭典に就かれていた祭官の一人一人に挨拶に行かれ、従来の儀式の作法・進行についてこと細かく尋ねられたのです。人々からは「なんだ、こんなことも知らないのか」と孔子を嘲笑したり、憤慨したりする声が聞こえました。

孔子の推薦者は「孔子様のようなお方は、すでに全てご存じのはずなのに、どうして尋ねられたのだろう…」と心配になり、孔子の元へ尋ねに行きました。

★すると、孔子は「大廟に奉仕するからには、敬しんだ(つつしんだ)上にも敬しまなくてはならない。私は、先輩に対する敬意を欠きたくなかった。…礼は敬しみ(つつしみ)に始まって、調和におわらなければならない。」

「知は他人に示すためのものではない。まことの知は、ただ遜る(へりくだる)者のみに与えられる。」とお諭しになりました。

★人に対する態度は尊敬、神様に対しては畏敬と表わされ共に敬しむ(つつしむ)心が基本です。また自分を知らなければ、分相応にはなれません。今の自分はどういう状態なのかを知り、謙虚な心で、礼を尽くしてゆくことが、日々の基本姿勢であるのですね。


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2014年11月19日

●出来事を通して力をつけて頂く

 先日、あるお方が「今、夫婦や親子の間で問題が多く、自分自身もどのようにさせて頂いたら良いか分かりません。迷ってばかりです。…」とお届けされました。

★そこでそのお方に

「ここに一つの荷物があるとします。その荷物を持ちなさいと渡された時に、力の強い人なら楽々と持ち上げて運ぶことが出来ますね。しかし、力の弱い人が持つと、『こんな重い物はとても私に持ち上げることが出来ません。』と投げ出してしまうかもしれません。

あなたの状態は今どのような状態か良く考えてみましょう。奥さんがどうとか、お父さん、お母さんがどうだとか、困難な問題であるとか言われますが、現在のあなたの徳と力が足らないからではありませんか?『私が責任を持ってさせて頂きます!私が皆その責任を負います。しっかり私にご修行をさせて下さい。』と前向きに受け切ってゆかれますと皆が安心されるのです。

しかし、あなたが『どうにもなりません。こんなことはとても私には荷が重すぎます。』ということでは皆が右往左往してしまいます。『どうかこれを解決させて頂けるだけの徳と力を頂かせて下さい。どうぞ最後まで責任を全うさせて下さい。』とお願いし続けてゆくことが大事なことですよ。」
とお話しさせて頂いたことでした。

★私達は、どんなことでもおかげにさせて頂けるだけの徳と力を神様から授けて頂いています。それを大きく現わさせて頂けるか否かは、自分自身の願い次第、努力次第です。「こんな環境だから出来ません。こんな体だから出来ません。」等と他のことに理由を見出したくなるものですが、そこを努力工夫してどこまでもおかげを頂かせて下さい、という心にならせて頂くことが大切です。

出来ない出来ないと不成の言葉を口に出していますと、徳を失い自分の値打ちを下げることに繋がるのです。「この出来事をどうあってもおかげにさせて頂けますように」とお願いさせて頂き、心の底から有難いと分からせて頂きますと、大きな力を発揮させて頂くことが出来、有難いおかげを頂く道が開けてゆくのです。

★『真に有難しと思う心すぐにみかげのはじめなり。』

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2014年11月18日

●不成心を去る

『今まで、長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けて有難いこととその二つを忘れるな。その二つを忘れさえしなければ、病気は二度と起こらない。

これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時の事を思い出して神に頼んであげよ。

自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていれば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。』(荻原須喜師の伝え)

★私達は、日々出来てくる事柄に対してどのようにお願いさせて頂いているでしょうか?ただただ自分の思い通りに願いがかなうことをお願いするだけでは、物事の本質になかなか気付くことが出来ません。

★職場でも家庭の中でも、人を目当てにしておりますと、「あの人が認めてくれない」「これだけしているのに…」等と、人のせいにしたり、見返りを求めたりしてしまいます。一部分を見て物事を判断したり、感情に流されたりしてしまっては、有り難くさせて頂く心はいつしかなくなり、行き詰まってしまいますね。

それは、生まれながらにして授かっている神心に不成心が覆いかぶさっている状態なのです。また、とても無理だ…。私には出来ない…」等と不成の言葉を口に出さないことです。不成心や不成口は自分の値打ちを下げ、徳を失うことになるだけです。
?

★不成心とは、「成らずの心」と教えて頂いております。
その不成心は、偽私放奢といって…
1)偽…神様、人に対して偽りの心。
2)私…(私利私欲)自己中心的な考え。自分の利益になることしか考えない。
3)放…放らつ(勝手気まま・わがまま)人から言われる事を受け入れない。
4)奢…おごり、慢心。自分がするという心。

★不成心を去り、人の助かりを願い、神心を大きくさせて頂く為に日参させて頂き、神様を目当てに生活させて頂くのです。み教えを聴かせて頂いて、神様を目当てにさせて頂く稽古をさせて頂きますと、「させて頂く、御用に使って頂く」という心になり、自分でするという力みがなく、物事を冷静に多面的に判断する事が出来るのです。

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2014年11月17日

●自分を育て人を育てる

11月11日の阿倍野教会の教祖様御生誕200年・立教155年記念の生神金光大神大祭を麗しく無事奉行させて頂きましたことを共々にお礼申させて頂きましたことは、誠に有り難いことでございます。

★初代教会長先生が残してくださり、歴代教会長がお続けになられた、「何が何でも、御礼の信心をさせて頂きたい。御本部御礼参拝を毎月続けさせて頂けますように!」とのお心を私達は、頂き続けていきたいと思います。

★これまでお命を頂いてきた御礼、我が家が有難い家に生まれ変わらせて頂いたお礼に月々の御本部参拝をさせて頂くのです。

親の代でおかげ頂いたことを子供の代・孫の代にしっかりと伝えて、お礼の信心をしっかりとさせて頂くのです。自分の代だけでそのお礼が出来るとはとても思いません。子供の代、孫の代に亘って御礼の信心を続けさせて頂きたいと願い続けていくのです。

★桂松平先生は、『七生報恩』を誓われました。「七回生まれかわっても、御恩に報わせて頂きたい。」そういうお心が尊く、感銘を受け常に頂き直しております。

自分自身が、どのように次の代・次の代へと御信心を伝えさせて頂いて、どのように人を育てていくのか。自分自身を育て、子供を育てて、より一層におかげを頂いていく道を歩んで行くのかを考えていかねばなりません。

★「一年の計は穀(こく)を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し」という言葉があります。

人が育っていくということは、それ程に時間がかかります。後々の代に我が家に頂いてきたおかげと伝え、御礼の信心をしっかりと植えさせて頂き、子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂いてまいりましょう。


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2014年11月15日

●神様とのお約束

 先日、真栄根会の勉強会で昭和37年の二代教会長伊藤コウ師のみ教えのテープを拝聴させて頂きました。

★昭和37年4月、御本部御大祭参拝当日の夕方4時に、あるご主人は風呂屋で倒れられ、大量に出血されて意識不明の状態になられました。そこでそのご主人の奥さんがお参りされ、「御本部参拝はどうさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお届けされました。

当時は夜行列車で参拝させて頂いておりましたので、出発は夜の11時でした。そこでコウ師は、「今から夜の11時まで時間がありますから、ご主人の意識が回復して正気になられたらお参りさせて頂きましょう。」とみ教えなされました。

★その後、夜の7時になり奥さんが再びお参りに来られ、「先生、御祈念して頂けないでしょうか。未だに意識が回復しません。」とお願いされました。そこでコウ師は、ご神前に向かわれ一心に御祈念なされました。すると夜の7時半になり夜の御祈念が始まりました。

そこでコウ師はその奥さんに「今から夜の御祈念が始まりますからすぐに帰って下さい。そしてご主人の状態が変わったらすぐ電話で知らせて下さい。」と仰せになりました。それからコウ師は、夜の御祈念とお説教をなされ奥に入られたのです。時計を見られると、ちょうど夜の9時でした。

すると電話がなり、その奥さんからでした。なんと丁度9時に、ご主人の意識が戻られたというのです。その奥さんは「御本部参拝はどうさせて頂いたらよろしいでしょうか。」とお伺いされました。そこでコウ師は「ご主人の意識が回復したらお参りさせて頂くと神様とお約束なさったのですから、お参りさせてもらいなさい。」とおっしゃったのでした。

早速奥さんは御本部参拝され、汽車の中で帰りの大阪駅に到着するまで何が何でもおかげを頂けるように一心にお願いされました。すると御本部から帰られると、ご主人は言葉もはっきりと言えるようになり、大変元気に回復なさったのでした。

★どこまでも神様に心を向け、強い信念を持って一心におすがりさせて頂くところに結構なおかげを授けて下さるのですね。明日の御本部御礼参拝もどうあってもお参りさせて頂いて、病気災難の根を切って頂くという強い信念を持って、自分自身の体の上や家族・知人の身の上にもおかげを頂きましょう。

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2014年11月14日

●神の綱を切るな

 阿倍野教会は、初代から残して頂いておりますみ教えを今日まで伝えて頂いております。御大祭後の後片付けは必ず当日にさせて頂くことや親教会、関係教会への御礼参拝は当日または次の日にさせて頂くこと、また月例祭等の祭典の日は決して省略をしないということなど様々なことを初代から、二代、三代、四代と今日まで守り続けさせて頂いておりますことは大変有難いことです。

絶対にこれはしてはいけない、絶対にこれはしなさいということを残して下さっていることは誠に有難い事で、それこそが神様の綱であり、私達はそれを決して放してはならないのです。

★『神の綱が切れたというが、神からは切らぬ。氏子から切るな。』とみ教え下さっていますように、神様の綱というのは、それぞれの家に頂いたみ教えなのです。代々おかげを頂いてゆくために頂いたみ教えを「生活が楽になった」「忙しいから」とか色々な理由で、み教えを守らないというようになれば、子孫は横道にそれていってしまうのです。

それぞれの家がどのようなみ教えを頂き、どのようにおかげを頂き、お育て頂いてきて今日の自分自身があるのかということが分からなければ、御恩を忘れてしまっているのも同然であり、自分自身を見失ってしまったのと同じなのです。それぞれの家に頂いておりますみ教えを次の代、また次の代へと伝え、守り続けさせて頂くことが御恩を知りご恩に報いる元となり、神様からご信用を頂き代々おかげを頂いてゆく元となってゆくのです。

★『今まで、長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けて有難いこととその二つを忘れるな。その二つを忘れさえしなければ、病気は二度と起こらない。これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時の事を思い出して神に頼んであげよ。

自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていれば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。』

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2014年11月13日

●改まりを積み重ねてゆく

 平成20年2月22日に三代教会長先生が御国替えされました。それから6年間、神様は私共に一年一年、改まりを進めさせて下さいました。ある時の御大祭では篠突くような雨が降り、またある時は大変な湿気の日となりました。

テントの雨漏りを修繕させて頂いたり、音響の不備を改善させて頂いたり、お直会の準備を改まったりとさまざまな面において、何か起こる度にさっと体制を整えさせて頂き、改まらせて下さいました。

しかし、まだまだ至らない所ばかりであり、日々お詫びさせて頂いております。神様が「何もかも整えてやっておるではないか。次はここを改まれよ。」と仰って下さっているような感じがいたし、身が引き締まる思いであります。

★旧広前のご時代の頃に、ある年の記念大祭で、当日に後片付けが出来ず、新調なさった御幕やさまざまな用具を翌日片付ければよいと、掛け出しに置いていたことがあられました。すると、翌朝になったらその御幕や用具が全てなくなってしまっていたそうです。

なんと、一晩の間に泥棒が入り、全て持って行ってしまったのでした。二代教会長コウ師は心からお詫び申され、「このことは阿倍野教会では決して忘れてはいけない」と改まられ、それ以降は必ずその日の内に後片付けをすることを徹底なされ、今日まで伝えて頂いています。

★コウ師は「恥ずかしい話です」と申しておられましたが、お気付けを頂いて、すぐに改まらせて頂き、日々改まりを積み重ねることが大変有難いことであり、後々のおかげを頂く元となってゆくのです。改まりはしんどい、辛いことではありません。改まりこそが有難いことなのです。
『真のお詫びは真の改まりであり、それは喜びである。』(『信者の心得』福田美亮師)

★この御大祭を終えさせて頂き、阿倍野教会では来年の金光大神大祭に向けて五か年計画の第三年目のご信心を進めさせて頂きます。至らない所を改まらせて頂けますよう、各ご家庭のお願いを新たに立て直し、日を切ってお願いをさせて頂きましょう!

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2014年11月12日

●教祖様ご生誕200年の生神金光大神大祭をお仕え申し上げて

昨日は、穏やかな秋晴れのお天気の下、全てに亘り万事万端御都合お繰り合わせを蒙り、教祖様ご生誕200年の生神金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。

これもひとえに、皆様方のお手篤いご信心とお祈り添え、またたくさんの方々の真心からの御用奉仕とお導きの賜物であると思わせて頂きます。心より御礼申し上げます。

★また、祭典後のお説教を、島之内教会の三矢田光師より『教祖様御生誕200年に寄せて』という御講題で、有難い御教話を賜わりました。

「教祖様は、明治6年に戸長より神前撤去を命じられました。神前撤去という出来事は、教祖様ご自身がそれまで身を捧げてこられた人助けの道が全面否定され禁止されるということです。

しかし、教祖様はそのような事態の中でも、心を神様に向けてお上の仰せ通りになされ自分自身どうあるべきかということを求め直されたのでした。その中でこのお道の基礎が築かれたのです。

神前撤去という出来事により、教祖様の心の内、信仰の中身はそこから新しい物を生み出すエネルギーや大きな力となり、新しいおかげの芽が芽生えることになってゆくのでした。

神様はこの大難を通じて自分に何を学ばせようとなさっておられるのか、自分にどうあれと神様は願っておられるのか、その教祖様の求め方の深さや、力強さ、そこに私達が頂くべきものがあります。」というご内容でありました。

★有難い御大祭の御庇礼によりまして、この一年をより一層有難いものとさせて頂き、来年は一段と信心向上のおかげを蒙らせて頂くことが出来ますよう、ここからの信心を進めさせて頂きたいと思います。
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2014年11月11日

●本日は生神金光大神大祭です!

 おめでとうございます。本日は、教祖様ご生誕200年の生神金光大神大祭をお仕え申し上げます。ご家族、お導きの方々揃ってご参拝になられ、おかげを蒙られますようにお祈り致しております。

★御大祭をお迎えするにあたって、ご信者皆様の真心からの御用で、前々から準備を進めさせて頂いております。本日も、御用の一つ一つを通して自分の心を改め磨き、真心を御供えさせて頂くつもりで実意丁寧に御用にお使い頂き、御大祭を無事に麗しくお使え申し上げる事が出来ますよう、共々におかげを頂きたいと思います。

★また、ご神前のお供えは、全てご信者皆様の真心こもったお供えです。小判餅の榊葉の一枚一枚も、ご信者様が丁寧に拭いて、形を整えたものを小判餅にくくって頂いております。

あるご信者は、小判餅の榊葉の一枚もお粗末にしてはもったいないとお思いになり、長年痛んでおられた膝を榊葉でこすりながら御祈念なさり、翌朝より痛みをお取り払い頂かれたそうです。御祈念のこもったお下がりに、頂く方の真心が込められ、一層有り難いご神徳が現れたのですね。銘々の真心で、一層有り難い御大祭を拝ませて頂きましょう。

■午後一時より おかげ話 3名
 田附真人氏、原田友美氏、多米俊雄氏

■午後二時より 生神金光大神大祭 奉行

■祭典後説教 講題『教祖様御生誕200年に寄せて』

■講師 島之内教会 三矢田光師

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2014年11月10日

●「すること」をお願いする 

あるご信者は、「息子が近頃よく働いて下さるようになり、神様のおかげを頂いた!大変有難いなぁ。」と喜んでおられました。すると、それを聞かれたお嫁さんが、「神様のおかげではありません。私が一生懸命頑張ったからです。」と言われ、お姑さんとお嫁さんの意見が食い違い、関係が悪くなってしまったそうです。

★その事をお結界でお届けされますと、三代教会長先生は「それは、あなたが間違っていますよ。息子さんが正しい方向に変わって下さったのは、お嫁さんを通して神様のおかげが現れたからです。」と仰せになりました。

★「どうすれば神様のおかげである事を分かってもらえるのでしょうか?」と尋ねられますと、「信心のあるあなたが、『息子が結構になったのはあなたのおかげや。有り難う。有り難う。』と、お礼を言えば、お嫁さんの方も、『そんなに言ってもらったら恥ずかしいです。お母さんがご信心して下さるおかげです。』となり、円満に治まるのです。」とみ教えを頂かれたのでした。

★周囲の方々へのお礼を申さずに、神様のおかげだとばかり言ったところで、その有難さは周囲の人には伝わりません。まずはこちらがお礼を申して、喜んで頂くと、相手もまた立てて下さるようになります。お互いが喜び合い、お礼を申し合う姿をご覧になって、神様が喜んで下さるのです。そして、家の中が円満になり整ってゆく、それこそがおかげです。

★親がしている事を子どもは真似て、だんだんとしてくれるようになるのです。『しつけというのはいかにも大事なことじゃが親が色々に言うて聞かしても子供は結局親のしている通りをする。信心しておかげを受けねばならぬのはすることである。だからすることを願わねばならぬ。』とみ教え頂いていますように、

「あの人が変わってくれますように。」とお願いするのではなく、「自分がこのように改めさせて頂ける氏子にならせて下さい。」とお願いさせて頂くのです。人を変えようとするのではなく、自分自身がしっかり改まらせて頂くことで、人も自分も互いにおかげを頂いてゆけるのですね。

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2014年11月09日

●信心辛抱のお徳

 昨日は、みかげ会例会が開催され中山氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★中山氏のご両親は、洋品雑貨等の販売のお商売をなさっておられました。中山氏が大学を卒業される年にお父様が胃潰瘍で入院され、この時初めてご自身から進んで家業を継がせて頂こうと決心されました。そこで、お父様は商売の修行をするための店を、親しい問屋さんを通じて探して下さったのでした。

するとなんとその店が、阿倍野教会の信徒総代の沖氏であられたのでした。沖氏のお店に就職なさった中山氏は、沖氏の信心を第一とした生活、接客、販売等を心掛けておられるお姿を見て衝撃を受けられました。

★数か月後、中山氏は信行期間中の青年会例会に連れて参って頂きお話を聞かれました。そのお話を聞かれた中山氏は、心が洗われる思いがされ、これを機に初めて朝参りをされるようになられたのでした。そこで二代教会長・伊藤コウ師のみ教えを聞かれ、自分自身のことを言って下さっているような気がされて身も心も引き締まる思いがし、その後三年間朝参りを続けることが出来られたのでした。

この間に自分から進んでお取次を頂くようになられ、「実意・丁寧・正直・親切」のみ教えを守られて毎日心を神様に向けた生活に取り組まれたのでした。その後、昭和50年に長谷寺に帰られてからも「絶対に信心を続けよう。」と日を繰り合わせて教会に参拝し、月毎の御本部御礼参拝を続けておられます。

★その様なご信心に基づいた生活を続けておられることにより、お店も徐々に発展させて頂かれ、学校の制服等の衣料販売を初め、会社や工場へ制服・事務服等の納品、また春秋の観光シーズンには土産物店も経営なさるまでに拡大のおかげを頂かれているのです。

さらに、いつも信心辛抱してお商売なさっておられるお姿を見ておられた他社の方から事業の継承の申し出があり、「あなたなら得意先にも、仕入れ先にも安心して紹介できる。」と譲ることを決めて頂かれたのでした。

★時代の変化と共に観光客の減少や地域の状況の変化にも対応させて頂かれ、今現在も商売繁盛のおかげを頂かれているのです。


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2014年11月08日

●物事を苦にせず、万物を有難く頂く

 お母さんにお導き頂かれて幼い時からご信心をなされている方ですが、今年の初めに肺腺癌という病気を見つけて頂かれました。全く自覚症状がなかったのですが、突然息が苦しくなり診察して頂いたら、肺に6.5リッターもの水が溜まっていたということです。それを抜いて頂いて原因を調べて頂きましたら、肺腺癌が見つかったのでした。

★「後一年ももたない。」と医師より宣告を受けられ、さらに、「手術は出来ないこと、放射線での治療も不可能なこと、そして抗癌剤でしか治療が出来ず、その薬の効果もこれまでになかなか良い結果が出ていない。」とまで告げられたのでした。

★それを聞かれたご信者さんは早速お参りなされ、兄弟が皆揃ってお取次ぎを頂かれ、お願いなされました。有り難いことに抗癌剤の効果があらわれ、肺腺癌が小さくなっていかれたのです。

★お医者さんが「私は、同じ病気の方をたくさん診てきましたが、あなたのように回復した人を見たことがない。」と、おっしゃったそうです。それを聞かせて頂かれて、ご信者は大変有難く思われたのでした。。同じような症状で、同じような薬で治療して頂いても、その効果の表れ方が違うということがわからせて頂いたからです。

★薬も天地のお働きの一部分を抽出して頂いて、体に投与して頂くのです。お医者様の手はお借りしますけれども神様に治して頂くのです。そして、薬も使わせて頂きますけれども、天地のお恵みを体に頂いて治して頂くのですから、有り難く拝んで使わせて頂くのです。そのところに、おかげを頂いていく元があるのです。お水一杯でも拝んで頂く。お米の一粒でも拝んで頂く。拝んで頂く所に、天地のお徳が表れてくるのです。

★『人間は食べ物でできたのであるから、物を食べなければすぐにやせる。病気になると、欲しい物が食べられないので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたく頂くという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである。親子でも、一様になければ一様にいかんなあ。』(山本定次郎師の伝え)


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2014年11月07日

●神様がさせて下さる医療

5日には、真栄根会例会で内木氏のおかげ話を聞かせて頂きました。内木氏の長女さんは、生後間もなく髄膜炎を発症し、「後3日の命」と医師より告げられたのでした。

内木氏は、信心のある奥様と結婚なさったものの、それまでは信心する気になられなかったのです。

 子供さんの病気を機会に三代教会長先生より、「子供さんが助かりますようにしっかり御祈念させて頂きましょう。あなた自身が金光様にお願いさせて頂き、1日何十回となく御礼を申させて頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのです。そして翌日から日参とお届けを始められました。

★娘さんは生命を継いで頂かれ生後2ヶ月して、脳圧を下げる手術を受けられることになられ、三代教会長先生より、「お医者様のお手をお借りして神様に手術して頂くのです。しっかり御祈念させて頂きましょう」とみ教え頂かれました。

手術は無事に成功し、手足の麻痺など必ず後遺症が残ると言われておりましたが、一切後遺症なしに全快の大みかげを蒙られたのでした。

★後に、内木氏は御本部の御大祭で執刀医の先生に偶然出会われたそうです。何とその医師は、奈良県のある教会で熱心にご信心なさっておられることが分かり、神様が手術させて下さったことを改めて分からせて頂かれたのでした。

★このお道の信心は、片便の願い捨てではありません。御結界でお届けさせて頂きますと、生神金光大神様のお取次ぎによりまして、天地の道理をみ教えとして説いて頂きます。

み教えを心にしっかりと頂き、一度で理解できないとしても、繰り返し繰り返し頂くことによって、より正しく、深く頂く事が出来るようになり、正しく願うことが出来るようになるのです。


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2014年11月06日

●真心になる

  金光教のご信心は、「神様に通じてゆくべく真心と一心となるように」教えて下さるお道です。福田美亮師は「信者の心得」の中で、箇条書きにして分かりやすく説いて下さっています。

★@『金光教はまことの道であるから、何事にもまごころになること』

A『まごころは神様から与えられている人の本心であるから、静かに内省すれば必ずめいめいの心の中から出て来る』・・・「我、日に三省す」という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日の内に何度も省みる」という意味なのです。常に自分自身の心の内を見つめ直し、反省と改まりを重ねてゆくことが大切です。

★B『まごころになれば、心がはればれとし、人にも神にも喜ばれる。まことで成就せざることなしとの信念を持て』

C『まことは、目に現われ、顔にも現われ、話すにも、笑うにも、歩くにも現われる』・・・真心になれば、心がすっきりと晴れ、清々しい気持ちになります。心に真が溢れ、表情や言動などの表に現われる人にならせて頂きましょう。

★D『まことが欠けると何となく気がとがめ、うしろ暗い気がする。神が注意するのである』・・・「こんな事をしていていいのか…」と後ろめたい気持ちになる時は、神様が止めて下さっているのです。

★二代教会長伊藤コウ師は、私達が幼少の頃に、時間をかけて厳しく丁寧に言って聞かせて下さいました。そして、お話し下さった最後には必ず、「今日は何を理解したのですか?」とお尋ねになりました。

その時に有難い心持ちで、お礼とお詫びを申し上げられない場合には、「本当に分かった時には心が晴れ晴れとし、それが言葉にも姿形にも現われてくるものです。」とみ教えを下さったことを思い出します。

★本当に心から分からせて頂けると、心が晴れ晴れとし、有難くて仕方がないようになります。頂いたみ教えを有難く頂けないのは、自分の受け物が壊れているからなのです。

その受け物を作らせて頂く元は、日参聴教であります。日々み教えを頂き、大きな受け物を作らせて頂き、真が表に溢れ出るような人間にならせて頂きましょう。

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2014年11月05日

●有難い働きを導く

 中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、両方とも熱心な信心のお徳により全快根切れのおかげを蒙られました。脳梗塞の時には、脳に送る大きな血管が詰まり、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。しかし、その間に大みかげを頂かれたのです。

★ある日の明け方3時40分ごろ、中井氏は、夢の中で御本部に参拝し、二代教会長先生と三代教会長先生と一緒に金光様のお出ましを拝ませて頂いている光景を見られたのです。なんとその時、中井氏は「金光様のお出ましだ」と言葉が出られたのです。

横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏はみられた夢の内容を話されたのです。そして、手も足も動かしてみますと痒い所を掻くことが出来、さらには、口が麻痺して飲めなかった牛乳を、ストローで飲むことが出来るようになられたのでした。

★後になって調べてみますと、頭部の詰まった太い血管はそのままでしたが、その血管を回避して新しい血管が出来ており、血液が流れていたのです。中井氏は手術する必要なく、後遺症なくリハビリも必要なしに全快なさり、退院させて頂くことが出来られたのでした。

★私達は、授かった身体の中に有難い働きを頂いておりますが、それをなかなか表に現すことができておりません。現在与えて頂いている生命にお礼を申し、有難い働きを現させて頂ける信心に進ませて頂きましょう。

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2014年11月04日

●足らない所を足しあう生活

あるご家庭は、いつも家の中がバラバラで暴言暴力が重なり、崩壊寸前の状況でした。

そこを家中が改まって日参をさせて頂かれ、み教えを頂かれ、毎日お届けをさせて頂くようになられますと、どんどんと家の中が変わっていかれたのでした。

そして次々とお願いしておられることが成就のおかげを頂いていかれたのです。

★み教えとは、人を責める道具ではありません。「今日は結構なみ教えを頂いたので、これを主人(家内・子供等)に言い聞かせてやろう。」というのは、人を責めてしまうことになるのです。

み教えは夫々の立場で自分自身に頂くもので、改まったおかげを頂くことによって家の中は劇的に変わってゆくのです。改まりに気付かせて頂いて、一歩踏み出した瞬間から神様はお喜び下さり、その真心を受けて下さっておかげを授けて下さるのです。

★論語の中に「君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰(ゆたか)ならず」と残して頂いています。

これは「良くできた人は自信があって落ち着いている。そして傲慢なところがない。反対に人間の出来てない人は、いかにも偉そうに傲慢だけれども、どことなく落ち着きがない。」と一般的に訳されています。

江戸時代の思想家・伊藤仁斎は、「泰(ゆたか)とは、己はこの点に於いて人より優れている、ということをみだりに表に表さない。己を慎んでいくから自ずから豊かな伸び伸びとした姿になる。

また人を先に立てるから驕るということがない。物事がよく分かっていない人は、自分にちょっとでも優れたところがあると、自らの能力を人に見せびらかしてつい傲慢になる。」と記しておられます。

★教祖様は『信心する人は、我が事より人のことを先に願え。そうすれば人も助かり、我が身にもおかげがたくさんある。』とみ教え下さっておられます。

相手のことを祈る、立てるということは、自分の心を豊かにさせて頂き、受け物を大きくして頂けるのです。相手を憎んだり恨んだりせず、どこまでも慈愛の心でもって慎ましやかに接することが必要です。そして相手のことをどうあっても諦めずに願い続ける稽古が大切です。

★人間は皆不完全で、それぞれに足らない所ばかりです。互いに足らない所を足し合う生活を心掛けておりますと、有難い結果を生み出すことに繋がってゆくのです。

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2014年11月03日

●おかげを頂き続けている自分 

『神から金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話しにしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。』 

★平成20年2月22日に90歳6ヶ月で三代教会長先生が御国替えされました。そのすぐ後に、私は三代教会長先生のご生前中の御礼を申し上げるため、御本部に参拝させて頂き、教主金光様にお届けさせて頂きました。

「この度、三代教会長が90歳6ヶ月を以て天寿を全うされました。命の限り、神様の御用にお使い頂きまして、誠に有難うございました。これから、不行き届きではありますが、私が御用にお使い頂きます。どのような心構えで御用にお使い頂いたらよろしいでしょうか。

二代教会長が御国替されました際、三代教会長が四代金光様にお取次ぎ頂き、お伺いさせて頂きました時に、『これまでと変わらぬようにさせて頂いたらよろしい』とのみ教えを頂かれました。私は、どのような心構えで御用にお使い頂いたらよろしいでしょうか。」と五代金光様にお伺いさせて頂きました。

★その時、金光様から『神心となりて、人に丁寧に話をしていくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ』という有難いみ教えを頂きました。早いもので、それから6年以上経たせて頂きますが、日々足らないことばかりであり、私にとりまして、このみ教えは常に初心に戻らせて頂かねばならないことを思い出させて頂ける、心に残るみ教えであります。

★私達は、生まれてからこれまで、毎日奇跡的なおかげを頂き続け、その積み重ねによって、今を生かして頂いています。人間は時々その事を忘れてしまう時があります。小さなことで「どうでもいい…」「私など生まれて来なければよかった…」などと言ってしまうこともあります。それは、これまで自分がおかげを頂き続けていることを、忘れてしまっているからです。

おかげを頂いて有難い!とお礼を申させて頂きますと、本当の自分を見出だし、正しい願いをもつことが出来るのです。『有難き 恐れ多き 勿体なき』のみきの心で、おかげを頂き続けている自分であることを自覚させて頂きましょう。そして、そのおかげを人に違わぬように伝えさせて頂き、神様へのお礼の信心をさせて頂きましょう。

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2014年11月02日

●疑いを放し、日を切って願う

あるご信者は、9月3日に脳内出血で入院なさり、以来「御大祭に歩いて参拝させて頂けます様に」という願いを、ご本人、ご家族共に持ち続けてこられました。

始めは意識もはっきりせず、車椅子に乗らなければ移動もできない、腕も上がらない、言葉も出ないという程に全身の機能が低下した状態でした。

9月、10月と、神様にお縋りしながら治療を受けられ、ご家族の献身的な介護を受けられて、大変順調に回復のおかげを頂いておられます。

★今では一人で歩くことも出来、食事も自分で頂けるようになられ、外出の許可も頂かれたということです。

「御大祭に歩いて参拝させて頂けます様に」と、日を切って諦めず願い続けてこられ、ここまで結構におかげを頂いておられることを、有り難いこととお礼申させて頂いております。

そして、御大祭当日には願い成就のおかげを頂かれますよう、油断なくお願いさせて頂きたいと思います。

★お礼もお詫びもお願いも、信心の足りないところは生神金光大神様のお取次ぎのお徳によって、足して頂いて、おかげを頂いてゆくことが出来るのです。

疑いの心を放し、一心にお縋りする心で、11月11日の御大祭まで日を切って願いを持たせて頂きましょう。

そして、願いに向けて自分の信心を見直させて頂き、お礼の足りないところ、お詫びの足りないところを改まらせて頂き、御大祭のご庇礼を一層に蒙らせて頂きましょう。

★『自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いし、おかげのしるしがなければ、重ねて願え。それでもしるしがなければ、なおもう一度と、三度までは押して願え。願い主があきらめてはいけない。押して願っておかげを受けよ。』

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2014年11月01日

●お礼の信心

三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血で40日間絶対安静を必要とする状況になられました。その時、意識がはっきりされない中で三代教会長先生は「私は必ずおかげを頂きます。」と仰ったのでした。

40日後、歩くことからリハビリをなされ、お結界でのお取次の御用、そしてお説教の御用と日々御用下さり徐々に回復のおかげを頂かれたのでした。

★その時に三代教会長先生は「今日まで60年間おかげを頂き続けてきた。そのお礼にこれからの60年はお礼に御用させて頂こう。寿命は神様にお任せし、お礼に生かせて頂き、お礼の御用にお使い頂きますように。」とお願いされたのでした。

患われた後10年間は激しい頭痛が続かれ、冬でも氷枕を頭にあてられて休んでおられましたが、不足を一切口に出されず、お礼の御用に専念されたのです。

そうして、以前と変わらずに毎日御用にお使い頂かれた結果、ほとんど後遺症なく回復のおかげを頂かれ、90歳6ヵ月まで長寿のおかげを頂かれたのでした。

★有難いことに10月末・11月初めを迎えさせて頂き、いよいよ御大祭をお仕え申し上げる月を迎えさせて頂きました。振り返ってみますと、知らず知らずのうちに神様からお守り頂き、あれもこれもと数々のおかげを蒙らせて頂いている毎日です。

意識せずとも呼吸させて頂き、空気のお恵みを頂いて日々生活させて頂いております。また、お水も食べ物も住まいさせて頂いている住居も与えて頂き、火災も盗難もなく無事に生活させて頂いていることは大変有難いことです。

★生まれてから今日まで広大無辺なおかげを頂いてきました御礼をしっかりと申し上げ、御礼の足りないことのお詫びを申し上げましょう。

その上でこれからどのような生き方に変わらせて頂いて、どのような有り難い人生にならせて頂きたいかを願わせて頂ける御大祭となりますように共々におかげを頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

posted by 金光教阿倍野教会 at 00:58 | 平成26年の「み教え」