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2014年10月31日

●真一心の信心によって…

羽衣教会二代教会長、松岡安枝師は、ご結婚なさるまで、お母様と一緒に阿倍野教会で熱心にご信心をなさっておられました。しかし、一生懸命働いても働いても経済が楽になられることがなく、お母様も肺結核を患っておられたのでした。日々み教えを頂かれて、「ご信心させて頂いて我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、すでに亡くなっておられたお父様が残された負の遺産である多額の借金を返済する覚悟をなさったのでした。そのことをお結界で二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ、「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さったのです。当時の月給から考えますと、とても3年で返せる額ではなかったそうです。

★そこで、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られなかったのでしょうか?」と尋ねられますと、「あなた、そろばんを離しなさい。親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通しておかげを授けてやろうとおっしゃっておられるのですよ。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と、真の信心にお導き下さったのでした。

このことによって、迷わず一心に神様におすがりなさることが出来られるようになり、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも新調しないと決められ、お母様も結核のお薬を飲まれずに、ご神前にお供えなさった塩水でおかげを頂く覚悟をなさったのでした。またお母様と松岡師は、大好きな甘い物を買わないということを、神様とお約束され御修行なさったのです。

★ある時、ある会社の社長さんの所へ借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。あなたのような娘さんが世の中におられるということを社員に伝えたく思います。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。

なんと、借金の全額返済の証文と、返済した以上のご霊前のお供えを包んで下さったのでした。そのように真心に先方が真心で応えて下さり、無事に借金完済の大みかげを頂かれたのでした。

★これほどのおかげを頂いたお礼にと松岡師とお母様は、歩いて御本部へ御礼参拝されたのでした。お結界で三代金光様にお礼を申されますと、三代金光様より「結構でした。帰りは汽車にしなさい。」と有難いお言葉を頂かれたのです。

★神様に「どうぞさせて下さい」とお願いさせて頂いて、一生懸命ご修行させて頂いておりますと、それに神様が応えて下さり、お願い以上のおかげを授けて下さるのです。

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2014年10月30日

●願いを受け継ぐ

 先日、あるご信者がゲーテの『詩と真実』の『若き日の願いは 年老いてのち 豊かに満たされる』について聞かせて下さいました。その内容が非常に有難く、感銘を受けました。

 「…以前には自分の天職だと感じたが、他の多くの事と同様、放棄しなければならなかったことがらが、自分たちの生涯のうちに、他人によって成就されるのをみると、人類は相集まってはじめて真の人間であり、個人は全体のなかに自分を感ずる勇気をもつときだけ安心して幸福でいられる、という美しい感情が湧いてくるのである。」

★一人では成就し得ない事を家族が願いを持ち続け、代を重ねて受け継ぎ、表わしてゆくことによって、真の人間の姿に近づいてゆける、そういう事に、人間は幸福感をもって生きてゆくことが出来るのだと思うのです。

★親の代で願いが成就しなくても、また次の代、次の代…へと受け継がれて、同じように願わせて頂き、努力させて頂いてゆけば、願いは成就されてゆくのです。

 初代教会長先生の代で成就しなかった事も、二代・三代教会長先生の代で成就させて頂けるのは、願が一つになっているからです。それは、願いを立てて下さる方があられて、さらにそれを受け継いでゆく人があってこそ、初めて実現させて頂けるのです。

★先日の初代教会長先生の例年祭で、幼い子供達が玉串をきちんと奉奠させて頂く姿を、初代・二代・三代教会長先生がご覧くださり、どれほど喜んで下さっていることでしょうか。毎回のご祭典後の後片付けは、赤ちゃんに至るまでお手伝いさせて頂きます。その中で人が育ち、願いを共有してくれるようになってゆくのです。

 親の願いが子供の願いになり、共に育て合うようにならせて頂くには、願いを共有し表わす場が必要です。それは、日参と聴教であり、お届け、お宅祭です。子孫に代々と続かせて頂ける、末広がりの信心にならせて頂けますよう、しっかりと願いを伝えさせて頂きましょう。


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2014年10月29日

●初代教会長先生例年祭をお仕え申し上げて

 昨日は、天候はじめ万事万端のご都合お繰り合わせを頂き、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の88年廻れる例年祭をお仕え申し上げることが出来まして、真に有り難いことでございました。初代教会長先生は、甘木教会で足掛け8年御修行なさった後、伊藤コウ師とご結婚なさり、伊藤の家にお入りになって、阿倍野教会の布教の礎を築いて下さいました。

★初代教会長先生は、ご布教の当初から、「毎日、御祈念時に御説教がある教会に」という、教会としての方針をお立てになり、歴代教会長先生もずっと受け継いでこられました。今日も一日4回の定時の御祈念と御説教を続けさせて頂いておりますことは、真に有り難いことでございます。

★初代教会長先生は、24才の時に悪性のインフルエンザに罹られ、5週間も意識不明の重体となられ、医師も匙を投げてしまわれたのですが、伊藤コウ師が付きに付いて看病なさり、全快のおかげを頂かれました。そして、その後も厳しいご修行の中、伊藤コウ師と共に阿倍野教会創設の礎をお築き下さり、旧広前のご建築がいよいよ始まろうとしていた布教5年目にして、32才でお国替えになられました。

この時伊藤コウ師は、「(初代教会長先生24才の大病から)8年命を延ばして頂いて有り難うございました。」と、神様に御礼申されたのでした

★また、布教5年祭を目前に控えた、初代教会長先生の十日祭の当日、「教会長先生とはお約束しましたが、奥さん(伊藤コウ師)とはお約束しておりませんので」ということで、旧広前建築委員総辞職の連判状が届けられるということがありました。

その時、伊藤コウ師は、「神様私をこんなにかわいがって下さって有り難うございます。この度は、人に頼るのではなく神様にすがれよ、との結構なみ教えを頂き有り難うございます。」と神様に御礼申され、人を頼るのではなく、人に不足や恨みを持たれることなく、神様に一心にお縋りなさっていく覚悟をお決めになられたのでした。

★つねにみ教えを頂いて、起きてくることから神様の思し召しを正しく頂き、ここから一層、改まりと信心向上のおかげを頂きたいと存じます。
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2014年10月28日

●与えて頂いているご修行を有難く頂く

 本日午後二時より、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の88年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。初代教会長先生は、阿倍野教会の礎を築いて下さり、御霊様となられた今日も、日々付きに付いて御祈念頂いているおかげで、今日私達はおかげを蒙らせて頂いております。夫々にお礼の真心を込めさせて頂き、勢を揃えて有難い御祭典をお仕え申し上げたいと思います。

★阿倍野教会の布教当初、初代教会長先生・二代教会長伊藤コウ師は徹底して無理無駄ムラを省いてこられ、毎月赤字の無い生活を心掛けておられました。コウ師が小学校へ勤めておられる時には、月々のお給金は教会に全てお供えなさり、そのお供えは全て教会の家賃になっていたそうです。教会に経済の余裕は一切ありませんでしたので、風呂屋へ行くことも始末して、夏は行水をし、冬は手拭いでお体を拭くだけになさっておられたということです。

そして人様に迷惑を掛けることがないように、ご自分達の生活はどこまでも切り詰めていかれたのでした。食べられない時には食べない、着るものがなければ着ない、お風呂に入られなければ入らないという覚悟を以てご修行なさったのです。ところが、食べられないということは一度も無く、着られないことはなく、神様が立ち行かせて下さいましたことは真に有難いことです。

★しかしその様な厳しい状況であられた中、ご信者さんから「お風呂が沸きましたからどうぞお入りになって下さい。」と言って頂いても、絶対に甘えたりしてはならないと神様とお約束をしてご修行なさっておられたのでした。そして人に頼ることなく、神様に一心におすがりなさってご修行下なさったのでした。

★夫々の家庭に於かれましても、必ず何かしらの御修行を神様から与えて頂いているのです。その与えて頂いている御修行から逃げずに、「これをおかげにさせて頂こう!」と有難く乗り越えてゆく徳と力を頂くことが大切です。入信以来、各家庭に頂かれたみ教えを掴んで離さず、親・子供・孫・ひ孫の代もずっと守り通させて頂きましたら、決して神様は見放されることなく結構な家になってゆくことは間違いありません。

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2014年10月27日

●「徳と力」を頂くのには・・・

阪堺上町線東天下茶屋の駅の近くで寿司屋を営んでおられ、結婚後20年経って初めて子宝を頂かれた方がありました。その息子さんが成人された時には、戦後の事で寿司屋が出来なくなっており、

「先生、父は亡くなりました。父の跡を継ぎ、商売をさせて頂きたいと考えておりましたが、戦争で出来なくなりました。今はある会社でボイラー炊きの仕事をしております。いつまでもこんなことをしていてよいのか、今している仕事が何の役に立つのか、と疑問に思うのです。」とお結界でお届けなさったのでした。

★三代教会長先生は「どうぞお父さんのしておられた商売をさせて下さい、と神様にお願いさせて頂きましょう。そして神様から与えて頂いている今の仕事を大切にして、最大限の実意を込めて打ち込んでさせて頂きなさい。」とみ教え下さいました。

★さらに、「ボイラーを炊く仕事と、将来の自分の仕事とは何の関係もないと思い易いけれども、神様から『この氏子の願いなら聞き届けてやろう』と思って頂けるような仕事ぶりになることこそ、実意込めたお願いとなるのです。」とみ教え下さったのです。

★み教え通りに一生懸命に仕事をさせて頂いておりましたら、「店を持ちませんか?」と声をかけて頂かれ頂かれ、自分の手持ちの資金で買わせて頂くことが出来、看板も自身で書いて準備を整えられましたら、繁盛して、さらに目抜き通りの良い場所に立派な店を持たせて頂くというおかげを頂かれたのでした。

★「徳と力」を頂くのには、自分に与えられた仕事に対して、しっかり責任を持って実意を込めてお願いして、実意を込めて全うさせて頂くということが、一番大切な事であります。神様から、『この氏子の願いなら聞き届けてやろう』と思って頂けるだけの実意のある生き方をさせて頂きましょう

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2014年10月26日

●人生の楽しみ

 先日、あるご信者が「人生の楽しみとは何でしょうか?私は日々与えて頂いているお仕事をさせて頂いて、楽しみを見出しおかげを頂きたいと思っておりますが、友人たちは趣味に興じ楽しんでいて、『あなたは毎日仕事ばかりしていて、何の楽しみがあるのですか』と尋ねられたのです。」とお届けなさいました。

仕事に対して、全く違った考え方がある事がよく分からせて頂けるお話ですね。日々心身共に健康で一生懸命仕事に邁進させて頂く事を楽しみとし、周囲の方々と円満に喜んで働き、生活させて頂ける事ほど、有難いことはありません。

★江戸時代の儒学者、貝原益軒は「養生訓」で、人生の真の楽しみについて3つの事を挙げておられます。

(1)道を行い、善を行って楽しむ(私達はお道のご信心を日々求め、信心が向上していく事を楽しみとさせて頂きましょう。そして善意を尽くし、善行を心がけることが楽しみとならせて頂きますようにお願いさせて頂きましょう。)

(2)身に病なく、快く楽しむ(毎日快く食事ができ、手足が動き、働かせて頂ける事が有難いのです。心身が健康であれば、生活の中でさせて頂かねばならない事も楽々とさせて頂けます。)

(3)命長くして久しく楽しむ(神徳寿命長久とは、天寿を全うさせて頂き、さらに御霊の働きをさせて頂くためには、生涯かけて信心のお徳を積ませて頂くことが大切です。)

★仕事も生活も「しなければならないからする」のではなく、「有難くて有難くて仕方がない!」と心から喜んでさせて頂き、先を楽しみに今日の努力をさせて頂けるようになる事こそが、人生の醍醐味であります。心身共に健康で、喜んで生活をさせて頂き、生涯現役でお役に立つことが出来ますように信心をさせて頂きましょう。

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2014年10月25日

●心の眼を開く

 10月23日は、初代教会長伊藤徳次先生の甥にあたる、池田司氏のご命日でした。平成15年10月18日に、3年祭をお仕えする日の朝、夢に池田司氏が出て来られ、正座をなさり、次の様にお礼を言われたのです。

★「孫が受験をさせて頂きました。即日結果を頂きまして、合格致しました。」その年は、2人のお孫さんが受験の年で、実はその日は、1人のお孫さんの受験日だったのです。そして、ご命日である23日に、合格の通知を頂いたのでした。また、もう1人のお孫さんは、21日、初代教会長先生のお父様、池田太市氏のご命日に、無事合格の通知を頂いたのでした。

★池田家の方は、代を重ねて熱心にご信心をお進めになり、その信心のお徳によって、御霊となってもコ高く、安心のおかげを頂き、子孫を守らせて頂くことも出来るのですから、こんなに有難いことはありません。

★『御霊は道に入って作業するものである。人は生きておる時も、御霊となっても、働かねばならぬ。それは信心して身に徳を受けておかねば、本当の働きはできぬ。』(近藤藤守師)人は皆、それぞれに神様からお役目を頂いています。

 毎日お広前に参拝させて頂いて、何を稽古させて頂くのか。それは、心の眼を開かせて頂く事です。心の眼で見て、心の耳で聞かせて頂くのです。神様は私に何を求めて下さっているのか、どのようなお役目を与えて下さっているのか、それを分からせて頂けるように、生きている間にしっかりと積徳の信行に励ませて頂きましょう。

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2014年10月24日

●長期に亘った願い

 阿倍野教会がまだ借家でのご布教間もない頃から、二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。」とお願いし続けてこられました。夜空の星を物干し竿でかき落とすような、手の届きそうもない大きなお願いですが、諦めることなく何が何でもという強い願いを持ち続けられ、家内中が心を揃えて願われ、御修行して下さいました。

初代教会長先生も二代教会長先生も、お願い成就の為に生活は無理無駄ムラのないように戒められて、風呂屋へ行くことも辛抱なさって、徹底して質素倹約を心掛けられました。すると、布教の初めから5年後には「借金なし、分担金なし、寄付の強要なし」でお土地を買わせて頂き、24畳のお広前の建築が出来、それから30年後には百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂いたのです。

★それぞれの家でもお願いなさっておられることが、どうあっても成就のおかげを頂けるようにと長期に亘って願い続ける事が大切です。阿倍野教会では、布教当初から5年5年と計画を立てて、大きなお願いを持って願い続けることを教えて頂いております。

10年先にはどうありたいかを家中で心を合わせて願いを立てさせて頂くのです。そのためには、この5年間で生活の中で何をお願いとし、改まってゆけばよいか考えさせて頂くことが大切です。今日一日を大切にするからこそ将来が開けてくるのですから、今日一日を真剣に生き、今日を喜び明日を楽しんで日々の生活におかげを頂いて参りましょう。

★人生の三大原則
1)出来る限り長い目で見る。
2)物を多面的、全体的に見る。
3)根本的に考える癖を身に付ける。

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2014年10月23日

●ご修行の徳は辛抱の徳

11月11日の金光大神大祭まで、3週間を切りました。それぞれにご修行を決めて、しっかり励ませて頂きたいと思います。ご修行は、辛抱が伴うからこそ、より一層有り難いものになるのです。

★伊藤家は、ご信心を頂く前までは、病人が絶えず、喧嘩も多い家でした。伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)がお道のご信心にご縁を頂かれたのですが、しばらくは、ご主人が信心することに猛反対でした。

ですからハル刀自は、ご主人に気付かれないよう、注意を払いながら日参と聴教に励まれました。

そして雨の日や風の日や雪の日には、「いつもより2倍も3倍もお徳を頂く日だ!」と喜び勇んで参拝なさいました。足袋と足を拭く手ぬぐいを持って、裸足で下駄を履かれて参拝させて頂かれ、お広前に上がる前に濡れた足を手ぬぐいで拭いて、足袋を履いてお広前に上がられたそうです。

★また、ご主人からどんな無茶を言われようとも決して口ごたえをしないよう、喧嘩にならないよう心がけられたのでした。ご自身が、伊藤家の信心の礎になることを決心なさり、子どもの病気が治るよう、家が円満になるよう、必死の思いで日々ご修行なさったのです。

★ご修行に「もうこれでよい」ということはありません。積み立てた徳も、慢心すると途端に減っていくのです。御大祭のご庇礼を存分に頂けますよう、特別信行期間は、一層気を引き締めてご修行に励ませて頂きましょう。

『神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』

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2014年10月22日

●初めを忘れぬ心

 昨日は、初代教会長伊藤徳次師のご尊父であられます池田太市老翁霊神の御命日でした。昭和10年10月21日に85歳で御国替されたのです。太市氏は、九州の吉井という所から甘木教会に23キロの道程を歩いて参拝され、息子・庄五郎氏(初代教会長先生のお兄様)の尿の出ない病気が全快のおかげを頂かれたのでした。

★太市氏が、吉井町から甘木教会へ参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝されていました。ある日、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁で縛って下げ持っておられたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ、鯉が逃げてしまったのでした。

★太市氏は船頭さんにお願いをしてもう一度鯉が逃げたであろう所まで戻られました。すると、流れがあるにもかかわらず、その鯉が逃げたその場所にとどまって水面から一尺ほどの所にいるのを見つけたのでした。そして、網で捕らえて甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られた時に、甘木教会の先生が「御供えさせて頂きたいというあなたの真心が神様に届いていたのです。」と仰って下さったのでした。

★徳次師は16歳の時、お兄さんの病気全快のおかげを頂かれた身代わりに、家中が助からせて頂く為に甘木教会にご修行に入られ、足かけ8年間御修行して下さり、伊藤コウ師と御縁を頂かれて23歳の時にご結婚なさって大阪に布教をなされました。

★太市氏のその熱心な信心と、初代教会長先生の御修行して下さったおかげで、縁につながる多くの親族皆が立ち行き、今日まで代々ご信心が伝わって、子孫である池田先生のお家が神様の御用にお使い頂くおかげを頂いているのです。

★このおかげを頂かれた元は『真・真心』であります。ご信心させて頂く前の辛かった事と、ご信心させて頂いておかげを頂いた有難さや御恩を一生忘れず、み教えを守り通して行かれたのです。初めを忘れぬ心を持ち続けさせて頂く事が大切なのですね。

『信心とは 如何なることを 言うならむ 初め忘れぬ 心ならずや』(安武松太郎師)

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2014年10月21日

●『神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな』

 神様が私達を見放されることはありません。自分自身が諦めてしまってはいけないのです。一方ではおかげを頂かせて下さいとお願いしておりながら、一方では難しいからとても出来ないのではないかと疑うような「二心」になってしまってはおかげになりません。どこまでも諦めず、押して願い続けさせて頂くことが大切です。

★教祖様は明治6年に戸長より神前撤去を命じられました。神勤だけでなく、広前のしつらえすべて取り払うようにとの命令でした。

 神様から『家族一同神のことを忘れるな。何事があっても、人を頼るようなことをするな。良いことも悪いことも、神任せにせよ。世は変わりもの、五年の間、辛抱をせよ。とにかく内輪仲良くせよ。ものの言い方でも「あなた」「こなた」というように丁寧な言葉遣いをするがよい。』と御裁伝頂かれたのです。

★家族が一丸となり、神様におすがりさせて頂く機会を与えて頂かれ、この時期に「天地書附」が表されたのでした。どんな時も一心に神様に心を向けさせて頂くことによって、神前撤去という大変な困難の中から、新しいおかげの芽が芽生えたのです。

★三代教会長先生は「『全智全能の神』という言い方をするが、神様は全智全能ではあられない。なぜなら、神様が『どうぞ助かってくれよ』と願って下さっていても、『どうぞおかげを頂かせて下さい』と願う氏子にはおかげを授けられるが、願わない氏子にはおかげを授けることが出来られないからである。そこに神様のお嘆きがある。」と教えて下さいました。おかげを受けられるか、受けられないかは、我が心にあるのです。

★天地書附『生神金光大神 天地金乃神一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日で頼め』


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2014年10月20日

●すべての人に分け隔てなく…

 お教会にお参りなさったらお分かりになると思いますが、阿倍野教会のお広前のどこにも売り物はありません。例えば御神酒、阿べの誌、拝詞集、等々…教会でお下げするものは、一切非売品であり、売り物ではないのです。阿倍野教会でご信者皆様にお使い頂いておりますところの御神米を入れてお下げさせて頂く布製の入れ物も、教会の先生方が手作りの物で、売り物ではありません。

★それは何故でしょう。それは、明治11年、教祖様の御時代に神様がみ教え下されているのです。『木札や守り札は出すな。貧しい人々が助からない』と、厳しく諭しておられます。貧しい人であれば、そういう物を買えず,買えないとおかげが頂けないというような宗教ではないのです。

★『おみくじを売ったり、富くじをしたりすれば、神の利益になるだろうに、と言う人がある。しかしこの神は、おみくじによる利益など、一文たりともいらない。もとより、金の無心をしたり、寄付を求めたりしない。神の教えどおり願って、願いどおりにおかげを受け、ありがたいという思いからお礼にお供えするものは、神も喜ぶ。末々の繁盛を守ってやる。お札やお守りの代金などで利益を得るというような神とは、この方の神は違う』と明言されています。

★氏子が、貧富の差や、身分の差や、民族の違いで分け隔てされることなく、「ことごとく助かってくれよ」という生神金光大神様・天地金乃神様の御神願に添い奉ることが出来ますように、と願い続けられた歴代教会長先生の御信心を習わせて頂きたいと思います。

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2014年10月19日

●倦まず弛まずコツコツと

あるご信者は、以前心臓弁膜症の手術をして頂かれました。しかし、その時に付けられた金属の弁が上手く機能していないということで、再手術となったのでした。

ところが、手術の途中で心停止の状態となり、誰もが命の危険を感じる場面もあったそうですが、再び無事に心臓が動きだし手術は無事成功したのでした。

そして、意識が戻られて目を開けられた途端に、「天井一面に三代教会長先生のお顔が大きくはっきりと映し出され、お出まし下さいました。そして私を引き上げて助けて下さいました。」とお話しになったのでした。

常平生から実意丁寧に、三代教会長先生が御取次ぎ下さるお結界にてお届けなさり、生神金光大神様のお手続きよって天地の親神様におすがりなさっておられた一心が通じておられたのです。

★日々お結界で御取次を頂くということは、生神金光大神様の御取次によって天地の親神様の御神徳を蒙らせて頂けるという大変有り難いことなのです。

常平生から、どんなことでも実意丁寧にお願いさせて頂き、一心におすがりさせて頂いておりますと、いざという時にでもお守りを受けることが出来、安心のおかげを頂くことが出来るのです。

いつも神様と共にある生活を心掛けさせて頂くことが大事です。神様に実意丁寧・真心が通じていくようなご信心を心掛けておりますと、神様は付きについて守って下さり、夢の中にでも必要な事を教えて下さるのです。

★奇跡的なおかげを追い求めるのではなく、倦まず弛まずコツコツと真面目に信心を積み重ねさせて頂きますと、神様が奇跡的な体験は必要な時にさせて下さるのですね。
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2014年10月18日

●神様に近づかせて頂く 

 あるご信者がギリシャにツアー旅行に行く予定を立てておられました。4人で行く予定だったのですが、2人が行けなくなってしまい、残りの2人で行こうかどうかを迷っていらっしゃいました。お結界でお届けされますと、「迷っておられるのであれば、止めておきなさい。」とみ教えを頂かれ、その通りに旅行をキャンセルされたのでした。

すると、その年ギリシャでは、40度の熱風が吹き、外出できるような状態ではなくなったのです。ツアーに行かれた人達は、ホテルに缶詰めとなってしまい、大変な思いをなさったとのことでした。間に合うように、神様が止めて下さったのです。

★先々に起こってくる事は、誰にも分かりません。しかし、神様は間に合うようにお知らせ下さっているのです。我情我欲に囚われて、そのお知らせに気付けなければ、取り返しのつかない事が起こってしまいます。曇りのない心で、心を清く保たせて頂き、神様に近づいていけるよう、稽古させて頂きましょう。

★お取り払い頂くべき我情我欲

(1)貪欲…食欲一つとっても分かるように、貪る(むさぼる)ことは心も体も壊してしまう。

(2)瞋(怒り)…心掛けていなければ、親子、兄弟同士でもいがみ合い、互いに怒るようなことがある。怒りに囚われると、血の巡りも悪くなり、体は硬直し、周囲にも自分にも計り知れないほどの悪影響を及ぼす。

(3)痴…愚痴不足を言わないように、非理性的にならないように心がける。

(4)慢心…怠ける心。心に巣くう害虫のようなもの。自分の心におごりが出ないように、どこまでも謙虚に。生涯かけてご修行する。

(5)疑…ご神徳を疑いだすと、信心の道は開かれない。どんなことが起きてきても、有り難い天地のお徳の中に生かされていることを忘れない。

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2014年10月17日

●人を目当てにせず、神様を目当てに

大正15年、阿倍野教会お広前ご建築を目前に、初代教会長・伊藤徳次師がお国替えなされました。その徳次師の10日祭をお仕えさせて頂く日に、建築に携わっていた方全員が、

奥様であられます伊藤コウ師に対して、建築委員全体総辞職という連判状を提出なさったのでした。その巻紙には連名で、「役目を退かせて頂きます。」と書かれてあり、皆が「肝心要の先生が亡くなられたのであるから、もう教会を建てる必要なし。」という意見になってしまったのです。

そこでその連判状を受け取られたコウ師は、「神様は私のような者をここまで可愛がって下さるのか!あぁ有難い!人に頼って建ててもらう教会は人間の教会!神様に頼んで建てさせて頂く教会は神様の教会!私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう!」

と御礼を申し上げると共に心に決められ、人に頼る心を一切お取り払い頂けるように、神様を杖になさって、その連判状をご神殿にお供えして御礼を申されたのでした。

★それから、「どうぞ借金無しで建てさせて頂けますように。」とお願いなさって、ご建築に取り掛かられたのでした。そしてついに昭和2年11月11日、開教五年の記念大祭と新築落成の祝祭を以前よりも盛大に奉行させて頂くことが出来られたのです。

★「婦人の五徳」

1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。

2)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、自身の改まりを心掛ける。

3)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。

4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。

5)よく尊敬する…神様、御霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。
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2014年10月15日

●お広前に近づき、神様の御心に近づく

 ご信者の竹中氏は、お仕事の上で研究なされて、60才で工学博士になられた方でありますが、(株)クボタに勤務なされておられましたが、系列会社の赤字会社に、次々と出向かれて黒字に転換なされました。会社の在り方を一つ一つ見直されて、健全な財務内容になるように改革していかれました。

難しい・厳しい状態の中に行かされ、一つの会社が良くなると、次の赤字会社に社長として出向かれたのです。「神様は私を可愛がって下されている。目をかけてくださっている。『貴方ならさせて頂けるであろう』と、神様が与えてくださっているのだ。ありがたい。ありがたいお仕事だ。」と受け取らせて頂き、天職だと思ってさせて頂かれる日々であられました。

★常々、私に「70才も越えたこの年齢になって、しかもこういう立場になりますと、人が厳しく教えて下さるという事は、まずありません。しかし、毎日み教えを頂くことはありがたいことです。教祖様のみ教えは、天地の道理を説いて下さっているみ教えでありますから、常にありがたく、常に新しく頂き直しております。」と仰っておられました。様々な切り口からみ教え下されるので、あぁ、こういう風に頂き直してゆけばよいのか、あぁこういう御意味であられたのかと、今まで解らなかったところを新しく見直すことが出来られました。

★竹中氏はみ教えを自分のお仕事に生かされたのです。会社も仕事の環境が新しくなりますと、人との関係を新しく築き上げることで、財務の問題、会社の改革部分を見直すこと等々、次々と見直さねばならないところが出てきます。スポンジが水分を吸収するように、み教えを頂き直されて、自分自身を見直し、会社も見直していく。そこにありがたい御庇礼を頂かれたのです。

★思うことが思うようにならないという時、難しい厳しい状態におかれた時に、人のせいにしたり、世の中のせいにしたりして、責任を転嫁する。それでは結構にはならないのです。み教えを聴かせて頂いて、己を反省し、その責は己に負わせて頂くのです。神様にお礼を申し、お詫びをし、お願いをしていく。そういう心持ちにならせて頂くことが肝心です。その為には日々お広前にお引寄せを頂き、神様の御心に近づいていくことです。神様からご信用を頂ける人は、人からも信用して頂けるようになられます。

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2014年10月14日

●家業を有難く努める

 薬剤師をなさっておられた布浦氏は、商売の初め、西区で一番小さな薬局を営んでおられました。ご主人は二代教会長伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、五ヵ年計画の願いを立て、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように。」というお願いをなさったのです。

その願い成就までは、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、どんなことがあっても、朝参りを欠かさず、日参と聴教に励みつつ日々の商売に努力されました。
コウ師からみ教え頂かれたとおりに、薬の卸問屋さんへは、期日の三日前までに、自ら出向いてお礼を申してお支払いさせて頂くということを続けておられるうちに、厚い信頼を頂かれ、珍しい商品などを優先的に手配して頂ける様になっていかれたのでした。

また、お客様を第一に考えられ、食事を摂る時間も惜しんで接客されるほど、日々のお商売に熱心に打ち込まれたのです。そうして実意丁寧にお仕事に励まれるうちに、西区で売上が一番、特定品においては近畿で一番の薬局になったのでした。

★家業を有り難く努めることがこのお道の信心の行だと教えて頂いております。家庭において、社会生活において、信心に基づいて家業を有り難く務めさせて頂くことによって、生まれながらに神様から頂いている徳性が磨かれ、ご先祖様から受け継いでいる能力もより一層高まり、大きなお願いも成就させて頂くことが出来るようになるのです。

そして、どんな時でも心中御祈念を欠かさないよう心掛けておりますと、生神金光大神様がその祈りを受けて下さり全てに間に合うように整えて下さるのです。お願いさせて頂くということは、聞くこと見ること全てお願いさせて頂いて、祈りに変えてゆくということです。するとそれがお仕事の上に表れて、全てにご都合お繰り合わせ頂け、さらに御祈念のこもったお店になり、御祈念のこもった品物になって、愛情のこもったお商売がさせて頂けるようになってゆくのです。

★周囲の人を拝み、仕事を拝み、お世話になるもの全てにお礼を申し、家業を有難く努めさせて頂くところに結構なご庇礼を蒙らせて頂くことに繋がるのですね。

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2014年10月13日

●この世にたった一つのもの

 中学生の頃、自分の手作りのペンケースが随分傷んできたので、以前から欲しいと考えていた皮製の新しいものを購入しました。

買ったものを机の上に置いておりますと、二代教会長伊藤コウ師がそれをご覧になり、「これはどうしたのですか」とお尋ねになったので、

「今までの物が傷んできましたので買わせて頂きました」と申しますと、

「あなたが作った筆入れなら、あなたが修繕してまた使わせて頂いたらどうですか?買ったものは世の中にいくつもあるものですが、あなたが作ったこの筆入れは世の中にたった一つしかないものですから、結構なものですよ。私の話しが分かりましたか?分かったのなら、買ってきたものは返させて頂きなさい」とみ教え頂きました。

思春期の私には、お店に返品するのが恥ずかしいというような思いもありましたが、み教え頂いた通りにお店に持っていき、返品をお願いしますと、お店の方は快く受け取って下さったのでした。

それから、今日までペンケースは一度も購入することなく、子どもの頃にお下がりで頂いた物等を使わせて頂いております。ところが、ペンケースが次々と集まってくるのです。有り難いことです。

★甘木教会の安武松太郎師は、「マッチ一本、釘一本、銅版の切れ端一つ、薪一本、紙一枚、お水一滴、お湯一杯、木炭一塊、縄切れ、落葉、お米の一粒、醤油の一滴、また、タオルの使い方しぼり方、石鹸の使い方、下駄の履きよう、全て神様の賜り物だから粗末にしては相済まない」と、み教え下さっておられます。手元の所から少しずつでも、稽古させて頂きたいと願っております。

★希少な物であっても、有り余る程ある物であっても、全ては神様からの賜り物です。現代の日本は物が豊かで、結構な生活をさせて頂いておりますが、ご修行させて頂くことを我が心から練りだし、一つ一つの物にお礼を申し、大切にする稽古をさせて頂きたいものです。

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2014年10月12日

●おかげの中での出来事

 初代教会長先生は、大正15年10月28日32歳という若さでお国替えになられました。甘木教会で16歳から足掛け8年、四条教会で半年、島之内教会で1年ご修行下さり、大正10年阿倍野の地でご布教を始められたのです。そして、5年目にお国替えになられます時には、「おかげやで、おかげやで」と言い残されたのです。「自分が肉体の働きを終えて御霊神となることはおかげである。そのことによって信奉者一同がおかげを受ける。伊藤家もおかげを受ける。」と、これから御霊となることをおかげの中の出来事と言い残されたのです。

★奥様の二代教会長伊藤コウ師は、そのことを「何が何でもおかげにせねばならない」と悲痛な思いで受け止められておられました。しかし、世の人々は口さがないもので「金光教の先生でも若死にしますか…」「子供がおられなくて良かったですね。まだ若いのだから、新しい暮らしをしたらどうですか…」「私の夫は有力者ですから相談してください…」等と色々な言葉をかける人があったようです。

その中にあって、コウ師は、「主人を亡くして、悲しくないことがありますか?悲しいし、辛い。 しかし、主人は24才でスペイン風邪にかかり命の無いところを助けて頂き、8年間寿命を伸ばして頂きました。そのことを神様にお礼申し上げます。 どうあっても初代教会長先生のご遺志を継がせて頂けます様に。」と初代教会長先生の御心を無にしないように、 すべてを神様の思し召しであると、おかげにしてゆく御信心をなさったのでした。

★『神のおかげで生まれてきた人間であるから、死ぬのも神のおかげでなくて死ねるものか。そうであるから、生まれたのがめでたいなら、死んで神になるのは、なおのことめでたいではないか…』

★誰しも家族や親しい方がお国替えされるという事は、大変辛いことです。しかし、亡くなられたら、もうそれで何もかも消滅してしまうことではありません。御霊の神となって付きに付いてお守り下さる存在になられるのです。それぞれに生命を頂いていますが、亡くなられた方々と共に生きていくという事を分からせて頂くことが大切です。後に残った者が、御霊様の霊徳と安心を願い、自分自身がしっかりとご信心させて頂いて、お徳を積ませて頂くことに精励しておりますと、御霊様もお喜び下さり、祈り合って共に生きてゆくことが出来るのです。

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2014年10月11日

●永世生き通しの神 

  教祖様は、明治16年10月10日、70歳の齢で神上がられました。

★教祖様は文化11年9月29日に神様からお命を頂かれ、42歳に神様に出会われるまでに、さまざまなご修行があられました。そして天地金乃神様も教祖様に出会われるまで、幾千年もご辛抱なされたのです。

神様は教祖様をさまざまにお試しなされ、お育てになられ、それに教祖様は真を尽くしてお応えになられました。

そして、『此方金光大神が神を世に出してくれたのじゃ。氏子が天地金乃神のおかげを受けられるようになったのも、金光大神のおかげである。神からも氏子からも双方からの恩人は金光大神である』と神様がお立てになるほどのご信用を頂かれました。

それに対して教祖様はどこまでも神様を立てられ、双方が相手をお立てになったのです。天地金乃神様と生神金光大神様との間柄は、親と子の間柄、人と人との間柄、神様と氏子の間柄をお示し下さっています。

★また、教祖さまは、ご自身がお隠れになった後のことについて、『肉体があれば、世の氏子が難儀するのを見るのが苦しい。体がなくなれば、願う所に行って氏子を助けてやる』と仰せになったのでした。そのお言葉通りに、永世生き通しの生神金光大神取次の働きを現して下さり、人々が助かる筋道を示して下されたのです。

★肉体の生命は尽きる事がありましても、霊神の働きは永遠だということを御自ら示して下されました。私達一人一人も天地の親神様の氏子として、有難い生涯を全うさせて頂きましたら、永世生き通しの魂神として生き生きとお役に立たせて頂けるのです。

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2014年10月10日

●おかげの中で生かされている

 先日も嬉しく有難いお礼のお届けがありました。「昨日、無事安産のおかげを頂き、4122グラムの健康で五体満足な男児誕生のおかげを頂きました。」とお礼申されたご信者があられたのです。

10月1日が予定日だったそうですが、出産前にお届けに来られ「予定日が10月10日ですが、御本部の御大祭参拝もありますし、一番良い日時におかげ頂けますように。」とお願いされました。そこで「まだ赤ちゃんが胎内にいたいということですから、『赤ちゃんにとっても母体にとっても家族にとっても一番良い日を与えて頂いて、一番都合の良い日時にお繰り合わせ頂けますように。』と神様にお願いさせて頂いておりますと、必ずおかげ頂けますからお願いさせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

そして、御大祭参拝の日には、家族の方々は全員が参拝され、自身は家でお留守番しておられました。そして全てにご都合お繰り合わせ頂かれて、予定日から一週間延ばして頂かれ、8日の日に無事安産のおかげを頂かれたのでした。

★人が生まれるということもそうですが、毎日変わらずに生活させて頂き、おかげを頂いておりますことは、どれほどのご都合お繰り合わせ頂いてのことでしょうか。神様から日々与えて頂いている空気やお水、食物、また居住させて頂いているお土地等々、全て天地のお恵みの中で与えて頂いているものです。

万物を神様の賜り物として拝ませて頂き、拝む生活を心掛けておりましてもまだまだ足らないことばかりです。日常の起居一切すべてが、神様のおかげの中でのことですから、当たり前と思わずにその有難さを痛感させて頂き、お礼申す稽古をさせて頂きたいと思います。

★健康で働かせて頂けるのも、神様のお恵みを頂いての事であり、生命を与えて頂いているのも、様々な生命を分けて頂いて、自分の生命を繋いで頂いているのです。そのことをしっかりとお礼を申し、喜ばせて頂きましょう。

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2014年10月09日

●難はみかげ

 昨日は、みかげ会例会にて、田川氏の有り難いおかげ話を聞かせて頂きました。田川氏は養護学校に勤められた後、臨床心理士の資格を活かされて、大学の教授やスクールカウンセラーとして、長年に亘り、障害児教育・保育にご尽力されました。

★大学教授の定年退官の数年前に、付属小学校の校長先生を兼務なされたことがあられました。校長就任の当日には、保護者からのたくさんのクレームが届いており、その処理が校長としての仕事の始まりとなられました。

また、校外でのマラソン大会に参加された児童が、心臓発作のため亡くなられるという不慮の事故が起きたり、新築の校舎からボヤが起きる等、さまざまな問題が続いたのです。

初めは、「創立以来20年間、何事もなかったのに私が責任者になった途端に、どうして大きな問題が立て続けに起こってくるのか…」と恨めしく思われたそうです。

しかし、三代教会長先生から「起きてくることをどのように受け止めていくか、要は対応の問題です。起きてきた事を全ておかげにさせて頂きなさい。広く大きな気持ちで受け止めさせて頂きなさい。」とみ教えを頂かれ、心を入れ替えられました。

「専門領域の私だからこそ、この機会に学校の体制を見直し、考え直しなさいという御神意であるのだ。」と思い直され、信念と勇気を持って、実意丁寧に改革に取り組まれました。

『双方立ち行くように』というみ教えを元に、大規模な人事異動を行われ、保護者からも喜んで頂ける、新たな障害児教育の体制を創り上げられたのでした。

★このように一見、順風満帆に思える輝かしいご経歴であられますが、その中には数々の苦労があられました。その度に、お取次ぎを頂かれ、ご信心を元におかげを頂いて来られたのです。「どんな苦難も必ずおかげにさせて頂こう!」という、強く確かなご信心を共々にさせて頂きましょう。


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2014年10月08日

●生まれ変わる喜び

 先日あるお母さんが、中学生のお子さんに、「我慢と辛抱との違いを、分かり易く教えてやって頂けませんでしょうか」とお尋ねになりました。

そこで、「我慢には、『耐える』という意味の他に、『わがままに振舞う』という意味があります。『我慢の剣』という言葉もありますが、『我慢』は『諸刃の剣』です。片意地張って我慢する(わがままに振舞う)ことによって、相手も自分も傷つくことになるのです。一方、辛抱は『信心辛抱』。自分自身が『これを慎ませて頂こう』『これを改まらせて頂こう』と、神様とお約束して、ご修行として有り難くさせて頂くものです。周囲の人も助かり、自分自身にお徳を頂くことが出来るのです」
と、お話しさせて頂いたことでした。

★片岡次郎四郎師は、実直で正義感が強いお方でした。ご信心を頂かれる前までは、間違っている人がいると、その相手を責め、承服させずにはおれぬものを持っておられました。しかし教祖様より、「性根を直さなければ、徳は頂けない。」とお取次ぎ頂かれ、それまで「正しい」と信じて疑わなかった生き方を、み教えによって改めることを決意なさったのです。厳しいご修行を自ら進められ、教祖様からも天地の親神様からも厚いご信用を頂かれるようになられ、お取次ぎの御用をなさるようになられたのでした。

★前教務総長の佐藤光俊師は、「微々たることしか分かっていない自分であるのに、さも何もかも知っているかのように勘違いしがちなわれわれであり、間違いや誤解を生じても、そのことにすら気付いていないこともある。そんな自分のままでいいと思うのであれば、その時点で、すでに後退は始まっている。(中略)過去の自分が壊れ、新たな自分が生まれる道程には、少なからぬ謙虚さと勇気が必要である。そのような、過去の自分が壊れていく体験を恐れず、新たな自分が生まれる喜びを味わう。それも信心の醍醐味である。」とみ教え下さっておられます。

★御本部金光大神大祭参拝の翌日6日から、阿倍野教会金光大神大祭の11月11日までを特別信行期間とさせて頂いております。新しい自分に生まれ変わらせて頂くつもりで、自ら求めてご修行に励ませて頂きましょう。

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2014年10月07日

●我流に陥っている自身に気付く

5日には、御本部御大祭参拝を共々におかげを頂きました。私は、開帳役のお役を賜り、有難く御用にお使い頂きました。御大祭の前日には、習礼があり、所作の説明をして下さいます。姿勢の指導もして下さり、御用の度に毎回、微に入り細に入り丁寧に教えて頂けるのですが、常に感じますことは「私は我流になってしまっている」ということです。

★四代金光様は『けいこは、我流では手本に似ないという事実がございます。手本に似るというけいこは、自分の我流をはってはとうていできないことであります。…手本に似るということは、我流を捨てたということであり、自分の我流が無くなった姿が手本に似たのだということを、身にしみて思わせてもらった若い日のことを今、思い出すのであります。…』と仰せになっておられます。

★ある伝統工芸士の方が、「毎日作っていますが、一つとして満足に作れたというものはありません。若い時には、勢いがありましたが、持続するということができませんでした。しかし、段々と年齢を重ねていくうちに、座って持続できるようになりました。

70を過ぎた今、やっとこれだけ座り続けることができるようになりましたので、生涯かけて、満足な品物が作れるように努めてゆこうと思います。」と仰っていましたことに感銘を受けました。それほど求めて仕事をなさっておられる方が、尚も求道し続けておられるのです。

★何十年こうしてきたからこれで良い、という我を捨て、「日に日に新たな心」で求めてけいこをさせて頂きたいと存じます。

★安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)がご自身を戒めてお詠み下さっているお歌があります。
「我よしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちもそこよりぞ来る」
「我よしと思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」
「我よしと思う心は 道のあだ 我が身のあだと戒めてゆけ」


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2014年10月06日

●神様のご試験 

 昨日は、天候の上に大変結構なおかげを頂き、共々に御本部の教祖様ご生誕200年の生神金光大神大祭を拝ませて頂くことが出来まして、真に有難いことでございました。

★私達は皆、それぞれに神様から与えて頂くご試験があります。二代教会長伊藤コウ師は、人から泥棒だと言われた事があられました。それをふれ回ったのは、あろうことか修行生の一人だったのです。その話が親教会にまで伝わり、吉田新太郎師がコウ師をお呼びになり、事情を説明するということになられたそうです。しかし、コウ師は、一切弁明するようなことをなさらず、「全て私の不徳の致すところでございまして、申し訳ございません。」とお詫びだけを丁寧に申されたのでした。

★後に、その件が事実無根のことだったと分かったのでしたが、コウ師は相手を責めるようなことを一切なさいませんでした。それどころか、「あの人は、もっと自分を大事に思って欲しいと思っているのです。私の親切が足りなかったのでしょう。」と仰り、その修行生の縁談のお世話までなさったのでした。二代教会長先生はご信心を以って、修行生のご無礼を神様のご試験として有難く頂き通されたのです。

★私達も、皆それぞれが神様のご試験に合格点を取らせて頂けるように、ご修行させて頂かねばなりません。今日から阿倍野教会の教祖様ご生誕200年の生神金光大神大祭に向けて特別信行期間が始まります!御本部御大祭の御庇礼のもと、11月11日に向けまして、より一層信心を進めさせて頂きましょう。

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2014年10月04日

●み教えを素直に有難く頂く

 出来てきたことや、人の口を通して教えて頂くことを、自分自身に対するみ教えとして素直に有難く頂くことが大切です。出来てきたことには、尊い御神意があって起こってきたことですから、お徳を頂くご修行を与えて頂いたと悟らせて頂くのです。それは、自分を磨いて下さる材料であって、自分自身を砥石で磨くつもりでご修行に励ませて頂いておりますと、それが結局おかげとなるのです。

★しかし、「これも嫌だ。あれも嫌だ。」と出来事から逃げていると、おかげにさせて頂くことが出来ません。また、「あの人がこんなこと言った…。」と、ただそれだけを取り上げ、人ばかり見ていては、心が乱れ迷いが生じます。神様を目当てにした生き方をさせて頂いておりますと、自分自身に今必要なみ教えだと素直に有難く頂くことが出来、全てに間に合うように整えて下さるのです。

★私達一人一人には、神様から与えて頂いているお役目があります。自分は家庭に於いて、或いは職場に於いてどのような役目を果たさせて頂けば良いか、常に考えさせて頂くのです。すると、自分がするというのではなく、神様に使って頂くという意識が生まれてきます。そうしますと、腹の立つ出来事が起こってきましても、「今日は結構な御用にお使い頂き有難うございました。」とお礼が申せるようになるのです。頂いたみ教えを、本当に心から有難く頂くことが出来ましたら、結構なおかげを頂く元に繋がるのですよ。

★『あんたが親神様に、ああして下さい、こうして下さい、といろいろに願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることが、直ぐ素直に有難うございます、と頂けるような人間にならせて下さい。と言って願う方が心配がないぞな。』(続・尋求教語録)

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2014年10月03日

●子供に信心が伝わる生活

以前、幼稚園と小学校低学年の子供さんを連れて参拝しておられるご信者がお届けに来られ、「子供はお広前にじっと座ることが辛く、教会へお参りしますと声をかけますと、じっと座っているなら嫌だ、と言います。」とお届けされました。

★私は、ご信者に「毎日食事をされる時に、子供さんにどういうように声をかけておられますか?一緒に御祈念して御礼を申して頂いておられますか?
食前訓を唱えさせて頂いた後に、『日々有難い食事が頂けるのはお父さんが一生懸命働いて下さっているからですよ。おじいちゃんとおばあちゃんが一生懸命今まで働いてきて下さったおかげなのですよ。神様、御霊様、祖父母様、両親のおかげによって、美味しいお食事を頂くことができるのですよ。』と話をしてから頂くようにしましょう。
家でそのようにしておられますと、朝起きた時、外出する時、帰宅した時、夜に寝る前など、手を合わすことを嫌がることはなくなりますよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

ご信者は、「そういう事は出来ておりませんでした。」とお詫び申されました。『して見せて 言うて聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は育たぬ』と教えて頂いておりますように、小さい子供さんが分かっても分からないでも、親がして見せてお手本を示すということがとても大切なのです。

★お朔日に京都から二人の子供さんを連れて、参拝なさったご信者があられます。幼稚園に通っている長男さんと来年から幼稚園に通う長女さんが、お結界に来られますと、きちんとお届けされる姿にいつも感心しております。
その方の家やご両親の家のお宅祭に行かせて頂きますと、二人の子供さんは丁寧に拝まれます。

 聞かせて頂きますと、毎日朝起きた時、夜休む時、そして幼稚園から帰宅すると、必ず御神殿に拝みに行かれるそうです。また、ご信者のご主人のご実家にはお仏壇がお祀りしてあるそうですが、ご実家へ行かれた際には先ず一番にお仏壇に手を合わせに行かれるそうです。

ご主人のご両親は、「こんな子供によう育ってくれた!」と大変喜んで頂いているそうです。ご信者のご両親はお孫さんの拝む姿を見られて、「家に御神殿をお祀りさせて頂いて、本当に有難いです。」と御礼を申しておられます。

★子供は毛穴からでも吸収していきます。幼稚園にまだ通っていない子供さんでも、お広前という場所がどういう場所であるか、ということが分かっているのです。教会でも家でも周りの方の姿勢を見て、子供は育ってゆくきますから、子供に信心が伝わる生活を共々にさせて頂きましょう。


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2014年10月02日

●生きることに実意をこめる

 今年は、教祖様ご生誕200年の有り難いお年柄をお迎えしております。昭和39年、御本部に於いて「教祖生誕150年記念式」をお迎えするに当たって、「教祖のご生誕につて」という一文が、『金光教報』に掲載されております。

★「教祖様は、生まれてきたことをありがたいことであると思われ、人はみな『神のおかげで生まれてきた』のである。とおっしゃっていられるのでありまして、生きていくことを大切になさいました。お父さま、お母さまやみんなに大切にして育てられたことを喜んでおられました。
 
 それで教祖様は、何事にも実意をこめてすべてを大切になさいました。どんなにむずかしいことでも、よいかげんになさらず、できる限りをつくし通され、それでなおこれですんだと思われませんでした。人間ではどうしても分からぬところがあり、どうしようもないところがあるので、その足りないところ、できぬことを神様におことわりなさました。それを神様は、『その方は行き届いておる』と喜ばれ、そこから『神も助かり氏子も立ち行く』生神金光大神取次の道のおかげが受けられることになったのであります。
 
 この道によって、人間の生きることの難儀な中に助かる道があることが分かり、自分の助かることが人の助かることになり、それが世のお役に立つことであり、そのままが神様の喜ばれることであると言うことが明らかになりました。
 
 私どもはみな『神の氏子』として生まれているのであります。そしてお父さん、お母さんやみんなから大切に育てられてきたのであります。それをありがたいと思って、そのようにしてできているこのお道のおかげをいよいよいただいて、教祖様のように、『神の氏子』として、生きることに実意をこめていくことが大切であります。そして、自分が助かり、人が助かり、世のお役に立ち、神様の喜んでくださる生き方をさせていただき、この世に『神が生まれる』世界を顕現させていただきたいものです。」(略)
 
★有り難いお年柄の金光大神大祭の御庇礼を頂き、一歩ずつでも教祖様の御信心に近付かせて頂けるようおかげを頂いてまいりましょう。 

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2014年10月01日

●人が人を助けるのが人間である

先日あるご信者が、心と体を弱くして入院しておられる御親戚のお見舞いに行かれました。お見舞いに行かれる前にお届けされた時に、

「頑張りなさい、頑張りなさいと言ってはいけませんよ。精一杯させて頂いての結果なのですから、頑張りなさいと言ってはいけません。『いつも御祈念させて頂いてますよ、あなたは一人ではありませんよ。みなそばについていますからね。何でも言って下さい、力にならせてもらいますよ。』と声をかけて、一人にさせてしまわないようにみんなで支えさせて頂きなさい。あなたが教会にお参りしてお取次ぎを頂いて、お下げ頂いた御神米を持って病院へ行かれて、御神徳を病院に運んであげて下さい。」とお話させて頂いたことでした。

そのご信者がお見舞いに行かれますと、親戚の方は「あなたがお見舞いに来てくれるのが、一番嬉しい。」と大変喜んで下さるそうです。

親戚の方は、食欲もなく睡眠も全く取れない疲労困憊の状態であられたのですが、現在少しづつ気力が回復してこられ、ぐっすりと夜休ませて頂くことが出来られるようになってこられたのです。

★周囲は何もさせて頂くことは出来ないというわけではありません。神様にお願いさせて頂くことができます。

祈りを足すということは、有難いことです。金光様のお取次によって10の所を神様が90足して下さって、大きなおかげを頂いてゆくことができます。

10月10日は教祖様が神上がられた日であります。10月は、教祖様のご信心を神習わせて頂き、周囲の方々がみな助かって頂けるように、どこまでもあきらめず人の助かりをお願いさせて頂きましょう。

★『人間は人を助けることができるのは有難いことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができない。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ。』


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