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2014年08月31日

●油断のない信心 

 先日あるご信者がお礼参りに来られました。その方の娘さんは、現在は社会人として元気に働かせて頂いておられますが、小学生の頃は、抗癌剤の治療を受ける闘病生活を毎日送っておられたのでした。幼少期に手術を受けられたのですが、小学校に入り癌が再発し、その癌が幾カ所にも細かく点在していたために手術が出来ず、化学療法での治療となったのでした。

★その頃にお母さんが教会にお導き頂かれ、お参りなさるようになられました。お結界で「しっかりとお礼・お詫びを申しましょう。」とみ教え頂かれましたが、最初は何をお礼申せばよいのか、どこをお詫び申さねばならないのかが分かられなかったそうです。それから後一つ一つお取次ぎ頂かれ、今日まで生かして頂いている事のお礼、小学校に入らせて頂けるまでに成長させて頂いたお礼を申させて頂く事や、日々の生活の中での知らず知らずのご無礼不行き届きが様々な形で表れてくるのだという事をみ教え頂かれました。

★そのご信者は、毎日お参りを続けられ、教会で頂かれたみ教えを娘さんに話して聞かせられました。すると、娘さんの身体に薬が見事に合致し、癌は全てきれいにお取払い頂けたのです。その後、再発を防ぐ根本的治療のため無菌室での治療となりましたが、身体の各粘膜から出血するという過酷な治療に、お母さんがうろたえられた事がありました。その時、娘さんが「お母さん、教会でみ教え頂いたのでしょ。神様が要らない血をお取り払い下さり、必要な血を残して下さっているのだから大丈夫だよ。」と、言って励まされたのでした。

お母さんが毎日伝えさせて頂かれたみ教えが、しっかりと娘さんの心に刻まれていたのです。そして、ついに病気全快のおかげが頂かれました。お母さんは、現在まで20年以上も再発のないようにお礼参りをずっと続けておられ、さらに将来に向けてのお願いをなさっておられます。

★子どもが急に大人に成長できるわけではありません。一日一日神様のおかげを頂いて、生かして頂いている日々の積み重ねが今日なのです。
『日に新た 日に新たにと 神幸に 生かされてこそ 今日の身もあれ』と甘木教会の初代教会長・安武松太郎師はお歌を詠まれています。苦しい時、有難い時に関わらず、誰しも日々油断なくご信心させて頂くことが大切です。

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2014年08月30日

●やれ痛やという心でありがたし、今みかげをという心になれよ。

先日、あるご信者が「今の会社でこのまま働いていてよいのだろうか、人生を無駄にしてはいないだろうか、と自問自答しております。」とお届けなされました。
もっともっと役に立たせて頂かなければならないと思いつつも、環境が整っていかず、悩んでおられるのでした。

★私は、そのお方に「どこへ行っても自分の理想の環境というのは与えられないものです。学校では定期的に試験があり、成長を試されます。神様のご試験は、何歳になってもどこに居ても与えられます。このご試験に合格させて頂ける器にならせて頂かなければなりません。学年が上がるごとに高度な難しい学習を課せられるのと同様に、社会に出てから後も、一段一段さらに難しい課題を与えて頂きます。
それは、自分が成長させて頂くために必要な砥石なのです。ある人にとっては上司が砥石であり、またある人には部下が砥石となります。それを嫌がっていては、おかげは頂けません。今与えて頂いている場所で成長させて下さっている、という事を心の底から有難く思わせて頂きますと、道が開けてゆくのですよ。」とお話しさせて頂いた事でした。

★周りに目を向けると、心が乱れ、迷いが生じてきてしまいます。一意専心(いちいせんしん)の心持ちで自分自身が改まらせて頂きますと、迷わず有難い道へと進ませて頂けるのです。『四体(したい)既に正しく、血気既に静かにして、意を一にし心を摶(もっぱ)らにし、耳目、淫(いん)せざれば、遠しと雖(いえど)も近きが若(ごと)し』(四体が健全で、体内の血気が安静であり、意を一つに集中し心を専一にして、耳や目の感覚器官が乱されなければ、遠くにあるものでも、身近にあるもののように明確に得ることが出来るのである)


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2014年08月29日

●親も立ち行き、子も立ち行く 

 私が夢を見せて頂いた中でのことです。あるご信者が阿倍野教会に参拝なさった帰り、阿倍野筋を天王寺の方へ向かって歩いておられる姿が見えました。そして、よくよくその方を見ますと、その方の前にも後ろにも亡くなられた親様が、その方を守るように共に歩いておられたのです。

毎日なさっておられる日参の道中の光景ですが、親が付きについてお参りして下さっておられるのだなぁと分からせて頂きました。親と共にある生活とは、こういうことだなあと感じさせて頂いたことでした。何事も自分一人で片意地を張って、しゃかりきになってするということは大きな間違いです。神様・御霊様に御祈念してさせて頂くということは、神様・御霊様が付きについて私達と共にして下さるのです。見えない所で御霊様が働いて下さり、足らない所は足して下さり、立ち行くおかげが頂けるのです。

★私たちが日々ご信心に励ませて頂き、「体の丈夫」「子孫の信心教育」「豊かな生活」「平和円満」「徳と力」この5つの願いを生涯願い続けて、日々の生活に取り組ませて頂いておりますと、ご先祖も助かって下さり、子孫も助かってゆくのです。どのようにさせて頂けば親・ご先祖が安心して下さるのか考え、そのことに一生懸命努めさせて頂いておりますと、自ずとおかげを蒙れる道に導いて頂けるのです。

★先日あるご信者がお届けに来られました。「我が家は円満に暮らせておりません。申し訳ないことです。」申し訳ないとは、神様にも親にも申し訳ないという意味で、安心して頂いていないということです。親に安心して頂けないということは親が悲しんでおられるということです。それでは親はいきいきと働いては下さらないのです。

自分自身がご信心を基にして、親が助かり安心して頂ける器に成長させて頂きますと、ご神徳を表すことが出来、霊神様が働いて下さりお徳を表して下さるのです。ご先祖のお働きによって今の自分自身がありますから、神様・霊神様のお徳を表す器を育ててゆき、親も子も立ち行くおかげを頂かねばなりません。

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2014年08月28日

●曇りのない心で

『「此方じゃというても、はじめから生神じゃなかった。言うて聞かすとおりにしてこい。此方のようになれる」と言うてござったから、できぬのではない、せぬのぞ。命を助けてもらおうと思う時の一心があったら、できぬということはない。』

★おかげを頂くには、素直な信心をさせて頂くことが大切です。
み教えの一言一言を曇りのない心で有り難く頂き、「このみ教えを生涯かけて守らせて頂こう」と、一生懸命にご信心させて頂くことによって、徳と力を頂き、代を重ねて結構にならせて頂くことが出来るのです。

★また、大きな願いを立てさせて頂いたら、その願いをどこまでも放すことなく、親の代で実現出来なかったら子の代で、子の代で出来なかったら孫の代で実現するよう願い続けることが大切です。
願いに向けた有り難い生き方を受け継がせて頂くことによって、我情我欲をお取り払い頂き、子孫繁盛家繁盛の道が開かれるのです。

★お取り払い頂くべき我情我欲

(1)貪欲…食欲一つとっても分かるように、貪る(むさぼる)ことは心も体も壊してしま う。
(2)瞋(怒り)…心掛けていなければ、親子、兄弟同士でもいがみ合い、互いに怒るようなことがある。怒りに囚われると、血の巡りも悪くなり、体は硬直し、周囲にも自分にも計り知れないほどの悪影響を及ぼす。
(3)痴…愚痴不足を言わないように、非理性的にならないように心がける。
(4)慢心…怠ける心。心に巣くう害虫のようなもの。自分の心におごりが出ないように、どこまでも謙虚に。生涯かけてご修行する。
(5)疑…ご神徳を疑いだすと、信心の道は開かれない。どんなことが起きてきても、有り難い天地のお徳の中に生かされていることを忘れない。


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2014年08月27日

●神様に対して正直に…

三代教会長先生は、「親に対して一切嘘をつかない」「み教えに対して素直に正直に守らせて頂く」という事を徹底して守り通されました。普通ならば到底守ることが出来ないようなみ教えを、二代教会長伊藤コウ師から頂かれる度に、三代教会長先生は「私は親先生のみ教えに対して一切不足に思ったことはありません。」と、全てを有難く受け切られたのです。それは、どこまでも修行生としての立場を貫かれたお姿の表れであります。

★二代金光様は『嘘をつく事、盗みをする事、腹を立てることをしないようにしなさい。』と仰せになっておられます。人に嘘はつかないけれど、神様に対して嘘・偽りの生活になっている事があります。ついさっきまでは「このように改まらせて頂きます」と思っていても、少し経てばもうすっかり忘れてしまっていることはないでしょうか。盗みはしていませんが、頂いている給料に値しない働きとなってしまって月給泥棒になってはいないでしょうか?腹を立てずにいつも喜んで生活させて頂けているでしょうか?

★神様に対して正直にならせて頂き、神様から信用して頂ける人間に成長させて頂きましょう。

『人目の届かぬ陰で、わからぬと思って悪いことをしたり横着をしたりする者くらい、つまらぬ者はない。その時は得をしたように思ったり、利口なように思うておるじゃろうが、神様は見てござるから、つまりは自分の損になるのじゃ。上利口、底鈍になるなよう。』

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2014年08月26日

●今こそお育て頂く時である!

24日には、子供会列車を編成して頂き、御本部御礼参拝をさせて頂きました。怪我や病気を一人もすることなく、また食中毒や熱中症を起こすことなく無事に参拝させて頂けましたことは誠に有難いことでした。また、天候の上にもおかげを頂き、境内地でさせて頂いたスポーツラリーの時間には晴れ間が見え、滞りなくすべてにご都合お繰り合わせを頂いたことでした。喜び勇んで御礼参拝させて頂く所に神様も喜んで下さるのですね。

★昨日は、学生講演会を無事に開催させて頂き、6名の学生の方が出場され有難い講演を聞かせて頂きました。彦根に住んでおられる学生さんは片道2時間かけて参拝され、練習を重ねられました。中学2年生の学生さんはお母さんを小学校6年生の時に亡くされ、幼いながらにも色々と経験しておられた内容を聞かせて頂きました。出場なさった方々には、この御用を通してそれぞれにお育て頂き、おかげを蒙られますようにお願いをさせて頂いたことです。

★御本部に御礼参拝をさせて頂きました際に、金光英子師に25日に学生講演会が開催されますことをお伝えさせて頂きましたら、金光英子師は「毎年学生講演会を開催出来られるということは真に有難いことですね。学生さん方各々が色々な経験をなさって講演させて頂かれますが、様々な難儀があればあるほど、その難儀を通しておかげを頂き、お徳を積ませて頂ける機会が増えるということですね。だから、難儀なことがあればあるほど有難いのです。その難儀をご信心によって乗り切ってゆくことにより、大きくお育て頂くのですね。」とお話し下さいました。

★『難はみかげ』と教えて頂いておりますが、難儀な事が起きてきた時に、「今こそお徳を積ませて頂けるときである!今こそお育て頂く時である!」と思わせて頂けるように、日々み教えを頂いて元気な心で信心の稽古をさせて頂きましょう。

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2014年08月25日

●病気災難の根を置いて帰らせて頂く

 昨日は、天候初め万事にご都合お繰り合わせ頂き、無事に御本部御礼参拝のおかげを蒙らせて頂きました。また、子供会列車を編成して頂き、有難い子孫の信心相続の機会を与えて頂きました。

★三代教会長先生のお姉さんであられます大黒トクさんは、胆石の痛みを患っておられました。その痛みというのは、突然背中や腹部に激痛が走り、七転八倒するような強い痛みでした。ある時、御本部参拝の日にその発作が起こり、ご祈念して御神酒や御神米を頂かれましてもなかなかその痛みは治まらず、大変苦しんでおられました。

そこで、そのことを随行の先生にお伝えなさると、先生は二代教会長伊藤コウ師にご報告され、お取次ぎをお願いなさりました。するとコウ師は、「この飴をご祈念してから頂かれるようにお伝え下さい。」と飴をお下げ下されたのでした。早速そのことをトクさんにお伝えなさると、トクさんはそのお下げ頂いた飴を一生懸命ご祈念して頂かれました。 すると、その日以来一度もその胆石の痛みが再発することなく、御霊地で病気の根を切って頂かれたのでした。

★月々の御本部御礼参拝は、日々おかげを頂きお守り頂いております「御礼の参拝」という心で参拝させて頂きますと、めぐりのお取り払いを頂くことが出来、また病気災難の根を御霊地に置いて帰らせて頂くことが出来るのです。共々に、月々御本部御礼参拝が続かせて頂けますよう、ご都合お繰り合わせを願わせて頂きましょう。そして御霊地に満ち満ちた有難いお徳を身一杯に頂いて、船にも車にも積めぬほどのお徳を頂いて帰らせて頂きましょう。

★一回一回の御本部御礼参拝で、しっかりとめぐりのお取り払いを頂き、ご神徳を蒙らせて頂ける有難い参拝とさせて頂けますよう、共々に毎月おかげを頂いて参りましょう。

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2014年08月23日

●道を求め続けてゆく

三代金光様は、日々「自分を出さない」ということを心掛けておられたということです。お子様がお国替えなさった時にもお結界をお下がりになられることなく、お結界でお取次ぎの御用をなさっておられたのです。

★昭和9年にある小さな新聞に三代金光様のことを悪し様に書く記事が載りました。全く事実無根のことをあらゆる最大級の雑言をもって書き立てるので、長男様は腹が立って腹が立って、仕方なく、ある日御母様である金光キクヨ姫様に申し上げられますと、キクヨ姫様は「ご本人の金光様が腹をお立てになっておられないのに、どうしてあなたが腹を立てているのですか?」と静かに呟くように仰せになられたのでした。その時長男様はハッとなされたそうです。なぜなら、三代金光様は何事にも腹をお立てになられた事があられなかったと気付かれたのでした。

★また、三代金光様がお風呂に入られた際に、湯が沸かされていないで、水風呂の状態だったという事があったようです。その時に何も仰らず、常のように入られたということです。御用の方が後で調べますと、水風呂であったことが分かり、三代金光様の所へ行かれ、お詫びをなさったところ、三代金光様は「あなたもお疲れでしょう。」と仰せになられたと聞かせて頂きました。

★三代金光様は、ご家庭でもどこでもご自分の感情を表に出されることなく、我を放す稽古を徹底なさり、神様に心を常に向けておられたのです。それは、大変なご修行であられたということが分からせて頂けます。どんな瞬間でも神様に心を向ける稽古をさせて頂いておりますと、何か事が起きてきた時に心が乱れることなく、神様のお心が分からせて頂くことができるのです。

★孔子は、「一五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順い(したがい)、七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)(法則・法度)を越えず。」と残しておられます。生涯を通して日々新たに向上させて頂くことを願い続け、道を求め続けるところに徐々に上達し、分からせて頂けることが増えてゆくのです。

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2014年08月22日

●辛抱を嫌がっていたら成長しない

 以前に新聞に、斉藤学という精神科医が書かれた記事が掲載されていました。

★「親の子育ての仕事の中には、規範の受け入れということが含まれていて、それをわかりやすく言おうとして、私は『我慢させる仕事』と呼んでいる。

『子どもを抱く仕事』や『子どもと別れる仕事』と並んで親の三大仕事の一つであると思う。これらはどの一つも欠けてはならないし、相互に関連している。

抱くことのできない親は、子どもに我慢を教えられない。抱くことも我慢させることも出来ない親に限ってなかなか子どもを手放せないし、子どもの方もいつまでも親から離れられないというわけで、いずれも重要なのだが、『子どもに我慢させる仕事』はとりわけ父親に負託されることが多い。

子どもに嫌われたり、怒られたりすることを避けて、ものわかりのよい父をやっているばかりでは親の仕事を手抜きしていることになる・・・」

★人間の成長にとって、辛抱させて頂くことがどれほど大切かということが分からせて頂けます。

★み教えは、天地の道理を説いて下さるものですから、大変程度の高いものです。時には、自分の理解を超えることもあり、欲求を抑えられ、理不尽に感じることがあるかもしれません。

しかし、それも親神様からご覧になれば自分の成長にとって必要なことであり、謙虚な心でみ教えを頂き、そのご内容に近付かせて頂けるよう努力させて頂くことが、有り難い信心のご修行になるのです。

教えを頂くことをやめたら、人間としての成長は止まり、退化してしまいます。常に一段上を目指し、生涯かけて成長させて頂けるよう日参と聴教に励みましょう。

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2014年08月21日

●素直に、正直に

先日も嬉しく有難いお礼のお届けがありました。ある学生さんが就職試験を受けに行かれ、後日一次試験の合格通知が届きました。その通知には「二次試験として13日間の実習を要する」と書かれてありました。そして、その学生さんがお届けに来られ、「私は、その13日間の実習にどうあっても参加させて頂きたいと思いますが、16日の婦人会でのお琴の御用と、御本部子供会列車の御用、学生講演会の出場の御用がありますので、どうぞ日にちのご都合を付けて頂けますように。」とお届けされました。

★そこで私は「電話で連絡するのではなく、御神米をお供させて頂いて今からすぐにそちらへ訪問させて頂き、素直に正直に伝えさせて頂きなさい。」と御神米をお下げさせて頂きました。早速その学生さんはそこへ行かれますと、普段ならおられない施設長が丁度おられ、早速に会って頂けたそうです。その施設長の方はまず「一次試験の合格通知が届いたと同時にすぐに来られたのは感心ですね。」と仰られたそうです。

そしてその学生さんは「実は私は、金光教の信者で実習を受ける期間に予定が入っています。16日にお琴の御用があり、24日に御本部へ参拝させて頂き子供会列車の御用があります。そして25日には学生講演会に出場させて頂きます。ですから他の日程で参加させて頂きたいと思うのですが、よろしいでしょうか?どうぞご理解頂けますように…」と丁寧にお願いされました。

するとその施設長は「あなたは金光教の信者ですか。実は私は小さい時に金光教の御本部へ参拝させて頂いたことがあります。それなら、あなたの予定を優先して下さい。そして実習はもちろん参加して頂きますが、支障のないように図りましょう。あなたの学校から来て頂きたいと思っておりましたが、なかなかご縁がありませんでした。今年は一人応募者があったと思ったら、金光教のご信心をなさっておられる方が来て下さった。大変ありがたいことです。」と二次試験を受ける前に直接お話しが出来て理解を深めて頂けるようにおかげを頂かれたのでした。

★『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教え頂いております通り、神様のご用中心の生活に努めさせて頂いておりましたら、人の縁も仕事の縁も繋いで下さり、願う以上に神様が道を付けて下さるのですね。

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2014年08月20日

●真一心になる稽古

私が金光教学院にご修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。常に厚重なお人柄でご高徳な先生であられましたから私は尊敬いたしておりました。その先生が、ネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れません。医師から「なかなか効果が上がらない。」とばかり言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「何の御恩返しも出来ずに終わってしまうのか。」「教会や私の家族はどうなるのか」と思えてきます。心配に捉われて、不安で不安でたまらない日々を過ごしておられました。

★ある日親教会の親奥様が、病院にお見舞いに来て下さり、「お願いしとりますよ。」と仰っしゃられたそうです。その瞬間そのお言葉がすとんと心に納まりました。
内田師は、「そうだ!何を自分が考えることがいるのか。この親奥様の願いの中にすべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。
一晩中涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたそうです。すると翌日医師から「内田さん、効果が出た!」と告げて頂かれ、それからどんどんと快方に向かわれ、それから後のお食事が美味しくて美味しくて毎回完食され、病気全快のおかげを頂かれたのでした。

★人は何か難儀なことが起きてきますと、心が乱されてしまい、大切にせねばならない所を見失いがちになります。しかし、日々真一心を目指して信心の稽古を積み重ねさせて頂いておりますと、一言み教えを頂いたらすぐ理解させて頂き、本筋に戻らせて頂くことができるのです。その速度が早くなってゆくのが上達してゆく姿です。

★『はじめは、お祓いを一週間に一万回も唱えていたが、後に、その事を金光様にお話申し上げたところ、「拝み信心をするな。真でなければいけない」と言われた。また、「神を拝むのに手や口を洗っても、心を洗わなければ何にもならない。心は火や水で洗えない。真一心で心を洗って信心せよ」とも教えて下さった』(国枝三五郎師の伝え)


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2014年08月19日

●幸せの元を築く

 昨日からお盆休みが明けて、お勤めに出ておられる方が大勢いらっしゃることと思います。毎日させて頂いている仕事を喜んで有難くさせて頂きましょう。

★自分の仕事を神様から与えて頂いた天職だと思って、神様のおかげで働かせて頂いていることを有難く思わせて頂き、上達するための勉強を怠らずに進歩向上してゆくことが幸せの元です。

★反対に、不幸せの元というのは、他人の仕事が良く見え出し、自分の仕事の有難さが分からなくなることです。そして、常に迷いが生じ、大切な所に力を発揮出来ないという姿が不幸せを生み出してゆくのです。周りばかりを整えようとして自分を磨くことをしない、自分の都合中心の在り方では、自分自身から不幸になっていってしまいます。

また、職場の一人一人がどれほど優秀であっても、皆が円満でなければ、立ち行きません。さらに、心身共に健康でなければ、働かせて頂くことは出来ません。皆の願いがひとつにならせて頂けるよう、一丸となって協力出来るように日々お願いさせて頂くことが大切です。

★毎日の生活の中でも、人から頼まれた用事に対して「後でします」、「暇が出来たらします」、「いつかします」…というようになってしまってはいないでしょうか。二代教会長伊藤コウ師は「今すぐ その手で 二度手間なしに」と常々み教え下されました。しかし、それを実行させて頂くのがなかなか難しいのです。特に、家族にはつい甘えが出てきてしまいがちです。「今すぐ その手で 二度手間なしに」を、職場でも家庭でも実践させて頂けるよう、御修行させて頂きましょう。

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2014年08月18日

●生涯かけて願うこと

1、み教えを頂き、心を清く保たせて頂くことが出来ますように!・・・み教えを頂く事によって本心が磨かれる。不平不満が減り、人に迷惑をかけないようになり、人のことが祈れるようになり、人のお世話がさせて頂けるようになる。

2、願いを大きく持ち、願いに沿って努力させて頂けますように!・・・問題から逃げず、投げ出さず、生神金光大神様のお取次を頂き、「至らないながらもどうぞおかげを頂かせて下さい。願いに向かって、最大限の努力をさせて頂けます様に!」とお願いし続けさせて頂く。
自らを限ることは一番のご無礼であり、お願いさせて頂くことをやめたら、歩みは止まってしまう。親の代で成し遂げられなければ子供の代で、子供の代で成し遂げられなかったら孫の代で・・・と、願い続けることによって、必ず良い方へ良い方へと生まれ変わらせて頂くことが出来る。

3、本心を磨き、育てさせて頂くことが出来ますように!・・・難に負けず、全てを肥やしにして本心を磨き力にさせて頂く。神様のなさることに無駄事はない。辛い目にあってもそれを貴重な経験とさせて頂き、同じ思いで苦しんでいる人のことを祈らせて頂く。

4、天命を知る事が出来ますように!・・・神様から頂いているお役目を分からせて頂けば、正しい方向に自分自身を導かせて頂く事が出来る。家庭において、職場において、地域社会においての役割をしっかり悟らせて頂き、全うさせて頂けるようにおかげを頂きましょう。

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2014年08月17日

●受け継がれてゆく道

昨日は、天候初め万事万端ご都合お繰り合わせ頂きまして、8月の婦人会例会を開催させて頂き、桃谷宣子氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。また、毎年8月の婦人会例会では、吉備楽を奉納させて頂きます。阿倍野教会の楽は、布教間もない頃に二代教会長伊藤コウ師が、難波の春琴亭という所に通われて八雲琴を習われたのが始まりです。

教会の御用の合間を縫って稽古に通われ、一度教えて頂かれたことを家に戻られてから徹底的に反復練習され、次の稽古の時までに完全に覚えていかれたのでした。そうして身に付けられたお琴が代々口伝えで受け継がれ、8月の吉備楽奉納は昭和36年に戦後再開されて以来毎年続けられて、今年で54回目になります。結構に続かせて頂いておりますことは、真に有難いことでございます。

★教祖様がご高徳であられたということは皆が知る所でありますが、その後を受継いで下さる二代金光様・歴代金光様が存られませんでしたら現在の助かりはあり得ません。受継いでゆかれるご修行があられてこそ、後々までが有難いのだと判らせて頂きます。

★私達各々の家も同じことです。信心の初代のころは、苦難の連続で苦労が絶えなかった中を信心なさり、神様を杖に一心におすがりなさってみ教えを頂き、守り通しておかげを頂いてこられたのです。二代目の信心・三代目の信心を受け継ぐ者があってこそ、その家は子孫の末々までがおかげを頂いてゆくのです。 更に申せば、後に続いて信心をさせて頂く者は、親様が礎を基いて下さった上に、楽々とおかげを頂いてゆく事が出来ているのです。

★婦人の五徳 1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。2)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。3)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、自身の改まりを心掛ける。4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。5)よく尊敬する…神様、御霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。

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2014年08月16日

●終戦記念日を迎え、願いを新たに

昨日は、終戦記念日でした。昭和20年8月15日より、今日まで69年間二度と同じ過ちを繰り返してはならないと皆様がご苦労下さり、平和に安心して生活させて頂けている事は、大変有難いことです。

★三代教会長先生は、第二次世界大戦時に陸軍砲兵として招集され、内地だけではなく満州、中国とフィリピンの戦地にも赴かれました。

戦地に赴かれる時、二代教会長伊藤コウ師より「あなたは戦地に人を殺しに行くのではありません。人を助けに行かせて頂くのです。場所がお広前でなく戦地での御用となるのです。」とみ教え頂かれたのでした。

★戦争というのは恐ろしい残虐なものです。決して美化されるべきものではありません。また戦争というのは、元来矛盾に満ちたものです。人の生命を粗末にして多くの有能な人々が次々と亡くなってゆかれたことはどの国にとっても大きな損失です。

その中に於いて三代教会長先生は、頂かれたみ教えをひた受けに受けられ、過酷な戦地に於いて、現地の村人達をも助ける働きをさせて頂けるよう願い続けられたのでした。

そして、「部下全員が遺骨なしで帰国させて頂けますように」と願われ、中隊長としての任務を全うさせて頂くべく、尽力なされました。それはどんな困難な中でも諦めてしまわずに願われたということです。

日々、生命の危険を感じられることも度々あられたそうですが、御神米を身につけておともし、常に心中御祈念を続けられ、有り難いおかげを頂き続けて、部下に配属された100名の方々が一人も欠けることなく無事に帰還なさったのでした。

★ある時、三代教会長先生が御命を頂かれて、金光教学院へ講師として行かれた際、戦争での御体験をお話なさったのです。そうしますと、学院生より「金光教の信者なのに、なぜ戦争にいかれたのですか」と質問を受けられたそうです。

健康な者はみな戦地に行かなければならない時代、学生でも学徒動員やら軍閥、徴用等々が義務として課せられた時代であったということを、知らない年代が増えているということです。時代が移り変わってゆく中で、その伝えてゆかねばならないことや背景を伝え続ける努力をして忘れ去られないようにしなければならないと思われたそうです。

戦前、戦中、戦後を生きてこられた人々、ご苦労下さった人々や亡くなられた人々の生命の上に私達の現在の生活があるということを決して忘れず、これからも平和に安心して安全に暮らすために、親から子へ正しいことが伝わってゆくように願いを新たにさせて頂きたいものです。
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2014年08月15日

●生き通しの生き方

今はお盆休みに入り、皆様におかれましては、お盆の行事に取り組まれたり、帰省して御霊祭りをなさったりしておられる時期であります。私共も、昨日奥城にお礼参りをさせて頂きまして、初代・二代・三代教会長先生を始め、房次郎様、御隠居様等のご先祖の御霊様のおかげで、今日の御用がさせて頂けておるという事をお礼申させて頂いたことであります。

★二代教会長伊藤コウ師が金光教の教徒になられる前は、家に仏壇をお祀りしておられ、お盆の時期には迎え火・送り火を焚かれる等お盆の行事をなさっておられました。その頃コウ師は、子ども心に「死後の御霊様はどこに行かれるのだろう。お盆の時が終わって御霊様が帰られた後は、何を拝んでいるのだろう。」と不思議に思っておられました。

それが金光教教徒になられてはじめて、「どこへ行かれるのでもない。生きていても死んでから後も天地から離れる事なく、家の御霊舎・仏壇そしてお墓におられ、御祈念させて頂いたらその心にすぐに応えて下さる存在であるのだ。」という事を納得されたのでした。

★私達はご先祖から有難いお徳を受け継いでいます。一方で、先祖代々のめぐりも受け継いでいるのです。過去は変えることは出来ません。しかし、ご信心によって、過去が助かっていくことは出来るのです。

『人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになる事である。人間は万物の霊長であるから死んだ後、神に祀られ神になる事を楽しみに信心せよ。』
とみ教え頂いておりますが、生き通しとは、拝んでくれる人の心の中に生き続けていくことが出来るということです。私達の心・身体はご神徳・ご霊徳を表してゆく器なのです。先々が結構になってゆく為に、自分一代でめぐりをお取払い頂けるようご信心を進めさせて頂きましょう。

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2014年08月14日

●神様と二人連れ

8月12日に金光教学院より御本部お広前の修行生として、二名が在籍教会実習の為到着されました。9月2日迄の間ご修行に励まれます。
   

★金光教学院で御本部の修行生としてご修行させて頂くに当たり、二代教会長先生のご時代から、「学院の規則をしっかりと守らせて頂くように、自分勝手なことをせぬように。」と、み教えを頂いてまいりました。日々決められた起床時間に起き、間飲間食をせず、御本部のお下がりである三食の食事等を有難く頂く生活をさせて頂いておりますと、体調がだんだん整ってまいります。

その他にも、学院の規則を守らせて頂いてご修行させて頂けますようにお願いさせて頂き、一日も欠参・欠席のないように、心身ともに健康でおかげを頂くようお願いさせて頂くことを教えて頂きました。昨日修行生の方から聞かせて頂きますと、5月15日から8月12日までに8kgの減少となったとのことでした。学院には冷房・暖房がありません。63kgから55kgまで健康的にごく自然に減少してゆくことは、バランスの取れた規則正しい生活によるものだと分ります。

また、学院では同期生の方と寮生活で寝食を共にさせて頂きますが、信心はあくまで「神様と二人連れ」であると、み教え頂いてまいりました。いつも神様に心を向けさせて頂き、どんな事も自分自身に必要な勉強であり、ご修行の機会とさせて頂くことを教えて頂いたのでした。

★どんな問題が起こってきても、迷わず心を神様に向け、今日までの自分の不行き届きに気付かせて頂き、心からお詫びを申せることが、大きなおかげです。そして、勇気をもって改まらせて頂き、「自他共に助かるように、ご修行させてください」と、お願いさせて頂くのです。そうしておりますと、自分の身の上のことは神様がお引き受け下さり、万事良い方に導いて頂くことが出来るのです。

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2014年08月13日

●生命のおかげ日に思う

昨日は8月12日であり、私にとっては生命のおかげ日です。昭和60年、お許しを頂いて金光第一高校に勤務させて頂いておりました時、8月10日から12日までの予定で出張するはずでありました。ところが、2週間程前に急遽延期になりました。

そして8月12日に日航123便の事故が起こったのです。後になって判ったことですが、その飛行機に私は乗る予定であったのです。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、三代教会長先生は増田家の霊神名簿を持ってくるように仰いました。

調べてみますと、三代教会長先生の御実家である増田の家の姉様・増田のぶ霊神(8月10日) お父上の伯母様・増田よね霊神様(8月11日)お父上の養父様・和田亀次郎霊神様(8月12日)の御命日でありました。知らず知らずの内に、神様、霊様のお守りによって生命を助けて頂いている事がよく分からせて頂きました。

★神様の思し召しにより生命を助けて頂いたことでありますが、私自身は、様々な他の方々の生命の上に今の生活があり、また血縁のご先祖様以外の方々の過去のお働きにより私達の生命があると分からせて頂きました。

そのことが分からせて頂きましてから、「私の生命と体は神様にお預けいたしますから、どのような御用にもお使い頂けますように。」とお願いさせて頂いております。そうして、神様、御霊様、親様にお喜び頂け、子孫の端々まで報恩のご信心をさせて頂きたいと願わせて頂いております。

今日迄29年間生命を伸ばして頂いておりますことに御礼を申し、一層お役に立つ働きをさせて頂くことが、生命を助けて頂いた私の使命であると思わせて頂くのです。

★御霊様方のお働きによって、お守りを受け、おかげを頂き続けている私達です。神様のおかげ、御霊様のおかげと言いますが、そのおかげというものを自覚させて頂ける私にならせて頂けますように、とお願いさせて頂いております。

それぞれに神様の思し召しがあって今の生命がある事を分からせて頂き、その思し召しに適う生き方に努めさせて頂きましょう。
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2014年08月12日

●実意丁寧な生き方

「私には分からない世界がまだまだある!

自分が信じている世界というものは案外分かっていないもので、そこを教えて頂いて、悟りを開いてこそ、やっと分かっていくことが出来る!

道はまだまだ遠いけれども、一歩ずつ進むように信心を習わせて頂こう!」

★『実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ。』

★何事によらず、実意丁寧な生活を徹底なさったのが教祖様であります。私達は日々の生活の中で小さなことから大きなことまで御祈念してさせて頂いているでしょうか?

事の大小や軽重を問わず何事も「生神金光大神様、天地金乃神様…」と心中御祈念してからさせて頂くのです。それは神様と共にある生活を心がけていく在り方です。

これは荷が重い大きなことだからお願いして足らない所は足して頂く、これは小さな軽いことだから自分勝手にするというような区別をつけていますと、それは決して実意丁寧な在り方ではありませんね。

★信州上田教会、須賀院義雄師が実に丁寧に御祈念なさってお風呂に入られたのです。

「有難うございます。天地金乃神様のお徳をいっぱい湛えたこの浴槽にただ今入らせて頂きます。私の心の中には醜い汚れた私情、愚痴不足、腹立ち、恨み、取り越し苦労など、様々な人間の持つあらゆる良くないものを心中にいっぱい持っています。

今このお風呂のご清水を以て体の垢だけでなく心の垢も取らせて頂きとう存じます。有難うございます。」と手を合わせ心を込めて御礼御願いを申し上げられてから入浴なさったということです。

★お食事を頂く時、仕事をさせて頂く時、車に乗らせて頂く時、お風呂に入らせて頂く時、休ませて頂く時…というように事の大小に関わらず何事においても神様に御祈念させて頂く稽古をさせて頂きましょう。

その稽古の積み重ねが他の人達からご信用頂くもととなってゆき、様々な出来事や人の口をもって神様からのお知らせを頂いてゆく元なのです。

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2014年08月11日

●相共に助かるように

 9日、10日と台風11号がゆっくりと日本を通過しました。ご信者の中には、これから台風が来ようかという時に、遠方に仕事に出なければならない方もおられ、万事にご都合お繰り合わせを頂かれますようお願いさせて頂いたことでした。

人にはそれぞれの思いがあり、様々な都合を抱えて生活させて頂いておりますから、一言に「願い」といっても実に多種多様なものです。そのような多種多様の願いのあることをお分かりになった上で、天地の親神様は一部分の限られた人が助かることを願っておられるのではなく、世界中の人々全てが助かり、繁盛することを願って下さっておられるのです。

★昭和三十四年六月、アメリカのシカゴ大学の宗教学者・ビーバー博士が、御本部を訪問され、お結界に進まれて、「日本の人々だけではなく、世界中の人々に対して、何かメッセージがありましたら聞かせてください」と願われ、三代金光様は、「いろいろ願いがありますから、そのご都合を頂かれますよう、お願いいたしております」とお答えになられ、博士は得心なさったということです。教組生神金光大神様は、神様のご都合を頂くことによって、一人一人の願いが、天地の調和の中に叶えられていくことをどこまでも願って下さっておられるのです。

★私たち一人一人も、自分の助かりのみを願うのではなく、目の前の人の助かりを願わせて頂きたいと思います。「相手あっての自分」ということが分かりますと、感謝の心、謙虚な心が自然と生まれ、自分も相手も共に助かる世界が生まれるのです。

★また、神様の思し召しを有り難く頂き、ご都合お繰り合わせを頂く生き方を身に付けさせて頂けるよう、日々み教えを頂き稽古させて頂きましょう。

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2014年08月10日

●世界真の平和を目指して・・・ 

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★2005年8月6日の新聞のコラムに石垣りん氏の『挨拶』という詩の一部分が紹介されていました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。

『…しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前8時15分は 毎朝やってくる 1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ25万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた』

★戦後69年を迎えた今、有難いことに日本は平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今もさまざまな社会問題は起こっています。素晴らしい進歩を遂げた科学技術、さらには政治、経済、司法、行政、全ての根底には信心教育を元にした考え方がなければなりません。天地の道理から外れてしまうと恐ろしい事態を起こしてしまいます。

★教祖様は『人が人を助けるのが人間である』と、人としての在り方をはっきりと定めて下さっています。また、信心とは「神人」と書くとも教えて下さっています。神様と人との間柄、天地のお働きと氏子との間柄を示しておられるのです。「助かってくれよ」と願って下さっている神様の御心を感じ、神様の心に近づいていくことが大切です。

★原爆投下のその日と変わらず、毎朝やってくる8時15分。私達がこれからどのように生きさせて頂いたらよいのかを今一度考えさせて頂きましょう。

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2014年08月09日

●千日のご修行

 昨日はみかげ会例会が開催され、北川氏より有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★北川氏が小学校5年生の時、お母様がお結界で家族の事、経済の立ち行きをお届けされました。すると、二代教会長伊藤コウ師は非常に厳しいお顔をなさって「あなたのお願いは丁度、木に水や肥やしをやらずに実がなりますように、花が咲きますようにと言っているのと同じです。しっかりと改まってお願いさせて頂きなさい。」とみ教えなされたのでした。

お母様はそのみ教えを有り難く頂かれ、「大きなおかげを頂けるだけのご信心に進ませて頂けるように、ご修行をさせて頂こう」と心に決められたのでした。そして、家では内職をなさりながら、早朝4時前から教会に参拝なさり、お掃除の御用を続けられたのでした。そのご修行のお徳によりまして、二人のお子達が無事成長されて良い御縁を頂かれ、経済が立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★北川氏はご両親のお祈りの中、順調に就職、結婚、3人の子宝に恵まれるおかげを頂かれました。しかし、三女さんを授かった際、心臓が弱く僅か二ヶ月でお国替えされたのでした。その出来事を通して信心の自覚と自立のおかげを頂かれ、千日の朝参り・日参・親孝行に励まれたのです。そのご信心のお徳によりまして、子の代・孫の代にも有り難いご信心が伝わり、ご自身のお仕事の上、ご家族のお身体の上に結構なおかげを頂いておられるのです。

★昨年8月、みかげ会会長のご命を頂かれました。北川氏は、畏れ多いと感じられ頑なに辞退されましたが、数日後滅多に見られないお母様のお夢を見られました。そのお夢は、列車で御本部御礼参拝をされ、顔を合わされる方々皆さんに「有難うございます。有難うございます。」とお声を掛けられている姿を見て、「これはきっと母が喜んでくれているに違いない。」と気付かれて有難く謹んで請けられたのでした。

また、先月のお父様の45年祭で教会長先生より祭司奏上を賜った際、お父様がみかげ会の奉仕係であったことが分かられたのでした。お父様の唯一の心残りは、身体が思うに任せずに神様の御用が十分出来なかったことと推察され、これから北川氏ご自身がお父様の分までみかげ会・教会の発展の為に神様の御用にお使い頂きたいと願っておられるのです。

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2014年08月08日

●慎みと改まりの心をもって…

『願うことは何事もかなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』

★役所に行かせて頂いても手続きの仕方を間違えれば、届け出は受理して頂けませんね。受理して頂けないということは、要式に従っていないからです。
神様にお願いさせて頂くにも、正しいお願いの仕方をさせて頂かねば、お聞き届け頂けません。

★高橋富枝師は『お徳を頂くには、天地に対して心の改まり方、慎み方が大切かと存じます。この慎み、改まりが天地に御感応なされば、お徳も付き、み教えも頂けるのであります。人間は本来、神明の分け御霊なのでありますから、誰でも神になれるのです。すべからく静め寧まることを掌るべし。静め寧まって心を清く浄くして天地に対して改まり慎みてゆけば、みなお徳を頂けるのです。』と仰せになっておられます。

★天地に対して改まりと慎みを持たせて頂けばお徳を頂けますと教えて下さっています。お願いさせて頂くにも、神様に対して改まりと慎みをもってお願いさせて頂きますと、お聞き届けくださるのです。

その為には、明き、清き、直き心になる稽古をさせて頂くことが大切です。
(1)明き…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。
(2)清き…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。
(3)直き…心を空にして、み教えを心から有難く頂いて、素直に自ら実行させて頂く。


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2014年08月07日

●積徳の修行

昨日は、昭和五十四年八月六日に83歳でお国替えされました大橋次郎老翁霊神の御命日であります。このお方は三代教会長先生の奥様の実父にあたられます。

★奥様は実母が亡くなり後妻に実母の妹さんが入られたのでした。その後に小学校四年生の御時に東京より1人で阿倍野教会に入所されることになられました。二代教会長・伊藤コウ師より、「十年辛抱しなさいや。」とみ教え頂かれ、実家へも帰らずご修行なされました。十年後、二代教会長先生は「もう十年辛抱しなさいや。」とまた仰り、その後十年、また十年と計三十年もの間、辛抱させて頂かれたのです。

その三十年間に三代教会長先生とご結婚なされ、4人の子供の出産と養育を経験なされましたが、毎日二代教会長先生・三代教会長先生を初め、教会の先生方に至るまでのお食事の用意をされ、一日たりとも台所から離れることなく、御用にお使い頂かれました。しかし、辛抱せざるを得ないという環境の下でのご修行のおかげで、寝込むことも入院をされることもなく、健康な身体に作り変えて頂かれたのでした。

★「将来必ず結構になりますよ。今のうちに辛抱させて頂きなさい。」という二代教会長先生のみ教えを、神様の綱と放さずに信心辛抱なさったご修行のお徳によりまして、その後には両親を大阪に呼び寄せる事を許して頂かれ、十分にお世話をさせて頂かれることが出来られたのです。現在は「辛抱させて頂かねば…辛抱させて頂いた…等と思っていたが、一番辛抱して頂いていたのは私であった。」と振り返ることが出来られておられるのです。

★与えられた環境を生かすことです。現在の生活の中にこそ有難いご修行があるのだと悟らせて頂き、お礼申しながら取り組ませて頂くところに、徳も力も頂くことが出来るのです。

★四養
1)虚を以って心を養う…心を空(謙虚)にして常にみ教えをさっと頂ける心にする。
2)徳を以って身を養う…世渡りは簡単な事ではない。仕事も家庭も身に徳を頂くことによって1つ1つおかげを頂ける。
3)善意を以って人を養う…相手の良い所を見る。常によい事を思ってよい事を願う。
4)慈愛の心を以って天下万物を養う…かわいいと思う心が神心だとみ教えを頂いています。かわいそうだなあと思える心が大切なのです。

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2014年08月06日

●ご修行のチャンスは身近に

教祖様がお話し下さった内容を文字にして残して頂いているおかげで、私たちも今日、大変多くのみ教えを頂くことが出来ます。
しかし有り難いみ教えも、心掛けて実践させて頂かなければ、そこからおかげを頂くことは出来ません。

★『どんな物でも、よい物は、人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくようなことではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』
この日常卑近な例のみ教えも、実際に行わせて頂くにはよほどの稽古が必要です。
ふと思い立って、「あの人にこれをあげよう!」と思えたにもかかわらず、しばらくすると「他のものにしておこう…」等と惜しみがかかってしまうようなことがありはしないでしょうか?

また、『たとえ人にたたかれても、けっして人をたたくのではないぞ。人に難儀をさすな。』とみ教え頂いておりますが、「仕返しをしない」「仕返しをする心を取り去る」ことは、大切なご修行です。

★日常生活での一瞬一瞬に有り難いご修行のチャンスがあるのです。怠け心が出たり、腹を立てそうになったりするなど、「人に勝ちたくなる」「己(おのれ)に負けてしまう」事のないように心を神様に向けて信心を進めさせて頂きましょう。
こんなことをしていても何も得なことはないのに・・・というような疑いを放して、み教えを実践させて頂きましょう。


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2014年08月05日

●狂いのない人生を送る基礎とは・・・

 二代教会長伊藤コウ師は、「狂いのない人生を送る基礎は『実意・丁寧・正直・親切』である」とみ教え下さっています。

★『実意』とは「真実の心」、「御恩を知り、御恩に報いる心」です。信心して神様の大恩を知るという事が物事の根本であります。

★二つ目に『丁寧』とは、「まだまだ至らない、まだまだ至らない」と思いつつ、いつも反省をしていくことです。「我、日に三省す」という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日の内に何度も何度も省みる(かえりみる)」という意味なのです。

また、この「省」という漢字には「省く(はぶく)」という意味もありますね。これは、「余分な所を省いていく」という意味です。枝葉の部分を省き、根をはって幹を太くする、「葉刈りの信心」をさせて頂くのです。

★三つ目に『正直』とは、どんな人の前に行っても少しも態度が変わらない、曇りのない心のことです。人を目当てにするのではなく、神様を目当てにさせて頂きますと、人が見ていようが見ていまいが、心が変わることはありません。

★そして最後に『親切』とは、自分がいつも相手の心となり、親身になって行動をするということです。「自分の事を分かってもらえていない」と思うのは、自分自身が相手の心になっていないからなのです。

★『実意・丁寧・正直・親切』にならせて頂けるように生涯かけてご修行させて頂きましょう。『神を拝礼するのに別に決まりはない。実意・丁寧・正直・真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で、知らず知らずにご無礼、お粗末、お気障りなどしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい。』

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2014年08月04日

●お徳を頂くために、日々心掛けたい7つのこと

(1)約束したことを守る。(責任をもって約束したことを果たしてゆく。いい加減な約束はしない。安請け合いはしない。責任を持つということは、人から信用を頂く一番の元となる。)

(2)財の恨みの無いように。(借りたお金は期限の三日前に返す。分相応に生活させて頂く。)

(3)人を捨てる事のないように。(あの人は嫌だ、これから一切付き合わない等と心で切り離すことのないように。人のことを祈ることにしても、決して諦めたりすることのないように。どこまでも人が助かることを願わせて頂く。)

(4)利益を専らにすることのないように。(損だからしない、得だからする…といった一時的な損得勘定をすてる。それは人を目当てにして、神様を目当てにしていないという表れ。どこまでも周囲が喜んで下さり、助かって下さるために商売やお仕事をさせて頂く。)

(5)いい加減なことを言わない。(あの人に聞くと確かな返事が返ってくる、いい加減な返事は決して言われないと評して頂ける人間にならせて頂く。)

(6)善行を自慢する事の無いように。(私はこんな善いことをしていますと自慢することのないよう。良いことは続けさせて頂き、その良いことを決してひけらかすことのないよう、恩に着せず、見返りを求めない。)

(7)恨みを蓄える事の無いように。(心が広く大きくなるように。「恨みに報いるに徳を以てす」)

★天地に恥じない生き方をさせて頂きましょう。

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2014年08月03日

●神様のお声を聴く

「目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず。耳に諸々の不浄を聞いて心に諸々の不浄を聞かず。鼻に諸々の不浄を嗅いで心に諸々の不浄を嗅がず。口に諸々の不浄を言うて心に諸々の不浄を言わず。身に諸々の不浄を触れて心に諸々の不浄を触れず。…」という文が六根清浄祓の中にあります。

★世の中のものを色々と見聞きしたりしますが、自身の心が汚れないように物事を見極めさせて頂くことが大切です。相手が険しい心を持ってこられた時に、自分も反応して険しい心になるということは、自身にそういうものが内在しているということです。その険しい心を取ってゆくことが修行であり、神様の心に近づくように生涯かけて心がけてゆくことが、出来事を通して神様が何を教えて下さっているのかを分からせて頂けるように、心の眼を開き、心の耳を開けるようにならせて頂きましょう。

★以前、あるご信者のお母さんが、よちよち歩きのお孫さんを連れて銀行に行かれました。銀行の手続きをなさっている間、お孫さんがウロウロしておられますと、突如、テレビの台が崩れてお孫さんの頭上にテレビが落ちてきたのです。お孫さんは頭を打って倒れ、すぐに病院に搬送され、検査をして頂かれますと、念のため一晩入院する事になったのでした。

銀行からご信者にお詫びに来られ、慰謝料を持ってこられましたが、ご信者はその慰謝料を頂いてよいかどうかを三代教会長先生にお届けされますと、「世の中には色々な人がある。相手により一層の法外な要求をして金品をむしり取ろうとする人もあるかもしれないが、あなたが子供に後遺症が残らないおかげを頂きたいとお願いしているのであれば、そのお金は受け取らない方がよろしいでしょう。神様がお守り下さるから…」とみ教え頂かれました。

その当時ご信者は借金返済のため、経済的に大変困っておられたそうですが、素直にみ教えを守られ、「当方にも監督不行き届きなところがありましたから…」と慰謝料は受け取らなかったそうです。有難い事に、お孫さんは後遺症なく無事に成長のおかげを頂かれたのでした。

★少し経って、今度はお孫さんが路地で遊んでいる時、トラックが方向転換のためバックで入ってきて、トラックの後部に頭をぶつけ、トラックの荷台の下で後輪のタイヤとタイヤの間に倒れこんでしまいました。ご信者はその際も慰謝料を受け取ることなく、後遺症の無いように一生懸命お願いされ、無事に後遺症もなく、その子は成人のおかげを頂かれたのでした。

現在は社会人として立派に役に立っておられます。本来ならば命のないところを軽い事故にして2回に分けて頂き、大難を小難におまつりかえ頂かれたのです。頂いたみ教えを離さず守り抜かれたことがおかげを頂ける元になったと思わせて頂きます。

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2014年08月02日

●葉刈りの信心

 夏は木の葉刈りの季節です。枝葉の風通しを良くし、虫が付くのを防ぎ、また、いらない方向に伸びたものは切って形を整えるのです。

★信心の上にも、無理・無駄・ムラを省く「葉刈りの信心」ということを教えて頂いております。生活を見直させて頂き、驕りがましいところのないよう改まらせて頂いて、肝心の幹を太らせて頂くのです。
また、目、耳、口の葉刈りをさせて頂いて、良いところを見、良いことを聞き、良いことを口に出すことを心掛けさせて頂きましょう。
油断をすると、つい反対のことをしてしまい、物事の粗探しをしてしまう悪い癖が誰しもあるものです。
「類は友を呼ぶ」と言われますように、悪口を言う人の周りには、そういう人が自然と寄ってきて一層徳を失うようなことになりかねません。
人の良いところを見て習わせて頂き、良いことをきいて師匠とさせて頂く、そうした目や耳を養うのです。

★生涯かけて不成の心を取り除かせて頂くのが、信心のご修行です。
驕りを取り去り、清い心を養うことによっておかげの受け物が出来るのです。
その為には、一回でも多く教会に足を運ばせて頂き、日々一言でも多くみ教えを頂く事です。
7月の信行期間に身に付けさせて頂いた良い習慣を、引き続き8月も実行させて頂き、確かなものとさせて頂いておかげを頂いてまいりましょう。


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2014年08月01日

●省く稽古

昨日をもちまして、無事に信行期間が終了致しました。皆様に於かれましては、1カ月間のご修行に励まれ、おかげを頂かれましたことは真に有難いことと神様にお礼を申し上げております。また、この間に身に付けさせて頂きました良い習慣が、今後も続かせて頂けますよう、引き続きご修行に励ませて頂きたいとお願いさせて頂いております。

★先日あるお方が、「信行期間有難いおかげを頂きました。心も体も健康で続かせて頂くことが出来ました。以前は、何をしてもしんどくてお参りするだけで疲れておりました。しかし今は、お参りさせて頂いても全く疲れず、有難くて有難くてなりません。

ご修行というのは、自分の心と体にある汚いものを省いていくのがご修行なんですね。これからも、自分自身の中に凝り固まっているものをお取り払い頂けますよう、お願いさせて頂いております。」とお礼とお詫びとお願いをされました。

★自分自身の心の中にある汚れたものを省いていくと、そこに受け入れる余地が出来てくるのです。するとその余地に教えがすっと入ってくるのです。

大きな受け物にするには、一朝一夕にはいきませんが、小さな器であったとしても日々信心の向上を願いながら、一段一段向上させて頂くように、不要なものを取っていきますと、自分自身に必要な教えが心の中に入ってくるのです。

和らぎ賀ぶ心が大切であると教えて頂いております通り、自分自身の中にある頑くななもの(これだけ私は努力している!私は間違ってない!あの人のこんな所が悪いのだ!等々)をお取り払い頂いて、どんな時でも「わが心が神に向かう」稽古をさせて頂くことが大切です。

★毎日おかげを頂き続けていることの連続ですから、その有難さを心に感じ、心の底から喜べる生き方に努めさせて頂きたいと思います。

★『真に有難しと思う心、すぐにみかげのはじめなり。』
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