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2014年04月30日

●薄紙を一枚一枚めくるように

人間は先のことが分からないのでありますが、私共はお願いを立てさせて頂くことが出来ることは有難いことです。更にお願いが立てられるからこそ、それに向かい努力させて頂けるので、おかげを蒙らせて頂けるのです。

先々が分からないからこそ、心配して手元をおろそかにするのではなく、将来の為に今出来る心配りをしなさいと教えて頂いています。

『ねがうとは、氏子の真の値で買うということである。』とも教えて頂いております。神様に真を向けますと、『願う氏子におかげを授ける』と教えて頂いていますように必ずおかげを授けて下さる神様です。

★甘木教会初代教会長・安武松太郎師は「われよしと 思ふ心を 仇として 戦ひて行け 日毎夜ごとに」とみ教えを下さいました。例えば、少し努力しますと、自分はよくやったと思ってしまい、上手くいかなかったら周囲のせいにしてしまうことがあります。

それを不成心と言います。そのような不成心のある人は、全てに不足を思いやすくなります。不成心には「根」があるものです。その根を切って頂かねばなりませんが、なかなか難しいのです。根を切って頂く為にはお広前において、日々薄紙を一枚一枚めくるように、悪癖・悪習慣等をお取り払い頂くのです。

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2014年04月29日

●御祈念を欠かさずに

あるご信者は、広島から新車の御祈念に来られました。そこで、御神米をお下げさせて頂き、「車内の日除けのところに御神米をお祀りし、運転するときは必ず御祈念して運転し、車から降りるときは『今日も無事故で有難うございました。』とお礼を申して降りましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★そのご信者が家族で広島から車で御本部へ行かれた時のことです。突然、目を開けていられないほどの明るい光が輝き、慌ててブレーキを踏み速度を落とし、前の車と車間距離をあけられました。

するとその途端、前の車が事故を起こしたのです。もし車間距離をあけずにそのまま運転していれば、そのままご信者の車も前の車にぶつかって事故に巻き込まれていたのです。

★また別のご信者は、昭和62年鹿児島で墓参りの帰りに266号線を車で走っている時に、突然対向車が車線を越えてご信者が乗っている車にぶつかってきたのです。右前部と右前部が衝突した瞬間そのご信者は「金光様!」とご祈念して止まりました。

そして、車から降りて見てみると、そのご信者の車の20m以上後ろに相手の車が止まっていたのです。よくよく聞いてみると、なんとぶつかった瞬間、相手の車は飛び上がり、空中で一回転して着地したのでした。車は少々傷つきましたが、二人の運転手は無傷のおかげを頂かれたのでした。

★常に御神米をお供して御祈念させて頂いておりますと、日常卑近なところで、結構な有難い体験をさせて下さり、大難を小難に小難を無難におまつり替え頂くことが出来るのです。毎日御祈念させて頂く稽古をさせて頂き、行く所行く所でお守り頂きおかげを頂きましょう。

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2014年04月28日

●応える愛

先日は、家内の実家のご先祖の慰霊祭をお仕えさせて頂きました。家内のお父さんは大変辛抱強い方であられました。家内には兄弟が女5人男1人で、一人息子であるお兄さんは第五管区海上保安庁に勤めておられました。

昭和55年お兄さんは仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28才という若さでお国替えされました。相手の方は20才くらいの若い方で、ご両親と共に家内のお父さんに土下座して謝罪されました。

お父さんは、警察へ行かれて「相手の方はまだまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と嘆願書を出されたのでした。

一人息子を亡くしたお父さんにとって、大変悲しい出来事でありましたが、その後、お父さんは生涯恨みがましい事を一切口に出されませんでした。お父さんは相手を恨むのではなく、相手の幸せを願われ、後々にめぐりを残されぬように辛抱なさったのでした。

★お兄さんが亡くなられた後、お父さんは家内に実家を継いでもらいたいと願っておられました。しかし、私が家内と結婚させて頂きたいとお願いに上がりますと、お父さんはじっと考えられ、「一生仲良くするのであれば、結婚してもよい」とお許し下さったのでした。

ご自分の考えておられた思いは、一言も仰らずに許して下さったのでした。そのような家内の父の生きられ方を大変尊敬しております。

★有難いことに、お父さんがお国替え後、家内のお姉さん御夫婦が実家の姓を受け継いで下さり、後継に入って下さったのです。

★愛情には色々な愛情があります。好む愛・求める愛・与える愛・応える愛、等々。与える愛とは親が子に対する無償の愛などを指します。神様、親ご先祖も私達氏子に、無償の愛を与えて下さっておられます。

その与えて下さってきた愛に対してどのように応えさせて頂いてゆくのかが大切です。応える愛というのが、ご恩を知ってご恩に報いることですが、しっかりと喜んで頂ける私たちにならせて頂きましょう。
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2014年04月27日

●今与えて頂いていることの有難さを分からせて頂く

あるご信者は教会に参拝なさる以前は「いつ離婚しようか」と考えておられたそうです。ご神縁頂き参拝なさるようになってからは、今がどれほど恵まれているかという事を段々と分からせて頂けるようになられたのです。先日参拝なさった時には「お参りさせて頂くまでは有難さが何も分かりませんでした。それが今では、『これも有難い、あれも有難い』と思えるようになり、お礼の申し足らないお詫びを申しております。」と仰っておられました。

★私達はそれぞれに有難い家に住まわせて頂き、有難い家族を与えて頂き、有難い家業を与えて頂いて、何もかも与えて頂いております。ですが、その有難いおかげを頂いているのに、おかげを頂いていることが分からずに、「あれが足らん、これが足らん」等と悪いところばかり見聞きして、悪いところばかり口に出していては、結構になりません。み教えを頂いてゆきますと、全てに良いところを見聞きして良いところばかりを口に出させて頂けるように改まらせて頂けます。

★三代教会長先生の奥様は「二代教会長先生が『今のうちに辛抱しときなさいや。そうしたら先々は結構になりますよ。今のうちに信心辛抱させて頂きなさいや。』とみ教え下さっていましたので、若い頃は私が辛抱していると思っていましたが、それは大間違いでありました。二代教会長先生、三代教会長先生が辛抱して下さったのです。よう私のような者を辛抱して下さったと思わせて頂くことばかりです。有難いことでした。」と聞かせて下さるのです。

★『まめなとも信心の油断をするな』と教えて頂いております。健康であることや家族が円満であること等、有難いことでありますのにそれが当たり前になってしまわないように、日参聴教に励ませて頂き、み教えを頂き、油断のないご信心を心掛けさせて頂きましょう。

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2014年04月26日

●心配する心で信心せよ

『人間じゃもの、先のことを考えるなというのも無理じゃが、判断にあたわぬ先のことを考えて、どうなるじゃろう、あんなにならねばよいが、こんなになったらこまるがと、心配ばかりするのも、また無理ぞ。

神様でなければ分からぬことを、人間が、ああか、こうかと心を配るのを、心配というのじゃ。心配は、神様に任せて信心せぬからぞ。信心してお徳を受けると心配はないがな。』

★人間ですから、先々のことを不安に思ったり、心配に捉われてしまうことがあります。先々のことは神様にしか分かりません。そこで幼ない頃から、お願いさせて頂くことを教えて頂いておりますと、心配を神様にお預けして、お願いに変えてゆくことが出来るのです。

そして目前のことに打ち込んでさせて頂くことが出来、見ること聞くことすべてをおかげにさせて頂けるのです。

★『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ。』

★お結界という場で、心配や不安や焦りなど、心に持っている悩みをすべて神様にお預けさせて頂くのです。

お預けさせて頂いた以上、心配はすべて忘れて、先を楽しみにし「必ず明日は良くなる!明後日はもっと良くなる!」と思って信心させて頂きましょう。すると先々が開け、神様は必ず良い方へ道をつけて下さるのです。
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2014年04月25日

●子孫に続く信心

24日は、二代教会長伊藤コウ師のお姉様であられます、伊藤カツ氏の御命日でした。コウ師のお父上・房次郎氏は信心に大反対でしたが、コウ師のご母堂ハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。神様を拝むくらいなら、わしを拝め」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なくして愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通らない状態になられたのでした。毎日人力車に乗せて医師・薬・針やお灸など色々手を尽されましたが一向に良くならず、とうとう房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられました。するとハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次頂いて下さったら、きっと良くなります。」とすすめられ、初めて教会へ一緒に参拝なさったのでした。

★そこで房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流し「どうぞ助けて下さい。」と願われたのでした。するとお結界の先生は「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。おかげを受けていますから。」と仰せられました。急いで帰られると、それまで口もきけない、水も喉を通らない、身体も動かない状態であられたカツ氏がお父さんが帰ってこられる下駄の音を聞いて「お父さん、お帰り!」と玄関まで飛んで来たのでした。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから家族中が勢信心のおかげを頂かれたのです。

★ハル氏は「めぐりが子孫に伝わらぬように、私一代でめぐりのお取り払いが頂けますように。」と一生懸命にお願いされ、ご修行して下さり、おかげを頂いたことを忘れてしまわぬように次の代、次の代へと伝え、信心が続いてゆくように道をつけて下さいました。

★四代金光様は「仰ぎまつる先祖に続く我もまた 先祖の一人 生きている先祖」というお詩を詠んでおられます。現在の生活というものは、すべて親ご先祖から様々なお働きによって与えて下さっていることを自覚させて頂き、有難い良いものが子孫に伝わっていくように、日々信心させて頂きましょう。

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2014年04月24日

●仕事を追いかける

「上農は草を見ずして草を取り 中農は草を見てから草を刈り 下農は草を見て草を取らず」という教えがあります。上農は田植えが終わり数日後に、1番草を取るということをなさいます。その時期に田んぼの水をかき混ぜてやると、後々生えてくる草が大幅に減るそうです。見た目には草が生えていなくても、先々草を生やさないように手入れをなさるのです。それが草を見ずして草を取るということです。

★このようにこれから起こってくるであろうことに対して、先へ先へ手を打って手遅れにならないようにさせて頂くことが大切です。仕事に追いかけられるのではなく、仕事を追いかける姿にならせて頂くのです。仕事に追いかけられている人は、「今しなければいけないから、する」といった状態になってしまい、焦りから心に余裕が出来ず、心から喜んでさせて頂くことも出来なくなってしまいます。

★以前、火災の夢を見させて頂いた時に、夢のご意味を分からせて頂かなければと思い御祈念させて頂いておりました。お広前の屋根裏には、空調設備の機械やダクトがあります。その機械の点検をして頂こうと思わせて頂き、点検をお願いしますと、電気は通っているのに全く作動していない機械が見つかったのです。事故に至らないように夢の中で先へ先へ、間に合うようにと神様から教えて頂いたことでした。

★商業繁盛十訓という教えの中に「いつも自信を持ってにこやかに」という教えがあります。「教祖様のみ教えを守らせて頂いたら必ず天地に通じてゆける!み教えを基にした生活をさせて頂けば、必ず子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂いてゆける!生神金光大神様のお取次を頂いて天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂くということは大変有難いことであり、この生き方を生涯貫いてゆこう!」という信念をずっと持ち続けてゆきますと、自信に繋がってゆくのです。

★神様は先へ先へ間に合うように、ご都合お繰り合わせを下さいます。仕事の上で時間が空いた時に退屈しのぎを考えるのではなく、今のうちに何をさせて頂けば良いかを考え、工夫をさせて頂くのです。ご信心させて頂きますと必ずおかげを蒙らせて頂けますから、いつも自信を持ってにこやかに家業に努めさせて頂きましょう。

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2014年04月23日

●み教えを守りぬく

商売をなさっているあるご信者の同業者のひとつが、先日、大変大きな取引先を持って大々的に商売をなさっておられたとのことですが、負債額も大変大きかったとのことです。ご信者の会社は、戦後から入信され今日までこのような危機に見舞われることもなく、繁盛のおかげを頂いておられます。

★と言いますのも、ご信者のお父様が、二代教会長伊藤コウ師より、「無理はいけません。一升の枡に一升五合入れようとしても、入るものではないでしょう。どこまでも分相応が大切ですよ」と、繰り返しみ教え頂かれたそうです。長年の間には日本経済は右肩上がりの時期もあり、銀行から借金してでも商売を急激に広げる風潮があったでしょうが、そんな時にもみ教えを守ってじっと辛抱なさったおかげで、今日の繁盛があられるのです。

お父様は、日参と聴教に励まれ、日々お取次を頂きながら、他社が嫌がるような面倒な仕事や、利益の薄い仕事でも有り難く受けさせて頂かれ、み教えの通りに堅実な商売をなさったのでした。そのような有り難いお商売の在り方を、代が変わった今日も受け継いでおられるのです。

★親の有り難い生き方に習わせて頂くことによって、そのお徳を頂くことが出来るのです。また、どんなことも生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを守り抜かせて頂くことによって、広大なご神徳を頂くことが出来るのです。『親のものは子のもの、と昔から言うけれども、親の信心を子の信心にせねばならぬ』

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2014年04月22日

●欠かさずお礼申す稽古

先日から、口内の一部分が痛み、お水を頂くのも、ご飯粒を頂くのも、熱いものも冷たいものも何を頂いてもその部分が痛みます。食事も普段の半分ほども頂けず、お話しさせて頂くのも痛むため、滑舌が悪くなってしまうという現状です。

しかし、そのような状態であるにも関わらず、お説教やお宅祭の御用などすべてにご都合お繰り合わせ頂き、日々変わらず御用にお使い頂いておりますことは有難いことです。そのことに対してお礼を申しているつもりですが、いざ痛みますとその痛いということが先に立ってしまい、お礼を申すことが疎かになってしまうことがあります。

1000のうち999有難いおかげを頂いているにもかかわらず、1のことが気になってお礼申すことが後回しになってしまいやすいものです。私自身、お礼申しながら食事を頂き、お礼申しながら御用にお使い頂いておりますが、まだまだ足らないことを日々自ら戒めております。

★太陽のお照らし、お水、空気、食物・様々な原材料・鉱物等々、天地の賜わり物を頂かねば、人間は生きていくことが出来ません。ですから、神様からの賜り物を毎日手を合わせて「有難うございます。頂きます。」と全てを有難く拝んで頂くのです。毎日欠かさずお礼申す稽古に努めさせて頂き、心の上・体の上におかげを頂きましょう。

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2014年04月21日

●信心を離さず

あるご信者の隣家から出火した時のことです。それに気付いた息子さんが消防署に通報なさり、ご両親は二階のご神殿にご祈念なさり、教会に電話でお届けなさいました。報告を聞かれた三代教会長先生は、早速に御神前でご祈念して下さったのです。

ご信者の家は西側にあられたのですが、東から西に吹いていた風が、お届けをなさいました後に東から西へと風向きが変わり、火元だけで沈火し、類焼せず水もかぶらずに無害のおかげを頂かれたのでした。

★後日、隣家にお見舞いに行かれ、焼けた部屋をみられると、なんとそこに御神殿がお祀りしてあったのです。そこのお家の何代か以前の方が、金光教のご信心をなさっておられたということです。よくよく見られますと、御神殿の前まで焼け跡があり、そこから向こうはすべて焼けてしまっていたのです。

後々の方がご信心を受け継いで信心が続いていれば、また違うようにお守りを受けていたに違いないと、そのご信者は思われました。そして、ご自身もしっかりと信心を離さず、また子供や孫にしっかりと信心を伝えさせて頂かねばならないと、子孫の信心相続を強く願われたのでした。

★様々なことが起こってくる毎日ですから、信心を基にして生活させて頂かねばなりません。自転車に乗る時や歩く時、車に乗る時など、心中御祈念を欠かさず危ない中も油断せずに全てに於いてご都合お繰り合わせ頂いていくのです。

毎日の生活の中で信心を離さず、大難を小難に、小難を無難に、大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂きましょう。

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2014年04月20日

●暗闇から明るい世界へ

昨日は昭和49年72歳でお国替えされました松本光治氏の御命日でした。松本氏は「盲目の画家」と称され、文部省美術展覧会や台湾の総督府美術展、一水会の美術展に入選され、後進の方々の育成にもお役に立たれたお方です。

★松本氏は、網膜色素変性症というご病気で両眼の視力をほとんど失われました。松本氏は画家であられましたので、医師から次第に視力を失うことを告げられた時には、自殺未遂を図るほどに生きる気力を失われたのでした。

そうした時に、奥様がお導き頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「今から神様にお願いさせて頂いて、絵を描かせて頂けるようになりましょう。」と有り難いお取次ぎを頂かれたのです。松本氏は、日々教会に参拝なさり、み教え頂かれた通りに180度心を変えられ一心にお願いが出来るようになられました。

すると、暗闇の中に針ほど光を見ることが出来る時間が朝の一分間程ですが頂けるようになったのです。そのわずかな映像を脳裏に焼き付けて、奥様の献身的な手助けを頂かれながら、手探りで油絵を描くことを始めることが出来られたのでした。

そうして、一水会という芸術展に昭和27年から40年までの14年間、連続で入選されるという大変素晴らしい功績を残されたのでした。更に有り難いことには、松本氏は、無償の奉仕で後進の指導に力を入れられ、若い方の縁談のお世話なども積極的になさったのでした。

★信心がない時は、暗闇の中をさまよってどこに行って良いか分からなかった人が、信心をさせて頂きますと、明るい光の中で物事が良く見えて正しい判断がさせて頂けるようになります。心の眼を開かせて頂くということは大切なことです。

松本氏が信心させて頂かれ、神様を杖に大きな働きをさせて頂かれましたことは、不成心をとってゆかれたからです。今日一日今日一日、神様におすがりして明るく前向きに取り組ませて頂きたいと思います。

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2014年04月19日

●神様と共に繁盛の道を

あるご信者は、西区で米穀商を営んでおられましたが、戦時中の情勢で商売をやめられ、神様だけを頼りに、田舎で慣れない農業を一からするようになられたのでした。

朝早くから、夜遅くまで働き詰めに働かれたのでしたが、ご主人はどんなに仕事が遅くなろうとも、帰られたらまず大払詞を十巻奉唱され、その日のお礼を申し、次の日のお願いをなさってから、食事を頂かれるということを貫かれたそうです。

★ある年には、お米がスズメの被害に遭いましたので、「どうぞ、スズメも立ち行かなければなりませんから、スズメに食べ物を与えてやって下さい。お米もお守り下さい」と神様にお願いなさったそうです。

そうしますと、近くの松林に虫が大量に発生し、スズメはその虫を餌にするようになって、お米は無事収穫することが出来られたのでした。またある年には、スイカを出荷しようとすると、途中の橋が流されて足止めとなられました。

その間に、他の人たちはスイカを出荷し、ご信者は一足遅れて出荷することとなられたのですが、そのおかげで、品薄な時に高い値段で買って頂けるというおかげを頂かれたのでした。

★天地の親神様は、全ての氏子が子孫繁盛家繁盛するように、ご慈愛をもってどこまでも願って下さっておられます。ですから、何をするにも一心におすがりさせて頂き、神様と共にさせて頂く心にならせて頂きますと、困難の中も繁盛の道を歩ませて頂くことが出来るのです。

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2014年04月18日

●何事も御神意と取らせて頂く

伊藤の家の信心は、二代教会長伊藤コウ師のご母堂・ハル氏から始まりました。ハル氏が入信以前は、家内中で喧嘩が絶えず次から次へと家族が病気にかかり、また経済も立ち行かない等、様々な難儀がありました。

ご神縁を頂かれ教会に参拝なさるようになられてからは、率先してみ教えに基づいた生き方に改まる生活に変わられ、一切喧嘩をしないと決められて、毎日の生活の中に実践なさったのでした。しかし、ハル氏のご主人・房次郎氏は「神様を拝むくらいなら、わしを拝め」と言われるほど信心に大反対でした。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。

すると、愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通らない状態になられたのでした。色々手を尽くされましたが、一向に良くならず、とうとう房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねられました。

するとハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさって神様にお願いして下さったら、必ず良くなりますから。」とすすめられ、初めて教会へ一緒に参拝なさったのでした。そしてそこから一家勢信心のおかげを蒙られたのでした。

★「都合の悪いことは起こってこない方がいい」とだれもが思いますが、心得違いに気付かせて頂くということは大切です。気付かせて頂けることが起こってこなければ、なかなか是正されません。難しいことが起こってきても、神様に心を向ける材料にさせて頂けましたら、結構なおかげになってゆくのです。

★三代教会長先生は「神様は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、全て自分の本心の成長の為にあって、無駄な事は何一つない。元気な心で試練に堪えよ。

例えそれが失敗であっても天災や病気や怪我であっても、或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても、何事も御神意と取り困難を困難とせず、明るく生き抜く覚悟を以てせよ。」とみ教えを残しておられます。このみ教えをしっかりと心に刻み込み、出来てくること全てを信心の材料にさせて頂きたいと思います。

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2014年04月17日

●終身の計は人を樹うるに如くは莫し

尋常小学校を終えられた伊藤コウ師は、「私はどんなことがあっても女学校へ入る。」と思われ、ハル刀自のお言葉を振り切って、清水谷高等女学校へ受験の願書を提出されました。ハル刀自は師範学校へ入ってもらいたいと強い祈りを込めておられました。

★コウ師は試験の為に登校されたところ、最も肝腎な受験票を忘れたのです。しかも試験場に入るギリギリになって無いことに気付かれ、宙をとんで我が家に帰り、引き返された時には数学の時間は余すところ僅かとなっており、満足な解答が出来ず、不合格となられました。

そのことにハル刀自は「おかげや、おかげや」の一点張りであったのです。それこそ、神様のお繰合せであり、ハル刀自の祈りのままであったからです。翌年、言いつけ通りに師範学校を受験されたところ、見事合格されました。コウ師は、四年間一日の欠課もなく、優秀な成績で卒業なされたのです。

★「一年の計は穀(こく)を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し」という言葉があります。

穀物を育てるのは一年の計画であり、木を育てるのは十年の計画であり、人を育てるには一生涯をかけた計画が必要である、ということです。私共はそれ程の思いで、人のことを願ってゆかねばなりません。

また、神様から、御先祖から、親様から自分自身が願って頂いて現在がある存在であるということに気が付かねばなりません。人生において色々と難しいことが起こってくることは当たり前です。その中で全ておかげにさせて頂ける信心を求め続けられます様にお願いしましょう。

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2014年04月16日

●徳切れほど怖ろしいものはない

世の中には救急車などに、常習の利用者の方があるそうです。いわゆる腰が痛いとか何かあると、タクシー代わりに救急車をすぐ呼ぶ人達のことです。「その人の申し出は、よほどのことでないともう受けないように」という申しあわせがあるとか…。

自分の都合ばかりを考え、人を利用するばかりでは信用を失います。そして、いざ本当に必要に迫られた時には、誰も助けに来て頂けなくなるのです。それは、まさに徳切れの姿です。

★私達は、日々国家・地域社会、周りの方々にお世話になって生活させて頂いております。都会におりながら農作物を頂き、魚や肉を頂くことができるのも、育て作って下さる方がいるからこそ、また流通の形態が整っているからこそです。人にお世話にならなければ、生きてはいけないということは厳然たる事実です。

しかし、人にお世話になるばかりを望むことは、めぐりを積むばかりです。人にしてもらうことが得だと思っている人は、人の為に何かさせて頂くことに対して、有難いとはなかなか思えませんし、損のように思います。お世話になっているお礼に自分自身の手足を使い、世の中のために人の助かりを願って人のために、お役に立たせて頂くことが徳を養い培ってゆくのです。

★二代金光様のみ教え『桂松平師に対せられ「世の中に何が一番怖ろしいかな」と問われた時「地震雷火事親父と申しまする。私はそれが怖うございます。」と申し上げたところ「そうじゃなぁ。それもあるが世の中に徳切れということがある。徳切れほど怖ろしいものはない。」』

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2014年04月15日

●新たに芽吹く信心

種子が土に植えられて、芽を出すには、光、熱、水が必要なのだそうです。それらの全ての条件がうまく揃ったときに、無事発芽するのです。

信心にも、より発展するための新たな芽を出すためには、明るさ(明朗さ。思い分けの出来る賢さ。)、
熱心さ(熱のこもったご信心、心のこもったご信心をさせて頂く。何事に対しても、誰に対しても実意丁寧正直親切にさせて頂く。「もうこれでよい」と思わない。)、
潤い(心と体に潤いを頂く。心が乾くと、些細な事にも耐えられなくなり、衰弱してしまいます。心に潤いを頂き、心身ともに生きる力を与えて下さるのがみ教えです。)が必要です。

★お礼の御用にお使い頂くことは、大変有り難いことです。お礼の心に満ち満ちて御用にお使い頂くことによって、ここから先もより一層、結構なおかげを頂くことが出来るのです。

いつも新たな気持ちで、根気強く、お礼の働きを心掛けておかげを頂いてまいりましょう。こうしたご信心を、コツコツと続けさせて頂いておりますと、いつしか新しい芽が芽吹き、奇跡的とも思えるようなおかげを頂く道に進ませて頂ける瞬間を、与えて頂くことが出来るようになるのです。

★『金光様は「有難き恐れ多き勿体なきの三きを供えて祈れ。一切の願い事を成就させてやる」と仰ったが、この有難き恐れ多き勿体なきの三きの心に新気・根気・御礼の働きが立ちそうてこそ一切成就のご信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受ける元になるのぞ。』
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2014年04月14日

●人を軽く見ない

自分の狭い考えで人を見、評価してしまう事はとても危険なことです。どんな人でも、天地の神様から尊いものを頂いている氏子であり、神様は、天地の様な広いお心で氏子一人一人の助かりを願って下さっておられるのです。

★橋詰さんという御信者が入信前のこと、任侠の世界にあこがれていました。喧嘩が好きで、無理難題を言うことが男らしいと思って生活をし、家賃も払わずに何年間もためていました。あらゆる所に借金を重ね、誰からも信用されない状態に陥っておられたのです。ところが息子さんが教会の子供会にお参りされるようになり、息子さんのお導きによって入信されたのです。

二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂かれ、本職であったブリキ屋に戻られ、御神米をお供して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に奥様がちりとりを注文して下さいました。

信心によって心を入れ替えたご信者は、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていったのです。そしてお礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★周囲の人の助かりをどこまでも願わせて頂ける、大きなご信心に進ませて頂けるよう、日々生神金光大神様のお取次を頂いて、稽古させて頂きましょう。

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2014年04月13日

●喜びの種を蒔く

二代教会長先生のご時代に、立派な旅館を営んでおられる方がお導き頂かれ、参拝なされました。裕福で結構な生活を送られていたのですが、跡継ぎがいなくて「こんなつまらん人生はない。」

と夫婦で毎日嘆き悲しんで、生きてる甲斐がないと思いながら暮らしておられました。お金も家も家業も与えて頂いていても、毎日愚痴不足を言いながら暮らしていては、神様もお喜びになられません。

★例えば作物を育てるのに、まず土地を耕さないことには作物は育ちません。神様は荒地荒屋敷をお嫌いなさりますが、荒地のまま放っておいて作物が育たないのは当たり前の話です。

まず、岩や石や木の根等を取り除いて硬い土を耕してゆきますが、その岩や石を取り除くことが、信心の上での改まりにあたります。次に肥やしを入れることが、信心の上でのお礼のご信心です。そして種を蒔き育ててゆくことが、信心の上でのお願いにあたります。

良い物が育ってゆくように、地を耕し、肥やし、喜びの種を蒔いてゆけば、先々が明るくなってゆくのです。そう言う風に心掛けてさせて頂きましたら、至るところで有難い物を収穫させて頂けるようになりますね。

★ご信心させて頂きますと、一段一段より一層に向上させて頂くことを願わせて頂くのです。『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しくはならぬ』と教えて頂いております。

毎日み教えを頂き直しておりますと、自分自身の改まらねばならない点に気が付かせて頂けます。気が付かせて頂けるのがおかげであり、その改まりに心を向けて努力させて頂くことが、より大きなおかげの基を築き上げてゆくのです。

★私達信心させて頂いている者は、神様がお喜び下さるような信心にならせて頂かねばなりません。次々と人が育ってゆきますよう、喜びの種を蒔くことを心掛けさせて頂きたいと思います。

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2014年04月12日

●お願いが途切れないように

金光教では『神へは何事でも願え。神は頼まれるのが役である。』『今月今日で一心にたのめい』とみ教え下されています。お参りなさる限りはたくさんのお願いを持って参拝して頂きたいのです。そしてお願いの内容が向上してゆくことを神様は喜んで下さるのです。

★昭和37年頃、あるご信者が「うちの孫が志望の高校へどうぞ合格させて頂けますように。」とお願いに来られました。おかげを頂かれて孫さんは無事に志望校合格されました。すると、ご信者は信心が遠のかれたのです。

毎日の参拝が3日に一度になり、5日に一度となり、ひと月に一度になってお礼もお願いも出来ないようになってしまったのです。そして2年ほど経ったある日、ご信者が参拝され、二代教会長伊藤コウ師のもとへお届けに来られたのです。

「先生、うちの孫が病気になって学校へ通えなくなり、とうとう退学せざるを得ない状況になってしまいました。」コウ師は「なぜここに至るまでにお参りに来なかったのですか。入学するときには、必死になって願っておいて、退学する時には一言の断りもない。なんとかわいそうなことか」と嘆かれたのでした。

★教祖様は『何なりと実意をもって願え』と仰って下さっています。神様はおかげを受けてくれよと願って下さっているのです。高校受験させて頂くときに、「どうぞ志望の高校へ合格させて頂けますように」とお願いさせて頂きますね。

そして高校が合格すれば、それでお願いすることは終わりではないのです。「健康で通わせて頂けるように。」とお願いさせて頂き、「成績が良くなりますように。」「卒業後はお役に立たせて頂けますように」というように、一つおかげを頂いたら、また次のお願いをさせて頂いておかげを頂いてゆくというように次々にお願いが途切れないようにさせて頂くことが、油断のない信心です。

★お願いが抜ける、お取次ぎを頂くことが抜けてゆきますと、自分の力でしようとすることによって油断が生じ、物事に対応できなくなり、いずれ行き詰まってしまうのです。今日一日今日一日をお願いして油断なく日を過ごしてゆくことによって、有難い有難いと喜びに満ちた日々を送らせて頂くことができるのです。

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2014年04月11日

●地を肥やす

教会のおがたまの木は、昭和32年に御信者が苗木でお供えになられたもので、当時は人の背丈程のものでした。 一度枯れかけた時には、二代教会長伊藤コウ師がバケツの水の中に御神酒を少し入れてかけておやりになり、「どうぞ生き返って下さいよ」と声をかけながら、ご祈念を込められて大切に育てられました。

それから50年以上経った現在では、幹も太く枝も張り、教会の屋根の高さほどまでに育ちましたが、近頃ずいぶんと弱り、いよいよ植え替えの時期にならせて頂きました。植木屋さんなどに見て頂きますと、今年は暖かくなるのが急激であるため、この4月に植え替えをさせて頂くのが一番良いとのことです。以前から教会敷地内で順調にすくすくと育っていた、このおがたまの木の実から育てた子供にあたる若木を新たに植えさせて頂きます。

★来る14日(月)午前11時半よりお広前で南境内地の植樹の祈願祭を仕えさせて頂きます。そして、お祭りを仕えさせて頂いた後、植え替えの作業にあたって頂く予定です。天地の親神様にご報告をさせて頂き、ご祈念を込めてお祭りをお仕え申し上げさせて頂きたいと願わせて頂いております。

★信心も、「地を肥やす」ことが大切です。自分にはどういうところが足らないのか、常に見直し、聞き直し、考え直しをし、手直しをしていくことが大切です。日々教会に参拝してみ教えを頂き、代を重ねて、地を肥やす信心を進めさせて頂きましょう。

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2014年04月10日

●信心の地を肥やす

『病気災難があったからと言うて、にわかに信心を始めるより普段から手厚く信心をしておれ。手厚い信者であれば神から心配してやる。いかに大病とか急死とかいう病難でも峠をこえさせて全快させてやる。とかく信心の地を肥やしておけよ。』

★あるご信者は30歳頃、ご主人のお商売の手伝いをなさりながら、2人の子共さんの子育てをし、家事をなさりと忙しい日々を送っておられました。しかし、喘息を患っておられ体全体で息をするほどに辛くなってこられました。

なんとかその喘息を治して頂きたいという一心で、毎日日参なさってみ教え頂かれました。しかしなかなか良くならず、ある時二代教会長伊藤コウ師にお届けされました。するとコウ師はずっとお聞きなさった上で、「お詫びをしっかりさせて頂きましょうな。」とみ教え下さったのです。

そこで、先生が仰るのだからと、真剣に心の底からお広前でお詫びを申し上げることが出来たのでした。すると、その晩休まれて翌朝起きると、なんと喘息が治っていたのです。それから生涯喘息が起きないおかげを頂かれました。何のお詫びをすればよいか分からない中、親先生がお詫びを足して下さったからだと思われたそうです。

★そのご信者にとって生涯かけて「お詫びをすることの意味」を考えることが課題となったのです。信心のない時はお詫びをすることはないと思っていたが、信心をさせて頂きますと、神様の目から見ればどれ程のご無礼があるかということが気付かされたのです。

★常の信心とは、お礼、お詫びを申し上げることがどこにあるかを日々新たな気持ちで探すことです。それは、み教えを頂き、お取次ぎを頂かないと新たに気付かないものです。その上でどのようにお願いさせて頂くかを考え直しをしてゆくことですね。

神様を使うばかりでなく、自分が毎日心の中身を磨いてゆくことを努力し、神様に使って頂ける人間にならねばなりません。それがおかげを頂いているということなのです。
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2014年04月09日

●神の綱を放さない

昨日は、みかげ会例会にて、山口氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。ご両親がご神縁を頂かれ、山口氏も幼い頃から子供会・学生会でお育て頂かれて、真面目にご信心を頂いてこられました。

★ご両親は、大変な経済のご苦労をなさいました。お父様は仕事の上での問題で借金を抱えて突然家を出てしまわれたのです。山口氏が中学2年生の時でした。その後はお母様が昼夜ともに働いて家計を立てられたのでした。しかし神様のお守りを頂かれて一家離散することもなく、皆が健康で、兄妹共に志望通りに学業成就のおかげを頂かれました。大学卒業の後は、結構な会社に就職させて頂かれ、良縁も頂かれ、三人の子宝に恵まれました。

★お子さんが幼い時には、マンションのドアに指を挟まれて骨が砕けるほどの大怪我をなさるなど、救急車のお世話になるような事故も何度かあったそうですがその都度ご都合お繰り合わせを頂かれ、今日お子さん方は、皆元気に就職、また良縁、子宝のおかげも頂いておられます。

★平成24年、無事に定年を迎えられましたが、在職中、2度の大きなリストラ、合理化があったそうです。しかし山口氏は、シニアスタッフとして再就職までさせて頂くおかげを頂かれ、今日も元気にお仕事をなさっておられます。家族揃って、真面目に信心を続けさせて頂くことによって、難もおかげにさせて頂き、繁盛させて頂くことが出来るのですね。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、それを除いていただくのであるが、生まれつきの約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

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2014年04月08日

●月々御本部御礼参拝がさせて頂ける有難さ

先日は、天候初め万事万端ご都合お繰り合わせ頂きまして、列車・バス共に無事運行させて頂き、御本部天地金乃神大祭に参拝のおかげを蒙らせて頂きましたことは、誠に有難いことでございました。

★御隠居様のご時代では、やっとの思いで年に1回御本部参拝がさせて頂けると言う状態であられました。そんな苦しい中を年に2回、年に3回…と徐々に参拝をさせて頂くようになられました。

御隠居様は「子供の代になりましたら、どうぞ楽々とお礼参りがさせて頂ける家になりますように。孫の代になりましたら、もっともっと有難うにお礼参りがさせて頂けるようになりますように。」と願って下さっておられました。

★また終戦直後、二代教会長先生・三代教会長先生・ご信者1名の3人で御本部参拝をなさっていた時、二代教会長先生は「今は3人のお参りでございますが、どうぞ月々は小さいながらも団体でお礼参拝がさせて頂けますように。

そして春秋の御大祭には、阿倍野教会だけで一列車を仕立てた阿倍野号でお礼参りがさせて頂けますよう、どうぞしっかり神様の御恩が分かる教会にならせて下さい。」とお願いして下さっておられました。

★昭和28年1月15日、御本部年賀参拝の帰りに荷車と機関車が衝突し、帰りが23時位になる程の遅れが出てしまいました。

二代教会長先生は時間が遅れただけで、誰も怪我をされず無事帰宅のおかげを蒙らせて頂いたことをお礼申しておられましたが、振り返ってみられたら毎月毎月おかげを頂きお参りを続けさせて頂けるのは、御隠居様が苦しい中を一生懸命ご修行して下さった結果、有難いことに後の者が楽々とお参りがさせて頂けるようになっていっておるのだ、と気付かれたそうです。

★最初は初代教会長先生たったお1人であられたのが、終戦後には3名、そして現在では月々のお礼参拝がさせて頂けております。毎月一列車とバス7〜8台のおかげを蒙らせて頂いております。

先日では、約850名の方々が参拝させて頂かれ誠に有難いことでございます。御隠居様のご時代からのご修行と願いを持って下さっておられたことが、毎月の御本部御礼参拝のおかげを蒙らせて頂く基を築いて下さったのです。

私達はもっともっとお礼のしっかりとさせて頂ける教会にならせて頂き、神様・御霊様に喜んで頂けるような教会にならせて頂きたいとお願いさせて頂いております。

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2014年04月07日

●願いをたてる

初代教会長先生は布教当初より、「ふんどしを質に入れてでも御本部参拝をさせて頂く」と願っておられました。当時、借家にお風呂はなく、二代教会長先生が当時勤めて得られた給料をすべて神様にお供えし、お下げした後に家賃の支払いをなさっておられました。そのような中で、御本部参拝の費用を出すのはとても大変なことであられたと推察できます。

★鈴木コトエさんというご信者は、体が弱く電車にも乗れない状態(パニック障害)であったのですが、二代教会長先生が一緒に付き添って下さり、お手厚い御祈念を頂かれて、初めて阪堺上町線に乗ることが出来られました。そのお礼のお供えで初代教会長先生は布教初めての御本部参拝が出来られたのでした。初代教会長先生が覚悟なさって願いを立てておられたので、そのお金を生活費に使われず、生活が厳しい中を御本部参拝に使われたのです。

★私は中学二年生の夏から、月例祭の時に羽織・袴を着させて頂き、お広前の端に机を置かせて頂いて記帳の御用にお使い頂いておりました。鈴木コトエさんというご信者が月例祭に参拝されました時、私の所へ来て下さり、初代教会長先生のご時代に初めておかげを頂かれた時のお話をして下さいました。そして一番初めに頂かれたおかげを常に忘れずにお礼のご信心を続けておられたのでした。

★戦後は、二代教会長先生、三代教会長先生とご信者のたった3人での御本部参拝であられましたが、月々増えさせて頂けるようにお願いして下さったおかげで、今日、毎月列車・バスを運行させて頂いて多くの方が参拝させて頂いていることは、非常に有難い事でございます。

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2014年04月05日

●お取次を頂くとは

三代教会長先生は、昭和17年の7月10日伊藤ハル刀自御命日に外地から帰って来られました。二代教会長先生に「ただいま帰って参りました。」とご挨拶をなされますと、大変喜んで頂いて一緒に親教会にお礼参りに行かれました。

二代教会長先生は金光様にお届けをなさるように、大変丁寧にお礼のお届けをされました。そして三代教会長先生がお届けをなさいますと、お手代わりの若い先生が「あなたのように健康でお若い方なら、またすぐに召集がきますな。」と仰ったのです。

三代教会長先生は、今帰ってきたところなのになぜそんなことを言われなければいけないのか、と腹を立てて不足に思ってしまわれました。

★翌年、三代教会長先生は金光教学院に行かれたのですが、マラリアが再発され、薬が無いという事で大阪に帰って来られました。

通常でしたら、学院のご修行を途中で中断してしまいましたら、また始めから通い直さなければ、教師の資格は頂けないのですが、たまたまその年に検定試験と言うものが実施され、合格すれば教師の資格を頂けるということになりました。

★受験後、11月30日に無事合格通知を頂かれた翌日の12月1日に、なんと再度、招集がきたのでした。親教会へお礼参りさせて頂いた時、神様が若いお手代わりの先生の口を通して教えて下さっていたのでした。

三代教会長先生は、「二代教会長先生はいつでも金光様にお取次を頂くように丁寧になさっておられた。外地から帰ってきたばかりであったので、心が荒んでいてお取次ぎを頂くということが実践出来ておらず情けないことであった。」とよくお聞かせ下さいました。

そのお話を聞かせて頂き、二代教会長先生また三代教会長先生のご信心を頂き、いつでも金光様にお取次頂くつもりでお届けをさせて頂く稽古をさせて頂いております。

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2014年04月04日

●祈れ薬れによって…

あるご信者が42才の時に心膜炎にかかり、心臓に水が溜まり体中に浮腫が起きられたのです。入院中は、頭の先から足の先まで腫れ上がり、ご家族が御洗米を毎日炊いて病院に持っていかれました。すると、お小水にどんどん溜まっていた水分をお取払い頂かれ、40日の入院で全快のおかげを頂かれたのでした。

★そして、66才の時には膠原病に罹られ、免疫力の低下で呼吸困難になられ意識もはっきりされませんでした。口が乾燥して何も頂けず、痰が固まって口の中が切れる状態で、体の皮膚や、爪がはがれてしまうほどに衰弱される中、奥様は日参され、お取次ぎ頂いてお世話なさいました。

ある時、看護についておられた奥様が昼食時にサンドイッチを食べようとすると、45日間病院食も頂かれていないご信者がずっと見ておられるので、奥様は「頂きますか?」と言われ、ご信者の口に持っていかれますと、のどを通るおかげを頂かれたのです。それから、お粥を頂かせて頂けるようになり、みるみる元気になられ全快されたのでした。

★78才の時には咽頭癌で放射線治療を受けられました。毎日放射線を受けられる中、医師から「放射線に強い体ですね」と言って頂かれ、今まで体の弱かった方が丈夫であると仰って頂いたのでした。そして、十分な治療を受けることが出来、全快され、長寿のおかげを頂かれたのです。様々なことがあられる中で、体中に御神米、ご神酒、御洗米を頂かれて『祈れ薬れ』で神様におすがりなさっておかげを頂かれてこられたのです。

★『お洗米(御神米)には神様のおかげがついてござるのじゃから、粗末にしてはならぬぞ。このお洗米一粒で死ぬるような病人でもおかげで助かるのじゃもの。金光様は「神信心をしてお洗米を千枚頂けば、身に徳を受けることができる。」とまで言うてござったぞ。ありがたいことではないか。』

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2014年04月03日

●信心を基にした生活

昨日は、平成26年の勧学祭を無事にお仕え申し上げることが出来まして、真に有り難いことでございました。毎日学校に通わせて頂き、勉強や運動に精一杯励ませて頂けるということは、どれほど有り難いことでしょうか。

この世に生を受けてから広大なおかげを頂き続けて、今日を迎えさせて頂いておりますお礼を申し上げ、進学進級に当たって、学生の皆さんがより一層健康で充実した学生生活を送らせて頂き、夫々おかげを蒙られますよう、共々にお願いさせて頂いたことでした。

★先日も、京都から参拝されたご家族があられました。そのご家庭には二人のお子さんがおられるのですが、お兄ちゃんは幼稚園に通われ、その妹さんはこれから幼稚園に通われるとのことです。

まだまだ小さい二人のお子さんは、ご両親が「教会に参拝させて頂きますよ。」と言うと喜んでご両親と共に教会にお参りされるのです。

そしてお広前では、ご祈念の時間にはしっかり御祈念され、お説教の時間は、静かにじっと座って聴かれるのです。毎日、朝に昼に晩にお家の御神殿で、ご両親と共に御祈念させて頂く稽古が出来ておられることがよく分からせて頂きます。

そのような習慣が身に付いておられるため、ご主人の実家にお祀りされているお仏壇には手を合わせ、行く所行く所で素直にご祈念することが出来られるのです。親が教えなくてもお兄ちゃんが妹さんのことを、妹さんがお兄ちゃんのことを互いに願いあうことが出来るように育っておられます。

毎日、信心を基にした生活を実践なさっておられることにより、子供さんたちが一年一年純心に成長なさっておられることは有難いことですね。

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2014年04月02日

●神様のお心を知る

 『神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ。』

4月6日には、御本部の天地金乃神大祭に共に参拝させて頂き、5月11日には阿倍野教会の天地金乃神大祭をお迎えさせて頂きます。天地金乃神様は、天地の全ての命を生かし育んで下さる親神様です。

広大なおかげを十分に頂くだけの受け物を作らせて頂けるよう、自分の信心を見直し、聞き直し、考え直させて頂きまして、新年度始まりの月を有り難い改まりの月とさせて頂きましょう。

★私たちの身の上に起きることには、全て神様の深い思し召しが込められています。神様にお願いしていても、思うようにことが運ばないと感じる場合は、そこから私たち氏子の信心が一層進み、真に助かる事を願って下さっておられるのです。

「どんな大きなことにも決して驚かない」
「どのような問題にぶつかってもへこたれない」
「どんな人に出会っても少しも困らない」
「どんな仕事でも喜んで有り難くさせて頂く」

このような有り難い姿にならせて頂けるよう、目の前に起きてくることを決して不足に思わず、「これをおかげにさせて頂こう!」という心で受け切ってゆくことによって、親神様のお心に沿わせて頂ける信心に一歩一歩進ませて頂くことが出来るのです。
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2014年04月01日

●真の神徳を受けるもと

竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。

その時、親戚の中に金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「死ぬのを待つようなことをせずに、良くなるように神様にお願いしましょう。」と親戚の方々を説得されて、入れ替わり立ち替わり教会に皆が参拝し、お願いさせて頂かれたのです。

すると、生死を彷徨うほどの大病であられたのが、快復に向かわれたのでした。そこで竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教えを頂かれ、御礼に日参なさるようになられたのが、師の信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時の事、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく『京都の竹本さん、ようお参りになられました。』とお言葉をかけて下さいましたので、竹本師は驚かれ感激されました。

その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。

それからの後半生は健康な体に作り変えて頂かれ、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。阿倍野教会の旧広前も京都から竹本駒蔵師が来阪して下さり、先頭に立って采配をふるって下さいました。

さらに、竹本師が来て下さったことにより、鴨方から宮大工を呼んで下さり、設計図が出来て現場を指揮して下さって、一年後に旧広前完成のおかげを蒙らせて頂いたのでした。

★『金光様は有難き、恐れ多き、もったいなきの三きを供えて祈れ、一切の願い事を成就させてやると仰ったが、この有難き、恐れ多き、もったいなきの三きの心に新気、根気、お礼の働きが立ちそうてこそ一切成就のご信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ。』

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