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お知らせ



11月3日 真栄根会総会
11月11日 金光大神大祭
11月15日 御本部御礼参拝
 

2020年11月28日

●恩知らずにならぬよう              

二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご信者が自分の住まいのことについてお届けなさいました。そのご信者は、知人のご厚情で、「家賃は一切要りませんから、住んで頂いて構いませんよ」と言って頂いたので、その言葉に甘えて、本当に何のお礼もせずに住んでこられたのでした。ところが、家主さんの都合で、「家を明け渡して欲しい」と言われ、慌ててお届けに来られたのでした。

★伊藤コウ師は、「それは当たり前のことですよ。いくら、相手がご好意で言って下さった話とはいえ、人様の家に、何のお礼もせずに住み続けたら、いつか出て行かねばならないようになるのは当然のことです。お世話になったら、そのお礼は、どんなに親しい間柄であっても、たとえ親子、兄弟であっても、きちんとさせて頂かなければ、めぐりを積むことになってしまうのですよ。」と、み教えになられたのでした。

★御礼の足りない生き方は、知らず知らずのうちにご無礼を重ね、徳を失い、神様からも人からも信用して頂けなくなって、良い関係が築けなくなってしまいます。また、物に対しても御礼の心が足りず粗末な扱いをしていると、身に付かず何もかもが自分から離れていってしまうのです。常に、ご恩返しの働きを心がけて、ご無礼のないように、積徳の信心生活をさせて頂きたいと思います。

★『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ』『道で夕立ちになると軒下を借りて、「雨はまだやまぬか、やまぬか」と言って雨が止んだら「やんだ、やんだ」と言ってお礼も言わずに出て行ってしまう。そのような信心ではおかげにならない』
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2020年11月27日

●信心辛抱の先に光あり

 農作物の獣害は深刻な問題となっているようですが、以前、農家のご信者の方々から様々なお話を聞かせて頂いたことがあります。スイカを栽培しているお方に聞いたお話では、スイカが大きく育って熟れた頃になると、決まってカラスが鳴くのだそうです。そのカラスはいわば見張り役のようなものらしく、そのカラスが鳴くと、たくさんのカラスが飛んできて、熟れた実をつついてしまうそうです。そこで、大急ぎで収穫をするのだと仰っておられました。

★また、稲作をなさっているご信者にお聞きした話ですが、イノシシが田んぼに入り、収穫前の稲穂を上手に口でしごいて、お米を食べてしまうそうです。更には、イノシシが通ったところは獣の臭いがついてしまい、売り物にはならなくなってしまうというのです。田植えをなさり、お照らしがあったり、なかったり、あるいは大雨が降ったり・・様々な天地のお働きをそのままに受けながら、心血を注いでお世話をなさり、やっと収穫まで漕ぎ着けようかという時に、そのような被害を受けられるのですから、どれほどのご辛抱でしょうか。「動物にも少しは分けてあげなければなりませんから・・・」と共に立ち行くことを願っておられます。そのようなご辛抱をなさりながら、天地のお恵みを享受なさり、努力と工夫を重ねながら、年々収穫のおかげを頂いておられることは、真に尊いことだと思わせて頂きます。

★新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、先の見えない不安を感じてしまう、ということがあるかもしれませんが、これまで頂いてきたおかげに目を向けて、御礼を土台にして信心辛抱をさせて頂く稽古を、共々にさせて頂きたいと思います。今出来ること、させて頂くべきことを、先を楽しみにコツコツと積み重ねさせて頂けば、道は必ず開けていくのです。

★『辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい。』

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2020年11月26日

●本当の剛さとは…

「論語物語」という本の中に収められているお話です。

★ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいない…」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖(しんとう)は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。申棖(しんとう)のことを言うと孔子は、「申棖(しんとう)は剛くはない。欲が深い。」と仰いました。門人は「申棖(しんとう)は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖(しんとう)こそ、誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れる。申棖(しんとう)は負けず嫌いで、我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心を指している。天の道理に従って、金を貯めるのは欲とは言わない。それに反して仮に、金銭に対して冷淡であったとしても、私心にかられて人と争うのはまさに欲である。申棖(しんとう)は欲がきつい。欲がきつくては剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせたのでした。

★人に勝とうとすることは、我情我欲であり、本当に剛い人間というのは、不成心(不平不足の心、仕返しの心、我情我欲の心、疑う心…)を去り、自分に打ち克つことができる人なのですね。自分に打ち克つというのは、どんなことが起きてきても、和らぎ喜ぶ心を持ち続けて、難儀や辛苦に打ち克つことであると教えて下さっているのです。そのためには、現在与えて頂いている環境に対して、不平不足を思わずお礼を申しあげる稽古をさせて頂くのです。神様を目当てにして、自分の心を向上させることに焦点を当てる事が大切です。また、分相応な生活を維持するにも、自律自戒をして我欲に負けないことが必要です。不成心というのは、毎日心に沸き起こってくる雲のようなもので、いつ出てくるやらわかりませんから、日々み教えを頂いてその雲を取り払って頂くのです。そのように、心にある雲を取り払って、生活させて頂くことが心行となるのです。
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2020年11月25日

●我情我欲を取っていく

 阿倍野教会では、神様の御機感にかなう「身代と人間と達者」が揃って代々続く家となるように、「五つのお願い」(体の丈夫、子孫の信心教育、豊かな生活、平和円満、徳と力)を基本として、誰もが願いを立てるように教えて頂いております。

1)体の丈夫・・・何事も体が資本です。心身健康のおかげを頂き、しっかりお役に立つ働きにお使い頂くことを、お願いさせて頂きましょう。

2)子孫の信心教育・・・子孫の方が、現在教会にお引き寄せ頂いていたとしても、油断なくお願いし続けることが大切です。反対に、現状ではなかなかお参りが出来ていないことがあられたとしても、決して諦めないように、親は良いお手本となる信心を心掛け、生涯かけて「伝わる信心」と「伝える信心」の両面からおかげを頂きたいと思います。

3)豊かな生活・・・「貧すれば鈍する」という言葉もありますが、人のことを思いやり、導かせて頂くためにも、自身が物質的にも精神的にも、豊かな生活のおかげを頂くことは大切なことです。

4)平和円満・・・いつも神様に心を向けさせて頂けば、誰とでも、どんな場面に出くわしても心を乱すことなく、どんな人をも重荷に感じることのなく、平和円満におかげを頂くことが出来ます。

5)徳と力・・・誰もが生まれながらに、有り難い徳と力を頂いているのですから、生涯かけて磨かせて頂くことを願うのです。

★五カ年計画の願いの満願成就に向けて大事なことは、我情我欲を取っていくことです。豊かな生活をしたいと思いながら豊かにならないのは、どこかに無駄があるからです。初代教会長・伊藤徳次師が願われていた、百畳のお広前の建築が実現するまで35年かかられましたが、その間に五年、五年と願い続けてご修行をなさったのです。願い続けていれば、必ず願いに沿った生活になっていきます。その為に日参と聴教に励み、我情我欲をお取り払い頂くおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年11月24日

●「人を呪わば穴一つ」  

11月23日は、28才の時に交通事故でお国替えになった、私の家内の兄の御命日でした。まだ結婚されて間もない新婚家庭であられたそうです。家内の兄は、1男5女の6人兄弟の総領息子で、当時神戸の第五管区海上保安庁に勤めておられました。

★昭和55年、兄は仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28才という若さでお国替えされました。相手の方は20才くらいの若い方で、その父親と本人とが家内の父に土下座して謝罪されたそうです。家内の両親は総領息子を不慮の事故で突然失われ、悲痛極まりないことであられたと思います。しかし家内の父は、警察へ「相手の方はまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と、事故を起こした相手の青年の将来を考えられ、嘆願書を出されたのでした。その後、父は家族の間でも恨みごとは勿論のこと、事故の話を一切話題に出されることはなかったそうです。父は相手を恨むのではなく、相手の立ち行きを願われ、後々にめぐりを残されぬように祈りに変えられたのでした。辛い出来事から、恨みや更なる悲しみを生むことなく、お徳を頂く方向へと進んでいかれる手本となる在り方を、示しておられたのだと思います。つまらない事を言わず辛抱なさってお願いに変えていかれたので、周囲にその心が伝わってゆき、願っておられた後継の事が有難い形で成就出来てゆかれたのです。

★「この恨み、晴らさでおくべきか…」という気で生活しておりますと、決して結構なものは生まれず、全て自分自身に返ってくるのです。「人を呪わば穴二つ」と言いますが、「人を呪わば穴一つ」です。呪った人間が落ちるだけのことです。

★教祖様は『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない』とみ教え下さっておられます。どんな時であっても、常に悪い心を持たず、良い心を持たせて頂くような生き方を、生涯貫いてゆけるようにおかげを頂いて参りたいと思います。

★令和3年1月の寒修行信行期間に向けまして〔「難儀に負けない、常に喜びを見出す信心。」『心配する心で信心をせよ』〕という目標を設けさせて頂きました。どんな時にも慌てず焦らず、良い方へ良い方へ、心配りをさせて頂く生き方に努めさせて頂きましょう。
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