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お知らせ



1月1日 元日祭
1月18日 教徒会総会
 

2021年01月26日

●神様からのお知らせ

『山の中でもどこでも、道がわからず、どうするすべもない所へ行ったら、落ち着いて神様を拝んで、ふと心に浮かんだ方をうそと思わずにその方へ進め』

★私達は、日々生活している中で、色々と物事の選択をしています。何か事にあたる時に、御祈念をさせて頂いてから取り組む稽古が必要であるように思います。そしてその御祈念の際に、ふと思わせて頂きました事を、すぐ素直に実行させて頂くことが大切なのです。それは、神様からのお知らせであると考えさせて頂くようにみ教えを頂いています。神様からのお知らせは、時別な能力を備えている人だけが頂けて、自分にはそのような徳も力もないから、とても頂けないと思う必要はありません。老若男女を問わず、信心の期間の長い短いに拘わらず、みな分け隔てなく受けさせて頂けるものです。

★熱心にご信心をなさった竹中氏は、勤務先の系列会社の赤字の会社に、次々と出向されて黒字に転換なされました。難しく厳しい状態の会社に出向され、一つの会社の業績が良くなると、また次の赤字の会社に社長として出向かれたのです。皆が嫌がるような仕事でも、神様から与えて頂いた天職として、有難く拝んで受けてゆかれたのでした。

★竹中氏は毎日朝参りをなさって、み教えを日々新しく自分の心に頂き直されたのでした。そして、常に油断なく御祈念を先にさせて頂かれ、心に気付かれたことはすぐメモに書き記して、神様がお知らせを下さっているところを受け切ってゆかれました。就寝中でも枕元にメモ用紙を用意され、夢の中でも気付かせて頂いたことは、すぐに書き留めて仕事の上に活かされたのです。竹中氏は、常々「70才も越えたこの年齢になって、しかも、こういう立場になりますと、人が厳しく教えて下さるという事は、まずありません。しかし、毎日み教えを頂くことは有難いことです。教祖様のみ教えは、天地の道理を説いて下さっているみ教えでありますから、常に有難く、常に新しく頂き直しております」と仰っておられました。

★御祈念してさせて頂くということは、神様が間に合うようにご都合お繰り合わせをつけて下さるのです。自分でしようとしますから無理が生じます。神様にさせて頂く心になって、何事も御祈念してさせて頂きましょう。

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2021年01月25日

●難儀乗り越えられるように、お徳の貯蓄を 

二代教会長・伊藤コウ師は、「本当の幸せとは、難儀な事、困った事、辛い事、悲しい事、世の中の難儀がしっかり身に受け止められて、その難儀と取り組んで、逃げ出さないで信心辛抱させて頂ける人になることだ、と分からせて頂いたのです。どんな事でも『生神金光大神様、天地金乃神様・・・』とお縋りして、その難儀を打ち破っていくだけの徳と力のある人間が、世の中で一番幸せなのです。」と仰せになっておられます。

★初代教会長・伊藤徳次師とコウ師は、23歳の時にご縁を頂かれ、ご結婚されました。ご結婚後、徳次師は大阪で布教なさるため、四条教会にて半年間、島之内教会にて1年間御修行なさいました。ところが、徳次師が24歳の時に、島之内教会にご修行なさっている際、当時流行していた悪性のインフルエンザ(スペイン風邪)に罹られたのです。なんと意識不明の重体になられ、医師からも手を放されたのでした。

★コウ師がお勤めになられていた学校は3週間休校になり、その間コウ師は徳次師の看病に励まれましたが、徳次師の意識は戻らないままでありました。学校に出勤するか、夫の看病をするかを迫られ、コウ師は、「どちらかを選ぶことは出来ません。主人のお世話をさせて頂くのは、私しかおりませんから、神様どうぞよろしくお願い致します。」と、神様に一心にお願いなさりました。すると、2週間学級閉鎖のお繰り合わせを頂き、5週間手厚く徳次師の看病が出来られたのでした。「私が倒れるわけにはいきませんので、何卒お願い致します。」と、神様にお縋りされながら手厚く看病に励まれた甲斐あって、コウ師が病に罹ることなく、徳次師は快方に向かわれたのです。

★大切なのは今月今日、今日一日の信心です。難儀に遭わないようにめぐりをお取り払い頂き、難儀に遭っても軽く乗り越えさせて頂けるように、お徳の貯蓄をさせて頂くのです。
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2021年01月24日

●拝む心にご神徳が現れる

 あるご信者は、息子さんの家庭内暴力や暴言がひどく、大層悩んでおられました。そこで、二代教会長・伊藤コウ師にお届けされますと、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれたのでした。

★しかしご両親としては、「衣・食・住、全てに於いて息子さんの世話をしてきて、自分が育てた子に何故このような理不尽な仕打ちを受けなければならないのか」という思いが簡単には拭い切れず、なかなか息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこでご両親は、「どうぞこの息子を心の底から拝めますように・・・」とお願いなさるようになられたのです。

★しかし、息子さんを目の前にすると、なかなか拝む事が出来られません。そこを、毎日繰り返し繰り返しお届けをして、年月をかけて神様におすがりし、拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていき、高校、大学と無事に進学させて頂かれ、立派に社会人として成長なさるおかげを頂かれたのです。さらにその息子さんは、良縁を頂いて子宝を頂かれ、有難いことに子供さんを連れて教会へお参りし、「どうぞ親孝行出来ますように。」とお願いさせて頂けるようになられたのでした。

★『目には見えぬが、神の中を分けて通りおるようなものじゃ。畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、天地金乃神の広前は世界中である。』この様にみ教え頂いておりますように、親を拝み、子を拝み、兄弟を拝み、あるいは、すれ違う人であっても神様の御氏子として拝ませて頂くのです。物でも一つ一つをご神徳の現れとして拝ませて頂くことによって、天地に満ちている神様のお徳が現れて、有難い世界が開けるのです。

★「立派な主人なら拝めるが、うちの主人では拝む気になれない」「尊敬できる親なら拝めるが、うちのような親を拝むのは無理だ」というような考えから抜け出せずにいては、いつまでたっても有難い方向に進ませて頂くことは出来ません。たとえ相手がどうであろうとも、こちらから手を合わせて拝む心にならせて頂けるよう、日参と聴教に励ませて頂き、日々稽古をさせて頂きたいと思います。

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2021年01月23日

●今、与えて頂いているご修行を有難く取り組ませて頂く 

阿倍野教会の在籍教師に、昭和25年にお国替えされた伊藤春男師がありました。肺結核の三期から、助けて頂かれた方です。その方が、二代教会長伊藤コウ師から「教会にいる人間は、せめて何かご修行をさせて頂かねばならないのに、あなたはいつまで煙草を吸っているつもりですか?煙草ぐらい止められませんか?」とみ教え頂かれました。「そんなこと言われても、わしは吸うぞ。うつむいている間に親先生のお小言もそのうち済むであろう」と思って、じっとうつむいていましたら、親先生の膝の上にポタポタ水滴が落ちてくる。びっくりして、顔を上げたら、親先生が泣いておられた。「こんな私の為に泣いておられる。これほどまでに、私のことを思って下さっていたのか。」と衝撃を受けられたのです。「親先生、真に申し訳ございませんでした。すぐに煙草を止めさせて頂きます。」と直ちに道具一切を捨ててしまわれました。そして、それを機に、止められなかった煙草を止めることが出来たのでした。

★このお道は、『喜びで開けた道である』とみ教え頂いております通り、自分自身が今、与えて頂いている環境を本当に心から喜んで、御礼を申すことをご修行にさせて頂くことを教えて頂いております。自分の為に一生懸命助言して下さる人に対して、心から拝ませて頂き、御礼を申して感謝してゆく生き方に努めましょう。じっと見守って下さり、祈って下さる方が、神様のお心を表して下さっているのだと悟り、ご慈愛に満ちたお心に対して御礼を申し上げるのです。さらに天地の親神様、またその天地の道理に基づいた神様のお心を取次いで下さる生神金光大神様のみ教えを、心から有難く頂ける様にならせて頂きましょう。それを本当に心から有難く頂く受け物を、日々どんな場面に於いても作らせて頂く事が大事なことです。

★その受け物が出来ておりませんと、何か厳しいことを言われたり、厳しい環境を与えられたときに、すぐに有難く頂くことが出来ません。「生神金光大神様、天地金乃神様、私はここをおかげ頂かねばなりませんので、宜しくお願い致します。生涯かけてご修行させて頂きますから、どうぞ良い方へ生まれ変わる人間にならせて下さい」と、どこまでもおすがりして、諦めずに願い続けることが大事なことです。一歩でも二歩でも進ませて頂くことを目標に、お願いし取り組ませて頂きましょう。
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2021年01月22日

●丁寧にお礼を申し上げる稽古

『信心信心というても、神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞ。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。』

★「お礼の足らぬのはご無礼」とみ教え頂いておりますが、私たちは日々、お礼を申しても申しても、申し足りない程の広大無辺なおかげを頂いております。命を頂いていること、目の見えること、耳が聞こえ、口から食事を頂けること、家族がいて住む家があること等、日々有難い生活をさせて頂いている全ては、天地の恩恵の中にあって神様・霊様(ご先祖)・親様・人様・国家社会・地域のおかげによるものなのです。

★しかし、日々生活しておりますと、自分の都合で物事を考えてしまいがちになります。例えば、寒ければ「寒い寒い」と不足を言い、暑ければ「暑い暑い」と不足が先に立ちます。大寒の時期を迎えましたら、寒くならせて頂いたのが有難いと思って、御礼を申してゆけばよいのです。冬が寒く夏が暑いからこそ作物も育ち、経済も立ち行く部分があります。

★御本部の金光教学院でご修行させて頂いておりました時に、当時の学監であられた高橋行地郎師が、「私は日々自分の身体の働きにお礼を申しております。心臓さん、肺さん、肝臓さん、胃さん、大腸さん…と一つ一つの働きにお礼を申して生活しております。」と、ご自身の身体の部位に、「さん付け」をして、日々丁寧にお礼を申されていることをお話しして下さり感銘を受けたことがありました。

★私達は、毎日意識せずに空気を吸い、水や食物を摂取し、下に大小便を御取払い頂くことを続けなければ、己の命を保つことは出来ません。無意識のうちに、生かすための体の働きが絶えず行なわれているおかげで、日々私達は生かして頂いているのですね。それは、どれほどお礼を申しても足りないほどの奇跡の連続なのですから、よくよくお礼を申し上げ、お礼の足りないお詫びを申し上げなければなりません。足の一部でも痛みますと、満足に歩けませんし、日常の生活が出来ないことばかりになってしまいます。そこで初めて、今まで当たり前のように生活していたことが、本当に有難いことであったと分からせて頂きます。健康である時に、おかげを頂いているという事はなかなか自覚出来にくいことですが、おかげを頂いて今の自分があるという心持ちを、どんな時にも絶やさぬように、丁寧にお礼を申す稽古させて頂きましょう。

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