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お知らせ



4月2日 勧学祭
4月7日 御本部天地金乃神大祭参拝    
 

2019年04月23日

●み教えを頂いて、心に栄養を

『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

★教会の境内地にある藤棚の花が下へ垂れて房をたくさんつけております。植木班の方々が勉強を重ねて下さり手入れをして下さった結果、一時は下へ垂れず上へ咲いていた藤棚が、美しく蘇らせて頂きました。大変有難いことでございます。

★先々のことを願わせて頂いておかげを頂いていくために、今から次々と改めていかなければいけないことが、各自の生活に於いてたくさんあります。それを「地を肥やしていく」と表現して下さっておられます。地を肥やしていくことを心掛けさせて頂き、その上に良い種を撒かせて頂き、「良い方向へ芽を出して育ってくれますように」とお願いをさせて頂いて、おかげを頂きたいですね。それが日々の信心で大切なことだと思わせて頂きます。

★信心の上で肥を入れていくということは、日参と聴教です。そして心を正しい方向へ導き、心を枯らさないように栄養を頂く、ということが、み教えを頂いていくということです。日々油断なくその稽古をさせて頂くことが、常平生の信心です。平穏無事なる時こそ、しっかりと日参させて頂きみ教えを頂くのです。平穏無事な時にゆっくりさせて頂きたいと思ってしまいますが、順風満帆に結構なおかげを頂いております時こそ、先々のことを思って、信心の肥やしを入れていかねばなりません。それがこつこつと毎日続いていくように、おかげを頂いてまいりましょう。

★み教えを頂いて、天地の道理を説いて聞かせて頂いて、神様のお心を分からせて頂き、共鳴・共感して「なんと有難いことだ」と分からせて頂けるのは、私達の中にすでに尊いものを頂いているからです。それが神心を養っていくということなのです。私達がみ教えを頂くということは実に大事なことですね。それは喜びに満ちた生活にならせて頂けるようにおかげを頂いていくための、大切な取り組みなのですね。

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2019年04月22日

●心を改めることが肝心               

以前のお話ですが、阿倍野教会にもお話に来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。その方が30歳の時、お月見をなさっている最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、一生懸命に願をかけてお願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない…」と失望のあまり、死を覚悟された時の事です。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう…」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もしこの願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いてみ教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。それからは、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる教会でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★視力を失われた方にとっては、両眼とも晴眼になるということは、これ以上ない有難いことです。今まで当たり前のように使わせて頂いていたものが、失って初めてその有難さが分かるのです。日々頂いている生活が、奇跡的なおかげの連続であることを忘れずに、日々何事も当たり前と思わず、お礼を申して生活させて頂きましょう。
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2019年04月21日

●日を切って無理と思わず願う

 熱心なご信者であられた土井氏は、戦災で奈良の田舎に移り住まれ、それまで大阪で米穀商を営んでおられたところを、一から農業を始められたのでした。周りに頼れる人はおらず、ただ一心に神様におすがりなさり、手探りで、畑作、果樹園、稲作の道を切り開いていかれたのでした。

★ある時には、田んぼがスズメの大群の被害に遭い、大変困られました。土井氏は、神様に御礼と御詫びを申し上げた後、「スズメも立ち行かなければなりませんので、どうぞスズメにも餌を与えてやって下さい。」と、実意丁寧にお願いなさったのです。そうしますと、隣の松林にたくさんの虫が発生し、今まで稲穂を食べていたスズメがその松林の虫を食べてくれ、お米も無事収穫させて頂くことが出来られたのでした。

★先日も、作物を育てておられるご信者が、カラス等の農作物の被害をお届けなさっておられました。その方々も、あらゆる対策を練りながら、御大祭を目標に日を切って、天地の親神様に一心にご都合お繰り合わせをお願いなさっておられます。

★5月11日の天地金乃神大祭まで、残り3週間を切りました。銘々におかげを頂きたいことを、この御大祭までに何としてでも願い成就のおかげが頂けるよう、真剣にお願いさせて頂き、ご修行に励ませて頂きたいと思います。人間は誰しも、今、真心からのお願いが出来たかと思うと、次の瞬間に、間違えた考えが頭をもたげてしまうような危うさを持っております。そうした時には、「金光様申し訳ありませんでした。どうぞ改まらせて頂きますので、おかげを蒙らせて下さいませ。」と、再びお願いさせて頂けば、有り難いことに金光様はその祈りを受け取って下さいます。その反復練習によって、信心が向上させて頂けるのです。同じみ教えでも、何回でも聴かせて頂くつもりで、日々新たな気持ちで信心の稽古に励ませて頂き、5月11日の天地金乃神大祭のご庇礼を蒙らせて頂きたいと思います。

★『自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いし、おかげのしるしがなければ、重ねて願え。それでもしるしがなければ、なおもう一度と、三度までは押して願え。願主があきらめてはいけない。押して願っておかげを受けよ。』

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2019年04月20日

●み教えによって初めて気付かせて頂くこと

桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。どこからお参りしたとも何も言っておられないのに、松平師に教祖様は『周防の国のお方、遠方をよくおまいりでしたなあ』と仰せられたのです。さらに御神前に進まれて御祈念なさいました時『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と神様のお言葉をお伝えになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と神様のお言葉をお伝えになられたのでした。

★松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。松平師は何も分からないままお参りなさったのですが、教祖様からご理解を頂かれて、心が開かれ、水のご恩を感じ、日々お礼とお詫びを申しながら生活なさっておられましたら、胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そうして、ご自身の実体験を通しておかげを頂いたお礼に人々を導いていかれ、九州の地で初めて布教に出られるほどのご神徳を頂かれたのです。

★人間には、誰しも考え違いやご無礼不行き届きはあるものです。信心させて頂きますと、そのことに気付くことができ、神様にお詫び申し上げ、改まらせて頂くことにより、めぐりをお取り払い頂けるのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』
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2019年04月19日

●神様がさせなさるご修行

 教祖様のご在世中に、祈念祈祷を重んじていた修験道の山伏が、教祖様のみ教えを一方的に敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。 しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、『これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子、先で合点せよ。』とおっしゃり、どこまでも神様のさせなさるご修行と受け切って行かれたのでした。

★阿倍野教会の旧広前の時代にも、お説教中に他宗の方が数名で乗り込んで来て、畳を叩いてお説教を妨害するということがありました。二代教会長・伊藤コウ師は、教祖様のみ教えを守らせて頂かれ、腹を立てて仕返しをする心になったり、口論したり、追い払うようなことを一切なさらず、ご修行として黙って受けられたのでした。そうすると、畳を叩いて妨害していた人が突然立ち上がり、小走りで畳から玄関の土間に飛んで降りようとした時に、背が高かったものですから、垂れ壁で頭を打ちつけて気を失うほどの衝撃を受けて倒れてしまい、それ以来お広前に来ることはなかったということです。

★教祖様は、教祖様直信の津川治雄師に、『信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ』とみ教えなさり、更に数年後に、『堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』と仰せられたということです。

★5月11日の御大祭に向けまして、銘々、生活の上に起きてくることを、神様がさせて下さるご修行として有り難く受け切らせて頂き、信心向上のおかげを頂きたいと思います。

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