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お知らせ



12月21日 二代金光様歴代金光様例年祭
12月31日 越年祭
 

2019年12月09日

●『おかげを受けるのに巧者がある』

 昨日はみかげ会例会が開催され、守口氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。大学生の時から、朝参り、日参と聴教に励まれ、何事もお取次を頂いて、就職、転職、住宅の購入等、何事にもみ教えを素直に実行なさり、神様のご都合お繰り合わせを頂いてこられました。

★守口氏はこれまでに4度転職をなさっておられますが、失業期間中には、一日二回の参拝と聴教をされて、いつも「次はどのような会社に入り、どのような人と巡り合うのか楽しみだ!」と前向きに過ごされておられました。現在は運送会社で勤めておられ、経理に加えて人事・労務管理のお仕事をされています。毎朝4時半に起床なさり、朝参りをなさって、勤務先の無事故・無違反・安全運転のお願いをお届けされてから、2時間ほどかけて通勤されるのです。お取次のお徳を頂いて、3ヶ月前には高速道路を運転していたドライバーが、途中で脳梗塞を発症しましたが、無事故でサービスエリアから病院へ救急搬送された、ということをはじめとして、数々の有り難いおかげを頂かれておられます。

★守口氏は今年の1月、4日(金)から仕事始めだと思われて出勤なさると、責任者の方が一人と守衛さんだけしかおられなかったそうです。実際は7日(月)からが仕事始めであった事を、その時に気付かれましたが、「せっかく来たのだからそのまま会社に残らせて頂こう!」と思われ、仕事に取り掛かられたのでした。すると、ほどなくして銀行から「残高不足のため、本日付けで予約している支払いの振り込みが出来ません。」と、電話があったのです。担当者に会社に来て頂くことができ、事無きを得られましたが、守口氏が出勤していなければ、約60件分の支払いが出来ず、取引先に迷惑を掛けることになっていた、ということです。

★『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』

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2019年12月08日

●一心におすがりさせて頂く                

12月6日は中井久夫氏のご命日であられました。中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、熱心な信心のお徳により、両疾患とも全快根切れのおかげを蒙られたのです。心筋梗塞を患われた際には、一か月半の入院治療を受けられました。入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。信心がぼけるとおかげがぼける。 退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と、病床にありながら自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★退院後もしばらくは、発作を抑えるためのニトロールという薬を、いつも持ち歩くことになられました。しかし、「御本部参拝で病の根を置いて帰らせて頂き、根切れのおかげを頂きたい。」と強く願われ、「御神酒と御神米でおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさり、ニトロールを携帯せずに参拝されたのでした。すると、ご霊地で発作が起こったのです。中井氏は、「金光様、金光様」と御祈念なさり、御神米と御神酒を頂かれ一心におすがりし、帰りの車中では「大祓いの詞」を53巻奉唱なさって、無事家に帰り着かれたのでした。なんとそれからは、生涯発作が起こることなく、全く後遺症なしに根切れの大みかげを頂かれたのです。

★また、脳梗塞の時には、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。入院し治療を受けられましたが、造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。 しかし、その間に中井氏は夢の中で、御本部で二代教会長先生と三代教会長先生と一緒に、金光様のお出ましを拝ませて頂いている光景を見られたのです。二代教会長先生と三代教会長先生が前に立って最敬礼しておられ、その後ろに中井氏が拝んでおられた夢でした。目が覚めて「今夢を見た。金光様のお出ましを拝んでいる夢だったなあ…」と思ったらその時、「金光様お出まし…」と口から言葉が出たのです。横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏は見られた夢の内容を話されたのです。

★今まで話すこともできない、嚥下も出来ない状況であられたのに、話すことができられるようになられ、朝にはストローで牛乳を飲むことが出来、翌日には教会から月例霊祭のお下がりで頂いたバナナを二回に分けて食べることが出来られたのでした。さらには、麻痺していた身体も動くようになられたのです。後になって調べてみますと、頸部の詰まった太い血管はそのままでしたが、詰まった血管を回避して新しい血管が出来て、血液が流れていたのです。そして、後遺症なくリハビリする必要なしに、全快なさって退院させて頂くことが出来られたのでした。

★常々心を神様に向けて、金光様のお姿を思い浮かべて御祈念させて頂く稽古をなさっておられましたから、病床にあってもお礼を申しながら療養させて頂くことが出来られたのです。どんな時にも有難い心で神様におすがりしきってゆくところに、神様の御庇礼が現れてゆくのですね。
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2019年12月07日

●どこまでも深いご神意を頂く

 先日、島之内教会の教会長先生が年末のご挨拶にお参り下さり、その際に、先代の教会長であられる三矢田守秋師の、有り難いお話を聴かせて下さいました。三矢田守秋氏は、告別式の祭詞を起草なさる時には、徹夜の御用になることも度々であられたそうです。お国替えなさった方のご一生を丁寧に振り返られ、思いを巡らしながら、どのように神様にお礼を申し上げ、霊様に真心を尽くしていくか、ということに真剣に取り組んでおられた、というお話でした。

★内田守昌師は、次男さんを生後7日で亡くしておられます。その10日祭の祭詞をお書きになったのが、三矢田守秋師でした。口語体で書かれたそのご内容は、誰にでも大変分かり易く、尊いご内容なので、内田師が、後に金光教学院長となられた時には、毎年、ご次男のご命日の朝には、学院生に祭詞の原稿をコピーしたものをお配りになっていたそうです。そのご内容について、起草なさった三矢田師ご本人は、「私が作ったものではない。あの時の事態全体の中から生まれ出た」と、おっしゃっておられます。

★内田師は、そのお言葉をお受けになって、「このお道の祭詞というもの、特にご葬儀の場合の祭詞というものは、本当に霊(みたま)とひとつになって生まれ出てくるものであるということを、改めて思い知らされるわけでございます。(中略)祭主先生のいのちを込めて、一句一句霊(みたま)に向かって、神様に向かって、申し上げる言葉でございます。(中略)それだけに、それを頂いた方々がおかげを受けられる。お道で葬儀をして頂くということは、こんなにもありがたいものかということを、感じ入るわけです。本当に生れ出たというものは、人の命の中に生き続けていくものでございます。」とおっしゃっておられます。

★人の命とは、その長い短いにかかわらず、神様の深い思し召しが込められており、生き死にを通して、天地の中に生かされ、働かせて頂ける存在なのです。ご信心を頂いて、その有り難さを深く理解させて頂き、一日一日お礼の心で、それぞれの役目を全うさせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

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2019年12月06日

●人を助けてわが身が助かる

ある寒い雪花が散っていた日のことです。片岡次郎四郎師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりに可哀想に思われて、着ていた物を脱いで、そのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎の金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰せられました。

★私達は日参と聴教に励ませて頂いて、正しい心すなわち神心を養っているのです。神様から尊い神心を頂いている自分自身である、ということを自覚させて頂くことが信心であり、日々神心を養っていくことが信心の稽古ということになります。

★人様の為に真心込めてさせて頂いていることは、全て神様はご存知で、どこからともなく有難いことが返ってくるのです。自分自身に返ってこなくても、子孫の代に返ってくると思っておればよいのです。神様は全てご存知ですから、親切にさせて頂いた相手から返ってこないことに気をくさらせる必要はありません。

★私たちは常に「自分の徳の貯蓄は現在ゼロになっている」という思いでいることが肝要です。「これからしっかりとお徳を積ませて頂かねばならい!という心持ちでありますと油断の無いご信心がさせて頂けるのです。自分自身の心の持ちようが大事です。日々めぐりのお取り払いを頂き、さらに徳の貯蓄をさせて頂くつもりで、ご信心をさせて頂きましたら、有難い人生にならせて頂けることは間違いありません。

★『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』
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2019年12月05日

●和らぎ喜ぶ心におかげはある

 教祖様の元にお参りになっておられた、角南佐之吉というお方は、お道のご信心にご縁を頂かれた初めの頃は、お父様もご自身も気性が荒く、いつも意見が合わず対立することが多く、ある時、教祖様にそのことをお届けなさいました。教祖様は、天地書附をお下げになり、『おかげは和賀心にあり』について、『和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』とご理解をなさったということです。そのご理解が深く心に感じ入られた角南氏は、翌朝、お父様に、「お父さん、私が悪かった」と泣いて詫びられると、お父様も「お前がそういう心になったか。そういえば、わしが悪かったのだ」と泣いて喜ばれ、またお母様も、「私のかじの取りようが悪かったのです」とおっしゃり、三人が泣いて詫び合ったということです。それからは何も言い争うことがなくなり、角南氏の仕事をお父様も快く手伝ってくださるようになられ、家族円満に助け合うことが出来るようになられたということです。

★神様のおかげは、この天地に満ち満ちているのです。そのおかげを、身にも心にも大いに頂けるかどうかは、自分の心次第です。家族でも、お互いに心を神様に向けて、円満であれば、お互いの力を足し合って、結構な家庭を築かせて頂けるでしょう。反対に、お互いを尊重することもなく、いがみ合って生活していれば、力を足しあうどころか、負の働きが生まれてしまうような家族になってしまう恐れもあるのです。

★おかげの中にお命を頂き、様々なお恵みの中に生かされている有り難さをいつも感じさせて頂きながら、和らぎよろこぶ心で生活させて頂けば、どんな問題もたちどころに解決に向かわせて頂き、皆が活き活きと、有り難い働きをさせて頂くことが出来るはずです。

★『今月今日で一心に頼めい。おかげは和賀心にあり』『疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり』

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