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お知らせ



4月2日 勧学祭
4月25日 青年会学生会総会
 

2021年04月15日

●自然(じねん)の行

当時、学校に勤めさせて頂いていた23才頃のことです。

★私が片側一車線の道を運転中に、渋滞して全く動かなくなり停滞しておりました。すると、反対車線の車が私の車だけに接触し、車体の右前から後まで側面を擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、免許や車検証の控えを取って名刺を頂き帰宅させて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいますので、私は「相手のお方が加害者で、全額弁償するとのことです。」と申し上げると、重ねて「あなたが支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。「はい、そのようにさせて頂きます。」とすぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。考えてみれば、居眠り運転ですから、車の列のどこへ当たっても仕方のない状態の中、たまたま私の車に当たったという事は、神様からお気付けを頂いたという事です。

★そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂き、私は日々の生活を改めさせて頂く良い機会を神様から頂いたのだと思い、車を修理に出させて頂いた事でした。後に私は何度も、命のないところを危険から逃れさせて頂いて、助けて頂いたのです。

★「自然(じねん)の行」という言葉がありますが、自ら断食をしたり、水垢離をとったりする修行ではなく、文字通り、自然に起きてくることが、神様がさせなさる御修行なのです。自分自身に、至らないところがまだ多くありますから、神様が出来事を通して改まる点を気付かせて下さるのです。改まりに気付くという事がおかげですね。ですから、起きてきたことに心を乱すことなく、自分の為すべきご修行として、有り難く取り組ませて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★近藤藤守師が、山に入って修行したいことをお届けされ、『なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります』と申し上げられますと、教祖様は、近藤藤守師に『それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。』 と仰せになられたということです。
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2021年04月14日

●受け物を大きくさせて頂く

『天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ』

★神様は天地の間に住む人間は神の氏子と仰って下さり、全ての人が助かることを願って下さっています。そして皆に平等におかげを授けて下さっているのですから、受け物の大きい人は、それだけ多くおかげを受けさせて頂くことが出来るということになります。受け物の小さい人が、多くのものを入れてほしいと思っても多くは入りません。ですから、大きな受け物にならせて頂けるように、お願いをさせて頂くことを教えて頂いているわけです。

★『神様のお徳を身いっぱいに受けさせて頂けるように、この身この心を神に向けて信心せよ』と仰って頂いております。有難いことに、神様に心が向かわせて頂いております時はご信心になっておりますが、反対に人や出来事に心が向かいますと、ご信心になっていないということです。それは、つい自分中心に物事を考えてしまうということですね。自分中心に考え、我情我欲が先に立ってしまっているような状態でありましたら、神様のお徳は十分に頂くことは出来得ません。

★毎日の生活の中で、み教えを常平生から頂く稽古をさせて頂いておりますが、どのように実践させて頂くかということが大切です。み教えを頂きながらも、なかなか実践が出来ていないということが多くあります。それは稽古が足りないのです。何事も反復練習をさせて頂くことが、上達する元となり、私達の毎日の生活は、小さい頃からの反復練習の賜物です。神様が感心なさるくらいに、根気強く練習させて頂けばよろしいのですが、なかなかそういうことにはなっていませんね。見直しをさせて頂きますと、もっともっと稽古をしていかなければならない部分があるはずです。生涯かけて、その稽古をさせて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

★『何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』

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2021年04月13日

●おかげの受け物を作る謙虚な姿勢

 以前、金光英子先生からお聴きしたご内容ですが、金光図書館が合言葉とされていることに、【3つのことは言いません】というものがあられるそうです。その3つとは「ありません」「出来ません」「知りません・分かりません」のことだそうです。その3つを言わないように心掛けておられるということです。

★利用者の方が探している資料が、金光図書館にない時には、「ありません」と言わずに、「お探ししましょう。作りましょう。」と提案されるそうです。例えば、視覚障害のある方が求めておられる本に、点字のものがない時には、「作りましょう」ということで、時間や手間を惜しまずに、点字の本を作るよう努力なさるそうです。また、「出来ません」と言わずに「ここまではさせて頂きます。あとはどうすればよろしいでしょうか?」と尋ねられるということです。

また、図書館の職員の方々がご存知ない資料に関しての質問には、「知りません、分かりません」と言わずに、「教えて下さい。聞かせてください。」とお伺いなさり、少しでも利用者の方のお役に立つことを願われ、さらに幅広くお役に立たれるためのきっかけとなさっておられるそうです。実に謙虚であられ、信心のお手本とさせて頂きたい有難いご内容を聴かせて頂いたことでした。

★5月11日の御大祭に向けて、一層心を込めて日参と聴教に励ませて頂き、また、御礼の御用にお使い頂きまして、神様のおかげを十分に頂く妨げとなってしまう、我情我欲、不成心をお取り払い頂いて、心と体におかげの受け物をしっかり作らせて頂きたいと思います。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように、人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心我が身に汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』 
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2021年04月12日

●受けたおかげを忘れず・・・

 荻原須喜師は、20才の頃に2年間血の道の病にて、病床に呻吟しておられました。

★ご主人の豊松さんが参詣され、日本国中のあらゆる神仏を拝んできたことをお話しになりますと、教祖様は、『それは、あまりの信心である。』と仰せになられたのです。そして、『巳の年(豊松)、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。(中略)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。(中略)神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。(中略)どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ』と仰せになりました。

★更に、まだ一度もお会いになったことのない須喜さんに対して『丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。(中略)それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。(中略)なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。もし丑の年(荻原須喜)にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい』と家族で相談して、おすがりするところを「この神様」と決めて、一心に信心するよう、み教え下さったのでした。そして、須喜師が日頃不足ばかり言っていたことを、「ああも言ったであろう」「こうも言ったであろう」と、何十となく言い表され、不足心とわがままから病気になっていることと、不足心を取り除くように教えて下さったのでした。

★早速、豊松さんは帰ってから、須喜師の枕元で一部始終を話されました。すると、須喜師は「わたしはわがままで、不平不足より他にありませんでした。改心せんでどうしましょうか・・・」と改まりが決意できられ、金光様の元で信心して、おかげを頂くことを決心されました。再び豊松さんが参詣されますと、金光様より「三週間を楽しみにおかげを頂くように」とみ教えを下さいました。そこで、日夜ご信心を進められますと、16日目に初めて枕から頭が上がり、21日目には2年前と変わらない壮健な身体になられたのでした。

★そして、15qの道を歩いて参拝が出来、御礼を涙ながらに申し上げた時に、金光様から『今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。ここからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ』とみ教えを頂かれたのでした。それから、須喜師はお道の御用に立たれ、難儀な方々をお導きなさっていかれたのです。

★私達は日々み教えを頂いて改まり、おかげを頂きましたら、その有難いことを忘れないで、次々と周囲の人々が助かっていくように、親切丁寧にお導きさせて頂き、真の信心に進んで頂く方々が増えていかれる事が、神様への一番の御礼になるのですね。

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2021年04月11日

●霊様の働きは永遠である

三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。桂岡正三氏は同じように訓練を受け、満州・中支へと戦場に出征なさった後、フィリピン・パターン半島で戦死なさったのでした。それ以降、三代教会長先生は、その方のお墓も常に拝んでおられたのでした。

★すると、ある日突然、その方のご遺族から教会に「伊藤良三先生に祭主におつき頂いて、墓前で50年祭を仕えて頂けますでしょうか?」とお電話があったのです。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。それから、お祭りをお仕え頂かれ、阿倍野教会の霊舎にもお鎮まりになっておられるのです。

★霊様の働きは、生き死にを通して永遠に続くものです。亡くなられた霊様も、「天地の間に生き生きと働かせて頂きたい…」と願っておられるのです。そうした霊様方が次々と助かり、おかげを頂かれる道を歩まれるようにお願いさせて頂けるのが、このお道のご信心です。自分のことよりも先に、悩み苦しんでおられる霊様の助かりを願わせて頂くのです。生き死にを通して、天地の親神様の御神徳を蒙らせて頂くことが出来る世界を、金光様は開いて下さったのです。また、現在、生かして頂いている私達も助かることが出来るということは、実に有難いことです。

★『先の世までも持ってゆかれ子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』
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